地味で目立たなかった車両
>>83
量産前提の試作だったからじゃないか>713
運転開始前年の83年8月に南福岡の車庫で見かけたが、パッと見、色違いの瀬戸内色に見えたな。 483系
漏れは41年生きてきて、この形式を2回位しか声にだして言ったことがない。
のこりの40年位の人生でも…あと一回あるかないかだろうなw
福知山線113系ブタ鼻シールドビーム車
一度画像を見てみたいものだ・・ググっても出てこん。
ウソ電でしか見たことなす。(あれは165系だが・・) 現在進行形だけど105系
一様東も継承してるしそれなりに両数がいる割には… >79
ネットとかもなく話がバーッって広がらない時代だからこそ
手荒な手段が使えたんだろうね 横須賀グリーンの
サロ113とか特急で使ってのでは? >>87
そういえば105系119系107系123系121系のグループはピクで形式特集組まれた事無いよね。 雑多なサロ110で言うなら、ステンレス試作車だった901、902だな。
もちろんサロ153-900の格下げなんだけど、国鉄時代に登場した車両だしね。
晩年の他車種から改造して登場したのは、全てが余剰車両の有効活用だしな。
同様にキハ35-900も地味と言えば地味。
キハ60系、キハ91系などの試作車系列も試験的意味合いが終わってしまったら、地味な存在でしかなかったな。
あと、新幹線車両でも、300系は“地味”と言えるかも知れない。
もちろん両数は多くて今もバリバリ現役だけど、性能的なことはともかく、
ビジネスライクな造りは設備のバラエティーが豊かだった100系を人気の面で超えることができなかった。
また、後に登場したセンセーショナルな500系の強烈なインパクトの影にもあっさり埋もれてしまい、
花形だった長距離運転の「のぞみ」として活躍した期間は案外短く、
その後は「ひかり」「こだま」を中心とした運用にシフトされたことが余計に“地味さ”を感じさせるようにもなった。 SLだとC50 C52 C54
SL全廃後に出た蒸気機関車大図鑑みたいな本で、
そんな形式の機関車があったのかと初めて知った。 省形制式蒸機をこき下ろすのが好きな後知恵系の人には、C52は、
「欠陥機」C53の欠点をあげつらうための比較対象として重宝されてるようだね。
あと、C54はC53とのセットで島秀雄の蒸機設計能力を貶すグッズにされてる。
C54は持て余されてたのを、西尾源太郎氏が戦後に山陰線の軽負荷運用に充てる配置工作を図って延命させたんだよな。 鉄懐板以外ではデブなのに地味で目立たないナン931-524 このスレでもいろいろ出てるけど、
カルダンと新性能の入れ替わり時期には
ひっそり現れては消えていった車両が多いみたいね
少数派でなおかつ特急車でもなく、
構造も異端児で特に転用もされず、
地味な運用のまま消えていったりとか
新京成700系だとか
いろいろ出てるけど東急5200系や6000系も見た目の割には地味?
京阪の1900系ってほんとについ最近まで生きていたんだっけ?
あのころの車両でいまだに生きていたのはすごいな
(とはいえ、2600系も50年選手か...) >>100 小田急2100
京成750
南海の京福に行った 貫通のクロス車とか・・・。 阿武急も、制御装置以外はなかなか部品調達しやすそうな車両を買ったな。 デブなのに鉄懐板以外では地味で目立たないチョソ931-524 >>91
そこらはマイナーな形式で、再三取り上げるほどのことはないから
ほぼ終わりの形態が見えた最晩年に一度まとめて特集して終わりの気がする デキ1形
名鉄デキ600型らと同じ東芝標準型凸型電気機関車で、しかも京成が保有した
唯一の電気機関車。
工事用でしか使われず、最後の華は成田空港線工事で全うしたことくらい。 >>107
「当初は(当時の)京成と同じ1372mm軌間であった東京市電と線路をつなげ、沿線からの野菜を輸送する直通貨物列車の牽引を目的としていた」
以上、Wikipedia から。
東京市電とつなげるって、押上で接続の予定だったのかな。「貨物列車」とは、ひょっとして行商人列車のことだったりして。だとすれば、
都電の急カーブを通れる2軸の客車をどこからか買い込む予定だったはずだが・・・。
考えれば考えるほど、わからなくなる。 >>108
まあ、wikipediaに書いてあることは話半分に思っておいたほうがよいでしょう。
現実には電車がぶっ壊れたんで、応急的に入線したという
今月のピクの記事が妥当。 東武2070系、冷房化ができればワンマン線区でまだ走っていたかも。 サハ111-5
非ユニット窓の1000番代のサハより先に廃車になった。 ED74も中途半端なグループで終わったな。
交流用の標準型になったED75も九州の300代は両数も少なく、地味なグループだ。
北海道の500代に至っては、だった1両だけの異端児。
しかし、これ以降北海道内向けの同一形式耐寒仕様車両は500代を名乗るようになった。 京阪新1800系、外板の厚さの関係から先頭車にウィンドウシル付きの630系が種車になったり、非冷房ながら2622Fと同じ試作品の送風器が装備されてた。大阪直通の宇治臨時急行に使われたがほとんど話題にならなかった。 159系
末期は153系とごちゃ混ぜで快速運用に入っていた。 473系。
僅か1ユニットの孤高の形式。
483系。
これも10数ユニットだけの中途半端な存在。
国鉄型交直流電車の優等車両は地味でした。 >>118
483系の末期はひたちで使われていて、7両でなくて最後までグリーン車がある
方の編成にモハが2ユニット残っていた。 鉄道の祖なのにロケット号よりマイナーなトレヴィシックの蒸気機関車 初代南海8000系
チョッパ車が抵抗制御に格下げされた例って他にもあるのかな?
VVVF改造はちらほら見かけるが 東武の10080型
登場して23年になるが一度もあたったことねぇやw >120
蒸気船のダバン、蒸気機関のパパンと一緒で発明者が忘れ去られるケースだな。
トレヴィシックの孫2人が日本の鉄道を支援したというのも因果なものだ。 今も現役だけどDE11
2000番台は側面スカートが厳つくて良いね >>124
スチーブンソンの蒸気機関車と同じく、
蒸気機関はニューコメンの大気圧ポンプからワットの回転往復動式に発展、
蒸気船はフルトンのクレアモント号が最初、というのが世間のイメージになっちゃってるもんな。
ちなみに世界初の内燃機関というのは、昔のギネスブックによると1825年に既にイギリスで実現されており
人の乗れる車輌に搭載されて丘を登ったとか。
しかしそのエンジンの名称は「用気エンジン」なるもの。
世間では最初のまともな内燃機関はルノアールが1860年に実用化した無圧縮ガス機関だとされているが。 ジーメンスの試作電車〜スプレーグの電車の間に登場した電車 東京メトロ千代田線には、JRの207系900代と東京メトロ06系という、
どちらも1編成という“地味”な車両が走っていた。 417系電車。
電車の普通列車といえば仙石線の電車か急行間合い使用くらいしかなかった東北地方に
仙台地区でデビューしたのもつかの間。中途半端な形で消えていった。夜松川まで南下する列車に
一度だけ乗ったことある。 キハ37
僅か5両で打ち止めとは。
キハ30とペアで久留里詣で姿態。 キハ33
地味で目立たないと言うよりも、何もかもが中途半端すぎた。
JR西日本にもう少し技量があったらキハ141系列みたいになったかも知れんのに。 サロ163―7
163系自体が幻の上、すぐにサロ112に改造された。 >>130
本来は地方中核都市向けの近郊型として量産するはずだったんだろうね
交流で十分なところ交直両用としたのも拡張性を考えてのことだろう
しかしその後国鉄の台所事情で寝台電車の改造車で代替することになってしまった
>>131
キハ37は事実上試作車でしょ
高コストで性能が悪い40系の反省から生まれた車で、おそらく走行部分はこれをベース
にして投入線区に応じ様々な形態に拡張させる予定だったんだろ
しかし、その後すぐに民営化されてこの車がベースになった車両はキハ38で終わって
しまった >>136前段
ま、その後は417の車体構造を生かした、急行型の車体更新車が登場したから決して無駄じゃなかったんだよな。 マイナーと言えばEF61もかな?
折角東海道・山陽筋で急行旅客列車牽引も務めたと言うのに…
ヘッドマークも颯爽とブルトレをエスコートした時期もあったのに…
あまり注目も浴びずに終わってしまった。
(しかもEF58よりも先に引退…) マイナー組ではスハ42・スハフ41も。
オハ35戦後型の車体にウィングバネ台車のTR-40系台車を履き、デビュー当初こそ
つばめ・はとにも使われたが…
登場して程なく、スハフ41はマイネ40に台車を召しあげられ代わりにTR-23のお下がりをもらい
全車オハフ33に編入され形式消滅。
スハ42も、スハ33650(オハ35)とスハ43の間に挟まれ中途半端な存在になってしまった。
後に近代化改造を受けオハ36になり更に電気暖房化されてスハ40に…
でもぱっと見でオハ35と殆ど変らないせいかあまり話題にも上らなかったね… また客車ネタだけど…オハ46・オハフ45もマイナー組だね。
オリジナルはオハ60両オハフが20(25?)両だっけ?寧ろスハ43後期車から編入された方が多い位。
オハフもオハ改造車が11両、編入オハ改造車が9両。
でも個人的には好きなんだよね。オハ46・オハフ45の原型車。特に近代化改造された奴。
青塗・アルミサッシ・デコラ張り・アミ入りガラス・窓下テーブル。
複線電化の幹線を電機牽引でぶっ飛ばす急行列車が懐かしい。 西武501系三代目、701系の余剰Tcに101系の電装品つけた奴ね。
西武で一番好きな形式なんだが。地味すぎ。 東武2080系
野田線で夏にあれが来るとみんな顔をしかめてた。
当時野田線でも非冷はまだまだ残ってたのになんで
あんなに嫌われてたんだろう >>145
自分は近く住まいだが、その時期に乗る機会が無かったので想像だけで書くね。
AA基準のせいで、窓がロクに開かないままだったから嫌われたとか? >>145
電気ブレーキのせいで、駅に止まるたびに床下からモワーッとした熱気が来るから? カナリア色の101系1000番台。
武蔵野線西船橋開業用に1ユニットだけ存在した。 転配の中で一時期存在した京浜東北線のスカイブルーの101系も確か4編成しかなかったはず。
また、東海道山陽緩行線で走り、現在阪和線で走る関西の205系も影が薄い。
そういえば、東京メトロ千代田線はメトロの06系やJRの207系900という1編成だけの系列があるね。
JR九州の303系も地味な存在だ。 営団5000系、但しグリーンの帯を付けて千代田線に入っていた頃の。 >>151
それを言うたら方南町支線のサインカーブレッドな2000形も。 70年代のSLやブルトレにファンが目を奪われてしまい、オワコン扱いでろくに雑誌にも特集されず、人知れず滅んでいったローカル私鉄の車両(特にアオガエルとか西武350あたりに入れ替わる前)。 >>153
オワコンどころか、コンテンツとして扱われていなかったのさ。 401系。
近郊型の始祖なのだが、常磐線専用だったためか地味な存在。
「111系の交直流版」などと言われてた。
421系は福岡を走っていたので、そこそこ知られている。
451系。
交直流急行型の始祖なのだが、常磐線・東北線デビューだったせいか地味な存在。
471系は大阪を走っていたので、そこそこ知られている。
483系
それまで交直流電車は東日本デビューが先だったのに、とうとう西日本にその立場を奪われる。
EF80
これまた常磐線専用だったためか地味な存在。
EF81は大阪を走っていたので、そこそこ知られている。
下手すりゃEF30よりマイナーな存在だったかも。
>>153>>154
開業時に仕入れたオリジナル車両かキハ04・07・社型国電・戦後の大手私鉄放出で入手した戦前型電車あたりだな。
部品が切れてきて廃車というのもよくあったようだ。
で、アオガエルとかキハ10・20→弁当箱やレールバスに落ち着く、と。 >>155
当時は専門誌なども「交流・交直流車両といえば九州・北陸。東北のは所詮亜流」って雰囲気だったな。
例外はEF75くらいか。 >>158
でも403系はしぶとく残ってたな。
グロベンのルーバーが通勤車の円形と違い、小さくて線路方向にスライドするヤツだった。 >>155
常磐線専用とはいっても、東京を走っていたではないか。 14系15型客車
個室や食堂車はなくモノクラスのみ
晩年は14型と混結して使われた。しかし最後の東海道・山陽ブルトレに使用されたのでこの車両にとっては幸せだったかも知れない。 国鉄クハ103,オハ61,スハ43
東武クハ8100
など普通に通勤車として走っている車両は目立たないし地味だね。 ED74とかED75 501なんかは国鉄時代の“新型”機関車では「地味」だね。
ED74は僅か5両だけのグループで影が薄かった。
ED75 501も、交流機の標準形式になったED75では、道内電化用としての試作機の意味合いの強かった1両だけの番台だ。 キハ48の1300番代もなー。
暖地向けキハ40が烏山線に出ると聞いて見にいったが、
台車が空気バネのやつじゃなくて失望したものだ。 >>168
客車のくせにサハ4801ってのもあったね 客車の気動車転用は、今でこそJR北海道で多く活躍しているが、
これを除けば、余り車両の有効活用とはいえ、どれも少数世帯の異端児みたいなものばかりだな。
古くは北海道のキサハ08、そして50系客車を改造したキハ38なんかが山陰などにあった他、
城端線などで走っていた12系客車改造のキサハ38、
それにJTの「セイシェル」に組み込まれていたキサロ59くらいかな。
いずれも、種車の面影をほぼ留めたままで、なんか奇妙に見えたもんだ。 >>171
山陰の50系改造はキハ33、12系改造はキサハ34な ヨーロッパの特急車両は目立つけど普通用の客車とか通勤電車は地味だな。 おフランスがその辺の車両で色々派手にやらかしていて、日本の評論家どもがブツブツ言っていたら
ジャポンにもミトーカという恐るべき人材が現れて、善悪は別として無茶苦茶なことになっていったな。 京急700
東急初代6000
西武571
京王1000
京成750 鶴見線の下駄
クモハ12の陰で?
海芝浦と下駄はよく似合っていたけど…