地味で目立たなかった車両
過渡期の南武線や鶴見線の101系か103系。
その2種類は一般人には見分けがつかない。 >>50
東武2080は当時野田線唯一のカルダン駆動・エアサス装備だったから、
ある意味神だった。 東武2080は不運と失敗が重なりドツボにはまったからね。
中間車を先頭車化したりなどあまりにむちゃくちゃ改造でトラブル多発するは
東上や越生線系統の5000系シリーズを野田線に集結させる事で
既に旧式車の3000系シリーズ全滅のめどがやっとついたのに18m3ドアだし
冷房の搭載すら困難とどぶに捨てたみたいな車だった。
車内も全く更新すらしなかった。
野田線なんかやめて3両かなんかで栃木か太田以北とか小泉線とか使ってれば。
1800系をローカル普通用にしたのにいとも簡単に廃車するといい東武は改造したら
飼い殺しの上に不要になったらポイ捨てばっか。 >55
10系や1700系の扱いを見ていると用が済んだらポイタイプ。 マニ50の現金輸送車
用途が用途のため、車籍表にも載らず(公表されず)、廃車まで存在がずーっと隠されたまま。
写真に収めたヲタは何人いるやら… >>57
それマニ30
確かにベースは50系だが、そういう表現見たのは初めてだわ キハ23形の片運転台タイプの北海道仕様、キハ46。
存在すら知らなかった人も多いと思う。そりゃ6両しか居なかったもんね。
サロ455‐200
サロ451から改造されてるのに、451系のグリーン車であることが知られていないまま民営化の陰でひっそりと消えた。 >>58
形式違ってたか…、訂正サンクス。
目立たないように量産形式に埋もれるように作ったもんと思ってた。
ちなみに、ヲタにはばれてなかったんか気になる。 マニ30現金輸送車、上野で見た。
103レ急行「八甲田」、EF58の次、マニ37と並んで連結されてた。
実はEF58狙いだったんだが、警備が凄く(警備会社ではなく機動隊!)近寄れなかった。
機動隊員数人に取り囲まれ、13番ホームから摘まみ出された。
写真ももちろんダメ。 >>62
お召し列車以上の警備ですね(笑)
多分、百億円単位で運んでいただろうからなぁ。
しかし、写真も撮れないとは凄いな。 >>59
札幌在住なんでキハ46はよく乗りましたよ〜。
苗穂に5両、函館に1両だけ配置されてたんじゃなかったかな。
札沼線や函館本線の山線区間、根室本線の落合まで行く普通列車など、
札鉄局管内の色々な所でお目にかかった。
逆に、キハ46の両運転台版のキハ24は苗穂にはなかったので、一度しか乗れなかった。 >>62
機動隊?初代マニ30の時ですか?
国電暴動や3億円事件の影響だったかもしれない。 >>65
ゴハチ末期だから1983〜4年頃だったと思う。
機動隊、50人以上いたと思う。独特の盾と顔まで覆うヘルメット。
俺らゴハチ追っかけはもちろん、一般乗客にまで威圧的に睨みを利かせて感じ悪かった。
俺の他にも数人、鉄ヲタが追い払われてた。
マニ30 2002? 所属は北スミ?
記憶は定かでない。 連投スマソ
写真撮影だが、機動隊にフィルム抜かれている奴もいたよ。
俺はまだ未撮影だったから大丈夫だった。
撮影厳禁の現金輸送車w
当時、103レの後からが夜行列車のハイライトなんだよね。
だからまだカメラにフィルムを入れてなかった。 >>66-67
貴重な体験談どうもです。
では、写真残ってるとすれば、途中駅で反対ホームから、とか空荷の回送、ぐらいなんですね。
ちなみにレス見て疑問点が増えてもうた。
>>65さんが初代マニ30≠トことは二代目もあったの?
>>66さん、北スミ ってどこ?
全部で何両あったの?
浅学ですいません。 マニ30円はJRになってからいくらでも撮影出来たよ。
北海ライナーの機関車後ろにマニ30円君が
北スミとは隅田川操車場のことだよ
「ヒ」とか置いてあるところね。
俺てきには、「ヒ」の方が目立たなく撮影しにくいよ、だって隅田川に行かないと
撮れないし、いないしあそこほとんど撮影するとこないから。
「ヒ」を撮影中にフェンスにかぶりついてたら、ポリ公が車から降りてきて
いろいろ言われた事がある。もちマニ30円君が置いてある場所とは180°
別の場所でね。マニ30円君は日比谷線車内から良く見えるところに2両置いてあったよ
EF5861牽引マニ30円撮影した時は両方とも車体がピカピカであまり使用感が
無かったなぁ。
EF81カシ釜+DD51842+マニ30円も撮影したことある。
マニ30円君は大蔵省(財務省)の私有貨車扱いなので当然公表される訳ないし
当然用途廃止に成れば税金対策で即刻廃車なんだけど、現在1両だけ保存されていて
こないだ車内公開されたけど、マニ50と車内の違いほとんど分からないね。
マニ30円君で思い出すのがルパンV世(昭和47年東京ムービー製作)に
現金輸送車が東京駅から出るのだが、機関車がDD13タイプなのには奮えた。 >>68 >>70
初代マニ30は昭和20年代に作られたマニ34を改番したもの
二代目マニ30は外見こそ全然違うが初代の続番になってる
因みに運用中はずっと警備員が乗ってた関係上マニ34時代から冷房付 >>69-71
皆さんレスありがとうございます。
>>69
隅田川に客車区あったとは!
“ヒ”は青函連絡船や宇高連絡船で使ってたのは知ってるんですが…。
>>70-71
全く別物の車両なのに同じ形式で続番置き換えって違和感ありますねぇ。 京王2000
最後は高尾線専用になった上に、さよなら運転もなくひっそり引退 20年くらい前にN改造で造った人の作品がTOMIX改造コンテストに入賞してたな<マニ30 マニではなくマヌ34が懐かしい。
冬季に中央線新宿発長野行の夜行列車425レはEF13の後ろにこれが付いていた。
都心でも旧客に乗れSLの香りを楽しめた。B6のボイラーには機関助手が張付き
豆炭をくべていた。機関車がEF64に変ってからも暫く付いてたと記憶する。
では「キハ18」をば…。
急行型、一般型気動車では唯一の中間専用のハ車として7両が製造されますた!ある意味、スタイリッシュで好きだがw >>76
スマソ、唯一ではなかとです。
電気式のキサハ43500がありました。 >>66
>>67
マニ30の次位は旅客車なのがわからないが、次位の客車に乗る人は、相当に苦労したのでしょうね。
漏れが機動隊の隊員だったら、同情してヲタからカメラを借りてコハチを(ファインダーにマニ30が入らないように)撮らせてやったかもしれないが、間違いなく懲戒解雇ですかね? というか、写真を撮らせない法的根拠はあったのか?
フイルムを抜いて露光させるなんて、完全に財産権の侵害だろ。 >>82
今は色もド派手になって宮崎空港専用でかえって目立つ存在?
交流で回生制動つきの初めての実用車だったっけ? なぜか全車900代。 >>83
量産前提の試作だったからじゃないか>713
運転開始前年の83年8月に南福岡の車庫で見かけたが、パッと見、色違いの瀬戸内色に見えたな。 483系
漏れは41年生きてきて、この形式を2回位しか声にだして言ったことがない。
のこりの40年位の人生でも…あと一回あるかないかだろうなw
福知山線113系ブタ鼻シールドビーム車
一度画像を見てみたいものだ・・ググっても出てこん。
ウソ電でしか見たことなす。(あれは165系だが・・) 現在進行形だけど105系
一様東も継承してるしそれなりに両数がいる割には… >79
ネットとかもなく話がバーッって広がらない時代だからこそ
手荒な手段が使えたんだろうね 横須賀グリーンの
サロ113とか特急で使ってのでは? >>87
そういえば105系119系107系123系121系のグループはピクで形式特集組まれた事無いよね。 雑多なサロ110で言うなら、ステンレス試作車だった901、902だな。
もちろんサロ153-900の格下げなんだけど、国鉄時代に登場した車両だしね。
晩年の他車種から改造して登場したのは、全てが余剰車両の有効活用だしな。
同様にキハ35-900も地味と言えば地味。
キハ60系、キハ91系などの試作車系列も試験的意味合いが終わってしまったら、地味な存在でしかなかったな。
あと、新幹線車両でも、300系は“地味”と言えるかも知れない。
もちろん両数は多くて今もバリバリ現役だけど、性能的なことはともかく、
ビジネスライクな造りは設備のバラエティーが豊かだった100系を人気の面で超えることができなかった。
また、後に登場したセンセーショナルな500系の強烈なインパクトの影にもあっさり埋もれてしまい、
花形だった長距離運転の「のぞみ」として活躍した期間は案外短く、
その後は「ひかり」「こだま」を中心とした運用にシフトされたことが余計に“地味さ”を感じさせるようにもなった。 SLだとC50 C52 C54
SL全廃後に出た蒸気機関車大図鑑みたいな本で、
そんな形式の機関車があったのかと初めて知った。 省形制式蒸機をこき下ろすのが好きな後知恵系の人には、C52は、
「欠陥機」C53の欠点をあげつらうための比較対象として重宝されてるようだね。
あと、C54はC53とのセットで島秀雄の蒸機設計能力を貶すグッズにされてる。
C54は持て余されてたのを、西尾源太郎氏が戦後に山陰線の軽負荷運用に充てる配置工作を図って延命させたんだよな。 鉄懐板以外ではデブなのに地味で目立たないナン931-524 このスレでもいろいろ出てるけど、
カルダンと新性能の入れ替わり時期には
ひっそり現れては消えていった車両が多いみたいね
少数派でなおかつ特急車でもなく、
構造も異端児で特に転用もされず、
地味な運用のまま消えていったりとか
新京成700系だとか
いろいろ出てるけど東急5200系や6000系も見た目の割には地味?
京阪の1900系ってほんとについ最近まで生きていたんだっけ?
あのころの車両でいまだに生きていたのはすごいな
(とはいえ、2600系も50年選手か...) >>100 小田急2100
京成750
南海の京福に行った 貫通のクロス車とか・・・。 阿武急も、制御装置以外はなかなか部品調達しやすそうな車両を買ったな。 デブなのに鉄懐板以外では地味で目立たないチョソ931-524 >>91
そこらはマイナーな形式で、再三取り上げるほどのことはないから
ほぼ終わりの形態が見えた最晩年に一度まとめて特集して終わりの気がする デキ1形
名鉄デキ600型らと同じ東芝標準型凸型電気機関車で、しかも京成が保有した
唯一の電気機関車。
工事用でしか使われず、最後の華は成田空港線工事で全うしたことくらい。 >>107
「当初は(当時の)京成と同じ1372mm軌間であった東京市電と線路をつなげ、沿線からの野菜を輸送する直通貨物列車の牽引を目的としていた」
以上、Wikipedia から。
東京市電とつなげるって、押上で接続の予定だったのかな。「貨物列車」とは、ひょっとして行商人列車のことだったりして。だとすれば、
都電の急カーブを通れる2軸の客車をどこからか買い込む予定だったはずだが・・・。
考えれば考えるほど、わからなくなる。 >>108
まあ、wikipediaに書いてあることは話半分に思っておいたほうがよいでしょう。
現実には電車がぶっ壊れたんで、応急的に入線したという
今月のピクの記事が妥当。 東武2070系、冷房化ができればワンマン線区でまだ走っていたかも。 サハ111-5
非ユニット窓の1000番代のサハより先に廃車になった。 ED74も中途半端なグループで終わったな。
交流用の標準型になったED75も九州の300代は両数も少なく、地味なグループだ。
北海道の500代に至っては、だった1両だけの異端児。
しかし、これ以降北海道内向けの同一形式耐寒仕様車両は500代を名乗るようになった。 京阪新1800系、外板の厚さの関係から先頭車にウィンドウシル付きの630系が種車になったり、非冷房ながら2622Fと同じ試作品の送風器が装備されてた。大阪直通の宇治臨時急行に使われたがほとんど話題にならなかった。 159系
末期は153系とごちゃ混ぜで快速運用に入っていた。 473系。
僅か1ユニットの孤高の形式。
483系。
これも10数ユニットだけの中途半端な存在。
国鉄型交直流電車の優等車両は地味でした。 >>118
483系の末期はひたちで使われていて、7両でなくて最後までグリーン車がある
方の編成にモハが2ユニット残っていた。 鉄道の祖なのにロケット号よりマイナーなトレヴィシックの蒸気機関車 初代南海8000系
チョッパ車が抵抗制御に格下げされた例って他にもあるのかな?
VVVF改造はちらほら見かけるが 東武の10080型
登場して23年になるが一度もあたったことねぇやw >120
蒸気船のダバン、蒸気機関のパパンと一緒で発明者が忘れ去られるケースだな。
トレヴィシックの孫2人が日本の鉄道を支援したというのも因果なものだ。 今も現役だけどDE11
2000番台は側面スカートが厳つくて良いね >>124
スチーブンソンの蒸気機関車と同じく、
蒸気機関はニューコメンの大気圧ポンプからワットの回転往復動式に発展、
蒸気船はフルトンのクレアモント号が最初、というのが世間のイメージになっちゃってるもんな。
ちなみに世界初の内燃機関というのは、昔のギネスブックによると1825年に既にイギリスで実現されており
人の乗れる車輌に搭載されて丘を登ったとか。
しかしそのエンジンの名称は「用気エンジン」なるもの。
世間では最初のまともな内燃機関はルノアールが1860年に実用化した無圧縮ガス機関だとされているが。 ジーメンスの試作電車〜スプレーグの電車の間に登場した電車 東京メトロ千代田線には、JRの207系900代と東京メトロ06系という、
どちらも1編成という“地味”な車両が走っていた。 417系電車。
電車の普通列車といえば仙石線の電車か急行間合い使用くらいしかなかった東北地方に
仙台地区でデビューしたのもつかの間。中途半端な形で消えていった。夜松川まで南下する列車に
一度だけ乗ったことある。 キハ37
僅か5両で打ち止めとは。
キハ30とペアで久留里詣で姿態。 キハ33
地味で目立たないと言うよりも、何もかもが中途半端すぎた。
JR西日本にもう少し技量があったらキハ141系列みたいになったかも知れんのに。 サロ163―7
163系自体が幻の上、すぐにサロ112に改造された。 >>130
本来は地方中核都市向けの近郊型として量産するはずだったんだろうね
交流で十分なところ交直両用としたのも拡張性を考えてのことだろう
しかしその後国鉄の台所事情で寝台電車の改造車で代替することになってしまった
>>131
キハ37は事実上試作車でしょ
高コストで性能が悪い40系の反省から生まれた車で、おそらく走行部分はこれをベース
にして投入線区に応じ様々な形態に拡張させる予定だったんだろ
しかし、その後すぐに民営化されてこの車がベースになった車両はキハ38で終わって
しまった >>136前段
ま、その後は417の車体構造を生かした、急行型の車体更新車が登場したから決して無駄じゃなかったんだよな。 マイナーと言えばEF61もかな?
折角東海道・山陽筋で急行旅客列車牽引も務めたと言うのに…
ヘッドマークも颯爽とブルトレをエスコートした時期もあったのに…
あまり注目も浴びずに終わってしまった。
(しかもEF58よりも先に引退…) マイナー組ではスハ42・スハフ41も。
オハ35戦後型の車体にウィングバネ台車のTR-40系台車を履き、デビュー当初こそ
つばめ・はとにも使われたが…
登場して程なく、スハフ41はマイネ40に台車を召しあげられ代わりにTR-23のお下がりをもらい
全車オハフ33に編入され形式消滅。
スハ42も、スハ33650(オハ35)とスハ43の間に挟まれ中途半端な存在になってしまった。
後に近代化改造を受けオハ36になり更に電気暖房化されてスハ40に…
でもぱっと見でオハ35と殆ど変らないせいかあまり話題にも上らなかったね… また客車ネタだけど…オハ46・オハフ45もマイナー組だね。
オリジナルはオハ60両オハフが20(25?)両だっけ?寧ろスハ43後期車から編入された方が多い位。
オハフもオハ改造車が11両、編入オハ改造車が9両。
でも個人的には好きなんだよね。オハ46・オハフ45の原型車。特に近代化改造された奴。
青塗・アルミサッシ・デコラ張り・アミ入りガラス・窓下テーブル。
複線電化の幹線を電機牽引でぶっ飛ばす急行列車が懐かしい。 西武501系三代目、701系の余剰Tcに101系の電装品つけた奴ね。
西武で一番好きな形式なんだが。地味すぎ。 東武2080系
野田線で夏にあれが来るとみんな顔をしかめてた。
当時野田線でも非冷はまだまだ残ってたのになんで
あんなに嫌われてたんだろう >>145
自分は近く住まいだが、その時期に乗る機会が無かったので想像だけで書くね。
AA基準のせいで、窓がロクに開かないままだったから嫌われたとか? >>145
電気ブレーキのせいで、駅に止まるたびに床下からモワーッとした熱気が来るから? カナリア色の101系1000番台。
武蔵野線西船橋開業用に1ユニットだけ存在した。 転配の中で一時期存在した京浜東北線のスカイブルーの101系も確か4編成しかなかったはず。
また、東海道山陽緩行線で走り、現在阪和線で走る関西の205系も影が薄い。
そういえば、東京メトロ千代田線はメトロの06系やJRの207系900という1編成だけの系列があるね。
JR九州の303系も地味な存在だ。 営団5000系、但しグリーンの帯を付けて千代田線に入っていた頃の。 >>151
それを言うたら方南町支線のサインカーブレッドな2000形も。 70年代のSLやブルトレにファンが目を奪われてしまい、オワコン扱いでろくに雑誌にも特集されず、人知れず滅んでいったローカル私鉄の車両(特にアオガエルとか西武350あたりに入れ替わる前)。 >>153
オワコンどころか、コンテンツとして扱われていなかったのさ。 401系。
近郊型の始祖なのだが、常磐線専用だったためか地味な存在。
「111系の交直流版」などと言われてた。
421系は福岡を走っていたので、そこそこ知られている。
451系。
交直流急行型の始祖なのだが、常磐線・東北線デビューだったせいか地味な存在。
471系は大阪を走っていたので、そこそこ知られている。
483系
それまで交直流電車は東日本デビューが先だったのに、とうとう西日本にその立場を奪われる。
EF80
これまた常磐線専用だったためか地味な存在。
EF81は大阪を走っていたので、そこそこ知られている。
下手すりゃEF30よりマイナーな存在だったかも。
>>153>>154
開業時に仕入れたオリジナル車両かキハ04・07・社型国電・戦後の大手私鉄放出で入手した戦前型電車あたりだな。
部品が切れてきて廃車というのもよくあったようだ。
で、アオガエルとかキハ10・20→弁当箱やレールバスに落ち着く、と。 >>155
当時は専門誌なども「交流・交直流車両といえば九州・北陸。東北のは所詮亜流」って雰囲気だったな。
例外はEF75くらいか。 >>158
でも403系はしぶとく残ってたな。
グロベンのルーバーが通勤車の円形と違い、小さくて線路方向にスライドするヤツだった。 >>155
常磐線専用とはいっても、東京を走っていたではないか。 14系15型客車
個室や食堂車はなくモノクラスのみ
晩年は14型と混結して使われた。しかし最後の東海道・山陽ブルトレに使用されたのでこの車両にとっては幸せだったかも知れない。 国鉄クハ103,オハ61,スハ43
東武クハ8100
など普通に通勤車として走っている車両は目立たないし地味だね。 ED74とかED75 501なんかは国鉄時代の“新型”機関車では「地味」だね。
ED74は僅か5両だけのグループで影が薄かった。
ED75 501も、交流機の標準形式になったED75では、道内電化用としての試作機の意味合いの強かった1両だけの番台だ。 キハ48の1300番代もなー。
暖地向けキハ40が烏山線に出ると聞いて見にいったが、
台車が空気バネのやつじゃなくて失望したものだ。 >>168
客車のくせにサハ4801ってのもあったね 客車の気動車転用は、今でこそJR北海道で多く活躍しているが、
これを除けば、余り車両の有効活用とはいえ、どれも少数世帯の異端児みたいなものばかりだな。
古くは北海道のキサハ08、そして50系客車を改造したキハ38なんかが山陰などにあった他、
城端線などで走っていた12系客車改造のキサハ38、
それにJTの「セイシェル」に組み込まれていたキサロ59くらいかな。
いずれも、種車の面影をほぼ留めたままで、なんか奇妙に見えたもんだ。 >>171
山陰の50系改造はキハ33、12系改造はキサハ34な ヨーロッパの特急車両は目立つけど普通用の客車とか通勤電車は地味だな。 おフランスがその辺の車両で色々派手にやらかしていて、日本の評論家どもがブツブツ言っていたら
ジャポンにもミトーカという恐るべき人材が現れて、善悪は別として無茶苦茶なことになっていったな。 京急700
東急初代6000
西武571
京王1000
京成750 鶴見線の下駄
クモハ12の陰で?
海芝浦と下駄はよく似合っていたけど… >>186
確かに地味には違いないだろうけど、思いっきり目立ってないか? 東京メトロ千代田線には1編成だけのグループが、JR207系900の他にも東京メトロ06系が存在する。
昔は確か3編成だけの5000系もあった。
また、その5000系や6000系の試作車両が未だに支線で現役なんだからすごいな!
試作車両が量産車両より長寿なんてことあまり例がないと思う。
もっとも、既に試作車両としての機器類はなく、汎用的なシステムに改造してあるけどな。 上毛350 伊豆急200 ともに移籍後何年もしないうちに引退。何のために導入したんだ? どうせ捨て値で買ったんなら、全般検査の前に廃車できれば
費用が浮いていいよねえ。
伊豆急に関して言えば、伊東線のATS-P化により乗り入れ車両に
それの車上装置の設置を迫られたため、J束から安値で
設置済みの車両の中古を譲ってもらったという噂がある。
ソースは知らん。 >>197
東武がたっぷり検査期限の残っている3000を上毛電鉄に売却。
その車両の検査期限が来たから、期限が残っている3050を売却。
全検をやらなくて済むような形で車両を譲渡して、東武は上毛の
経営支援をしたつもりになっていた。
群馬県など地元自治体が補助金出してくれたので、井の頭線のまともな
中古車を買うことができて、東武の中古車地獄から抜け出すことが出来た。
伊豆急の場合は、>>198の説のほかに、車両置き換えの本命が
東急8000だったけど、東急の廃車時期と合わなかったから、
JRからつなぎの中古を買った、という説もある。 >>199
上毛は上毛で、外見は色だけ塗り替え、
ツーマン運転を続けていたので、元西武車から外した車掌スイッチを客室内ドア脇に移設したぐらいで、
内装はほぼそのまんまだった。
西武351の省MT15が実効110kWだったのに対して、東武車は日立HSはともかく
デッカーは97kWだったからパワーダウンだったと思うが、
上毛のダイヤはカラシ電車時代の75kW級HL車のMT編成でも走れるような水準だったから、何とかなったのだろう。
デハはモーター載せ替えが面倒だったか、引き続き住友KS33を履かせていたが、
クハの台車はボールドウィン式(帯鋼組立)や住友KSが好みじゃなかったのか、
西武車時代から愛用してたTR-11に多く履き替えさせてたな。
いまも大胡車庫に東武出自のTR-11が一つだけ残っている。 サロ112−51 静シス→大タツ(種車サロ163−7・名カキ)
ただでさえ目立たないサロ163からひっそりと近郊型に改造された。 キハ19
旧電気式気動車は液体式改造と同時に早々と郵便荷物車に改造されていたが、
中間車だけはキハ19として、昭和41年まで旅客車として細々と運用されていた 南海旧8000系(1編成だけの電機子チョッパ車)
阪神8000系初期車(1編成だけ)
近鉄3000系(1編成だけ) >>209
そいつらは1編成だけだから、逆に目立つ気もする。 >>209>>210
南海8000は抵抗制御に改造されて6200系に編入されてしまったからかなり不運だな
もはや忘れ去られた存在だろう >>191
18b片開き4扉ってのは、当時としてはかなりインパクトが強かったよ 四国のキユ25。
気動車王国・四国にはまだまだ珍形式があるはず。 そう言えばモハ105、サハ105ってのもあったんだよな… 303系
あれ?どこのどんな車両だっけ?
案外知っている人が少なそう… ED74
写真もろくに見つけられない珍機関車
一体なんだったんだ? ED74……北陸用機関車として開発されたが、中途半端な性能が災いして九州へ転属させられた。
しかし、蒸気発生装置(SG)を持たないことや、日豊本線大分以南へ入線できないこともあって、
1978年10月のダイヤ改正で運用を離脱、1982年に全車廃車。 >>201
京王2010系も。
一部の車両は狭軌台車に履き替えて四国に渡り、
伊予鉄道の主力車として近年まで活躍。 EF80
後輩のEF81にくらべて活動範囲が狭く、のちのJRに受け継がれることなくあぼーん。 地域によるんかなあ。常磐線沿線に住んでた俺的にはメジャーな存在だったけど
全国的に見ればそうなんかもね。80年代半ばには若い番号はすでにいなかったなあ。
81に侵食されてた。ハチマルはギヤ比低いよね。通過駅でゆうづるや旧客見ると
地鳴りのような狂った爆走状態だった。 EF65 1117
1番違いも国鉄時代はこういう位置づけだったが・・・ 417系
これで仙台も近代化か…と思ったが,その後もボロ客車,ボロDCの時代がず〜っと続いた。 【女性専用の寝台車両がある寝台特急あけぼのが廃止になるので大歓迎】
JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&list=PLZFU6ES8QfYprxusuhSXsAQcvu5y6y40q E2系じゃない?
E2系の営業開始が500系の300km/h運転開始と、秋田新幹線開業と被って
登場当初から印象がメチャクチャ薄かった。
にも関わらず、E5系やE7系のベース車両になっちゃうわ、営業車両としては
最高の362km/hを試験走行で達成するわ凄い奴。惚れるわ。 近鉄のサニーカーグループ
スナックとビスタ3の中間的で
特徴がない感じ >>234
417系はせめて交流専用の車にしておけば、711系のように1M2Tの経済編成で量産できたはずなんだけど >>240
元々はスナック増備車として企画されてたのが、ビスタVの先行車的立合に
シフトしたからな>サニーカー
(当初登録はスナック最終増備車続番として新製、即座に新番台に改番)
前面塗り分けと行き先表示幕以外はほとんど変化ないしスナックとサニー 西鉄313系 大牟田線時代で真っ先に宮地岳線に左遷。308系が2007年
廃止時にさよならに使われたが(311F)現在は600系の影にかくれて
1編成が細々と活躍。しかし最晩年マルーンとベージュの旧西鉄色に塗り替えられて
63年の生涯で最も脚光を浴びる。 国鉄401系
近郊型のパイオニアなのに、111系の交直流版という扱い。
さらに交直流電車のパイオニアなのに、421系の東日本向けという扱い。
昭和の頃は、鉄道雑誌でも平気でそんな風に書かれていた。 >>245
111系の車体は401系をベースに設計されたんだよな。
111系の最初の案では4扉なんていうのもあったし。 >>242
> 前面塗り分けと行き先表示幕以外はほとんど変化ないしスナックとサニー
なことはない。
重厚地味系だったスナックカーに対して、サニーカーはオレンジシートのサニートーン。
内装が全く異なっていたから、利用者からみるとまさに「新型車」だった。
その後、サニー調に改装したスナックもあったが、今は両方同じトーンに改装されている。 E257系500番台
久しぶりに「あやめ」に乗ったが、めっちゃ飛ばしていて面白かった。 国鉄
クモハ200、クハ200、クモハ300、サハ100、クモハ100 サニーカーはあれでもブルーリボン賞とってるんだよな、あの時代はワクワクするような新車がほんとに少なかった。 サニーの受賞も疑問が残るが、前年の名鉄6000がBR賞最大の汚点?
ま、BR賞なんてその程度のモンだな ブルーリボンはある種の人気投票だから、出た年で「どうしてこんなんが取るんだ?」
ってのもある一方で、逆に「え、これ取ってないの?」てのもあるからな
(それを逆手に取って、無理やり営業時期を前倒しするところもあるし) >>253
オイルショックの直後で、どこも余裕が無かったんだろうな。
1975年は該当車なし、という事態になったし。 西武3代目501系
抑速ブレーキ封印、401系と共通運用で残念な車両に。池袋線で101系6連と組ませて6M2Tのパワフルな走りを見たかった。 もう一つ、同じく西武9000系。
所沢工場時代が長かったせいか、車体と足回りのミスマッチを感じる。 >>234
北陸地方に投入されていればよかったのに… 西鉄700系。600系の陰に隠れて4両1編成のみ。 301系。東西線の異端児。103系乗り入れ車との区別が当初よくわからんかった。帯はカナリアが懐かしい。 >>260
たしか700は試作品ということじゃなかったっけ
試作品でも著名なものもありますけど。 ワム80000で、582000番台
たった5両しかいなかった。積み荷は、稲束結束機、則ちバインダーである。車内に棚板を設け、バインダーを二段に積載した。 >>261
それなら103系1200番代の方がさらに目立たなかった
301系より両数が少なく、常磐線の1000番台の影にも隠れ存在感がなかった 懐京王でいえば、
動物園線の小型車……萌え!
高尾線の元帝都車……萌え!!
2000系統……分類的におもしろい
1600……つりかけの音は一番いいぞ
5000・3000……かっこいい
井の頭線のグリーン車……富士見が丘に行かないと見れない。もっと働け、地味子
という感じだったような。 京成青電で2両しかなかった元開運号1600形を更新したアルミ車 都営新宿線車両関連情報
ソース
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/newsevent/magazine/fureai/201508/HTML5/sd.html#/page/11
平成28年度と29年度に10-300形10両編成(10-550F〜640F)がそれぞれ5編成ずつ(10連10編成全100両)新造されて
それにより置き換えられる10-000形(10-220F〜280F)及び10-300R形 (先頭車を含めた310F〜330F、※360Fは27年度に廃車される予定)は29年度までに全車両の廃車及び引退が決定
10-000とR形の引退後には8両編成が8編成しか無くなり運用上にも支障が出るだろうから
10-370F〜440Fも強制的に30年度以降に中間車両(3次車以降のベース)を新造増備して10連化されるだろうな 大阪府三島郡島本町は
「大阪の糞ダメ」とも言われている
ガラも程度も悪い暴力とイジメのブラックタウンなの? 南海21201系
近鉄1450系
阪急初代1000系
南海初代12000系
近鉄10000系
国鉄キハ35-900
国鉄環状線101系(晩年は多数派の103系の影に隠れて目立たず) 大阪市交1000形。
せっかく近代的な車体を採用しながら、足回りはツリカケ式という中途半端な車両。おまけにATC化に対応出来ず短命に終わる。 >>280
南海21201は貴志川線移籍後は
古色蒼然たる1201勢の中にあって唯一の全金車体であることから
「新しいキレイな電車」としてコアな人気があったらしい 木屑の中に鉄屑1両だったから、鉄屑が(相対的に)高級車に見えるわな >>282
でも混雑時にしか出てこないから
存在感なかったよ
クーラーもなかったし >>273
特に鶴見線のぶどう色の車両は10年程で消えていった… 新幹線0系「ひかり」編成7号車に連結されてた27形。
この車両がないと隣の食堂車36形はその機能を全く発揮できなくなり、
またバリアフリーな設備を備えていたのだが、そんなことを知る前の俺は
「花型の食堂車の隣に連結されていて、客室が他の車両より狭く、
トイレや洗面所の区画が無駄にスペースを取っている謎な普通7号車」にしか
思えなかった。 >>289
確かに27形は謎な存在だった。
だが売店がある25形400番台の法が「こだま」だったからか、もっと地味。 >>289
36と37をユニットにすれば27なんて特殊な普通車造らずに済んだのに
なんでそうしなかったんだろ? テレビで見た「スポーク車輪の山手色103系」の正体はこいつか 名鉄3300系
犬山近辺(3730系が無くなった後は築港線も)に行かない人には無縁だった車両。 名鉄モ3750形(I):運輸省規格形車体の異端車
モ3750形(I)-----------→モ3250形(II)→サ3250形
→ク2750形(I)→ク2250形→ 〃
1949.9.日車本店にて3両竣工、(大田川車庫の火災(1948.8.27.)による焼失車両の復旧目的)
被災車両(モ910形914、モ3300形3301・3304)の主要機器流用ながら、制御方式をHLからHBに変更
制御器(HB→HL→AL+ES※→HL)、主電動機、台車の換装を繰り返し※モ3753を除く
その間にモ3751・3752の2両はカルダン試験車に、後に機器不良によりモ3752→ク2751(Tc化)などを経て
挙句の果ては3両全車の付随車化(築港線のELプッシュフル運用による実質PC状態)
https://mdenarea.exblog.jp/21159689/ >>296
91年秋の改正まで、堂々と本線も走っていた
毎朝新一宮付近で見かけた
小牧線の冷房化促進とか謳い文句だったが、全数が小牧線に入ったわけではなかった クモハ84001〜84003は高速運転する宇野線ではなく
阪和線の鳳-東羽衣の往復をさせておけば長持ちしただろうか。 ネットに上がってる走行音聞いたけど、単行だと物凄い加速だね。クモハ84。 >>302
でも惰行が効かないからノッチオフすると直ぐ速度が下がるんだ。 PトップことEF65
1972年下関転属で東京発着は検査代走のみに
1975年あかつき減便で定期特急仕業消滅 >>281
営団の1800とか中途半端な近代化車両ってあるよね キハ45系
後輩のキハ20系より先に消えてしまった。 都電6000、数は多かったがどこの路面電車にもありそうな車両という感じ。 秩父500 急行車の300じゃなくこっちは普通用
同い年くらいの東急7000に替えられて短めの人生でひっそり消えてった 東京や大阪など各地の都市にあったトロリーバス。路面電車に比べ影が薄い。
黒部以外、昭和40年代前半に廃止され記録もあまり無いが。 >>311
6000形は290両新造、同系車体の更新車を含めると600両超の一大勢力
杉並線にも同系の更新車が投入されたので、戦後の都電を象徴する存在だった
<新造車>
6000形 290両
<更新車>
3000形 242両(種車:3000、王電100/120/150/170)
4000形 141両(種車:4000/4100/4200、王電120)
<更新車、杉並線(14系統)専用>※廃線後1067mm>1372mm改軌
2000形 24両(種車:西武200/250、2000(3000)/4000) >>312
同系の新車なら川崎にも
・秋田市交60形 ※200形も広義の同系に含む
・川崎市交500形
・名鉄570形(岐阜市内線) ※3扉の580/590形も広義の同系に含む
・土電200/500形
譲受車なら秋田市→南海和歌山、都電→長崎とか
・秋田市交60形→南海251形(和歌山市内線)
・都電3000形→長崎電軌800形 >>317
日本無軌道電車1928年-1932年
京都市電気局(→京都市交通局)1932年-1969年
名古屋市交通局1943年-1951年
川崎市交通局1951年-1967年
東京都交通局1952年-1968年
大阪市交通局1953年-1970年
横浜市交通局1959年-1972年
関西電力1964年-2018年
立山黒部貫光1996年-
日本無軌道電車は1932年1月休止4月廃止で京都市営トロリーバスは同年4月1日開業なので
休止路線含めれば92年、含まなければ88年途絶えること無く存在した日本のトロバス路線だが
立山黒部貫光も次世代車両は電気バスとかになると仮定すればもう長くはないんだろうなあ 京都市電500の車体を短いものに乗せ換えた514
都電ストレッチした1500グループの先行車1300 近鉄18200系ですかね。
ブルーリボン賞車両なのに人気が出ませんでした。
細面の髭面がよかったのに共感がすくなかったのは残念です。 >>324
スナックカー12200系がメジャーすぎたのも痛いな。
あと、18200系は京橿線〜大阪線直通のための特殊仕様車でいろいろ構造上無理があったし、
座席も(特急車なのに)転換クロスシートだったのが致命傷だったんだろうな。
あおぞらIIに改造されたのがせめてもの慰みだな。 ピクトリアルに特集されたし、脚光浴びたのではないでしょうか >>321
西武501系、クハ1701を改造した2代目のね。あれは意外でした。
その前に601系クハ601を1651に改造して、旧型の551系に組み込んでいたから
てっきり同じように旧型車の仲間入りするものかと。それをわざわざ冷房化の上、足回り新造とは。 >>330
年数の違いもあるんじゃねーか?
当時(1981)クハ1607-14は製造から18年、クハ1791-96はまだ14年だったから、
前者は潰しても仕方なし、後者はもったいないから改造して延命、ということだろ。 333(σ・∀・)σゲッツ!!
333キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
333(・∀・)イイ!! 湘南顔なフェースのにね
この時期、あまりにもたくさん湘南フェースが出て来過ぎたからかな 井の頭線ではその前にデハ1900がいたし
京王線でもデハ2700、2000、2010。
いわば、湘南顔のインフレ状態 で、5000と3000が入って来てあっという間に窓際へ追いやられた 近鉄820系
800系の通勤車タイプという触れ込みだが本線系統にはあまり顔を出さず
もっぱらローカル部分を持ち場としていた印象
というか時期的には既に奈良線に大型車900系が投入され、各線の規格改良工事も進んでいたのなら
敢えて中型車の範疇になる820系を作る必要も無かったのでは、と思えてしまう 新潟のキハ52
キハ58と共通運用が組まれ小世帯の52は地味な存在だった
しかも平坦線での運用が多く52の本来の使用方でなかったからな >>342
でもラストだけは花を咲かせた感があった >>341
そうかな??
東急にしては色使いがハデになった感が。 >>342
米坂ではキハ58は運用が1本だけで希少だった希ガス >>344
あれと同タイプの車両が全く増備されず、代わりに5000シリーズが大量増備されたことで少数派になった、ってことでないかな? りょうもう号用の東武250系。200系とは異なり完全新製車で
200系のオールMから3M3Tに成った事でWパンタの中間車が
登場する等見かけは若干変わったのだが1編成しか無かったので
見かける回数は少なかった筈。この車両は通勤車30000系と
同じ機器を使っていたので保守には困らなかったと思われるが
その30000系が全て東上線に転属した為に廃車となった。 路線そのものが地味だったので車両も地味だった三田線6000 インドネシア行った6000は先頭が魔改造されたのもあるし。
都営5200も地味だが、5000も浅草線に乗り入れてくる京急1000や京成3000に比べると地味。 青梅、五日市、南武線でたくさん走ってたけどED16。石灰石輸送貨物専門で、EF15のように他の種類の貨物列車を牽引することもなく・・ 井の頭線初の新性能車なのに、
3000系の華やかさに隠れて存在感薄い初代1000