地味で目立たなかった車両
国鉄
クモハ200、クハ200、クモハ300、サハ100、クモハ100 サニーカーはあれでもブルーリボン賞とってるんだよな、あの時代はワクワクするような新車がほんとに少なかった。 サニーの受賞も疑問が残るが、前年の名鉄6000がBR賞最大の汚点?
ま、BR賞なんてその程度のモンだな ブルーリボンはある種の人気投票だから、出た年で「どうしてこんなんが取るんだ?」
ってのもある一方で、逆に「え、これ取ってないの?」てのもあるからな
(それを逆手に取って、無理やり営業時期を前倒しするところもあるし) >>253
オイルショックの直後で、どこも余裕が無かったんだろうな。
1975年は該当車なし、という事態になったし。 西武3代目501系
抑速ブレーキ封印、401系と共通運用で残念な車両に。池袋線で101系6連と組ませて6M2Tのパワフルな走りを見たかった。 もう一つ、同じく西武9000系。
所沢工場時代が長かったせいか、車体と足回りのミスマッチを感じる。 >>234
北陸地方に投入されていればよかったのに… 西鉄700系。600系の陰に隠れて4両1編成のみ。 301系。東西線の異端児。103系乗り入れ車との区別が当初よくわからんかった。帯はカナリアが懐かしい。 >>260
たしか700は試作品ということじゃなかったっけ
試作品でも著名なものもありますけど。 ワム80000で、582000番台
たった5両しかいなかった。積み荷は、稲束結束機、則ちバインダーである。車内に棚板を設け、バインダーを二段に積載した。 >>261
それなら103系1200番代の方がさらに目立たなかった
301系より両数が少なく、常磐線の1000番台の影にも隠れ存在感がなかった 懐京王でいえば、
動物園線の小型車……萌え!
高尾線の元帝都車……萌え!!
2000系統……分類的におもしろい
1600……つりかけの音は一番いいぞ
5000・3000……かっこいい
井の頭線のグリーン車……富士見が丘に行かないと見れない。もっと働け、地味子
という感じだったような。 京成青電で2両しかなかった元開運号1600形を更新したアルミ車 都営新宿線車両関連情報
ソース
http://www.kotsu.metro.tokyo.jp/newsevent/magazine/fureai/201508/HTML5/sd.html#/page/11
平成28年度と29年度に10-300形10両編成(10-550F〜640F)がそれぞれ5編成ずつ(10連10編成全100両)新造されて
それにより置き換えられる10-000形(10-220F〜280F)及び10-300R形 (先頭車を含めた310F〜330F、※360Fは27年度に廃車される予定)は29年度までに全車両の廃車及び引退が決定
10-000とR形の引退後には8両編成が8編成しか無くなり運用上にも支障が出るだろうから
10-370F〜440Fも強制的に30年度以降に中間車両(3次車以降のベース)を新造増備して10連化されるだろうな 大阪府三島郡島本町は
「大阪の糞ダメ」とも言われている
ガラも程度も悪い暴力とイジメのブラックタウンなの? 南海21201系
近鉄1450系
阪急初代1000系
南海初代12000系
近鉄10000系
国鉄キハ35-900
国鉄環状線101系(晩年は多数派の103系の影に隠れて目立たず) 大阪市交1000形。
せっかく近代的な車体を採用しながら、足回りはツリカケ式という中途半端な車両。おまけにATC化に対応出来ず短命に終わる。 >>280
南海21201は貴志川線移籍後は
古色蒼然たる1201勢の中にあって唯一の全金車体であることから
「新しいキレイな電車」としてコアな人気があったらしい 木屑の中に鉄屑1両だったから、鉄屑が(相対的に)高級車に見えるわな >>282
でも混雑時にしか出てこないから
存在感なかったよ
クーラーもなかったし >>273
特に鶴見線のぶどう色の車両は10年程で消えていった… 新幹線0系「ひかり」編成7号車に連結されてた27形。
この車両がないと隣の食堂車36形はその機能を全く発揮できなくなり、
またバリアフリーな設備を備えていたのだが、そんなことを知る前の俺は
「花型の食堂車の隣に連結されていて、客室が他の車両より狭く、
トイレや洗面所の区画が無駄にスペースを取っている謎な普通7号車」にしか
思えなかった。 >>289
確かに27形は謎な存在だった。
だが売店がある25形400番台の法が「こだま」だったからか、もっと地味。 >>289
36と37をユニットにすれば27なんて特殊な普通車造らずに済んだのに
なんでそうしなかったんだろ? テレビで見た「スポーク車輪の山手色103系」の正体はこいつか 名鉄3300系
犬山近辺(3730系が無くなった後は築港線も)に行かない人には無縁だった車両。 名鉄モ3750形(I):運輸省規格形車体の異端車
モ3750形(I)-----------→モ3250形(II)→サ3250形
→ク2750形(I)→ク2250形→ 〃
1949.9.日車本店にて3両竣工、(大田川車庫の火災(1948.8.27.)による焼失車両の復旧目的)
被災車両(モ910形914、モ3300形3301・3304)の主要機器流用ながら、制御方式をHLからHBに変更
制御器(HB→HL→AL+ES※→HL)、主電動機、台車の換装を繰り返し※モ3753を除く
その間にモ3751・3752の2両はカルダン試験車に、後に機器不良によりモ3752→ク2751(Tc化)などを経て
挙句の果ては3両全車の付随車化(築港線のELプッシュフル運用による実質PC状態)
https://mdenarea.exblog.jp/21159689/ >>296
91年秋の改正まで、堂々と本線も走っていた
毎朝新一宮付近で見かけた
小牧線の冷房化促進とか謳い文句だったが、全数が小牧線に入ったわけではなかった クモハ84001〜84003は高速運転する宇野線ではなく
阪和線の鳳-東羽衣の往復をさせておけば長持ちしただろうか。 ネットに上がってる走行音聞いたけど、単行だと物凄い加速だね。クモハ84。 >>302
でも惰行が効かないからノッチオフすると直ぐ速度が下がるんだ。 PトップことEF65
1972年下関転属で東京発着は検査代走のみに
1975年あかつき減便で定期特急仕業消滅 >>281
営団の1800とか中途半端な近代化車両ってあるよね キハ45系
後輩のキハ20系より先に消えてしまった。 都電6000、数は多かったがどこの路面電車にもありそうな車両という感じ。 秩父500 急行車の300じゃなくこっちは普通用
同い年くらいの東急7000に替えられて短めの人生でひっそり消えてった 東京や大阪など各地の都市にあったトロリーバス。路面電車に比べ影が薄い。
黒部以外、昭和40年代前半に廃止され記録もあまり無いが。 >>311
6000形は290両新造、同系車体の更新車を含めると600両超の一大勢力
杉並線にも同系の更新車が投入されたので、戦後の都電を象徴する存在だった
<新造車>
6000形 290両
<更新車>
3000形 242両(種車:3000、王電100/120/150/170)
4000形 141両(種車:4000/4100/4200、王電120)
<更新車、杉並線(14系統)専用>※廃線後1067mm>1372mm改軌
2000形 24両(種車:西武200/250、2000(3000)/4000) >>312
同系の新車なら川崎にも
・秋田市交60形 ※200形も広義の同系に含む
・川崎市交500形
・名鉄570形(岐阜市内線) ※3扉の580/590形も広義の同系に含む
・土電200/500形
譲受車なら秋田市→南海和歌山、都電→長崎とか
・秋田市交60形→南海251形(和歌山市内線)
・都電3000形→長崎電軌800形 >>317
日本無軌道電車1928年-1932年
京都市電気局(→京都市交通局)1932年-1969年
名古屋市交通局1943年-1951年
川崎市交通局1951年-1967年
東京都交通局1952年-1968年
大阪市交通局1953年-1970年
横浜市交通局1959年-1972年
関西電力1964年-2018年
立山黒部貫光1996年-
日本無軌道電車は1932年1月休止4月廃止で京都市営トロリーバスは同年4月1日開業なので
休止路線含めれば92年、含まなければ88年途絶えること無く存在した日本のトロバス路線だが
立山黒部貫光も次世代車両は電気バスとかになると仮定すればもう長くはないんだろうなあ 京都市電500の車体を短いものに乗せ換えた514
都電ストレッチした1500グループの先行車1300 近鉄18200系ですかね。
ブルーリボン賞車両なのに人気が出ませんでした。
細面の髭面がよかったのに共感がすくなかったのは残念です。 >>324
スナックカー12200系がメジャーすぎたのも痛いな。
あと、18200系は京橿線〜大阪線直通のための特殊仕様車でいろいろ構造上無理があったし、
座席も(特急車なのに)転換クロスシートだったのが致命傷だったんだろうな。
あおぞらIIに改造されたのがせめてもの慰みだな。 ピクトリアルに特集されたし、脚光浴びたのではないでしょうか >>321
西武501系、クハ1701を改造した2代目のね。あれは意外でした。
その前に601系クハ601を1651に改造して、旧型の551系に組み込んでいたから
てっきり同じように旧型車の仲間入りするものかと。それをわざわざ冷房化の上、足回り新造とは。 >>330
年数の違いもあるんじゃねーか?
当時(1981)クハ1607-14は製造から18年、クハ1791-96はまだ14年だったから、
前者は潰しても仕方なし、後者はもったいないから改造して延命、ということだろ。 333(σ・∀・)σゲッツ!!
333キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
333(・∀・)イイ!! 湘南顔なフェースのにね
この時期、あまりにもたくさん湘南フェースが出て来過ぎたからかな 井の頭線ではその前にデハ1900がいたし
京王線でもデハ2700、2000、2010。
いわば、湘南顔のインフレ状態 で、5000と3000が入って来てあっという間に窓際へ追いやられた 近鉄820系
800系の通勤車タイプという触れ込みだが本線系統にはあまり顔を出さず
もっぱらローカル部分を持ち場としていた印象
というか時期的には既に奈良線に大型車900系が投入され、各線の規格改良工事も進んでいたのなら
敢えて中型車の範疇になる820系を作る必要も無かったのでは、と思えてしまう 新潟のキハ52
キハ58と共通運用が組まれ小世帯の52は地味な存在だった
しかも平坦線での運用が多く52の本来の使用方でなかったからな >>342
でもラストだけは花を咲かせた感があった >>341
そうかな??
東急にしては色使いがハデになった感が。 >>342
米坂ではキハ58は運用が1本だけで希少だった希ガス >>344
あれと同タイプの車両が全く増備されず、代わりに5000シリーズが大量増備されたことで少数派になった、ってことでないかな? りょうもう号用の東武250系。200系とは異なり完全新製車で
200系のオールMから3M3Tに成った事でWパンタの中間車が
登場する等見かけは若干変わったのだが1編成しか無かったので
見かける回数は少なかった筈。この車両は通勤車30000系と
同じ機器を使っていたので保守には困らなかったと思われるが
その30000系が全て東上線に転属した為に廃車となった。 路線そのものが地味だったので車両も地味だった三田線6000 インドネシア行った6000は先頭が魔改造されたのもあるし。
都営5200も地味だが、5000も浅草線に乗り入れてくる京急1000や京成3000に比べると地味。 青梅、五日市、南武線でたくさん走ってたけどED16。石灰石輸送貨物専門で、EF15のように他の種類の貨物列車を牽引することもなく・・ 井の頭線初の新性能車なのに、
3000系の華やかさに隠れて存在感薄い初代1000