地味で目立たなかった車両
>>118
483系の末期はひたちで使われていて、7両でなくて最後までグリーン車がある
方の編成にモハが2ユニット残っていた。 鉄道の祖なのにロケット号よりマイナーなトレヴィシックの蒸気機関車 初代南海8000系
チョッパ車が抵抗制御に格下げされた例って他にもあるのかな?
VVVF改造はちらほら見かけるが 東武の10080型
登場して23年になるが一度もあたったことねぇやw >120
蒸気船のダバン、蒸気機関のパパンと一緒で発明者が忘れ去られるケースだな。
トレヴィシックの孫2人が日本の鉄道を支援したというのも因果なものだ。 今も現役だけどDE11
2000番台は側面スカートが厳つくて良いね >>124
スチーブンソンの蒸気機関車と同じく、
蒸気機関はニューコメンの大気圧ポンプからワットの回転往復動式に発展、
蒸気船はフルトンのクレアモント号が最初、というのが世間のイメージになっちゃってるもんな。
ちなみに世界初の内燃機関というのは、昔のギネスブックによると1825年に既にイギリスで実現されており
人の乗れる車輌に搭載されて丘を登ったとか。
しかしそのエンジンの名称は「用気エンジン」なるもの。
世間では最初のまともな内燃機関はルノアールが1860年に実用化した無圧縮ガス機関だとされているが。 ジーメンスの試作電車〜スプレーグの電車の間に登場した電車 東京メトロ千代田線には、JRの207系900代と東京メトロ06系という、
どちらも1編成という“地味”な車両が走っていた。 417系電車。
電車の普通列車といえば仙石線の電車か急行間合い使用くらいしかなかった東北地方に
仙台地区でデビューしたのもつかの間。中途半端な形で消えていった。夜松川まで南下する列車に
一度だけ乗ったことある。 キハ37
僅か5両で打ち止めとは。
キハ30とペアで久留里詣で姿態。 キハ33
地味で目立たないと言うよりも、何もかもが中途半端すぎた。
JR西日本にもう少し技量があったらキハ141系列みたいになったかも知れんのに。 サロ163―7
163系自体が幻の上、すぐにサロ112に改造された。 >>130
本来は地方中核都市向けの近郊型として量産するはずだったんだろうね
交流で十分なところ交直両用としたのも拡張性を考えてのことだろう
しかしその後国鉄の台所事情で寝台電車の改造車で代替することになってしまった
>>131
キハ37は事実上試作車でしょ
高コストで性能が悪い40系の反省から生まれた車で、おそらく走行部分はこれをベース
にして投入線区に応じ様々な形態に拡張させる予定だったんだろ
しかし、その後すぐに民営化されてこの車がベースになった車両はキハ38で終わって
しまった >>136前段
ま、その後は417の車体構造を生かした、急行型の車体更新車が登場したから決して無駄じゃなかったんだよな。 マイナーと言えばEF61もかな?
折角東海道・山陽筋で急行旅客列車牽引も務めたと言うのに…
ヘッドマークも颯爽とブルトレをエスコートした時期もあったのに…
あまり注目も浴びずに終わってしまった。
(しかもEF58よりも先に引退…) マイナー組ではスハ42・スハフ41も。
オハ35戦後型の車体にウィングバネ台車のTR-40系台車を履き、デビュー当初こそ
つばめ・はとにも使われたが…
登場して程なく、スハフ41はマイネ40に台車を召しあげられ代わりにTR-23のお下がりをもらい
全車オハフ33に編入され形式消滅。
スハ42も、スハ33650(オハ35)とスハ43の間に挟まれ中途半端な存在になってしまった。
後に近代化改造を受けオハ36になり更に電気暖房化されてスハ40に…
でもぱっと見でオハ35と殆ど変らないせいかあまり話題にも上らなかったね… また客車ネタだけど…オハ46・オハフ45もマイナー組だね。
オリジナルはオハ60両オハフが20(25?)両だっけ?寧ろスハ43後期車から編入された方が多い位。
オハフもオハ改造車が11両、編入オハ改造車が9両。
でも個人的には好きなんだよね。オハ46・オハフ45の原型車。特に近代化改造された奴。
青塗・アルミサッシ・デコラ張り・アミ入りガラス・窓下テーブル。
複線電化の幹線を電機牽引でぶっ飛ばす急行列車が懐かしい。 西武501系三代目、701系の余剰Tcに101系の電装品つけた奴ね。
西武で一番好きな形式なんだが。地味すぎ。 東武2080系
野田線で夏にあれが来るとみんな顔をしかめてた。
当時野田線でも非冷はまだまだ残ってたのになんで
あんなに嫌われてたんだろう >>145
自分は近く住まいだが、その時期に乗る機会が無かったので想像だけで書くね。
AA基準のせいで、窓がロクに開かないままだったから嫌われたとか? >>145
電気ブレーキのせいで、駅に止まるたびに床下からモワーッとした熱気が来るから? カナリア色の101系1000番台。
武蔵野線西船橋開業用に1ユニットだけ存在した。 転配の中で一時期存在した京浜東北線のスカイブルーの101系も確か4編成しかなかったはず。
また、東海道山陽緩行線で走り、現在阪和線で走る関西の205系も影が薄い。
そういえば、東京メトロ千代田線はメトロの06系やJRの207系900という1編成だけの系列があるね。
JR九州の303系も地味な存在だ。 営団5000系、但しグリーンの帯を付けて千代田線に入っていた頃の。 >>151
それを言うたら方南町支線のサインカーブレッドな2000形も。 70年代のSLやブルトレにファンが目を奪われてしまい、オワコン扱いでろくに雑誌にも特集されず、人知れず滅んでいったローカル私鉄の車両(特にアオガエルとか西武350あたりに入れ替わる前)。 >>153
オワコンどころか、コンテンツとして扱われていなかったのさ。 401系。
近郊型の始祖なのだが、常磐線専用だったためか地味な存在。
「111系の交直流版」などと言われてた。
421系は福岡を走っていたので、そこそこ知られている。
451系。
交直流急行型の始祖なのだが、常磐線・東北線デビューだったせいか地味な存在。
471系は大阪を走っていたので、そこそこ知られている。
483系
それまで交直流電車は東日本デビューが先だったのに、とうとう西日本にその立場を奪われる。
EF80
これまた常磐線専用だったためか地味な存在。
EF81は大阪を走っていたので、そこそこ知られている。
下手すりゃEF30よりマイナーな存在だったかも。
>>153>>154
開業時に仕入れたオリジナル車両かキハ04・07・社型国電・戦後の大手私鉄放出で入手した戦前型電車あたりだな。
部品が切れてきて廃車というのもよくあったようだ。
で、アオガエルとかキハ10・20→弁当箱やレールバスに落ち着く、と。 >>155
当時は専門誌なども「交流・交直流車両といえば九州・北陸。東北のは所詮亜流」って雰囲気だったな。
例外はEF75くらいか。 >>158
でも403系はしぶとく残ってたな。
グロベンのルーバーが通勤車の円形と違い、小さくて線路方向にスライドするヤツだった。 >>155
常磐線専用とはいっても、東京を走っていたではないか。 14系15型客車
個室や食堂車はなくモノクラスのみ
晩年は14型と混結して使われた。しかし最後の東海道・山陽ブルトレに使用されたのでこの車両にとっては幸せだったかも知れない。 国鉄クハ103,オハ61,スハ43
東武クハ8100
など普通に通勤車として走っている車両は目立たないし地味だね。 ED74とかED75 501なんかは国鉄時代の“新型”機関車では「地味」だね。
ED74は僅か5両だけのグループで影が薄かった。
ED75 501も、交流機の標準形式になったED75では、道内電化用としての試作機の意味合いの強かった1両だけの番台だ。 キハ48の1300番代もなー。
暖地向けキハ40が烏山線に出ると聞いて見にいったが、
台車が空気バネのやつじゃなくて失望したものだ。 >>168
客車のくせにサハ4801ってのもあったね 客車の気動車転用は、今でこそJR北海道で多く活躍しているが、
これを除けば、余り車両の有効活用とはいえ、どれも少数世帯の異端児みたいなものばかりだな。
古くは北海道のキサハ08、そして50系客車を改造したキハ38なんかが山陰などにあった他、
城端線などで走っていた12系客車改造のキサハ38、
それにJTの「セイシェル」に組み込まれていたキサロ59くらいかな。
いずれも、種車の面影をほぼ留めたままで、なんか奇妙に見えたもんだ。 >>171
山陰の50系改造はキハ33、12系改造はキサハ34な ヨーロッパの特急車両は目立つけど普通用の客車とか通勤電車は地味だな。 おフランスがその辺の車両で色々派手にやらかしていて、日本の評論家どもがブツブツ言っていたら
ジャポンにもミトーカという恐るべき人材が現れて、善悪は別として無茶苦茶なことになっていったな。 京急700
東急初代6000
西武571
京王1000
京成750 鶴見線の下駄
クモハ12の陰で?
海芝浦と下駄はよく似合っていたけど… >>186
確かに地味には違いないだろうけど、思いっきり目立ってないか? 東京メトロ千代田線には1編成だけのグループが、JR207系900の他にも東京メトロ06系が存在する。
昔は確か3編成だけの5000系もあった。
また、その5000系や6000系の試作車両が未だに支線で現役なんだからすごいな!
試作車両が量産車両より長寿なんてことあまり例がないと思う。
もっとも、既に試作車両としての機器類はなく、汎用的なシステムに改造してあるけどな。 上毛350 伊豆急200 ともに移籍後何年もしないうちに引退。何のために導入したんだ? どうせ捨て値で買ったんなら、全般検査の前に廃車できれば
費用が浮いていいよねえ。
伊豆急に関して言えば、伊東線のATS-P化により乗り入れ車両に
それの車上装置の設置を迫られたため、J束から安値で
設置済みの車両の中古を譲ってもらったという噂がある。
ソースは知らん。 >>197
東武がたっぷり検査期限の残っている3000を上毛電鉄に売却。
その車両の検査期限が来たから、期限が残っている3050を売却。
全検をやらなくて済むような形で車両を譲渡して、東武は上毛の
経営支援をしたつもりになっていた。
群馬県など地元自治体が補助金出してくれたので、井の頭線のまともな
中古車を買うことができて、東武の中古車地獄から抜け出すことが出来た。
伊豆急の場合は、>>198の説のほかに、車両置き換えの本命が
東急8000だったけど、東急の廃車時期と合わなかったから、
JRからつなぎの中古を買った、という説もある。 >>199
上毛は上毛で、外見は色だけ塗り替え、
ツーマン運転を続けていたので、元西武車から外した車掌スイッチを客室内ドア脇に移設したぐらいで、
内装はほぼそのまんまだった。
西武351の省MT15が実効110kWだったのに対して、東武車は日立HSはともかく
デッカーは97kWだったからパワーダウンだったと思うが、
上毛のダイヤはカラシ電車時代の75kW級HL車のMT編成でも走れるような水準だったから、何とかなったのだろう。
デハはモーター載せ替えが面倒だったか、引き続き住友KS33を履かせていたが、
クハの台車はボールドウィン式(帯鋼組立)や住友KSが好みじゃなかったのか、
西武車時代から愛用してたTR-11に多く履き替えさせてたな。
いまも大胡車庫に東武出自のTR-11が一つだけ残っている。 サロ112−51 静シス→大タツ(種車サロ163−7・名カキ)
ただでさえ目立たないサロ163からひっそりと近郊型に改造された。 キハ19
旧電気式気動車は液体式改造と同時に早々と郵便荷物車に改造されていたが、
中間車だけはキハ19として、昭和41年まで旅客車として細々と運用されていた 南海旧8000系(1編成だけの電機子チョッパ車)
阪神8000系初期車(1編成だけ)
近鉄3000系(1編成だけ) >>209
そいつらは1編成だけだから、逆に目立つ気もする。 >>209>>210
南海8000は抵抗制御に改造されて6200系に編入されてしまったからかなり不運だな
もはや忘れ去られた存在だろう >>191
18b片開き4扉ってのは、当時としてはかなりインパクトが強かったよ