【トルペード】木製車【トラス棒】
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蒲原で思い出したのですが、ココも昔の上田交通並にもの持ちがよく驚きましたね。
廃止前に蒲原に出向いた知り合いが木造単車(トレーラー)ハ1の車体が村松構内の建屋の一部になってました。
それにしても2線級どころか3線級のモハ21が延々車籍を残していたのは府に堕ちないですね。
西武で鋼体化でも目論んでいたのですかね(昭和40年代に入り西武も社型が払底し国電型処分になり
種車確保の意味でも・・・そこに山形交通からの話があり・・・とか) >>63
電動貨車も含めれば21世紀まで生き延びた西鉄モエ803なんていう
大物もいましたね。 国鉄事業用車博物館が閉鎖になってた…
木製優等車の成れの果ての怪しげな画像がたくさんあったのに >>66
正直言ってバカだよな>館長なるもの
公益性とくだらねぇ人間関係とか、自分の思いとかって、
どっちが社会にとって大事なんだよって思う。
サイトをあの規模にしたら、もう後戻り出来ないんだっていう気概位は
持ってからやれよと言いたい。
身勝手な理由でやったりやめられたり、
見る方は迷惑だ。 面白く見させてもらったし残念ではあるのだが、迷惑とは微塵も思わねえよ
何言ってんの >>67 は なんだ荒れてるのー?
鋼体化で思い出したけど、スレチ承知で尋ねるけど。
部材だけで考えて(台車や台枠の一部が温存 車籍のみは×)日本最古の現役旅客用鉄道車両って今は何処の車かな?
昔は東急から上田に行った3310だったんだけど。 >>69
函館市電ハイカラ号ではないかと思います。車歴をたどれば1910製の成宗電軌の電車。 >>68
HPが果たすべき責任論を言っているの。
お前になんか何も言ってねぇよ。 >>69
> 日本最古の現役旅客用鉄道車両
電車に限らず、客車も可でしょうか?
大井川鉄道のスイテ82・ナロ80の種車の西武501系・クハ1411型は
木造省電の鋼体化名義で製造されていますが、それが事実であれば
台枠は、サハ25型あたりが由来と思われますので(1920年製くらい?)、
少なくとも台枠に限れば現役最古級ではないかと思います。
ただし、実際に台枠を流用しているかどうかは不明とのこと(ソースはwiki)。 >>70 >>72有難うございます。
>>73 製造時や国鉄のでの整備は防腐(比較的近年までバスに用いられた油塗布)、シロアリ対策はしていたんじゃないですかね?
ただ、戦中戦後の混乱期は疎かにされていたかも・・・
そもそも鋼鉄で軽量張殻のなんかと違い台枠も丈夫だから多少車体が欠けても強度的には問題ないんじゃないかな?
(旅客転落の危険にしても 当時は、箱乗り<昔 暴走族が車でやってた奴みたいな>が、自己責任において混雑など日常的行為だった訳だし)
顕著な虫食い破壊は無論 木工補修でしょ(昔は車両工場に木工所・工程って普通にあったみたいだし・・・) マッチ客車は上等車と下等車で車体に用いる木の材質が異なっていたが、
その選別はボギー化、あるいは電車になっても変わらなかったのだろうか。 堅い木製ですよね…神田からさいたまに移っても健在の
鉄の木造電車のカットミニチュアには木の種類までは
書いてなかったですかね… 天ぷら、とは初耳でしたが、どうやらあの場合は
木造車の上っ面に鋼板を貼り付けたものを指すようです
(ニセスチールっていうのならよく聞きますが)。 天賞堂がプラ製のナローの車両を商品化した
とは思えないし、何のことだろう?と思った層多し。 コキはトラス構造のなごりだな。
ヨーロッパではいまだにアングル材で組んだトラス棒を彷彿させる貨車を製造してる。 ターンバックルは、プレハブ小屋の外側の筋交いの中ほどに
ついている、あれ、と説明することにしている。 ギターのネックの中にもソリを修正する似たようなものがある。 >>84
トラスロッドね
木造車の場合はトラス棒って言うんだっけ ネットの古本屋で手に入れた本に3軸ボギのクハの写真がのっていた。
これだけでどこの電鉄かわかるかな >>87
さすが素早い回答。ピクの車輌めぐりの写真はTR11に履き替えたあとなんだよね >>88
あの頃の古典客車改造クハは変態揃いでしたよね、間違えて幕板だけ黄色く塗った西武のとかw >>89
>間違えて幕板だけ黄色く塗った西武のとか
なにかなとおもったら弘南へいったやつね弘南時代の写真見たけど客車らしさはなくなっているのねホハフ2857てもとはなんだろう >>89
戦時中に省雑形客車付随車にした事例はいくらでもあるけど
雑形客車に制御器装備した例は一畑・旧三河・旧西武・旧武蔵野の四社だけかな?>ソワト氏
それと買収が早かった旧佐久の電車型客車は戦時中に制御車として有効利用されなかったのだろうか
旧相模の電車型半鋼製客車は買収が戦時中だったので結局事業用車としてしか利用されなかったしorz 今日近代デジタルライブラリーで公開された客車略図は国土交通省図書館にあったやつだな 亀だが>>91
鉄ピクアーカイブスによると東武にもあった模様 現行の車両保安基準じゃ木造車の新規製造って無理なのだと思うけど、
長崎市電の木造車とかが現役で居られるのは、シートベルト装備以前の古い自動車
が法規制定前でこれら問題が車検の際除外に項目なるから? >>94
「路面電車だから」というのもあるのでは? >>94
自分も調べたことあるけど、おそらく幾度かあったと思われる
廃車の危機をなぜかいくぐられたのか、結局わからんままなんだよね。
ペラペラスチールすら貼ってない本当の木造車のままだし。
>>95の見解を適用しようとしても、南海軌道線モ101なんて
造りがよくて歪み全く無い頑強さだったのに、木造車であることだけで
廃車させられちゃったんだよ?だから路面電車だからは関係ないと思う。
たしか全国的に現役木造車が淘汰させられてた当時、長崎は
運行両数カツカツ状態(繁盛してたからかな?)&金もなかった、
という話は聞いたことあるんで、長崎を管轄する監督官庁の部署の人に
理解があって、木造車の稼動の黙認的猶予をしてるうちにうまく残った、
みたいな推測はしたことあるけど。 国鉄から木造車が消えたのは1977年6月下旬と記憶しているが間違っているか? >>98
クエ9112が、下十條区→大船間で回送された時期だな。 >>98
国鉄最後の木造車サエ9320が廃車されたのは1978年8月。 よく木造車の車体側面下部にあったトラスバー
車体垂下の際の補正で車体を締めるモノだったけど、古い車両だと木が割れたり潰れて
補正できない場合とかなかったのだろうか・・・そもそもトラスバーのネジ自体サビで回せなくなったり
(昔は、CRCとか便利な潤滑剤がないだろうし・・・ネジがバカになったり・・)
初期の鋼製車にもトラスバーがあったが、アレは単なる装飾品だったのだろうか・・・
(丈夫な全鋼製車では戦災車以外 車体垂下は戦後の末期昭和40年代以降でないと散見していないし、
その時点では何処の車もトラスバーは撤去されていた。) 関係ないけど、準張殻構造だという私鉄電車の解体を見ていたら
上回りを破壊しきった時点で台枠が大きく彎曲してしまっていた。
近代の車両が、車体と台枠とで強度を実現していることがよくわかった。
魚腹型台枠という言葉を耳にするけど、それ以前にはどんな方式が使われていたのだろう。 昔 木造車が現役バリバリ頃に起こった車両の脱線や衝突で車両を破損すると正しく木端微塵だったそうだ。
木は、柔らかい素材(マア鉄道車両に使うのは硬くて丈夫な木材が主体だろうが)だが繊維質で繊維方向に従わない方向の衝撃だと曲げや伸びの柔軟性に乏しいので
鋼製車より破損、衝撃のダメージは大きい。 それでGHQは木造客車の追放を指令したんだな。
ある意味、親切心だったわけか… 表面的にはそうなっているが、発想が逆。GHQに指令させるように省・国鉄が根回しして錦の御旗を取った。
当時はドッジラインで車両新製にストップがかかっていた一方、戦中の酷使で一般人が乗る客車はボロボロでどうしても取り替えたかった
。視察のときもわざとひどいのを見せたとか、その辺の事情は星晃氏の回想やインタビューに一通り書いてある。 >>96 ハニ252(ホハフ2850)は付随車じゃないかな? 木造車追放の機運は破損衝撃の問題よりも
不燃化対策が困難ということじゃないの 三菱鉱業美唄鉄道の客車に社紋のスリーダイヤモンドとは別に◇マークが
表記されているが、どういう意味? >>111
不燃化の議論が本気で出てきたのは、
桜木町事件が契機だと思う。
桜木町事件の発生は1951年。それに対して、オハ60の登場は1949年だから、
やはり不燃化よりは、八高線事故などを契機にした車体破損防止のほうが、
理由としては緊急の課題だと考えられたのだろう。
当時当たり前だった半鋼製車体なら、燃え方にはあまり差はないだろうし。
>>112
画像検索したけれど、そのマークがわからなかった。例えばどれ? 美唄鉄道のボギー客車のうちナハフ1~3、オハフ7〜9.11に表記が確認出来ます。 Gのナハフ2。乗降扉横に三菱社紋と美唄鉄道の表記。ナハフ2の上に◇表記が
ある。古い客貨車の教科書を見ると、国鉄客車でPF弁を装備するボギー客車に
は◇表記をすることになっていたようです。
ただ、美唄鉄道でPF弁とA弁が混在していたのかどうか、また、元オロハ30の
オハフ9にも◇があるので、弁の差異は関係なさそうで、やはりスッキリしま
せん?
http://tsushima-keibendo.a.la9.jp/bibai/bibai1.html 最後の営業線上の木製車はくりはら田園鉄道のワフ7・ト10か? 168は100周年の2011年に節目だから引退させるって記事を見たんだが、
なぜかなかったことになったんだよね
長崎電軌の人に尋ねたことがあるが「これからも末永く使っていく」だそうな さすがにダルマにされた木造車で現存するものはないかな 打つ手なし。
着火しても燃え拡がらないようなコーティングはできるのだろうか 最近のリゾート列車系で内装に木材使ってるけどあれはどうしてるんだろう? 長崎市電の168もそうだけど、今は亡き蒲原鉄道のモハ41も昭和30年代半ばに、発行された
私鉄車輌めぐりには、木造車追放令によって時期淘汰される旨記述があったのだが、
何故にそれから延々20年くらい生き延びる事(運輸局の指摘、指導をノラりクラりカワして?)が出来たのか?
電車(特にM)の場合 客車や貨車と違い(無論無煙化必至だろうが)電気火災の懸念も高いと思うのだが・・・
>>103 魚腹形は、台枠中央部に向かって車端双方から梁が膨らんでいる。
東急の初代5000と初代3000の解体後を見たことがあるけど、違いは歴然。
旧型でも戦前の気動車や近鉄2200みたいな軽量化に留意した車輌だとまた違うのでは? そもそも 初期の丈夫な鋼製車のトラスバーは装飾的な要素の方がつよかったのでは、
仮にバー締めようとした所で丈夫で分厚い鋼板のタワミを補正する際に生まれる応力を数ミリのナット、トラスバーのネジ山が吸収できる
ワケも無い様な・・・ネジ山がバカになる!仮に巧くいっても車両走行中に生じる瞬間応力でナット、トラスバーの破断が起きたら大事故になるような・・・ >>127
その事情を考察するのもまた愉し
今となっては事情を知っていた人間は鬼籍に入っているだろうからそっとしておいてあげて >>127 128みたいな書き込みを真実と受け取って
それが定説になっても困る
わからなければわからんままでいい 口から出まかせ言っても過疎板なら気付かれないよねw
こいついろんなところで中身カラッポな考察書き込んでるから当てにならんよ >>134 お前に、こいつ呼ばわりされる筋合ない。 顔真っ赤な人が一匹いるみたいだが、
>>127ってただの考察じゃねえの?
「そっとしておいてあげて」の視点の奴のほうがあきらかに変。
オマエ何様だよ?
真実を知ってるからこそそんなこと言うのか?
だったらそれを書けよ。
何十年も前の話なんだから利害関係なんてとっくに影響ないだろ。 >>137
こうやって情報を引き出すのがコジキの手法だなw
お前こそ顔真っ赤じゃん。
知っていてもこんな馬鹿には教えねぇよw しかし「情報引き出す」って、バカ?
いまどきの低脳の思考回路ってこんななのか
将来の日本が思いやられるわ(笑) 責任とれや。>>129
お前のせいで屑が湧いてきとるやんけ 木製がいけないという科学的な研究がないから、どこかの研究機関でやってもらいたい。
今はプレカットや集成材、金物の技術が当時より格段に向上しているのだから、
現在の技術でやってもらいたい。 木製の高層ビルが構想されてたりもするけど、問題はコストとメンテナンスじゃないのかな?
金属製と遜色ないだけの性能、コスト・パフォーマンスを達成できるか? 現在でもトラックの平荷台は床・根太材は木製だし、貨車コンテナの内装は合板。
法規上鉄製耐火構造が必要なのは旅客車だけのようなので、貨車は全木製でもいいらしい。
だが、あえて木製車であるメリットがない。 昔の木造軸組構法だと、脱線・横転時に屋根・側面の強度が無く粉砕されたから、
全方位に強度があるモノコック構造、木造枠組壁構法にするしかないが、
軽量な建材はあまりないので、新開発するしかない。
貨車にしても木質ラーメン構法になるだろうが、それ用の集成材を製造できる工場
が少ないし、特別で専用の金物を使用するから、時間も費用もかかる。
そこまでする位なら、林野庁が補助金でも出してくれない限りやれない。
根拓の銀龍号は地元の大工が作ったが、あのレベルで模索するなら、
ローカル私鉄の保線用だが車籍の貨車用に用途を求めても、2軸でム級の有・無蓋車
程度だし、そこまでしなくても既製品があるので木造あえてする理由もない。
木造にすれば錆びない、断熱性が良いとかのメリットを出せればいいんだが。 >>120
現役は知らないなあ
その昔、廃止直前の福井鉄道南越線村国駅で待合室代わりに使われてた
元南海タマゴ型を撮影したのが俺にとっては最初で最後
今にも崩れそうになってるにもかかわらず広告が貼られていたのには驚いた 手入れしなくなったら劣化のスピードも速かったんだろうなあ
今社会問題になってる空き家問題も、木造家屋で長年人が住んでないと
倒壊の恐れが加速度的に高まるとか >>120>>148>>149 昔々 昭和35年頃の私鉄車輌めぐり水間鉄道の記事に
出ていた 足を外され地元 二色幼稚園の幻灯室(どういう用途?映画、
スライドとか観る部屋?)になった 元南海の卵木造車モハ111の車体は
何時無くなったの?誰か教えて! 移築された瞬間から廃屋も同然だからだろ。
実際にダルマさんで遊んだことがないと理解できないかも知れないが。 >>151 加悦鉄道のハ4995みたいなケース(別途車体を制作 旧車体は倉庫として放置?に近い扱いで30数年後復元)もあるじゃん。
あと蒲原のモハ1も一度ダルマ(工場内建屋に組み込まれ)にされたから復元した。 復活させようという決断は何がきっかけだったのかなあ スレタイが「木造車」の方が良かったかな
鉄をかじってる人ならその方が一般的な言葉に感じるかも 木造車のダルマさんが園庭にある幼稚園に通っていた。
幼児の目から見ても倒壊寸前で、他に来たがる子もなく電車では常に独りぼっちだった。
隣の小学校へ上がり、ハッと思い出すと無くなっていた。
不思議なのは、電車の公的な記録がどこにもないことだ。画像が一枚も出てこない。 イギリスの1893年創業のリバプール橋上鉄道の車輌が木造電車でトルペードベンチレーターが付いてるけどこれなんかが世界最初期に
なるのかね。集電が第三軌条方式で台車の下から火花バチバチいってるのがコワイコワイ(∩´﹏`∩) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています