尾小屋鉄道を語ろう
>>93
いえいえ、こちらこそレス恐縮です
前回のカキコで「金平前後も一応はたどれる」と付け加えるのを忘れてました
R416のバイパス化については、勝山方面の全通をあきらめてない世代が
あちこちに運動して回った結果だと、当地を地盤にしていた元市議から聞いたことがあります
地元の人にとっては費用対効果より、通りやすい道かどうかが重要な政治課題ですし
外部から当地の事情なんてのは簡単にはわかりませんから…
36年たってまだそれだけ残ってるというのは、むしろ幸福なのかなあと思ってます
お隣の北鉄小松線なんて、軽海から先以外はほぼR360に呑まれたことを思えば… >>97
94です。
待っていたんだけどなあ、他の人の書き込み
う〜ん、本当にレスがない・・・
バイパスのお話、なるほどです
どこにでもあるような裏事情で尾鉄の痕跡が消されてしまったのは残念
それならその予算、先に未開通区間にまわせばいいのに
あるいは、同じ費用対効果の低いことに使うなら、せめて廃線敷きをサイクリングロードで残してもらいたかった
まあ、何を言っても、もう元には戻せませんが 尾小屋スレ5周年。
スレ満了まであと約45年かかるのだろうか。 大地の汽笛で、陸蒸気で線路を走るプレイをやって、尾小屋鉄道などの軽便鉄道を思い出した。 >>82
そのお兄さんって自分の事かと思った…
記憶をたどったら、僕が同じ事をしたのは西大野だった。
もう時効だから許してね。
大量の使用済み定期券GETしました。一番古いのは昭和39年だった。
尾小屋は廃止前に小松駅の待合室(国鉄の方)で寝泊まりして
1週間くらい撮影合宿したのが思い出。
当時は高校生だったが、東京から来た大学生(多分どこかの鉄研)に交じり
今思うと夢のような撮影行だった。有名な寺田さんもいた記憶がある。 こうやって思い出話ができるのもかなりの歳月が流れたからなんだね
2〜3年前の話、だと生々しすぎて… ほぼ放置プレイだったDC122が那珂川に譲渡されたと聞いて驚いた。
どこまで綺麗になるのだろうか? 尾小屋鉄道の気動車の加速性能はキハ20系を凌駕する。
※極めて軽量な車体と、機械式変速機が幸いした結果だ。
ただし、後ろに2両の付随車を牽引した場合は、キハ40以上に加速は遅くなる。
冷房は無いので、夏場はめちゃくちゃ暑いです。 なかよし鉄道のアレはなぁ・・・
関係者の努力は称賛に値するが。 個人の手弁当でやれることには限界があるし
さりとて行政に関わってもらうのも無理があるし、
痛し痒しだね 個人つっても新聞社の社っ長さんとか
キャリア官僚なんだけどね 男はつらいよの金平駅シーンはじめて見た
尾小屋へ向かってたけど寅さん炭坑で働くつもりだったのかね 寅さんが炭坑で働くわけなんかないだろw
あんな重労働 趣味の世界に行政が関われることなどないよ。
お門違い。 >>123
懐かしいですね。
尾小屋鉄道の最後の冬、北陸は豪雪に襲われ
普段は新小松の車庫で昼寝をしている
DC122とDC121の2両は
除雪列車や客車の牽引で大忙しでした。
気動車が3両もいて、貨物営業もないのに
DLが2両もいる理由をその時知った次第です。
(SLも1両いたが、戦力外でしたw) 追加です。
積雪時はいつものキハ単行ではなく
DC12+客車1両の運行でした。
その方がパワーがあったんでしょうね。
気動車だと立ち往生するリスクが。 Amazonに「尾鉄よ永遠なれ」の新品が在庫1冊発売中。
欲しい人は今すぐ検索。 キハ2はどうなってしまったの?
尾小屋で独りポツンで、自然に還ってしまうのか… ストリートビューでけっこう廃線跡をたどれるんだね。
新小松から西吉竹の間の激変ぶりや終点尾小屋の町の寂れ具合に唖然となったわぁ
それに比べて中間の西大野や金平あたりはあんまり変わってない印象で、充分当時の面影を偲べる キハ2の他にホハフ7も尾小屋で保管されているはず。
所有者の某最高学府OBによるクラブは「会員の高齢化」を理由に数年前に
解散したようで、現在の管理体制や車両の状態等は不明。
鉄道廃止後野晒しで放置状態だったDC122は栃木県の那珂川清流鉄道
保存会に引き取られ、レストアされ動態保存されている模様。 小松児童館のキハ1だけど、前面だけでなく屋根自体が東急7000みたいな
単一Rになっていて戻すなら屋根ごと交換だな。いくらかかるんだろう?
募金募ってもいいから(もちろん参加)原型にしてほしいな。 下津井電鉄保存会の手に掛かれば
尾小屋キハ1の屋根なんぞ、原型を修復して復活出来たろうに・・・
http://shimoden.exblog.jp/ かわいらしい鉄道だな…乗りたくてたまらん…
昔の乗り鉄は楽しそうでいいな 物心ついた頃にはもう過去帳入りしてたから何も分からないが
学生の頃に尾小屋を訪問した時の駅跡の様子を見て
見なければよかったと落胆したのは覚えてる。
現役当時の様子を覚えておられる方々なら尚更だろうか。 10年位前に引っ越した時以来開けて無かった段ボールから廃止記念のレール文鎮が出てきた、他に東濃鉄道とか京都市電、松本電鉄浅間線、上田丸子電鉄丸子線とかも あるある〜。
大掃除で物置を整理すると、今となっては単なるガラクタでも
当時は廃止記念に買った鉄道グッズ、博覧会グッズとかも出てくるよね。
今は壊れていて動かないが、ゲンキだった時代に愛用していたカセットデンスケも。 >>135 >>136
車両の方はメンテの担い手がいるが、施設・設備の類は大がかりになるし守備範囲も広いし結局誰も手を出せず
おのずと放置→荒廃という結末になるという・・・・
スレチだが田口鉄道の三河田口駅舎廃屋も自分が訪問した約十年後に自然倒壊したとの由 56豪雪以来とかで福井あたりが凄いことになってるけど
キハ2の車庫大丈夫かなぁ
そろそろ屋根がヤバそうなんだけど・・ 大地の汽笛をプレイして、あの陸蒸気を運転すると、尾小屋鉄道とかの軽便鉄道を思い出す…。 キハ2も公園に譲渡して欲しいわ
このままだと車庫が雪で潰れたら一緒にお陀仏
どうせもう維持できないんだろ? 粟津ばかりに集めないで、むしろ尾小屋で一般公開がいいな
活動してない赤門は今後どうするつもりなんだろうか
突如、車庫もろともスクラップだけは勘弁してもらいたい 会員高齢化でどうしようもない。
尾小屋ルート選択ならばスクラップ一本道。 持て余してるのは目に見えてるのだから、さっさと管理継承出来る相手に譲渡しろよ
自分達のおもちゃとしては充分元が取れた筈 相続放棄ならば財務省。
価値が認められれば入札になる。 尾小屋分だけ放棄は出来ないからな
相続した後、ほったらかしってとこだろ 公共の遺産って発想はないのかな?
独占欲とか特権意識とか東大の人らはそういうのが強いのかね 公共財という「法律」がないんだよ。
個人の責任ではない。むしろ法律の枠組みの中で自ら持ち出しで維持してくれたことに感謝してほしいな。 >>159
そしてその法律を盾に自分たちの私財の枠からは頑なに手離さない
まで書かなきゃ >>159
誰も法律の事なんか問題にしとらんぞ
ガラクタになり兼ねないのにいつまで無駄に独占してるんだって話だろ >>161
だから概念がないって言ってるだろうが。
法律にないことをどうやって実現させる気だ。 海外にはあるのかもしれないが日本には存在しない理想に憧れてあれやこれや悪口いうのは時間の無駄! 一般人の目に触れないなら
ないも同然なのに感謝しろとか意味不明 >>162
この国には寄付、譲渡という概念すら存在しないんだ 理想というより、赤門が自治体なりに譲渡を申し入れればいいだけだよな
小松市がまともに取り合わないなら別だろうが、粟津の動きみたって尾小屋のだけ放置を決め込むなんてしないだろうし
保管場所の問題は取りあえず、尾小屋の車庫を補強なりの応急手当かな 赤門の尻尾が見えてきたな
こんな所で工作がバレるなんて
天下の東大生もたいしたことないな タンク車のタンクを潰す
学生時代、理科の授業で大気圧で空き缶を潰す実験をやったことがある。
タンク車のタンクも下から火をかけて、真っ赤に焼けるまで熱して、水をかければ大気圧に負けてタンクが潰れます。
その時の動画がこれです。
https://www.youtube.com/watch?v=VS6IckF1CM0 荷降ろしの手順を間違えて、タンク車が潰れたという話は聞いたことがある。 現役時代の車両がほぼ残って、ほぼほぼ動態保存されているのに
なんで盛り上がってないの?100周年の節目なのに 初の営業日ゼロに終わる 大倉岳スキー場
小松市の大倉岳高原スキー場を運営する市まちづくり市民財団は4日、今後の積雪が見込めないとして今季の営業を見送ることを決めた。営業日ゼロは1979年の市営化以来初となる。
(略)
同スキー場では昨季も降雪に恵まれず、営業日数が過去2番目に少ない6日間となり、来場者数は4844人だった。これまでで営業開始日が最も遅かったのは2006年の2月4日で、同年は営業日数4日間、来場者1830人といずれも最少だった。
https://www.hokkoku.co.jp/subpage/H20200305103.htm 雪が少ないので尾小屋構内の機関庫も潰れずにすみそうだな。 少雪続きかと思ったら、数年前R8をマヒさせたようなのが、いきなりドカッと来るからな
しかも、湿った重たいのが 冬はドカ雪に苦しめられ、夏は豪雨と台風に苦しめられる
日本は、斯様に自然に振り回される国ではなかった筈だ 北陸に関しては全体的には昔の方がよく降ったな
豪雪で復旧出来ないまま3月の最終日迎えた位なのに、近年は>>177のありさま
機関庫は次に異常なドカ雪が来たらアウトかな 折角、聖地に残されてるのにこのまま陽の目をみないのか
忍びない話だなあ 保存のためのクラウドファンディングがあれば多少の貢献はしたいと思ってる。 傍目にこのまま放置プレーだと遠くない将来にただの瓦礫になるだけだが…
赤門はどうしたいわけ? 結局はよそモンのノスタルジーで終わった訳だ
産業遺産として後世に伝える確固たる意志がなければ続かない 法的には私有財産だが、公共財産でもある位、中高生でもわかる話なのに…
天下の東大卒が情けない話だよ
もう充分自己満足は出来たんだから、あとは後先の事をどうするかだけなんだが
何も動けないとはなんとも残念な人たちだ この冬は豪雪のようだな。いよいよ尾小屋の機関庫が危うい。 年末年始の寒波はとくに北陸で記録的大雪の恐れだとさ
先日の上越とかの豪雪も半端ないし
これは本当にまずいかもね 魔の正月にならなきゃいいが、どのみち車庫の劣化が更に進むのは避けられない
本当に歯がゆいな 大倉岳高原スキー場のサイトによるとスキー場山麓側で積雪55センチ 現在スキー場山麓側の積雪ついに100センチ
まじでヤバくなって来た
隣の福井の北陸道で1000台以上が立往生してる 今日は220cmになっとるぞ・・・
一気に増えたな
車庫の屋根が・・・ 100→220*→210*→200*→今日130
昨日の晴天でかなり減った
*の3日間は山頂と山麓が逆転してたから里雪 1メートル切るかと思ったらまた増えだして、現在120か 今日ちょうど1メートル
かれこれ2週間、積雪1メートル以上が続いた
機関庫どうなってるかな
雪で誰も見にいけないだろうが 近くの人なら見に行ける
でペシャンコなら小松市に連絡が入るわ 雪で近寄れない
駅が見える国道も除雪してないだろうし 県道との分岐点から先は除雪の山になって近寄れそうもないか… きのう山麓85cm
1メートルは切ったけど、そこからなかなか減らないね 山麓105cm
また1メートル超えた
そろそろ屋根が抜けてなきゃいいけど… 当時現役生だったのがもう60代半ばか‥
廃線後に加わったメンバーもいるだろうが、所有権持ってる奴、あと何人残ってるんだろう 現役生は金なかったろうし、所有者(出資)はOBが中心だろうな
となる、70代以上か 所有者、ぜんぶで何人くらいいるんだ?
相続して所有権が分散していくとややこしくなるな
どうせ愛着もないだろうし、撤去にもカネかかるんで、潰れてもそのまま放置かな Mrサンデー 千葉真一の特集コーナーでキイハンターでの尾小屋のシーンが流れた! 4月からバスでの尾小屋行きが実質的に出来なくなってしまった バスがついに一日一往復
それも朝の小松行きと
午後の尾小屋行き 尾小屋に車両置いとくんかな
運転手はどうするんだろ 途中の岩上(観音下の先)というところまでの便は他にあるので、岩上〜尾小屋は回送にするのだと思われる。 何年前か忘れたけど
終点まで乗ったのは鉄道目的の俺と登山目的の兄ちゃんだけだった
地元の人はいなかったな 一往復にしたら、その数少ない客すらいなくなるな
場所が場所だけに会社としては残すんだろうけど
ふつうだったらとっくにデマンド化しててもおかしくないね 小松バスが北鉄グループに吸収合併されたの知らなかった
こうなると尾小屋線ももう長くないな
数年後には路線短縮されそう
会社としては事実上消滅したようなもんだね
創業100年が最後のイベントだったか… 合併相手が北鉄グループの子会社だからそちらに吸収させたが、規模としては小松バスが上なので実質的には小松バスなのかな?
ただ尾小屋鉄道以来の法人としては消滅してしまった
いまどき高速バスもなく地域路線だけでやってるから経営は楽じゃないだろうな
閉山から60年、廃線から45年以上経って尾小屋にバス路線が残っているのも奇跡と言えば奇跡
ただ人口が30人を切って、いずれ無人地帯になりそうだけど あと30年もしたら、草木に埋もれて駅も集落も痕跡がなくなっているかも… そもそももうジジババしか残っていなんじゃ?
尾小屋で一番若い住人て何歳くらい?? とりあえず、車庫もろともスクラップになる前に救出されてよかった
あの状態じゃ雨漏りはしてて当然だし、ただでさえ湿気の多い場所だったからな
さて、まずはキハ1やキハ3みたいにいじり過ぎて微妙な姿にならなきゃいいのだが… >>237
こんなことになってたなんて知らんかった
他の車両は無事だったの? 赤門は権利を手放したのか?
もう充分楽しんだろうけど
水に浸かったのは尾小屋構内の車両だけだろう
といってもかなりの水量があったんだろうな
まあ小さな河川だからめちゃ降りすれば起こり得る話だが >>243
そうだね,ハフ2だった
失礼
もう車体の形式標記すら読めない ん?
ハフ2は崩壊寸前どころか屋根下でテカテカしてるやつじゃ? ヤフーで「尾小屋 ハフ2」を検索すると
検索結果(画像トップ)で、展示館のがハフ2と紹介されて出て来るみたいよ
酷いなw 【悲報】尾小屋線金平〜尾小屋廃止
12月1日から短縮されてとうとう尾小屋に行かない尾小屋線になってしまった
法人消滅と減便からあっという間だったな…
合併なんかするとロクなことにならんね 事前登録が必要みたいだし
余所者は自力で行け、なのは、まあ仕方ないとして
尾小屋基準なのに、なぜか上り3本の内、昼過ぎの2便という謎ダイヤ
3往復の内、午前はたった一本
地元にとっちゃ、こういうのが使いやすいのか?? 趣味目線でいえば、どうせ回送させるくらいなら
予約のある時だけでも、途中ノンストップの快速便にして小松から尾小屋への往復利用に配慮すればいいのに
あと小回りの利くタクシーにするなら資料館か展示館まで行って利便性や利用を増やすとか
ま、必要最低限やれればよくて、そういう発想や意欲はないんだろうな 需要は限りなく小さいんだろうけど
展示館はいちおう小松市営だし鉱山資料館は県立なんだから
なんか公共交通で行ける手段はあってほしいにょ 地元利用だけだと、あとはただ単純に減っていくだけ
代替輸送にしろ、資料館にしろ余所からの利用を増やさないと仕方ないんだが
そういうのは行政は下手糞なんだよね
タクシーなんかにしてしまった以上、逆に大勢来られても困るということで
下手に増やしたくないのかもしれんが
赤字でもやってくれるのが強みだが、いずれ見放されるんだろうな これ、予約がないと運休なんだろうな
かつては冬にスキー場まで延長してたのに寂しいもんだ
知らない内に自然消滅しそう… 今年の夏にMatsui Hideki Baseball Museumへ行ったんだけど
行きも帰りも、のみバス利用者は俺一人だった
こういう観光スポットへバスで行く人自体がもういないのか ・日帰り出来ない糞ダイヤ
・事前登録(名前や連絡先)が必要 (→電話可)
・事前予約(日中の電話のみ)が必要 (→たった7時間)
つまり小松市としては‥
なるべく 「 使って欲しくない!! 」 ということだろうwww もひとつあった
ダイヤや予約先など代行タクシーの影がとても薄い
調べにくいわかりにくい、まさに知る人ぞ知る存在!w バスで尾小屋まで往復したのが昭和56年11月。
その後は自家用車になってしまった。 残った金平までも減便になってて2.5往復になってる
もう尾小屋線自体が長くなさそうだ
こういうのは衰退しだすと早いぞ
小松バスと共に尾小屋の公共交通機関は終わってしまったようなもん 小松 8:10 → 8:32 金平
金平 15:06 → 15:30 尾小屋
小松 15:30 → 16:02 金平 16:08 → 16:32 尾小屋
金平 17:06 → 17:30 尾小屋
尾小屋 8:10 → 8:34 金平 8:41 → 9:15 小松
尾小屋 13:30 → 13:54 金平 14:01 → 14:35 小松
尾小屋 14:35 → 14:59 金平
金平 16:11 → 16:45 小松
(小松) ← 550円 → (金平) ← 500円 → (尾小屋)
<事前登録> 住所・名前・性別・生年月日・電話番号(同居で同乗希望者の名前・性別・生年月日)etcを市役所に提出または電話
<予約方法> 前日までに名前・連絡先・人数・日付・便・乗降停留所(帰路の分と同時に)を小松タクシーに電話予約(9〜17時) ◆下り◆
小 松 8:10 → 8:32 金 平 ――――――――――――
―――――――――――― 金 平 15:06 → 15:30 尾小屋
小 松 15:30 → 16:02 金 平 16:08 → 16:32 尾小屋
―――――――――――― 金 平 17:06 → 17:30 尾小屋
◆上り◆
尾小屋 8:10 → 8:34 金 平 8:41 → 9:15 小 松
尾小屋 13:30 → 13:54 金 平 14:01 → 14:35 小 松
尾小屋 14:35 → 14:59 金 平 ―――――――――――
―――――――――――― 金 平 16:11 → 16:45 小 松
(小松) ← 550円 → (金平) ← 500円 → (尾小屋)
<事前登録> 住所・名前・性別・生年月日・電話番号(同居で同乗希望者の名前・性別・生年月日)etcを市役所に提出または電話
<予約方法> 前日までに名前・連絡先・人数・日付・便・乗降停留所(帰路の分と同時に)を小松タクシーに電話予約(9〜17時) 簡易テスターでチェックしてから再投稿したがダメだったか…w
ズレない良い方法はないものか……?
とりあえず使えんね
代替もテスターも5ちゃんもw 地元民なら断然クルマが便利だし、地元民以外だと抵抗あるな
こんなの誰が使うんだろ 鉄道時代なら確か駅前に旅館があったんだっけ
一日1往復になったくらいだから、末端はもう空気しか運んでなかったかも
3往復に戻しても、小松の滞在時間が6時間か1時間未満しかないって… 小中学生はスクールバスか自転車通学だし、高校生は時間的に厳しい、今どきの高齢者は皆免許持ちだから
となると、やはり路線バスとしては厳しい 仮に路線バスが復活しても
ここに書いてるやつは絶対乗らないに一票 遠方からだと、まず小松までが列車なのか車なのかというそっちの問題だと思う。 尾小屋の事例に限っていえば、オンデマンドは利用側には利点が乏しい
このままだと更に利用されなくなってしまいそう 移動手段に関係なく、尾小屋に宿あるといいな
空き家多いし、ゲストハウスみたいなやつでもかまわん 金平から先は片道くらい歩けるだろ
だけど小松から歩いても4時間くらいなのになんで1時間以上もかかるんだよ?!
自転車の方が早くない? >>276
観音下の先から尾小屋までは上り勾配が続くんだけど。
昔、尾小屋から小松市内まで自転車で30分で下りて来た。殆どペダルを漕ぐ必要が無かったな。 電動自転車や電動キックボードまである時代に
軽便鉄道より遅い乗り合いタクシーの出番が・・。 観音下から尾小屋は平均で20パーミル近くあるな
非力な軽便にはなかなかの勾配ではないかと思ったんだが
調べてみたら立山砂防は最大83もあったぞ >>277
輪行?
往復自転車とか?
何気に下り続きでスイスイなのわかる
気持ちいいよねw 尾小屋はどんどん寂しくなるな
路線バスの次は資料館があたりがなくなるか…? >>280
実は尾鉄廃止前後の数年間、新小松駅の近くに住んでました。
勿論、さよなら列車にも乗りました。
当時、家庭が貧困だったんで写真は殆ど撮れていません。
自転車で尾小屋へ行くときは、およそ一時間かかりました。
金野、沢~波佐羅、倉谷口の新道が無いときのことです。 >尾鉄廃止前後の数年間、新小松駅の近くに住んでました。
うらやまC 昔カネがあったかなかったなんかより、乗れたか乗れなかったかの問題だよな >>282
まさか「超」地元の方だったとはw
鉄道同様の当時のR416はさぞ風情があったでは?
バイパスとくに波佐羅や尾小屋トンネルみたいな道は、沿線らしくないというか・・
自転車で旧道を通って尾小屋駅に行くなんて今となっては夢のような話
あと新小松の廃線後の様子(変化)を知っているのも貴重ですね 普通の自転車で上り坂込みで16キロ1時間なら早い方だと思うけど
逆になんでバスと代行タクシーで1時間以上もかかるのか?? 廃線時の尾小屋は当時としては結構な賑わいだったようだがまったり感はある
これが現代だったら、葬式鉄で地獄の絵図と化していただろう 昭和45年頃の車内の様子の写真を見たことがある。
20歳くらいのミニスカートのかわいいお姉さんが写っていたけど、ご存命ならそろそろ後期高齢者にさしかかる頃かと思う。 自転車をそのまま車内に積んでた画像みたことあったな
今どきの会社みたく規則だなんだとつまらんことを言わないのがいいね
277氏もやったのだろうか >>289
チャリで尾小屋まで初めて往復したのは廃止後の昭和53年3月です。 今の婆さん達は若いころにごぞってミニスカートはいてたんだよな
いずれルーズソックスもそんな感じの存在になるのかもね
自転車持ち込みは規則どおりなら大きさが完全にアウトだし
分解しても当時は別料金が必要だったが、尾小屋は徴収していなかったろうな 現役時代のキハ3
いい味出てる
文春OLはマニアックな記事が多い
つまり、そういうことだ >293
おつかれさん
むしろ40年以上も木橋が残っていた方が驚き
最期の方はとても渡れる状態ではなかったろうけど 東京の記者なのに尾小屋を知ってる時点で、もう素性は隠せないだろう。 廃線から45年も経てば、トンネルや橋が通れなくなっておかしくない
山間部なんか藪で近寄れないなんてザラだろうし 最近は雪の降る地域が極端に分かれるが
キハ2が救出されて残った車庫は無事だろうか
手が入ったとはいえ、尾小屋の建築物で残ってるのは尾小屋構内の車庫くらいではないか? 赤門はもう手を入れる事はしないだろうから
あと何年持つかだが 車輛が搬出された後、庫は解体されたとのこと(ネットで見た)
建物で残っているのはバス停に移転流用された塩原の駅舎ぐらいでは
バス廃止だとこれも危ういな これは呆気ない幕切れだな
ある意味救出移転されただけの車両達よりもニュースなのに
せめて一緒に報じて欲しかった
ただ、車両のその後も音沙汰なしだが
一連のなかで多少でも報じられただけマシという程度の扱いなのか 「車庫撤去後の尾小屋駅構内跡」というようつべで観た
大雪でなく水害で車庫が葬り去られるとはな
撮影者のナレーションは間違いが多いし、ちょっと情報の正確さが怪しいので
解体の理由が水害とは必ずしも断定できないが、なんらかの影響があったのは間違いないし
まあ屋根がかなり見た目的にも異変が出てたからね あの広い尾小屋駅構内が水に浸かるなんて、過去にあったのだろうか もし尾小屋が営業を続けていたなら、昨年の豪雨で橋が流され運休、そのまま廃止なんてなってたかもしれない
駅跡は水深20センチというから水田みたいな状態だったのかな 現役時代、いつ行っても尾小屋駅の構内には水たまりがあったような気がする
山に囲まれているので水が集まりやすいのかもしれんな 塩原の待合の管理はバス会社から小松市に移ったのかな
すると小松市の判断になるのか
代替タクシーが続くかの問題もあるが、相当老朽化してるだろう
あとは台風とか災害で壊れないか トンネルや橋梁、ホームのような堅牢な構造物に比べるとやはり木造中心の上物はやはり不利
むしろ木橋や塩原はよく残った方か
いくら軽便の小河川部分とはいえよく橋を木造にしたとは思うが、それでも近年まで残ったことを考えると
かなり丈夫に作られていたのだろう
素掘りに近いトンネルが崩落しないで残っているのは地盤の関係だろうか 46年目の春の尾小屋からは
とうとう車庫とバスが消えてしまった… 赤門はバトンタッチの大役を果たしたな。
ファン活動の成功例として扱ってほしい。
個人で最後まで面倒見るというのは無理。状況が整うまで保ち続けるのは立派な行動力だった。 お前ら日曜に粟津行かなかったのか?
年に2回しかない大増発の日だっのに 他にも軽便鉄道は多々あったのに何故に赤門は尾鉄に着眼したのか あの頃非電化の軽便鉄道は尾小屋しか残っていなかったから 赤門が見初めてくれたからここまで持ちこたえられたと思う
文句は言えない >>323
花巻があった頃はナローや地方鉄道が幾らか残っていたうえ、赤門の人達も
経済的にも社会的な力もまだ若くて足らなかったとか、、
昭和52年に至ってとても珍しくなったし、金も力もある年齢になったとか?