尾小屋鉄道を語ろう
軽便の中の軽便、尾小屋鉄道の思い出、そして今を語りませんか。 とりあえず、車庫もろともスクラップになる前に救出されてよかった
あの状態じゃ雨漏りはしてて当然だし、ただでさえ湿気の多い場所だったからな
さて、まずはキハ1やキハ3みたいにいじり過ぎて微妙な姿にならなきゃいいのだが… >>237
こんなことになってたなんて知らんかった
他の車両は無事だったの? 赤門は権利を手放したのか?
もう充分楽しんだろうけど
水に浸かったのは尾小屋構内の車両だけだろう
といってもかなりの水量があったんだろうな
まあ小さな河川だからめちゃ降りすれば起こり得る話だが >>243
そうだね,ハフ2だった
失礼
もう車体の形式標記すら読めない ん?
ハフ2は崩壊寸前どころか屋根下でテカテカしてるやつじゃ? ヤフーで「尾小屋 ハフ2」を検索すると
検索結果(画像トップ)で、展示館のがハフ2と紹介されて出て来るみたいよ
酷いなw 【悲報】尾小屋線金平〜尾小屋廃止
12月1日から短縮されてとうとう尾小屋に行かない尾小屋線になってしまった
法人消滅と減便からあっという間だったな…
合併なんかするとロクなことにならんね 事前登録が必要みたいだし
余所者は自力で行け、なのは、まあ仕方ないとして
尾小屋基準なのに、なぜか上り3本の内、昼過ぎの2便という謎ダイヤ
3往復の内、午前はたった一本
地元にとっちゃ、こういうのが使いやすいのか?? 趣味目線でいえば、どうせ回送させるくらいなら
予約のある時だけでも、途中ノンストップの快速便にして小松から尾小屋への往復利用に配慮すればいいのに
あと小回りの利くタクシーにするなら資料館か展示館まで行って利便性や利用を増やすとか
ま、必要最低限やれればよくて、そういう発想や意欲はないんだろうな 需要は限りなく小さいんだろうけど
展示館はいちおう小松市営だし鉱山資料館は県立なんだから
なんか公共交通で行ける手段はあってほしいにょ 地元利用だけだと、あとはただ単純に減っていくだけ
代替輸送にしろ、資料館にしろ余所からの利用を増やさないと仕方ないんだが
そういうのは行政は下手糞なんだよね
タクシーなんかにしてしまった以上、逆に大勢来られても困るということで
下手に増やしたくないのかもしれんが
赤字でもやってくれるのが強みだが、いずれ見放されるんだろうな これ、予約がないと運休なんだろうな
かつては冬にスキー場まで延長してたのに寂しいもんだ
知らない内に自然消滅しそう… 今年の夏にMatsui Hideki Baseball Museumへ行ったんだけど
行きも帰りも、のみバス利用者は俺一人だった
こういう観光スポットへバスで行く人自体がもういないのか ・日帰り出来ない糞ダイヤ
・事前登録(名前や連絡先)が必要 (→電話可)
・事前予約(日中の電話のみ)が必要 (→たった7時間)
つまり小松市としては‥
なるべく 「 使って欲しくない!! 」 ということだろうwww もひとつあった
ダイヤや予約先など代行タクシーの影がとても薄い
調べにくいわかりにくい、まさに知る人ぞ知る存在!w バスで尾小屋まで往復したのが昭和56年11月。
その後は自家用車になってしまった。 残った金平までも減便になってて2.5往復になってる
もう尾小屋線自体が長くなさそうだ
こういうのは衰退しだすと早いぞ
小松バスと共に尾小屋の公共交通機関は終わってしまったようなもん 小松 8:10 → 8:32 金平
金平 15:06 → 15:30 尾小屋
小松 15:30 → 16:02 金平 16:08 → 16:32 尾小屋
金平 17:06 → 17:30 尾小屋
尾小屋 8:10 → 8:34 金平 8:41 → 9:15 小松
尾小屋 13:30 → 13:54 金平 14:01 → 14:35 小松
尾小屋 14:35 → 14:59 金平
金平 16:11 → 16:45 小松
(小松) ← 550円 → (金平) ← 500円 → (尾小屋)
<事前登録> 住所・名前・性別・生年月日・電話番号(同居で同乗希望者の名前・性別・生年月日)etcを市役所に提出または電話
<予約方法> 前日までに名前・連絡先・人数・日付・便・乗降停留所(帰路の分と同時に)を小松タクシーに電話予約(9〜17時) ◆下り◆
小 松 8:10 → 8:32 金 平 ――――――――――――
―――――――――――― 金 平 15:06 → 15:30 尾小屋
小 松 15:30 → 16:02 金 平 16:08 → 16:32 尾小屋
―――――――――――― 金 平 17:06 → 17:30 尾小屋
◆上り◆
尾小屋 8:10 → 8:34 金 平 8:41 → 9:15 小 松
尾小屋 13:30 → 13:54 金 平 14:01 → 14:35 小 松
尾小屋 14:35 → 14:59 金 平 ―――――――――――
―――――――――――― 金 平 16:11 → 16:45 小 松
(小松) ← 550円 → (金平) ← 500円 → (尾小屋)
<事前登録> 住所・名前・性別・生年月日・電話番号(同居で同乗希望者の名前・性別・生年月日)etcを市役所に提出または電話
<予約方法> 前日までに名前・連絡先・人数・日付・便・乗降停留所(帰路の分と同時に)を小松タクシーに電話予約(9〜17時) 簡易テスターでチェックしてから再投稿したがダメだったか…w
ズレない良い方法はないものか……?
とりあえず使えんね
代替もテスターも5ちゃんもw 地元民なら断然クルマが便利だし、地元民以外だと抵抗あるな
こんなの誰が使うんだろ 鉄道時代なら確か駅前に旅館があったんだっけ
一日1往復になったくらいだから、末端はもう空気しか運んでなかったかも
3往復に戻しても、小松の滞在時間が6時間か1時間未満しかないって… 小中学生はスクールバスか自転車通学だし、高校生は時間的に厳しい、今どきの高齢者は皆免許持ちだから
となると、やはり路線バスとしては厳しい 仮に路線バスが復活しても
ここに書いてるやつは絶対乗らないに一票 遠方からだと、まず小松までが列車なのか車なのかというそっちの問題だと思う。 尾小屋の事例に限っていえば、オンデマンドは利用側には利点が乏しい
このままだと更に利用されなくなってしまいそう 移動手段に関係なく、尾小屋に宿あるといいな
空き家多いし、ゲストハウスみたいなやつでもかまわん 金平から先は片道くらい歩けるだろ
だけど小松から歩いても4時間くらいなのになんで1時間以上もかかるんだよ?!
自転車の方が早くない? >>276
観音下の先から尾小屋までは上り勾配が続くんだけど。
昔、尾小屋から小松市内まで自転車で30分で下りて来た。殆どペダルを漕ぐ必要が無かったな。 電動自転車や電動キックボードまである時代に
軽便鉄道より遅い乗り合いタクシーの出番が・・。 観音下から尾小屋は平均で20パーミル近くあるな
非力な軽便にはなかなかの勾配ではないかと思ったんだが
調べてみたら立山砂防は最大83もあったぞ >>277
輪行?
往復自転車とか?
何気に下り続きでスイスイなのわかる
気持ちいいよねw 尾小屋はどんどん寂しくなるな
路線バスの次は資料館があたりがなくなるか…? >>280
実は尾鉄廃止前後の数年間、新小松駅の近くに住んでました。
勿論、さよなら列車にも乗りました。
当時、家庭が貧困だったんで写真は殆ど撮れていません。
自転車で尾小屋へ行くときは、およそ一時間かかりました。
金野、沢~波佐羅、倉谷口の新道が無いときのことです。 >尾鉄廃止前後の数年間、新小松駅の近くに住んでました。
うらやまC 昔カネがあったかなかったなんかより、乗れたか乗れなかったかの問題だよな >>282
まさか「超」地元の方だったとはw
鉄道同様の当時のR416はさぞ風情があったでは?
バイパスとくに波佐羅や尾小屋トンネルみたいな道は、沿線らしくないというか・・
自転車で旧道を通って尾小屋駅に行くなんて今となっては夢のような話
あと新小松の廃線後の様子(変化)を知っているのも貴重ですね 普通の自転車で上り坂込みで16キロ1時間なら早い方だと思うけど
逆になんでバスと代行タクシーで1時間以上もかかるのか?? 廃線時の尾小屋は当時としては結構な賑わいだったようだがまったり感はある
これが現代だったら、葬式鉄で地獄の絵図と化していただろう 昭和45年頃の車内の様子の写真を見たことがある。
20歳くらいのミニスカートのかわいいお姉さんが写っていたけど、ご存命ならそろそろ後期高齢者にさしかかる頃かと思う。 自転車をそのまま車内に積んでた画像みたことあったな
今どきの会社みたく規則だなんだとつまらんことを言わないのがいいね
277氏もやったのだろうか >>289
チャリで尾小屋まで初めて往復したのは廃止後の昭和53年3月です。 今の婆さん達は若いころにごぞってミニスカートはいてたんだよな
いずれルーズソックスもそんな感じの存在になるのかもね
自転車持ち込みは規則どおりなら大きさが完全にアウトだし
分解しても当時は別料金が必要だったが、尾小屋は徴収していなかったろうな 現役時代のキハ3
いい味出てる
文春OLはマニアックな記事が多い
つまり、そういうことだ >293
おつかれさん
むしろ40年以上も木橋が残っていた方が驚き
最期の方はとても渡れる状態ではなかったろうけど 東京の記者なのに尾小屋を知ってる時点で、もう素性は隠せないだろう。 廃線から45年も経てば、トンネルや橋が通れなくなっておかしくない
山間部なんか藪で近寄れないなんてザラだろうし 最近は雪の降る地域が極端に分かれるが
キハ2が救出されて残った車庫は無事だろうか
手が入ったとはいえ、尾小屋の建築物で残ってるのは尾小屋構内の車庫くらいではないか? 赤門はもう手を入れる事はしないだろうから
あと何年持つかだが 車輛が搬出された後、庫は解体されたとのこと(ネットで見た)
建物で残っているのはバス停に移転流用された塩原の駅舎ぐらいでは
バス廃止だとこれも危ういな これは呆気ない幕切れだな
ある意味救出移転されただけの車両達よりもニュースなのに
せめて一緒に報じて欲しかった
ただ、車両のその後も音沙汰なしだが
一連のなかで多少でも報じられただけマシという程度の扱いなのか 「車庫撤去後の尾小屋駅構内跡」というようつべで観た
大雪でなく水害で車庫が葬り去られるとはな
撮影者のナレーションは間違いが多いし、ちょっと情報の正確さが怪しいので
解体の理由が水害とは必ずしも断定できないが、なんらかの影響があったのは間違いないし
まあ屋根がかなり見た目的にも異変が出てたからね あの広い尾小屋駅構内が水に浸かるなんて、過去にあったのだろうか もし尾小屋が営業を続けていたなら、昨年の豪雨で橋が流され運休、そのまま廃止なんてなってたかもしれない
駅跡は水深20センチというから水田みたいな状態だったのかな 現役時代、いつ行っても尾小屋駅の構内には水たまりがあったような気がする
山に囲まれているので水が集まりやすいのかもしれんな 塩原の待合の管理はバス会社から小松市に移ったのかな
すると小松市の判断になるのか
代替タクシーが続くかの問題もあるが、相当老朽化してるだろう
あとは台風とか災害で壊れないか トンネルや橋梁、ホームのような堅牢な構造物に比べるとやはり木造中心の上物はやはり不利
むしろ木橋や塩原はよく残った方か
いくら軽便の小河川部分とはいえよく橋を木造にしたとは思うが、それでも近年まで残ったことを考えると
かなり丈夫に作られていたのだろう
素掘りに近いトンネルが崩落しないで残っているのは地盤の関係だろうか 46年目の春の尾小屋からは
とうとう車庫とバスが消えてしまった… 赤門はバトンタッチの大役を果たしたな。
ファン活動の成功例として扱ってほしい。
個人で最後まで面倒見るというのは無理。状況が整うまで保ち続けるのは立派な行動力だった。 お前ら日曜に粟津行かなかったのか?
年に2回しかない大増発の日だっのに 他にも軽便鉄道は多々あったのに何故に赤門は尾鉄に着眼したのか あの頃非電化の軽便鉄道は尾小屋しか残っていなかったから 赤門が見初めてくれたからここまで持ちこたえられたと思う
文句は言えない >>323
花巻があった頃はナローや地方鉄道が幾らか残っていたうえ、赤門の人達も
経済的にも社会的な力もまだ若くて足らなかったとか、、
昭和52年に至ってとても珍しくなったし、金も力もある年齢になったとか?