【八丁畷】荷物列車【汐留】
EF61は何で(末期は)東京口に入らなかったんだ?
短期間ながらブルトレも牽いたカマなのにな 荷物電車の方が機動性があっていいでしょう
衰退するのは自明の理 >>213
もしゴハチと共通運用じゃなかったなら、
離脱に次ぐ離脱で広域運用を賄えなくなっちゃったから、とか? EF61 ・・・ 長期計画では上越線に投入して、水上の補機を廃止にしたかったようです。
64計画前なのかな?
たしかに61も勾配対策だっけ? >>219
EF61 201と混同してない?
当時、SG付の旅客用新性能直流機として名前が上がっただけ。
発電ブレーキも無い「平坦線」用のEF61何ぞ、上越じゃ補機無しでは無理。EF16のお世話になるのは変わらなかったね。 EF61を計画どうりEF61 100番台に全車改造してEF16も置き換えって意味かな。 ↑
それ瀬野八の話
EF59の置き換えにEF60の一次型改造でEF61 200を作ったけど、重連で押すと中間に挟まれた貨車が競り上がり脱線するのが解ったの。
で、均衡して運転するには無理として計画が頓挫したけど、チョッパ制御のEF67で問題解決した訳。
EF61 200の話が上手くいっていれば、続けてEF61改造のEF61 100を作る予定だった。
以前EF61自体瀬野八で151系や153系の補機に使われた事が有ったから、その名残りで、自連解放シリンダーを装備したままだった。
上越は高崎のEF58代替機として、EF64をベースに耐寒耐雪装備の新形式を投入したかった。多分EF67か68。
しかし、新形式投入による現場研修その他の繁雑さを組合が嫌うのを恐れ、既存のEF64の改良型だから納得して欲しいとして、EF64 1000の導入に踏み切れたわけよ。 219の人の言いたい事を>>222の俺が補足したつもりが話ややこしくしたな。上越のゴハチ置き換えと前後して東海道のゴハチもD型チョッパ制御のカマも計画されてたな〜。 昔の駅の営業範囲をみると「配達はしない」てのと「集貨及び配達はしない」
ってのがあるんですけど、前者は集貨はするってことでいいんですかね? 二条駅によく母の里からの荷物を受け取りに行ったな〜たいてい夜の8時頃だったが京都市内とは思えないくらいひっそりしてた二条駅。荒縄に縛られた段ボール箱を自転車の後ろに載せて 親父と歩いて帰った。鉄道荷物の利用経験を語ってみた。
久大本線運用のキハ45−601.602分オイは良かった簡易荷物気動車
客室をカーテンで仕切っただけ。 >>228
それ位なら今でもよく見るね。東海道本線とか山陽本線で見たことあるよ。
あと、近鉄電車の最後尾車両を使っての新聞配達とか。 マニ50は冷房化を見越した設計になっていたらしいが
想定通り冷房化されていたら
どういう何基の冷房装置をどういう配置で冷房化したんだろうね? 50系って言えば、俺旧客ファンからすれば
憎い存在だったが、旧客全滅の前に短命ですっかり姿消しちゃったな。
昔の10系軽量客車しかり、タイミングが悪かったと言うか・・・。 >>232
運不運ってあるよね
10系と20系でなんであんなに寿命が違うのかとか
181系と485系もそうだなあ 運の悪い車両
スハニ35 12 → マニ35 2201
新製配置仙台、 すまん、途中送信・・・orz
運の悪い車両
スハニ35 12 → マニ35 2201
新製配置仙台、以後東北地区を離れず、本来の用途である特急に使われることなく、
S40にはマニ35に改造、S47には廃車。
他のスハニ35は特急に使用されるか、スハニ35 10・11でも何らかの形で遅くまで生き残った。 マニ35でもマニ36でも
スハニ35改造車だけが何故TR47系台車を履いていたんだろうね?
他が種車のものは、履き替えも含め
TR23系台車なのにね >>236
改造が面倒だっただけじゃないか?
TR23を付けるとなると、枕梁の関係で簡単にはいかんだろうから。
マニ36のうち、電暖車は早期に廃車になっているが、あとは比較的長命。
結局、か履き替えるまではなかったと。
電暖車は運用制限でもついたのだろうか? >>237
スロ60とか特ロからの改造車は全て
TR47系からTR23系に履き替えてるんだけど
唯一スハニ35改造車だけがTR47系のままなのが不思議 >>238
TR40とTR47は別物だよ。特ロ(60・50含む)とスハ43・44・スハニ35etc.の台枠構造の差による。
あくまで推測だが、特ロ改造車は汎用性からTR23に変えたのでは。
(先の電暖化車が早く廃車になっている)
また、スハニ35のほうが構体重量が軽いのではないだろうか?
以上、あくまで推測。
細かいところは調べてくれ、腰が痛くて起き上がれん・・・●___ オハネ17→スハネ16やスユニ50に履かせていたことと関係あるのかな>TR47 >>240
スユニ50は無関係だが
オハネ17やスハネ16は関係あるかもしれない 最末期の名古屋から大阪方面に発着してた荷電ってクモニ143+クモユニ147の2両編成? >>233
新前橋の165系なんて極端な例だろ
同じ形式ながら
国鉄時代にスクラップになった奴と
JRに継承され、数年前まで現役だった奴とでは
車齢が倍近く違う
更には
107系に改造されながらも現役のものまでいる え、107系って165系の部品流用だけかと思ってたよ・・・ >>244
107系は改造じゃなくて新造扱いだったね >>246
車体新製でも
スユニ50やクモユニ82なんかは改造名義だったがな
事業用貨車だが
ケ10は台車くらいしか流用は無かったとか そういえば…何処かの鉄系サイトで荷物車・郵便車を貨車、荷物列車を貨物列車と
表現しているところがあった。
そもそも荷物車・郵便車は旅客こそ直接は乗せないが、本来は旅客列車に連結され
旅客車として扱われるもの。なればこそ荷物列車も旅客列車の扱いだった。
しかし旧国鉄時代に実質その運用は終わりを告げJRには殆ど継承されていない上に、
既に20年以上経ってしまったから最近の若い世代には知らない人、勘違いしてる人が
いても仕方ないのかな?
(因みに前述のサイト、BBSが無く管理人のメールアドレスも判らず指摘のしようが無かった…URL?記憶にないし履歴も消えた) ちょっと荷物列車と離れるかも知れないけれど…荷物輸送が当たり前だった頃、急行停車駅クラスならまず確実にあったのがテルハ。
いあ、正式名称は知らないけれどそんな感じで呼ばれていた荷物運搬用のエレベーター。
荷物輸送が実質壊滅してしまったので無用の施設として多くは撤去されちまったようだが今にして思えばアレを残しておけば、或い
は旅客用エレベーターに改造することでバリアフリー対策に活用できたのでは?
ふとそんな気がした。 テルハはホイストクレーンの亜種みたいなものだから、そのまま人員用に使うのはムズイよ。
荷物用エレベーターで荷物を移動させてた駅では、そのまま人員用に流用した駅は結構ある。 >>250-251
富山駅大阪方にある(あった?)車椅子用EV、あれはテルハの転用でよいですか?
もっとも0系が引退した日に見た話だから、北陸新幹線関連の工事が進んだ現在はどう
変化したか知らないのですが、一応カキコ…。 スユニ50+50系座席車は見かけたが、マニ50+50系座席車の純新製車のみ列車ってあったのかな? 新幹線は開業時から義務用エレベーターがあって、移動困難なお客さんにも使用していました。 >>253
>スユニ50+50系座席車は見かけたが、マニ50+50系座席車の純新製車のみ列車ってあったのかな?
↑
言われてみると、50系座席車&マニ50が併結された写真を見た覚えはないです。
富カタログには編成例として載ってましたが、実際はどんなものでしょうか?
RF82年10月号の荷物列車編成表に、確か九州の荷レでオハフ50が1両だけ連結されていた
のがあります。回送だったのか、ロングシート付近を荷物車代用にしていたのかは不明。 >>255
回送ではない座席車1両って、操車場や貨物駅への職員通勤用かもね。東小倉とか。 EF62牽引の東海道荷物列車
EF62 15関
マニ44 2006
ワキ8953
スユ15 2017
スユ44 9
マニ50 2055
ワキ8580
ワサフ8533↓
ワサフ8515↑
マニ44 2123
編成中ワサフ二両というのも珍しい?
>>257
まあ、車両不足だとありがちかも?
それにしてもEF62時代には随分減車されてたのに9両編成+機関車は長めですね
換算編成でもかなり低いのかな? これは昭和60年1月4日の記録です
もしかしたら回送車を連結してたのかもしれません。
EF62のホイッスルは低音でした。
汽笛カバーを取り外したのでしょうかね? 機関車のホイッスルごときでも騒音公害と騒ぐ輩が増えたからねえ・・ まあ夜中の3時とかに吠える犬は騒音だけどね
関係ないけど毒餌って何がいいかねえ ダイソーで犬の忌避剤売ってたが、
犬が氏んだらどうするの?と家人に購入を阻止された。
橋本電留線や新山駅の番犬、どうしてるかな〜もう代も変わったろう。 毒餌は下手に撒いて足が付くと自分が痛い目にあうだけだからやめとけ 台湾か。行ってみたいな。
ガラベンとか含めて日本型でも通用しそう >>266
元々、日本が作った鉄道で今なお日本製車輌多数在籍だからね
確か両開き通勤型客車を転用してる場合もあるんだっけ? >>268
だが両開きのは日本製ではなく印度製だと聞いている
(片開きには日本製のがあったが、現存してるだろうか)。
サイズが日本の客車のに似てるし、昔の日比谷線みたいな
ガラベンもついてたりして、日本が技術指導でもした
のかどうかが知りたいところ。
さすがにシル・ヘッダーつきの合造車は残ってないだろうけど、
一見軽量客車風(妻は旧客っぽい)の荷物車の中には、
荷扱いドアが側構えの中に設けた戸袋に収まる仕組みのがあり、
やはり雰囲気が日本のものとは異なると感じられる。 >>269
片開きの客車って、荷物列車の代用客車に使われていませんでしたっけ? >>270
こちらもその現況を知りたい。
現存するなら懐かしくはなくなるけど、
小荷物輸送を追体験する、ということで。 昔国鉄の合理化で駅員無配置にしたってのがたくさんありましたが、
とある駅でそれに伴い荷物取扱廃止になったっていう事例があるんです。
公報の公示にはそう書いてあるのに、簡易委託を受託したその自治体の
広報には「荷物は発送のみ取扱います」と書いてあるんです。
これはどういうことなのでしょうか? >>273
国鉄側から見れば、一集荷所がたまたま駅と同居してる(荷物の運賃はその駅からでなく本来の荷扱駅から計算)
自治体側からすれば、荷扱なしだと駅の格が落ちる感じがするから面子上荷扱しているように書く
ってことなのかな?
駅前に日通支店があった駅なんかは、貨物・荷物扱い廃止後も駅務の代行で受託してた。
拠点駅から支店までは自動車道輸送で。 長距離トラック輸送を一切禁止するくらいの荒療治で
貨物・荷物は全部鉄道強制ってのはどうだろう リニアが出来た後の東海道新幹線でフランスの郵便専用TGVみたいなやつを走らせても良さそう
速達郵便専用新幹線や宅急便専用新幹線は需要有りそう >>285
新東名と新名神の中央分離帯に貨物新幹線を走らせる計画はあるな
実現性はアレだが >>285
レイルゴー(だったっけ?)があったよな
もう無いなら
需要が小さいか、採算が合わないんだろうな レイルゴー、東北・上越新幹線に残っているな。
昭和55年ごろ、郵便コンテナ(大きさは知らぬ)を新幹線
(専用車かどうかは知らぬ)に積ませる公式な案が新聞に載った。 入場券で荷だなに書類載せ、着地も入場券でそれを受け取るってやった会社が摘発されたことあるね。
その荷物をこっそり時限爆弾と入れ替えてって話を西村京太郎が書いてたな 昭和57年3月
荷???レ
EF58 1浜
マニ36 73
マニ44 2104広セキ
ワキ8763広セキ
マニ36 227門モシ 門荷2 マニ44 2095門モシ
ワキ8573門モシ
スユ15 2007
スユ44 1南トメ
オユ11 1008
マニ50 2020南トメ
マニ44 2035南トメ
以上11両 鉄道荷物用の針金の付いた荷札ってどこの家庭でも常備してたのかな、母が遠方の出身だったため我が家は鉄道荷物をよく利用していたのであの荷札は昭和53年頃まで確実に常備してました。皆さんの家庭ではどうでした? 「エフ」と呼びます。
鉄道に限らず、郵便局でも縄掛け小荷物のお供でした。 家庭じゃないけど職場に常備されてるw
工場なんだけど部品のサンプルや不良品の見本なんかに。
確かに「エフ」って呼んでるな。 會符(会符)と書くんだったか
有料ゴミ券がえふの地域があるね。
>>294
郵便にも使える白や、「様」だけ印刷されたものはあったが、
専用印刷がされた「鉄道荷札」はなかったな…
>>295
郵便も、鉄道荷物廃止と相前後して送り状方式に。
えふの形の「小包はがき」なんてのもあったね。
>>296
無地えふは、そんな用途で、粘着テープ厳禁の世界では現役だね。 >>294
離島に住んでるばーちゃんちで今も現役、常備中だよ。
船は今も小荷物扱いがあって着港名と名前を書いて使う。
確かに「えふ」って呼んでる。 >>294-295
鉄道荷物は発着共に利用した事は無いが、郵便小包ならある
確かに荷札は家の常備品だったな
でもウチでは荷札と呼び、エフとは言わなかったな
今は宅配便のにとって変わったが・・・
蛇足だが
小包に親書を同封出来ないので、親書を同送するために
小包はがきというものがあった
これも荷札状のもので、料金ははがきと同じ
はがきと同じ切手みたいなのが印刷されていた
実態として親書的なものは同封で同送されていたから
小包はがきは全くと言っても良いほど普及しなかった >>300
なるほど
じゃねぇよ 馬鹿
厨はウザイから消え失せろ 荷札って見たことない人も多いんだな。
取扱注意とかな。 まだ急行東海があったころの東海管内の駅では、遺失物にエフ状の取り付けて管理してたっけ。 だいたい駅から駅まで荷物を送れたのも知らないんだろうね。 >>309
古い駅舎が残っている駅だと
今となっては無人駅でも、荷物の窓口の名残が残っている駅も多いよね
有人駅だと自動販売機スペースになっていたりする 時刻表の急行荷物のダイヤを見る度にこのスジで旅客列車を運転してくれと思ったものだ。 トマス・クック世界時刻表が荷物列車を長距離急行として掲載したことがある。
旧国鉄に「資料くれ」と言っても無視されてしまい、しゃーねーからJTB時刻表を元に翻訳して世界に出した。「別枠だからスペシャルトレインだろう」と。
国鉄は外人旅行者の問い合わせで知って、大急ぎ英文時刻表を作りクックにも送ったそうだ。