【八丁畷】荷物列車【汐留】
汐留〜隅田川間の連絡荷物列車も走ってたね。
最初は東京・上野経由だったのだろうか? >>143
最後まで上野経由だった筈。EF15が牽いていましたね。 >>145
神田〜秋葉原間廃止後も残ってた記憶が有るが貨物列車の間違いかな? >>143
どうだろう?隅田川〜上野〜東京と来ても、汐留に入るには品川まで行って折り返す必要がある。
少なくとも昭和50年代は山貨経由。その前、東海道東北連絡線があった頃はどうだったんだろう? いま、成田発1836の普通列車千葉行きに乗ってるけど千葉寄り先頭車に特設荷物場所設定あり
もしかしなくても成田線の昔の荷電併結ダイヤなのかな?
どうやら銚子始発だし
総武本線の14時か15時頃にも、10年ほど前まではあったよ。
今でもあるのか分からんけど。 上野発長岡行き733Mも荷電が1両ついていて、高崎と新前橋での長時間停車と
新潟に入ってからの新聞降ろしが印象に残っている。 ご存知の方ご教授ください。
クモニ83やクモニ143系は113系や115系、165系といった多くの車種と併結して運用されてましたが、
クモニ74、83といった旧型車を種車にした荷物車とクモニ143といった新性能車が併結した状態で更に113系、115系と併結していた様な運用例といったものはあったのでしょうか?
クレクレ君で申し訳ありませんがどなたかご教授頂ければと思いますのでよろしくお願いします。 営業運転の荷電で旧性能/新性能混結の事例はないんじゃない? >>154
クモニ83+クモユ141なら、旅客車に併結して運用していた事例はありますよ 東京発大垣行と上野発長岡行の夜行が有名だった。
大垣はクモユニ74との併結も存在した。 昔の時刻表に荷物列車のダイヤが載っていましたが、荷物列車の設定がなく普通列車に荷物車か郵便車が連結された路線のページに荷物車か郵便車が連結されている記述がありません。
荷物車が連結されている急行や荷物列車の停車時刻(乗換駅)から推定してどの列車に荷物車か郵便車が連結されていたことを推定すればいいのでしょうか?
荷物列車で一部区間旅客車を増結して営業列車になる区間も有った。
たとえば荷41列車が1041列車になったり。
外国の話は微妙にスレチだと思うけど、
去年シベリア横断したときは荷物列車だらけで驚いた。
(貨物列車の密度も濃いけど)
駅に停車する度に、ホームに止まってるのが荷物車+郵便車の列。
大きな駅だと荷物車用のホームが別にあったりする。
で、何編成も留置されていたり。
日本と同じで荷物車+郵便車は旅客用の電機が牽引してて、
あくまで旅客列車扱いなんだなぁと妙に感心。
しかし、あのだだっ広い国土での荷物車・郵便車の運用はすごいことに
なってるんだろうなぁ。平気で1週間以上の運用ありそうだし。
(郵便車は区分もやってるようだった)
ところで急行荷物列車に相当する列車って、ロシアと中国、あと台湾にはあるの
確認してるけど、他の国にはあるの(あったの)かいな……?
某オークション
出品されていたマニ44、また落札出来なかった...
大手Nゲージメーカーさんよ、早く量産してくれよ。 >>130
つまり専用車の存在だろ。
専用車がなくても制度として客室代用とかはロクにこねぇんだよな。
新聞電車113系だって最後まで目立たないくせに
首都圏113系なのか大量に来たし。
ちなみに小荷物制度は私鉄でいくつか制度はあるし。
きっぷヲタとかなら知っているだろうけど。 10年ぐらい前だったかなぁ?隅田川のセメント荷役線手前にマニ30がよく留置されていた。
冷房車=郵便車だと思っていたので廃車体、若しくは救援車代用だと思っていたよ。 昔の時刻表の荷物の営業案内で「列車指定荷物のご案内」を見ると
急行荷物列車・・・100円加算
特急列車・・・小荷物運賃相当額を加算
となっているけど特急の場合は倍額って事?
すごく割高な気が・・・。
宅急便などなかった時代、
時間が読めて画期的に速い特急の荷物は、
かなり有用だった筈。 >>169-170
いまでのレールゴーサービスとか残っていることを
考えるとすぐわかると思う。
撮り鉄とかだと絵になる写真とかしか興味ないけど
現状考察できる知識や知恵があればすぐわかるよ ヤマトの翌日10時サービスとか通常料金の3倍。
どちらかっていうと速い方が良いかなぁ位の書類を
ばしばし送ってたら庶務の女性(なかなか美人)に
「〜さん!それってすごく料金高いんですけど本当に
急ぎなんですかっ?」ビシッと怒られたw >>170ー171
成程。単純に高いぐらいにしか思ってなかったけど一理ありますな。勉強になりました。
>>172
あれってそんなにするんですか!
知らんかったす。
暖房の話。
ゴハチ(SG)が減ってロクニ(電暖)に変わって行った東海道・山陽線。
でも九州はナナロク(SG)で蒸気暖房だったと思うんです。
さて…
1)荷物、〒の客車は途中で機関車の電気/蒸気の暖房方式が変わっても、
どちらも使用できてた?
2)実は、ED76も交流機で電気暖房の線が付いてた?
3)寒いけど我慢してた(^^;)
何方か御存知でしょうか? 2000番台は電暖「対応」車で、SGの引き通し管も備えていた幡豆。
THX、なるほど!
荷物列車も末期には、2000番台化がほぼ完了してたんですね! RJの増刊「客車列車(1984年)」によれば
59.2〜60.3の4033レ(大阪0553→上沼垂2101)に「大荷52」で上沼垂方にマニが1両連結、とあったんだけど
これは常時マニ50? ←画像検索だとこれしか出てこない
それともマニ50とマニ36の混用?
どなたかわかる方がいればお教えいただけると助かります
>>175
こんな質問するようでは
荷物列車のことを何にも分かってないのが丸見え。 >>175
つまらんレスしてるのがいるが気にするな!
俺だって書き込んでるけど>>175の質問には答えられなかった
>>179の言う「何も分かってないのが丸見え」だが興味を持っては
いけないとは思わない。むしろ興味があるから質問したのだろう。
趣味の先輩なら後輩の疑問には応えてやれ。 >>177
東海道筋のEF58は東北筋とは違いSG車だったと思う。
S50年代後半に、東海道筋ではまだ残っていた古いマニなどの
電暖未対応車を用途廃止にしたような気もするが… 50系荷物車がすべて電暖付で製造されて、
電暖なしの旧型が置き換えられたはず EF58などの場合蒸気暖房搭載車は電気暖房の引き通しが有ったの?
客車も2000番台とか別れてるけど併結出来なかったの?
機関車はSG搭載、EG搭載、暖房装置非搭載の3つに分かれててSG、EGどっちも搭載してる車はなかった
EGカマ+EG客車+SG客車 なら、EG客車には暖房を引き通せる
SGカマ+EG客車+SG客車 だと、うしろのSG客車まで引き通せる(EG対応車はSGの引き通しもあるから)
逆に
EGカマor暖房非搭載カマ+SG客車+EG客車 だと、間のSG客車に引き通しがないし、カマにSG装置もないので客車には暖房が届かない
この場合は「ヌ(暖房車)」を連結しないといけない
非搭載カマは説明しなくてもわかるよね?>>183
DD51の貨物型にはSG引き通し管があったんだっけ? すいません、なんとなくですが自己解決
鉄道ジャーナル別冊の「国鉄私鉄客車列車1984」によれば宮原のマニ36は84.4.1時点で5両在籍
ジェー・アール・アール「国鉄気動車客車情報'85年版」で2056・2058・2064・2067・2135の5両が84.7.18付で廃車
当時宮原には「大荷52」を含めた9本の運用にマニ50が35両分配置されていたので、
マニ36が「大荷52」に入れた可能性はあってもかなり低かったのだろう、という結論に達した次第
お目汚し失礼しました
確か、59-2改正以降、吹田操車場跡にマニ36が何両か留置されていた様に思います。
宮原のマニ36が1984年で全廃されている事から見ても、59-2改正の時点で全車運用から外れていた
可能性が高いと思いますよ。 >>187
元々は「国鉄私鉄客車列車1984」の荷物列車編成の記述に「マニ(マニはマニ50またはマニ36)」とあったので
実際はどうだったのだろうか、と思って調べ始めた次第です
怪我の功名でもないですが、別途ジェー・アール・アール「国鉄客車ガイドU」で
85-3〜86-3までの荷物列車編成やユ・ニ併結列車の情報も得られたので
ますます当時の荷物列車への興味が深くなりました
(本当はこれに82-11〜84-2の間の情報を探せられれば、個人的にはなおよいのですが)
ありがとうございました 昔は一寸大きな駅だと小荷物扱いというのがあって
ターレが構内を走っているのを幼少の時に見ていた。
厨房の頃、旧国乗りに身延線へ行き
クモハユニ44に乗った時
山間の駅で停車すると、なぜか
ホーム反対側の荷物扉がガラガラと音を立てて開いた
すると、放物線を描く液体が・・・
長閑な時代だったねぇ 遅レスだが、東海道の荷レは諸兄が書かれたように59-2の改正で4月からのEF62切り替えに備え全編成電暖対応化してるね。
同時にゴハチもEF62切り替えに備え下関集中配置。もちろん全機SG。
だから例えば荷33レを浜釜が牽いてる写真でも編成見ると、関集中時代かそれ以前かある程度わかる。
東海道・山陽でEF62の前にEF61牽引って有りませんでした? >>192
ゴハチと同じ時代です。SG持ってたし。下関集中組には入らず59/2改正まで
の活躍なので、二ヶ月ほどゴハチより早く荷レ運用を去り実質現役引退。
最後は浜松だか静岡だか沼津だか静岡県以西の運用だったはずなので、
東京口には顔を出していませんでした。 35列車の重連が一番印象的だった。
あとはお召予備の60号機が見れた時。 >>194
EF58って地味な荷物列車を牽く
車体ベコベコの薄汚れた機関車というイメージ
EF61の牽く荷物列車を見たかったものの
EF61は>>197のとおり東端は浜松
修学旅行で奈良・京都へ行った際の新幹線車内からしか見れなかった >>193
EF61は新しい分、軽量化のために車体がヤワで
末期はSG付近の天井が落ちた車が出たんじゃなかったかな? >>195
それをどうしたいの?写真撮りたいの?荷扱いとか調べたいの?
情報クレクレなの?? >>201
もともとEG化する予定なんで屋根も薄かって最初に何番だかの屋根が崩壊した時修理コストが掛かり過ぎたから以降は穴が空くと運用離脱したって聴いたような。 ご教示をお願いします。
荷物列車には途中の駅で連結・解放・入換などをこなしながら、最終的な目的地を目指して走ったスジもあったと記憶しております。
特に客車の場合は自走できないため、機関車による作業となるわけですが、その様子をお聞かせ下さい。
解放の場合は、DDなどの入換え機ではなく、牽引機が作業に当たっていたように記憶しております。
しかし連結の場合は、いつ・どのように側線に置かれていたのか、また解放された客車がその後、どう移動されたのか等が分からないのです。
よろしくお願いします。 >>204
駅によって扱い方は違うと思う。のでレスできない >>205 有難うございます。ある駅での事例でも結構です。 >>204
途中駅での荷物車連解結は見たことないのでわかりませんが、ご自身がご覧になった様子から察するに
1 その駅止まり(又は発)の荷物車は、その本務機が押し込んで(又は引っ張って)た
2 その駅を中継して別列車に連結(又は解結)するのは、それぞれの本務機がやっていた
ということで、ご自身が答えを出してるのではないかと推測されますが・・・ 連結・解放の車両の位置や電化されてるかでちがうでしょ。 >>206
いろんな例があるということだネ。結局は。 EF61は何で(末期は)東京口に入らなかったんだ?
短期間ながらブルトレも牽いたカマなのにな 荷物電車の方が機動性があっていいでしょう
衰退するのは自明の理 >>213
もしゴハチと共通運用じゃなかったなら、
離脱に次ぐ離脱で広域運用を賄えなくなっちゃったから、とか? EF61 ・・・ 長期計画では上越線に投入して、水上の補機を廃止にしたかったようです。
64計画前なのかな?
たしかに61も勾配対策だっけ? >>219
EF61 201と混同してない?
当時、SG付の旅客用新性能直流機として名前が上がっただけ。
発電ブレーキも無い「平坦線」用のEF61何ぞ、上越じゃ補機無しでは無理。EF16のお世話になるのは変わらなかったね。 EF61を計画どうりEF61 100番台に全車改造してEF16も置き換えって意味かな。 ↑
それ瀬野八の話
EF59の置き換えにEF60の一次型改造でEF61 200を作ったけど、重連で押すと中間に挟まれた貨車が競り上がり脱線するのが解ったの。
で、均衡して運転するには無理として計画が頓挫したけど、チョッパ制御のEF67で問題解決した訳。
EF61 200の話が上手くいっていれば、続けてEF61改造のEF61 100を作る予定だった。
以前EF61自体瀬野八で151系や153系の補機に使われた事が有ったから、その名残りで、自連解放シリンダーを装備したままだった。
上越は高崎のEF58代替機として、EF64をベースに耐寒耐雪装備の新形式を投入したかった。多分EF67か68。
しかし、新形式投入による現場研修その他の繁雑さを組合が嫌うのを恐れ、既存のEF64の改良型だから納得して欲しいとして、EF64 1000の導入に踏み切れたわけよ。 219の人の言いたい事を>>222の俺が補足したつもりが話ややこしくしたな。上越のゴハチ置き換えと前後して東海道のゴハチもD型チョッパ制御のカマも計画されてたな〜。 昔の駅の営業範囲をみると「配達はしない」てのと「集貨及び配達はしない」
ってのがあるんですけど、前者は集貨はするってことでいいんですかね? 二条駅によく母の里からの荷物を受け取りに行ったな〜たいてい夜の8時頃だったが京都市内とは思えないくらいひっそりしてた二条駅。荒縄に縛られた段ボール箱を自転車の後ろに載せて 親父と歩いて帰った。鉄道荷物の利用経験を語ってみた。
久大本線運用のキハ45−601.602分オイは良かった簡易荷物気動車
客室をカーテンで仕切っただけ。 >>228
それ位なら今でもよく見るね。東海道本線とか山陽本線で見たことあるよ。
あと、近鉄電車の最後尾車両を使っての新聞配達とか。 マニ50は冷房化を見越した設計になっていたらしいが
想定通り冷房化されていたら
どういう何基の冷房装置をどういう配置で冷房化したんだろうね? 50系って言えば、俺旧客ファンからすれば
憎い存在だったが、旧客全滅の前に短命ですっかり姿消しちゃったな。
昔の10系軽量客車しかり、タイミングが悪かったと言うか・・・。 >>232
運不運ってあるよね
10系と20系でなんであんなに寿命が違うのかとか
181系と485系もそうだなあ 運の悪い車両
スハニ35 12 → マニ35 2201
新製配置仙台、 すまん、途中送信・・・orz
運の悪い車両
スハニ35 12 → マニ35 2201
新製配置仙台、以後東北地区を離れず、本来の用途である特急に使われることなく、
S40にはマニ35に改造、S47には廃車。
他のスハニ35は特急に使用されるか、スハニ35 10・11でも何らかの形で遅くまで生き残った。 マニ35でもマニ36でも
スハニ35改造車だけが何故TR47系台車を履いていたんだろうね?
他が種車のものは、履き替えも含め
TR23系台車なのにね >>236
改造が面倒だっただけじゃないか?
TR23を付けるとなると、枕梁の関係で簡単にはいかんだろうから。
マニ36のうち、電暖車は早期に廃車になっているが、あとは比較的長命。
結局、か履き替えるまではなかったと。
電暖車は運用制限でもついたのだろうか? >>237
スロ60とか特ロからの改造車は全て
TR47系からTR23系に履き替えてるんだけど
唯一スハニ35改造車だけがTR47系のままなのが不思議 >>238
TR40とTR47は別物だよ。特ロ(60・50含む)とスハ43・44・スハニ35etc.の台枠構造の差による。
あくまで推測だが、特ロ改造車は汎用性からTR23に変えたのでは。
(先の電暖化車が早く廃車になっている)
また、スハニ35のほうが構体重量が軽いのではないだろうか?
以上、あくまで推測。
細かいところは調べてくれ、腰が痛くて起き上がれん・・・●___ オハネ17→スハネ16やスユニ50に履かせていたことと関係あるのかな>TR47 >>240
スユニ50は無関係だが
オハネ17やスハネ16は関係あるかもしれない 最末期の名古屋から大阪方面に発着してた荷電ってクモニ143+クモユニ147の2両編成? >>233
新前橋の165系なんて極端な例だろ
同じ形式ながら
国鉄時代にスクラップになった奴と
JRに継承され、数年前まで現役だった奴とでは
車齢が倍近く違う
更には
107系に改造されながらも現役のものまでいる