【昭和50年代】国鉄特急の絵付きマーク【末期】
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俺は特に鉄というわけじゃないけど、子供の頃買ってもらった国鉄特急の本は
まだ大切に持ってる。確かに今の特急の方が、デザインも洗練されてるし、
かっこよくも思う。
しかし、それでも旧国鉄特急に魅入られ、今も愛着があるのは、あの旅情を誘い、芸術性も
込められていた絵付きマークに他ならないからだ。当時は国鉄もグッズをいっぱい
出したりしたというけど、物心付く頃のガキの俺にはそんなの知る由もなかった。
その頃こんなグッズかあったとか、また写真撮りに行ったとか、消えた時には
哀しくなったとか何でもいい。
ただ、マークについて存分に語ってみてくれ。
※ブルトレのヘッドマークやテールサインなどもおk 「旧はくたか」のイラストマークをはじめて見たとき、
悪の秘密結社「ショッカー」マークのパクリだと思った奴、挙手! >>65
非ボンや絵無しボンネットがあたりまえだった列車の絵入りボンネットは、グロ画像っぽくて好き。
あさま 鳥海 いなほ にちりん 有明 加越 …
>>64
こればかりは主観の相違があるからね。
ただしボンネット型に関しては、
設計されてから相当経ってデザインされた訳だから、
やっぱり違和感はあると思う。
違和感で思いだしたが、SL末期に12系は似合わないと
散々言われてたのに似てるかもね。
>>66
やはり電車、気動車の絵入りマークに
黒岩氏がタッチしていないのが大きいと思う。
昔はまだ特急自体の数が少なく、
牽引するカマを想定してデザインしたという話だからね。
昭和53年当時なら数が多すぎてそんな余裕もないだろうし。
>>66
南紀はそれほど思わない(那智の滝の82系DCの奴だよな?)けど、
いなばのを初めて見た時は思わずわろた。 「にちりん」や「有明」のボンネットタイプを多く見てきた者としては
ボンネット型の絵入りマークには違和感を感じましたね
「かもめ」のボンネットの絵入りマークなど凄いものでした オレのお気に入りは
はつかり・白山・ひばり・あずさ・あやめ
特にあやめは当時、国鉄で一番短距離を走る特急で
「増収を狙った特急」として常にヤリ玉として叩かれていたんだよね。
そんなあやめのデザインは、他の房総特急の「波シリ−ズ」とは一線を画しており、
水郷地区の花、菖蒲を巧く表現出来てて、すぐに東京地下駅・錦糸町に撮影に出かけたよ。
蛇足ながら、東京発のあまぎの図柄にある植物が
「わさび」と知ったのは、踊り子に代わる直前だったな・・
「あまぎ」と言う名の特急が走っていたのを知ってる人も少ないのかな? 「ひばり」「はつかり」は遠めだとなに描いてあるんだかわかりにくくて按摩好きではなかった
「やまびこ」に至ってはおお・・・もう 状態
「はくたか」は今の代走ボンマークは秀作だが当時のは「ひでえ」の一言
「白鳥」「しらさぎ」「はくつる」あたりが好きだな
ってみんな鳥かw 昼行時代の「鳥海」マークも好きだったな
「日本海」もいいね >>70
日本海や瀬戸みたいに「水」を扱いながら滝の水飛沫の素朴さと言うか稚屈さにがっかりしたんだわ。
JR西日本の「はくたか」と「はくと」はナカナカ良いと思うが。 >>74
鳥海は寝台特急になってもデザインは同じだったよね?
>>69
>違和感で思いだしたが、SL末期に12系は似合わないと
>散々言われてたのに似てるかもね。
言い得て妙だね。現役SL末期は12系をそんなに牽いてた感じがなかったが、
最初に国鉄で復活させたやまぐち号はそんな感じだった。
12系も今は数が激減したから、そんな贅沢は言ってられないけど。 >>72
「あまぎ」はすぐに踊り子にバトンタッチだっけ?
当時は絵入りあることに気付かなかった。
あと、分かりにくいといえば加越のバックに描かれている岩の絵。
あれが東尋坊だと気付いたのはつい最近だったりするw
あとまつかぜの松が関の五本松とかも気付きにくいな。
>>75
瀬戸は東京発ブルトレのヘッドで一番好きだな。
国鉄時代のはくと…いや、何でもない。 「かもめ」のボンネット型に字だけの、絵の入っていないマークが付けられたのは
あるいは九州でほんの短期間しか見られなかったものなのでしょうか
あれは結構良かったですよ
「北近畿」のマークには悲しくなりました
愛称も「おおとり」を持ってくるとか、別のものにすればよかったと思いますね >>78
昭和56年10月改正で踊り子に統一されたから、3年間だった。なのでむつやまつかぜより期間は長かった。
絵が分かりにくいのは相当狭いスペースに列車名と絵を入れるため無理があるのだろう。
特に485・489系の200番代や、キハ82・181はそれを感じた。
絵も分かりづらいが、ゴチャゴチャして列車名まで分かりづらかった。
もう何のためのヘッドマークなのかw
>>79
キハ181の「はくと」なら、思いっきりJR化後なんだが。
まあ確かにあれは・・・(ry だったけど。 >>81
北海道のキハ82の絵柄は、それぞれの特徴が出てると思うよ。
北海なんか浮世絵にあるような波だもんね!
ちなみに、永谷園のCMで北島三郎の
♪は〜るばる来たぜ函館へ・・・♪がながれていたんだけど、
まさに北海のヘッドマ−クの図柄のような波がテレビで流れていたな・・
説明が下手でスマソ。
房総特急183系「わかしお」の絵入りヘッドマークと
紀勢本線の「くろしお」の絵入りヘッドマークの絵柄はよく似ている。
「わかしお」とは黒潮の別名を意味するので、似たような絵柄になったのだろうか
>>84
北海道はキハ183が先にイラスト入りになって、1985年3月からキハ82に踏襲しただけだろう。 房総特急183系「さざなみ」の絵入りヘッドマ−クと
鹿児島本線の「有明」の絵入りヘッドマ−クの絵柄はよく似てる。
内房線の東京湾と有明海の干潟は、共に静かな海(波)なので、
似たような絵柄になったのだろうか。 >>88
ゆうづるとはくつるは似てて当然じゃね?
元々姉妹列車みたいなモノだし。 南海電鉄の南紀直通「きのくに」号のヘッドマーク
水色地の真ん中にある変形の白地に「きのくに」と書かれていた。
ちなみにこの変形の白地は、白浜の円月島だった。
なお、国鉄線内では、南海車のヘッドマークは取り外されていた。 >>85
そこに北海も入れて欲しい
くろしお、わかしお、北海・・・皆、高波のマーク・・・。 国鉄の「出雲」と、ドラクエの「ギズモ」は、関係あるの?
「いしかり」や「みちのく」「加越」「北越」など地名のついたものは
結構デザインに苦労したのではないでしょうか
山ならばそれぞれに特徴があるので良いとして
「あずさ」「有明」など川や海の名も難しかったのではないかという感じがします
「しなの」など信州というよりは本列車が疾走する木曽路のイメージですね 「ひたち」なんか無理矢理偕楽園の梅だもんなぁ。
「おおぞら」が一番難しかった気がする。 >>94
すいごうって江戸時代に渦潮のような現象が見られた
外浪逆浦がモチーフだよね?あの右下にある
アンモナイトみたいなのは何?
いしかりは石狩川独特の穿入蛇行かな?
当時リア消だった俺は、踊り子の意味が分からなかった。 私も絵入りマークは嫌いだが、「つるぎ」だけはいいとオモタ。 185系「踊り子」のヘッドマークは、描かれている女性がタバコを
右手に持って口から煙を吐き出しているようにもみえる。
EC、DC、PCのマークの一覧が見られるサイトがあるといいんだが・・・ >>74
57-11で貴重になった食堂車付きの12両編成の列車だったから、ひときわ輝いて見えましたね。 KATOの回転式トレインマークが誕生したときには興奮したな。 「紀伊」のイラストは、はじめ潮岬灯台だと思った。その後、太地の鯨か?と思った。
那智の滝だとわかったのは随分経ってからw
青地に白のカラーで海関連から頭が離れなかった。 そういや消防の頃、アサヒグラフかなんかのヘッドマーク特集の号を買ってもらったなあ。
上の世代の人々の中で、ヘッドマークを子供っぽいとか苦々しく思っている人が
少なからずいるのを知り意外な発見。 >>106
そうか、水車か!ずっと化石だと思ってたw サンクス。
あと気になるのはブルトレ北陸の断崖だけど、
あれは能登金剛のヤセの断崖(松本清張のゼロの焦点に出てきた名所)
で間違いないよな?
>>104
紀伊は地元にブルトレが走ってることを知って嬉しかったな。
その半年後に廃止されたのを知ったのは数年後だったけどw 「みどり」の絵入りマークも苦渋のデザインだったと思う。 >>107
北陸の断崖は
ほとんどの解説・説明では「東尋坊」となってたような・・
確かな情報、求む! 「はくたか」は、JRになってから登場した
赤い方のは良かったね。
ボンネットに似合う数少ない絵付きマークだったと思う。 「はくたか」を語るなら、「白山」を忘れてくれるな。
あれは電気釜よりボンネットの方が似合ってたと思うぞ。漏れ的には、だけど。 踊り子って登場時、ファンからは不評だったな。名称も画も
個人的にはありだったけど
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
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>>112
白山はJR化後ほぼボンネットばかりのせいもあるだろう。
489系貫通の200・600番代は長野転属であさま封じ込めだったし。
そのせいで先に廃車になり、ボンネットは未だに現役とは皮肉な話だな。 質問するのも恥ずかしいんですが
あのボンネットのでっかいマークは枠ごと(パネルだけ?)脱着するのか普通にロールするのかどっちですか? >>116
パネルの中身が引き出せるようになってたんじゃないかな。
俺も自信ないけど少なくともロールはしない。
四国のキハ185はロールじゃなくてパネルを手で変えるという原始的な形を取ってるのは実際変えてるところを見て以外に思った ありがとうございます
俺は自信がある
俺はマークを変えていた
俺が設計した
等と言う方の書き込みがあれば更に嬉しいです >>117
本で見た話だけど、向日町だったかの481の一部に
字幕式に改造されてる車両があった。当時は文字マークオンリーで書体も
プレートとはかなり違っていた。あまり評判が良くなくてその機能は殺されてた
みたいだけど。
この先はうろ覚えだけど、勝田の訓練車がその機能を残してて、廃車前に行われた
イベントでその幕回しをやったみたいな記事をどっかで読んだような。 >>119
181と485がそうだよ。理由は愛称が増えすぎて交換が
大変だったからね。
余談だがHMを替えずに運転なんて事も稀にあったな。
>>119-121
50年3月までは北陸特急と山陽・九州特急が共通だったからな>ムコの485
極端な言い方したら、博多から来た車がそのまま富山に向かう、てな運用もあっただろうしな。
とはいえ、あの当時だと機械のメンテも大変だったんだろうな。 ボンネット型電車特急「うずしお」のリバイバル運転のときには
絵入りのヘッドマークが掲げられていましたね >>120
ロールマーク対応車は普通のヘッドマークの脱着可能な設計になっていたからね。 山陰地区でキハ181系のヘッドマークの盗難が多発したとき、
向日町運転所では、キハ181系のヘッドマークの盗難防止のためか、
マークの取り付け部分に開閉式の重厚な金属枠を取り付けて、マークを枠の中にいれ
枠をカギでロックして盗難できないように改造された。
米子車は、マークの止めねじ部分が南京錠に交換されていた。
ロ−ル式のヘッドマ−クなんだけど、
貫通型、485―200・583・183なんかに多かった気がするんだけど
枠の中に納まってなくて、上下どちらかが尻切れになっている時があったな〜
撮影するのに気分が萎えたな・・
けど、そんな写真が撮れた時代が懐かしい・・ >>81-82
それからエル特急の Lマークと、寝台特急の流れ星マークも余計だったと思う。
Lマークを入れたため、白山は廃止前1往復でもエル特急とおかしな形態になってたし、
いなほなんかLマークを塗りつぶしてみっともない。
今でも183系で臨時運転する時のあずさ・かいじも、Lマークはそのままで変な感じ。 あずさ かいじ あさま はLマーク無しバージョンになったんじゃ?
まだ旧版が残ってんの?
いなほは 特急 → L特急 → 特急
と先祖返りですな。 >>129
白山のL扱いは、マークが理由じゃなくて、
上野−長野間であさまとネットダイヤだったため。 「白山」のマーク好きだったな
最初に手に入れたNゲージ車両がTOMIXの485系で、真っ先に「白山」のシールを貼り付けた 関係ないけど、初めて買ったNゲージ車両はオシ24だった。
直線レールの上に1両だけ乗せとくと、廃車待ちの車両みたいで切なくなったよ。
>>132
そんなこと言うなら白鳥も雷鳥とネットダイヤだから、L特急でいい話になる。 昭和50年代の上野駅
たまにサ−ビス精神旺盛な運転士がいて、
トレインマ−クをコマ送りにしてくれたな。
17番線の白鳥やら、真夏の新雪の写真があるよ。
あと厨房とかで、14系・24系のテ−ルマ−クを動かすヤツがいたな。
あけぼのが24系に変わる前に絵入りマ−ク見れたよ・・
>>135
金沢〜新潟では北越、新潟〜青森では>>131のいなほと組んでたからね。
L特急が一気に増えた53.10で、北越やいなほがL特急になってたら話は違ったかも?
当時、定期の電車特急でL特急にならなかったのって、
みちのく・あいづ・はくたか・いなほ・あまぎ・白鳥・北越で、
全部が現在の束エリアに絡んで走ってたんだよね。
日本全国の特急列車のヘッドマークが絵入りになるらしい、と聞いたとき
まっさきに「北越」「加越」のマークはどうなるのだろうと思ったものです
「加越」のマークは好きでした
「北越」は日本海の荒波をあしらったものでしたか
少々手抜きなのではないかとも思いましたが、ほかに何か考えろと言われても思い浮かびませんね >>135
白鳥なぞ知らんがな。
白山については雑誌書籍等で理由がそのように触れられてるだけの話。 >>137>>139
だからエル特急の定義が曖昧なので、Lマークまで入れてしまうと後々困ることになる。
白山だってあさまの仲間とこじつけていたが、北越と並走してた区間はあっただろう。
北越そのものは昭和53年時点で1往復だったものの上越新幹線開業時点で一気に本数が増えて
エル特急に指定されてもおかしくなかったが、何故か指定されなかった。新潟発着になった
いなほが指定されたのに。 そこまで語りたいんであれば、これはL特急スレの話題だなぁ。
このスレの話題ではないような気がする。 >>141
それは>>129が指摘する絵入りマークにLマークまで付けたことが原因。
機関車のヘッドマークのようにそんなマークを入れなければ問題なし。 Lマ−ク、寝台特急マ−ク
当時の国鉄からしてみたら、少しでも親しみを持ってもらおうとの
試みであった、絵入りマ−ク。
30年後のオレらがとやかく言うのは、???だな。
当時、小学6年のオレにしてみたら
字幕だけのヘッドマ−クが絵入りになったのをみて、上野・東京駅に撮影に出かけたのだから、
少なからず国鉄の増収にもなったはず。
当時、撮影していた者からしたら、
Lマ−クがどうとかなんて考えてなっかたよ。
画一的だった国鉄型のビジュアルが
あれだけで劇的に変わったのが一番なんだよな。
続いて九州ブルトレの76カン復活が
全ブルトレカン復活にも繋がったし。 しかしこの頃から国鉄の財政が極度に悪化し、減量ダイヤやスローダウン、列車も
また画一化が進行したように思えて印象が悪い。
俺からすれば、ボンネット+シンプルな字のみの時代が最も華やかな時代たっだ
ように思う。 >>145
高ニの春休み(59年3月)に18切符を手に九州に向かったよ。
鳥栖で「あかつき・明星」
西鹿児島で「なは」
あの頃の国鉄は批判ばかりされていたけれど、
反面、鉄道ファンに対しても理解を示していたと思う。
キハ181系の特急「あさしお」のイラストマーク
日本海からのぼる太陽を描いたものだった。
山陰本線の特急ヘッドマークの中では、最高に良かった
>>147
同い年です。
絵入りマークは瀕死の国鉄が放った乗る魅力アップのための最後の切り札だったように思える。
今更、Lマーク云々なんてナンセンスという意見には同意。そんな些細なことなんか気にかけることなど思いもつかないほどセンセーショナルだった。
我々の世代では、鉄道に興味をもつ年齢に達して以来、合理化、画一化の方面にしか向かっていなかった国鉄が初めてみせたイメージアップを目的とした大規模な改革だった。
そういう意味では、その前の世代にもその後の世代にもない感覚で絵入りマークを迎え入れたのではないだろうか。 >>147
深夜の鳥栖でブルートレインの写真撮ってたら、
DE10の運転台で記念撮影とかさせてくれた
ハンドル?とか握らせてもらった気がするけど、今やったら大問題なんだろうな
撮影の方は、客車化した「なは」のヘッドマークがすごく新鮮に感じられた >>150
それより昔、現九州鉄道博物館館長の宇都宮さんなどはもっと・・ >>150
昔は新大阪とかでも添乗させてもらえたよ。ウテシによれば、
「時間あるなら向日町まで乗っていくか?」と言われた時もある。
当時でもさすがにやばいだろと思って辞退したが。 >>149
ただその3年前にブルトレの機関車や、急行のヘッドマークを大幅に廃止。またSLも全廃した。
その上2年前に運賃・料金大幅値上げされたため、国鉄の人気が地に堕ちてたのは自業自得でもあった。
絵入りマークはロール巻取り式で手っ取り早かったから採用・実施されただろうが、
ブルトレの機関車や急行のヘッドマークの重厚感がなく軽い感じだった。
子どもをターゲットにしたからそうなっただろうが。 >>153
どうもあのノッペりした電気釜に絵入ヘッドマークは、何か紙芝居見せられている
ように感じたな。
国私鉄問わず、昔なら先頭車の斬新なフォルムで特急らしさをアピールしたものだっ
たが、合理化の圧力の中それも叶わず、せめて絵入ヘッドマークで看板列車をアピー
ルしようとしたんだろう。 >>153
まさにその時代に「子ども」だった我々の世代の心には刺さった。
客レのブルトレに限っても今日までの50年の歴史で東京発65以外ヘッドマーク廃止は僅か10年足らずだったかもしれないが、その10年に小中高がすっぽり入る自分たちの世代にしてみるとそれが全てだった。
赤字垂れ流しで喘ぐ国鉄、それが当たり前のなか、それでも国鉄が、国鉄車両が好きだった。
ファンに媚びるなどあり得ないと諦めていたなかの絵入りヘッドマークは画期的だったし嬉しかった。
そういえば九州ブルトレ交流機にヘッドマークが復活する前、東京区ゴハチの臨時踊り子にヘッドマークがついていたのは、東京区特急仕業のスタンダードに則っただけなのか、全国復活の狼煙だったのか… >>155
同感
でも、ちょっと上の世代の人に聞くと、やっぱり絵入りマークは小馬鹿にされるなー
そういう自分もブルトレのEF66や金帯には今だに違和感あるし、
樫に至っては完全に興味の対象外だから、
結局、いつを生きたかによるんだろうな 全部とは言わんが安っぽいデザインが多かったからな。
まぁ特急の数が増えすぎて、デザインが大変だったのだろうけど。
正直上の連中はガキ騙しとか言ってバカにしてたから。 俺も最近まで特急の絵入りを喜んだのは
当時の子供だけだったのかな?と思ってた。
>>153を読んで、なぜ国鉄の歴史を繙くとき、
特急のマークが絵入りになったことが
あれだけ大きなイベントとして取り扱われているのか
よく分かったよ。 どこかに、過去分も含めて絵入りマークの一覧が載ってるサイトはないのかな? >>159
アイコンならある。
けど、JR四国L特急時代の一部が足りないのが残念 小学校3〜4年の時に当時の絵入りマークが全部載っているノートを何かの景品で貰って
これを全部ハサミで切り取り、模造紙に書いた日本地図に路線図と列車名、運転区間を買いて貼り付けて
夏休みの宿題にして出したわ。
その後ずっとこれが教室の壁に貼られてた 絵入り化前に廃止になった列車のマークがどうなるか妄想したことがあったな。 >>162
北海道の客車急行が14系化されて絵入りマークになったこともあって、
特急に限らず、現存、廃止含めてマイナーな列車のマークを妄想してたが、
難易度高かったのが「海星」。
こんな単語辞書に載ってないし、単純に考えて「北星」と同じにしかならない。
絵入りマークにならずに消えた「新星」も、幼い頭ではビッグバンみたいな絵しか描けなかった。
あと、愛称付き鈍行(ながさき、山陰、はやたま、からまつ)が
14系化されて絵入りマークになってるのを想像してハアハアしてた。
今残っていたら14系はありえそうだが、白幕か「普通」だけで済まされているだろうな。 電車急行だと結構文字だけながらヘッドマークついてたけど、あれが絵入りだと結構にぎやかになりそうだな。 >>163
「ながさき」は大浦天主堂をあしらったマークをどこかで見たような気がします >>162
たった2年間しか存在しなかった「あすか」がもしあったら・・・
やっぱり奈良公園の鹿と若草山を図案化するんかな?? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています