乗ったことのある廃止された列車を語るスレ
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乗ったことのある廃線を語るスレ
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220123714/
というのがあるので姉妹スレとして立ててみた
優等列車、愛称付き普通列車を主な対象としたいけど、無名でも特徴ある普通列車(たとえば長距離鈍行など)なんかも桶
ただし、通年運行された定期列車とある程度の年数を毎シーズン必ず運転された季節列車(そよかぜ、新雪など)に限ります
オレはとりあえず
特急:あさかぜ、さくら、みずほ、出雲、あかつき、はくつる、ライラック、はつかり、たざわ、あさま、白山、かがやき、東海
急行:ちとせ、えりも、いわて、津軽、軽井沢、外房、東海、アルプス、銀河、かすが、丹後
普通:大垣夜行、上諏訪夜行
かな
こうして列挙してみると以外と少ない事に気付くな。関東在住のせいか西日本があまりないし >>74筑豊線に明星って走ってたの?
あかつきなら乗ったけど
>>77お齢じゃなくて乗った列車の数何じゃないの >>78
いや、わかってるけどいい歳していると思われるオッサンが自慢気なんで。 はいはい。
でもさ、娘とか部下の女とかカミサンにもクサイとか言われだしたら、こういうとこで昔の思い出に浸りつつ、鼻高々してみたくなるのかもよ。
かくゆう我も四捨五入でアラフォー。嗚呼。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
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〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
>>34
俺もだ。
地域的に対をなすようだが
隼人ー西鹿児島間に乗ったDC「大隅」で満席で運転台にいたのだがうっかり踏んで
タイフォンが鳴ったのでびっくりしたが好奇心でさらに2〜3回踏みつけた。
車掌は来なかったがな。
廃止された列車を言えばきりがないが九州の急行だけで「日南」「えびの」「出島」
「かいもん」「佐多」「ぎんなん」「しいば」と廃止された列車ばかり。 >>83
自慢気かどうかは別にして>>76は、ああそうですかで終わっちゃう書き方だね。
せっかく50も乗ってるなら、選りすぐりの2つでも3つでも書いてくれれば話がつながりそうなのに。 【特急】
ひばり・彗星
【急行】
くにさき・阿蘇・雲仙・西海・伯耆
【普通】
大阪〜岡山(大阪〜明石間快速)
宗谷 すずらん 狩勝 大雪
日南 かいもん ながさき
うわじま 雲仙 八甲田 おが きたぐに 能登 津軽 だいせん
長岡行夜行 大垣行夜行 長野・上諏訪行き夜行 中村行夜行
島内の夜行は周遊券で宿代わりにしてたから全部乗った 中央東線の夜行普通上り424レ
新宿に着くのが朝5時前で山手線の初電がくるまで30分以上なにもすることがなかった
当時は車内の通路に寝るから新聞が敷かれていることが多かった
下手に座席できゅうくつな姿勢で寝るより、新聞敷いて床に寝たほうが楽ちんなのを知ったんだが
新聞を敷くと特に冬場はばつぐんに暖かいが、床の油の匂いが服にしみるのが難点 >>92
2度、甲府から新宿まで利用しているがガラガラの薄暗い車内が世間から
取り残された世界に思えた。深夜の駅に停車している時は静粛そのもので
発車の時も物音を感じなかったくらい。
俺は寝つきのいい方なので床でなく座席でくの字になって寝ていたけどね。
登山者で賑わう姉妹列車の425レにはない、旧客のこうした味わいこそが
鮮烈な記憶として残っている。 特急あまぎ
初めて乗せてもらった特急だったから嬉しかったなあ。 >>96
>初めて乗せてもらった特急
俺も!
157系だった。
ホントは高運転台の485や181とかに乗りたかったが地元横浜を通る赤とクリームの特急はこれだけだったから嬉しかったな。
今となっては高運転台183-1000になる前に乗せてもらえて良かった。 快速奥大井(臨時)
母親の実家が川根にあったので何度も乗った事があります。
金谷駅下り本線から大井川鉄道に乗り入れる際に、西側の三連トンネル内で方向転換し、延々と渡り線を通ったのが印象的でした。
当時はまだ新しかった113系4連で大井川鉄道唯一の冷房車の為、夏場は特に混んでいました。 あっ、あまぎ。私も乗った。
でも小さかったからほとんど覚えてない…。
シャボテン公園と天城山は少しだけ記憶あるのだが。
あとから写真で見て、どこでも走ってる列車じゃなく、オリジナルだなと思った。 100系ひかり103系京葉線103系総武緩行205系山手線
>>100
微妙にこのスレの趣旨からずれてないか?
まあ明確な定義があるわけではないが、今までの流れとは、ちと切り口が違うような… 末端の一部区間だけ乗ったもの
白鳥 秋田―鷹ノ巣
さくら 長崎ー鳥栖
まつかぜ 江津-米子
高校卒業の時、
東海〜八甲田〜青函航路〜ニセコ〜大雪で網走まで はつかり
とき(在来線)
あさま(在来線)
十和田
利尻
夜行オホーツク
まりも
大垣夜行
富士
はやぶさ
銀河
東海(急行時代)
あかつき
出雲
かすが
あいづ
あしがら(小田急)
蒲郡特急(名鉄)
深日急行(南海)
多摩線特急(京王) おおとり
函館―網走間
白鳥
青森―京都間
とにかく疲れた 白鳥懐かしいな
青森から直江津まで乗ったけど、半日乗りっぱなし…でもまだ半分だった訳で
昼行の列車であんなにロングランするのは白鳥だけだった 利尻 特急おおとり はつかり つばさ(在来線485系1000番時代)
きたぐに ときわ くりこま(急行) 深浦 きたかみ 石狩
急行東海 比叡 十和田 八甲田 もりおか 津軽 ノサップ
土佐 あしずり 阿波 いよ うわじま 鷲羽
アルプス(急行) 妙高 木曽 たかやま(急行) 赤倉 しらゆき
むつ ばんだい のりくら
錦江 火の山 ひこさん かいもん しいば
但馬 みまさか みささ たいしゃく 美保 丹後 平安 はやたま 志摩
きのくに 立山 くずりゅう さんべ かすが 大社 銀河 山陰 犬吠
つるぎ(大阪〜新潟)
銀河(大阪〜東京)
あかつき(大阪〜長崎)
スーパー雷鳥・信越(大阪〜富山・直江津・七尾)
白鳥(大阪・長岡〜新潟・坂町/青森〜秋田)
あさしお(京都〜鳥取)
たんば(西舞鶴〜京都)
かがやき(富山〜長岡)
やまばと(上野〜米沢)
つばさ※L特急(上野・福島〜米沢)
ざおう(上野〜米沢)
はつかり(盛岡〜青森)
あさひ※急行(新潟〜米沢)海峡(青森〜函館) 特急あさしお京都発西舞鶴経由城崎行き
乗り通すと3回も進行方向が変わる列車 リレーこまち
あさま(在来線)
急行アルプス
急行あずみの
急行ちくま
急行ばっかOp2 国鉄末期からJR初期にかけて乗りまくって、15年前に一応JR完乗果たしたから、結構多いような気がする。
(もっとも地域差が激しいのはご愛嬌だがw)
【特急】ライラック・スーパーホワイトアロー(以下夜行)まりも・利尻・オホーツク
はつかり・つばさ(在来線時代)・たざわ・秋田リレー・白鳥(大阪発着時代)
あさま・東海・加越(以下夜行)はやぶさ・あさかぜ・富士・出雲・なは・あかつき・彗星
【急行】まりも・利尻・大雪・八甲田・津軽・東海・アルプス・ちくま・たかやま・ゆのくに・立山・能登路
丹波・丹後・だいせん・さんべ・かいもん・日南・えびの・火の山
【普通・その他】大垣夜行(ムーンライトながら含)・中央夜行・上越夜行・ムーンライト越後
ノスタルジックビュートレイン・ムーンライト九州・ムーンライト山陽・ムーンライト八重垣・ムーンライト高知
ムーンライト松山・山陰・はやたま・ながさき
寝台特急富士
悲しい・・・・寂しいのではなく悲しい
「新宿発横須賀行き湘南新宿ライン」
2階立ての215系に乗り放題だったあの頃・・・・
常磐線通勤快速
凄い混雑だったなぁ
(少し趣旨が違うかも知れないけど)
逗子発快速八王子行き
定期扱いだけどほぼ臨時列車だった
特急東海
comeback!!
【廃止が心配される列車】
東京発特急踊り子修善寺行き
中学最後の部活の旅行で使った想ひ出の列車
秋田発仙台行の夜行列車。
名無しの急行だったがハネがついていた。 秋田発仙台行 というと「きたかみ」とか「たざわ」の気動車時代を連想するのだけど、
名無しハネというとかなり昔の話しなのかな? 秋田発の段階では急行おが54号上野・仙台行だったと思う。
そういう意味ではおがの付属編成ってことかな? 急行しらはま、きのくに(南海経由)
南海線を走るDCなんて、今思えば貴重な体験だったな。
関西本線名古屋ー奈良直通普通列車
途中下車派だったので、名古屋ー亀山は旧客乗ったりもし、乗り通すことはなかったが。
1エンジン車の鈍足“加太越え”の一方、当時平城山駅はまだ無かったので、木津ー奈良間は7q7分で走り、加茂・木津ー奈良間に関しては今より速かったかもしれぬ。 1994年、夢空間北斗星。
上りは砂原回りで、S北斗に抜かれた。
黒磯でも運転停車で北斗星?号に抜かれた。
食堂車のメニューは予約不要のミニコース6kエン、日食仙台が担当。 >>123
東京夢物語号(大阪〜金沢〜上野)
乗ったのは北斗星用のソロだったが、ラウンジでくつろいでたらデラックススイーパー利用者に声かけられてお邪魔したな。 急行えりも。札幌=様似。
苫小牧まではちとせに併結。 思いつくままに、
北海道:急行天北・利尻・まりも・大雪・ミッドナイト・山線経由の普通夜行・海峡
本州:八甲田・ひばり・ホームライナー土浦・大垣夜行・東海・伊豆・はやたま・山陰・だいせん・たかやま
四国:宇和島夜行・中村夜行(気動車時代と50系時代)
九州:はやぶさ・日南・かいもん
こうして書いてみると、夜行列車が多いな。
学生の頃は夜行を宿代わりにして乗り鉄しまくっていた。
深夜の駅のけだるい雰囲気、いつ思い出しても懐かしい。 銀河(スハ44、オロネ10)
かもめ(82DC時代)
しおじ(クロハ‥といってもハの方)
やっぱりガキの頃の方が面白かったな。 津軽2号(10系+12系)
津軽51号(12系)
おが51号(20系)
きたぐに(新潟〜青森・12系)
日中線(喜多方〜熱塩・オハフ61)
いいで(キハ40新潟)
はつかり(583系)
あいづ(485系、食堂車付き)
長距離普通列車(スハフ43・東能代〜福島)
同じく長距離普通列車(オハ35・新津〜秋田)
あたりを懐かしく思い出します。 帰省ラッシュ時のキハ181やくも、
よく中間運転台に乗っていた。
キハ58と比較すると広かった気がする。
食堂車で大山おこわ定食を食したな。
出たっ、大山おこわ定食!
まつかぜの方でも話題だね 1981年ごろ、競馬で儲けたお金で、急に遠野に行きたくなり上野から八甲田の指定をとり乗車。
ところが、4人ボックスは4席とも売れてる。しかしあっちこっちのボックスは空き放題。
向かいのサラリーマン氏が新聞紙を広げて『靴を脱ぐと楽ですよ』と誘ってくれたが
自分はさっさと開いているボックスに行って占領して寝てましたが、問題はなかった。
当時の国鉄の指定の出し方は1人客にとってはデタラメでしたね。
帰りは速達タイプの急行くりこま→急行あずま(仙台ー福島は各駅)でした。
八甲田乗車はこの1回だけ。でも臨時の八甲田81号に乗ったことがあります。
1970年代前半仙台ー黒磯間。まつしま3号?13時13分の指定が満員で、13時16分の臨時に乗車。
停車駅はまつしまより当然少ないので、途中で追い抜きを期待するも、列車は電車より当然遅く
まつしまよりもかなり遅れて?黒磯着。黒磯の5番線の階段はいちばん前。
8号車から降りて前まで歩くとちょうど機関車がない。
初めての黒磯駅体験でした。
帰りは、釜めしを買ってまつしまに乗りました。自分にとって釜めしいえば横川ではなく、黒磯だったりします。
まつしまを待つ間、2・3番線から折り返していく上野行電車がまぶしかったなあ。
東北の主要在来線の特急、急行は結構乗ったね。
はつかり、やまびこ、ひばり、いわて、もりおか、まつしま…
特急は食堂車がついていてよかったなぁ。
181系ときや485系いなほ(上野からでるやつ)ものった。 特急ポートピアにのった。
三宮始発の特急って初じゃないか。 仙台 上野間の急行 まつしま午前発車 みやぎの午後発車 あおば夜行だったような。 急行鷲羽2号、神戸8時33分到着。(新幹線岡山開業時に廃止) とがくし
長岡→東三条
外も中もピカピカの165系 急行みやづ…毎日運転の臨時急行。
急行たかやま…陶器の釜飯が最高でした。晩年は専用色&アコモ改造&大きなヘッドマーク付。二号車は一両グリーン車。これぞ急行列車といった風格がありました。 14系(座)日本海、夕日が差し込む大阪駅から出てゆく
客の乗ってない12連の車内が懐かしい。
14系(座)しおじ、後部貫通路から眺めたEF59
14系(座)つばさ、福島機関区のそばのカーブになった
大きな踏切で重連のカマに牽引された勇士が懐かしい。 いい話だね。
14系の日本海があったのは初めて知った。
>>140
ここのやえもんさん?
ttp://www1.interq.or.jp/~ytrain/LOG/SP/388-14kei.html 大井川鉄道の元小田急SSE車使用の急行。
千頭〜川根両国のミニSL(コッペルとクラウス)。
井川線旧線(川根市代〜川根長島) 今から16〜18年前に上野から青森まで12系の臨時十和田だか八甲田に乗った。
さすがにあの垂直の椅子は疲れた。
帰りは14系の座席改善車だったので快適だった。 >>143
581系有明で博多から西鹿児島まで乗ったが、その時も辛かったよ。 昼間のサンライナーじゃ。
倉敷以西は、貸切に近かったからな。 急行出島、急行比叡、さくら、みずほ、急行アルプス、あさかぜ、富士、急行かいもん、急行日南、まつかぜ、有明、急行銀河、はやぶさ、出雲、在来線あさま >>143
>>144
居住性よりも精神的な環境の良し悪しがそのまま疲れに出る。
札幌から上野まで「北海」「みちのく」乗り継いだが隣席の人がむっつり。
しかも「みちのく」でも隣席。どっと疲れた。
上野から札幌まで「八甲田」「宗谷」を乗り継いだ時は同席の人と意気
投合。垂直な椅子であるが疲れもなく楽しかった。
「宗谷」を除いて全て廃止されてしまったが。 夏の満員の夜行旧客はつらかった。
雨だと窓を閉めて車内むしむし。
窓を開けると車内灯に誘われた虫が入り込んでくる。
足は伸ばせず、尻は痛くなる。
眠れなくても目をつぶって夜明けをじっと待つ。
12系はありがたかった。
14系は贅沢だった。
寝台券なんて1週間前発売では手に入らなかった。
それ以前に金がなかった。
>>147
精神的な環境の疲れは多少あるが、殆どが車内設備による疲れだろ?
漏れも581系しらさぎを家族旅行に使ったが、いくら寝台と兼ねてるとはいえボックスシート リクライニングしない固いシートはきつかったぞw
まぁ>>147が、もし60系客車を使った臨時急行に乗っても精神的環境云々と言えるかどうかだが… 我が街大社から出雲市まで20系「だいせん」(普通区間)に乗って毎朝
通学していた姉キを羨ましく思っていたなぁ。出雲市駅で良く「山陰」の
10系寝台車も見かけたもの。昭和59年くらいの懐かしい思い出。 昭和57年の急行大社。名古屋・大社間通しは長かった。
1人乗務の車掌長は西舞鶴車掌区という、国鉄ならではの長距離乗務。 S47前後の夏、わかさビーチ、小浜ビーチ、エメラルド、丹後ビーチなんて
急行がゴロゴロ走ってたな。何に乗ったんだろう。覚えているのは、夕方、
帰る時に58の2連がきて、すしづめ状態。次の急行が15〜30分後に
来て、らくちんで帰ったな。 >>149
ボックスシートだと向かい合った人によって旅の印象が違ってくるからね。
一方向のクロスでの隣に座った人よりも、顔を突き合わすだけ影響は大きい。
581/3系のボックスシートは悪くないが、そのあたりが敬遠された理由かもしれないな。
まあ自分の思い出としては、急行のボックスシートでも女の子と知り合った場合は
疲れを知らず時間が経つのがあっという間だったな(笑 >>153
ボックスシートの思い出か・・・
急行「しらゆき」青森〜金沢。
今や遠い思い出になってしまったキハ58系の長大編成。
早朝の青函連絡船で青森に着いて、これに乗った。
ガラガラの車内の隣のボックスには移動中の乗務員。秋田運転区?
いろいろ話を聞いて興味深かった。
大半は忘れてしまったが、機関助士時代、C61やD51に乗っていた事、気動車のブレーキ操作の事など。
楽しい時間はすぐに過ぎ、秋田で降りていった。 【特急】
485ひたち みちのく
【急行】
ときわ もりおか 奥久慈 つくばね 臨時十和田
【普通】
451普通
高校時代朝の通学に乗ってた451の普通列車はグリーン車を普通車扱いで開放してたので
始発駅乗車の俺は毎日グリーン車通学だった グリーン車の普通扱いって理解できなかったなぁ。
今の快速みたいに普通列車でもグリーン料金取れば良いのに、
とか思ったんだけど、それじゃ乗る人がいなかったのかな。 そう、乗る人がいなかった場合がほとんどだと思う。
名古屋らへんのホームライナーのG車指定席の
利用状況を見に行こう見に行こうと思ってるうちに無くなってしまった… 大糸線 朝の上り165系普通(夜行アルプスの折り返し)もグリーン車は解放されてたよ
冬季は、ケツがWパンタのクモヤ90付いてた。 自分は昭和58年から本格的に乗り鉄を始めたのだが、遭遇したグリーン開放は
・信越線の長岡〜直江津間(急行“よねやま”の送り込み?)
・因美+若桜線の始発普通列車(急行“砂丘”の前運用)
・舞鶴線始発(急行“丹後”送り込み?)
・(電化後の)七尾線の始発(和倉温泉始発の“スーパー雷鳥”送り込み?)
⇒コレはサンダーバード化後、グリーンは締め切りになった
コレくらいだな。 >>グリーン開放
地方都市近郊のラッシュ時は
急行編成のアルバイト運用が多かったので
結構遭遇した。
でも一番多かったのは上野だったかも。 準急くりこま。最初でたときは、仙台青森間特急よりも速かった。 >>161
おいおい、準急くりこま設定時は仙台盛岡間の運転な。 今更ながらS53年3月に乗った青森(14:25)から上野(22:56)までの「はつかり5号」(583系)と
言うだけなら有り触れた話だが、忘れられないのが上野到着寸前の接続列車の案内。
東京からの大垣夜行を筆頭に新宿からの急行「アルプス8号」南小谷行きや長野行きの夜行441M
とかとんでもない行き先が次々と出てきた。これも今では廃止されたり臨時格下げとなった列車
ばかり。 急行つくばねが時刻表に「小山駅は通りません」って書いてあったのが気になって乗りに行ったなあ。
間々田から単線に入って…
車内も暗くなったのを覚えてる >>163
ああいう放送は、当時は意味があったのでしょうかね、、
ヤバい乗り継ぎだったら、事前に時刻を調べてくるか
切符を予め買っておくかすると思うんですよね。
東京って別の駅だし。 >>158
飯山線の戸狩からの始発列車も。
スキーシーズンのみだがはDC「きそ」が乗り入れたのでその折り返しで。
上りの大糸線ではG車は新宿に座席が向けられていたので下りの送り込みでは
さすがに開放はしていなかったが。 親戚宅行くのに家が貧乏で雷鳥に乗れず急行立山によく乗った
金沢で無人の白鳥がホームにやってきた???
新潟の大雪で大幅に遅れたために金沢から別車両仕立てて定時運行、
自由席でもガラガラでラッキー
乗ったことのある廃止された列車…。
昭和40年代半ばから乗り鉄をしているから、それを挙げたらキリがないよ。
あの当時全国を走っていて乗りまくった特急、急行、準急のほとんどが消えてしまったんだから。
例え名前は残っていても、昔とは運転区間も性格も全く違う列車になっているし。
当時とあまり変わっていないで残っていると言えば、「ひかり」「こだま」くらいじゃないの? このスレに
485系時代の特急ひたちとか401、403系の普通列車とか書いても何なら不思議じゃ無くなるとは
末裔たちは頑張ってるけどね >>167
そんなアナタにオヌヌメだったのが、昭和50年代後半(だったはず)に運転された 臨時夜行急行 立山 富山行(581系使用)と それに接続する臨時普通 糸魚川行(485系使用)ね
立山は座席の他 寝台席も用意されていたが、座席利用の客の中には勝手に下段ベッドを作っちゃうのもいたとか…
因みに485系の方は糸魚川到着後 折り返し富山行となって、しらさぎの運用に入ったらしい 自分としては「あさかぜ」4号と「みずほ」かな。
「あさかぜ4号」は、個室寝台を希望していたが、B寝台だったけど食堂車や個室寝台などを拝めてうれしかったのを覚えている。 急行「しらゆき」
富山−青森間乗車。名前だけは美しかった(笑) DC急行
青島、ちどり、砂丘、礼文
電車急行
信州、東海
客車特急、急行
しおじ(臨時)、しろやま、銀河(臨時)、天北
DC特急
まつかぜ
電車特急
しおじ(1974年)、白山、東海、草津
電車寝台
ゆうづる
客車寝台
安芸、あさかぜ、さくら、富士、はやぶさ、瀬戸
あかつき、銀河、能登、まりも、大雪、日南、エルム
新幹線
あさひ、あおば
のぞみ(名古屋、京都通過タイプ) 学校終わってからや日曜日に乗りに行ったのが
立山、ゆのくに、越後、比叡、きのくに、平安、屋久島、
紀州、みささ、みまさか、但馬、白兎、西海、雲仙、
くにさき、阿蘇、だいせん、いなば、ひるぜん ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています