乗ったことのある廃止された列車を語るスレ
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乗ったことのある廃線を語るスレ
http://schiphol.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1220123714/
というのがあるので姉妹スレとして立ててみた
優等列車、愛称付き普通列車を主な対象としたいけど、無名でも特徴ある普通列車(たとえば長距離鈍行など)なんかも桶
ただし、通年運行された定期列車とある程度の年数を毎シーズン必ず運転された季節列車(そよかぜ、新雪など)に限ります
オレはとりあえず
特急:あさかぜ、さくら、みずほ、出雲、あかつき、はくつる、ライラック、はつかり、たざわ、あさま、白山、かがやき、東海
急行:ちとせ、えりも、いわて、津軽、軽井沢、外房、東海、アルプス、銀河、かすが、丹後
普通:大垣夜行、上諏訪夜行
かな
こうして列挙してみると以外と少ない事に気付くな。関東在住のせいか西日本があまりないし 【特急】
鳥海・新特急あかぎ・新特急谷川・白山・あさま・加越
【急行】
ゆけむり・妙高・信州・よねやま・越前・おが
わたらせ・天の川・いわて・たざわ・鳥海・東海
まつしま・加賀・くずりゅう・アルプス・ちくま・よしの川
【普通】
山陰・はやたま・いそつり・733M(長岡夜行)・421M(中央夜行)
>>2
あ、オレも加越があった
まだあるような気がしてたけど、よく考えたらしらさぎに統合されたんだった
485時代はもちろん末期の683の時も乗った。南関東に住んでてあまり北陸線に縁が無いオレが一番乗った北陸特急が加越なんだよな 181系『とき』
急行時代の『かいじ』
大垣夜行のグリーン車 特急
あさかぜ、まつかぜ、加越、485白鳥、日本海(函館行)
急行
だいせん(気動車・客車)、銀河、ちくま(座席)、きのくに、たかやま
普通
824レ、山陰(座席・寝台)、大垣夜行(普通・グリーン)、
新宮夜行(はやたま)、海峡
おまけ:京阪神地区の快速のグリーン車
あさかぜ は姫路−東京間のみで、博多からは乗れずのままでした。いちばんしんどかったのは
やはり824レで、いくら乗り鉄でも途中は苦痛だったと記憶してます(笑) 特急:『なは』『なは/あかつき』
急行:『銀河』(寝台)『銀河』(座席オンリー)『だいせん』『きのくに』
普通:大垣夜行 臨時大垣夜行 新宮行普通(電車時代) 関西空港⇔JR難波 俺も乗った事のある廃止列車を、挙げるわ。
特急、新幹線
夜行オホーツク、まりも、利尻、はつかり、こまくさ、みのり、あさひ、あおば、白山、あさま、すいごう、東海、ドリームつばめ
寝台特急
さくら、下関あさかぜ、彗星、はくつる、北海道編成の北斗星
急行
陸中(キハ110時代)、まつしま、アルプス(夜行)、銀河、だいせん(客車、気動車)
快速
海峡、月山、
まつしまだけは、小さい頃だったから殆ど記憶が無いがね。 思い出したから追加するね(震災で記録ノートなくしたもので)
特急
あさしお
急行
丹波
普通
543レ(大阪−出雲市)
たぶん、まだあります。みなさんのをヒントに思い出します。 >>5
824レって門司→福知山の80年代の最長距離鈍行? >11
そうです。説明不足でごめん。
だれかさん(名前は伏せます(笑))の本か記事かで紹介され一層有名になって、
夏休みに乗りに行ったときには、私たち以外にも完全乗車してる人たちがいました。 >>12
やっぱりそうか。ま、結構有名だから列番だけでピンと来る人多そう
このスレ立てた時も誰かこのネタ書くの想定してたし。他に東北本線の123レとかね
ついでで>>1の書き忘れ追加
新幹線:あおば、あさひ
普通、快速:海峡、新幹線リレー 準急(急行)比叡
準急伊吹
急行兼六
あさかぜ(20系化前もあり)つばめ(583系)
里帰りの時は八甲田or十和田。はくつる、ゆうづるは高値の花。 【特急】
みずほ
【急行】
東海・丹波・だいせん・丹後・かすが
【普通】
大垣夜行 そういや福知山線普通721列車ってあったな。
朝一に大阪を出て出雲市まで行く列車です。豊岡までの乗車でしたが・・・。
1985年の改正でも12系客車になったものの奇跡的に残りましたが、福知山線全線電化で廃止になりました。
【特急】
あかつき・なは・彗星・あそ・ドリームつばめ
【急行】
砂丘・みささ,みまさか・えびの・ちくま
【快速】
備讃ライナー
【連絡船】これも鉄道絡みだからいいかな?
宇高連絡線 阿波丸 【特急】
はやぶさ・富士・あかつき・明星・なは・日向・有明・にちりん
【急行】
桜島・しろやま・あまみ・屋久島・かいもん・日南・錦江・えびの
阿蘇・さんべ・あきよし・いなさ・ひまわり
【快速】
やたけ・大隅・いぶすき 失礼。はやぶさ・富士・有明・にちりんはまだ現役だったorz 【旧国鉄・JR】
特急:さくら・みずほ・ライラック・白山・あさま・あまぎ・スーパーやくも・・
急行:伊豆・東海・能登路
準急:弓張
快速:内房臨時快速「青い海」・関空特快ウイング
【民鉄】
京成:(成田発着ノンストップ特急)=空港開業前のAE形特急
小田急:あしがら
のと鉄道:急行「能登路」
近鉄:(阪京特急)・(湯の山特急)
京阪:K特急
※()書きのは列車愛称ナシの優等列車
瀬戸、あさかぜ、はつかり、はくつる、ゆうづる、鳥海、あいづ
十和田、八甲田、津軽、銀河51、たかやま、くりこま
375M、海峡
富士とはやぶさもありますがまだご存命です。。。 >>20
急行時代の有明・にちりんに乗ったことあり 名鉄の全車特別車特急
全車指定席・名古屋〜東京ノンストップ時代の「のぞみ」 >>26
それはどちらも『廃止された列車』じゃないだろ
名鉄なら「高速」や蒲郡特急(三河湾)とかなら該当するけど 子供の頃乗せてもらった
急行 「鷲羽」 みんな知ってるかな? 小沢一郎は、やっちゃいけない 日本とアメリカの 対の 経済構造協議というのを やって、
8年間に、430兆の カネを 無駄遣いして、日本の 経済力を 弱めた。
沖縄の 需要の 全くない島に、5万トンのコンテナ船が 着くような 港を作ったり、
北海道で、熊や鹿しか 出てこないような、町のない所に 道路を 作った。
そのため 国債も 発行した。いまだに 670兆という、厖大な 国債がある。
この 体たらくを 作ったのは、小沢一郎 が 幹事長の 時だ。
小沢一郎 のような 人物が、日本の 首相になったら、とんでもないことに なります。
WILL 2007年9月号 石原慎太郎 (東京都知事)
XXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXXX
小沢一郎◆
東京市下谷区(現:東京都台東区)御徒町に弁護士で東京府会議員だった父・小沢佐重
喜(オザワサエキ)、母・みちの長男として生まれる。その父の佐重喜が、56歳の時の子
供。本籍地は岩手県水沢市(現:奥州市)。3歳から14歳まで郷里の水沢で育つ。 小
沢佐重喜は、夜叉の異名を持つ、浅草の香具師。北朝鮮の満州派]の潜入工作員。戦後、 岩手方面に進駐した朝聯の指導者。 母の日本通名荒木みちの墓は、韓国済州島。こ
ちらは、南朝鮮労働党の残党。 そして、小沢一郎の戸籍は、浅草の泥棒市で入手さ
れた。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1993年7月18日、第40回衆議院議員総選挙 が行われ、与党自由民主党 が解散前の議席数を維持したものの過半数を割り、非自民で構成される細川連立政権 が誕生。自民党は結党以来初めて野党に転落した。
9月21日、民間放送連盟の放送番組調査会の会合が開かれ、その中でテレビ朝日報道局長の椿貞良は選挙時の局の報道姿勢に関して、
「小沢一郎 氏のけじめをことさらに追及する必要はない。今は自民党政権の存続を絶対に阻止して、なんでもよいから反自民の連立政権 を成立させる手助けになるような報道をしようではないか」
「共産党に意見表明の機会を与えることは、かえってフェアネスではない」
との方針で局内をまとめた、という趣旨の発言を行った。 >28
最後のフレーズはこの手のスレでは禁句だと思う 特急 あさま・581系の有明(博多から西鹿児島まで)・彗星(25系)
急行 しらゆき・白馬・アルプス(165系昼行・183系夜行)・きそ(165系)・ちくま(20系+12系 名古屋が運転停車扱いだった)・だいせん(20系)・天竜(80系) 【新幹線】
あさひ
【特急】
みちのく,はつかり,鳥海,ゆうづる,こまくさ,あいづ
白山,あさま,さくら,ワイドビュー東海,つばめ
【急行】
ときわ,奥久慈 沢山あるな!
札幌→函館 急行宗谷
中間車輛のホイッスル鳴らして怒られた。 特急
14系つばさ そよかぜ
急行
東海 銀河 ときわ 津軽 特急
おおとり、はつかり、みちのく、はくつる、白山、あまぎ、東海、おき、 急行
千秋、まつしま、ゆけむり、草津、佐渡、よねやま、信州、妙高、アルプス、たてしな、こまがね、東海、伊豆、ごてんば、富士川、伊那、天竜、比叡、白兎、 特急では北海。小沢や倶知安にC62重連のニセコを出迎えにゆくにはちょうど
よい列車だった。
特急になってからのみちのく。上りはすぐ前にはつかりがあり、いつもすいて
いた。
九州では門司港ー都城間の夜行各停。大畑ループで迎える朝がとてもよかった。
61.11まであった函館本線の旧客夜行鈍行(廃止当時は41・46レ)。
銀河鉄道999のイメージそのままの列車だった。
特に上り(札幌発)の小樽発車〜塩谷へ向かって坂を登り、
小樽の町並みを見下ろす光景は絶品だったな。 58654が長崎で運転され、撮影に行った帰りに乗った「雲仙」
20系の三段ハネに唯一乗った。狭かったが乗っておいて
良かったかもしれないな。1990年の夏の思い出。 おれがさくらに初めてのって2年以内に廃止になった。
おれがあかつきに初めてのって3年以内に廃止になった。
おれがなはに初めてのって1年以内に廃止になった。
おれがあさかぜに初めてのって1年以内に廃止になった。
おれがはやぶさに初めてのって3年以内に廃止になった。
おれは3年前初めてあけぼのにのった。
おれは4年前初めて北陸にのった。
おれは今年はじめてトワイライトエクスプレスにのった。
残る寝台列車は日本海と北斗星、樫ぐらいかな…
で、本題。
181系あずさ、ときは何度ものったことあるな。食堂車もついていた。
ひばり、やまびこ(在)も何度ものったな。
165系急行なんて数え切れないくらいのっている。
関東甲信越、東北へ行く列車はよく利用していたが、東京発のブルトレは35歳すぎてからしかのったことない。
フェニックス 佐敷〜博多
みずほ 熊本〜横浜
西九州 大分〜日田
由布 日田〜大分
日南 大分〜博多
火の山 熊本〜大分 特急 はつかり、白山、かがやき、おおとり、あさしお
急行 おが、越後、しらゆき、宗谷、べにばな、ときわ、
東海、のりくら、むろどう、うなづき、立山、大社、
だいせん、ちどり、土佐、…
圧倒的に急行が多い。 特急 あさま 白山 ゆうづる ライラック さくら
急行 かわぐち 外房 内房 ごてんば 越後 ばんだい 磐城 もりおか アルプス よねしろ 津軽 >>29 本当??
けど、マスゴミがやりそうなことだよ。中川氏への報道も意図を感じる。 特急 ライラック おおとり ゆうづる はつかり やまびこ つばさ 白鳥
急行 天の川 信州 しれとこ 大雪 利尻 まりも 礼文 八甲田 津軽 十和田 >>54
それはそれは。揺れる(←たぶん)車内での業務おつかれさまでした… 今年の1月、正月休みを終えた俺は高知から3日の夜行で帰ってきた。
まさか最終1本前の便だったとは・・・。 急行 佐多(鹿屋〜宮崎) 鷲羽(新大阪〜宇野)
特急 おりんぴあ あすか こだま151系 153系こだま 12系つばさ 特急…さくら みずほ ゆうづる おおとり はくつる やまばと 白山 加越 まつかぜ あさしお
急行…銀河 大雪 八甲田 東海 ちくま 丹後 さんべ だいせん たいしゃく ゆのか
まだまだあるが、パッと思い出せたのがこれらの列車 桜島
高千穂
銀河
津軽
八甲田
東海
越前
能登
鳥海
アルプス
ちくま 特急
おおとり、おおぞら、北海、いしかり、ライラック、スーパーホワイトアロー、
オホーツク流氷、オホーツク夏休み、はつかり、ゆうづる、はくつる、やまびこ、
たざわ、鳥海、ひたち、あさかぜ、さくら、しなの、あさしお、瀬戸、彗星、つばめ
急行
宗谷、利尻、礼文、天北、紋別、天都、大雪、しれとこ、狩勝、かむい、さちかぜ、
ちとせ、すずらん、ニセコ、津軽、八甲田、十和田、おが、天の川、べにばな、
むろね、くりこま、ばんだい、土佐、あしずり、いよ、さんべ、音戸、出島、火の山 ゆうづる・はくつる・さくら・(在来)あさま・(在来)とき
(純粋奥羽経由の)あけぼの・アルプス・シュプール号・0系新幹線・100系新幹線
するがシャトルなんてマイナーなのもあったw
地元の犬吠は乗ったことあったか曖昧。 【新幹線】
あさひ
【特急】
あさかぜ、出雲、あかつき、東海、あいづ、白山、加越、かがやき、白鳥(日本海縦貫)、
オホーツク(夜行)、ホワイトアロー、ライラック、はつかり(盛岡始発)
【急行】
銀河、かいもん、日南、のりくら、紀州、かすが、みまさか、ちどり、砂丘、大社、丹後、
火の山、八甲田、利尻、まりも、比叡
【夜行鈍行】
大垣夜行、長岡夜行(上野〜長岡)、山陰(京都〜倉吉)、釣列車(天王寺〜新宮)
ちなみに、JR全線の83%ぐらい乗ってます。
【在来特急】
はやぶさ、みずほ、富士、あさかぜ、瀬戸、あまぎ、あさま、とき、ひばり、あさしお、まつかぜ
【急行】
銀河、新星、だいせん、さんべ、立山、東海、比叡、かすが、外房、越前、アルプス、こまがね、きのくに、丹後、
こんなところかなあ。急行はまだありそう。名前忘れたけど久大本線の急行も。
ところでアルプスは臨時も含め廃止でOK?
要は乗ったことのあるネームドトレインが殆ど廃止されてる。寂しいな。
あと347M、345Mと340M 元々名門急行だったのが、臨時格下げになって、いつの間にか臨時も走らなくなって
「あれ?いつの間にか廃止されちゃったの??」っていうパターンは哀しいな。
好きだったアイドルグループが、活動休止して、
いつの間にか「引退しちゃったの?」って言われてるのと似たような心境だ。 【在来線特急】
はやぶさ、かがやき、つばさ、つばめ、あさま、こまくさ、白鳥
【急行】
津軽、八甲田、ざおう、東海、かすが、えびの、錦江
意外と少ない…。
あと昭和60年に乗った函館−札幌の夜行鈍行列車が思い出深い。
なぜか張碓停車だった。
151系オリンピアって急行じゃなかった?
別にスキーに行ったわけではないのだが、特急「あさま銀嶺」に乗った。
それから特急「ふるさと」。 久大線の急行って由布じゃないのですか?
日田彦山線から入る快速もありましたね。
50系客車に揺られてったなぁ。 >>68
由布だったかもしれません。別府から博多だまで乗ったと記憶しています。
あと、583系ロザで彗星も乗ったっけ。
急行は佐渡7号(夜行のやつ)にも乗ったなあ。
14系のきたぐにや能登にも乗ったけど、限りなく近いルートで現存してるから無しですね。
ただ能登の碓氷峠通過を起きて実感しようと思っていながら、爆睡してしまってまったく記憶がないまま通過したことは、未だに悔やまれるw おそらく臨時特急だと思うけど「ゆあみ?」とかいうのに乗った。 20系(小学生時代)と24系25型(社会人時代) 寝台急行銀河にのった
ぼくも昭和25年6月25日に17列車のマイネに乗ったよ。
マロネ2両にオロ2両が満席だったんだ。
でもマイネはガラガラだったんだよ。
マロネは無いけど「まりも」ならある。
DD51+14系客車の。
夏の夜、札幌駅の稚内、釧路、網走と書かれた行き先は、誰もを詩人にしてくれそう。
寝台付き編成で昼間走ってた「天北」は乗りたかったなぁ。
夏休みが終わるから帰らねばならず諦めたけど、あの後天北線は廃止に。
永遠に夢の彼方に行っちまったよお。 【新幹線】
あおば あさひ
【特急】
ライラック スーパーホワイトアロー ひばり はつかり つばさ 白鳥(大阪〜青森)
ひたち あさま 787のつばめ ゆうづる 新幹線リレー号
【急行】
まつしま ばんだい あがの だいせん 砂丘
【快速】
うみかぜ うそり うみねこ 海峡 仙山 ばんだい いでゆ
【普通】
165の大垣夜行 1980年までの在来線黄金時代を
乗り鉄で過ごしたものにとっては
50じゃきかない。 >>74筑豊線に明星って走ってたの?
あかつきなら乗ったけど
>>77お齢じゃなくて乗った列車の数何じゃないの >>78
いや、わかってるけどいい歳していると思われるオッサンが自慢気なんで。 はいはい。
でもさ、娘とか部下の女とかカミサンにもクサイとか言われだしたら、こういうとこで昔の思い出に浸りつつ、鼻高々してみたくなるのかもよ。
かくゆう我も四捨五入でアラフォー。嗚呼。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
>>34
俺もだ。
地域的に対をなすようだが
隼人ー西鹿児島間に乗ったDC「大隅」で満席で運転台にいたのだがうっかり踏んで
タイフォンが鳴ったのでびっくりしたが好奇心でさらに2〜3回踏みつけた。
車掌は来なかったがな。
廃止された列車を言えばきりがないが九州の急行だけで「日南」「えびの」「出島」
「かいもん」「佐多」「ぎんなん」「しいば」と廃止された列車ばかり。 >>83
自慢気かどうかは別にして>>76は、ああそうですかで終わっちゃう書き方だね。
せっかく50も乗ってるなら、選りすぐりの2つでも3つでも書いてくれれば話がつながりそうなのに。 【特急】
ひばり・彗星
【急行】
くにさき・阿蘇・雲仙・西海・伯耆
【普通】
大阪〜岡山(大阪〜明石間快速)
宗谷 すずらん 狩勝 大雪
日南 かいもん ながさき
うわじま 雲仙 八甲田 おが きたぐに 能登 津軽 だいせん
長岡行夜行 大垣行夜行 長野・上諏訪行き夜行 中村行夜行
島内の夜行は周遊券で宿代わりにしてたから全部乗った 中央東線の夜行普通上り424レ
新宿に着くのが朝5時前で山手線の初電がくるまで30分以上なにもすることがなかった
当時は車内の通路に寝るから新聞が敷かれていることが多かった
下手に座席できゅうくつな姿勢で寝るより、新聞敷いて床に寝たほうが楽ちんなのを知ったんだが
新聞を敷くと特に冬場はばつぐんに暖かいが、床の油の匂いが服にしみるのが難点 >>92
2度、甲府から新宿まで利用しているがガラガラの薄暗い車内が世間から
取り残された世界に思えた。深夜の駅に停車している時は静粛そのもので
発車の時も物音を感じなかったくらい。
俺は寝つきのいい方なので床でなく座席でくの字になって寝ていたけどね。
登山者で賑わう姉妹列車の425レにはない、旧客のこうした味わいこそが
鮮烈な記憶として残っている。 特急あまぎ
初めて乗せてもらった特急だったから嬉しかったなあ。 >>96
>初めて乗せてもらった特急
俺も!
157系だった。
ホントは高運転台の485や181とかに乗りたかったが地元横浜を通る赤とクリームの特急はこれだけだったから嬉しかったな。
今となっては高運転台183-1000になる前に乗せてもらえて良かった。 快速奥大井(臨時)
母親の実家が川根にあったので何度も乗った事があります。
金谷駅下り本線から大井川鉄道に乗り入れる際に、西側の三連トンネル内で方向転換し、延々と渡り線を通ったのが印象的でした。
当時はまだ新しかった113系4連で大井川鉄道唯一の冷房車の為、夏場は特に混んでいました。 あっ、あまぎ。私も乗った。
でも小さかったからほとんど覚えてない…。
シャボテン公園と天城山は少しだけ記憶あるのだが。
あとから写真で見て、どこでも走ってる列車じゃなく、オリジナルだなと思った。 100系ひかり103系京葉線103系総武緩行205系山手線
>>100
微妙にこのスレの趣旨からずれてないか?
まあ明確な定義があるわけではないが、今までの流れとは、ちと切り口が違うような… 末端の一部区間だけ乗ったもの
白鳥 秋田―鷹ノ巣
さくら 長崎ー鳥栖
まつかぜ 江津-米子
高校卒業の時、
東海〜八甲田〜青函航路〜ニセコ〜大雪で網走まで はつかり
とき(在来線)
あさま(在来線)
十和田
利尻
夜行オホーツク
まりも
大垣夜行
富士
はやぶさ
銀河
東海(急行時代)
あかつき
出雲
かすが
あいづ
あしがら(小田急)
蒲郡特急(名鉄)
深日急行(南海)
多摩線特急(京王) おおとり
函館―網走間
白鳥
青森―京都間
とにかく疲れた 白鳥懐かしいな
青森から直江津まで乗ったけど、半日乗りっぱなし…でもまだ半分だった訳で
昼行の列車であんなにロングランするのは白鳥だけだった 利尻 特急おおとり はつかり つばさ(在来線485系1000番時代)
きたぐに ときわ くりこま(急行) 深浦 きたかみ 石狩
急行東海 比叡 十和田 八甲田 もりおか 津軽 ノサップ
土佐 あしずり 阿波 いよ うわじま 鷲羽
アルプス(急行) 妙高 木曽 たかやま(急行) 赤倉 しらゆき
むつ ばんだい のりくら
錦江 火の山 ひこさん かいもん しいば
但馬 みまさか みささ たいしゃく 美保 丹後 平安 はやたま 志摩
きのくに 立山 くずりゅう さんべ かすが 大社 銀河 山陰 犬吠
つるぎ(大阪〜新潟)
銀河(大阪〜東京)
あかつき(大阪〜長崎)
スーパー雷鳥・信越(大阪〜富山・直江津・七尾)
白鳥(大阪・長岡〜新潟・坂町/青森〜秋田)
あさしお(京都〜鳥取)
たんば(西舞鶴〜京都)
かがやき(富山〜長岡)
やまばと(上野〜米沢)
つばさ※L特急(上野・福島〜米沢)
ざおう(上野〜米沢)
はつかり(盛岡〜青森)
あさひ※急行(新潟〜米沢)海峡(青森〜函館) 特急あさしお京都発西舞鶴経由城崎行き
乗り通すと3回も進行方向が変わる列車 リレーこまち
あさま(在来線)
急行アルプス
急行あずみの
急行ちくま
急行ばっかOp2 国鉄末期からJR初期にかけて乗りまくって、15年前に一応JR完乗果たしたから、結構多いような気がする。
(もっとも地域差が激しいのはご愛嬌だがw)
【特急】ライラック・スーパーホワイトアロー(以下夜行)まりも・利尻・オホーツク
はつかり・つばさ(在来線時代)・たざわ・秋田リレー・白鳥(大阪発着時代)
あさま・東海・加越(以下夜行)はやぶさ・あさかぜ・富士・出雲・なは・あかつき・彗星
【急行】まりも・利尻・大雪・八甲田・津軽・東海・アルプス・ちくま・たかやま・ゆのくに・立山・能登路
丹波・丹後・だいせん・さんべ・かいもん・日南・えびの・火の山
【普通・その他】大垣夜行(ムーンライトながら含)・中央夜行・上越夜行・ムーンライト越後
ノスタルジックビュートレイン・ムーンライト九州・ムーンライト山陽・ムーンライト八重垣・ムーンライト高知
ムーンライト松山・山陰・はやたま・ながさき
寝台特急富士
悲しい・・・・寂しいのではなく悲しい
「新宿発横須賀行き湘南新宿ライン」
2階立ての215系に乗り放題だったあの頃・・・・
常磐線通勤快速
凄い混雑だったなぁ
(少し趣旨が違うかも知れないけど)
逗子発快速八王子行き
定期扱いだけどほぼ臨時列車だった
特急東海
comeback!!
【廃止が心配される列車】
東京発特急踊り子修善寺行き
中学最後の部活の旅行で使った想ひ出の列車
秋田発仙台行の夜行列車。
名無しの急行だったがハネがついていた。 秋田発仙台行 というと「きたかみ」とか「たざわ」の気動車時代を連想するのだけど、
名無しハネというとかなり昔の話しなのかな? 秋田発の段階では急行おが54号上野・仙台行だったと思う。
そういう意味ではおがの付属編成ってことかな? 急行しらはま、きのくに(南海経由)
南海線を走るDCなんて、今思えば貴重な体験だったな。
関西本線名古屋ー奈良直通普通列車
途中下車派だったので、名古屋ー亀山は旧客乗ったりもし、乗り通すことはなかったが。
1エンジン車の鈍足“加太越え”の一方、当時平城山駅はまだ無かったので、木津ー奈良間は7q7分で走り、加茂・木津ー奈良間に関しては今より速かったかもしれぬ。 1994年、夢空間北斗星。
上りは砂原回りで、S北斗に抜かれた。
黒磯でも運転停車で北斗星?号に抜かれた。
食堂車のメニューは予約不要のミニコース6kエン、日食仙台が担当。 >>123
東京夢物語号(大阪〜金沢〜上野)
乗ったのは北斗星用のソロだったが、ラウンジでくつろいでたらデラックススイーパー利用者に声かけられてお邪魔したな。 急行えりも。札幌=様似。
苫小牧まではちとせに併結。 思いつくままに、
北海道:急行天北・利尻・まりも・大雪・ミッドナイト・山線経由の普通夜行・海峡
本州:八甲田・ひばり・ホームライナー土浦・大垣夜行・東海・伊豆・はやたま・山陰・だいせん・たかやま
四国:宇和島夜行・中村夜行(気動車時代と50系時代)
九州:はやぶさ・日南・かいもん
こうして書いてみると、夜行列車が多いな。
学生の頃は夜行を宿代わりにして乗り鉄しまくっていた。
深夜の駅のけだるい雰囲気、いつ思い出しても懐かしい。 銀河(スハ44、オロネ10)
かもめ(82DC時代)
しおじ(クロハ‥といってもハの方)
やっぱりガキの頃の方が面白かったな。 津軽2号(10系+12系)
津軽51号(12系)
おが51号(20系)
きたぐに(新潟〜青森・12系)
日中線(喜多方〜熱塩・オハフ61)
いいで(キハ40新潟)
はつかり(583系)
あいづ(485系、食堂車付き)
長距離普通列車(スハフ43・東能代〜福島)
同じく長距離普通列車(オハ35・新津〜秋田)
あたりを懐かしく思い出します。 帰省ラッシュ時のキハ181やくも、
よく中間運転台に乗っていた。
キハ58と比較すると広かった気がする。
食堂車で大山おこわ定食を食したな。
出たっ、大山おこわ定食!
まつかぜの方でも話題だね 1981年ごろ、競馬で儲けたお金で、急に遠野に行きたくなり上野から八甲田の指定をとり乗車。
ところが、4人ボックスは4席とも売れてる。しかしあっちこっちのボックスは空き放題。
向かいのサラリーマン氏が新聞紙を広げて『靴を脱ぐと楽ですよ』と誘ってくれたが
自分はさっさと開いているボックスに行って占領して寝てましたが、問題はなかった。
当時の国鉄の指定の出し方は1人客にとってはデタラメでしたね。
帰りは速達タイプの急行くりこま→急行あずま(仙台ー福島は各駅)でした。
八甲田乗車はこの1回だけ。でも臨時の八甲田81号に乗ったことがあります。
1970年代前半仙台ー黒磯間。まつしま3号?13時13分の指定が満員で、13時16分の臨時に乗車。
停車駅はまつしまより当然少ないので、途中で追い抜きを期待するも、列車は電車より当然遅く
まつしまよりもかなり遅れて?黒磯着。黒磯の5番線の階段はいちばん前。
8号車から降りて前まで歩くとちょうど機関車がない。
初めての黒磯駅体験でした。
帰りは、釜めしを買ってまつしまに乗りました。自分にとって釜めしいえば横川ではなく、黒磯だったりします。
まつしまを待つ間、2・3番線から折り返していく上野行電車がまぶしかったなあ。
東北の主要在来線の特急、急行は結構乗ったね。
はつかり、やまびこ、ひばり、いわて、もりおか、まつしま…
特急は食堂車がついていてよかったなぁ。
181系ときや485系いなほ(上野からでるやつ)ものった。 特急ポートピアにのった。
三宮始発の特急って初じゃないか。 仙台 上野間の急行 まつしま午前発車 みやぎの午後発車 あおば夜行だったような。 急行鷲羽2号、神戸8時33分到着。(新幹線岡山開業時に廃止) とがくし
長岡→東三条
外も中もピカピカの165系 急行みやづ…毎日運転の臨時急行。
急行たかやま…陶器の釜飯が最高でした。晩年は専用色&アコモ改造&大きなヘッドマーク付。二号車は一両グリーン車。これぞ急行列車といった風格がありました。 14系(座)日本海、夕日が差し込む大阪駅から出てゆく
客の乗ってない12連の車内が懐かしい。
14系(座)しおじ、後部貫通路から眺めたEF59
14系(座)つばさ、福島機関区のそばのカーブになった
大きな踏切で重連のカマに牽引された勇士が懐かしい。 いい話だね。
14系の日本海があったのは初めて知った。
>>140
ここのやえもんさん?
ttp://www1.interq.or.jp/~ytrain/LOG/SP/388-14kei.html 大井川鉄道の元小田急SSE車使用の急行。
千頭〜川根両国のミニSL(コッペルとクラウス)。
井川線旧線(川根市代〜川根長島) 今から16〜18年前に上野から青森まで12系の臨時十和田だか八甲田に乗った。
さすがにあの垂直の椅子は疲れた。
帰りは14系の座席改善車だったので快適だった。 >>143
581系有明で博多から西鹿児島まで乗ったが、その時も辛かったよ。 昼間のサンライナーじゃ。
倉敷以西は、貸切に近かったからな。 急行出島、急行比叡、さくら、みずほ、急行アルプス、あさかぜ、富士、急行かいもん、急行日南、まつかぜ、有明、急行銀河、はやぶさ、出雲、在来線あさま >>143
>>144
居住性よりも精神的な環境の良し悪しがそのまま疲れに出る。
札幌から上野まで「北海」「みちのく」乗り継いだが隣席の人がむっつり。
しかも「みちのく」でも隣席。どっと疲れた。
上野から札幌まで「八甲田」「宗谷」を乗り継いだ時は同席の人と意気
投合。垂直な椅子であるが疲れもなく楽しかった。
「宗谷」を除いて全て廃止されてしまったが。 夏の満員の夜行旧客はつらかった。
雨だと窓を閉めて車内むしむし。
窓を開けると車内灯に誘われた虫が入り込んでくる。
足は伸ばせず、尻は痛くなる。
眠れなくても目をつぶって夜明けをじっと待つ。
12系はありがたかった。
14系は贅沢だった。
寝台券なんて1週間前発売では手に入らなかった。
それ以前に金がなかった。
>>147
精神的な環境の疲れは多少あるが、殆どが車内設備による疲れだろ?
漏れも581系しらさぎを家族旅行に使ったが、いくら寝台と兼ねてるとはいえボックスシート リクライニングしない固いシートはきつかったぞw
まぁ>>147が、もし60系客車を使った臨時急行に乗っても精神的環境云々と言えるかどうかだが… 我が街大社から出雲市まで20系「だいせん」(普通区間)に乗って毎朝
通学していた姉キを羨ましく思っていたなぁ。出雲市駅で良く「山陰」の
10系寝台車も見かけたもの。昭和59年くらいの懐かしい思い出。 昭和57年の急行大社。名古屋・大社間通しは長かった。
1人乗務の車掌長は西舞鶴車掌区という、国鉄ならではの長距離乗務。 S47前後の夏、わかさビーチ、小浜ビーチ、エメラルド、丹後ビーチなんて
急行がゴロゴロ走ってたな。何に乗ったんだろう。覚えているのは、夕方、
帰る時に58の2連がきて、すしづめ状態。次の急行が15〜30分後に
来て、らくちんで帰ったな。 >>149
ボックスシートだと向かい合った人によって旅の印象が違ってくるからね。
一方向のクロスでの隣に座った人よりも、顔を突き合わすだけ影響は大きい。
581/3系のボックスシートは悪くないが、そのあたりが敬遠された理由かもしれないな。
まあ自分の思い出としては、急行のボックスシートでも女の子と知り合った場合は
疲れを知らず時間が経つのがあっという間だったな(笑 >>153
ボックスシートの思い出か・・・
急行「しらゆき」青森〜金沢。
今や遠い思い出になってしまったキハ58系の長大編成。
早朝の青函連絡船で青森に着いて、これに乗った。
ガラガラの車内の隣のボックスには移動中の乗務員。秋田運転区?
いろいろ話を聞いて興味深かった。
大半は忘れてしまったが、機関助士時代、C61やD51に乗っていた事、気動車のブレーキ操作の事など。
楽しい時間はすぐに過ぎ、秋田で降りていった。 【特急】
485ひたち みちのく
【急行】
ときわ もりおか 奥久慈 つくばね 臨時十和田
【普通】
451普通
高校時代朝の通学に乗ってた451の普通列車はグリーン車を普通車扱いで開放してたので
始発駅乗車の俺は毎日グリーン車通学だった グリーン車の普通扱いって理解できなかったなぁ。
今の快速みたいに普通列車でもグリーン料金取れば良いのに、
とか思ったんだけど、それじゃ乗る人がいなかったのかな。 そう、乗る人がいなかった場合がほとんどだと思う。
名古屋らへんのホームライナーのG車指定席の
利用状況を見に行こう見に行こうと思ってるうちに無くなってしまった… 大糸線 朝の上り165系普通(夜行アルプスの折り返し)もグリーン車は解放されてたよ
冬季は、ケツがWパンタのクモヤ90付いてた。 自分は昭和58年から本格的に乗り鉄を始めたのだが、遭遇したグリーン開放は
・信越線の長岡〜直江津間(急行“よねやま”の送り込み?)
・因美+若桜線の始発普通列車(急行“砂丘”の前運用)
・舞鶴線始発(急行“丹後”送り込み?)
・(電化後の)七尾線の始発(和倉温泉始発の“スーパー雷鳥”送り込み?)
⇒コレはサンダーバード化後、グリーンは締め切りになった
コレくらいだな。 >>グリーン開放
地方都市近郊のラッシュ時は
急行編成のアルバイト運用が多かったので
結構遭遇した。
でも一番多かったのは上野だったかも。 準急くりこま。最初でたときは、仙台青森間特急よりも速かった。 >>161
おいおい、準急くりこま設定時は仙台盛岡間の運転な。 今更ながらS53年3月に乗った青森(14:25)から上野(22:56)までの「はつかり5号」(583系)と
言うだけなら有り触れた話だが、忘れられないのが上野到着寸前の接続列車の案内。
東京からの大垣夜行を筆頭に新宿からの急行「アルプス8号」南小谷行きや長野行きの夜行441M
とかとんでもない行き先が次々と出てきた。これも今では廃止されたり臨時格下げとなった列車
ばかり。 急行つくばねが時刻表に「小山駅は通りません」って書いてあったのが気になって乗りに行ったなあ。
間々田から単線に入って…
車内も暗くなったのを覚えてる >>163
ああいう放送は、当時は意味があったのでしょうかね、、
ヤバい乗り継ぎだったら、事前に時刻を調べてくるか
切符を予め買っておくかすると思うんですよね。
東京って別の駅だし。 >>158
飯山線の戸狩からの始発列車も。
スキーシーズンのみだがはDC「きそ」が乗り入れたのでその折り返しで。
上りの大糸線ではG車は新宿に座席が向けられていたので下りの送り込みでは
さすがに開放はしていなかったが。 親戚宅行くのに家が貧乏で雷鳥に乗れず急行立山によく乗った
金沢で無人の白鳥がホームにやってきた???
新潟の大雪で大幅に遅れたために金沢から別車両仕立てて定時運行、
自由席でもガラガラでラッキー
乗ったことのある廃止された列車…。
昭和40年代半ばから乗り鉄をしているから、それを挙げたらキリがないよ。
あの当時全国を走っていて乗りまくった特急、急行、準急のほとんどが消えてしまったんだから。
例え名前は残っていても、昔とは運転区間も性格も全く違う列車になっているし。
当時とあまり変わっていないで残っていると言えば、「ひかり」「こだま」くらいじゃないの? このスレに
485系時代の特急ひたちとか401、403系の普通列車とか書いても何なら不思議じゃ無くなるとは
末裔たちは頑張ってるけどね >>167
そんなアナタにオヌヌメだったのが、昭和50年代後半(だったはず)に運転された 臨時夜行急行 立山 富山行(581系使用)と それに接続する臨時普通 糸魚川行(485系使用)ね
立山は座席の他 寝台席も用意されていたが、座席利用の客の中には勝手に下段ベッドを作っちゃうのもいたとか…
因みに485系の方は糸魚川到着後 折り返し富山行となって、しらさぎの運用に入ったらしい 自分としては「あさかぜ」4号と「みずほ」かな。
「あさかぜ4号」は、個室寝台を希望していたが、B寝台だったけど食堂車や個室寝台などを拝めてうれしかったのを覚えている。 急行「しらゆき」
富山−青森間乗車。名前だけは美しかった(笑) DC急行
青島、ちどり、砂丘、礼文
電車急行
信州、東海
客車特急、急行
しおじ(臨時)、しろやま、銀河(臨時)、天北
DC特急
まつかぜ
電車特急
しおじ(1974年)、白山、東海、草津
電車寝台
ゆうづる
客車寝台
安芸、あさかぜ、さくら、富士、はやぶさ、瀬戸
あかつき、銀河、能登、まりも、大雪、日南、エルム
新幹線
あさひ、あおば
のぞみ(名古屋、京都通過タイプ) 学校終わってからや日曜日に乗りに行ったのが
立山、ゆのくに、越後、比叡、きのくに、平安、屋久島、
紀州、みささ、みまさか、但馬、白兎、西海、雲仙、
くにさき、阿蘇、だいせん、いなば、ひるぜん 急行「志賀」よく乗った。
長電直通らくちん。
横川の釜飯500円は窓を開けて立ち売りから買って、揺れる碓井峠で食べた
普通列車
新宿6:20発 中央線回り長野行き。ただただ座ってた。9時間の運転時間だったかな。今でも松本行きが何となく名残を残してますね。
上野発、夜行長岡行き。尾瀬ハイクに行く方々で床に座るほどの満員ぶり。沼田を過ぎると平穏な列車だったなぁ
大垣行き夜行。早く行ってグリーン車の席をゲットした。グリーンが付いてた頃の115系。
>>179
新宿夜中発長野行きの441Mというのは、当時「アルペン夜行」とかいう呼び名があったので、
知っていたけど朝発があったとは初めて知った。 電車化されても、朝一の普通は、長い間高尾発松本行きのロングラン鈍行だったけどね。
中央線の夜行鈍行には何度となく乗ったけど、日野原で時間調整も兼ねた1時間近くの停車があるんだよね。
ひんやりした空気の中、長旅を紛らすために、多くの人がホームに出て一服するんだな。
すると、次第に白み始めた東の空に、南アルプスの稜線がシルエットに浮かんできて、そりゃあ絶景だったな。 いい想い出がありますね。
今でも八王子発松本行きの朝一の列車は日野春であずさの通過待ちをしていて、一服出来る時間があり、いまでものんびりとした時間があります。さすがに一時間は停まらないですけど…
新宿発2355発長野行きは懐かしいですね。そういわれてみるとありましたね。
1973年の時刻表を引っ張りだして来てみてしまった^^
新宿23:55発 長野行き普通列車(列車番号425)
入線時刻は22:21 1時間半前からホームで待機してたんですね。
甲府2:54着 24分停車
日野春3:58着 44分停車 夏なら薄ら明るくなる頃、山の稜線が浮かび上がって来てきれいなんだろうなぁ
上諏訪5:45着 38分停車
松本7:55着 24分停車
長野10:11着
乗り通したら10時間16分
疲れそうだけど、のんびりしてていい時代だったなぁ
今じゃ新幹線で1時間半だもんな。旅情なんて無いですね そんなあなたに臨時だけどムーンライト信州。
漏れは急行アルプスと名無し普通があった時代くらいしか知らない。
10年位前まで1日5本くらい出ていたような。
西側も「ちくま」に加えて「くろよん」とか臨時のちくまもあったのに全部消えた。 比較的新しいけど、きのくにシーサイド。
まだ走れそうなのに登場して10年経たずに廃車…。
乗車券(+指定券)で乗れてしかも快速ってのが有り難かった。
シートも快適だったし。
やはり阪和線に客車を走らせるのは無理があったんだろうか…。 水戸線の455系
115系と同じ乗りごこちでガタンガタンと走った。 佐渡7号、夜行の佐渡。
車両は昼行と同じ165系。
その後、新幹線開業で佐渡は廃止になり、夜行新潟行きは廃品のグ
リーン車リクライニングを窓のピッチを無視して並べ、新宿発ムー
ンライトとなりましたね。
ムーンライトなんとかがつかない元祖ムーンライト。 レール7でレポされてて、そんな列車があったのかと知った記憶がある。
>元祖ムーンライト ムーンライトの元祖って、EF64+14系客室×3の急行で会員扱いじゃなかった? >>186
昼行の佐渡は乗った記憶があるが、夜行の佐渡があったとは・・・・・
165系の車窓から見る夏の越後中里スキー場の緑がまぶしかったなあ・・・・・・。 いや、佐渡に限らず
新幹線開業前は信越・東北方面にかなりの夜行の電車急行があった。
変わったところでは急行出羽なんていう夜行気動車急行もあったよな。 >>189
>>190
昭和50年代前半ではスキーシーズンとなると夜行の「佐渡」「信州」「妙高」となると
スキーヤーの行列が凄かった。逆に「八甲田」「津軽」「鳥海」の方がすいていた位。
混雑の主役は電車急行でこちらは若者ばかりで「八甲田」など長距離急行は出稼ぎ風の
客や北海道方面への若い旅行者でこの対比も目だっていたと思う。
新宿でも夜行「アルプス」の行列も定員を上回る位並んでいたな。
東北上越新幹線が上野まで開業した昭和60年代だが冬期は平日でも上越方面がスキーヤー
、東北方面がビジネス客の対比がまだ目だっていた。 客車急行“妙高”は濃かったね。
上野〜直江津300km弱の距離を約7時間30分かけて機関車4両のお世話になる。
寝台車込みのブルトレばりの14系9両編成で長野〜直江津は普通列車になる。
それ以前は10系寝台車でA寝台も入っていたけど。
距離的には東京〜豊橋、東京〜福島くらいでしょ?
今の感覚で言えば存在自体が奇跡としか考えられない!
日本海が最果ての地に感じられた。 >>192
客車ではないが300kmそこそこで信越以外では「アルプス」「ばんだい」「あづま」
などがあった。俺も就職してから金曜夜から日曜にかけて遠くへ出かける時は金
もないせいもあるがこれらの夜行は寝不足が付き物だが便利だったし昭和50年代
半ばまでは盛況だったな。当然今の世代からは信じられないだろうけど。
やがて貯金もたまり車を購入する頃には高速道路も充実してきたので俺自身もそ
ちらへシフトするようになった。
同時にこれらの夜行列車も衰退していった。
>>日本海が最果ての地に感じられた。
若かりし頃、新宿から夜行「アルプス」で南小谷。ここからローカル気動車で糸魚川へ。
更に富山方面への旧客の普通列車に乗って日本海が見えた時は感激モノだったし、同様
な思いだったな。 臨時の信州だと、小山の115系を使っていたのもあったみたいだね。 >>194
乗車距離100kmくらいなら我慢するけど200kmくらいだと100円引きじゃあ
割に合わないよorz。リバイバルなら115の急行全指でも瞬殺だろうけどw 100円引いてくれたのか?
かいじ、なすのの115系は割引なしだったんじゃないか。 >>196
ん…、100円引いたかわかんないorz 割引はないよ。割引があったのは12系で運転された特急の「あかつき」「つばさ」が
確か特急料金200円引きで運転された。
あとは新製車両が間に合わなくて56系で運転された特急「北斗」とか、
事故などで急遽急行用の代替え車両で運転された特急とかだね。
急行の場合だと、近郊型車両で運転されても、原則料金割引はなかった。
「急行」は単に“急ぐため”の料金、特急は“設備も含めた料金”という考え方があったからだ。 例え車が115系だろうとかいじは割引なしで急行券は情け容赦無しの
アルプスらと同じ料金だったよ。
ちゃっかり1両連結していたサロ165-14も容赦なくグリーン料金ぼられていた。 >>200
昭和40年代の房総地区で運転された、夏の臨時急行に比べればマシだよ
キハ10系列オンリーの編成だったんだから >>200
車種がサロ165なんだから、それは通常料金であって、ボッてはいないだろう。 毎年充当車両が違う首都圏〜軽井沢の特急“そよかぜ”急行“軽井沢”シリーズかな?
こんな車両に乗っていけるならと、行き先を軽井沢に決めた事もあったっけw。
“そよかぜ”は489系、サロン東京14系、ゆぅ489系のお世話になった。
“軽井沢”は14系座席車、レインボー14系のお世話になった。
その昔、夏臨で余った各客車区のグリーン車をかき集めて“グリーン軽井沢”?
“軽井沢グリーン”?という今のJTの草分けみたいな列車があったが、
これはお目にかかったことはなかったなぁ…。
サロンエクスプレスそよかぜ、私も乗りました。
ラウンジ車にはうら若き(当時)女性の姿もちらほら… 軽井沢グリーンや南九州グリーン懐かしい。
オールロ編成はあとことぶきもあったね。
そういえば大阪>青森に運転された
臨時きたぐににスロ62か54が複数両
連結されていたらしい。 「サロンエクスプレスそよかぜ」は逗子−軽井沢の運転でしたね。
でも、確か営業距離が200kmをほんの僅かに上回っていたんですね。
その僅か何百メートルのために特急・グリーン料金がボーンと上がって、
全区間乗車を原則とするポリシーの自分には、ずいぶん“意地悪”な列車に見えましたね。
また、「江戸」で運転された「お座敷アルプス」は、帰宅時間に丁度重なったので、
新宿−逗子を友人とビールにつまみ持参で展望室に陣取って、優越感に浸りながら帰ったこともありました。 軽井沢GやSEそよかぜは、列車のコンセプトと自分の姿があまりにミスマッチに思えて、
10〜20代の自意識過剰だった自分には敷居が高くて乗れなかったな。
信越線で待避中の旧客からボケーッと見送った記憶が残ってるだけ。
>>210
むしろ電車全盛路線の旧客ローカルの方が体験的には貴重!
チャレンジ2万キロで早く効率的に回りたいばかりに、乗りたい客車を待たずに
速達列車を選んだ事にはとても後悔してますorz >>211
篠ノ井線の客車列車が懐かしいよ。
80年代中盤まで残っていた長野発中津川行 旧客3両に荷物郵便が5両という編成だった。
荷物郵便関係だけは、荷物列車として熱田まで行ってたが、後に旅客の方は廃止になった。
まだ赤倉がキハ58の長大編成だったんだよな〜 北から
C62ニセコ、快速海峡、急行津軽、八甲田、十和田、まつしま、ざおう、ときわ、なすの
急行佐渡、赤倉、内房、外房、アルプス、こまがね、東海、伊豆、銀河、たかやま、高千穂
快速ムーンライト、くりこま、青い海、白い砂
寝台特急富士、あさかぜ
九州内では急行ゆのか、日南、かいもん、由布、火の山
大半が周遊券のただ乗りでした。 ガラガラの上り急行たかやまに乗って新大阪通過!
あ〜気持ちい〜〜〜w 漏れは名古屋ベースだったので、国鉄時代だと臨時
快速近江路、急行比叡、臨時急行エメラルド、急行
のりくら、急行おくみの、急行木曽、急行紀州、特
急金星というところかな。
客車急行
信越線経由の白山、越前
上越線経由の北陸1号の寝台
DC急行
越後
普通客車
上野駅から北陸1号、2号、越前が発車後に北陸方面へ行く列車がなくて普通列車
の直江津行きに乗りました。各駅に止まるのでほとんど寝られませんでしたが。
高田あたりから通学高校生が乗車してきたのを覚えています。
あと、現在でも同名で存在しますが特急はくたか(上野−上越線−金沢)
このはくたかは正に特急という感じでした。往復で乗りましたが
上野駅を発車してから大宮駅を通過する時に、5分前に出発した特急やまばとを
大宮駅構内で追い越していました。また、金沢から上野行きに乗ると長岡駅を
出発後に「次は終点の上野です。」と社内アナウンスがあったのを覚えています。
今の新幹線並み以上の停車駅の少なさでした。
以上昭和46年に初めて東京に出てきた頃の思い出です。 昭和46年(1971年)3月時点での土讃線夜行快速、および連絡船を介して宇野から接続される153系急行「鷲羽2号」。
鉄道唱歌のチャイムとともに始まる案内放送で「神戸8時33分」の響きがジーンとくる…
1994年に親父めが他界してからというもの、鉄道唱歌のオルゴール、
この自分の胸には一段とせつなく響くぞ…
http://www.youtube.com/watch?v=rvDTtPQJo4M 筑肥線電化直前の急行平戸。
どうしても急行&グリーン車に乗りたくて、親に頼んで姪浜(実家)〜博多間だけ乗車w
子供(3歳)は急行というとゴードンのことしか知らない… 寝台急行銀河。南野陽子のシュプール号の広告が入ってたなぁ。 快速やひこ
あの爽快な韋駄天走りとハイグレードな車内は忘れない。
どローカルな越後南線に咲いた最後の華。 急行「紀ノ川」 キハ28・58のたしか5両編成。
小学生のときに、和歌山の両親の実家に行く際、
新幹線を京都で降りて乗り換えた。
桜井線経由ってのが面白かったが、
夏休みだというのにガラガラで、数年で廃止されちゃった。
所要時間があまりにもかかりすぎた。 >>223
自分もそれ乗ったわ。
関西旅行中に三輪素麺が食いたくて、京都から桜井まで乗った。
確かに夏休み中なのにガラガラだったわ。
その後に奈良線と和歌山線電化であっさり廃止。
まああの経路じゃ利用者が少なかったのも理解できるけどね 急行ゆのか
何号だったか記憶にないが、小倉始発の大分行きで、途中停車駅が、行橋,宇島,中津,別府,大分
当時の特急にちりんより停車駅が少なかった。 >>228
それは昭和55年10月から昭和57年に廃止まで、少数残ってた時代かな?
その時期九州内の特急は急行廃止のため停車駅を増やしたのもある。
>>195-198
つい最近まで快速などと同じ車両を使っても急行料金を取ってた「つやま」もあったな。 博多6時丁度発 呉線回り 東京行
3等車がなく 異彩を放っていた >>230
いつ頃の話しでつか?
所要時間は24時間くらいでしょうか? 通常、急行最初の停車駅は折尾だが、
あれは、遠賀川に停車して折尾は通過
三田尻や呉に停車
静岡県〜東京都の停車駅は特急なみに少ないのに
大船には停車
やはり、軍事色まるだしの停車駅設定だった 特急
富士,彗星
急行
ゆのか,ひまわり,日南,由布,西九州
あさかぜ、さくら、富士、はやぶさ、さくら、みずほ(70年前半20系時代)
自分が幼少の頃、親の都合で一時横浜から広島へ転勤になった時、度々横浜に
遊びに行った時に実家に残ったじっちゃんや親類と過ごし、広島へ帰る時にこれ等の寝台車にお世話になりました。
急行伊豆(75年春)
いとこの殆どの人たちと伊豆の河津へ一泊旅行に行くときにお世話に。
横浜駅で待ち合わせしているときに先に郵便列車が到着して、係員のおじさん、お兄さん達が車内から
忙しそうに大きな袋を担ぎ出して台車に載せいていたのを記憶している。あの頃は隣接する
横浜西郵便局も鉄道便の扱いをしていたっけ。
特急はくつる(87年6月頃)
高校の北海道への修学旅行のときに上野から乗車、函館から青函連絡線にも乗船。
帰りも同じコース。今思えば貴重な体験。
急行東海(90年夏)
いとこの叔母と修善寺の旅行の帰りから、伊豆箱根鉄道を終点三島まで乗り継ぎ
そこから乗車、「急行東海」は思えば最初で最後の乗車だった。この6年後に特急になるとは・・・ はくたか(上野⇒金沢)
さくら(小倉⇒名古屋)
みずほ(岐阜⇒小倉)
富士(東京⇔大分)
彗星(大阪⇒大分)(大分⇒日向市)
明星(熊本⇒新大阪)
踊り子(湯河原⇒東京)
あさしお(京都⇒香住)
ゆうづる(水戸⇒青森)
はつかり(青森⇒上野)
あけぼの(弘前⇒山形⇒上野)
おおぞら(函館⇒札幌)
にちりん(博多⇔大分)
ひたち(水戸⇒上野) 富山地鉄乗り入れの特急、急行
北アルプス
立山
むろどう あけぼの(奥羽本線経由)
あけぼの(陸羽東線経由)
出羽
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