思い出の都営地下鉄
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三田線(当時は都営6号線)が開業した頃は巣鴨ー高島平で、他の地下鉄路線と連絡しない線だった。
今では相模鉄道から乗り入れてくる列車があり、隔世の感がある。 大江戸線(都営12号線)も、最初の開業区間は光が丘〜練馬だったっけね 部分営業期間中、他線と連絡しないのは大目に見てやって良いと思われ ただし全通したのにどことも連絡しないのはネットワーク形成上問題視されて良い 5300形は5000形や5200形の様なイベントも無く引退してしまった 都営浅草線が1号線と呼ばれていた時代の
「ドアが閉まります」のアナウンス。ドアが閉まっているのに
ワンテンポ遅れていたのは、何だったろうか 1号線系統って自重35tまでしか許可されていないのか 相対ホームで隣のホームにしかトイレがないとき
移動するのにいったん階段おりてのぼらなきゃいけないんだが
もの凄く深い
漏れそう >>0452 Wikiによると京急1000系(初代)冷房付きの自重が36t、京成3000系(初代)が29tとあるが、電動車か否かなど同一条件ではないんだろうな。
前者はこのデータによると1号線の自重制限を若干超えていることになるが。 >>454
その件はwikiに詳細が載ってるよ
主要諸元にある自重36tの冷房車は、初期冷房車(1971-1974年製)のこと
該当する68両が京急線内限定だった頃の仕様、後に軽量車輪に交換して乗入対応
1000形後期車(1971-1978年製)の中では古いグループ 都営の駅構造はトイレの配置ひとつとってもあまり利用者目線で設計されてないなあとは思う
まあ、メトロも大差ないけど
地下は制約が多くて大変なのは分かるけどどうもなあ 地下にあるから排水管の設置に制約が出るのかもしれない
そもそも上野浅草間の駅にはトイレがなかったというし 1号線系統では今も京急の1890番代がわざわざT車にVVVFとパンタグラフを設置してまで各車35t以下に抑えてるので、まだ35tまでしか許可されてないと思われる 1990年代初頭は京成車や北総・公団車も横浜方面への乗り入れがあったが、1999年7月からこれらは全て羽田空港行きとされ、横浜方面への乗り入れは廃止された この京成車や北総・公団車の横浜方面乗り入れ廃止も、京急の120キロ運転開始が影響しているとみられる 浅草線は1両当たりの自重35t以下しか許可されていない関係で乗り入れ各社共々機器配置が変則的なものが多い
京急2100形がT車にパンタグラフを積んでいるのもM車にパンタグラフを積むと35tを超えてしまうからと思われる 京急2100形は2回浅草橋乗り入れに使ったが、それ以外は全く乗り入れに使われていない
でも泉岳寺の引き上げ線は都営の管轄なので、実質的には乗り入れ扱いと思われる 5300形はこの1号線の重量制限の関係から各種機器を分散させた結果、4両ユニットになってしまったため、これが仇となり18m車なのにも関わらず全車解体となった
因みに琴電は仏生山工場の検査設備が2両分までしか対応してないので4両ユニットは無理 JR東日本の251系/215系/E351系もそうだけど最近は綺麗さっぱり消える例が多いね
保存は金かかるから仕方ないにしても 都営の場合は、税金とかの兼ね合いがあるから残せないんだろうけど 5300形は仕方ない、国内では琴電以外に標準軌の中古の需要が無い
秩父と熊本に行った6000形は、今年で移籍25年目か
正直、ここまで長く使われるとは思わなかった >>467にもあるが5300は4両で1ユニットを組む構成となっていて、短縮するにはかなり改造が必要であると想定されたためどこも欲しがらなかったそう
京急800/2000も3両1ユニットだったから譲渡できずに終わったとされる
やはり1号線系統は18m車でも癖のある車両が多いな
京急1500なら2連化可能かもしれないが 藤崎宮前で都営6号線見た時は嬉しかったな。涙が出て来て周囲の目を気にして恥ずかしかった。 >>466
あの引上線は都営所有だが、京急乗務員が入換を出来る協定になっている。
少なくとも、乗り入れという感覚は両社局に無いと思う。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています