なつかしの旧国鉄佐賀線
佐賀⇔光法間を何度か乗った事があったな
今は遊歩道になってるわ 佐賀市・大川市・柳川市と貫いていて過疎地帯というわけでもないわけだし、
208号線が渋滞して道路事情もそれほどよくないので、
ある程度改善すれば第3セクターでもやっていけたと思うんだよな。
佐賀〜筑後柳河・矢加部で列車を増発して、矢加部を大改造して西鉄との連絡を図れば何とかなったかも。
自社バスを拡張させたいであろう西鉄がどこまで協力するかはわからないが。 現在も残っていたとしたら、唐津線からの
キハ125+キハ47という編成が瀬高駅で見られたんだろうか?
日中はキハ125の単行なんだろうな・・・。 今も佐賀線があったなら荒尾まで直通運転しキハ200を投入し高速化し30分間隔で運行すれば利用者が伸びたと思う。 大林宣彦の映画・廃市は柳川が舞台だっただけに佐賀線が映っていたな。
この前、仕事で長崎から鹿児島まで移動したんだけど、佐賀線あったら便利だと
思ったな。まあ高速化していることが条件だけど。 駅跡で唯一なんの説明板もモニュメントもない東佐賀哀れ >>20
仮にJR九だったら高速化せずに以前のままのローカル状態。
逆に伊勢鉄道みたいに第3セクター化されていればある程度
改良はされていたと思う 旧34沿いというか垂直に交差してたような
バス停名で「東佐賀」として残っているのが唯一の名残かな。
諸富駅跡の石碑の前には県道245号線・諸富停車場線の標識がぽつんと立っていて、
これも駅跡の名残を醸し出してる。 >>23
(長崎)佐賀ー熊本(鹿児島)って
そんなに需要ないでしょう。
伊勢鉄道、北越急行、智頭急行とは違う。 >>24
確か、諸富駅から味の素工場への引込み線があったような気がする >>26
1981年の航空写真
ttp://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/81/cku-81-3/c17/cku-81-3_c17_44.jpg
東大川駅もつい最近までホーム残っていたけど、ものの見事に有明海沿岸道路に被ってしまって跡形もなくなった。
だけど、かつての踏切跡である交差点角に写真つきの駅跡説明版が設置されたのは評価できる。 >>25
長崎−鹿児島に空路あり(オリエンタルエアブリッジ)
全日空時代はB727も飛んでいた。
親から聞いた話なんだけどひい爺さんが佐賀線の前身の馬車鉄道(佐賀−諸富間)に
財産を投げ売って投資したからタンボが減ったって 廃駅跡の様子
三橋;石碑あり、線路跡は道路化
百町:三橋と同じタイプの石碑あり、線路跡は道路化
筑後柳河:公園化、公園の片隅に説明板あり
東大川:去年までホーム残存していたが有明海沿岸道路に。代わりに説明板を設置。
筑後大川:跡地は道路とハローワーク、駅跡記念碑あり。
筑後若津:築堤切り崩し、筑後大川と同タイプの駅跡記念碑あり
諸富:跡地は体育館など町の施設。駅跡記念碑あり。
光法:サイクリングロードの中継地、ホームと駅名票レプリカ(?)あり。
南佐賀:公園化、駅舎(公衆トイレ改造)、ホーム、駅名票レプリカ(?)等あり
東佐賀:築堤切り崩して道路化、駅跡を示すものなし 無駄に立派な割にルート設定が微妙な有明海沿岸道路作るくらいなら鉄道残しとけよな 佐賀線同様に旧佐賀駅も懐かしいな。
発着していたのは確か一番隅だった 瀬高駅の0番乗り場モナー。
1本だけ佐賀→瀬高→黒木という謎の運用があって、その列車だけ2番乗り場だったな。
唐津直通なんかもあったな。 >>36
今は自転車置き場か駐車場かになってる場所だな 「矢部線の426Dの車両は佐賀まで行くことを発見しました!」 「わかりきったことを言うな」
って云うくらいだから多分沿線の年寄りだろうなw
>>41
修復作業に入るのな
ttp://www.nishinippon.co.jp/webclub/kimonoclub/bunka/20090121/20090121_0008.shtml 僅かに残っている長崎本線と線路が分離する高架も年々撤去されて土手もアスファルトに塗り替えられていくのがさびしいですね。
佐賀から昇開橋まで自転車で線路痕を辿って行き、歩いて昇開橋を渡り若津へ着いた時はなんとも言えない気持ちだった 甘木鉄道でもなんとかなってるのならここもなんとかなりそうだったのにな 甘木鉄道は西鉄乗り換えの通勤需要で息をついていると聞いた。 こっちは3セク化しても無理だったろうな。
もともと柳川市も大川市も中心部から外れていたし。
廃止代替バスも悲惨な状況だった。
あと、柳川の人は佐賀に行くよりも西鉄で福岡に出る事を好むから
そういった意味では甘鉄並みの安定した需要を取り込むことが難しいと思う。 大川はいうほど市街地からは離れてないと思うがな。
代替バスといっても瀬高〜柳川の堀川はスカスカだが柳川〜佐賀の西鉄はそれなりに乗ってる。
あと、普通に諸富〜佐賀なんかは結構いけてたと思う。
まぁ、一番いいのは>>16のように矢加部に乗り換え駅を造って
西鉄特急止めて甘木鉄道のように接続をはかるのがベストだったのだろうが。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
〜(_( ∧ ∧_ ( ∧ ∧_ ( ∧ ∧
〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
矢部川橋梁〜瀬高駅の間がほとんどわからなくなってるな。
わかるのは鹿児島本線と分岐する所だけ。 佐賀駅の乗り換えホームに検札の駅員さんがいた。
俺も捕まった。涙 映画「張込」(清張先生原作)みると、
木造の、地上の佐賀駅がでてくるね。
急行西海ですか、東京行き、蒸気機関車牽引。
駅のアナウンスで東京までの停車駅全部読み上げてた。
私は高架の佐賀駅しか知りませんが・・・。
>>46-47
逆だろ?
甘木鉄道方式=大川や佐賀県の人が西鉄電車に乗り換えることに主眼を置く。
「佐賀へ行く」って発想がそもそも変。
西鉄バスの利用状況も
柳川〜大川>>>>>諸富〜佐賀
じゃん。 >>55
当時の駅構内は煙と匂いが充満してた
粉塵が車内へ入って来るのを防ぐため窓には網戸がついてたな >>57
柳川〜大川にも昇開橋行きの区間便が走っている@西鉄バス 大川はそれこそ大善寺経由で福岡志向。
ただ、西鉄大川線廃止時に廃止反対一色だった大川に復活を約束して説得をしたが、
今の所その約束が履行される兆しすら無いあたり西鉄もヤクザだな。
まあ、普通に反古なんだろうけど。 西鉄大川線が残っていたら電化されて、
現在大善寺止まりの普通電車がそのまま乗り入れていたんだろうなと妄想 県庁所在地に直結していたのだからそこそこ利用あったと思うのだが・・・。
該当しそうな除外規定「ピーク時1000人」もい越えられない壁だったのかな? >>67
九州一小さな県庁所在地である佐賀市の広域求心力が低かったことと、
当時はまだバスが充実していたこと、平地だから通勤通学等で
自転車利用がそれなり多かったのではないかなと。
あと、柳川にしても大川にしても佐賀にしても三橋にしても
町の中心から離れたところを通っていて案外不便だったのもあるかな。 有明沿岸道路経由の特急バスの設定マダー、と妄想してみる ウィキで見たら筑後川信号場、勤務の職員川岸より
渡船で通ってたんだってね。
何か凄いな。
なんか懐かしい話発見記念カキコ
廃線当時中坊だった俺だがやはり原因は>>68そのまんまだと思うね
といっても俺はほとんど大川-佐賀間しか乗ってないんだが
ほとんどバス路線と同じコースだからね
佐賀内で唯一バスとコースがずれてる東佐賀駅、
バスが佐賀市中心部を貫通してんのに東佐賀駅は中心部から大きく外れてるから
佐賀市中心部行く人にはバスが便利だったのは間違いない
諸富-味の素工場引込み線は国道208を横切るんだが
あそこって結構な交通量なのに踏み切りも何もなかったんだよなー
あーナツカシス
751 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 18:18:28 ID:saVUS39F0
>>748
昔は地域における柳川・大川の影響力が今よりずっと大きかった
大川家具や諸富の味の素の貨物も担っていた
九州鉄道(鹿児島本線)は柳川を通る予定だったのに柳川が拒否した為に
羽犬塚・瀬高経由になったのも後の佐賀線としては痛かったかもな
同じく拒否した太宰府は福岡が近い為にそこそこ発展したが、柳川は鹿児島本線から外れた為に衰退
スレ違いかな
753 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 20:07:15 ID:Qr46c+fV0
>>751
お前は国鉄基準でしか物を図れんのか。
廃墟同然だった国鉄柳河と福岡通勤圏として発展した西鉄柳川の航空写真でも見とけ。
756 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 20:36:09 ID:saVUS39F0
>>753
西鉄柳川は実家から徒歩圏内の地元なんだけどw
九州鉄道の柳河駅予定地だった場所は佐賀線の筑後柳河とは別の場所でむしろ西鉄柳川に近い場所
ちなみに西鉄柳川も旧城下町の中にできる予定だったが、これも拒否した為に旧三橋町にできた
西鉄の矢加部駅付近の急カーブはその時の計画変更のなごり
757 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 20:41:00 ID:Qr46c+fV0
瀬高あたりの惨状見れば、
西鉄の天神直通のおかげでむしろそこそこ発展できたんだろ。
それとも荒尾化したかったのか?
770 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 22:20:18 ID:saVUS39F0
>>757>>761
柳川は明治の頃はまでは福岡〜熊本間で久留米に次ぐ規模の町だった
九州鉄道ができた直後に久留米にゴムを中心とした工場、
大牟田には石炭に関連する工場が数多くできた
当初、三池炭鉱が近く筑後川の水運も利用できた柳川に起業しようと計画する人も多かったが、
肝心の九州鉄道を拒否した為に工場設置の話は全て流れ、物や人が集まらなくなり没落していった
こういう歴史を先人から聞いているもんでね・・・
北原白秋は故郷柳川の事を暗に「廃市」と呼んだ位に没落していった歴史があり
この「廃市」は後に映画化されたけど、映画の中で登場する滅びゆく町のモデルは柳川です
もう完全にスレ違いだからこの件はこれ以上は書かないけど 776 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 22:47:46 ID:Qr46c+fV0
>>770
俺が間違いと指摘したいのは↓だよ
>同じく拒否した太宰府は福岡が近い為にそこそこ発展したが、柳川は鹿児島本線から外れた為に衰退
柳川も太宰府も所詮変わらないだろ
距離の違いはあれど福岡近郊の観光地モドキの通勤圏、衛星都市。
以上で終了
783 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 23:24:19 ID:saVUS39F0
>>774
佐賀線の話題から脱線しまくってスミマセン
>>776
年間観光客は100万人以上いるが、
福岡市と市街地が連なり福岡の10%都市圏の一部の太宰府市と
福岡市から遥か彼方で久留米以南はローカル線同然の柳川市は別物
福岡市までの通勤通学者もいるが、太宰府より遥かに少ない
さすがに条件が違うよ
以上でホント最後
784 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 23:26:05 ID:Qr46c+fV0
>>783
柳川も福岡の通勤5%圏だよ、ばーか >>ID:saVUS39F0
単線・各停オンリーの太宰府線を差し置いて
料金不要特急で1・2位を争う幹線をローカル線呼ばわりとはな(笑)
太宰府駅の利用者は柳川駅以下。
(最近は九博人気で差は縮まっているが) ちょwID:Qr46c+fV0の知ったかぶりが酷いw
太宰府は完全に10%都市圏だろうw
>>76
お前が痛すぎw
太宰府・五条・都府楼前・西鉄二日市・下大利・JR二日市・都府楼南・・・
太宰府市内や周辺にいくつ駅があると思っているんだよw
柳川市は西鉄柳川以外カス駅じゃね〜かw 【山陽】九州新幹線U058【直通】
http://toki.2ch.net/test/read.cgi/rail/1291620166/
から来たが、レスの文章が少し違う??
ID:YSNAii+qとID:Qr46c+fV0が同一人物で自分に都合よく書きかえられてないか? 751 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 18:18:28 ID:saVUS39F0 [5/8]
>>748
昔は地域における柳川・大川の影響力が今よりずっと大きかった
大川家具や諸富の味の素の貨物も担っていた
九州鉄道(鹿児島本線)は柳川を通る予定だったのに柳川が拒否した為に
羽犬塚・瀬高経由になったのも後の佐賀線としては痛かったかもな
同じく拒否した太宰府は福岡が近い為にそこそこ発展したが、柳川は鹿児島本線から外れた為に衰退
スレ違いかな
753 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:07:15 ID:Qr46c+fV0 [1/4]
>>751
お前は国鉄基準でしか物を図れんのか。
廃墟同然だった国鉄柳河と通勤圏として発展した西鉄柳川の航空写真でも見とけ。
756 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:36:09 ID:saVUS39F0 [6/8]
>>753
西鉄柳川は実家から徒歩圏内の地元なんだけどw
九州鉄道の柳河駅予定地だった場所は佐賀線の筑後柳河とは別の場所でむしろ西鉄柳川に近い場所
ちなみに西鉄柳川も旧城下町の中にできる予定だったが、これも拒否した為に旧三橋町にできた
西鉄の矢加部駅付近の急カーブはその時の計画変更のなごり
757 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 20:41:00 ID:Qr46c+fV0 [2/4]
瀬高あたりの惨状見れば、
天神直通のおかげでむしろそこそこ発展できたんだろ。
それとも荒尾化したかったのか? 761 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 21:04:53 ID:vBwkNtje0 [3/3]
>>754
国鉄目線と言うより西鉄大牟田線と佐賀線じゃ敷設経緯が違うしね
福岡と熊本(計画)を直で結ぶ大牟田線は幹線であり本線であるが
佐賀線は短絡線と言うより大川柳川の沿線住民を幹線に送る支線の様な路線だったからな
対福岡・久留米で見れば遠回りになるし直通列車もない路線じゃ通勤需要見込めない
柳川方面から大牟田へ直通列車走らせていたとしても西鉄の柳川−大牟田の現状見ると
その様な手で佐賀線が廃止を回避出来ていたかどうかすこぶる怪しい
770 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:20:18 ID:saVUS39F0 [7/8]
>>757>>761
柳川は明治の頃はまでは福岡〜熊本間で久留米に次ぐ規模の町だった
九州鉄道ができた直後に久留米にゴムを中心とした工場、
大牟田には石炭に関連する工場が数多くできた
当初、三池炭鉱が近く筑後川の水運も利用できた柳川に起業しようと計画する人も多かったが、
肝心の九州鉄道を拒否した為に工場設置の話は全て流れ、物や人が集まらなくなり没落していった
こういう歴史を先人から聞いているもんでね・・・
北原白秋は故郷柳川の事を暗に「廃市」と呼んだ位に没落していった歴史があり
この「廃市」は後に映画化されたけど、映画の中で登場する滅びゆく町のモデルは柳川です
もう完全にスレ違いだからこの件はこれ以上は書かないけど
776 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 22:47:46 ID:Qr46c+fV0 [3/4]
>>770
俺が間違いと指摘したいのは↓だよ
>同じく拒否した太宰府は福岡が近い為にそこそこ発展したが、柳川は鹿児島本線から外れた為に衰退
柳川も太宰府も所詮変わらないだろ
距離の違いはあれど福岡近郊の観光地モドキの通勤圏、衛星都市。
以上で終了 783 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 23:24:19 ID:saVUS39F0 [8/8]
>>774
佐賀線の話題から脱線しまくってスミマセン
>>776
年間観光客は100万人以上いるが、
福岡市と市街地が連なり福岡の10%都市圏の一部の太宰府市と
福岡市から遥か彼方で久留米以南はローカル線同然の柳川市は別物
福岡市までの通勤通学者もいるが、太宰府より遥かに少ない
さすがに条件が違うよ
以上でホント最後
784 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/16(木) 23:26:05 ID:Qr46c+fV0 [4/4]
>>783
福岡の通勤5%圏だよ、ばーか
807 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 00:16:44 ID:Gwy5fXOUP
>>770
福永武彦の「廃市」のファンで柳川に家まで買ってしまった酔狂です
博多〜筑後船小屋で新幹線を利用する予定です
西鉄は使う気になりません
810 名前:名無し野電車区[sage] 投稿日:2010/12/17(金) 00:20:44 ID:NJ5OHGHB0
>>783>>807
佐賀線、太宰府柳川の福岡通勤圏論争は↓でやれ
http://yuzuru.2ch.net/test/read.cgi/jnr/1226219852/ >>78
柳川が福岡の5%都市圏と突っ込む書いたのですが何か?
>>79
>>78みたいな勘違いをされると困るから、補足の意味を込めて追記した。 >柳川も太宰府も所詮変わらないだろ
>距離の違いはあれど福岡近郊の観光地モドキの通勤圏、衛星都市。
こいつは痛いなw
距離の違いが大きいんだろうw
柳川に太宰府のような大規模な住宅地群でもあるのか?
西鉄で福岡市へ通勤者するものもいるが、太宰府のようなベットタウン・衛星都市でない。
5%都市圏と10%都市圏を同様に扱っているのも痛い
あと、どちらも観光地モドキではなく歴とした観光地 つーか、大規模住宅の有無が通勤圏や衛星都市かを判定する材料ではない。
誰も太宰府と柳川が「同等」の衛星都市とは言ってないだろ。
(柳川が大牟田線によって通勤圏、衛星都市に息を吹き返したという意では発言しているが) 西鉄柳川は福岡に断然近い古賀や筑前前原よりも
都市近郊の駅前って感じがする 柳川は大きな都市になれるだけの条件を兼ね備えながら発展できなかった代表例。
って、うちの大学の教授(地理学)の受け売りだけど。 >>88
柳川県とかなって今の佐賀県(もしくはそれ未満?)みたいな扱いを受けるなら
衛星都市だろうが福岡県の一員として埋もれたほうが遙かにマシだよ。
しかも独立した都市圏としての形態だったならば、福岡一極集中で衰退の運命を辿っていたんじゃないの?
鹿児島本線が柳川(大川も?)経由であった場合に想像されること
・九鉄(西鉄)も久留米以南に延伸されることはなかった
⇒大牟田延伸は大牟田の繁栄だけでなく、柳河(大川を含む)の需要に期待した部分も大きいため
・国鉄(JR)の快速列車も久留米が南限
⇒博多以南の快速設定は西鉄対抗にほかならない。(以北と異なり登場は民営化前後まで下る)
⇒熊本管理局管轄であれば門鉄区間との本数格差が顕著に(国鉄時代が現にそう)
以上の仮定から交通学的に博多との文化的統合が難しい。(特急乗れダイヤ)
高速バスが台頭すれば特急割引は進むが、その作用は商業ストローの加速の一方で通勤圏化は困難。
てか「廃市」とは九鉄急行電車の開通時に、以前の環境を「廃市」と詠んだ句ではないのか? >>89氏とは視点が違うけど、地理学の視点としては、
広大で肥沃な平野・大きな川の河口部・海(しかも波穏やかな内海)
九州の主軸上(門司港−博多−熊本−鹿児島)・近くに産炭地・大きな城下町
今の久留米以上の都市になれるだけの好条件と教授も言っていたよ。
近代化に邁進していた明治時代、人の移動・物流の主役だった鉄道が
敷設されなかった事が柳川が大きな都市として発展できる条件を台無しにした。
当時の鉄道を今に例えると、
新幹線+在来線+高速道路+国道位の存在だから。 また、九鉄は熊本延伸を目指していた訳なので久留米止まりはないと思う。
もしも柳川に鹿児島本線が敷設され発展していたら、九鉄が建設される時点では
久留米・柳川・大牟田は筑後地方の三大都市で大きな差はなかったと思う。
となれば鹿児島本線・西鉄共に久留米−柳川−大牟田となっていた可能性は高いと思う。
>てか「廃市」とは九鉄急行電車の開通時に、以前の環境を「廃市」と詠んだ句ではないのか?
そうだろうね。
鹿児島本線ができず取り残される→「廃市」
西鉄ができた事で少し発展する→「廃市」からは脱却
という感じかな。 唐津から釜山への海底隧道が完成したら
佐賀線の重要度がわかってもらえるはず R208から自転車道を見るたび、住宅の隙間から南佐賀駅跡を見るたび、もう一度乗ってみたいと思う。
佐賀線は自転車道に線路敷設して路面電車にして復活する! 先日昇開橋を渡ってきたけど、なかなか面白かった。
昇開橋を上下させているおっちゃんもいい人だった。
上下している間、佐賀線や昇開橋について色々と話を聞いてきたよ。 すぐ側の温泉にはよく行くけど
夜10時までライトアップしてる >>97
確かに上下させてるおじさんいい人だった。
でも、気動車の音が聞こえないのは寂しい
東佐賀何もね〜 哀れ 佐賀線はJR九州で引き継いでもらいたいと思いました。
理由は南九州から長崎方面への短絡線として 沿線には大川市 柳川市のように
沿線にはある程度 人口があるので生活路線として重要だからです
又西鉄との連絡駅を設置して筑後川や柳川の観光の足として活性化すれば
いいと思いました。例えば今流行りのSLを走らしたりすれば良かったと思います
佐賀線は今みれば、観光路線として魅力的なんだよなー。
SL走らせてもよし、旧型気動車走らせても絵になるしね。 西鉄大川線の廃止原因が、本当に河川改修が原因なら、付替工事費用は河川工事をする建設省(現・国土交通省、ひょっとして当時はまだ内務省だったかも)が負担するはずだから、運休期間はあっても廃止は本当にだまし討ちだよね。
ダム建設でも、あの大井川鉄道井川線でさえアプト式を導入してまで付け替えたんだから、廃止はひどいよね。もっとも名鉄一宮線のように国道バイパス工事が原因で立体交差の高架化工事よりも廃止を選んだ例もあるから、鉄道会社の方針はわからないよね。 >>108
おのれは大阪府の意見投稿を毎月書いてる池沼か 福岡と直結しない路線は存続価値無い
これは冷酷だが厳然たる事実。 >>111
まあそれは福岡固有の事情じゃないけどね。
都心を貫通しない環状路線が経営的に成立するのは三大都市圏くらいでしょう。 >>111
確かに。
筑豊本線南部もかなり厳しい。 >>111
ならば西鉄大川線は大善寺で大牟田線に連絡し、天神に直結するから存続価値はあった。
逆に佐賀線は存続価値はない。旅客の流れと合致していない。
>>113
名古屋も環状路線は成り立っていないって >>116
愛知環状鉄道とか東海交通事業城北線は無視?
それとも、「環状線」の定義を大阪環状線のように完全な周回運転する路線の意味で使っているの?
それなら、地下鉄名城線があるが、「都心を貫通しない」の条件を栄を通過するから条件を満足できない。
東京の都心を銀座に限定すれば、(通称の)山手線や大江戸線も該当するが、新宿を含めれば条件を満足できない。
大阪も都心を難波に限定すれば、大阪環状線も該当するが、梅田を含めれば条件を満足できず、日本には環状路線は成り立たないことになる。 連投でごめん。
先に言っておくが、いくらなんでも、舞浜リゾートラインとか、神戸のポートライナーとか、
山万ユーカリが丘線を環状線の例に挙げるのはやめてくれ。 昇開橋の上げ下げのコストって
どのくらいかかってたんだろう。
橋も廃止の一因? 瀬高〜柳川はともかく柳川〜佐賀は矢加部に西鉄との連絡駅造ってれば
何とかなったと思うけどね。
道路事情そこまでよくないし、沿線も過疎地域というほどでもないし。
まぁ西鉄的には自社バスの客が減るから特急とめないだろうけどw >>121
西鉄と国鉄はライバル会社だから
お互いに協力しないでしょ。
現在、他社との連絡駅は大牟田と小郡(?)くらいかな。 小郡での協力を考えると西鉄もそこまで非協力でもないような気もする。 >>123
たまには貝塚線和白も思ひ出してくだちいwww 佐賀線より輸送密度の少なかった松浦線が三セクで出来るなら、佐賀線も残せたはず。
第2次廃止対象路線では1番利用者の多かった路線だし。
甘木線なんてかなり少なかったけど、西鉄との乗り換え客でトントンに収まってる。
ならば佐賀線だって残せたはずだ。
まあ、だいぶ前に終わってるこのスレに書き込むのもなぁ…。 >>128
佐賀線って本数少なかったんだよね。
ある程度の本数があれば実績をのこせたし、
廃線も免れたと思う。 どうでもいいけど、アニメののだめ最終回で橋が出てるよね 佐賀⇔光法間を2〜3回往復したことがあった。懐かしい想い出だね。 このままだと佐賀線同様
ここも廃止対象スレになる予感。 >>116
ならば大川線が残っていて電化改軌が行われていたらそれなりに需要が
あったかも。腐っても大善寺は特急停車駅だし。 城島から大善寺は線路跡が歩道になっている。せんろ復活したら面白いな。 大川線が廃止されず電化改軌されていた場合のダイヤはこんな感じか?
全線普通で1hあたり3往復。1本は今の福岡ー大善寺を西鉄大川まで
延長。残り2本は区間運転で大善寺ー西鉄大川間を運行。大善寺で特急
との接続を考慮したダイヤ。でどうだろう? 確かに大川線があれば城島あたりはもっと発展していたかも 今でも西鉄の普通列車は柳川駅で長時間停車してますか? 大川線が残っていたら大牟田〜大善寺(スイッチバック)〜大川なんて
路線ができていたかも。 それなら大川〜大善寺〜宮の陣〜甘木の方がまだありうる。 >>146
試験場〜大善寺間の単線区間があるから厳しい
大川線区間を最も活かせるのは>>140だな 大川線区間列車にはのだめのラッピング車両投入して観光路線に にしてつwebミュージアムの歴代車両図鑑
大川線のところが2014年6月公開予定のまま一向に開く様子ないな。 大川線跡の遊歩道が線路の形になっているのを見てきた。 >>153
筑後川の土手に路線跡が残っているよ。
あと、西鉄バス営業所から西鉄ストアまでの細道も 西鉄大川線の速度は20km/h位だったそうだ。丁度自転車なみ。
自転車で路線跡を走れば昔の車窓に近い風景が見られるよな。 >>152
ふーん、相変わらず下らない無差別大量絨毯爆撃カキコしてるんだね。元気でなによりだ。
話は変わるけど、
神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em
まあ、こっちに座れよ。薩摩白波のヤクルト割りでも奢るよ。一杯呑んで落ち着くんだ。 >>159
小学校の前にある「5」と書かれているやつね。 >>154
大善寺駅の南側から早津崎交差点までのびている細道もそうだ。 >>154
その西鉄ストアはもともと西鉄大川駅があったところだ。 テコ入れしても早晩消える運命にあるなら
なにもせずに撤退したのは正解だったかもね >>163
国鉄佐賀線と競合にはなるが勝ち目はあるだろ。 城島の酒蔵開きがあってる。大川線が残っていら今よりもっと賑わっていたかな。 特定地方交通線で唯一都道府県代表駅を通る路線だったんだな
佐賀線沿線を佐賀市のベッドタウン化する事は出来なかったのか?
勝田線も博多駅に近かったのに廃止された
沿線住民に見捨てられた感がするよな そうだよ
沿線の貨物輸送をやめて廃止する気満々だった 特定地方交通線で唯一「本線」を名乗っていたのが名寄本線
特定地方交通線で唯一電化されていたのが岡多線(後の愛知環状鉄道)
特定地方交通線で唯一末端に工場があったのが高砂線
特定地方交通線で唯一複線だったのが伊田線(後の平成筑豊鉄道伊田線)
特定地方交通線で唯一都道府県代表駅を通ってたのが佐賀線 >>168
特定地方交通線で唯一廃止直前まで優等列車が走っていたのが天北線 >>164
国鉄佐賀線VS西鉄大川線の客の取り合いはどっちに軍配あがるか楽しみでもある。 可動橋の制御ってどこでやっていたんでしょうかね。
「可動橋は大小二つ連続していた」訳ですが、小さい方はどうなっていたのか。
河川側つまり船の方の交通整理はどうやっていたんでしょうか。
一端停船が義務付けられていたのか、それとも昇降のダイヤがあったのか。 花宗川の跳ね橋ってあんまり写真ないんだよなぁ・・・ 閉塞も判らないんですよね。
佐賀線は列車本数が意外なほど多くて、船舶側の通行可能時間はかなり限られる筈なんです。
鉄道開通時は既に喫水の浅い川船は衰退していたのでしょうけど、それでも大型船の通行は毎日あった筈。 今の昇開橋は川に向けて信号ついてるからそれで指示出してたんじゃないのかな
あれがリニューアル後についたものなら知らない 大きな船は、信号機を目で見て止まれるもんじゃないですよ。
だからタグボートが必要になる訳です。
そこで、どれだけのトン数の船が居たんだろう?って疑問にもつながります。
これは鉄道側だけで済む問題ではないのですが、鉄道運転規定等からは判らないでしょう。
佐賀線の建設資料、昇降橋の設計資料を見ないと河川の想定通行量は判らない。
場合によっては昇降橋から遠く離れた位置に、船舶用の遠隔信号機があったんじゃないかと思います。 建設時なら大川の木工の方がまだ盛んだしそうかもね
佐賀線は軍隊の輸送の短縮とかだから平時は水運の方が頻繁だし 佐賀東高校卒だけど、正門近くの踏切は直前横断が絶えなかった。在学中よく事故にならなったと思う。
11時くらいにDE10牽引の諸富→味の素行き、14時くらいに折り返しのカモレが通過していた。当時は味の素タム+ワム+コキで日によってバラバラだった。
また、佐賀駅付近の地平の旧線(長崎本線の一部も)もしばらくは理研農産の専用線として使われていて、今のマルキョウ大財店付近に旧線との分岐と機関車付け替えのための小さなヤードがあった。
1970年代後半までは、南佐賀駅に石油輸送でいつもタキが居たね。
オサーンバレバレだww 大善寺ー城島ー大川橋のバスは西鉄大川線の代替えらしいけど、バス利用者少ないね。
1時間に2本だが、昼間は大善寺駅前を発車時点でバス1本につき車内は2人前後、夕方ラッシュ時間帯で駅前発車時点で7、8人前後。毎回乗降してるけどこんな感じ。
採算ラインと言うか、存続する最低基準はこれでも満たしてるのかな? そんなド田舎路線、毎時2本有ることが奇跡的
自治体運行のマイクロコミュニティーバスで賄えるレベル ≫184
つ補助金 バス廃止となると困る人もいるのも事実 >>183
DE10あたりにたった一両だけ牽かれて走ってた >>175
プラレールの跳ね橋を見るといつも思い出す >>195
子供のオモチャとバカにするなかれ、
なかなかよくできておる 肥後−肥前の短絡ルートとして活かせなかったか惜しい >>201
ニーズが無くなってしまったのだから仕方無いよ 柳河駅もあんな辺鄙なとこにあったんじゃな
中心街に近けりゃ少しは観光客需要を見込めたかもしれんのに
まあ微々たるもんだろけど 昇開橋通過時の動画が残っていたのでしげしげと、見入ってしまった 佐賀⇒<佐賀線>⇒瀬高⇒<鹿児島本線>⇒羽犬塚⇒<矢部線>⇒黒木
瀬高⇒<佐賀線>⇒佐賀⇒<唐津線>⇒西唐津 筑後川昇開橋は25キロ制限だった?
YouTubeで動画が残ってるが非常にゆっくり走行する
構造的に速度上げれないだろうし >>200
話題のツリーをきちんと遡ってみろ
佐賀線花宗川橋梁の話をしている
花宗川橋梁は跳ね上げ式 筑後川昇開橋を通るななつ星in九州が見たかった
1泊2日ルートは博多駅に戻ってきた際に編成が逆向きになるので久大本線を回送して戻してるが佐賀線か勝田線が残存してれば楽だった 近所に清水港線の可動橋があったから佐賀線のを見ると思い出す
時代が近いから部品や構造が似ているんだよね 作動時に物凄い騒音がするから何回も見たくなるものではなかったらしい >>224
不正確
ちょっと待っ「と」くんなはれ
が正しい