なつかしの旧国鉄佐賀線
佐賀駅と福岡県の瀬高駅を繋ぐ旧国鉄佐賀線について語るスレ〜 去年の正月に九州に逝った時に、筑後川の昇開橋を見て来たよ。
廃止から20年たった今も、橋の付近は廃線跡がはっきり残ってたのは感動したよ。
でも鹿児島本線と長崎本線を、短絡して途中柳川と言う観光地も通ってたのに、廃線になったのは勿体無い感じがするね。 否、寧ろ長崎本線〜鹿児島本線を短絡してたからこそ寿命が尽きたと言えまいか。
今の時代、福岡と直結しない路線は九州の幹線鉄道としては役に立たない、と。
柳川市は西鉄天神大牟田線で福岡と直結されてるし。 九州の鉄道への冷淡っぷりは異常だな
東北を見習いなさい 無煙化されてから貨物列車を牽引していたのはDD51だったかDE10だったか
ご存知の方お教えください。
見ているはずなのですが、思い出せません 9600の置き換えだからDE10でしょう。
唐津線と共通運用の唐津機関区のカマ。 >>9
ありがとうございます。
胸のつかえが取れました。
佐賀線といえば、思い出されるのが急行ちくごでしょう。
幼少の頃乗りました。
その頃は知る由も無かったのですが、佐賀駅で博多からの急行出島や島鉄車と併結して
堂々の12両編成で走っていたのですね。 http://www33.ocn.ne.jp/~railway/menu75.htm
佐賀線の最終日の模様。 まさに>>4の書いたとおり
長崎〜熊本直通ならビジネス特急ありあけだなw 全長24,0km
昭和6年9月24日、筑後柳河=矢部川(現・瀬高)がまず開業し、
10年5月25日の佐賀=筑後大川の開通によって全通
話題は、諸富=筑後若津で渡る筑後川の中央部分が昇開式の可動橋になっていたこと
駅名
佐賀=東佐賀=南佐賀=光法=諸富=筑後若津=筑後大川=東大川=筑後柳河=百町=三橋=瀬高 佐賀⇔光法間を何度か乗った事があったな
今は遊歩道になってるわ 佐賀市・大川市・柳川市と貫いていて過疎地帯というわけでもないわけだし、
208号線が渋滞して道路事情もそれほどよくないので、
ある程度改善すれば第3セクターでもやっていけたと思うんだよな。
佐賀〜筑後柳河・矢加部で列車を増発して、矢加部を大改造して西鉄との連絡を図れば何とかなったかも。
自社バスを拡張させたいであろう西鉄がどこまで協力するかはわからないが。 現在も残っていたとしたら、唐津線からの
キハ125+キハ47という編成が瀬高駅で見られたんだろうか?
日中はキハ125の単行なんだろうな・・・。 今も佐賀線があったなら荒尾まで直通運転しキハ200を投入し高速化し30分間隔で運行すれば利用者が伸びたと思う。 大林宣彦の映画・廃市は柳川が舞台だっただけに佐賀線が映っていたな。
この前、仕事で長崎から鹿児島まで移動したんだけど、佐賀線あったら便利だと
思ったな。まあ高速化していることが条件だけど。 駅跡で唯一なんの説明板もモニュメントもない東佐賀哀れ >>20
仮にJR九だったら高速化せずに以前のままのローカル状態。
逆に伊勢鉄道みたいに第3セクター化されていればある程度
改良はされていたと思う 旧34沿いというか垂直に交差してたような
バス停名で「東佐賀」として残っているのが唯一の名残かな。
諸富駅跡の石碑の前には県道245号線・諸富停車場線の標識がぽつんと立っていて、
これも駅跡の名残を醸し出してる。 >>23
(長崎)佐賀ー熊本(鹿児島)って
そんなに需要ないでしょう。
伊勢鉄道、北越急行、智頭急行とは違う。 >>24
確か、諸富駅から味の素工場への引込み線があったような気がする >>26
1981年の航空写真
ttp://w3land.mlit.go.jp/Air/photo400/81/cku-81-3/c17/cku-81-3_c17_44.jpg
東大川駅もつい最近までホーム残っていたけど、ものの見事に有明海沿岸道路に被ってしまって跡形もなくなった。
だけど、かつての踏切跡である交差点角に写真つきの駅跡説明版が設置されたのは評価できる。 >>25
長崎−鹿児島に空路あり(オリエンタルエアブリッジ)
全日空時代はB727も飛んでいた。
親から聞いた話なんだけどひい爺さんが佐賀線の前身の馬車鉄道(佐賀−諸富間)に
財産を投げ売って投資したからタンボが減ったって 廃駅跡の様子
三橋;石碑あり、線路跡は道路化
百町:三橋と同じタイプの石碑あり、線路跡は道路化
筑後柳河:公園化、公園の片隅に説明板あり
東大川:去年までホーム残存していたが有明海沿岸道路に。代わりに説明板を設置。
筑後大川:跡地は道路とハローワーク、駅跡記念碑あり。
筑後若津:築堤切り崩し、筑後大川と同タイプの駅跡記念碑あり
諸富:跡地は体育館など町の施設。駅跡記念碑あり。
光法:サイクリングロードの中継地、ホームと駅名票レプリカ(?)あり。
南佐賀:公園化、駅舎(公衆トイレ改造)、ホーム、駅名票レプリカ(?)等あり
東佐賀:築堤切り崩して道路化、駅跡を示すものなし 無駄に立派な割にルート設定が微妙な有明海沿岸道路作るくらいなら鉄道残しとけよな 佐賀線同様に旧佐賀駅も懐かしいな。
発着していたのは確か一番隅だった 瀬高駅の0番乗り場モナー。
1本だけ佐賀→瀬高→黒木という謎の運用があって、その列車だけ2番乗り場だったな。
唐津直通なんかもあったな。 >>36
今は自転車置き場か駐車場かになってる場所だな 「矢部線の426Dの車両は佐賀まで行くことを発見しました!」 「わかりきったことを言うな」
って云うくらいだから多分沿線の年寄りだろうなw
>>41
修復作業に入るのな
ttp://www.nishinippon.co.jp/webclub/kimonoclub/bunka/20090121/20090121_0008.shtml 僅かに残っている長崎本線と線路が分離する高架も年々撤去されて土手もアスファルトに塗り替えられていくのがさびしいですね。
佐賀から昇開橋まで自転車で線路痕を辿って行き、歩いて昇開橋を渡り若津へ着いた時はなんとも言えない気持ちだった 甘木鉄道でもなんとかなってるのならここもなんとかなりそうだったのにな 甘木鉄道は西鉄乗り換えの通勤需要で息をついていると聞いた。 こっちは3セク化しても無理だったろうな。
もともと柳川市も大川市も中心部から外れていたし。
廃止代替バスも悲惨な状況だった。
あと、柳川の人は佐賀に行くよりも西鉄で福岡に出る事を好むから
そういった意味では甘鉄並みの安定した需要を取り込むことが難しいと思う。 大川はいうほど市街地からは離れてないと思うがな。
代替バスといっても瀬高〜柳川の堀川はスカスカだが柳川〜佐賀の西鉄はそれなりに乗ってる。
あと、普通に諸富〜佐賀なんかは結構いけてたと思う。
まぁ、一番いいのは>>16のように矢加部に乗り換え駅を造って
西鉄特急止めて甘木鉄道のように接続をはかるのがベストだったのだろうが。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
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矢部川橋梁〜瀬高駅の間がほとんどわからなくなってるな。
わかるのは鹿児島本線と分岐する所だけ。 佐賀駅の乗り換えホームに検札の駅員さんがいた。
俺も捕まった。涙 映画「張込」(清張先生原作)みると、
木造の、地上の佐賀駅がでてくるね。
急行西海ですか、東京行き、蒸気機関車牽引。
駅のアナウンスで東京までの停車駅全部読み上げてた。
私は高架の佐賀駅しか知りませんが・・・。
>>46-47
逆だろ?
甘木鉄道方式=大川や佐賀県の人が西鉄電車に乗り換えることに主眼を置く。
「佐賀へ行く」って発想がそもそも変。
西鉄バスの利用状況も
柳川〜大川>>>>>諸富〜佐賀
じゃん。 >>55
当時の駅構内は煙と匂いが充満してた
粉塵が車内へ入って来るのを防ぐため窓には網戸がついてたな >>57
柳川〜大川にも昇開橋行きの区間便が走っている@西鉄バス 大川はそれこそ大善寺経由で福岡志向。
ただ、西鉄大川線廃止時に廃止反対一色だった大川に復活を約束して説得をしたが、
今の所その約束が履行される兆しすら無いあたり西鉄もヤクザだな。
まあ、普通に反古なんだろうけど。 西鉄大川線が残っていたら電化されて、
現在大善寺止まりの普通電車がそのまま乗り入れていたんだろうなと妄想 県庁所在地に直結していたのだからそこそこ利用あったと思うのだが・・・。
該当しそうな除外規定「ピーク時1000人」もい越えられない壁だったのかな? >>67
九州一小さな県庁所在地である佐賀市の広域求心力が低かったことと、
当時はまだバスが充実していたこと、平地だから通勤通学等で
自転車利用がそれなり多かったのではないかなと。
あと、柳川にしても大川にしても佐賀にしても三橋にしても
町の中心から離れたところを通っていて案外不便だったのもあるかな。 有明沿岸道路経由の特急バスの設定マダー、と妄想してみる ウィキで見たら筑後川信号場、勤務の職員川岸より
渡船で通ってたんだってね。
何か凄いな。
なんか懐かしい話発見記念カキコ
廃線当時中坊だった俺だがやはり原因は>>68そのまんまだと思うね
といっても俺はほとんど大川-佐賀間しか乗ってないんだが
ほとんどバス路線と同じコースだからね
佐賀内で唯一バスとコースがずれてる東佐賀駅、
バスが佐賀市中心部を貫通してんのに東佐賀駅は中心部から大きく外れてるから
佐賀市中心部行く人にはバスが便利だったのは間違いない
諸富-味の素工場引込み線は国道208を横切るんだが
あそこって結構な交通量なのに踏み切りも何もなかったんだよなー
あーナツカシス
751 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 18:18:28 ID:saVUS39F0
>>748
昔は地域における柳川・大川の影響力が今よりずっと大きかった
大川家具や諸富の味の素の貨物も担っていた
九州鉄道(鹿児島本線)は柳川を通る予定だったのに柳川が拒否した為に
羽犬塚・瀬高経由になったのも後の佐賀線としては痛かったかもな
同じく拒否した太宰府は福岡が近い為にそこそこ発展したが、柳川は鹿児島本線から外れた為に衰退
スレ違いかな
753 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 20:07:15 ID:Qr46c+fV0
>>751
お前は国鉄基準でしか物を図れんのか。
廃墟同然だった国鉄柳河と福岡通勤圏として発展した西鉄柳川の航空写真でも見とけ。
756 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 20:36:09 ID:saVUS39F0
>>753
西鉄柳川は実家から徒歩圏内の地元なんだけどw
九州鉄道の柳河駅予定地だった場所は佐賀線の筑後柳河とは別の場所でむしろ西鉄柳川に近い場所
ちなみに西鉄柳川も旧城下町の中にできる予定だったが、これも拒否した為に旧三橋町にできた
西鉄の矢加部駅付近の急カーブはその時の計画変更のなごり
757 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 20:41:00 ID:Qr46c+fV0
瀬高あたりの惨状見れば、
西鉄の天神直通のおかげでむしろそこそこ発展できたんだろ。
それとも荒尾化したかったのか?
770 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 22:20:18 ID:saVUS39F0
>>757>>761
柳川は明治の頃はまでは福岡〜熊本間で久留米に次ぐ規模の町だった
九州鉄道ができた直後に久留米にゴムを中心とした工場、
大牟田には石炭に関連する工場が数多くできた
当初、三池炭鉱が近く筑後川の水運も利用できた柳川に起業しようと計画する人も多かったが、
肝心の九州鉄道を拒否した為に工場設置の話は全て流れ、物や人が集まらなくなり没落していった
こういう歴史を先人から聞いているもんでね・・・
北原白秋は故郷柳川の事を暗に「廃市」と呼んだ位に没落していった歴史があり
この「廃市」は後に映画化されたけど、映画の中で登場する滅びゆく町のモデルは柳川です
もう完全にスレ違いだからこの件はこれ以上は書かないけど 776 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 22:47:46 ID:Qr46c+fV0
>>770
俺が間違いと指摘したいのは↓だよ
>同じく拒否した太宰府は福岡が近い為にそこそこ発展したが、柳川は鹿児島本線から外れた為に衰退
柳川も太宰府も所詮変わらないだろ
距離の違いはあれど福岡近郊の観光地モドキの通勤圏、衛星都市。
以上で終了
783 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 23:24:19 ID:saVUS39F0
>>774
佐賀線の話題から脱線しまくってスミマセン
>>776
年間観光客は100万人以上いるが、
福岡市と市街地が連なり福岡の10%都市圏の一部の太宰府市と
福岡市から遥か彼方で久留米以南はローカル線同然の柳川市は別物
福岡市までの通勤通学者もいるが、太宰府より遥かに少ない
さすがに条件が違うよ
以上でホント最後
784 :名無し野電車区:2010/12/16(木) 23:26:05 ID:Qr46c+fV0
>>783
柳川も福岡の通勤5%圏だよ、ばーか >>ID:saVUS39F0
単線・各停オンリーの太宰府線を差し置いて
料金不要特急で1・2位を争う幹線をローカル線呼ばわりとはな(笑)
太宰府駅の利用者は柳川駅以下。
(最近は九博人気で差は縮まっているが) ちょwID:Qr46c+fV0の知ったかぶりが酷いw
太宰府は完全に10%都市圏だろうw
>>76
お前が痛すぎw
太宰府・五条・都府楼前・西鉄二日市・下大利・JR二日市・都府楼南・・・
太宰府市内や周辺にいくつ駅があると思っているんだよw
柳川市は西鉄柳川以外カス駅じゃね〜かw