【国鉄】いい日旅立ちキャンペーン【百恵】
山口百恵が第1話だけゲスト出演していた赤い激流の最終回の愛はいのちでは
先日亡くなった緒方拳さんふんする田代清司殺しの濡れ衣を着せられ死刑場の
ある仙台へ上野12時25分発の旧型客車の仙台ゆき普通223列車で護送されてく
水谷豊ふんする田代敏夫の姿が印象的だったがあの場面の後にサントリー角瓶
cmが流れていたがそのcmも角瓶と文庫本持って旧型客車で旅に出るものだった 緒形さんが正解ですねちなみに赤い激流は1977年昭和52年に放送された >>34
>しっとりと旅情を味わう時代だったんだよ。
旅情も音楽もどっちもだけど、この「しっとり」がわからない世代が増えつつある。
「短調の曲=暗い・重い・後ろ向き」とか反応しちゃう奴ね。
>>27が「当時思っていた」っていうのは、ちょっと信用出来ない。
あの当時リアルに生きていれば、あの歌が世間からどういう評価をされ、
どういう「位置」に立っていたか、知らないわけではないだろう。
とくに、27の言うような、旅情をかき立てない、キャンペーンに向かない、
どうしようもない暗い歌だったか、なんて事は感覚で理解出来てる筈だ。
(もちろん人により好き嫌いはあるだろうが、それは別にして) CMで使われていた日生のおばちゃんの歌に通ずるものがありますね
あの歌も短調の名曲でした 自分のイメージでは、この曲は「遠くへ行きたい」とけっこう被ってる。
どっちを聞いても、まだ見たことのない町や風景を思いを馳せるような、
望郷にも似たような気持ちが湧いてくる。今は無き路線や風景などへの郷愁をこめて。
しっとりとした旅情っていうのは、自分の中ではこんな感じ。
でも、どっちの曲も一人旅(≒感傷旅行)って感じなので、
卒業、新婚、家族旅行みたいに、複数でわいわいと行くのが旅行だ
という感覚の人にはなじまないのかもね。 鉄道から離れてしまうが、1979年の久保田早紀「異邦人」はやっぱりマイナーで旅を描きだしてた。
でも曲の途中でメジャーに移る部分があるんだよな。
あの明るさが、ポップでバブリーな80年代を予感していたように思えなくもない。
1980年には山口百恵は引退し、松田聖子がデビューする。
「いい日旅立ち」が「2億4千万の瞳」を経て、
「旅立ちはフリージア」(オリエント急行来日時のテーマ曲)に続いたんだ。
「遠くへ行きたい」は名曲だね
本当に旅行に行きたくなったよ
番組のほうも昔のスポンサーは国鉄1社だった 異邦人は1979年でもほとんど1980年だからなでもあの頃の在来線は最高だった
松田聖子といえば昔客車鈍行の1両を大学生グループが貸切にして大きな音で
かけていたのを思い出したがああいうことが許されたのが国鉄時代ではあった
マイナーメジャーマイナーという転調は赤い激流ルビーの指環でもありました >>35
角瓶と文庫本のCMね
最初が早朝の上野駅
次が旧客の中
最後がどこかの宿の部屋
あれをみていて上野530→郡山1250→福島1600頃→峠と旧客鈍行だけを乗り継いで
峠駅から山道を歩いて温泉宿にいったものと勝手に解釈していた。
>>38-41
こういう話題になると、同じ旅を歌っていながら曲調の正反対な2曲が存在する
「銀河鉄道999」を思い出してしまう。
TV版は、アップテンポではあるけど、持っている空気というのは
「いい日旅立ち」や、ここで上がった「遠くへ行きたい」「ニッセイのおばちゃん」
「新日本紀行」メインテーマなどに通じるものがあるんじゃないかと思う。
岸洋子の「希望」や、「遠くへ行きたい」の中で一時期流れた「ひと駅ごとに」
(森田公一とトップギャラン)もこの流れかな。
思えば、あの当時は短調の感動的な名曲って多かったよな、と。
それが数年後、映画版でゴダイゴの御陽気な曲に変わってしまうあたりが、
時代の変化だったのかな、と思ったりもする。
(ま、あの路線には批判や反省もあったのか、「さよなら」の方のラストでは
一種の揺り戻しが来るわけだけど。)
ちなみに、「新日本紀行」メインテーマは、冨田勲以外の人によって
「祭りの笛」という便宜タイトルが付けられてしまったが、実は冨田によると
祭りじゃなくて、SLが発車するシーンをイメージしたものらしい。
そう思うと、青木望作編曲のささき版「999」も、徐々に楽器が増えるイントロや、
細かく刻むリズムが、同じ「発車」をモチーフにしてるような気がする。
余談ばかりの長文でスマソ。
余談ついでに>>42 ルビーの指輪って、メジャー転調する場所あった? あ、すまん、TV版の作曲は平尾昌晃だったっけかw 訂正です。 >>44
ゴダイゴの「銀河鉄道999」は確かに元気いっぱいだったね。
「ガンダーラ」はゆったりとしていたし、999のB面の「テイキング・オフ」も落ち着きのある曲だった。
タケカワユキヒデとミッキー吉野の音楽性の幅があったからこそ、
70年代的なゆったりした表現から80年代のネアカな空気まで掴めたんだろうね。
つーか「テイキング・オフ」はいま聴いても、周遊券を手にして日本中を旅して回った頃の気持ちの高揚が戻ってくるわ。
http:jp.youtube.com/watch?v=hWgW3s9UwpA&feature=related
グリコのアーモンドチョコの宣伝で旧客に乗った青年がチョコを齧る
BGMは松山千春の「季節の中で」
あとはアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」とか当時ウォークマンで聞いた
せいで旅というと「いい日旅立ち」より世代的にこっちがしっくりくるね ヒストリー・チャンネルでやっていた「文学道中」という番組の曲も旅情をかきたてるものでした
Tスクエアの安藤まさひろ氏の哀愁を漂わせるギターの音色が何ともいえない良い味を出しています
太宰治の回などは津軽鉄道が出てきましたし、雪国の回では上越線が出ていましたね
そういえば文学からとられた、もしくは文学を連想させる列車名も結構あるものですね
「踊り子」「ゆきぐに」「津軽」「しおさい」などは有名な作品名と同じですし
「やくも」「みすず」などは文学者の名を連想させます
「天の川」は松尾芭蕉の俳句から命名されたのでしたか
「ムーンライトえちご」も「天の川」と名乗れば良いのになどと思ってしまいます >アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」
いいねぇ〜
あの歌自体は、旅の歌ではなく、遠くに聞こえる汽笛を聞きながら
でもこの町で生きていこう、という歌だったけど、
シングル版のジャケットが、非電化単線・1面1線の小駅で撮った
うっすら雪の積もる季節の朝焼け?の光景で、旅情をかき立てられた。
イメージ的には北海道だと思っていた。
いつか国鉄全線を乗り尽くしたらこの駅にも出会えるかな、と期待した。
その後15年。夢だった全線完乗は果たしたけど、その全線全区間を
かぶりつきで乗ったわけでもないので、この駅はわからなかった。
夜の間に通ってしまった駅か。あるいは、いくつかの線区は廃線までに乗り潰せなかったので、
その区間にあれば、気付く気付かないじゃなくて、そもそも出会えていない可能性もあった。
そこからまた15年。ネットの時代になって、たまたま検索してたら、ほんとに偶然、
それが東北の某本線の某駅だとわかった。思ってもいなかった意外な駅だった。 伊勢正三の「なごり雪」には駅での別れが出てきますが
この歌は津久見駅でできたそうですね
ゲーム「電車でGo」に出てくる秋田新幹線「こまち」の歌も良いものです ♪雪解け〜間近の〜北の空に向か〜い♪
この歌が出た頃にはとっくに本州対北海道の交通手段は
飛行機がメインになってましたな。
昭和54年に成田開港→羽田の発着枠が空き、国内線増便で
一段と加速した感が。 >>53
メインではなく拮抗してたんでないのか?
当時は航空運賃はベラボウに高く,今のような安売りチケットもなかった。 いや、54年じゃ、もう拮抗とは言えない時代だろう。
Web版函館市史にこんな一文がある。
>北海道・本州間の旅客輸送シェアは昭和40年で国鉄(青函航路)が83パーセント、
>航空は16パーセントたらずだったのに対し、昭和53年には航空が60パーセント、
>国鉄25パーセントと大逆転した(昭和55年7月14日付け「道新」)。
>昭和50年代はもはや長距離列車で旅をする時代ではなくなったのである。
ttp://www.city.hakodate.hokkaido.jp/soumu/hensan/hakodateshishi/tsuusetsu_04/shishi_07-03/shishi_07-03-56.htm 俺は谷山浩子さんの「河のほとりに」のモデルとなった高梁川に行きたくて旅行したなあ 「津軽海峡冬景色」の歌詞を若干かえて「能登半島」の曲につけて歌ったことあるなー。
最初の出だしはぴったしなんだよなwwww
同じ三連符・短調の歌だからね。そりゃつなぎやすい罠。
ちなみに、その次の「暖流」まで含めて、「旅情三部作」は全部三連符。
>>56
おれは「テングサの歌」で岩代駅に(ry >>58
俺も岩代いったぞ。谷山さんの歌に惹かれてな。
そういや東北のやつで谷山ヲタがわざわざ「午前5時の新宿駅」
を見物にいったなー。朝帰り族が多いんで驚いていたっけ。
>>59
オールナイトで朝帰りか、「河のほとりで」のモデルが高梁川とは知らなんだ地元なんで
谷山浩子といえば上越新幹線になるわけだが
鉄系ソングではディスカバージャパンのCMソングが好きだ >>55
ビジネス客は航空利用だろうけど、一般の人の帰省とか旅行では、
まだまだ連絡線利用が多かったイメージがある。まあ、昭和50年代半ばまでね。
>>58
短調と長調の意味がよくわからないんだけど、かいつまんで教えてくれないかな。 百恵ちゃんが歌うってのが改めてすごいな。
今の時代、ああいう存在の歌手っていないわな。 >>61
簡単にいえば
楽しそうな音楽→長調
悲しそうな音楽→短調
ということを基本にして考えるといい。
ちなみになにか楽器あれば
まず普通にドレミファソラシドとひいてみよう→これが長調
今度は「ミ」と「ラ」と「シ」の音を半音さげて同じように
ドレ(ミ)ファソ(ラ)(シ)ドとひいてみよう→これが短調
…つか、小学校の音楽の時間ぐらい真面目に聞いてろw>>61 >>64
やっと俺の音痴の原因がわかった!
みんな音楽に詳しいな。 当時山口百恵のポスター盗難続出で、京都駅の通路なんか手の届かん高いところに張ってあって、おまけに予約済みの札が張ってあったのにはワロタ。 鉄道の駅や車内のポスターなんて、今は肖像権がどうのこうので
入手困難だから、いい時代だったんでしょうね。 今でも交換の際言えば貰える事が多いよ。外注業者が交換してるし。むしろ肖像権絡みなら廃品を売る方が難しい。 跨線橋の国鉄ポスターを張り替えている時など
しばしば終わったポスター下さいと言ってくる人がいたよ
もちろんあげました
うちには国鉄バス宣伝をする音無響子さんポスターがある >>60
ディスカバージャパンのCMって!遠くへ行きたいですね?それとも別の曲がありましたっけ? >>74
旅へ行こう 旅へ行こう
楽しい旅へ〜
誰かと 誰かと 遠くへ〜
ディスカバージャパン
ディスカバージャパン
ってやつだろ?
>>71
おれは美保純のドリーム号のポスターが欲しいっす。 「とろーり」だっけ、キャッチコピー。
なんか、意味わかんない感じもありつつ、エロかったよなw
ちなみにおれは昔、南紀ビーチのこのみちゃん水着生写真立看板を略d(ry >>76
4年ぐらい前、オクで2万ちょいで楽されていた。鉄じゃなくて、バスマニアが落札
してと思う。 >>77
このみちゃんってこの子ね。↓
ttp://www5f.biglobe.ne.jp/~rajomon/sub1802.html
確か国鉄のテレビコマーシャルにも出てたな。 http://www.konomi-mashita.com/profile.html
へー、今は女優・写真作家なんだ。
全然雰囲気(ふいんきじゃないょ)が変わったね... >>77
このみちゃんて「がんばれ源さん」の間下このみかよ!
子役立て看を略Dって、おま… >>84
今、>>81で紹介したリンク先見直したら、このみちゃんのマン筋写ってるぞ。いいのか?国鉄?
さんま大先生とかに出てなかったか?
大きくなったな。 >>86
「所さんのただものではない」だろ、カケフ君とか 元富山レクのレチだった
伊藤敏博の青春18って曲
当時発売されたばかりの
青春18のびのびキップのテーマソング? いい日旅立ちのレコードって結局レコードがなくなるまで廃盤にならなかったんだっけ? >>94-98
こういうアホな結束力はどこから湧いてくるんだw
お、おまい…
スレタイをじっくり読んでみろよ。
せっかくスレタイちなみの「百」番だってーのに、
なんでそんな下らん書き込みで潰すんだよ… orz いい日旅立ちの国鉄のテレビCM、すごい良かったよな。
もう今や見れないのは残念。 Youtubeでもないな…家庭用VTRが普及し始めた頃だもんな
懐かしのCM見たいな番組で10年くらい前にあったぞ。15秒のやつだけど。381系くろしおが写ってた。 国鉄CM集めたDVDとか結構売れると思うけどな。
商品化したらどうだ?>JR東日本企画orJR西日本コミュニケーションズ
いちまいのきっぷ〜♪ をもう一度聞きたい
消防時代の微かな思い出 >>105
国鉄は地味だぞ。森繁や金やん見たいか?
倒壊のCMのほうが売れそう。 深津絵里が出てたCMを今見ると、
ファッションやメイクが当時最先端だったのかも知れないけど、
改めて現代の目で見ると却ってダサさ炸裂!
ギャグにしか見えないね。 今から5年もすると、今の人もダサく見えるんだろうね。
でも、鉄道だって人の事は笑えないと思う。
国鉄民営化直後の塗装変更ラッシュは、私鉄まで巻き込んで嵐のようになってしまったが、
半分ぐらいは笑える色遣い・塗り分けだったような気がする。
JR西がピンクを使ったのが筆頭だと思うが、ともかく、
目立てばいい、派手ならいい、今までにない色ならいい(w
国鉄色の再評価や、私鉄でも復古塗装が流行ってるのは、
ひとつは鉄向けのイベント要素なんだろうけど、素人目にも
ケバイ塗装の嫌らしさが飽きられてきてる事があるんじゃないかと。 JR西バスがつばめマークを捨てピンクをアクセントにした塗装に変更したのは衝撃的かつ新鮮だったぞ。
今なお古くもダサくもないぞ。
倒壊の場合は深津絵里の白塗りがキモイだけで、初代シンデレラEXPのねーちゃんは、
眉毛が太いだけであとはファッションも含めて至ってナチュラルだったぞ。 >>112
>白塗りがキモイだけ
>眉毛が太いだけ
…それ、十分大爆笑の要素じゃんw いやいや現代にも吹石一恵という眉太女優が居るから、眉の太さだけが時代の決め手にはならんよ。
深津絵里は、だんだんの白塗り舞妓に匹敵する爆笑物だが。 眉が太いだけならおかしくないが、
あの当時の眉は、細い人も太く濃く描いた。
それは天然太眉とは似て非なる物。
富田靖子あたりも、元々天然太眉だが、
当時の画像を見ると、明らかに妙なアクセントを付けて
さらにくっきり描いているのがわかる。 東海のCMなら、牧瀬里穂のCMが一番好きだなぁ。
山下達郎の曲がかかってて。
「ジングルベルを鳴らすのは、帰ってくるあなたです」
名ゼリフだよ。
やはり一発目のシンデレラのインパクトがデカかったな。
民営化の印象を決定付けるCMだったし。
国鉄とJRのCMで最大のヒットだね。 あれは白塗り以外の何物でもないぞ。
今出てるヤクルト ジョアのコマーシャルに出てる顔と比べてみたら納得だぞ。 鈴木その子は確信犯だからあれはあれで清々しいw
深津絵里の場合は流行のファッションとして捉えられているからお笑いになる。 山口百恵のCMって15秒と30秒バージョンだけだっけ? >>124
わからん…
ただ、くろしおが出てたほうが長かったような…?
>>125
夜のブルトレが走るヤツが有ったよな?当時の仲間内では「紀伊」って事にしてたがどうなんだろう? 10月2日にダイヤ改正して、3日からキャンペーン開始というのは、
パブリシティのうえで、なにか考慮したのかな。 この頃だっけ
「きっぷがなければ乗れません。目的地までの乗車券。特急には特急券。急行には急行券。」
というポスターがそこかしこに貼られていた。 きっぷを…のポスターはオレンジキャンペーンっていったっけ。
一枚のきっぷから、の頃かと。オレンジカードより少し前。 「いい日旅立ち」と「ぢゃぱ〜ん!」は、昔北海道のSTVテレビで夜7時前にやってた
「エスタ国鉄だより」のBGMにも使われてたんで、俺はそっちの方が印象に残ってる。
個人的には「いい日旅立ち」も「ぢゃぱ〜ん!」も好き。前者は18きっぷとかでローカル線を
旅するのに向いていると思うし、後者は新幹線や特急とかでメジャーな観光地へ行くのに
向いていると思う。 エスタ国鉄だより って番組の名前? どんな内容だったの? >>131
今となってはよく憶えてるのはタイトルとBGMだけで他はうろ憶えですまんが、
放送時間は平日夜6時55分ころ(6時台のニュースが終わったあと)で、内容は
国鉄からのお知らせ(列車の空席情報とか)だったと思う。 …と思ったら、過去スレにこんなのがあった。
【総合】北海道ローカルの懐かしテレビ【総合】
ttp://www.23ch.info/test/read.cgi/natsutv/1071209240/
339 :名無しだョ!全員集合:04/09/29 23:53:42 ID:L3HO/9fV
STVニュースTodayのあと「ESTA国鉄だより」あったよね。
SLのシューポポッという効果音に「エスタ国鉄だより」とアナウンスが
入ってスタート。内容は「Qきっぷで函館往復○○円でおトク!」とか
そんな程度。30秒位。そのあと着物や洋服着た女性4人が踊って「駅は
いつもエキサイティング」とナレーション、「ESTAエスタ〜」という
歌のコマーシャル。
すまん、空席情報はやってなかったかもしれない。 このキャンペーンの今で言うDCは南紀だったんだな
新宮電化の振り子くろしおの「きらめく紀州路」ポスターが懐かしい