【国鉄】いい日旅立ちキャンペーン【百恵】
>>248
彼女の曲に「銀河急行にのって」という曲があるが、これを録音して急行
「銀河」のナハネフ22の展望スペースで聞きながら旅をした
思い出がある。密かに「銀河」のテーマにしていた。
松崎しげるのは「銀河特急」だったのでやめた。 いい日旅立ちキャンペーンの動画がようつべにもほとんどないね >当時、確かに、「国民に支持されるみんなの歌」を歌っていた
これは後半期だろ〜
初期の山口百恵は思わせぶりな少しキワモノっぽい歌詞の歌多かったぜ。
アイドルとしては桜田淳子の方が王道だったと思う。 ニコニコで白石涼子と初期山口百恵のひと夏の経験を聴き比べて
百恵は単なるキワモノじゃなかったように思った。
歌詞がキワモノだとか歌が下手だとかいうのを超えた
何か不思議な魅力がある。 「青い果実」も、「ひと夏の経験」も、
僕の年齢では、
聞いていた時代は、意味が分からないから、それでいいの。
「女の子の一番大切なもの? ぬいぐるみかな?」なんて思っていた。
百恵さん自身、一番大切なものは「まごころ」と記している。 万個なら何回でも捧げられる。
誰かに捧げるために守ったり
一生に一度だけ経験するんだから処女膜に決まってるだろ 処女膜…そんな「膜」があると固く信じて疑わなかった中2の夏でした… 俺が中房のころ切符袋にいい日旅立ちって書いてあった、のびのび切符を仲間で分ける時、いい日朝立ちとマジックで書き直してその切符袋で渡すのが定番だった。確か200系新幹線の写真がデザインされてた時代。
ちなみに僕は、陰毛生え始めも、初めての射精も、
「中1の3学期」の性教育授業より早かったので、
当時の混乱ぶりは凄まじかったですよ。
性教育を受けても、まだ理解に届くまでは時間を要し、
「セックス行為の本当のやり方」を知ったのは、中学校卒業の頃。
「蒼い時」を読んだ時期より後です。
「蒼い時」の、性に関する記述も、まだ推測の部分がありました。
もうほとんど分かっていた時代ですが、
完璧に知るのはもう少し後なのよ。
「入れる」、なんて恐ろしいこと、純潔な少年には想像はできないの。 >129
>209
オレンジキャンペーンではなく、
オレンジオペレーションな。 年表サイト「国鉄があった時代」によると、
昭和51年から国鉄部内でやってる動きは「オレンジ作戦(オペレーション)」だが、
昭和54年の欄に
>国鉄のオレンジキャンペーン「きっぷは正しく」の運動始まる 12/20
とあるので、外部向けには「キャンペーン」でも正しいような気がする。
おれは、正直なところ、今検索するまで「オペレーション」の方の言い方は知らなくて、
「キャンペーン」の方しか記憶になかった。 266です。
267さん補足説明ありがと。
確かに仰るとおり、対外的にはオレンジキャンペーンでも意味は通じるし、
かえってそっちの言い方の方が当時は一般的だったんかも知れんね。
(なんせ遠い昔の事なんでオレンジオペレーションの名称しかおいらの記憶に無かっただけです。)
過疎スレなのにこんなに早くレスつくとは思わなかったんで正直驚いたっす。
普段は立ち寄りさえしないスレなんだけど、ひょんとした事がきっかけでここが
目に止まり読み込んでしまいましたわ。
余談ですが、同じオレンジでもオレンジギャルの方が好きな事はここでは内緒w
そろそろよそ行こうと思ってその前に念の為にF5したら、>269さんのコメがw
実はちょっとだけ何か期待♪してたんだけどやっぱり何かここ、裕美ストも定期的に
訪れているような希ガス。離れられなくなるぢゃないですかw
今朝JR西日本のCFで木綿〜流れてるの見てしまったのと、NHKの
「みんなのうた」で金平糖聴いてしまったのがモチベーション上げてしまった。 太田裕美さんには「銀河急行にのって」というファンタジックな名曲が
あります。この曲をカセットに吹き込んで密かに当時の急行「銀河」のテーマにして、ある年の旅立ちに持っていきました。
もちろん深夜ナハネフ22の最後尾の展望室?に陣取り、流れる線路の夜景
を見ながらひとりウォークマンから流れるこの曲を聞いてみたことがあります「銀河」の「急行」であって「急行」の「銀河」ではないのは承知でしたが。
♪眠りにつくと迎えにくるの(hu-go to the milkyway)
白い煙をはく機関車が〜 って曲です。
271さん、
いいですね、こういう汽車旅と懐メロのエピソード。
割とハイテンポでロマンチックな歌詞という旅情を掻き立てるナイスな曲(かれこれ36年前!)
ですよね。歌詞にならって七夕の頃を見計らって旅をされたんでしょうか?
実はさっきこの曲も聴いてました。最近は暇さえあれば彼女の曲を聴いています。
とにかく癒されます。今の時期だったら定番の「さらばシベリア鉄道」また渋め路線では
「街の雪」(←どこの街でしょうかね?ある程度の都会で雪が積もるところ。全国に
いっぱいありますね。)が汽車旅に合うと思います。でも「街の雪」じゃ切符破いて汽車に
乗るのを断念するからダメですね。
なんか、国鉄のキャンペーンを離れて、鉄道と懐メロを語るスレみたいになって来ちゃったなw
池原なんちゃら言うのが、鉄道じゃなくて百恵を語り出してからおかしくなった。 だって仕方がない。
百恵さんと鉄道の接点のネタより、
我々の世代の、子供の頃の、「芸能界神話」の方がインパクトが強過ぎた。
クラス学級が芸能界の話題で回っていたような時代だった。
「あー、日本のどこかに〜」
西日本車の新幹線に乗れば聞こえるメロディーだが、
「日本の」と歌うところに、
昭和52年当時は、まだ海外旅行は一般的じゃなかったのかな?
なんて、思いをめぐらす。
国鉄に存在感があった時代である。 >だって仕方がない。
正当化は結構です。
>百恵さんと鉄道の接点のネタより、
いや、そもそもここは「いい日旅立ちキャンペーン」スレであって、
「山口百恵と鉄道の接点を語る」なんてスレではないんだよ。
スレ趣旨を根本から誤解してるから、話がズレる。 じゃあ百恵さんが本当に汽車に乗っていたとき(テレビで観た)の
話題を。
僕がまだ、芸能界、歌謡曲のことを正確に把握する直前、
つまり、小学校4年生くらいの頃だと思う。
(5年生になると、クラスメイトほぼ全員が芸能界の話題を交わすようになった)
山口百恵さんが、北海道で、蒸気機関車と一緒に映っていて、
「今日で、国鉄で蒸気機関車が走るのが終わる」という内容の番組を
放映していた記憶があるのですが、
具体的なことをはっきり記憶している人がいれば、教えて下さい。
おそらく、昭和50年頃の、
「北海道での、国鉄蒸気機関車の最後の運転」を記念した中継番組
なのでしょうけど、
僕はまだ幼くて、番組は垣間見たくらいで、はっきり記憶していないんです。
「いい日旅立ちキャンペーン」のスレ、と言っても、
キャンペーンにかかわらず、当時から鉄道は好きでしたし、
歌も、もちろん「国鉄キャンペーンのテーマ曲」とは知っていますが、
どちらかと言えば、歌に関しては、
当時の学校の同級生の影響で、
鉄道趣味とは無関係に、「芸能界、歌謡曲としてのもの」の感覚が強いですね。 スレタイと>>1の意味が理解出来ないバカは消えろよ。
「百恵」とは書いてあるけど、百恵スレじゃねーんだってば。 多分これの事を言ってるんだろうと思って探したら、
ようつべにあったので、貼るだけ貼っとく。
ttp://www.youtube.com/watch?v=rQETQlJl3Ws
あとは大人しくしててくれ。
スレタイに沿った話題を持ってないのに、
わざわざ食い込んで来る必要はないからね。 DISCOVER→JAPANの第一次から「一枚の切符から」、エキゾチックジャパン
など一連の流れの中で駅スタンプもデザインが変わってきた(その後の
「わたしの旅」もあるが、なかで基本デザインは変わらず「いい日旅立ち」の
キャンペーンマーク使用した駅スタンプは少なかったね。
サイトでも見かけるけど例えば豊橋はそれがあった。 >>276
239 :回想774列車:2011/09/19(月) 21:37:45.27 ID:96UgkNHv
NHK番組- さらば蒸気機関車/室蘭本線のC57-135
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/89fb206ec30410e5c3f23d5e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/0bea86448953a42b9422315e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
国鉄はあまりCMに金をかけられなかったのに
有名歌手を起用したのは奇跡に近い出来事だったのかも。 >>283
今で言うコラボレーション?
CMで流れれば歌の宣伝になりレコードも売れる!
百恵さんがCMに出て歌が流れれば旅行に行きたくなる人が増えて国鉄も客が増える!
歌の名前もそのままキャンペーンに用いたし、win-winの関係ってところなんじゃない?
早い者勝ちで仮に航空会社や海運会社がCMに起用していたらどうなっていただろうね? お若い方ですかな?
>今で言うコラボレーション?
当時は「タイアップ」みたいな言い方が一般的だったような。
>歌の名前もそのままキャンペーンに用いたし
事実経過から言うと、これは多分逆。
キャンペーンスポンサーの名前が、キャンペーン名称と曲名に織り込まれた。 暗いものは暗い
嫌いだから暗く感じるとか暗いから嫌いだろとかアホか
だったらアングラは通用しねぇだろ、シュールなんだよこの世界は
負け組みのしみったれの様な主人公の歌
自己破産で清々して早朝旅に出る事閃いたみたいな
歌の人気がどんだけか知らんが聞いて旅出たくなるって当然なんだよね
自殺者が多い国では同病相哀れむだから主人公に感情移入し易いのさ
果てしなく暗い歌、海の底で聞きたい歌
じいじいは2chに来んなんよ 「負け組 み 」なんておかしな送りがなを使うのは、
大体20代以下と相場が決まってる。
この歌や、当時の記憶が全然懐かしくない人が
ガタガタ騒ぐ事ではないです。御退場を。 当時を理解していたり旅好きだったら暗く感じないとか、益々焼きが回った言い分。
年寄りほど居場所なくして旅出たくなるのは分かるけど、旅擽るのは明るい曲ばかりなのかよww >年寄りほど居場所なくして旅出たくなるのは分かるけど
この歌が流行った段階(33年半前)では、
いま還暦の人でも20代後半。
この曲で旅行きたくなるって事はロートルとか人生破綻者って事だよ
早めに焼きが回ったんだろ、若年寄め
それとも徘徊したくなった? 旅がいつでも楽しいだけのものでなければならないなら、
お前の感覚も間違ってはいないと思うがな。
ま、お前もあと少し人生過ごしてみれば、
わいわい楽しい旅や、昂揚感あふれる旅だけでなくて、
しんみりした旅の深みや味わいも理解出来るようになるよ。
「しんみりした旅」≠「人生破綻者の逃避行」だよ。
人生が破綻していなくても、40過ぎれば、
親や恩師や先輩… それまで世話になった人たちが次々亡くなる。
同年代でさえ、亡くした友は1人や2人では済まなくなる。
とくに、親しい後輩の死。
事故や自殺での突然の別れもこたえるが、
自分より若い人が病気で死ぬというのは、相当に衝撃だ。
そして、旅に出て、共に人生の時間を過ごした懐かしい人たちを振り返る。
楽しくはないが、そういう旅の形もある。
♪帰らぬ人たち 熱い胸をよぎる
この歌が歌っている「旅」とは、まさにそういう「旅」ではないかと思う。
人生経験の浅いうちには、理解出来ないかも知れないけどな。
それをロートルとか人生破綻者という言葉で片付けてしまうのは、
お前の親や、じーちゃんばーちゃんの世代の人生を
完全否定する事になるんじゃないかな?
(それでいいなら、別に構わんけど…それはそれで不幸な人生だなお前も)
煽りにマジレスで、芸がなくてすまぬ。 なんか日根野の381が国鉄色で出場してきたね。
名称も「くろしお」に統一された事だし、例のCMの「くろしお」が難無くリバイバルな予感( ´∀`) ジジイキモい、と言っても
やがてみんなジジイになるのよ自動的にw
若い時は「自分だけは違う」と思ってしまう。思いたい。
おれもそうだった。
けど、老いはやがて誰にも公平にやってくる。
その例外になるのは、若くして亡くなった人だけだ。
明らかにメンヘラの症状を歌った歌
共感を覚えたキチガイゲソなどの類が各地にばら撒かれたわけだ 「いい日旅立ち」マーク入りの駅スタンプって少なかったよね。
DJの1〜3次とロゴ変更を繰り返し、一枚のきっぷからでまた変わって
変更が追いつかなくなったのかめんどうだったのか・・・。
スタンプ台の同デザインのロゴ違いのが3〜4本置いてある光景・・・。 僕が小学校5年生の1月にヒットした歌です。
現在の谷村さんの年齢から計算して下さい。
で、いま、島根県で流れているキャンペーンソングだけど、
声が全然衰えていないのは驚く。 こういう問題におまえ個人の年表を持って来るなよタコw
チンペイさんは、昭和23年12月11日生まれ。
「いい日旅立ち」の発表は、昭和53年11月21日。
国鉄のキャンペーンが、11月3日スタート。
谷村バージョンと百恵バージョン、どっちが先に出たんだっけ? どっちが先に出た、って、百恵に決まってんじゃん。
当時、アイドル歌手の曲は、いわゆる「競作」は避けたもんだ。
シンガーソングライターなどからの提供曲の場合も、
すでに知名度のある「名曲」から選曲する場合は別にして、
普通は提供した側が遠慮して、しばらくは歌わない、
歌っても、シングルにはせず、せいぜいアルバム曲として入れる、
ぐらいが常識的だった。(もちろん、例外はあるが)
アイドルの曲は、なるべく他人のイメージが付いていないものを、
という考えが、まだ根強くあったと思う。
また、作者のバージョンの方がいいね、などという評価が出て、
アイドルの方のイメージが傷付く事を予防的に避けたんかな、とも思う。
それが崩れていくのは、ニューミュージック系からの提供が
もう当たり前のようになっていく80年代から…だと思う。
この歌の場合も、チンペイさんのレコーディングは1986(昭和61)年。
(それまでもライブとかでは歌ってたのを聞いたような気はするが)
シングル化は、さらに遅れて、なんと2008年。 一枚の切符から
これは盛り上がらずに終わったな
レールウェイ ララバイだっけ?
そのあとか・・・ 郷 ひろみの“ジャパーン”は 朝陽を浴びて山陽路を走るブルトレのCMって、どこかにUPされてるかな?
『遠くへ行きたい』を観てると必ず流れたと思う。 そういや昨日10月2日はゴーサントオの白紙改正日でしたな。 あったねぇ いい日旅立ちが流れる朝のブルトレの(山陽筋なのアレ?)CM
別のCMは昼行特急中心だが一瞬北海道の単行キハ22が出たり詰め込み過ぎて落ち着かない映像だった この歌が嫌いな奴って、トワイライトエクスプレスに乗ると
文句だらけで大変だろうな。 こういうのって、レコード会社の許可を受けないとダメなのかな? >>316
基本的に陰鬱な歌だから、あまりやたらに聞きたくないってのは正直ある。
JR西日本の新幹線の車内メロディは即刻やめてほしいぐらいに思うレベル。
路線廃止とか、国鉄最期の日とかに似合う歌なんだもん。 ないんじゃないの?
ようつべで「新幹線初期チャイム」とか書いてあっても、
岡山開業以後の4点打チャイムの事を言ってるのばかりだから。
厳密には、開業当初は鉄道唱歌(在来線電車特急にも普及)、
けど、最先端の新幹線と「汽笛一声新橋を〜」はミスマッチと言われたため、
開業後数年して、黛作曲のチャイムに代わった。
本当の「初期チャイム」と言ったら、これだろう。
ところが、これが、もう半端なく超陰鬱w
それまでの鉄道唱歌どこじゃない大悪評を食らい、
岡山開業時に、長年お馴染みの ♪ドミソド に変わる。
これでしばらく安定。
家庭用録音機材が普及してくるのは、岡山開業ごろ以後だから、
おそらく正規のルートで記録用に録音してるとかじゃないと、
残ってないんじゃないかなー。
載せ替えられた頃は、部品マニアもまだSLのナンバープレート追いかけてる時代。
いい日旅立ちが暗いとか言ってる奴は、幸せ。つか、贅沢だよ。
おれなんか、じいちゃんばあちゃんがあの時期立て続けに死んだので、
葬式だ法事だというたびに、あの気色悪い黛チャイムを聴かされた。 参考になるかどうかわからないが、同じ作者の作品。
当時の子供に「ニュースはめっちゃ怖い!」という印象を持たせていた、
NNNのニューステーマ曲。
http://www.youtube.com/watch?v=cmp60YAhIBo
この開始から10秒ぐらいの空気が、なんとなく似ている。
(「空気」であって、旋律や編曲が似てるのではないけど。
新幹線チャイムは、長音符が全然なくて、もっとセカセカと
たくさんの音符を詰め込んだ感じだった。)
で、この曲は12秒ぐらいから、長調に変わって、
壮大に♪ジャジャーン! って感じで終わるのだが
(実際にニュースで使われたのは、21秒ぐらまでのとこ。
さらにのちには、12秒以後の部分だけしか使われるようになる)
新幹線の2代目チャイムは、最後にすごく陰鬱、かつ
不完全終止っぽい、不気味な和音が付いて終わっていた。
この「ジャララララン」というとこで、背筋がぞぞぞーっとした。
まあともかく、言葉では語れないぐらいの陰鬱度だったのさ。
あれに較べたら、どんなチャイムも相当明るい。 間違えた
× 12秒以後の部分だけしか使われるようになる
○ 12秒以後の部分だけしか使われないようになる >>327
たららん たららん たらららら
ぁ〜〜〜♪(半音上がり気味)
ってやつでしたっけ?(うまく表現できないが) えー、たぶん同じ物の事を言ってるのではないかと思うが、
ちょっと音が足りない感じが…。もっと音がいっぱい入ってたです。
あくまで個人的な感覚ですが
すたらんらん すたららららん すたらんらん たらららららららん …じゃららららん↑
って感じじゃなかったか、と。
…いや、これじゃわからんかw
1〜3個目のグループは、めまぐるしく上下を飛び跳ねるメロディ。
4個目の「たらららららららん」が、5度?の並行メロディで、
上から半音の階段を下がってくる感じ。
(もし飛行機だったら「墜落のイメージだからやめろぉぉっっっ!」って言われそうな)
最後の「…じゃららららん」は、下から上へ時間差でじゃららんと鳴らす。
鉄道唱歌の最後の1音が、和音を同時に鳴らすのじゃなくて
「ちゃらりらん♪」と時間差で上がっていくような感じのやつ。
それが鉄道唱歌のような爽やかな音じゃなくて、実に気色悪く、
ダミアンかゴジラでも登場しそうな空気の短調の和音で……
しかも、メインのメロが終わってから、微妙なタメがあったので、
余計不気味に響いた。 >>331
詳しい解説どうもです。
実はこの変な電子音のチャイムを録音していまして、自分では「新幹線のチャイム」と記憶していたのですが、そのカセットがどこいったのかわからず勘違いかとも思っています。ただ小生が初めて新幹線に乗ったのは万博の時のことで
その時はもちろん録音機材など持っていなかったのでひょっとして耳に残った
記憶なのかもしれません。
カセット探してみるつもりですが、その後の旅で新幹線のチャイムなんか
ドミソド以外録音した覚えもないので果たして・・・。 おー。録音があるなら、そして発見されたなら、ぜひどっかにうpを。
ネト上でも「残っていない」というのが定説だから、
かなり貴重な音源になると思いますよ。 久々に見たけどいいね。
国鉄CM 「いい日旅立ち」 〜 1978年(昭和53年)
ttp://www.nicozon.net/watch/sm17146717
夜明けの海岸線を行く14系ブルートレイン(紀伊?)の空撮。曲のサビと、
カタンカタン、カタンカタンていうちょっとわざとらし気味のジョイント音がグワーっと旅情を掻き立てる神編集。
(13秒目のくろしお以降は平凡な出来だが) 先日、広島行くのに東京から西の編成に乗った
チャイムが 良い日旅立ち で最高 遅くなりました。>>331です。
例のチャイムと思われるものを録音したテープが出てきましたので、アップしてみました。
mp3ですが聞く事ができるでしょうか?
URLは http://c5793.ebo-shi.com/kodama.mp3
正確には全部ではなく前半の一部が入っていないので、あわてて録音ボタンを押したもの
だと思います。このあと「特急こだま・・・」の下りがあるので新幹線のもので、
やはり万博に行った時(昭和45年夏?はずです。カセットはまだ持っていないと
以前書き込みしましたが、この年末には蒸気機関車の音を録音しているのでどこかから
借りたのか覚えていませんが持っていたことになります。
間違いでしたらすみません。また再生できませんでしたらすみません。 おおお!これですよこれ!
確かに後半部分だけですけど、間違いなくあの黛チャイムです!
音質もいいですねぇ!
最初から入っていないのだけは残念ですけど、貴重です!
ありがとうございました! で、改めて聞き直すと、エンディング前の下がってくるところは、
5度下ぐらいの並行メロが付いてたような感じだと思ってたのですが、
主旋律だけだったんですねぇ。(伴奏メロは付いてますが)
40年以上も前の話となると、記憶違いもちらほら。
ただ、ラストの気色悪い感じは、記憶とバッチリでした。 レスありがとうございます。あとで気づきましたが「なつかし板」には「車内チャイム」のスレもあったのですね。そちらでもこのチャイム音は見つからない、とのレスがいくつかありました。
ところであのチャイム音は1968〜1970まで使用されたということですが、ということは私が聞いたのはその末期だったのでしょうか? 万博終了後、ディスカバージャパンが始まりましたからその切り替え時期でもあったのかもしれませんね。
しかし音源が見つからない、というのも2年間で何十万人という利用客があったことを考えると
録音していたファンや一般の人もいたはずですが・・・。もっとも当時録音した人もみなオヤジ
世代(あるいはそれ以上)ですからアップするにも面倒なのかもしれません。そういう私もですが・・・。カセット音源をMP3に変換し、それをPCに取り込みWEBにアップするというのがどうも
たいへんでした。 実は私も、後からチャイムスレ見付けました。そして、同じように
「あの音源は見付からない」という書き込みを見て、
ああやっぱりそうなのか、と思ってました。
>あのチャイム音は1968〜1970まで使用されたということですが、
私の記憶が正しければ、70年ではなく、72年だと思います。
72年と言うと、鉄道100年やらもあった年ですが、
切り替えのきっかけは、それとは関係なく、岡山開業時の改正です。
そこからお馴染み♪ドミソドに変わりました。
変更が決まった事を伝えるニュースでは、今なら音源付きなのでしょうが、
当時は原稿だけで「ドミソドに変わる事になりました」というだけだったので、
てっきり、最後のドはオクターブ上に行くもんだとばかり思ってました。
実際のを初めて聞いて、「…あ。そうなの?」と思った記憶があります。
72年ぐらいだと、一般用のカセットレコーダーもかなり普及し出してましたので、
もっと録音が残っていてもいいと思うんですけどねぇ。
(私が親に買ってもらったのは、74年ぐらいだったかと思います。
でも子供のおもちゃにするには高額過ぎる最新家電でしたけど…)
おっしゃるように、音源持ってる層と、うp出来るスキルを持つ層との
乖離があるのかも知れません。
そういえば、チャイムスレでも、お1人だけ、
「レコードで聞いた」という人がいましたが、その後うpがなかった様子。
似たような問題があったのかも知れませんね。 332さま
その、車内チャイムスレで黛チャイム聴きたい聴きたいと散々駄々こねてた者です。
…俺は今、猛烈に感動しているッ…!!
1973年製の俺がこの世に落成した時には既に消滅していた幻の黛チャイムを、まさか本当に
聴かせていただけるとは思わなかった…。今はもう、何とお礼を申せばよいのやら…。
相応しい言葉が見つからないのは歯痒い限りですが、332さま、心から感謝いたします!!! 332様
聴くだけ聴いてまだ御礼の一言も言ってませんでした。ごめんなさい。そして、ありがとうございました!!
ラッシャー木村じゃないけど、言わせてください。
あなたの事、アニキと呼んでいいですか!!
ちなみに自分は、100系G編成と同世代です。 >>345-346さま >>332です。
同じ方かもしれませんが、お聞きいただき恐縮です。あの何気なく録音したものが、
これほどのものとはまったく思いませんでした。記憶をたどってみるとあの音は昭和45年(1970)
8月20日(たぶん)の「こだま101号」東京発車時のものだと思います。
大混雑の中、車内に立ち席で親に連れられて初めて乗った「新幹線」に興奮しつつも
なにか録音を、とマイクを向けたようです。ただしよくわからないのはそのあとは何も
録音していないことです。機械の操作が面倒だったのか万博見学に夢中だったのかは定かではあfりませんが・・・。
この話題は多少スレチの感もありますので、この後は何かありましたら「チャイムスレ」に
お邪魔する事にいたします。ブクマクもしてあいりますので時々のぞきますので。(当方は
その他はみなさん御存知の音ぐらいしか録音したものはありませんが、チャイムとは少し違いますがかつての鈍行列車がローカル駅での駅員が肉声(あるいはマイクで)次駅を連呼して送り出す音
などがあるぐらいです。)
いろいろとレスありがとうございました。 >>344さま
あ、1972年まででしたか。みなさんSLの音を録音するのに精一杯だったのかもしれませんね。
旅の記録として車内チャイムを録音する、ときうのも今なら当たり前でしょうが、SLとは対峙するような
関係の「新幹線」のチャイムなぞ・・・、と高いテープを消費するのは二の足を踏んでいた、という
感じも多少当時はあったのかもしれません。
「どみそど」音も最後がオクターブ上がると、それは学校の「校内放送」のぴんぽんぱんぽーん!
ですね。当時は確かにそう思いました。(ちなみに私の小学校の校内放送は「ド ミ ソ ソソ ミ ド(オクターブ
あがる)でした。)
黛チャイム、今ならどんな評価受けるでしょうか。 332さま
おはようございます。345です。
今度は音楽プレイヤーから聴かせていただいてますが、21世紀の今、聴けば聴くほど味わいが感じられて、
斬新さも感じられますが、やはり前衛的過ぎたというか時代を先取りし過ぎたのでしょうかねぇ…。
あくまでも雰囲気のお話で、何となくJR化後に登場のビバあいづの「会津磐梯山」を思い出しましたが、
この音源の当時の列車チャイムも種類が限られてて、たいていは明るめのキーのものばかりでしたものね。
黛チャイムを聴きながら、座席番号プレート(太めのフォントや地色が経年変化で相当黄色くなってるの
からして初期のものと思われる)や「指定席」のサボ、それに0系広窓車の模型も眺めてますが、332さまが
あらんばかりの「オヤジパワー」(…ごめんなさい)を振り絞ってくださらなかったら出来なかった事です。
マジで、感激です。何より、332さまの格闘が思い浮かばれます、本当に、ありがとうございます!!
…そういえば、どんな事でもいい、自分は誰かを「感動させた」事って今まであっただろうか…。
>>346氏
黛氏といえば、そのラッシャー木村氏が「兄貴」と呼んだジャイアント馬場氏の入場曲(NTVスポーツ行進曲)
つながりで、かな?でも、100系G編成世代の方が、よくそこまでレトロなのご存知でw