【国鉄】いい日旅立ちキャンペーン【百恵】
嫁の実家へ行く時、宮崎空港から日南線に乗るのだが、
その、ひなびた車窓風景を目にしているうちに
『いい日旅立ち』をハミングしているオレ ところで「いい日旅立ち」大嫌い男は、新年も元気にしてるかなw
今日、関テレの「よ〜いドン!」の新春SP見てたら、
懐メロアワーの特別版「時代を超えて残したい歌」ランキングで
「いい日旅立ち」が女性アーティストの2位にランクイン。
自分は嫌いだ、という奴がいるのは理解するけど、
世間の評価にも素直に耳を傾ける必要がある。
それを無視して、自分だけの好き嫌いの尺度を振り回し、
「マイナスキャンペーンだった」とか決め付けても意味がない。
その辺、いい加減にわかってくれてるといいんだが。 蓮舫「えっと、あなたが今しようとしている事は何ですか?」
おれ「え?え?いや、手マンをしようと・・・」
蓮舫「それは中指ですか?人差し指ですか?薬指ですか?」
おれ「い、いやあの、人差し指と中指で・・・」
蓮舫「一気に2本も入れる根拠を教えてください」
おれ「い、いや、気持ちいかな、と・・・」
蓮舫「2本入れると気持ちいい・・・、本当にそうなんだろうか、と。」
おれ「は、はぁ・・・」
蓮舫「例えば、今私の膣は2本の指の挿入に適した状態でしょうか?」
おれ「え、えっと・・・」
蓮舫「実際触ってみていただけますか?」
おれ「は、はい」
蓮舫「どうですか?」
おれ「・・・少しだけ濡れてます」
蓮舫「・・・2本入りますか?」
おれ「ち、乳首もっと舐めたいです」
蓮舫「えっと、質問にだけ答えてください」
おれ「は、はい」
蓮舫「2本入りますか?」
おれ「お、おそらくは」
蓮舫「そもそも、何故2本にこだわるんですか?1本でもいいじゃないですか」
おれ「え、AVとかだと2本で気持ちよさそうなので」
蓮舫「今、これはAVの撮影ですか?」
おれ「い、いえ、違います」
蓮舫「では、AVという概念は捨て去ってください」
おれ「は、はい・・・」
蓮舫「この前戯に関しては、まずはクリトリスから責めてください。以上です」
事業名 対応
ID:Xo/U1A7l 来年度以後の事業を全額削減対象とする 年明けても相変わらず話のポイントブレずれ捲くってるメデタイ明後日野郎ですね
それより早く>>156>>163の解釈してみろよ根拠があるなら、いつまでもスルーできると思うなよ >年明けても相変わらず話のポイントブレずれ捲くってるメデタイ明後日野郎
自己紹介乙でした。
自分が嫌いなものは世間も同じように嫌いに違いない、という思い込みが
改められる新年になる事を祈ります。 山口百恵引退30周年記念の
シングル/アルバム全曲着メロフル配信決定
いい日旅立ちは1/24から 一枚のきっぷから、
と書かれた色褪せたポスターが若狭の某寺に貼ってあったな。
懐かし板まで無差別爆撃の雌車アンチをアク禁希望
板趣旨無視の無差別爆撃やってるんじゃ、ナン20と一緒だ
本人たちは正当な主張のつもりかも知れんが、
板住民から見ればただの荒らし いーいひーたびーだちー、、、ふふふふふーふふふふ、、、 落ち着いた雰囲気の、♪い−い日〜…から、突然のりのいい、
♪エキゾチイックゥ〜ジャペン〜 になったのは驚いた。 イメージアップを図ったんじゃね?
ちょうどその頃から機関区公開とか、イベント列車やジョイフルトレインをたくさん走らせるようになったから。
しかし、その最中に酒酔い運転による西明石ブルートレイン脱線事故があり、
関係者を大いに落胆させたとか。 その次に「一枚の切符から」っていうきキャンペーン
やってたよね >>190
おれにとっては、郷ひろみのあの馬鹿騒ぎっぷりは、
完全なイメージダウンだったけど。
>>191
時系列が相当混乱してるぞw
ディスカバージャパン → 一枚のきっぷから → いい日旅立ち → エキゾチックジャパン
が正解。 いい日旅立ちの副題は、DISCOVER JAPAN2 だったな。 むかし某新聞にUSO放送という読者からのギャグを載せる欄が
あって
「一枚のきっぷから」
赤字が生まれる
というのがあったな やすしきよしが
「国鉄はやすし(安し)! 国鉄へきよし(来よし)!」
といって切符の着ぐるみで踊ってたのはいつ頃だろうか。 >>194
国が金を失うから国鉄だの
マルス券の外枠の色が黒から赤にかわったのは赤字だからだの・・・
東京駅の入場券は赤字だから赤い色だの・・・
ひどい言われようだったな。 分割民営化のときに各社のシンボルカラーを決める時にも
カラーの話はあったね。
東日本が赤を取ろうとしたが、赤は赤字を連想するからどうのこうのと・・・
結局「赤」をシンボルカラーにした社は無かったっけ? この歌のイントロが「いい日旅立ち〜」だと思っている人は少なくないだろう
スレチだが、百恵には「I CAME FROM 横須賀」という京急駅 数え歌がある
ttp://www.youtube.com/watch?v=y1HZirSWG0s&feature=related 追分駅には「1981.10.1石勝線開業・いい日旅立ち」って懐かしいスタンプあったっけな >>201
上司から聞いた話だと、東日本が真っ先に緑を選んだらしいよ。
緑は国鉄のシンボルカラーだったとかで。
みどりの窓口のみどりもシンボルカラーだったからとか。 結果としてあってるね、広い東北=緑のイメージで
緑の更に北が黄緑
瀬戸内を挟んで青と水色
火の国は赤
…なんでオレンジ??^^;
子供の頃から疑問に思ってる オレンジは、東海と四国が、柑橘産地のメンツをかけて取り合ったらしい。
しかし、会社規模の上から東海優先になり、四国は敗退。
次善として、当時の観光キャッチフレーズ「青い国四国」のイメージにつながる
水色になった、というのが当時聞いた話。
>>206
ただ、末期の国鉄は「オレンジカード」「オレンジキャンペーン」とか
オレンジをイメージカラーにしてたところがある。
東海が、みかんとか湘南色以外の部分でオレンジにこだわった点が
あるとしたら、その辺かも、と思う。 【いい日旅立ち】といったら…
…駅弁の包装紙しか浮かばないw ☆>←こんなロゴをノートや教科書に落書きすますた。 大阪限定のラジオで日本食堂がスポンサーの旅番組があったが
これのBGMがいい日旅立ちのインストだった。
懐かしいです。 鬼束ちひろが崩壊してしまった
西日本のいい日旅立ちはどうなるのだろう 短調と長調の違いは、このかわいい動画を見るとよくわかるよ。
http://youtu.be/ZUEiaW6GkXk この手のお遊びで言うと、
谷山浩子のオールナイトニッポン、ザ・ベストスリーのコーナーで
組織票で上位に上がってきてた「陰気なサザエさん」は見事だった。
あの音源、誰か持ってないかな。
ようつべ、で「陰気なサザエさん」で検索してみたら?
アレンジが同じかどうかはわからないが。 当然もう探してるけど、ないよ。
全然違うブツが、コメントが原因で引っ掛かって来るだけ。 谷山浩子って、オールナイトは知らないのに、
高校卒業のとき、なぜか「ねこの森には帰れない」を聴く機会があって、
最後の「本日は雪天なり」を聴いて、
泣いて泣いて涙が止まらない・・・。
ちょうど、進学校での「大学受験だけがすべてです」の環境の中で、
大学進学が決定したら、もう心に穴が開いた状態で、
その心の隙に入り込んできた音楽だった。
本題の「いい日旅立ち」というと、昭和52年末〜昭和53年春を思い出す。
ヒットしていたのは昭和52年末で、
当時の小学生は歌謡曲追いかけが当たり前の時代だから、
単純に「テープ」に「エアチェック」したものである。
それと、ひたすら「旅情」というものを歌い続けたのが、
久保田早紀であることは、知られていない。
「異邦人」以外の音楽を知る者は、「異邦人」を聴いた者の1%もいないのでは?
「見知らぬ人でなく」(昭和57年)など、
僕にとっては大垣夜行のイメージソングなのだが。 久保田早紀が「旅情」を歌い続けてるとは思わないけど、
「アルファマの娘」は大好きだ。 いい歌だと思うよ。
否定的な意見もあるけど、
当時は、「暗い」なんて感じは微塵もなかったな。
昭和52年くらいなら、こんなもの。
「歌」に、そんなにケバケバ、デコレーションするような時代ではなかったし。
今から思い返せば、小学生だった当時、
なぜ、あんなに、「ザ・ベストテン」に熱を入れていたのか不思議な気もする。
現在ほどエンターティメント不毛の時代になると、
当時の国民の「エンターティメントに対する熱狂」=「歌謡曲神話」も、
「バカバカしかったのかな?」と、疑問は生じるのだけど、
当時はそれだけ時代も進化していなかったし、
そういう現実があった、というだけに過ぎない。
当時に現況を予測することも不能だし。
どこか、法学でいうところの「遡及行の無効」と共通するものがある。
このスレで、「蒼い時」を、昭和56年当時に読んだ人って、どれくらいいる?
現代と比較すると、世相の変化がよく分かるよ〜。 ♪やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、
やんやんやん、やんやんやん、やんやんやん、やんやんやんやん
蒼い時の全体の3分の2ぐらいまでの書きっぷりは、
並の作家をはるかに凌駕してると思った。 残間里江子さんだっけ?
本物の執筆者は。
ちなみに、当時から、中学生の間ですら、
「あれは、ゴーストライターいうて、
作家とか、文章の上手な人が代筆しとるんやぞ」
と噂されていた。 そうなの?
とりあえず「本人自筆ではない」というのは、客観的状況から分かる。
まあ、誰でもいい。
誰の代筆であれ、著述の内容に関しては当時の百恵さんの本音であろう。
本文で、「プライバシー侵害の被害がある」と述べている通り、
引退後はまったくマスコミの前に姿を現さず、
「本当の一般人としての生活」を貫き通していて、
この潔さに、昭和の時代の人間の「真面目さ」が象徴されている。
今度の、富山地鉄のバタデン映画の主人公は、夫の友和さんであるが、
「ベテラン映画俳優の夫人、かつては一世を風靡した人」として、
妻としてどのようにベテラン俳優を支えているか、
夫妻でインタビューにくらい応じてもいいのではないか、と思うけど、
それも絶対にない。
それだけ現役時代、73年〜80年に、マスコミに翻弄されたことを
強く受け止めているのだと思う。 >>231
>とりあえず「本人自筆ではない」というのは、客観的状況から分かる。
「自筆ではない」客観的な状況ってなんでしょうか?
至る所で原稿を書いていたことを目撃され、書いているところの写真も残り、
多くの人(筑紫哲也)などが書いているところを証言し、山口百恵の
筆跡が残る原稿があるんだから、客観的状況は本人自筆だと思われるけど? 当時の百恵さんの多忙ぶり。
引退の日から発行日までの経過日数。
おそらく、自筆した原稿は存在し、執筆の様子も目撃されているのだろうけど、
全文が自筆ではないはず。
口述で書物を製作するなんて、どこの出版社でもやっていることですよ。
たとえば、
渡辺昇一「国民の教育」(産経新聞社 2001年)
「口述によって著述したもの」と明記してある。
だいたいパターンがあって、「蒼い時」と類似性を感じる。
絶対に本文にしわ寄せが来るのだ。
P18「私には、父はいない」
P184「父が〜作ってくれた」
とかね。
ちなみに、高校の文芸部というのは、
こんな揚げ足取りなことばかりやるのが専門です。
口述による執筆など、文芸の世界では恥ずかしいことでもなんでもないですし、
結果的に、形整った文章、後世に読み継がれる文章が、
後の世代の模範となれば、
書物というものは十分な役割を果たしているんです。
「私の歩んだ21年の日々、そして、
芸能界というある意味では特殊な世界に生きた8年間の日々を、
自分の手、自分の言葉で書き記しておきたかったのである」
という、書物発行の目的は達しているのですから、
第三者に助けられた部分があっても、それは当たり前。
プロの作家ではないのですから。 <筑紫哲也の百恵との出会いは、友人だった残間里江子の事務所に夜遅く用があって立ち寄った時のこと。
そこにたまたま『蒼い時』執筆中の百恵がいたのだった。
彼は執筆段階で百恵の原稿を読んでいた数少ない人物のうちの一人でもあった>筑紫
「『蒼い時』を執筆することになった百恵ちゃんも、仕事帰りに立ち寄って、筑紫さんと机を並べながら、
ダイニングの作業台で原稿を書いていたのである。」残間 「私には、父はいない」って比喩的な言い方をしてるだけじゃん。 NHK番組- さらば蒸気機関車/室蘭本線のC57-135
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/89fb206ec30410e5c3f23d5e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
ttp://tieba.baidu.com/f/shipin/p/0bea86448953a42b9422315e-1?kw=%C9%BD%BF%DA%B0%D9%90%7B
百恵さんは、「伝説から神話へ」とまで言われる人だけど、
当時、確かに、「国民に支持されるみんなの歌」を歌っていたと思う。
ピンクレディーは、やや、「子供向けの歌」の色彩が強かった。
小学校卒業の頃、
「子供向け」に飽き足らずの状態になって、
ニューミュージックに傾倒していった時代でも、
百恵さんは「聴き応え」があった。
「さよならの向こう側」なんて忘れられない歌だぞ。 今NHKラジオAM1の「おはよう朝一番」内の「今日は何の日」コーナーで1980(昭和55)年の今日引退と
取り上げられたのでage。 ちなみに、JTB私鉄時刻表のシューズ広告に登場していたのは、
同世代の太田(福岡)裕美さん。(現在56歳)
「歳相応の、中高年女性としての役柄」と考えれば、
過去のアイドルは、こういうメディアの乗り方が正しいのだろうな、
とは考えるけど、
正直言って、「うーむ。年月は確実に経過しているのだな」。
(自分もそうなんだから、悪い書き方はしたくない)
百恵さんみたいに、「絶対に出てこない」方が、
「昭和の歌謡曲、国民の熱狂の神話」が美化されて、いいのかも。 2つ前のヤツです。
発売されるタイミングが不規則なので、何年か正確に書けませんが、
3〜4年前くらいの「JTB私鉄時刻表」です。(JTB時刻表とお間違いなく)
太田裕美さん自身は、子育て終了以降、
あちらこちらで「アコースティック系のコンサート」に呼ばれていて、
出演しているので、ポスターでも見かけます。
それに数年前、NHKの連ドラに
「歳相応の年齢の女性役」で出演したと聞きます。 太田裕美ちゃん、いい歌いっぱい持ってるのに
同じ歌ばかり期待されて可哀想 >>248
彼女の曲に「銀河急行にのって」という曲があるが、これを録音して急行
「銀河」のナハネフ22の展望スペースで聞きながら旅をした
思い出がある。密かに「銀河」のテーマにしていた。
松崎しげるのは「銀河特急」だったのでやめた。 いい日旅立ちキャンペーンの動画がようつべにもほとんどないね >当時、確かに、「国民に支持されるみんなの歌」を歌っていた
これは後半期だろ〜
初期の山口百恵は思わせぶりな少しキワモノっぽい歌詞の歌多かったぜ。
アイドルとしては桜田淳子の方が王道だったと思う。 ニコニコで白石涼子と初期山口百恵のひと夏の経験を聴き比べて
百恵は単なるキワモノじゃなかったように思った。
歌詞がキワモノだとか歌が下手だとかいうのを超えた
何か不思議な魅力がある。 「青い果実」も、「ひと夏の経験」も、
僕の年齢では、
聞いていた時代は、意味が分からないから、それでいいの。
「女の子の一番大切なもの? ぬいぐるみかな?」なんて思っていた。
百恵さん自身、一番大切なものは「まごころ」と記している。 万個なら何回でも捧げられる。
誰かに捧げるために守ったり
一生に一度だけ経験するんだから処女膜に決まってるだろ 処女膜…そんな「膜」があると固く信じて疑わなかった中2の夏でした… 俺が中房のころ切符袋にいい日旅立ちって書いてあった、のびのび切符を仲間で分ける時、いい日朝立ちとマジックで書き直してその切符袋で渡すのが定番だった。確か200系新幹線の写真がデザインされてた時代。
ちなみに僕は、陰毛生え始めも、初めての射精も、
「中1の3学期」の性教育授業より早かったので、
当時の混乱ぶりは凄まじかったですよ。
性教育を受けても、まだ理解に届くまでは時間を要し、
「セックス行為の本当のやり方」を知ったのは、中学校卒業の頃。
「蒼い時」を読んだ時期より後です。
「蒼い時」の、性に関する記述も、まだ推測の部分がありました。
もうほとんど分かっていた時代ですが、
完璧に知るのはもう少し後なのよ。
「入れる」、なんて恐ろしいこと、純潔な少年には想像はできないの。 >129
>209
オレンジキャンペーンではなく、
オレンジオペレーションな。 年表サイト「国鉄があった時代」によると、
昭和51年から国鉄部内でやってる動きは「オレンジ作戦(オペレーション)」だが、
昭和54年の欄に
>国鉄のオレンジキャンペーン「きっぷは正しく」の運動始まる 12/20
とあるので、外部向けには「キャンペーン」でも正しいような気がする。
おれは、正直なところ、今検索するまで「オペレーション」の方の言い方は知らなくて、
「キャンペーン」の方しか記憶になかった。 266です。
267さん補足説明ありがと。
確かに仰るとおり、対外的にはオレンジキャンペーンでも意味は通じるし、
かえってそっちの言い方の方が当時は一般的だったんかも知れんね。
(なんせ遠い昔の事なんでオレンジオペレーションの名称しかおいらの記憶に無かっただけです。)
過疎スレなのにこんなに早くレスつくとは思わなかったんで正直驚いたっす。
普段は立ち寄りさえしないスレなんだけど、ひょんとした事がきっかけでここが
目に止まり読み込んでしまいましたわ。
余談ですが、同じオレンジでもオレンジギャルの方が好きな事はここでは内緒w
そろそろよそ行こうと思ってその前に念の為にF5したら、>269さんのコメがw
実はちょっとだけ何か期待♪してたんだけどやっぱり何かここ、裕美ストも定期的に
訪れているような希ガス。離れられなくなるぢゃないですかw
今朝JR西日本のCFで木綿〜流れてるの見てしまったのと、NHKの
「みんなのうた」で金平糖聴いてしまったのがモチベーション上げてしまった。 太田裕美さんには「銀河急行にのって」というファンタジックな名曲が
あります。この曲をカセットに吹き込んで密かに当時の急行「銀河」のテーマにして、ある年の旅立ちに持っていきました。
もちろん深夜ナハネフ22の最後尾の展望室?に陣取り、流れる線路の夜景
を見ながらひとりウォークマンから流れるこの曲を聞いてみたことがあります「銀河」の「急行」であって「急行」の「銀河」ではないのは承知でしたが。
♪眠りにつくと迎えにくるの(hu-go to the milkyway)
白い煙をはく機関車が〜 って曲です。
271さん、
いいですね、こういう汽車旅と懐メロのエピソード。
割とハイテンポでロマンチックな歌詞という旅情を掻き立てるナイスな曲(かれこれ36年前!)
ですよね。歌詞にならって七夕の頃を見計らって旅をされたんでしょうか?
実はさっきこの曲も聴いてました。最近は暇さえあれば彼女の曲を聴いています。
とにかく癒されます。今の時期だったら定番の「さらばシベリア鉄道」また渋め路線では
「街の雪」(←どこの街でしょうかね?ある程度の都会で雪が積もるところ。全国に
いっぱいありますね。)が汽車旅に合うと思います。でも「街の雪」じゃ切符破いて汽車に
乗るのを断念するからダメですね。
なんか、国鉄のキャンペーンを離れて、鉄道と懐メロを語るスレみたいになって来ちゃったなw
池原なんちゃら言うのが、鉄道じゃなくて百恵を語り出してからおかしくなった。 だって仕方がない。
百恵さんと鉄道の接点のネタより、
我々の世代の、子供の頃の、「芸能界神話」の方がインパクトが強過ぎた。
クラス学級が芸能界の話題で回っていたような時代だった。
「あー、日本のどこかに〜」
西日本車の新幹線に乗れば聞こえるメロディーだが、
「日本の」と歌うところに、
昭和52年当時は、まだ海外旅行は一般的じゃなかったのかな?
なんて、思いをめぐらす。
国鉄に存在感があった時代である。