【穴水以北】のと鉄道の思い出【輪島・珠洲・蛸島】
石川県の方針で能登空港を造る代わりにあっさりと切り捨てられた
のと鉄道を語るスレです。 もう行かないよ。
先行デジの実況も終わったし用事無いよ。
最後に「北陸」の14系を上野から穴水まで運行させるとかやって欲しいもんだな
絶対ありえないけど 最終日は能登を和倉温泉まで運行
廃止後は車体を蛸島で保存 最終日、七尾線乗り入れしてほしかったな。
列車名が能登、HMも能登半島なのに。 電車どころかバスも1時間に1つも無いし・・。
これ以上道路整備いらないからサービスの方を充実させてくれ。
道路作るより安上がりだろ。 道路建設と公共交通廃止に熱心な知事が再選されたからな
つまり、そういうことだ 普天間移設部隊を能登空港に受け入れるのは止めてくれ。
10年くらい前、周遊きっぷで2回行きました。
縄文真脇の温泉がよかったです。
今でもやってますか? >>207
まだあるけど客が少ない。
壊れた所も直してなかった。確か3億で買い手を探してるけど見つからない。
国道沿いの七海にあるプール併設の風呂の方が交通の便も良く地元では人気かも。
珠洲は財政危機を乗り越えたそうです。
薔薇色の脳味噌が詰まった痴呆です。
いわゆる一つの交付金詐欺と言う奴です。
退職金払うのに地方債発行する計画くらいSTOPしろよ。!
田舎が蛸島なんだが
毎年夏に蛸島に帰ってたときに蛸島駅にはタクシーが少ないからと
毎回珠洲駅で降りてタクシーに乗ってた良き日の思い出。 大災害よもう一度。
談合?
そんなの無いよ。
統べて話合いで解決。 嘘付け。
地デジ一年前倒しなど事前に公表してないぞ。
腐れ芋菓子屋潰れろ。
もうあの執拗なアナログから切り替えろオーラは見たくねえ・・・ 父の故郷が輪島でしたので七尾線時代に乗車しました。
金沢、津幡からの長い時間も今では良い思い出です。
穴水までの鉄路ですが、いつの日かまた行きたいです。 のと鉄道は能登線だけならなんとか経営できたと言われている
経営悪化は、七尾線引き継ぎと特殊自動閉塞の導入だ
と聞いたが… それからも過疎化は着々と進行してるから
今じゃとても維持できないよ。残念だけど
特急バス・珠洲道路・能登有料・R249がある限り能登線の出る幕は無い。 >>223
廃止時には、ね。
学校の統廃合も進んでるし「今では」とても維持できない。
たった5年でも能登は確実に寂れていってる >>221
年間2〜3億の赤字の1億3000万がJRへの線路使用料だし
微黒で延伸まで検討していたのが七尾線取り込んでから大赤字に転落したわけだから
ま、七尾線が原因と言って間違いない
とはいえ少子化で学生の数が開業当初と比べて半分
道路整備もあいまって、能登線だけでもやはり生きられなかっただろう 人口減少・少子高齢社会の珠洲はこれからどうなるのやら... 飛行機で金沢市街に出る訳いかねえべ、とは思ったな。
ただ、北海道で廃線にされた羽幌線沿線バスを見ても、ガラガラだったりするんだよね。
人口密度や都市への依存の違いがあるから単純比較出来ないけど、過去の廃止路線にしても、それなりに訳ありなんだろと
思った記憶があります。
出来るなら天候に左右されづらい鉄道、という願いは理解できます。 なぜ金沢発七尾線始発は日本海の接続をしなかったんですか?
接続してれば七尾線の分離ものと鉄道の廃線も無かったと思う >>228
意味不明
国鉄時代(客車時代か?)だと上下とも“きたぐに”が午前3時前後に金沢に到着して、金沢を午前3時50分頃発の
七尾線始発輪島行き(能登線方面には接続なし)に接続できてたが。
ものの本によると山陰線下関口のあれとか、東北線福島口のあれと並んだ早起き列車の代表みたいになってたが。 当時日本海に乗車、早朝に起き金沢で下車するものの
既に七尾線始発が数分前に発車してました 七尾線始発を10分遅らせれば連絡できたんですが。
ちなみに日本海3:51金沢着、七尾線3:49金沢発で7:16輪島着です。
1967年は日本海3:49金沢着、七尾線4:02金沢発で7:13輪島着で接続出来たようです。 のとを漢字にしちゃうと旧北鉄の能登線の前身会社とカブってしまうからできないのだろうが、
平仮名社名は全国に蔓延してる平仮名自治体と同じで響きがヤダ。 >>233
3セクでひらがな社名は(一部含めて)決して少なくないからな
加えてあの当時だとイメージ刷新をこめて命名されたんだろうが。 いすみ鉄道もやはり夷隅鉄道と被らないように命名したんだろうな、ってないわw
ゆとりネームは割と少ないぞ
のと鉄道が嚆矢とまでは言わないが 三セクのゆとりネームか
肥薩おれんじ鉄道
土佐くろしお鉄道(ごめん・なはり線なんかひらがな駅名のオンパレード)
北近畿タンゴ鉄道
えちぜん鉄道
あおなみ線
りんかい線
つくばエクスプレス
わたらせ渓谷鐵道
しなの鉄道
ひたちなか海浜鉄道
青い森鉄道
羅列しなくても知ってるから
つか特定地交線転換路線だけにしろよアスペ 特定地交線転換&鉄建引受線開業限定で
会社発足時点でかな文字だったのは
北海道ちほく高原鉄道
わたらせ渓谷鐵道
のと鉄道
いすみ鉄道
土佐くろしお鉄道
5社か、意外と少ないね のと鉄道は元々旧国鉄、JR能登線があったから仕方ないんじゃないかな (旧)のと穴水-蛸島だけの時はバリバリ黒字だったのよ。
観光地の和倉温泉が津幡から和倉温泉駅まで電化する見返りに
和倉温泉以北を棄てろと命じ、以南のナンチャラ団体も飲んだ時点でのと鉄道は死んだ。
奥能登は和倉温泉によって殺されたと俺は今でも信じてる。 あれって、JR側は別に廃止する気はなかったのよな
当時のJRはまだ国鉄体質だったから
能登線が順調だったのと鉄道(には意思決定権がないから、石川県だが)が調子こいて
七尾線も寄越せと言ったのだとか
そして線路使用料であぼーん
七尾〜穴水も北陸線の受け皿まで鉄道のノウハウ継ぐために線路使用料を垂れ流してる状態だし
新幹線できたら早晩廃止だわな 地震の影響も見逃せない。
能登半島に地震が起きるとは誰も思ってなかった。 そうそう。
津波が来るわけがないと思ってた内陸まで津波が押し寄せ、
古君−鵜川で急行列車が巻き込まれて7人亡くなり
修理やら賠償やらかさんで
のと鉄道にとってかなりの痛手になった >>244
何か出来事がいろいろ混ざってないか?
>古君−鵜川で急行列車が巻き込まれて7人亡くなり
これ、梅雨の長雨続きで路盤が緩んでたところで転落した事故で、国鉄時代の昭和60年7月のやつだろ
(ちなみにその翌月にあの御巣鷹山での日航機事故が発生) ちなみに>>243もネタ。と言うより悪い冗談?
地震は廃止の後だっつーの。だらぶちが。 輪島や門前や穴水のインパクトが強いから忘れられてるけど、
能登沖地震(1993年)ってのもあって、あれも結構な被害が出たのよ。
5強とか5弱とか無かった頃の、5(または6)だったと思う。津波注意報も出た。
今は東北のもあって感覚が麻痺してるから「なんだ軽いじゃないか」と思うけど、
当時はなかなか驚いた記憶がある。正院の辺りが特に酷かったようだ。
鉄道への被害は記憶に無いから、まぁ多少あったとしても軽微だったのだろう。 つーかその頃はまだ七尾線レンタルが重荷になると分かってなかった頃
珠洲からの延伸が取り沙汰されるぐらいでイケイケムードだったからな
廃線の判断に影響が皆無だったのは間違いない 穴水以南になってしまうが、缶コーヒーBOSSのTVコマーシャルで
地球調査員ジョーンズが駅員に扮している「進行」って言ってる作品、
あれ、のと鉄道がロケ地だよね。
画面上部左端に郵便車も映っているしね。 フィギュアにもなったし(鉄道むすめ)小説にもなったし(恋文の技術)
アニメにもなったらしいし躍進華々しいね
能登線廃止の経緯を思い返すと忸怩たるものがあるが 今日の夕方、能登空港の下の道がえらく詰まってたから「これは能登ブームの再来か!?」と一瞬思ったがそんなわけはない。
どうやら事故で能登空港IC−穴水IC間が通行止めになっていて、そのせいの渋滞であったとのこと。
泊まる場所が無く、「廊下で寝てもらった」「土間でいいから泊めてくれと言われた」というエピソードまで聞かれる能登ブーム、
一体どんなものだったのか、能登線の雄姿と共に見てみたい。 大昔の話。
輪島駅で朝9時頃発の金沢行き急行に乗るとき改札前は長蛇の列。頭数をざっと数えたらどうにも座席数より多い感じ。
列車入線。キハ28キハ52キハ58の三連。!。友人とひそひそ。そして声を限りに叫んだ。
「ひでえっ、急行料金取るのに真ん中のクルマは普通列車専用のヤツだぁぁぁっ」
列の最後尾に近かったが、キハ52に乗りこむと4ボックス分が丸々空いていた。急行型には立ち客が結構いた。 なんだ、国鉄時代もやっぱり急行型でない車両は誰も乗ってなかったのな >>254
「ひでえっ、急行料金取るのに真ん中のクルマは普通列車専用のヤツだぁぁぁっ」
この知能犯めww >>256
3月だった。キハ26やキハ55をつないだ急行も走ってた。
>>257
似たようなことを日高線の様似駅でやったこともある。
急行「えりも」札幌行き。キハ27キハ56の2連。行列長蛇。
「うわあ〜、2両目はエンジンが二つのヤツだぁ。こんなん乗ったらうるさくてたまんねえ!」
この時も余裕で座席を確保できた。 それ単に「こんなDQNと長距離を共にするなんてかなわん」
という心理で避けられてただけだろうよ いや、たとえそうでも座れたんだからさ。当時ならばこその作戦勝ちだと思う。 今じゃ鉄道が維持できないほど人口が少ないもんなぁ。能登。
東京都23区ほどの広さに30万人しかいないと言われてる。
しかも多くが軽トラ乗って田んぼに行くだけのジジババ。 おっと失礼、途中だった。
とは言っても、昭和40年代よりも人口は多いのか。(ソースは国勢調査)
若者が減って年寄りばかりになってるな のと鉄の場合肝心の石川県が
「鉄道廃止して空港と道路な(キリッ」だったからどうしようもねえ >>264
昭和60年頃まではあったけど、“能登路”限定としてはなかったな>グリーン車
昭和53年10月のダイヤ改正までは大阪からの“ゆのくに”運用とのからみで
付いていたし、それ以降も名古屋からの季節夜行“のりくら”とのからみで
連結されてたのはよく見たし、一度はグリーンに乗ったことあるぞ
(この辺り、懐かしの北陸特急&急行スレにカキコしたがw) もしも珠洲原発が実現していたら能登線は存続できたのでは? 能登線の隧道は直流電化に対応してたという噂を時たま聞くが、
真偽のほどはいかがなものか… 形式の前に●が付く電動車なら通過可能な架線が張れる規格と思われ…
上野から信越線横軽経由での電車直通があったら更に◆も付いていたかも… 子供の頃の記憶で「能登路にグリーン車があった」のなら、合ってるだろ
「ゆのくにやのりくらの間合いであって能登路用のグリーン車はない」なんて言い方がおかしい 運用がかなりチグハグだったらしいから、
利用客は混乱しただろうな。
グリーン料金を徴収したりしなかったり、
編成両数が文字通りバランバランだったり。 来週脱線転覆事故の慰霊碑にお参り行ってくる
たどり着けるか不安だけど、藪化してない事を祈って 次はぁ能登市ノ瀬えぇ〜
次はぁ能登市ノ瀬えぇ〜
次はぁ能登市ノ瀬えぇ〜
製糖鉄道の小型SL輸入して走らせる計画も新聞に出てたが
どうなったんだろうな
有名なサイトで廃線跡が記事になってた
ttp://portal.nifty.com/kiji/111014148916_1.htm
穴水駅でのイベントに忙殺されてて蛸島はほったらかしのイメージ のと恋路号がデビューした翌年に七尾から恋路まで乗った。当時は車内でアテンダントのお姉さんが飴を配りにきてくれたなぁ。行きも帰りも満員だった。 アホ丸出しのヤンキーが沢山乗ってたイメージがあるね。
所詮、ど田舎。 奥能登2市2町に明日はあるのか?
誰か教えて下さい。 奥能登は永遠に不滅です
ところで七尾から佐渡島って断層でつながってる?