【大阪】特急白鳥の思い出【青森】
2001年3月に廃止された大阪ー青森間の特急白鳥の思い出について語るスレです。
(現行スーパー白鳥、特急白鳥は除く)
嫁とは特急白鳥の車内で知り合った ひばり赤スカート車とはクハ481 1〜18ではなく100番台(誤塗装)車のこと。大向に転属後雷鳥、山陽線で本来の赤スカート車と共に運用後クリームスカートに塗り替えられた珍車。 >>80
60-3で大阪持ちに変わったときにボンネットが恒常化したんでしたよね。
食堂車が外されたショックを生で実感している人間としては、正直あの編成で喜んでいる人の気が知れませんよ。 84>
100番台の誤塗装赤スカート車はたしか106番だと記憶しています。
仙台配属の100番台は101〜104番までの4両。これはクロ481の101〜104と
ペアで作られました。例の106は生粋の向日町車なので仙台経験はないはずです。
ちなみに仙台配置の101〜104は長らく仙台暮らしが続き、
新幹線上野開業時のS60年に向日町に配属されました。
>>85
国鉄時代の白鳥といえば200・300・1000番台の電気釜スタイルだったからな。
古い図鑑にあった青森で583系「みちのく」と並ぶ写真が忘れられない。 >>85
確かに往年の日本海縦貫花形特急としての風格は晩年にはなかったな。
まるで安楽死させられるかのように手抜きアコモのまま放置されてたし… 車体も青森持ちの時には綺麗に清掃されていたのに、向日町持ちになったら急に汚れてしまいましたよね。
あれは単なる車齢の違いだけが原因だったんじゃないと思う。 >>86
赤スカート車、盛アオ所属のクハ481−109
ひばり運用中の写真が某ホームページに掲載されてます。 >>90
ホントだ。
そいう事はボンネットがはつかりにも入ったって事か??? ボンネットの「はつかり」は見てみたかったですね
「白鳥」は当初「日本海」あたりと共用で583系で運転される予定だったのですか? >>92
定員面でそれはなさそうだけどね。
それに電車化の際にも専用編成入れた位だし。 47年の盛アオ充当は白鳥、やまびこ、ひばりのみだよ ボンネットのはつかりと言えば、気動車特急時代のイメージしか思い浮かばん。 >>81
仙台の485系って、先頭車は200/300番台クハ481で残り10両は全部キノコクーラー(一部483系ユニット)
というのが結構あったような。逆に向日町は先頭がボンネットで中間は非キノコクーラーというイメージがある。
これは東北では定員を増やす為にボンネット型が嫌われ、逆に向日町はボンネットクハの配置が強く要請
された故の出来事らしい。
>>87
白鳥のクハ481ってある意味1500番台が象徴的に感じる。
13連時代もその後上沼垂時代も先頭を飾ってたし。 90>
不勉強で申し訳ありませんでした。
盛アオの配置された100番台は仙台配置車が一時的に貸し出された
物だと勘違いをしていたようです。
96>
おっしゃるとおり、東北上越新幹線開業前の大ムコ車はボンネット中心の
クハとは対照的に、中間者はAU13E搭載車が多かったでね。
仙センもそうだが、ボンネット配置がない盛アオ車も、キノコ型モハユニット
が以外に多かった。更に盛アオには、仙センには存在しない、キノコ型サロもあったような気がします。 94>
47年当時の盛アオ485の担当が「白鳥」「ひばり」「やまびこ」のみ
という事は、当時の「はつかり」はまだすべて583系で運転だった、という
事ですね。でも「やまびこ」「ひばり」運用に就いた盛アオ車はどうやって
基地の青森に帰ったのでしょう??
輸送量が逼迫していた当時、盛岡〜青森間に回送列車を走らすような
無駄なことはしないと思いますが・・・・ まさにその無駄な回送をやっていた。
ただし昭和47年の11月1日から12月20日まで「やまびこ3号」が青森まで延長運転された。
翌昭和48年10月改正で「はつかり」に485系が投入されたため、この無駄な回送もなくなった。 >>96
仙台の485は1号車が300番台、食堂車がキノコ、サロがAU13が固定でした。
プラス12号車がボンネット、中間モハがキノコが基本でしたが、一部12号車が200番台だったり、中間モハに1・2ユニットAU13が入っている物もありました。
>>97
盛アオのキノコサロ。
上から4つ目の写真の1番線の列車に注目。
多分ひばり13号(=盛アオ担当、17:15着)の回送前だと思います。
で写真に写っているのが17:28発はつかり10号かと。
ttp://www.geocities.jp/maahirai/JNR/hatsukari.htm
頻死の白鳥と揶揄されてた時代の方は、ご存命でしょうか >>102
76年から77年にかけての冬は大寒波で4,5,11号車が減車されていたがこの時代
の事? キハ80系時代に故障→C57に救援された話のことかと >瀕死の白鳥 ああ、頭の中をチャイコフスキーがエンドレスで…
それだけではなんなので、
485-1500が本州入りした時に捨てた台車が勿体ない… 仙台にはたった一両だけ、AU13クーラー搭載のサシ481がいましたね。
車番はたしか60番で食堂車としては最も最後に製造されたグループです。
「ひばり」終了と共にすべてのサシが引退となりましたが、この60番だけは、
「白山」の食堂車復活でサシが不足する、金沢へ転属していきました。 481-1500は偉い!電化区間全国制覇だっ 引退後は鉄博に入れてくれ!! >>109
国鉄色に戻して小樽か三笠のほうが面白くね? 大阪〜青森間(1040km)を日本海に沿って40年間走り続けた特急「白鳥」。
そこには喜びや悲しみそして星の数ほどの出会いがありました。そして今日最後の
お別れです。春の訪れを前にありがとうそしてさようなら…
2001年3月2日に大阪駅のLED案内板に流れてたメッセージらしいが
1040kmを昼行ではしってたのね。
白鳥とは関係ないけど、こんなメッセージを流していたとは、粋な感じですね。 国鉄最後の日、例の謝恩切符で青森→大阪乗り通した。東京住人にとってはこんな切符でもないと乗るチャンスのない未知の特急だった。
上野→青森まで18きっぷで行って待合室で夜明かししたこと、新大阪最終ひかりのあとに特発で出たある意味国鉄最後のひかり号東京行きに乗り東京まで戻ってきたことも含めてよき思い出です >>102
59豪雪の時、72時間遅れで福井まで辿り着いた上り白鳥の新聞の見出しが
『瀕死の白鳥』だったはず。 >>115
取材の時とは違ったはず>瀕死の白鳥。
宮脇さんが時刻表おくの細道で津軽鉄道から福井鉄道への連絡に使った数日後に巻き込まれたのが瀕死の白鳥だったが。取材で白鳥を使ったのはその翌年じゃなかったか? >>114
確か、その時の白鳥って先頭車が1500番台だったと思う
地元のニュースでも取り上げられて当時の福井駅の5番線に入ったんじゃなかったけかな? みんな知らんと思うが白鳥が走り始めたとき「能生騒ぎ」というものがあった。
能生の近くに住んでたからよく覚えている。
時刻表に能生駅に停車すると記載されて、小さな集落に特急が停車するということで
大騒ぎになった。初日に住民総出でセレモニーをして準備していたら停車だけして乗客の
乗り降りなしに発車してしまった。
あの時の村長やセレモニーに参加した住民のあわてようはすごかったな。
結局能生みたいな小さな駅に特急なんか止まるわけがなく
「能生はNO」なんて言葉まで生まれた。 >みんな知らんと思うが
>>みんな知らんと思うが
>>>みんな知らんと思うが >>118
たぶん能生騒動のことはここに来てる鉄ヲタならほとんどの人が知ってると思う。
俺もどこかのサイトでその内容を見たことあるがその当時はまだ生まれてない。
もしそれを生で観たのならあなた貴重な体験をしましたね。 >>118
どっかのサイトに載ってる内容まんまだな。 上沼垂の車って、白鳥のイメージにぴったりだったね。むしろ国鉄色になってがっかりした。 青函トンネルできる前の早朝の青森駅
連絡線からの自由席の人はダッシュで、はつかり2/みちのく/そして白鳥にダッシュ
しかし、東北線はまだ次があるとして、白鳥は大阪行きは昼はこれだけ
青森で立ち席になったら、どこまで座れないのか他人事ながら心配になりました
ちなみに自分は、北海道周遊券のため上野まで昼間の急行乗り継ぎでした >>124
東北線だって次の特急までは2時間半以上間開いてるんだから
座れないからって次の待つ人は少なかったと思うね
大阪へは2時間後に出るしらゆき乗って終点の金沢でくずりゅう乗り継ぎもあったし DCのころ 災害で高山本線経由で迂回
電化されてなくても 緊急回避で走行できる DCはよいですね >>125
>大阪へは2時間後に出るしらゆき乗って終点の金沢でくずりゅう乗り継ぎもあったし
周遊券族が喜びそうなダイヤですね。 >>124
青森発車時、白鳥は繁忙期以外は自由席でもガラガラだったよ。1980年代のことだけどね。
はつかり・みちのくは席が埋まってたね。
やたら長い編成だったキハ白鳥を覚えている。13とか14両だったかの。
見るばっかで、のせてもらえるのは、475急行ばっかだったけど。
家から歩いて5分ぐらいのところに福井駅の引き上げ線があって、SLが客車の
入れ替え作業をやっていた。機関士のおっちゃんが汽笛を鳴らして、手を振って
くれたの覚えてる。C11とかやったにゃろか。 >>127
東京からも
下り
上野 もりおか1号 盛岡 しもきた 青森 11便・1便
上り
12・2便 青森 しもきた 盛岡 いわて2号 上野
とありました。 下りのふるさと雷鳥+いなほって白鳥の後継者?
雷鳥+北越+いなほ+かもしかに比べて
特急料金もお値打ちなんじゃねえか
昭和57年の春から連絡船廃止まで、主に大学からの帰省で大体春 夏 冬と乗った。全区間または新大阪で降りる。
よくたべた駅弁は敦賀の鯛寿司、富山の鱒寿司、
琵琶湖を見ると家に近づいたとほっとした。
途中下車したことはないけど、当時車窓から眺めて気になっていた地(あつみ温泉、村上、直江津、糸魚川など)を働きはじめてから車で訪れてる。
正確にと考え、図書館で新聞で調べてきました。
入力誤りがあればすみません。
朝日新聞、昭和36年10月3日
停車駅のはずだったのに・・・・
特急通過でガッカリ
祝賀行事もムダ
新ダイヤ連絡届かず
北陸本線能生駅
【金沢】国鉄のダイヤ改正があった1日、国鉄本社が出した特急停車駅の
取り消しの指令が末端までゆき届かず乗客2人が途中駅で降ろされ、
指令を知らなかった地元では旅客の乗降をさせない特急を目の前に
祝賀行事をするという事態が北陸本線能生(のう)駅=新潟県西頸城郡
能生町=におきた。
特急「白鳥」ははじめ、金沢鉄道管理局が各駅に張り出した時刻表には、
下りは停車しないが上り大阪行きは能生駅に停車すると明記されているのに、
29日になって国鉄本社が同駅では旅客の乗降をさせないと指令した。これが
金沢鉄道管理局に届かず、1日には上野から乗務した車掌にも知らされて
いなかったという。
この列車には上野から能生までの乗客が2人あり、青森から乗務してきた
別の専務車掌に能生では降りられないと知らされ、直江津で降りた。
この特急は能生駅に停車することはしたが、旅客取り扱いをしないため
車掌は客車のドアを開けず列車の行き違いをしただけで発車した。
一方、能生駅ではこの特急が同駅ににはいると機関士に花束を渡し、
ホームでは婦人会の約40人がそろいのユカタを着て踊るなど町をあげての
祝賀行事をしたが、発車後、乗客の乗降が出来ないと知ってガッカリ。
直江津で降ろされた乗客は国鉄の不親切さに能生駅に着くと同駅に強く
抗議したという。
金沢鉄道管理局では車掌からの報告でこのことを知り、乗客2人には手数料
なしで特急券の払い戻しをすることにしたが、地元では本社からの連絡が
中部支社で止まって金沢鉄道管理局へ届かなかったとみられる点や、本社が
特急券を2週間も前に発売させていながら発車の2日前の29日になって急に
旅客の乗降をさせないと通知したなどダイヤ変更にまつわる国鉄の不手ぎわ
を指摘している。
●●●●金沢鉄道管理局旅客課長の話
こちらに本社からの連絡が遅れたのは事実で、地元へ連絡できなくて申し
わけありません。直ちに上り特急は能生駅での乗降はできない旨を各方面へ
連絡しました。
●●●●国鉄中部支社旅客課長代理の話
本社からの連絡もおそかったが、中部支社でも忙しくて1日おくれた。この
点については申しわけない。単線区間を走る以上、駅で行き違いのため停車
することはあり得るわけで、急行、準急停車駅でもない能生駅に特急が停車
して客扱いをしないことぐらい金沢管理局でわかっていると思う。新ダイヤが
発表になったとき、金沢局から問い合わせもなかった。特急券は2週間前から
売っているから、それ以前に指令がなければ、このようなミスは当然起きる。
(この項名古屋)
国鉄本社列車課の話
能生駅は列車すれ違いや待ち合わせなどのために特急が止まるので、はじめ
から客扱いはしていない。従って能生駅までの特急券も売っておらず、時刻表
でも通過となっている。大体お客さんが能生に特急が止まることを知っている
わけはないのだが。(この項東京) ●●●●は個人の名前だったので伏せておきます。
要するに、
〇地元は歓迎行事を開いて花束を乗務員(運転手)に渡した。
〇東京から能生駅の乗客が乗っていて特急券(指定席券)も発券されていた。
〇金沢鉄道管理局が間違って白鳥停車と新ダイヤを発表した。
ということでよろしいでしょうか。 その昔山陽新幹線ができる前「白鳥」が青森と上野の二層立てだったことがありましたね。その後上野編成が
別れ、金沢ー上野間は「はくたか」になったけど、運用の関係で大ムコ所属車でした。
当時の大ムコは列車の全国運用があり、それを証明するかのように、あるとき
側面の行き先サボの設定機が壊れてしまったのか、「しおじ」下関行きを表示している編成を
目撃しました。駅の案内放送でも、一生懸命訂正していて笑えました。
遠い昔日の思い出です。 「しおじ」下関行きを表示している編成とはくたかとどんな関係があるんだ? >>142
そうじゃなくて140の書き方だと485系の話と解釈するのはちょっと無理が無いか? おれもガキの頃、小倉駅に停車中の、大阪発宮崎行きの「みどり1号」の
行き表示が一両だけ壊れてて「はくたか」になっていた。
まだ全国版の時刻表も見たことが無い頃だったので、「はくたか」という名前を最初に知ったのはこのとき。 >>143
140だけど、分かり難い表現でごめんなさい。
最初「白鳥」は大ムコ所属車の気動車特急で運転始めたよね。その当時は上野と青森の編成
が併結だったでしょう。その後、上野編成は「はくたか」として独立したけどね。
で、気動車時代の伝統からか485系になっても大ムコ所属のままだったんだ。
さらに、142が言うように当時の大ムコの485系は広域運用していたため、起きた
ハプニングだったんです。 >>146
でも言いたい事は
>側面の行き先サボの設定機が壊れてしまったのか、「しおじ」下関行きを表示している編成を
>目撃しました。駅の案内放送でも、一生懸命訂正していて笑えました。
これを言うのに何で前段が必要なのか理解できんのよね >>147
それはね、大阪〜上野の「白鳥」の伝統を引き継いでいるってことを言いたかった
んだ。本来なら、金沢〜上野の「はくたか」になった時点で当時気動車の配置があった
北オクに管轄変更になってもおかしくないし、485系化した時に金サワ所属車に変更されても
変更されても不思議じゃないでしょう。
一晩関東に滞泊するから間合い運用とも思えないしね。 そうかここは白鳥スレだから必死にスレ違いじゃないようにこじつけた訳か
>>150
読んだ
列車と接続する側それぞれの言い分わかるから
複雑な思いだった
雑誌本スレの評価は良くなかったが
次の作品楽しみにしたいと思う
実在の列車とかをテーマにしたオムニバス作品て感じで
前作の三河の〜はどんな内容だったんだろうか… 気動車時代の「白鳥」
大阪〜青森間を途中で給油もせずによく走れたものだと思う。
雷鳥でも何でも良かったんだけど、たまたま来たのが白鳥だから乗った。
乗っといてよかったわ。 残念ながら無給油。
1行路片道走るとだいたい半分くらいなくなって、
1行路走りきって車庫に戻るとほとんど空になったとか。
どこぞの文献でそれを見たんだが詳しくは忘れた。
|| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄つちのこ軌道 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄||
|| ○鵜飼健一郎は放置が一番キライ。常に誰かの反応を待っています。
|| ○ウザイと思ったらそのまま放置。
|| ○放置された鵜飼健一郎は煽りや自作自演であなたのレスを誘います。
|| ノセられてレスしたらその時点であなたの負け。
|| ○反撃は鵜飼健一郎の滋養にして栄養であり最も喜ぶことです。
|| エサを 与えないで下さい。 Λ_Λ
|| ○枯死するまで孤独に暴れさせておいて \ (゚ー゚*) キホン。
|| ゴミが溜まったら削除が一番です。 ⊂⊂ |
||___ ∧ ∧__∧ ∧__ ∧ ∧_ | ̄ ̄ ̄ ̄|
( ∧ ∧__ ( ∧ ∧__( ∧ ∧  ̄ ̄ ̄
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〜(_( ,,)〜(_( ,,)〜(_( ,,)
〜(___ノ 〜(___ノ 〜(___ノ
北海道の帰りに、当初予定では飛行機だったのをやめて、北斗〜青函連絡船深夜便から乗り継いで、全区間乗り通した。
あれが最初で最後の白鳥号。
この電車、休まずによく走るなぁと思ってた。 確か、サンロクトウでデビューした時の青森白鳥は、
分散動力型の気動車列車としては世界最長距離運転の定期列車だったんだっけ?
まあ、完全な分散動力型の内燃動車でそういう運用をしようとする酔狂な国は当時でも少ないだろうが…… 気動車時代の「白鳥」は、北陸本線や奥羽本線などに、事故や災害などで不通区間が発生した時、
五能線や山陰、舞鶴、小浜線、高山本線などを迂回運転することもあった。 >>161
君も少しは成長したまえ
ナン君ばればれだよ >>162
「はつかり」は五能線に迂回した事が有り。 >>163
それで161はナン君じゃないとでも言うのかね? はつかりが五能線迂回??
どういうルートだったんそれ? >>165
北上〜奥羽〜五能線経由だった気が…
気動車時代のはつかりは花輪線経由すらあったかと。 >>167
すばらしーサイトだな
しかし東北線と奥羽線の共倒れとはね
五能線のうらわびしい海岸線をキハ80がひた走ったのか・・・夢のような光景だ 説明文でも触れられていたけど、ヒュッテの記録写真も今となっては貴重ですね。 >>167-168
それよりも、2号車のキロ80が既に屋根に水タンクを積んでいるのが気になった。
スレチなのでこれ位で。 日本食堂青森営業所の人が大阪までロングラン乗務をしてたよね?
「アイスクリームの〈おにだん〉は200円でございます」って、福井を通過した辺りで車内放送が行われていた。
西村京太郎作品で取り上げられたのは2作品だけか。いずれもテレビ化されたけど >>173
ホワイトチョコレートも売っていましたよね。 >>175
なつかしい
津軽訛りのぬけない乗務員がいい雰囲気だった >>173
金沢から乗った時、ちょうど新聞買い忘れたので買った。
「これすかないんですけども」
と申し訳なさそうに渡されたのは…
青森の日刊紙・東奥日報。
まさか北陸本線の特急の車販で東北の新聞が読めるとは思ってなかったよw 長距離列車で地方紙を買うと
はるばる来たー感じがしていいと思うよ
長距離ゆえに場違いなモノが買えるのも楽しさの一つだよねぇ
最近は短距離化されてつまらなくなってしまった スレ違いだけど
国内線の飛行機で新聞をもらって地方版とかテレビ欄を見ると
思わぬ地域の名前があってびっくりするよ。