【大阪】特急白鳥の思い出【青森】
2001年3月に廃止された大阪ー青森間の特急白鳥の思い出について語るスレです。
(現行スーパー白鳥、特急白鳥は除く)
嫁とは特急白鳥の車内で知り合った >>773
別に雷鳥と間違って乗っても実害ないだろ >>774
いかにも当時の交通事情を知らない素晴らしいコメントだね >>775
何言ってるんだ?
同じ方面行なんだから問題ないわな
新潟以遠に行く人が白鳥じゃなく雷鳥に乗っちゃったらそりゃ困るだろうけど
雷鳥の指定券持ってる人なら雷鳥の違う号に誤乗しても同じことだから白鳥を強調する意味はないぞ >>776
ハイ ハイ
あなた言うとおりですね
ごめんなさい まあ、白鳥が全車指定の頃の事なのか自由席を連結するようになってからの事かで違ってくるな
空いてればいいけど混んでるときはね とんでもない遅レス、ごめん
まだ気動車特急で大阪〜上野・青森併結の時代は、
両方の編成に食堂車があってな、
昼飯は上野編成で食べて、
夕飯は青森編成で食べ比べをしたそうな。
どっちが日本食堂で
どっちが帝国ホテルだったか、
そこまでは覚えていないと爺様は語る。
青森発着は青函連絡船の深夜便連絡だったから、
青森市民にはちょっと不便な汽車だったそうな。 最初期の白鳥が大阪〜青森と上野〜青森を併結して走っていたと知って驚愕した
上野〜青森はわかるけどなんでまたこんな珍妙ルートで走らせたんだろって そうだったんだ
わざわざ信越本線経由して上野から大阪まで走らせたんだ >>783
上野からの乗客は北陸の停車駅で降りていくから
その席を北陸から関西方面の乗客に割り当てると都合が良いからな 上野発の白鳥が
直江津で大阪発の白鳥に微妙に連絡してたね
とはいっても上野→青森で使う普通の人は居なかっただろうけど 新カヌのグレードアップ車だった時だから新潟の車掌が担当していた思うんだが
時々、沿線の観光案内をする車掌がいたな
湖西線だと琵琶湖に比叡山や比良山、北陸線では鳩原ループ線に北陸トンネル、坂井平野
しかも新潟の車掌がコシヒカリの発祥の地が坂井平野と案内を聞いた時にはビックリしたな
小松から金沢かけて白山が見てると白山の案内、魚津辺りでは立山に蜃気楼の案内に
親不知辺りでは親不知と北陸自動車道の高架橋の案内
米山辺りで佐渡が見えると佐渡の案内、羽越本線では笹川流れ
そして、日本最長の昼行の在来線特急と言う案内
白鳥はビジネス色の他に観光色も強かったからな >>770
30分毎に発車する雷鳥にまじって一日1本の白鳥ですよね。
間違えアナウンスは理解出来ます。
L特急じゃなかったので特別な存在でした。 白鳥の車掌ネタで
停車駅の多さからか、停車駅の時刻の案内は新潟で分けてたよな
上りも下りも始発駅から新潟までは全ての停車駅の時刻案内して新潟から先は主要駅のみ時刻の案内
又は新潟まで停車駅全ての時刻を案内して新潟から先は新潟で交代する車掌が案内する旨を言う車掌もいたな
それも車掌によりけりだけどね 『雷鳥』に『しらさぎ』があった様に、
名古屋〜米原〜日本海縦貫線〜青森という姉妹列車があって良かったのになと思う。 クハやサロの車輪、フラットが多かったな。沿線で見送ってていつも思ってた。 >>784
あと何年かしたら、東京発金沢経由新大阪行き「かがやき」で同じようなことになりそうだね。 >>793
あと何年かで新大阪まで開通しないだろw
敦賀までだw >>782-783
どっちが上りか下りかで混乱しそうだ 中学生の頃、土曜日の授業が終わって下校すると、新潟駅近くの踏切でホームの入れ替えをする白鳥にけっこう待たされたな… >>801
昭和25年4月2日から昭和32年4月1日までの生まれですね? 1965年の時刻
大阪815 京都846/848 米原935/937 敦賀1014/1015 福井1103/1104 動橋1138
金沢1212/1216 高岡1251/1251 富山1309/1312 直江津1506/1509 長岡16148/1617
新津1658/1701 鶴岡1903/1904 酒田1928/1930 秋田2059/2102 東能代2150/2151
大館2232/2234 弘前2314/2315 青森2347
直江津1510 長野1636/1638 軽井沢1759/1803 横川1832 高崎1859/1900 上野2020 国鉄時代の12連の時って先頭車は同一形状?
JR時代はボンネット/非貫通の組合わせが多かったような印象。 そういや下りトワイライトの時刻は、かつての白鳥〜連絡船〜おおぞらの時刻に似たような感じだったな >>808
大阪→直江津→青森が下り
で直江津→上野が上りに変わるから単純明快だと思うぞ
はくたかになってから
2001M、2003M、1002Dが同一方向だからこっちの方がややこしくないか? まあ取り敢えず電車じゃないよと突っ込んどくべきだよな >>804
盛アオの485系なら基本的に電気釜+電気釜
たまに200番台が入り混じる
こんな感じだったような TBSチャンネル2 「十津川警部シリーズ「ミステリートレイン日本一周旅号殺人事件」」(1983年)
06/27(日) 01:50〜04:00
https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0478/
出演:若林豪、坂上二郎、本田博太郎、下川辰平、寺泉哲章、斉藤とも子、内田朝雄、岸部シロー、二瓶正也、北見敏之、小川隆一、西田健、草間正吾、片桐竜二、丸岡将司、浜井孝子、石山雄大、松井良樹、藤木敬士、正木香子
実況しようぜ
スカパー実況
https://himawari.5ch.net/liveskyp/ 「しらゆき」格上げの「白鳥」のほうが趣が有った…?
ローカル白鳥。 2001年まで残ってたとか奇跡じゃね?
どう考えても東海道新幹線と東北新幹線とはつかりを乗り継いだ方が速いが乗り換えを嫌う層が一定数いたみたい
特急つばさでJR化以降も上野発があったのも乗り換えを嫌う層がいたため 元急行しらゆきの福井発の白鳥1・4号もあったな
急行時代は電車化は457系必須だったため踏み切れず金沢〜青森とか凄い距離の架線下DCだった 1997年のほくほく線の開業でなくなると思って意外だった
上越新幹線長岡駅乗り換えでなくなった時点でその時点で役目を終えたものと思ったがトワイライトエクスプレスや日本海の代わりにする客層が一定の層がいたいうことかな ab←→yzのような出発地対到着地という視点からしか見れない人が増えたねえ。
a←→p、h←→y、e←→qなどの区間内相互の需要を全く考えてない。夜行列車系や寝台列車系のスレでも皆そう
いまや現役の公共長距離交通機関のメインは
中間通過都市をスルーする性質の点to点タイプばかり残ってるからか。
旅客機(空路)、高速バス(夜行含む)、フェリー、
唯一、点to点でない旧来式の面対応が可能な公共長距離交通機関は新幹線くらいか。 まあ高速バスのごく一部には通過都市対応タイプがあるが
ナントカICなど、停留場そのものは当該の都市内であっても
マイカーでしかたどり着けないような場所に所在していたりするから、
公共交通機関としては機能しにくい立地だから、旧来式とは比較しにくい。
また、バスが運べるキャパの問題もある 2000年頃
仕事で富山から酒田に行くのに重宝した 上野編成もあった時代にダイヤ的には
白鳥同士乗り換えで
上野ー直江津ー青森 と行く事も出来たみたい
だけど特急券は特急一本の特例とかあったの? >>824
特例はなかったんじゃないかな
そもそも遠回りすぎて実用的じゃないと思う
長野の人くらい? >>824
東北奥羽じゃ席の無い繁忙期とかの一縷の望み的な裏技って感じか
その時代の時刻表を見ると
長岡や新津で上越線急行に乗り換えれば
白鳥乗り継ぎルートより短時間で行けたよう
同じ愛称だとついそういうルートを考えちゃうけど
後年の金沢行き白山から白鳥に乗り換えて青森って考えるといかにも壮大な感じになるね >>826
単独運転区間の白鳥の2等車は5両しか無いから東北奥羽じゃ席の無い繁忙期だと
指定取るの大変そう >>827
その時代だと特急に乗れる人は限られてるから、
苦労することはなかったのでは? >>828
だったら素直にはつかりやつばさに乗れば良いってことになりませんかね? 上野から高崎通って碓氷峠越えて軽井沢の
避暑スキーあさま的特急
長野から北陸方面の地域特急
北陸から関西への雷鳥的ビジネス特急
これら三本を通しで運転というのが面白いね。
「列車はなるべく通しで運転する方が折り返しなどでの車両運用上のロス、時間や人的ロスが無くて良い」という思想があったんだろうかね? >>830
もっと切実な問題があった。
とにかく線路容量が足りない。
白鳥設定当時の北陸本線は北陸トンネルもなく単線だらけ。
信越本線も碓氷峠はアプト式で運転していて輸送力が粘着運転よりも少ない。
北陸本線が完全に複線化したのは昭和44年。
旅客以上に貨物の需要も旺盛。
何より特急に使える専用車両が少ない。
少ない線路容量と専用車で多くの需要に応えるために、長距離を通しで運転するしかなかったというのが実情ではなかろうか。 信越白鳥で上野〜大阪ぶっ通し乗った人は殆どいなかったはず
どう考えても特急こだまの方が速い >>821補足
821冒頭に載せた各利用形態を現在に置き換えると↓みたいになるかと。
1●ab←→yz (出発地対到着地)
→現在主流。途中経由地はスルー、あくまで出発側地方(対)到着側地方を直通移動する手段として。
それ以外の地方の人は発着地まで事前あるいは事後移動する必要がある
2●a←→p、h←→y (都市←→郊外の移動者、一定需要はある)
→現在はそれぞれ「a←→p」「h←→y」という区間の中距離列車としてそれぞれ完結。
3●e←→q (郊外←→郊外の移動者、需要は少ない)
→現代では廃止されたり、そもそも直通列車は設定されない
以上になる。
つまり、現代人が「こんな列車、始発から終点まで通して乗る人いるのか?」みたいに思ってしまう
過去の長距離列車ってのは、車両運用が長距離直通ベース(ぜんぶつなげてしまう)。
だから上記1〜3の需要をも全て1つの列車に取り込むことができたし、利用側も乗り換えないですむ利用法ができた。
現在は、車両運用が短距離ベースになってしまっているため、上述の黒丸の各項目で示したように
ブツ切りになってしまっている。 >>821補足
821冒頭に載せた各利用形態を現在に置き換えると↓みたいになるかと。
1●ab←→yz (出発地対到着地)
→現在主流。途中経由地はスルー、あくまで出発側地方(対)到着側地方を直通移動する手段として。
それ以外の地方の人は発着地まで事前あるいは事後移動する必要がある
2●a←→p、h←→y (都市←→郊外の移動者、一定需要はある)
→現在はそれぞれ「a←→p」「h←→y」という区間の中距離列車としてそれぞれ完結。
3●e←→q (郊外←→郊外の移動者、需要は少ない)
→現代では廃止されたり、そもそも直通列車は設定されない
以上になる。
つまり、現代人が「こんな列車、始発から終点まで通して乗る人いるのか?」みたいに思ってしまう
過去の長距離列車ってのは、車両運用が長距離直通ベース(ぜんぶつなげてしまう)。
だから上記1〜3の需要をも全て1つの列車に取り込むことができたし、利用側も乗り換えないですむ利用法ができた。
現在は、車両運用が短距離ベースになってしまっているため、上述の黒丸の各項目で示したように
ブツ切りになってしまっている。 サーバーが変で連投になってしまってすまん。
俺が書くまでもなく>>830さんが述べてくれてたね。Thx
>>832
830-831が書いてくれてるのに、なにもわからないんだねえ。
俺も述べたけど、直通需要がないに等しいヘンな運行区間なのはそういう理由だよ >>829
当時は特急に乗れるような人は、政治家や会社役員・地元の名士などだったから。
今みたいな快速か急行か分からないような特急じゃなく、特別急行としての威厳や風格があった。 >>837
それって答えになってませんよね
結局何が言いたいのか不明
政治家や会社役員・地元の名士などが特急券にあぶれることがないのなら
素直にはつかりやつばさに乗れば良いんじゃないですか?
東北奥羽じゃ席の無い繁忙期とかの一縷の望み的な裏技なんて必要ないですよね
まあ白鳥の特急券も瞬殺で裏技になるわけもないとは思いますけど 政治家や有力者の力で、特急が運行されたり駅に停車する様になった
東京に乗り換え無しで行ける!
特急が停まる!
一種のステータスだから、政治家も頑張る
能生騒動みたいな例もあるが… ゴメンゴメン、824で聞いてみたのは、同じ特急だけど違う特急として扱ったらちょっと
面白いな、というほんの出来心です。あと
青森方面の途中、酒田やあつみ温泉など羽越線の優等列車が昭和30年代は貧弱なんでそれを
補うこともあったのかな、ってこと。 でも上越線できる前は新潟行くのもそのルートだったわけだしな
それを知ってる人にとっては「ソレもアリなんじゃない?」ぐらいの感じか >>840
> 青森方面の途中、酒田やあつみ温泉など羽越線の優等列車が昭和30年代は貧弱なんでそれを
> 補うこともあったのかな、ってこと。
新津や新潟に出るのは上越線経由が圧倒的に有利なわけで 上野から新津新潟までは昭和39年の時点で電化までされていて頼もしい。151系こだまのお下がりとは言え、特急ときが一日一本既に上野新潟間を4時間半位で結んでる。しかしその先羽越線方面となると優等列車乗り継いでもダイヤは考慮されていなくて誠に貧弱。そのあと5年くらいして特急いなほが上野発羽越線直通で出来た時は地元の人はさぞかし心強かったろう。
白鳥や急行日本海みたいにあくまで羽越線など日本海沿いは都会に出ると言うと大阪が最初にあったのかねえ。。
まあそれから30年したら酒田庄内空港と羽田は45分で飛べるようになっちまった。フライトレーダー見てたら庄内離陸後35分で千葉駅上空まで来てる。 >>843
その1往復のときはこだまのお下がりじゃないだろ >>843
上野と庄内地方は夜行の直通があったな(羽黒)
38.10?位からと思うが、秋田上野間に昼行の気動車急行「鳥海」が設定されている
ただ、結構長距離なので、「いなほ」登場が有り難がられたのは確か
(RJ列車追跡シリーズ いなほにそのような話あり)
また、北海道〜日本海沿岸各地〜京都・大阪は船運によるつながりがあった
酒田などに古い関西の文化が伝わっているとか、北陸銀行(富山)が北海道に支店を持っていたりするとか
43.10で登場した特急日本海は当初9両だったが翌年には13両になったこと、
火災を起こしたきたぐにには700余名が乗車していたこと、
「水曜どうでしょう」で一行が583系きたぐにに乗車するが満員だったこと
から、直通需要(区間需要も含め)は結構多かったのでは
なんか支離滅裂だな、すまぬ JRになってから東日本と西日本を越境する形になったので車両使用料をどう処理するかが課題になったはず
直江津で分断すれば使用料問題が起きなくなるが利便性が低下するか 酒田はいなほと新幹線乗り継ぎの
東京への往復切符が安く買えるんだよな。
市民の人だけかも知れん。地方空港路線の
搭乗率保証みたいな感じでもしかしたら税金
で補填されてるかも知らん。今でも特急いなほ
が走ってるのが不思議。。羽越線沿線は
新幹線網に取り残された感じはあるね。
行ってみると結構な歴史がある町で驚く。
関係ないが、信越線羽越線の10キロ上空飛んでる飛行機、航空無線で聞くと関東でも聞こえて
しまうー。夢があるんだかないんだか とはいえ、今は国が航空路線に偏った政策(というか政治家が空港を媒介した利益誘導)しか考えないから
よってたかって鉄道を弱らせてるように見える ハイウェイ無料化ってのもあったなあ
あれは何だったんだろ なんだったって
景気刺激策だよ
旅行が景気刺激に効果的なのは周知のこと >>849
そう、政治家が何を媒介にするかはその時代によって変わる
媒介にしてもらおうとするために各界が政治家と良からぬ関係になりたがるのは未来永劫無くならない 昭和で頭が止まってるから全部利権に見えるんだろうな 前にも書いてる人がおられるが絵入りヘッドマークがとても格好良い。
考えた人は神! 早朝の青森で、ピーク時などで自由席に座れず立席を経験した方、います?
どこまで行けば座れたでしょうか? >>855
私じゃなくて叔父ですが、白鳥2号で秋田まで立っていたことがあるそうですよ。お金がないので食堂車に逃げることもできず、デッキで頑張っていたとか。
おかげで座れた秋田からは降りる京都までほとんど寝て過ごしたのでせっかくの車窓も記憶にないとよくボヤいていました。 時刻表1982/09から
函館015→405青森、函館040→430青森
青森450→1825大阪、白鳥
青森650→1917金沢、しらゆき
青森817→1835上野、いなほ4
青森1255→827大阪、きたぐに
白鳥の自由席が満席であきらめた場合、きたぐにになるのでしょうか?
厳しいように思えます 0時過ぎでも可なら、しらゆきでも夜行にならず大阪到着は不可能ではないみたい
青森650→しらゆき→1917金沢1939→くずりゅう12→2204米原
米原2235→2357京都001→049大阪
しらゆきから雷鳥の最終には5分差で乗れない感じ(間違っていたら申し訳ございません9
妄想でした >>860
1974年の湖西線開業前でも、
しらゆきが金沢1910着で、雷鳥が1930発、大阪2310着なんだけど、1982年で乗り継げないの? >>861
前年の1981年8月号だと
しらゆきの富山着が18時25分で雷鳥の最終の32号の発車が20分になってる
でも白鳥の自由席に空席がなくても白鳥に乗るよね
二時間後の急行待つ人なんていないよ 今思えば最後にJR西日本持ちになった時向日町でなく金沢の車両を使うことになってたらもしかしたらスーパー雷鳥用のパノラマグリーン付編成がスーパー雷鳥と共通運用という形で充当されてたかな? 通しで乗車する人って、どのくらいいたのでしょう?
10%程度?もっとでしょうか? >>865
時期にもよるな
関西と北海道を旅行する場合の最有力だった時だってあったんだぜ >>865
昼行で座席とはいえ、乗り換えなくて済むのには有難い人も居ただろうし
現役当時はもちろん車販も乗ってたから、
比率的に少なくても一定量は居ただろうね。 あと、直通需要ってのは
たとえば京都←→秋田みたいな客も全て含むよ
つまり近畿←→北東北の利用ね。
ヲタ視点、つまりキッチリ「大阪駅←→青森駅」
だけで捉えてはいけないってこと >>869
それ別にヲタ目線じゃないし
いけないということもないだろ >>868-869
白鳥の夜行バージョンである日本海も関西〜北東北の需要が根強くあって結構後のほうまで残ったという話あったような? >>871
日本海の件、おおむね事実のようです
修学旅行の増結も最末期までありましたね。
個人的にも、日本海がなくなって
北東北へ旅行に行かなくなったなあ。
純旅行では酒田や弘前に旅行したもんです。
テツ旅行では奥羽/田沢湖線.五能線とか
日本海よく使いました。 本州を飛び越えて北海道へは
舞鶴や敦賀からフェリーがありますからね。。
空路は全く使わない家の出身なので
伝統的個人的にヒコーキは利用しないんです。