【大阪】特急白鳥の思い出【青森】
2001年3月に廃止された大阪ー青森間の特急白鳥の思い出について語るスレです。
(現行スーパー白鳥、特急白鳥は除く)
嫁とは特急白鳥の車内で知り合った 昔は英語併記されてたのかな
だとしたら「swan」あるいは「White bird」はたまた「hakuchou」?? 例えば大阪〜札幌でも東京〜札幌でも、JALやANAの航空(正規)運賃と
国鉄〜JRの特急の普通車利用の運賃料金を比べると、時代にかかわらず航空運賃のほうが高いからね。
ただし、対北海道の場合だと、昭和51年からの相次ぐ運賃料金値上げと、
東京発でも大阪発でも鉄道利用の場合は所要時間差が絶望的だったこともあり、
1980年頃だと鉄道利用の割合は10%もなかったと言われている。
スカイマークの登場までは国内航空会社各社ともにたいしたダンピングはしていなかったが、
当時はスカイメイトが5割引だったので、これを使うと鉄道利用とあまりかわらなかった。 ただし、逆にいえば、それでも鉄道利用が10%はあったってことで、
大阪発の場合は「白鳥」だけで3%程度は占めただろうから、
人数にすればある程度のまとまった人数の通し利用はあったと思われる。 >>741
681系で運転される姿まで想像した。
特急 ホワイトバード >>741
HAKUCHOでOの上に長音記号の横棒一本 子供の頃、W信越白鳥Wに当たる「はくたか」を利用したけれど、まだ北陸本線の全線電化完了前だったから、直江津から金沢方面は郷津駅を含む旧線の時代で、日本海がすぐ真横に迫っていて驚いた。
上野から金沢まで8時間ぐらいかかる時代だったけれど、途中の駅ごとに個性があって、特に地方私鉄のバリエーション豊かな彩り…全く退屈しなかった。
今では隔世の感があるね。 宮脇俊三氏の初期の本に東京〜札幌の客は飛行機95対鉄道5と書いてなかったか
大阪〜札幌だともっと差が開くだろうし、フェリーや夜行列車や東京回りの選択もあり、青森や函館の客が白鳥に乗っていたとしても乗り遠し客はごく一部の人だけの様な気がするが 夏なら白鳥・日本海よりもきたぐにのほうが
直通客が多かった。(ただしカニ族)
青森で飯食ったり、接続特急より早めに
連絡船待合に入り込み。 「きたぐに」の座席で19時間というのは口で言うほど簡単なものではないぞ
あれの乗り通しを毎夏に繰り返す奴がそんなにいるとは思えないが 別に苦痛はなかったが?
そもそも10時間以上の夜行座席車なんて
津軽や八甲田他珍しくもなかった。
乗車時間だけでなくオンシーズンは大阪駅で
数時間前から並んだもんだ。
寝台車や特急乗るくらいなら旅程を伸ばす方に金使うよ。 青春18きっぷがなかった時代はそれはそれで大変だったんだなあ。 18きっぷはなかったが周遊券あったから18きっぷがあったなかったとは関係なくそういう時代そういうものよとしかなw
18きっぷ周遊券両方があった時代でかつ1982昭和57年即ちきたぐにで青森行けかつ北陸本線では快速電車頻発していて18きっぷの旅も今では考えられない位にハイレベル快適極まりないものであったまさにそういう時代に両方使っていると18きっぷ周遊券両方使うと嫌でも感じた >>752
青春18のびのび切符だな
当時は5月の連休まで使えた
当初は間違った扱いが度々あり、日豊本線の急行に急行券のみで乗車券の追加購入なしで乗せてもらったことがある スレチだけど、青春18きっぷって、18歳未満しか利用できないと思っていた私はアンポンタンでしたどうもごめんなさい。 見えやすいところに貼るワッペンがついていた切符だな。 >>756
帰宅して板開いたらお気に入りの新着全部おまえだったわ 1日3食とも白鳥の食堂車or車販の人もいただろうな 白鳥に初めて乗ったのは平成6年の9月、乗車区間は大阪→青森。
新カヌ編成だったので第一志望はグリーン、第二志望はグレードアップ指定だったが、
大阪→青森では共に取れなかったので、簡リクの自由席に乗った。
大阪→芦原温泉と新潟→酒田では横に客がおったけど、あとは無人で思いのほか快適やったな。
最終コースの酒田〜青森は閑散としてて、車窓は真っ暗、めちゃ退屈やった。
夜中、車販の駅弁を食ってると、近くに居た東北なまりのおばちゃん2人組が手作りの漬物をくれた。今、そういう事はあまりないかな。
奈良漬みたいな感じで美味かったわ。
東北は大きな家が多く、夜になってもカーテンを閉めないので家の中が丸見えやったな。
ただ、どの家も整理整頓されてた。部屋がデカく、旅館の部屋みたいにごちゃごちゃしてなかった。
何となく、コケシなど民下品が似合いそうな家が多く、座敷童が住んでた家も多かったはず。 小学生の頃、山科駅付近でよく電車を見ていました。
30分ごとに来る「雷鳥」時々「青い雷鳥(583)」
あれ?ヘッドマークが違う!「白鳥」だっ。
青森行だって・・・すげーっっっていう思い出・ 白鳥は結局、北陸ワイド周遊券でたまたま来て乗った福井→敦賀だけだったな
白鳥廃止後だったら同じスジのいなほに全区間乗ったけど
子供の頃、時刻表上で光放つ白鳥に一度全区間乗ってみたいと憧れたなあ >>763
583系代走の白鳥は1998年1月29日大阪発、翌30日青森発白鳥で
583系10両編成という多分最初で最後の貴重な珍しい代走運転。
ただ、この時は既に国鉄色583系では無く、現在のきたぐに塗装で、
しかも前幕は白無地だったようです。 >>765
>>763の見た白鳥は通常の485系のでしょう >>765
きたぐに塗装も既に懐かし塗装ですが・・・w
>>766
フォローサンクス。
12両編成の堂々とした特急群でした。 下りトワイライトのダイヤは1975年3月時点の白鳥〜おおぞらのスジに近いような感じだったな。
琵琶湖を見ながらのランチタイムでは往年の白鳥の食堂車を偲ぶこともできたしな。 白鳥とか懐かしいな
学生時代の年の瀬、学割で取った片道乗車券を手に12月29日に大阪→新潟をきたぐに、
翌日に新発田→弘前まで白鳥に乗った。当然帰省客で一杯で、きたぐにでは
2時間前から席取りに並んで、乗ってからは周りのおばちゃん達にお菓子もらいまくり、
一方白鳥では立錐の余地もない混雑で秋田までデッキで立ちっぱなしで酔った思い出がw
もう昭和が遠くなりかかってる時期だったけど、その残香を感じられて楽しかったな
駅で旅館のおばちゃん達が客引きしてた光景もネット予約が普通になった今じゃ懐かしい
今でもああいう空気残ってるといいけれど 白鳥が大阪の車掌が担当だった頃
たまに車掌が「特急雷鳥…、失礼いたしました。特急白鳥号」と言い間違えてたな CS放送のテレ朝チャンネルで正に昨日12月11日(火)にテレ朝土曜ワイド劇場で1985年昭和60年特急白鳥やってたな。
上越新幹線が上野まで既に開業していてかつ特急白鳥がちゃんと健在新潟駅から合流することが容易にできたこの時代がやはり色々な意味で面白かっただろう。
特急白鳥が廃止されまたまだこのころはキンキンがまだ亀さんの役だった事とか北陸新幹線開業そもそもこの白鳥ルートそのものが完全に封印されてしまった事
そのことを改めて考えて改めて今見ると特急白鳥という列車そのものもまた人も何てはかないんだろう諸行無常痛感する >>770
確かに聞いたことのあるアナウンスだ。雷鳥と間違えて乗車する人のためか、何度も「青森行き
の白鳥号」と放送していた車掌もいたな。車掌が間違えるくらいだから、誤乗車する人が多かった
のかな。 >>773
別に雷鳥と間違って乗っても実害ないだろ >>774
いかにも当時の交通事情を知らない素晴らしいコメントだね >>775
何言ってるんだ?
同じ方面行なんだから問題ないわな
新潟以遠に行く人が白鳥じゃなく雷鳥に乗っちゃったらそりゃ困るだろうけど
雷鳥の指定券持ってる人なら雷鳥の違う号に誤乗しても同じことだから白鳥を強調する意味はないぞ >>776
ハイ ハイ
あなた言うとおりですね
ごめんなさい まあ、白鳥が全車指定の頃の事なのか自由席を連結するようになってからの事かで違ってくるな
空いてればいいけど混んでるときはね とんでもない遅レス、ごめん
まだ気動車特急で大阪〜上野・青森併結の時代は、
両方の編成に食堂車があってな、
昼飯は上野編成で食べて、
夕飯は青森編成で食べ比べをしたそうな。
どっちが日本食堂で
どっちが帝国ホテルだったか、
そこまでは覚えていないと爺様は語る。
青森発着は青函連絡船の深夜便連絡だったから、
青森市民にはちょっと不便な汽車だったそうな。 最初期の白鳥が大阪〜青森と上野〜青森を併結して走っていたと知って驚愕した
上野〜青森はわかるけどなんでまたこんな珍妙ルートで走らせたんだろって そうだったんだ
わざわざ信越本線経由して上野から大阪まで走らせたんだ >>783
上野からの乗客は北陸の停車駅で降りていくから
その席を北陸から関西方面の乗客に割り当てると都合が良いからな 上野発の白鳥が
直江津で大阪発の白鳥に微妙に連絡してたね
とはいっても上野→青森で使う普通の人は居なかっただろうけど 新カヌのグレードアップ車だった時だから新潟の車掌が担当していた思うんだが
時々、沿線の観光案内をする車掌がいたな
湖西線だと琵琶湖に比叡山や比良山、北陸線では鳩原ループ線に北陸トンネル、坂井平野
しかも新潟の車掌がコシヒカリの発祥の地が坂井平野と案内を聞いた時にはビックリしたな
小松から金沢かけて白山が見てると白山の案内、魚津辺りでは立山に蜃気楼の案内に
親不知辺りでは親不知と北陸自動車道の高架橋の案内
米山辺りで佐渡が見えると佐渡の案内、羽越本線では笹川流れ
そして、日本最長の昼行の在来線特急と言う案内
白鳥はビジネス色の他に観光色も強かったからな >>770
30分毎に発車する雷鳥にまじって一日1本の白鳥ですよね。
間違えアナウンスは理解出来ます。
L特急じゃなかったので特別な存在でした。 白鳥の車掌ネタで
停車駅の多さからか、停車駅の時刻の案内は新潟で分けてたよな
上りも下りも始発駅から新潟までは全ての停車駅の時刻案内して新潟から先は主要駅のみ時刻の案内
又は新潟まで停車駅全ての時刻を案内して新潟から先は新潟で交代する車掌が案内する旨を言う車掌もいたな
それも車掌によりけりだけどね 『雷鳥』に『しらさぎ』があった様に、
名古屋〜米原〜日本海縦貫線〜青森という姉妹列車があって良かったのになと思う。 クハやサロの車輪、フラットが多かったな。沿線で見送ってていつも思ってた。 >>784
あと何年かしたら、東京発金沢経由新大阪行き「かがやき」で同じようなことになりそうだね。 >>793
あと何年かで新大阪まで開通しないだろw
敦賀までだw >>782-783
どっちが上りか下りかで混乱しそうだ 中学生の頃、土曜日の授業が終わって下校すると、新潟駅近くの踏切でホームの入れ替えをする白鳥にけっこう待たされたな… >>801
昭和25年4月2日から昭和32年4月1日までの生まれですね? 1965年の時刻
大阪815 京都846/848 米原935/937 敦賀1014/1015 福井1103/1104 動橋1138
金沢1212/1216 高岡1251/1251 富山1309/1312 直江津1506/1509 長岡16148/1617
新津1658/1701 鶴岡1903/1904 酒田1928/1930 秋田2059/2102 東能代2150/2151
大館2232/2234 弘前2314/2315 青森2347
直江津1510 長野1636/1638 軽井沢1759/1803 横川1832 高崎1859/1900 上野2020 国鉄時代の12連の時って先頭車は同一形状?
JR時代はボンネット/非貫通の組合わせが多かったような印象。 そういや下りトワイライトの時刻は、かつての白鳥〜連絡船〜おおぞらの時刻に似たような感じだったな >>808
大阪→直江津→青森が下り
で直江津→上野が上りに変わるから単純明快だと思うぞ
はくたかになってから
2001M、2003M、1002Dが同一方向だからこっちの方がややこしくないか? まあ取り敢えず電車じゃないよと突っ込んどくべきだよな >>804
盛アオの485系なら基本的に電気釜+電気釜
たまに200番台が入り混じる
こんな感じだったような TBSチャンネル2 「十津川警部シリーズ「ミステリートレイン日本一周旅号殺人事件」」(1983年)
06/27(日) 01:50〜04:00
https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0478/
出演:若林豪、坂上二郎、本田博太郎、下川辰平、寺泉哲章、斉藤とも子、内田朝雄、岸部シロー、二瓶正也、北見敏之、小川隆一、西田健、草間正吾、片桐竜二、丸岡将司、浜井孝子、石山雄大、松井良樹、藤木敬士、正木香子
実況しようぜ
スカパー実況
https://himawari.5ch.net/liveskyp/ 「しらゆき」格上げの「白鳥」のほうが趣が有った…?
ローカル白鳥。 2001年まで残ってたとか奇跡じゃね?
どう考えても東海道新幹線と東北新幹線とはつかりを乗り継いだ方が速いが乗り換えを嫌う層が一定数いたみたい
特急つばさでJR化以降も上野発があったのも乗り換えを嫌う層がいたため 元急行しらゆきの福井発の白鳥1・4号もあったな
急行時代は電車化は457系必須だったため踏み切れず金沢〜青森とか凄い距離の架線下DCだった 1997年のほくほく線の開業でなくなると思って意外だった
上越新幹線長岡駅乗り換えでなくなった時点でその時点で役目を終えたものと思ったがトワイライトエクスプレスや日本海の代わりにする客層が一定の層がいたいうことかな ab←→yzのような出発地対到着地という視点からしか見れない人が増えたねえ。
a←→p、h←→y、e←→qなどの区間内相互の需要を全く考えてない。夜行列車系や寝台列車系のスレでも皆そう
いまや現役の公共長距離交通機関のメインは
中間通過都市をスルーする性質の点to点タイプばかり残ってるからか。
旅客機(空路)、高速バス(夜行含む)、フェリー、
唯一、点to点でない旧来式の面対応が可能な公共長距離交通機関は新幹線くらいか。 まあ高速バスのごく一部には通過都市対応タイプがあるが
ナントカICなど、停留場そのものは当該の都市内であっても
マイカーでしかたどり着けないような場所に所在していたりするから、
公共交通機関としては機能しにくい立地だから、旧来式とは比較しにくい。
また、バスが運べるキャパの問題もある 2000年頃
仕事で富山から酒田に行くのに重宝した 上野編成もあった時代にダイヤ的には
白鳥同士乗り換えで
上野ー直江津ー青森 と行く事も出来たみたい
だけど特急券は特急一本の特例とかあったの? >>824
特例はなかったんじゃないかな
そもそも遠回りすぎて実用的じゃないと思う
長野の人くらい? >>824
東北奥羽じゃ席の無い繁忙期とかの一縷の望み的な裏技って感じか
その時代の時刻表を見ると
長岡や新津で上越線急行に乗り換えれば
白鳥乗り継ぎルートより短時間で行けたよう
同じ愛称だとついそういうルートを考えちゃうけど
後年の金沢行き白山から白鳥に乗り換えて青森って考えるといかにも壮大な感じになるね >>826
単独運転区間の白鳥の2等車は5両しか無いから東北奥羽じゃ席の無い繁忙期だと
指定取るの大変そう >>827
その時代だと特急に乗れる人は限られてるから、
苦労することはなかったのでは? >>828
だったら素直にはつかりやつばさに乗れば良いってことになりませんかね? 上野から高崎通って碓氷峠越えて軽井沢の
避暑スキーあさま的特急
長野から北陸方面の地域特急
北陸から関西への雷鳥的ビジネス特急
これら三本を通しで運転というのが面白いね。
「列車はなるべく通しで運転する方が折り返しなどでの車両運用上のロス、時間や人的ロスが無くて良い」という思想があったんだろうかね? >>830
もっと切実な問題があった。
とにかく線路容量が足りない。
白鳥設定当時の北陸本線は北陸トンネルもなく単線だらけ。
信越本線も碓氷峠はアプト式で運転していて輸送力が粘着運転よりも少ない。
北陸本線が完全に複線化したのは昭和44年。
旅客以上に貨物の需要も旺盛。
何より特急に使える専用車両が少ない。
少ない線路容量と専用車で多くの需要に応えるために、長距離を通しで運転するしかなかったというのが実情ではなかろうか。 信越白鳥で上野〜大阪ぶっ通し乗った人は殆どいなかったはず
どう考えても特急こだまの方が速い >>821補足
821冒頭に載せた各利用形態を現在に置き換えると↓みたいになるかと。
1●ab←→yz (出発地対到着地)
→現在主流。途中経由地はスルー、あくまで出発側地方(対)到着側地方を直通移動する手段として。
それ以外の地方の人は発着地まで事前あるいは事後移動する必要がある
2●a←→p、h←→y (都市←→郊外の移動者、一定需要はある)
→現在はそれぞれ「a←→p」「h←→y」という区間の中距離列車としてそれぞれ完結。
3●e←→q (郊外←→郊外の移動者、需要は少ない)
→現代では廃止されたり、そもそも直通列車は設定されない
以上になる。
つまり、現代人が「こんな列車、始発から終点まで通して乗る人いるのか?」みたいに思ってしまう
過去の長距離列車ってのは、車両運用が長距離直通ベース(ぜんぶつなげてしまう)。
だから上記1〜3の需要をも全て1つの列車に取り込むことができたし、利用側も乗り換えないですむ利用法ができた。
現在は、車両運用が短距離ベースになってしまっているため、上述の黒丸の各項目で示したように
ブツ切りになってしまっている。 >>821補足
821冒頭に載せた各利用形態を現在に置き換えると↓みたいになるかと。
1●ab←→yz (出発地対到着地)
→現在主流。途中経由地はスルー、あくまで出発側地方(対)到着側地方を直通移動する手段として。
それ以外の地方の人は発着地まで事前あるいは事後移動する必要がある
2●a←→p、h←→y (都市←→郊外の移動者、一定需要はある)
→現在はそれぞれ「a←→p」「h←→y」という区間の中距離列車としてそれぞれ完結。
3●e←→q (郊外←→郊外の移動者、需要は少ない)
→現代では廃止されたり、そもそも直通列車は設定されない
以上になる。
つまり、現代人が「こんな列車、始発から終点まで通して乗る人いるのか?」みたいに思ってしまう
過去の長距離列車ってのは、車両運用が長距離直通ベース(ぜんぶつなげてしまう)。
だから上記1〜3の需要をも全て1つの列車に取り込むことができたし、利用側も乗り換えないですむ利用法ができた。
現在は、車両運用が短距離ベースになってしまっているため、上述の黒丸の各項目で示したように
ブツ切りになってしまっている。 サーバーが変で連投になってしまってすまん。
俺が書くまでもなく>>830さんが述べてくれてたね。Thx
>>832
830-831が書いてくれてるのに、なにもわからないんだねえ。
俺も述べたけど、直通需要がないに等しいヘンな運行区間なのはそういう理由だよ >>829
当時は特急に乗れるような人は、政治家や会社役員・地元の名士などだったから。
今みたいな快速か急行か分からないような特急じゃなく、特別急行としての威厳や風格があった。 >>837
それって答えになってませんよね
結局何が言いたいのか不明
政治家や会社役員・地元の名士などが特急券にあぶれることがないのなら
素直にはつかりやつばさに乗れば良いんじゃないですか?
東北奥羽じゃ席の無い繁忙期とかの一縷の望み的な裏技なんて必要ないですよね
まあ白鳥の特急券も瞬殺で裏技になるわけもないとは思いますけど 政治家や有力者の力で、特急が運行されたり駅に停車する様になった
東京に乗り換え無しで行ける!
特急が停まる!
一種のステータスだから、政治家も頑張る
能生騒動みたいな例もあるが… ゴメンゴメン、824で聞いてみたのは、同じ特急だけど違う特急として扱ったらちょっと
面白いな、というほんの出来心です。あと
青森方面の途中、酒田やあつみ温泉など羽越線の優等列車が昭和30年代は貧弱なんでそれを
補うこともあったのかな、ってこと。