【大阪】特急白鳥の思い出【青森】
2001年3月に廃止された大阪ー青森間の特急白鳥の思い出について語るスレです。
(現行スーパー白鳥、特急白鳥は除く)
嫁とは特急白鳥の車内で知り合った >>694
全くスレチなことを先に詫びるが、
そういうのを最強に感じるのは「つばめ」だわ。
よくもまあこんなに穢し尽くして
地に落としてくれたもんだと思うわ。 >>692
485系200番代(貫通型)か300番代(非貫通型)と思われ
ヘッドマークも文字だけ
絵入りになるのは同年秋から >>697
おお怖っ!基地外鉄ヲタてこれだから困るわw >>693
昔は豪雪が当たり前のように感じていたのはあながち誤りでもないのですね。
>>698
ありがとうございます。
白鳥の末期にボンネット型が頻繁に使われたとの記述に、自分が乗車した頃のは違う車両だったか?と記憶が思い出せなかっただけにスッキリしました。
と、いうことは結局ボンネット型の白鳥に乗ることはなかったのだと、少し寂しい気がします。 >>701
たしか、一晩座席で「くの字」になって寝た記憶では、リクライニングは無かったような記憶があります。当時の身長では130cm位しかなかったですから、
くの字になって寝る分には比較的楽でしたが、大学生のお兄ちゃん・お姉ちゃん達はよほど窮屈だったらしく、一晩中起きてトランプかなんかしていたようです。
余計なことですが、南条駅前の商店街で買った炭酸水が一本20円で安く、大学生たちに自慢して窓際の棚受け下にあった栓抜きで勢いよく「シュポッ」と開けたのは良かったのですが、
何の味も無いただの炭酸水で、思い切り周りのみんなに笑われた事が今となっては懐かしい限りです。 でも、新潟あたりで進行方向が変わるタイミングで回転シートの変更があった、という記述があることから言えば、少なからずリクライニングはあったのかと、今となっては検証の術がありません。。。 まあともかく1972年の日本海縦貫線全線電化で485系化された時は
青森に100番代の配置があったんですが1973年1月までに向日町へ転出してるんで
当時200番代か300番代しかなかったんですよ
白鳥のボンネットは1985年の向日町移管以降です 初めて白鳥に乗った時は自由席だったけど簡易リクライニングシートじゃない、
ロマンスシートとか当時呼ばれていたシートでしたが新潟では回転させてました。
新潟駅では殆ど降りてしまったのでA席にすわっていた自分は新潟以北も日本海が
見たくて空いてるC・D席を回転させて、新潟からのお客が乗って来る前に引越しを
しましたが車両はキノコ型のクーラー室外機を屋根の上に載せていた。 昭和終わりごろに青森からボンネット型に乗りましたが、非リクシートでしたね。
ミニテーブルがあったことだけは良かったと思います。
ちなみに警笛が「プーン」でも「ビュオン」でもなく、「ポーッ」なのを初めて知りました。 458系1500番台を初めて見た衝撃は忘れない。
たぶん既出だろうけど幕に「白鳥」の文字はなく、
幕部分のガラスにステッカー貼りだった。
真新しい1500番台はその頃は輝いて見えたのだがな。 大事なとこ間違えた。
×=458系1500番台
○=485系1500番台 クハ481-1500番台は盛アオ時代と新カヌ時代に編成に入ってた 去年T18の周遊号みたいなの走らせてたよね?
まだ臨時とかには使われてるのかな?ウチらの
地域じゃまったく目にする機会がないわ。 第3セクターになった区間もあるから485系でのリバイバル白鳥も無理かな ありがとう青函特急
//headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160307-00010001-doshin-soci.view-000 JR車で、50Hzと60Hz両方対応してるのはあるのかな >>699
ハゲジジイ死ねと言いたいところだが、別にハゲジジイとは限らないのかもなw
平成元年生まれでも記憶あるらしいし。 新カヌ編成の3列グリーンのC席(一人用窓際)で白鳥に乗った 初めて見たのは、上淀川鉄橋で82系だった。
その当時、大阪で見れた82系は、なは・日向、まつかぜ、かもめ、やくもだったかな。 昨日BSフジで昔の白鳥の歴史みたいなのチラッとやってた。 コミックマニアと鉄マニアの兼業者としては
「白鳥」というと「麗子」なんだな
スマン。 >>726
まんが家の鈴木由美子さんを思い出すか、
それとも宮沢りえを思い出すか、それが問題だ。 >>726
なるほどw
俺はクラオタとの兼業なので、白鳥といえばサン=サーンスだ 14時間の乗車自体は楽しかったが、上りであったことと
食堂車がなかったのは残念だった。
できればキハ82上野編成併結のころに乗っておくべきだった。 子供のころ
国鉄時代に大阪〜青森間を上り、下りの2度乗った
1回目は1978年に北海道から青函連絡船を経て大阪に向かう帰路に乗車
2回目は1994年に乗車、夜更けの青森で乗り換え、青函トンネルを経て札幌へ向かった
どちらも始発〜終着を同じ車両に乗り合わせた他の客はいなかったように思う
すでにその頃はそういう性格の列車ではなかったのかもしれない
私自身も片道は飛行機を利用していた >>730
1994年はもうJRだし
1978年に
>同じ車両に乗り合わせた他の客はいなかったように思う
と認識できる年齢なら1994年にはもう大人になってる筈 乗客・見送り人・駅弁売りでごった返す低床のホームに反響する
14両のアイドリング音、スピーカーががなり立てる案内放送、
響き渡る発車ベル、発車直前の緊張感あふれる白鳥にしびれた。 78年頃、何度か大阪から白鳥時々日本海〜青函航路で渡道したけど
結構な人が一緒に津軽海峡渡ったけどなあ…? 78年頃どころか83年頃もだったけどね
今はズタズタにされてしまって悲惨だし青森〜秋田間に至っては白鳥の時間帯は701系快速電車にされ最早見る影もない >>730
78年に片道とは言え飛行機使えたなんて恵まれてたんだな。
ええとこのおぼっちゃま、裏山だわ。
そんな頃なら、夏休みや冬休み明けに飛行機乗ったぞ!
って自慢できただろうな。 >>730
75年に沖縄海洋博へ行った事を自慢した(勿論沖縄は飛行機でないと行けないが)
75年に既に同級生はいたけれどもなあw
ただ北海道となると若干話は別であり、それこそテレビドラマ赤い疑惑でこそ、宇津井健山口百恵北海道行きまくったが現実にはなかなかそういう人いなかった
赤いシリーズ赤い疑惑宇津井健山口百恵北海道行きまくり札幌行きまくりを見て(長門裕之岸恵子も行きまくっていたが)格差社会というものを知った記憶がある 78年で乗り通した客がいなかったとか見え見え
赤いシリーズ見て勘違いした知ったかが書き込んだんだろw 78年の航空運賃
大阪(伊丹)→札幌(旧千歳):¥28600
同年国鉄運賃その他交通費
*大阪→札幌
普通運賃:¥9900
特急料金:¥4500/計:¥13950
ちなみに寝台を利用しても
A寝:¥8000/計:¥21950
B寝(2段):¥4500/計:¥18090
飛行機に乗れたのは、一部の富裕層だけだと納得できる >>737
BS-TBSで赤い疑惑再放送してたからな
78年どころか赤い疑惑リアルタイム放送75年だとそれこそ国鉄運賃値上げ前子供10円大人も30円で最低運賃乗れたから13倍くらい今の感覚より安く思えたはず(もちろん北海道とか遠距離場合でない) ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーンロンロンローーン
https://www.youtube.com/watch?v=uWLnfkOLmfk京都京野菜ぼったくり取引価格
ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパンタイ資金洗浄(40代ブラックバラエティ道路公団談合)
違法改造大好き在日中国人報道中国車リコール発言台湾反日飛行機会社
ヤフーネットダイエットコーヒーニュースタウンワークサービス不足まいちゃりマイカー窃盗犯
安売ドラマ魔界村ビールぼったくり販売員適正価格
適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (★民主党鳩山政権TPP問題★★
トランプジョーカー切り(放送大学消防庁コストカットアイドルマスターアップ株式会社テレビビジネス森友学園パチンコ必勝法オークション販売時代)
NHK中国人用トランプ大統領テレビニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京槍杉ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロシアは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」(在日中国人3月決算)
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティーマスク女問題駅内マスクオンNACNN向け原文ダビンチ月刊(ニッカン)中國春文渋谷区木の葉崩しニュース7億5千万 昔は英語併記されてたのかな
だとしたら「swan」あるいは「White bird」はたまた「hakuchou」?? 例えば大阪〜札幌でも東京〜札幌でも、JALやANAの航空(正規)運賃と
国鉄〜JRの特急の普通車利用の運賃料金を比べると、時代にかかわらず航空運賃のほうが高いからね。
ただし、対北海道の場合だと、昭和51年からの相次ぐ運賃料金値上げと、
東京発でも大阪発でも鉄道利用の場合は所要時間差が絶望的だったこともあり、
1980年頃だと鉄道利用の割合は10%もなかったと言われている。
スカイマークの登場までは国内航空会社各社ともにたいしたダンピングはしていなかったが、
当時はスカイメイトが5割引だったので、これを使うと鉄道利用とあまりかわらなかった。 ただし、逆にいえば、それでも鉄道利用が10%はあったってことで、
大阪発の場合は「白鳥」だけで3%程度は占めただろうから、
人数にすればある程度のまとまった人数の通し利用はあったと思われる。 >>741
681系で運転される姿まで想像した。
特急 ホワイトバード >>741
HAKUCHOでOの上に長音記号の横棒一本 子供の頃、W信越白鳥Wに当たる「はくたか」を利用したけれど、まだ北陸本線の全線電化完了前だったから、直江津から金沢方面は郷津駅を含む旧線の時代で、日本海がすぐ真横に迫っていて驚いた。
上野から金沢まで8時間ぐらいかかる時代だったけれど、途中の駅ごとに個性があって、特に地方私鉄のバリエーション豊かな彩り…全く退屈しなかった。
今では隔世の感があるね。 宮脇俊三氏の初期の本に東京〜札幌の客は飛行機95対鉄道5と書いてなかったか
大阪〜札幌だともっと差が開くだろうし、フェリーや夜行列車や東京回りの選択もあり、青森や函館の客が白鳥に乗っていたとしても乗り遠し客はごく一部の人だけの様な気がするが 夏なら白鳥・日本海よりもきたぐにのほうが
直通客が多かった。(ただしカニ族)
青森で飯食ったり、接続特急より早めに
連絡船待合に入り込み。 「きたぐに」の座席で19時間というのは口で言うほど簡単なものではないぞ
あれの乗り通しを毎夏に繰り返す奴がそんなにいるとは思えないが 別に苦痛はなかったが?
そもそも10時間以上の夜行座席車なんて
津軽や八甲田他珍しくもなかった。
乗車時間だけでなくオンシーズンは大阪駅で
数時間前から並んだもんだ。
寝台車や特急乗るくらいなら旅程を伸ばす方に金使うよ。 青春18きっぷがなかった時代はそれはそれで大変だったんだなあ。 18きっぷはなかったが周遊券あったから18きっぷがあったなかったとは関係なくそういう時代そういうものよとしかなw
18きっぷ周遊券両方があった時代でかつ1982昭和57年即ちきたぐにで青森行けかつ北陸本線では快速電車頻発していて18きっぷの旅も今では考えられない位にハイレベル快適極まりないものであったまさにそういう時代に両方使っていると18きっぷ周遊券両方使うと嫌でも感じた >>752
青春18のびのび切符だな
当時は5月の連休まで使えた
当初は間違った扱いが度々あり、日豊本線の急行に急行券のみで乗車券の追加購入なしで乗せてもらったことがある スレチだけど、青春18きっぷって、18歳未満しか利用できないと思っていた私はアンポンタンでしたどうもごめんなさい。 見えやすいところに貼るワッペンがついていた切符だな。 >>756
帰宅して板開いたらお気に入りの新着全部おまえだったわ 1日3食とも白鳥の食堂車or車販の人もいただろうな 白鳥に初めて乗ったのは平成6年の9月、乗車区間は大阪→青森。
新カヌ編成だったので第一志望はグリーン、第二志望はグレードアップ指定だったが、
大阪→青森では共に取れなかったので、簡リクの自由席に乗った。
大阪→芦原温泉と新潟→酒田では横に客がおったけど、あとは無人で思いのほか快適やったな。
最終コースの酒田〜青森は閑散としてて、車窓は真っ暗、めちゃ退屈やった。
夜中、車販の駅弁を食ってると、近くに居た東北なまりのおばちゃん2人組が手作りの漬物をくれた。今、そういう事はあまりないかな。
奈良漬みたいな感じで美味かったわ。
東北は大きな家が多く、夜になってもカーテンを閉めないので家の中が丸見えやったな。
ただ、どの家も整理整頓されてた。部屋がデカく、旅館の部屋みたいにごちゃごちゃしてなかった。
何となく、コケシなど民下品が似合いそうな家が多く、座敷童が住んでた家も多かったはず。 小学生の頃、山科駅付近でよく電車を見ていました。
30分ごとに来る「雷鳥」時々「青い雷鳥(583)」
あれ?ヘッドマークが違う!「白鳥」だっ。
青森行だって・・・すげーっっっていう思い出・ 白鳥は結局、北陸ワイド周遊券でたまたま来て乗った福井→敦賀だけだったな
白鳥廃止後だったら同じスジのいなほに全区間乗ったけど
子供の頃、時刻表上で光放つ白鳥に一度全区間乗ってみたいと憧れたなあ >>763
583系代走の白鳥は1998年1月29日大阪発、翌30日青森発白鳥で
583系10両編成という多分最初で最後の貴重な珍しい代走運転。
ただ、この時は既に国鉄色583系では無く、現在のきたぐに塗装で、
しかも前幕は白無地だったようです。 >>765
>>763の見た白鳥は通常の485系のでしょう >>765
きたぐに塗装も既に懐かし塗装ですが・・・w
>>766
フォローサンクス。
12両編成の堂々とした特急群でした。 下りトワイライトのダイヤは1975年3月時点の白鳥〜おおぞらのスジに近いような感じだったな。
琵琶湖を見ながらのランチタイムでは往年の白鳥の食堂車を偲ぶこともできたしな。 白鳥とか懐かしいな
学生時代の年の瀬、学割で取った片道乗車券を手に12月29日に大阪→新潟をきたぐに、
翌日に新発田→弘前まで白鳥に乗った。当然帰省客で一杯で、きたぐにでは
2時間前から席取りに並んで、乗ってからは周りのおばちゃん達にお菓子もらいまくり、
一方白鳥では立錐の余地もない混雑で秋田までデッキで立ちっぱなしで酔った思い出がw
もう昭和が遠くなりかかってる時期だったけど、その残香を感じられて楽しかったな
駅で旅館のおばちゃん達が客引きしてた光景もネット予約が普通になった今じゃ懐かしい
今でもああいう空気残ってるといいけれど 白鳥が大阪の車掌が担当だった頃
たまに車掌が「特急雷鳥…、失礼いたしました。特急白鳥号」と言い間違えてたな CS放送のテレ朝チャンネルで正に昨日12月11日(火)にテレ朝土曜ワイド劇場で1985年昭和60年特急白鳥やってたな。
上越新幹線が上野まで既に開業していてかつ特急白鳥がちゃんと健在新潟駅から合流することが容易にできたこの時代がやはり色々な意味で面白かっただろう。
特急白鳥が廃止されまたまだこのころはキンキンがまだ亀さんの役だった事とか北陸新幹線開業そもそもこの白鳥ルートそのものが完全に封印されてしまった事
そのことを改めて考えて改めて今見ると特急白鳥という列車そのものもまた人も何てはかないんだろう諸行無常痛感する >>770
確かに聞いたことのあるアナウンスだ。雷鳥と間違えて乗車する人のためか、何度も「青森行き
の白鳥号」と放送していた車掌もいたな。車掌が間違えるくらいだから、誤乗車する人が多かった
のかな。 >>773
別に雷鳥と間違って乗っても実害ないだろ >>774
いかにも当時の交通事情を知らない素晴らしいコメントだね >>775
何言ってるんだ?
同じ方面行なんだから問題ないわな
新潟以遠に行く人が白鳥じゃなく雷鳥に乗っちゃったらそりゃ困るだろうけど
雷鳥の指定券持ってる人なら雷鳥の違う号に誤乗しても同じことだから白鳥を強調する意味はないぞ >>776
ハイ ハイ
あなた言うとおりですね
ごめんなさい まあ、白鳥が全車指定の頃の事なのか自由席を連結するようになってからの事かで違ってくるな
空いてればいいけど混んでるときはね とんでもない遅レス、ごめん
まだ気動車特急で大阪〜上野・青森併結の時代は、
両方の編成に食堂車があってな、
昼飯は上野編成で食べて、
夕飯は青森編成で食べ比べをしたそうな。
どっちが日本食堂で
どっちが帝国ホテルだったか、
そこまでは覚えていないと爺様は語る。
青森発着は青函連絡船の深夜便連絡だったから、
青森市民にはちょっと不便な汽車だったそうな。 最初期の白鳥が大阪〜青森と上野〜青森を併結して走っていたと知って驚愕した
上野〜青森はわかるけどなんでまたこんな珍妙ルートで走らせたんだろって そうだったんだ
わざわざ信越本線経由して上野から大阪まで走らせたんだ >>783
上野からの乗客は北陸の停車駅で降りていくから
その席を北陸から関西方面の乗客に割り当てると都合が良いからな 上野発の白鳥が
直江津で大阪発の白鳥に微妙に連絡してたね
とはいっても上野→青森で使う普通の人は居なかっただろうけど 新カヌのグレードアップ車だった時だから新潟の車掌が担当していた思うんだが
時々、沿線の観光案内をする車掌がいたな
湖西線だと琵琶湖に比叡山や比良山、北陸線では鳩原ループ線に北陸トンネル、坂井平野
しかも新潟の車掌がコシヒカリの発祥の地が坂井平野と案内を聞いた時にはビックリしたな
小松から金沢かけて白山が見てると白山の案内、魚津辺りでは立山に蜃気楼の案内に
親不知辺りでは親不知と北陸自動車道の高架橋の案内
米山辺りで佐渡が見えると佐渡の案内、羽越本線では笹川流れ
そして、日本最長の昼行の在来線特急と言う案内
白鳥はビジネス色の他に観光色も強かったからな >>770
30分毎に発車する雷鳥にまじって一日1本の白鳥ですよね。
間違えアナウンスは理解出来ます。
L特急じゃなかったので特別な存在でした。 白鳥の車掌ネタで
停車駅の多さからか、停車駅の時刻の案内は新潟で分けてたよな
上りも下りも始発駅から新潟までは全ての停車駅の時刻案内して新潟から先は主要駅のみ時刻の案内
又は新潟まで停車駅全ての時刻を案内して新潟から先は新潟で交代する車掌が案内する旨を言う車掌もいたな
それも車掌によりけりだけどね 『雷鳥』に『しらさぎ』があった様に、
名古屋〜米原〜日本海縦貫線〜青森という姉妹列車があって良かったのになと思う。 クハやサロの車輪、フラットが多かったな。沿線で見送ってていつも思ってた。 >>784
あと何年かしたら、東京発金沢経由新大阪行き「かがやき」で同じようなことになりそうだね。