【大阪】特急白鳥の思い出【青森】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
白鳥は上沼垂のデラックス編成がよかった
3列シートのグリーン車C席で3回ほど大阪から青森まで乗り通したけど
敦賀〜富山・富山〜糸魚川・直江津〜新発田・余目〜酒田で駅弁の
車内販売が何回も乗って食事情では困らない特急だった >>658
TC481-1508は原色に戻されて新津鉄道資料館に保存されてるよ
クハ481形1500番台の中では一番転配歴が多くて、北は旭川・
南は鹿児島(転属の際に伴車として走った)まで走った485系。
1974.06.01札サウ→1980.09.28盛アオ→1987.07.01秋アキ→1992.07.01盛アオ→2000.07.02新カヌ 昔だけど青森駅から特急白鳥(4002M)に乗ると特急みちのくと
同時発車で途中まで並走するシーンが感動的だった。 みちのくとの並走は覚えてないけど、俺も弘前まで乗ったことある
高速を誇る白鳥でも通過駅の手前で速度を落とし、駅を通過したら機敏よくぐんぐんとスピードを上げていったのが忘れられない >>661
下りの白鳥に乗ると最後の駅弁販売が酒田弁当部のささにしき弁当だった
夕飯にとっておこうと思ってもご飯がまだ温かったので毎回食べて、
秋田〜青森でお腹が減って困った事があるw 末期の特急白鳥同士のすれ違いは筒石〜能生でいいのかな >>666
確か糸魚川付近だったと思う
(はっきりした事は言えないが姫川橋梁の青海寄りだった様な…)
ちなみに上りになるが日本海1号が大館駅(日本海発車と同時入線だった思う)
そして日本海3号は白鳥の方が新屋運転停止だった思う 特急白鳥といえば下り先頭がキノコ型クーラーを載せたボンネット型なのが懐かしい >>670
食堂車があった頃は青森〜大阪間通しで日食の青森営業所だった思うけど
廃止されて何年間かは日食の青森営業所が青森〜新潟で
新潟〜大阪が今のジェイアール西日本フードサービス(当時はJウエストランだった様な)の記憶がある
青森〜秋田間の車販が廃止されてからはNREの秋田営業所が秋田〜新潟
直江津のセンチュリーイカヤとホテルハイマートが日替わり担当で新潟〜直江津
そしてJR西日本区間は北陸トラベルサービスが担当していた記憶がある
ただ、新潟〜直江津間はNREの新潟営業所?と共存してた様な記憶もある
センチューリーイカヤとホテルハイマートがお弁当とお茶で
NREはそれ以外の物(ビールやお土産類)と神尾の弁当(新潟駅の駅弁業者)の販売してた様な記憶もある >>762
新潟〜直江津間は新鉄車販サービスだったようね? >>672
白鳥のNRE車販で神尾弁当部(現神尾商事)の特製さけずしを積んでいたのを見た事があるよ。
自分は敦賀の鯛の舞、加賀温泉の押し寿司日本海、糸魚川の海老釜めし食べて腹が一杯で
買わなかったけど・・・因みに神尾は新潟でも売ってるけど、新津駅の駅弁会社です。 昔(1985年ごろ)どうしても大阪から秋田に行きたくて、白鳥ではなく
雷鳥3号"新潟乗り継ぎ"いなほ7号で行った事がある
大阪7:35(雷鳥3号)14:57新潟15:27(いなほ7号)19:26秋田 だった >>675
今は北陸新幹線入るが大して変わらないいやそれどころか却って遅かったりする 丁度、青函トンネルが開業した夏での事だが
札幌から「はまなす」に乗った際に俺が座った隣の人も青森から「白鳥」に乗ると…
さらに何処まで帰るのかを聞くと鹿児島の喜入まで帰ると言う
「白鳥」では私は自由席でその人は指定席
「はまなす」車内で話が合い意気投合したのもあり、その人も大阪まで一緒に自由席に座ってくれ終点の大阪まで色んな話をしたな
そして、その人は大阪から「なは」で西鹿児島に帰った
その人とは、車内でお互い連絡先を交わし毎年年賀状が送られて来る仲に
1週間ほど前に喪中による年始の挨拶はご遠慮の案内
その亡くなった方と言うのが札幌から青森まで共に過ごした方だった…
数年前の年賀状に「病気により長い間入院していたと」言う事を言っていたのを思い出した
もうその人から年賀状が届か無いんだなと思ったら何だが寂しいと言うか切ない気持ちになった
あの時の色んな話をしたのが何だか走馬灯の様に頭を過ったよ
ご冥福をお祈りします 合掌 >>677
「一期一会」とはこういう事でしょうかね?
人はいずれと言えども…
切なくなる話ですな
その思い出を人生の宝にされて下さい ガキのころに西村京太郎のトラベルミステリーけっこう好きで読んでたが、スリリングで特に面白かった「特急白鳥14時間」の土曜ワイド当時見逃して、今日30年?かかってようやくスカパー朝日で見れた。
が、一緒に乗り合わせた婦警が車内で殺されてもそのまま運行継続!?とか、トラベルミステリードラマおなじみの車両が同じなら何でもいいだった
特に夜の映像で何とボンネット型!?新色の415系とすれ違ったからひたちなんか使ってて呆れた
青森駅に着いたシーンも何と上野だよ
鉄が見たらダメダメな作品だった
山村紅葉の20代の時がほっそり京美人なのも超驚いたがな 殺される婦警役は、同じ牟田検事シリーズで娘役を18年も演じた丸山秀美だよ
紅葉は今でも、土曜ワイド劇場西村京太郎シリーズの桜田門のレギュラー刑事役だろ
しかしどこでどう間違って、あんな典型的な肥満なにわおかんになったんやろか?? >>1と>>23はどっちも
自分が京阪神の人間で彼女が青森って
どこで知り合うわけ? >681
銃を持った男2人が女性客を人質に7号車に立てこもるシーンは、
撮影所の特急電車の車内を模したセットで撮影されたような感じだったな 同じ朝日の西部警察かよってシーンだったなww
あれだけのことがあってもきちんと終点青森まで到着してます(--;)
本来なら運行中止して、犯人をなだめてる間に亀さんが桜田門の虎の子SATを出動要請するとこだろw
ズブズブ素人二人組だから催涙ガスで一瞬に制圧されただろうがw 西部警察では「長野行特急列車」という回があって、タイトル名聞いたら、
長野行特急「あさま」の車内でなにか凶悪事件が発生するのかと思ってたけど、
ラストのシーンで上野駅と同駅を発車する189系特急あさまをリュウが
見送るシーンがあるだけだったな 俺にとって、向日町の485系は魔女っ子メグちゃんみたいな元気で綺麗なお姉さんみたいな雰囲気。
だが青森からやってる来る白鳥だけはノンみたいな威圧感や凄みを感じていた。
上野に行くとそんなツンツンしてる盛アオの485系が、仲間に囲まれてニコニコしているように見えて、
ああ彼女の本来の居場所はこっちなんだなーなんて勝手に妄想してた。
なお向日町担当で上野に来るはくたかは配置に関係なく、周りとワイワイ仲良くやてるように見えた。 西村京太郎トラベルミステリー
「日本海殺人ルート」では、JR東日本管内とJR西日本管内を走行する大阪行「白鳥」の
走行シーンや、「白鳥」が新潟駅に到着するシーン、湖西線内を走行中の「白鳥」の車内で
中島ゆたか演じる女性の死体が発見されて、京都駅で車内から死体が運び出されるシーンなどもあったけど、
これらのシーンはちゃんと新潟駅や京都駅、湖西線沿線などで撮影されていたな 昭和53年1月、当時小5の兄と小3の自分が四国から酒田の母の実家まで白鳥に乗って旅をしました。当方四国在住のため、当時の詳細について記憶があいまいです。
当時の頃をよくご存知の方々へご質問です。
大阪〜青森の白鳥でしたが、この頃は485系のボンネット型だったでしょうか。あいまいな記憶の中ではヘッドマークの白鳥のデザインも無かったように思うのです。
また、この復路乗車のとき豪雪に見舞われ、南条という駅で丸1日以上足止めを食いました。南条のホームから乗客のみんなで駅前の商店街まで雪のトンネルを掘り、同じ車両の大学生のお兄ちゃんたちと買出しへ出かけたことがとても楽しかった記憶があります。
この豪雪についてご存知のかたはいらっしゃいますか? >>692
その前年の正月は豪雪だったよ。
廃止直前の尾小屋鉄道を撮影に行って
雪で遭難するかと思ったくらい。
尾小屋も除雪が間に合わず運休した。 とうほぐの北のド田舎では地元NHKが廃止になる白鳥485の車両センターレポートしてたが、オリジン白鳥好きなあたなたちはやっぱり3000番台白鳥には違和感があるんでないの?
はっきり言ってこんなに短命で終わるなら、伝統ある白鳥を青函特急には使わないで欲しかったとか >>694
全くスレチなことを先に詫びるが、
そういうのを最強に感じるのは「つばめ」だわ。
よくもまあこんなに穢し尽くして
地に落としてくれたもんだと思うわ。 >>692
485系200番代(貫通型)か300番代(非貫通型)と思われ
ヘッドマークも文字だけ
絵入りになるのは同年秋から >>697
おお怖っ!基地外鉄ヲタてこれだから困るわw >>693
昔は豪雪が当たり前のように感じていたのはあながち誤りでもないのですね。
>>698
ありがとうございます。
白鳥の末期にボンネット型が頻繁に使われたとの記述に、自分が乗車した頃のは違う車両だったか?と記憶が思い出せなかっただけにスッキリしました。
と、いうことは結局ボンネット型の白鳥に乗ることはなかったのだと、少し寂しい気がします。 >>701
たしか、一晩座席で「くの字」になって寝た記憶では、リクライニングは無かったような記憶があります。当時の身長では130cm位しかなかったですから、
くの字になって寝る分には比較的楽でしたが、大学生のお兄ちゃん・お姉ちゃん達はよほど窮屈だったらしく、一晩中起きてトランプかなんかしていたようです。
余計なことですが、南条駅前の商店街で買った炭酸水が一本20円で安く、大学生たちに自慢して窓際の棚受け下にあった栓抜きで勢いよく「シュポッ」と開けたのは良かったのですが、
何の味も無いただの炭酸水で、思い切り周りのみんなに笑われた事が今となっては懐かしい限りです。 でも、新潟あたりで進行方向が変わるタイミングで回転シートの変更があった、という記述があることから言えば、少なからずリクライニングはあったのかと、今となっては検証の術がありません。。。 まあともかく1972年の日本海縦貫線全線電化で485系化された時は
青森に100番代の配置があったんですが1973年1月までに向日町へ転出してるんで
当時200番代か300番代しかなかったんですよ
白鳥のボンネットは1985年の向日町移管以降です 初めて白鳥に乗った時は自由席だったけど簡易リクライニングシートじゃない、
ロマンスシートとか当時呼ばれていたシートでしたが新潟では回転させてました。
新潟駅では殆ど降りてしまったのでA席にすわっていた自分は新潟以北も日本海が
見たくて空いてるC・D席を回転させて、新潟からのお客が乗って来る前に引越しを
しましたが車両はキノコ型のクーラー室外機を屋根の上に載せていた。 昭和終わりごろに青森からボンネット型に乗りましたが、非リクシートでしたね。
ミニテーブルがあったことだけは良かったと思います。
ちなみに警笛が「プーン」でも「ビュオン」でもなく、「ポーッ」なのを初めて知りました。 458系1500番台を初めて見た衝撃は忘れない。
たぶん既出だろうけど幕に「白鳥」の文字はなく、
幕部分のガラスにステッカー貼りだった。
真新しい1500番台はその頃は輝いて見えたのだがな。 大事なとこ間違えた。
×=458系1500番台
○=485系1500番台 クハ481-1500番台は盛アオ時代と新カヌ時代に編成に入ってた 去年T18の周遊号みたいなの走らせてたよね?
まだ臨時とかには使われてるのかな?ウチらの
地域じゃまったく目にする機会がないわ。 第3セクターになった区間もあるから485系でのリバイバル白鳥も無理かな ありがとう青函特急
//headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160307-00010001-doshin-soci.view-000 JR車で、50Hzと60Hz両方対応してるのはあるのかな >>699
ハゲジジイ死ねと言いたいところだが、別にハゲジジイとは限らないのかもなw
平成元年生まれでも記憶あるらしいし。 新カヌ編成の3列グリーンのC席(一人用窓際)で白鳥に乗った 初めて見たのは、上淀川鉄橋で82系だった。
その当時、大阪で見れた82系は、なは・日向、まつかぜ、かもめ、やくもだったかな。 昨日BSフジで昔の白鳥の歴史みたいなのチラッとやってた。 コミックマニアと鉄マニアの兼業者としては
「白鳥」というと「麗子」なんだな
スマン。 >>726
まんが家の鈴木由美子さんを思い出すか、
それとも宮沢りえを思い出すか、それが問題だ。 >>726
なるほどw
俺はクラオタとの兼業なので、白鳥といえばサン=サーンスだ 14時間の乗車自体は楽しかったが、上りであったことと
食堂車がなかったのは残念だった。
できればキハ82上野編成併結のころに乗っておくべきだった。 子供のころ
国鉄時代に大阪〜青森間を上り、下りの2度乗った
1回目は1978年に北海道から青函連絡船を経て大阪に向かう帰路に乗車
2回目は1994年に乗車、夜更けの青森で乗り換え、青函トンネルを経て札幌へ向かった
どちらも始発〜終着を同じ車両に乗り合わせた他の客はいなかったように思う
すでにその頃はそういう性格の列車ではなかったのかもしれない
私自身も片道は飛行機を利用していた >>730
1994年はもうJRだし
1978年に
>同じ車両に乗り合わせた他の客はいなかったように思う
と認識できる年齢なら1994年にはもう大人になってる筈 乗客・見送り人・駅弁売りでごった返す低床のホームに反響する
14両のアイドリング音、スピーカーががなり立てる案内放送、
響き渡る発車ベル、発車直前の緊張感あふれる白鳥にしびれた。 78年頃、何度か大阪から白鳥時々日本海〜青函航路で渡道したけど
結構な人が一緒に津軽海峡渡ったけどなあ…? 78年頃どころか83年頃もだったけどね
今はズタズタにされてしまって悲惨だし青森〜秋田間に至っては白鳥の時間帯は701系快速電車にされ最早見る影もない >>730
78年に片道とは言え飛行機使えたなんて恵まれてたんだな。
ええとこのおぼっちゃま、裏山だわ。
そんな頃なら、夏休みや冬休み明けに飛行機乗ったぞ!
って自慢できただろうな。 >>730
75年に沖縄海洋博へ行った事を自慢した(勿論沖縄は飛行機でないと行けないが)
75年に既に同級生はいたけれどもなあw
ただ北海道となると若干話は別であり、それこそテレビドラマ赤い疑惑でこそ、宇津井健山口百恵北海道行きまくったが現実にはなかなかそういう人いなかった
赤いシリーズ赤い疑惑宇津井健山口百恵北海道行きまくり札幌行きまくりを見て(長門裕之岸恵子も行きまくっていたが)格差社会というものを知った記憶がある 78年で乗り通した客がいなかったとか見え見え
赤いシリーズ見て勘違いした知ったかが書き込んだんだろw 78年の航空運賃
大阪(伊丹)→札幌(旧千歳):¥28600
同年国鉄運賃その他交通費
*大阪→札幌
普通運賃:¥9900
特急料金:¥4500/計:¥13950
ちなみに寝台を利用しても
A寝:¥8000/計:¥21950
B寝(2段):¥4500/計:¥18090
飛行機に乗れたのは、一部の富裕層だけだと納得できる >>737
BS-TBSで赤い疑惑再放送してたからな
78年どころか赤い疑惑リアルタイム放送75年だとそれこそ国鉄運賃値上げ前子供10円大人も30円で最低運賃乗れたから13倍くらい今の感覚より安く思えたはず(もちろん北海道とか遠距離場合でない) ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーンロンロンローーン
https://www.youtube.com/watch?v=uWLnfkOLmfk京都京野菜ぼったくり取引価格
ダイエットニュース (アリババダイエット40代偽装結婚プロ級世代(ヤフージャパンタイ資金洗浄(40代ブラックバラエティ道路公団談合)
違法改造大好き在日中国人報道中国車リコール発言台湾反日飛行機会社
ヤフーネットダイエットコーヒーニュースタウンワークサービス不足まいちゃりマイカー窃盗犯
安売ドラマ魔界村ビールぼったくり販売員適正価格
適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (★民主党鳩山政権TPP問題★★
トランプジョーカー切り(放送大学消防庁コストカットアイドルマスターアップ株式会社テレビビジネス森友学園パチンコ必勝法オークション販売時代)
NHK中国人用トランプ大統領テレビニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京槍杉ギャンブル依存症顧問職員)
ヤフージャポンマイノリティ社員「日本とロシアは仲良くさせてはいけないーhondasouichirouー」(在日中国人3月決算)
中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティーマスク女問題駅内マスクオンNACNN向け原文ダビンチ月刊(ニッカン)中國春文渋谷区木の葉崩しニュース7億5千万 昔は英語併記されてたのかな
だとしたら「swan」あるいは「White bird」はたまた「hakuchou」?? 例えば大阪〜札幌でも東京〜札幌でも、JALやANAの航空(正規)運賃と
国鉄〜JRの特急の普通車利用の運賃料金を比べると、時代にかかわらず航空運賃のほうが高いからね。
ただし、対北海道の場合だと、昭和51年からの相次ぐ運賃料金値上げと、
東京発でも大阪発でも鉄道利用の場合は所要時間差が絶望的だったこともあり、
1980年頃だと鉄道利用の割合は10%もなかったと言われている。
スカイマークの登場までは国内航空会社各社ともにたいしたダンピングはしていなかったが、
当時はスカイメイトが5割引だったので、これを使うと鉄道利用とあまりかわらなかった。 ただし、逆にいえば、それでも鉄道利用が10%はあったってことで、
大阪発の場合は「白鳥」だけで3%程度は占めただろうから、
人数にすればある程度のまとまった人数の通し利用はあったと思われる。 >>741
681系で運転される姿まで想像した。
特急 ホワイトバード >>741
HAKUCHOでOの上に長音記号の横棒一本 子供の頃、W信越白鳥Wに当たる「はくたか」を利用したけれど、まだ北陸本線の全線電化完了前だったから、直江津から金沢方面は郷津駅を含む旧線の時代で、日本海がすぐ真横に迫っていて驚いた。
上野から金沢まで8時間ぐらいかかる時代だったけれど、途中の駅ごとに個性があって、特に地方私鉄のバリエーション豊かな彩り…全く退屈しなかった。
今では隔世の感があるね。 宮脇俊三氏の初期の本に東京〜札幌の客は飛行機95対鉄道5と書いてなかったか
大阪〜札幌だともっと差が開くだろうし、フェリーや夜行列車や東京回りの選択もあり、青森や函館の客が白鳥に乗っていたとしても乗り遠し客はごく一部の人だけの様な気がするが 夏なら白鳥・日本海よりもきたぐにのほうが
直通客が多かった。(ただしカニ族)
青森で飯食ったり、接続特急より早めに
連絡船待合に入り込み。 「きたぐに」の座席で19時間というのは口で言うほど簡単なものではないぞ
あれの乗り通しを毎夏に繰り返す奴がそんなにいるとは思えないが 別に苦痛はなかったが?
そもそも10時間以上の夜行座席車なんて
津軽や八甲田他珍しくもなかった。
乗車時間だけでなくオンシーズンは大阪駅で
数時間前から並んだもんだ。
寝台車や特急乗るくらいなら旅程を伸ばす方に金使うよ。 青春18きっぷがなかった時代はそれはそれで大変だったんだなあ。 18きっぷはなかったが周遊券あったから18きっぷがあったなかったとは関係なくそういう時代そういうものよとしかなw
18きっぷ周遊券両方があった時代でかつ1982昭和57年即ちきたぐにで青森行けかつ北陸本線では快速電車頻発していて18きっぷの旅も今では考えられない位にハイレベル快適極まりないものであったまさにそういう時代に両方使っていると18きっぷ周遊券両方使うと嫌でも感じた >>752
青春18のびのび切符だな
当時は5月の連休まで使えた
当初は間違った扱いが度々あり、日豊本線の急行に急行券のみで乗車券の追加購入なしで乗せてもらったことがある スレチだけど、青春18きっぷって、18歳未満しか利用できないと思っていた私はアンポンタンでしたどうもごめんなさい。 見えやすいところに貼るワッペンがついていた切符だな。 >>756
帰宅して板開いたらお気に入りの新着全部おまえだったわ 1日3食とも白鳥の食堂車or車販の人もいただろうな 白鳥に初めて乗ったのは平成6年の9月、乗車区間は大阪→青森。
新カヌ編成だったので第一志望はグリーン、第二志望はグレードアップ指定だったが、
大阪→青森では共に取れなかったので、簡リクの自由席に乗った。
大阪→芦原温泉と新潟→酒田では横に客がおったけど、あとは無人で思いのほか快適やったな。
最終コースの酒田〜青森は閑散としてて、車窓は真っ暗、めちゃ退屈やった。
夜中、車販の駅弁を食ってると、近くに居た東北なまりのおばちゃん2人組が手作りの漬物をくれた。今、そういう事はあまりないかな。
奈良漬みたいな感じで美味かったわ。
東北は大きな家が多く、夜になってもカーテンを閉めないので家の中が丸見えやったな。
ただ、どの家も整理整頓されてた。部屋がデカく、旅館の部屋みたいにごちゃごちゃしてなかった。
何となく、コケシなど民下品が似合いそうな家が多く、座敷童が住んでた家も多かったはず。 小学生の頃、山科駅付近でよく電車を見ていました。
30分ごとに来る「雷鳥」時々「青い雷鳥(583)」
あれ?ヘッドマークが違う!「白鳥」だっ。
青森行だって・・・すげーっっっていう思い出・ 白鳥は結局、北陸ワイド周遊券でたまたま来て乗った福井→敦賀だけだったな
白鳥廃止後だったら同じスジのいなほに全区間乗ったけど
子供の頃、時刻表上で光放つ白鳥に一度全区間乗ってみたいと憧れたなあ >>763
583系代走の白鳥は1998年1月29日大阪発、翌30日青森発白鳥で
583系10両編成という多分最初で最後の貴重な珍しい代走運転。
ただ、この時は既に国鉄色583系では無く、現在のきたぐに塗装で、
しかも前幕は白無地だったようです。 >>765
>>763の見た白鳥は通常の485系のでしょう >>765
きたぐに塗装も既に懐かし塗装ですが・・・w
>>766
フォローサンクス。
12両編成の堂々とした特急群でした。 下りトワイライトのダイヤは1975年3月時点の白鳥〜おおぞらのスジに近いような感じだったな。
琵琶湖を見ながらのランチタイムでは往年の白鳥の食堂車を偲ぶこともできたしな。 白鳥とか懐かしいな
学生時代の年の瀬、学割で取った片道乗車券を手に12月29日に大阪→新潟をきたぐに、
翌日に新発田→弘前まで白鳥に乗った。当然帰省客で一杯で、きたぐにでは
2時間前から席取りに並んで、乗ってからは周りのおばちゃん達にお菓子もらいまくり、
一方白鳥では立錐の余地もない混雑で秋田までデッキで立ちっぱなしで酔った思い出がw
もう昭和が遠くなりかかってる時期だったけど、その残香を感じられて楽しかったな
駅で旅館のおばちゃん達が客引きしてた光景もネット予約が普通になった今じゃ懐かしい
今でもああいう空気残ってるといいけれど 白鳥が大阪の車掌が担当だった頃
たまに車掌が「特急雷鳥…、失礼いたしました。特急白鳥号」と言い間違えてたな CS放送のテレ朝チャンネルで正に昨日12月11日(火)にテレ朝土曜ワイド劇場で1985年昭和60年特急白鳥やってたな。
上越新幹線が上野まで既に開業していてかつ特急白鳥がちゃんと健在新潟駅から合流することが容易にできたこの時代がやはり色々な意味で面白かっただろう。
特急白鳥が廃止されまたまだこのころはキンキンがまだ亀さんの役だった事とか北陸新幹線開業そもそもこの白鳥ルートそのものが完全に封印されてしまった事
そのことを改めて考えて改めて今見ると特急白鳥という列車そのものもまた人も何てはかないんだろう諸行無常痛感する >>770
確かに聞いたことのあるアナウンスだ。雷鳥と間違えて乗車する人のためか、何度も「青森行き
の白鳥号」と放送していた車掌もいたな。車掌が間違えるくらいだから、誤乗車する人が多かった
のかな。 >>773
別に雷鳥と間違って乗っても実害ないだろ >>774
いかにも当時の交通事情を知らない素晴らしいコメントだね >>775
何言ってるんだ?
同じ方面行なんだから問題ないわな
新潟以遠に行く人が白鳥じゃなく雷鳥に乗っちゃったらそりゃ困るだろうけど
雷鳥の指定券持ってる人なら雷鳥の違う号に誤乗しても同じことだから白鳥を強調する意味はないぞ >>776
ハイ ハイ
あなた言うとおりですね
ごめんなさい まあ、白鳥が全車指定の頃の事なのか自由席を連結するようになってからの事かで違ってくるな
空いてればいいけど混んでるときはね とんでもない遅レス、ごめん
まだ気動車特急で大阪〜上野・青森併結の時代は、
両方の編成に食堂車があってな、
昼飯は上野編成で食べて、
夕飯は青森編成で食べ比べをしたそうな。
どっちが日本食堂で
どっちが帝国ホテルだったか、
そこまでは覚えていないと爺様は語る。
青森発着は青函連絡船の深夜便連絡だったから、
青森市民にはちょっと不便な汽車だったそうな。 最初期の白鳥が大阪〜青森と上野〜青森を併結して走っていたと知って驚愕した
上野〜青森はわかるけどなんでまたこんな珍妙ルートで走らせたんだろって そうだったんだ
わざわざ信越本線経由して上野から大阪まで走らせたんだ >>783
上野からの乗客は北陸の停車駅で降りていくから
その席を北陸から関西方面の乗客に割り当てると都合が良いからな 上野発の白鳥が
直江津で大阪発の白鳥に微妙に連絡してたね
とはいっても上野→青森で使う普通の人は居なかっただろうけど 新カヌのグレードアップ車だった時だから新潟の車掌が担当していた思うんだが
時々、沿線の観光案内をする車掌がいたな
湖西線だと琵琶湖に比叡山や比良山、北陸線では鳩原ループ線に北陸トンネル、坂井平野
しかも新潟の車掌がコシヒカリの発祥の地が坂井平野と案内を聞いた時にはビックリしたな
小松から金沢かけて白山が見てると白山の案内、魚津辺りでは立山に蜃気楼の案内に
親不知辺りでは親不知と北陸自動車道の高架橋の案内
米山辺りで佐渡が見えると佐渡の案内、羽越本線では笹川流れ
そして、日本最長の昼行の在来線特急と言う案内
白鳥はビジネス色の他に観光色も強かったからな >>770
30分毎に発車する雷鳥にまじって一日1本の白鳥ですよね。
間違えアナウンスは理解出来ます。
L特急じゃなかったので特別な存在でした。 白鳥の車掌ネタで
停車駅の多さからか、停車駅の時刻の案内は新潟で分けてたよな
上りも下りも始発駅から新潟までは全ての停車駅の時刻案内して新潟から先は主要駅のみ時刻の案内
又は新潟まで停車駅全ての時刻を案内して新潟から先は新潟で交代する車掌が案内する旨を言う車掌もいたな
それも車掌によりけりだけどね 『雷鳥』に『しらさぎ』があった様に、
名古屋〜米原〜日本海縦貫線〜青森という姉妹列車があって良かったのになと思う。 クハやサロの車輪、フラットが多かったな。沿線で見送ってていつも思ってた。 >>784
あと何年かしたら、東京発金沢経由新大阪行き「かがやき」で同じようなことになりそうだね。 >>793
あと何年かで新大阪まで開通しないだろw
敦賀までだw >>782-783
どっちが上りか下りかで混乱しそうだ 中学生の頃、土曜日の授業が終わって下校すると、新潟駅近くの踏切でホームの入れ替えをする白鳥にけっこう待たされたな… >>801
昭和25年4月2日から昭和32年4月1日までの生まれですね? 1965年の時刻
大阪815 京都846/848 米原935/937 敦賀1014/1015 福井1103/1104 動橋1138
金沢1212/1216 高岡1251/1251 富山1309/1312 直江津1506/1509 長岡16148/1617
新津1658/1701 鶴岡1903/1904 酒田1928/1930 秋田2059/2102 東能代2150/2151
大館2232/2234 弘前2314/2315 青森2347
直江津1510 長野1636/1638 軽井沢1759/1803 横川1832 高崎1859/1900 上野2020 国鉄時代の12連の時って先頭車は同一形状?
JR時代はボンネット/非貫通の組合わせが多かったような印象。 そういや下りトワイライトの時刻は、かつての白鳥〜連絡船〜おおぞらの時刻に似たような感じだったな >>808
大阪→直江津→青森が下り
で直江津→上野が上りに変わるから単純明快だと思うぞ
はくたかになってから
2001M、2003M、1002Dが同一方向だからこっちの方がややこしくないか? まあ取り敢えず電車じゃないよと突っ込んどくべきだよな >>804
盛アオの485系なら基本的に電気釜+電気釜
たまに200番台が入り混じる
こんな感じだったような TBSチャンネル2 「十津川警部シリーズ「ミステリートレイン日本一周旅号殺人事件」」(1983年)
06/27(日) 01:50〜04:00
https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0478/
出演:若林豪、坂上二郎、本田博太郎、下川辰平、寺泉哲章、斉藤とも子、内田朝雄、岸部シロー、二瓶正也、北見敏之、小川隆一、西田健、草間正吾、片桐竜二、丸岡将司、浜井孝子、石山雄大、松井良樹、藤木敬士、正木香子
実況しようぜ
スカパー実況
https://himawari.5ch.net/liveskyp/ 「しらゆき」格上げの「白鳥」のほうが趣が有った…?
ローカル白鳥。 2001年まで残ってたとか奇跡じゃね?
どう考えても東海道新幹線と東北新幹線とはつかりを乗り継いだ方が速いが乗り換えを嫌う層が一定数いたみたい
特急つばさでJR化以降も上野発があったのも乗り換えを嫌う層がいたため 元急行しらゆきの福井発の白鳥1・4号もあったな
急行時代は電車化は457系必須だったため踏み切れず金沢〜青森とか凄い距離の架線下DCだった 1997年のほくほく線の開業でなくなると思って意外だった
上越新幹線長岡駅乗り換えでなくなった時点でその時点で役目を終えたものと思ったがトワイライトエクスプレスや日本海の代わりにする客層が一定の層がいたいうことかな ab←→yzのような出発地対到着地という視点からしか見れない人が増えたねえ。
a←→p、h←→y、e←→qなどの区間内相互の需要を全く考えてない。夜行列車系や寝台列車系のスレでも皆そう
いまや現役の公共長距離交通機関のメインは
中間通過都市をスルーする性質の点to点タイプばかり残ってるからか。
旅客機(空路)、高速バス(夜行含む)、フェリー、
唯一、点to点でない旧来式の面対応が可能な公共長距離交通機関は新幹線くらいか。 まあ高速バスのごく一部には通過都市対応タイプがあるが
ナントカICなど、停留場そのものは当該の都市内であっても
マイカーでしかたどり着けないような場所に所在していたりするから、
公共交通機関としては機能しにくい立地だから、旧来式とは比較しにくい。
また、バスが運べるキャパの問題もある 2000年頃
仕事で富山から酒田に行くのに重宝した 上野編成もあった時代にダイヤ的には
白鳥同士乗り換えで
上野ー直江津ー青森 と行く事も出来たみたい
だけど特急券は特急一本の特例とかあったの? >>824
特例はなかったんじゃないかな
そもそも遠回りすぎて実用的じゃないと思う
長野の人くらい? >>824
東北奥羽じゃ席の無い繁忙期とかの一縷の望み的な裏技って感じか
その時代の時刻表を見ると
長岡や新津で上越線急行に乗り換えれば
白鳥乗り継ぎルートより短時間で行けたよう
同じ愛称だとついそういうルートを考えちゃうけど
後年の金沢行き白山から白鳥に乗り換えて青森って考えるといかにも壮大な感じになるね >>826
単独運転区間の白鳥の2等車は5両しか無いから東北奥羽じゃ席の無い繁忙期だと
指定取るの大変そう >>827
その時代だと特急に乗れる人は限られてるから、
苦労することはなかったのでは? >>828
だったら素直にはつかりやつばさに乗れば良いってことになりませんかね? 上野から高崎通って碓氷峠越えて軽井沢の
避暑スキーあさま的特急
長野から北陸方面の地域特急
北陸から関西への雷鳥的ビジネス特急
これら三本を通しで運転というのが面白いね。
「列車はなるべく通しで運転する方が折り返しなどでの車両運用上のロス、時間や人的ロスが無くて良い」という思想があったんだろうかね? >>830
もっと切実な問題があった。
とにかく線路容量が足りない。
白鳥設定当時の北陸本線は北陸トンネルもなく単線だらけ。
信越本線も碓氷峠はアプト式で運転していて輸送力が粘着運転よりも少ない。
北陸本線が完全に複線化したのは昭和44年。
旅客以上に貨物の需要も旺盛。
何より特急に使える専用車両が少ない。
少ない線路容量と専用車で多くの需要に応えるために、長距離を通しで運転するしかなかったというのが実情ではなかろうか。 信越白鳥で上野〜大阪ぶっ通し乗った人は殆どいなかったはず
どう考えても特急こだまの方が速い >>821補足
821冒頭に載せた各利用形態を現在に置き換えると↓みたいになるかと。
1●ab←→yz (出発地対到着地)
→現在主流。途中経由地はスルー、あくまで出発側地方(対)到着側地方を直通移動する手段として。
それ以外の地方の人は発着地まで事前あるいは事後移動する必要がある
2●a←→p、h←→y (都市←→郊外の移動者、一定需要はある)
→現在はそれぞれ「a←→p」「h←→y」という区間の中距離列車としてそれぞれ完結。
3●e←→q (郊外←→郊外の移動者、需要は少ない)
→現代では廃止されたり、そもそも直通列車は設定されない
以上になる。
つまり、現代人が「こんな列車、始発から終点まで通して乗る人いるのか?」みたいに思ってしまう
過去の長距離列車ってのは、車両運用が長距離直通ベース(ぜんぶつなげてしまう)。
だから上記1〜3の需要をも全て1つの列車に取り込むことができたし、利用側も乗り換えないですむ利用法ができた。
現在は、車両運用が短距離ベースになってしまっているため、上述の黒丸の各項目で示したように
ブツ切りになってしまっている。 >>821補足
821冒頭に載せた各利用形態を現在に置き換えると↓みたいになるかと。
1●ab←→yz (出発地対到着地)
→現在主流。途中経由地はスルー、あくまで出発側地方(対)到着側地方を直通移動する手段として。
それ以外の地方の人は発着地まで事前あるいは事後移動する必要がある
2●a←→p、h←→y (都市←→郊外の移動者、一定需要はある)
→現在はそれぞれ「a←→p」「h←→y」という区間の中距離列車としてそれぞれ完結。
3●e←→q (郊外←→郊外の移動者、需要は少ない)
→現代では廃止されたり、そもそも直通列車は設定されない
以上になる。
つまり、現代人が「こんな列車、始発から終点まで通して乗る人いるのか?」みたいに思ってしまう
過去の長距離列車ってのは、車両運用が長距離直通ベース(ぜんぶつなげてしまう)。
だから上記1〜3の需要をも全て1つの列車に取り込むことができたし、利用側も乗り換えないですむ利用法ができた。
現在は、車両運用が短距離ベースになってしまっているため、上述の黒丸の各項目で示したように
ブツ切りになってしまっている。 サーバーが変で連投になってしまってすまん。
俺が書くまでもなく>>830さんが述べてくれてたね。Thx
>>832
830-831が書いてくれてるのに、なにもわからないんだねえ。
俺も述べたけど、直通需要がないに等しいヘンな運行区間なのはそういう理由だよ >>829
当時は特急に乗れるような人は、政治家や会社役員・地元の名士などだったから。
今みたいな快速か急行か分からないような特急じゃなく、特別急行としての威厳や風格があった。 >>837
それって答えになってませんよね
結局何が言いたいのか不明
政治家や会社役員・地元の名士などが特急券にあぶれることがないのなら
素直にはつかりやつばさに乗れば良いんじゃないですか?
東北奥羽じゃ席の無い繁忙期とかの一縷の望み的な裏技なんて必要ないですよね
まあ白鳥の特急券も瞬殺で裏技になるわけもないとは思いますけど 政治家や有力者の力で、特急が運行されたり駅に停車する様になった
東京に乗り換え無しで行ける!
特急が停まる!
一種のステータスだから、政治家も頑張る
能生騒動みたいな例もあるが… ゴメンゴメン、824で聞いてみたのは、同じ特急だけど違う特急として扱ったらちょっと
面白いな、というほんの出来心です。あと
青森方面の途中、酒田やあつみ温泉など羽越線の優等列車が昭和30年代は貧弱なんでそれを
補うこともあったのかな、ってこと。 でも上越線できる前は新潟行くのもそのルートだったわけだしな
それを知ってる人にとっては「ソレもアリなんじゃない?」ぐらいの感じか >>840
> 青森方面の途中、酒田やあつみ温泉など羽越線の優等列車が昭和30年代は貧弱なんでそれを
> 補うこともあったのかな、ってこと。
新津や新潟に出るのは上越線経由が圧倒的に有利なわけで 上野から新津新潟までは昭和39年の時点で電化までされていて頼もしい。151系こだまのお下がりとは言え、特急ときが一日一本既に上野新潟間を4時間半位で結んでる。しかしその先羽越線方面となると優等列車乗り継いでもダイヤは考慮されていなくて誠に貧弱。そのあと5年くらいして特急いなほが上野発羽越線直通で出来た時は地元の人はさぞかし心強かったろう。
白鳥や急行日本海みたいにあくまで羽越線など日本海沿いは都会に出ると言うと大阪が最初にあったのかねえ。。
まあそれから30年したら酒田庄内空港と羽田は45分で飛べるようになっちまった。フライトレーダー見てたら庄内離陸後35分で千葉駅上空まで来てる。 >>843
その1往復のときはこだまのお下がりじゃないだろ >>843
上野と庄内地方は夜行の直通があったな(羽黒)
38.10?位からと思うが、秋田上野間に昼行の気動車急行「鳥海」が設定されている
ただ、結構長距離なので、「いなほ」登場が有り難がられたのは確か
(RJ列車追跡シリーズ いなほにそのような話あり)
また、北海道〜日本海沿岸各地〜京都・大阪は船運によるつながりがあった
酒田などに古い関西の文化が伝わっているとか、北陸銀行(富山)が北海道に支店を持っていたりするとか
43.10で登場した特急日本海は当初9両だったが翌年には13両になったこと、
火災を起こしたきたぐにには700余名が乗車していたこと、
「水曜どうでしょう」で一行が583系きたぐにに乗車するが満員だったこと
から、直通需要(区間需要も含め)は結構多かったのでは
なんか支離滅裂だな、すまぬ JRになってから東日本と西日本を越境する形になったので車両使用料をどう処理するかが課題になったはず
直江津で分断すれば使用料問題が起きなくなるが利便性が低下するか 酒田はいなほと新幹線乗り継ぎの
東京への往復切符が安く買えるんだよな。
市民の人だけかも知れん。地方空港路線の
搭乗率保証みたいな感じでもしかしたら税金
で補填されてるかも知らん。今でも特急いなほ
が走ってるのが不思議。。羽越線沿線は
新幹線網に取り残された感じはあるね。
行ってみると結構な歴史がある町で驚く。
関係ないが、信越線羽越線の10キロ上空飛んでる飛行機、航空無線で聞くと関東でも聞こえて
しまうー。夢があるんだかないんだか とはいえ、今は国が航空路線に偏った政策(というか政治家が空港を媒介した利益誘導)しか考えないから
よってたかって鉄道を弱らせてるように見える ハイウェイ無料化ってのもあったなあ
あれは何だったんだろ なんだったって
景気刺激策だよ
旅行が景気刺激に効果的なのは周知のこと >>849
そう、政治家が何を媒介にするかはその時代によって変わる
媒介にしてもらおうとするために各界が政治家と良からぬ関係になりたがるのは未来永劫無くならない 昭和で頭が止まってるから全部利権に見えるんだろうな 前にも書いてる人がおられるが絵入りヘッドマークがとても格好良い。
考えた人は神! 早朝の青森で、ピーク時などで自由席に座れず立席を経験した方、います?
どこまで行けば座れたでしょうか? >>855
私じゃなくて叔父ですが、白鳥2号で秋田まで立っていたことがあるそうですよ。お金がないので食堂車に逃げることもできず、デッキで頑張っていたとか。
おかげで座れた秋田からは降りる京都までほとんど寝て過ごしたのでせっかくの車窓も記憶にないとよくボヤいていました。 時刻表1982/09から
函館015→405青森、函館040→430青森
青森450→1825大阪、白鳥
青森650→1917金沢、しらゆき
青森817→1835上野、いなほ4
青森1255→827大阪、きたぐに
白鳥の自由席が満席であきらめた場合、きたぐにになるのでしょうか?
厳しいように思えます 0時過ぎでも可なら、しらゆきでも夜行にならず大阪到着は不可能ではないみたい
青森650→しらゆき→1917金沢1939→くずりゅう12→2204米原
米原2235→2357京都001→049大阪
しらゆきから雷鳥の最終には5分差で乗れない感じ(間違っていたら申し訳ございません9
妄想でした >>860
1974年の湖西線開業前でも、
しらゆきが金沢1910着で、雷鳥が1930発、大阪2310着なんだけど、1982年で乗り継げないの? >>861
前年の1981年8月号だと
しらゆきの富山着が18時25分で雷鳥の最終の32号の発車が20分になってる
でも白鳥の自由席に空席がなくても白鳥に乗るよね
二時間後の急行待つ人なんていないよ 今思えば最後にJR西日本持ちになった時向日町でなく金沢の車両を使うことになってたらもしかしたらスーパー雷鳥用のパノラマグリーン付編成がスーパー雷鳥と共通運用という形で充当されてたかな? 通しで乗車する人って、どのくらいいたのでしょう?
10%程度?もっとでしょうか? >>865
時期にもよるな
関西と北海道を旅行する場合の最有力だった時だってあったんだぜ >>865
昼行で座席とはいえ、乗り換えなくて済むのには有難い人も居ただろうし
現役当時はもちろん車販も乗ってたから、
比率的に少なくても一定量は居ただろうね。 あと、直通需要ってのは
たとえば京都←→秋田みたいな客も全て含むよ
つまり近畿←→北東北の利用ね。
ヲタ視点、つまりキッチリ「大阪駅←→青森駅」
だけで捉えてはいけないってこと >>869
それ別にヲタ目線じゃないし
いけないということもないだろ >>868-869
白鳥の夜行バージョンである日本海も関西〜北東北の需要が根強くあって結構後のほうまで残ったという話あったような? >>871
日本海の件、おおむね事実のようです
修学旅行の増結も最末期までありましたね。
個人的にも、日本海がなくなって
北東北へ旅行に行かなくなったなあ。
純旅行では酒田や弘前に旅行したもんです。
テツ旅行では奥羽/田沢湖線.五能線とか
日本海よく使いました。 本州を飛び越えて北海道へは
舞鶴や敦賀からフェリーがありますからね。。
空路は全く使わない家の出身なので
伝統的個人的にヒコーキは利用しないんです。 >>872
京都在住ですが我が家も弘前城へ桜を見に行くのには必ず日本海を使っていましたね。
廃止になってからは行っておりません。
乗り換えやらなんやら面倒すぎて行く気になれないですね。 時刻表1982/9
青森450→白鳥4002M→1825大阪
時刻表2022/10
青森704→1029秋田1035→いなほ8→1505新潟1508→1622長岡→1732直江津1737→1851泊1905→2049金沢
しかし大阪行き最終サンダーバード50は2047発→2328大阪、で乗り継げず
新幹線の乗れば、同日着は可能なようです 金沢、2分くらい待てよと思うけど今は連絡しないらしいね
連絡してると遅れた時待たなきゃいけなくなるから
ひどい話だ 時刻表1982/9
大阪1018→白鳥4001M→2350青森
時刻表2022/10
大阪630→サンダーバード1→913金沢927→1120泊1141→1254直江津1323→しらゆき5→新潟1506
しかし、1457→いなほ7→1841秋田1923→2228、に乗り継げない
どこかで新幹線を利用する必要あり 3セク化したのが厄介だわな。
仮にもし在来がJRのままで、特急も繋がってたなら
乗継にしても、もうちょっと実用的な所要だったろう。 大阪から青森まで、DC/AC50Hz/AC60Hzを通しで運転できる車両は、どのくらいあります?
1日復活運転しようとしたら気動車特急もいい?
415系は無しにして 気動車も今更運転するとなると習熟運転も必要ではないだろうか? 仮にJR完結路線でもハンドル試運転は必要
国鉄〜JR初期が突発OKだったのは
類似する長距離の車両運用や乗務行路、停目が
まだまだ存在していたから。
今は、ほぼ不可能。
絶対ではなくほぼ扱いにしたのは、今は景気が良くないから。
オリエント急行なんて現代目線では絶対不可能だが
バブル期に実際に日本を走った。石炭レンジも特認。
(少し前だが)現代は、踏切の特認ですら厄介。
(可部線再延伸がそれの協議だけで長引き開業も大幅に遅れた) だから最低限、景気が回復して心実ともに豊かになってからだね。
いつになるか分からんがw 好景気の基準がいつなのかにもよるな
ITバブルの頃でも不景気呼ばわりしてた連中には一生好景気は来ない いったんなくなったものを復活させるのが大変な、変な国だなと思う。
親方日ノ丸の許認可制度が目の上のたんこぶでガチガチというか
実際の現場よりも、そういう「単に建前だけの存在」をクリアするほうが厄介、みたいな。
外国で、免許を維持させるためだけに年一回だけ運行する、なんか無いだろう。 >>884 西欧諸国、安全基準緩いから日本に比べ正面衝突事故とか多く発生してるんでは?アメリカも同様。 今時出羽守なんぞ流行らんよな
諸外国の実態がよくわからなかった時代ならともかく >>885
分かるんだが、あくまで視点はそこじゃなくて、
たとえばその安全性が現場的工事的に100%無問題だとしても
建前的な手続き方面が厄介だということよ。 >>865
昔RJの列車追跡で末期の白鳥が取り上げられてたが乗客は他の昼行特急(雷鳥など)の一部として利用してて
途中で入れ替わり、車掌に聞いたら「北海道に行く周遊券の客が利用するぐらいで通しはほとんどいない」
客の何人かに聞いても同様で長距離はことごとく日本海指向で分割もやむなし、みたいな書き方だったな だからさ、
基本的な存在意義としては、
各地区の長めの列車を一本に繋げただけ、なんだよ。
で、少ない人たちが全区間を通して乗る。
そういう列車。 457系で急行も運転したら50Hzと60HZ共用の意味をなした ということは、雷鳥/北越/いなほ/つがる、を1本だけ合体したようなもの?
実態に合わせたと言われたら、そうかもしれない 時間遡ってないか?
そもそもは長距離客も多く存在したんだよ
それが少なくなって需要に合わせて細分化したんだ >>892
いや、どっちかを否定するんじゃなくて「どっちもあった」。 日本海白鳥だけではなく、信越白鳥も復活希望だけど、無理ですね 1981年の盛アオには両端がクハ481-1500でモハ4ユニット全て1000番台、サロサシは200番台世代のAU13クーラー車というほぼ後期形ばかりで組んだ編成があったみたいね 80年代半ばに帰省のため何度も青森と大阪間を往復したけど、青森駅発の白鳥自由席はガラガラといった感じだった。自由席が混み
始めるのは酒田あたりからで新潟までよく混んでいたよ。大阪発の自由席の乗車率は大阪で6割ほど、新大阪で9割ほど、京都で立席が
出て、福井付近でようやく空席が見られるようになった。その後は6〜7割ぐらいの乗車率がやはり酒田ぐらいまで続き、秋田を発車し
た後は3割も乗っていなかったんじゃないかな。だから酒田という駅を未だに忘れない。盆や正月でも青森、秋田間は立席が出ることは
なかったと記憶する。 それら乗車率の差は、まあ
各地区における走行時間帯由来でしょうよ。 80年代半ばは青森から関西はもう
「はつかり+東北新幹線+東海道新幹線」よ
それに日本海フェリーもあるしな
だから盆前、年末は秋田までなら白鳥は混んでたな
まあ、北陸と東北、北海道の行き来はそこまでも
多くはならない 信濃白鳥、美濃白鳥、讃岐白鳥に行かなかった特急白鳥 レチ氏の名前が白鳥(しらとり)さんってネタがあったな 石動駅のホームの足元に残る乗車位置案内
雷鳥、加越、しらさぎ、白山、北越、立山は分かるけど
どう見ても白鳥と読める箇所があるんだが
停車駅だったことあるの?福井白鳥? 白鳥はかなしからずや 空の青梅の青にも染まずたゞよう JR貨物の機関車で伊豆急のTHE ROYAL EXPRESSの車両を牽かせて白鳥リバイバルはどうかな 白鳥の停車駅が雷鳥の停車駅多いバージョン(乙特急バージョン?)になったとき
「実際のところはブツ切り特急」なんだなと実感しました
新幹線開業前の東北筋で、1Mの停車駅がひばりと揃うなんて有り得なかったし 1961年10月20日
敦賀⇒新保 にて2001Dがエンスト
C57重連にて対応、金沢到着の様子
リバイバルで再現して欲しい
https://i.imgur.com/t483zRX.jpg 90年代に秋田県の本荘で勤務してた頃、
同僚で青森市出身の女性が居た。
何かの拍子に「長距離運転は苦手だから、白鳥号で帰省するの」と話したことがあった。
一度だけ羽後本荘駅まで見送りに行ったけど、その半年後、結婚退職していきました・・・
嗚呼片想い >>912
国鉄も本音では1985年3月改正で白鳥の系統分割をしたかったけど、
政治的事情などで系統分割ができずにその時点では存続した。
その代償として食堂車の廃止と停車駅の増加という条件付きであったが。 否定をするのは簡単でいいなぁ
ずっとそうやって生きてきたの? 簡単に否定されるようなわかりやすい妄想
というか妄想のほうが簡単だろ 8文字書くだけのほうがどう見ても労力かかってないんだよなぁ
まぁ、根拠も示さず頭ごなしに否定するとそいつより偉くなったように勘違いできるから楽でいいよね >>922
> 根拠も示さず
918の時点で根拠ないじゃん
簡単の尺度が文字数ってw >>923
否定するなら「〇〇が××だからその説は成立しない」って否定する側が言うもんなんだけど
ディベートどころかあんまり他人と会話しないタイプ? レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。