【大阪】特急白鳥の思い出【青森】
2001年3月に廃止された大阪ー青森間の特急白鳥の思い出について語るスレです。
(現行スーパー白鳥、特急白鳥は除く)
嫁とは特急白鳥の車内で知り合った >>654
定期白鳥で金サワの車両が使われた事は一度も無い
JR化後に2年間ほど帰省シーズンに臨時の白鳥が走ったけど
その時は金サワの7両だったね
当時の福井白鳥の流れだったんだろうけど2年ほどで消えた事を考えると利用する人は皆無だったんだろうな
ちなみにJR化後に秋アキの485系(たざわ編成やかもしか編成)による秋田〜青森間限定の代走経験もあるよ
その時は定期白鳥の大幅な遅れか秋田から秋田から南の区間で区間運休があった時ぐらいかな 連投でスマン
白鳥の車掌だが
485系国鉄〜JR前半
大阪〜新潟間(大阪車掌区)
新潟〜青森間(新潟車掌区)
晩年の白鳥は
大阪〜新潟間(新潟車掌区)
大阪〜青森間(秋田運輸区) 確か上下共に秋田交代だった様な… >>655
1985年3月14日のダイヤ改正で新設された福井〜青森間の「白鳥」1・4号の
白鳥1号に1982年12月29日乗ったけど全車盛アオでしたよ。
自分が乗ったのはクハ481-1508(1号車)でした。 学生時代は関西から大阪22:10(急行きたぐに)17:10青森ばかり利用してたけど
社会人になってからは白鳥ばかり乗るようになった。急行あおもりだと青森に
付いて青函連絡船まで2時間以上の間が空いてしまうけど、白鳥は20分接続で
青函11便に接続してて都合がよかった。
>>654
白鳥の全編成が金サワ車は過去になかったけど、末期の2001年くらいに季節増結した
増3号車と増4号車に金サワ車のモハ488とモハ489が入っていた事はあったよ。
>>658
定期白鳥時代も先頭車(TC481)に1500番台が入ってて、盛アオ車と新カヌ車がそうだった。
末期に増車した2両ってサワの489系だったんだ
知らなかったよ 白鳥は上沼垂のデラックス編成がよかった
3列シートのグリーン車C席で3回ほど大阪から青森まで乗り通したけど
敦賀〜富山・富山〜糸魚川・直江津〜新発田・余目〜酒田で駅弁の
車内販売が何回も乗って食事情では困らない特急だった >>658
TC481-1508は原色に戻されて新津鉄道資料館に保存されてるよ
クハ481形1500番台の中では一番転配歴が多くて、北は旭川・
南は鹿児島(転属の際に伴車として走った)まで走った485系。
1974.06.01札サウ→1980.09.28盛アオ→1987.07.01秋アキ→1992.07.01盛アオ→2000.07.02新カヌ 昔だけど青森駅から特急白鳥(4002M)に乗ると特急みちのくと
同時発車で途中まで並走するシーンが感動的だった。 みちのくとの並走は覚えてないけど、俺も弘前まで乗ったことある
高速を誇る白鳥でも通過駅の手前で速度を落とし、駅を通過したら機敏よくぐんぐんとスピードを上げていったのが忘れられない >>661
下りの白鳥に乗ると最後の駅弁販売が酒田弁当部のささにしき弁当だった
夕飯にとっておこうと思ってもご飯がまだ温かったので毎回食べて、
秋田〜青森でお腹が減って困った事があるw 末期の特急白鳥同士のすれ違いは筒石〜能生でいいのかな >>666
確か糸魚川付近だったと思う
(はっきりした事は言えないが姫川橋梁の青海寄りだった様な…)
ちなみに上りになるが日本海1号が大館駅(日本海発車と同時入線だった思う)
そして日本海3号は白鳥の方が新屋運転停止だった思う 特急白鳥といえば下り先頭がキノコ型クーラーを載せたボンネット型なのが懐かしい >>670
食堂車があった頃は青森〜大阪間通しで日食の青森営業所だった思うけど
廃止されて何年間かは日食の青森営業所が青森〜新潟で
新潟〜大阪が今のジェイアール西日本フードサービス(当時はJウエストランだった様な)の記憶がある
青森〜秋田間の車販が廃止されてからはNREの秋田営業所が秋田〜新潟
直江津のセンチュリーイカヤとホテルハイマートが日替わり担当で新潟〜直江津
そしてJR西日本区間は北陸トラベルサービスが担当していた記憶がある
ただ、新潟〜直江津間はNREの新潟営業所?と共存してた様な記憶もある
センチューリーイカヤとホテルハイマートがお弁当とお茶で
NREはそれ以外の物(ビールやお土産類)と神尾の弁当(新潟駅の駅弁業者)の販売してた様な記憶もある >>762
新潟〜直江津間は新鉄車販サービスだったようね? >>672
白鳥のNRE車販で神尾弁当部(現神尾商事)の特製さけずしを積んでいたのを見た事があるよ。
自分は敦賀の鯛の舞、加賀温泉の押し寿司日本海、糸魚川の海老釜めし食べて腹が一杯で
買わなかったけど・・・因みに神尾は新潟でも売ってるけど、新津駅の駅弁会社です。 昔(1985年ごろ)どうしても大阪から秋田に行きたくて、白鳥ではなく
雷鳥3号"新潟乗り継ぎ"いなほ7号で行った事がある
大阪7:35(雷鳥3号)14:57新潟15:27(いなほ7号)19:26秋田 だった >>675
今は北陸新幹線入るが大して変わらないいやそれどころか却って遅かったりする 丁度、青函トンネルが開業した夏での事だが
札幌から「はまなす」に乗った際に俺が座った隣の人も青森から「白鳥」に乗ると…
さらに何処まで帰るのかを聞くと鹿児島の喜入まで帰ると言う
「白鳥」では私は自由席でその人は指定席
「はまなす」車内で話が合い意気投合したのもあり、その人も大阪まで一緒に自由席に座ってくれ終点の大阪まで色んな話をしたな
そして、その人は大阪から「なは」で西鹿児島に帰った
その人とは、車内でお互い連絡先を交わし毎年年賀状が送られて来る仲に
1週間ほど前に喪中による年始の挨拶はご遠慮の案内
その亡くなった方と言うのが札幌から青森まで共に過ごした方だった…
数年前の年賀状に「病気により長い間入院していたと」言う事を言っていたのを思い出した
もうその人から年賀状が届か無いんだなと思ったら何だが寂しいと言うか切ない気持ちになった
あの時の色んな話をしたのが何だか走馬灯の様に頭を過ったよ
ご冥福をお祈りします 合掌 >>677
「一期一会」とはこういう事でしょうかね?
人はいずれと言えども…
切なくなる話ですな
その思い出を人生の宝にされて下さい ガキのころに西村京太郎のトラベルミステリーけっこう好きで読んでたが、スリリングで特に面白かった「特急白鳥14時間」の土曜ワイド当時見逃して、今日30年?かかってようやくスカパー朝日で見れた。
が、一緒に乗り合わせた婦警が車内で殺されてもそのまま運行継続!?とか、トラベルミステリードラマおなじみの車両が同じなら何でもいいだった
特に夜の映像で何とボンネット型!?新色の415系とすれ違ったからひたちなんか使ってて呆れた
青森駅に着いたシーンも何と上野だよ
鉄が見たらダメダメな作品だった
山村紅葉の20代の時がほっそり京美人なのも超驚いたがな 殺される婦警役は、同じ牟田検事シリーズで娘役を18年も演じた丸山秀美だよ
紅葉は今でも、土曜ワイド劇場西村京太郎シリーズの桜田門のレギュラー刑事役だろ
しかしどこでどう間違って、あんな典型的な肥満なにわおかんになったんやろか?? >>1と>>23はどっちも
自分が京阪神の人間で彼女が青森って
どこで知り合うわけ? >681
銃を持った男2人が女性客を人質に7号車に立てこもるシーンは、
撮影所の特急電車の車内を模したセットで撮影されたような感じだったな 同じ朝日の西部警察かよってシーンだったなww
あれだけのことがあってもきちんと終点青森まで到着してます(--;)
本来なら運行中止して、犯人をなだめてる間に亀さんが桜田門の虎の子SATを出動要請するとこだろw
ズブズブ素人二人組だから催涙ガスで一瞬に制圧されただろうがw 西部警察では「長野行特急列車」という回があって、タイトル名聞いたら、
長野行特急「あさま」の車内でなにか凶悪事件が発生するのかと思ってたけど、
ラストのシーンで上野駅と同駅を発車する189系特急あさまをリュウが
見送るシーンがあるだけだったな 俺にとって、向日町の485系は魔女っ子メグちゃんみたいな元気で綺麗なお姉さんみたいな雰囲気。
だが青森からやってる来る白鳥だけはノンみたいな威圧感や凄みを感じていた。
上野に行くとそんなツンツンしてる盛アオの485系が、仲間に囲まれてニコニコしているように見えて、
ああ彼女の本来の居場所はこっちなんだなーなんて勝手に妄想してた。
なお向日町担当で上野に来るはくたかは配置に関係なく、周りとワイワイ仲良くやてるように見えた。 西村京太郎トラベルミステリー
「日本海殺人ルート」では、JR東日本管内とJR西日本管内を走行する大阪行「白鳥」の
走行シーンや、「白鳥」が新潟駅に到着するシーン、湖西線内を走行中の「白鳥」の車内で
中島ゆたか演じる女性の死体が発見されて、京都駅で車内から死体が運び出されるシーンなどもあったけど、
これらのシーンはちゃんと新潟駅や京都駅、湖西線沿線などで撮影されていたな 昭和53年1月、当時小5の兄と小3の自分が四国から酒田の母の実家まで白鳥に乗って旅をしました。当方四国在住のため、当時の詳細について記憶があいまいです。
当時の頃をよくご存知の方々へご質問です。
大阪〜青森の白鳥でしたが、この頃は485系のボンネット型だったでしょうか。あいまいな記憶の中ではヘッドマークの白鳥のデザインも無かったように思うのです。
また、この復路乗車のとき豪雪に見舞われ、南条という駅で丸1日以上足止めを食いました。南条のホームから乗客のみんなで駅前の商店街まで雪のトンネルを掘り、同じ車両の大学生のお兄ちゃんたちと買出しへ出かけたことがとても楽しかった記憶があります。
この豪雪についてご存知のかたはいらっしゃいますか? >>692
その前年の正月は豪雪だったよ。
廃止直前の尾小屋鉄道を撮影に行って
雪で遭難するかと思ったくらい。
尾小屋も除雪が間に合わず運休した。 とうほぐの北のド田舎では地元NHKが廃止になる白鳥485の車両センターレポートしてたが、オリジン白鳥好きなあたなたちはやっぱり3000番台白鳥には違和感があるんでないの?
はっきり言ってこんなに短命で終わるなら、伝統ある白鳥を青函特急には使わないで欲しかったとか >>694
全くスレチなことを先に詫びるが、
そういうのを最強に感じるのは「つばめ」だわ。
よくもまあこんなに穢し尽くして
地に落としてくれたもんだと思うわ。 >>692
485系200番代(貫通型)か300番代(非貫通型)と思われ
ヘッドマークも文字だけ
絵入りになるのは同年秋から >>697
おお怖っ!基地外鉄ヲタてこれだから困るわw >>693
昔は豪雪が当たり前のように感じていたのはあながち誤りでもないのですね。
>>698
ありがとうございます。
白鳥の末期にボンネット型が頻繁に使われたとの記述に、自分が乗車した頃のは違う車両だったか?と記憶が思い出せなかっただけにスッキリしました。
と、いうことは結局ボンネット型の白鳥に乗ることはなかったのだと、少し寂しい気がします。 >>701
たしか、一晩座席で「くの字」になって寝た記憶では、リクライニングは無かったような記憶があります。当時の身長では130cm位しかなかったですから、
くの字になって寝る分には比較的楽でしたが、大学生のお兄ちゃん・お姉ちゃん達はよほど窮屈だったらしく、一晩中起きてトランプかなんかしていたようです。
余計なことですが、南条駅前の商店街で買った炭酸水が一本20円で安く、大学生たちに自慢して窓際の棚受け下にあった栓抜きで勢いよく「シュポッ」と開けたのは良かったのですが、
何の味も無いただの炭酸水で、思い切り周りのみんなに笑われた事が今となっては懐かしい限りです。 でも、新潟あたりで進行方向が変わるタイミングで回転シートの変更があった、という記述があることから言えば、少なからずリクライニングはあったのかと、今となっては検証の術がありません。。。 まあともかく1972年の日本海縦貫線全線電化で485系化された時は
青森に100番代の配置があったんですが1973年1月までに向日町へ転出してるんで
当時200番代か300番代しかなかったんですよ
白鳥のボンネットは1985年の向日町移管以降です 初めて白鳥に乗った時は自由席だったけど簡易リクライニングシートじゃない、
ロマンスシートとか当時呼ばれていたシートでしたが新潟では回転させてました。
新潟駅では殆ど降りてしまったのでA席にすわっていた自分は新潟以北も日本海が
見たくて空いてるC・D席を回転させて、新潟からのお客が乗って来る前に引越しを
しましたが車両はキノコ型のクーラー室外機を屋根の上に載せていた。 昭和終わりごろに青森からボンネット型に乗りましたが、非リクシートでしたね。
ミニテーブルがあったことだけは良かったと思います。
ちなみに警笛が「プーン」でも「ビュオン」でもなく、「ポーッ」なのを初めて知りました。 458系1500番台を初めて見た衝撃は忘れない。
たぶん既出だろうけど幕に「白鳥」の文字はなく、
幕部分のガラスにステッカー貼りだった。
真新しい1500番台はその頃は輝いて見えたのだがな。 大事なとこ間違えた。
×=458系1500番台
○=485系1500番台 クハ481-1500番台は盛アオ時代と新カヌ時代に編成に入ってた 去年T18の周遊号みたいなの走らせてたよね?
まだ臨時とかには使われてるのかな?ウチらの
地域じゃまったく目にする機会がないわ。 第3セクターになった区間もあるから485系でのリバイバル白鳥も無理かな ありがとう青函特急
//headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160307-00010001-doshin-soci.view-000 JR車で、50Hzと60Hz両方対応してるのはあるのかな >>699
ハゲジジイ死ねと言いたいところだが、別にハゲジジイとは限らないのかもなw
平成元年生まれでも記憶あるらしいし。 新カヌ編成の3列グリーンのC席(一人用窓際)で白鳥に乗った 初めて見たのは、上淀川鉄橋で82系だった。
その当時、大阪で見れた82系は、なは・日向、まつかぜ、かもめ、やくもだったかな。 昨日BSフジで昔の白鳥の歴史みたいなのチラッとやってた。 コミックマニアと鉄マニアの兼業者としては
「白鳥」というと「麗子」なんだな
スマン。 >>726
まんが家の鈴木由美子さんを思い出すか、
それとも宮沢りえを思い出すか、それが問題だ。 >>726
なるほどw
俺はクラオタとの兼業なので、白鳥といえばサン=サーンスだ 14時間の乗車自体は楽しかったが、上りであったことと
食堂車がなかったのは残念だった。
できればキハ82上野編成併結のころに乗っておくべきだった。 子供のころ
国鉄時代に大阪〜青森間を上り、下りの2度乗った
1回目は1978年に北海道から青函連絡船を経て大阪に向かう帰路に乗車
2回目は1994年に乗車、夜更けの青森で乗り換え、青函トンネルを経て札幌へ向かった
どちらも始発〜終着を同じ車両に乗り合わせた他の客はいなかったように思う
すでにその頃はそういう性格の列車ではなかったのかもしれない
私自身も片道は飛行機を利用していた >>730
1994年はもうJRだし
1978年に
>同じ車両に乗り合わせた他の客はいなかったように思う
と認識できる年齢なら1994年にはもう大人になってる筈 乗客・見送り人・駅弁売りでごった返す低床のホームに反響する
14両のアイドリング音、スピーカーががなり立てる案内放送、
響き渡る発車ベル、発車直前の緊張感あふれる白鳥にしびれた。 78年頃、何度か大阪から白鳥時々日本海〜青函航路で渡道したけど
結構な人が一緒に津軽海峡渡ったけどなあ…? 78年頃どころか83年頃もだったけどね
今はズタズタにされてしまって悲惨だし青森〜秋田間に至っては白鳥の時間帯は701系快速電車にされ最早見る影もない >>730
78年に片道とは言え飛行機使えたなんて恵まれてたんだな。
ええとこのおぼっちゃま、裏山だわ。
そんな頃なら、夏休みや冬休み明けに飛行機乗ったぞ!
って自慢できただろうな。 >>730
75年に沖縄海洋博へ行った事を自慢した(勿論沖縄は飛行機でないと行けないが)
75年に既に同級生はいたけれどもなあw
ただ北海道となると若干話は別であり、それこそテレビドラマ赤い疑惑でこそ、宇津井健山口百恵北海道行きまくったが現実にはなかなかそういう人いなかった
赤いシリーズ赤い疑惑宇津井健山口百恵北海道行きまくり札幌行きまくりを見て(長門裕之岸恵子も行きまくっていたが)格差社会というものを知った記憶がある 78年で乗り通した客がいなかったとか見え見え
赤いシリーズ見て勘違いした知ったかが書き込んだんだろw 78年の航空運賃
大阪(伊丹)→札幌(旧千歳):¥28600
同年国鉄運賃その他交通費
*大阪→札幌
普通運賃:¥9900
特急料金:¥4500/計:¥13950
ちなみに寝台を利用しても
A寝:¥8000/計:¥21950
B寝(2段):¥4500/計:¥18090
飛行機に乗れたのは、一部の富裕層だけだと納得できる >>737
BS-TBSで赤い疑惑再放送してたからな
78年どころか赤い疑惑リアルタイム放送75年だとそれこそ国鉄運賃値上げ前子供10円大人も30円で最低運賃乗れたから13倍くらい今の感覚より安く思えたはず(もちろん北海道とか遠距離場合でない) ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーンロンロンローーン
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だとしたら「swan」あるいは「White bird」はたまた「hakuchou」?? 例えば大阪〜札幌でも東京〜札幌でも、JALやANAの航空(正規)運賃と
国鉄〜JRの特急の普通車利用の運賃料金を比べると、時代にかかわらず航空運賃のほうが高いからね。
ただし、対北海道の場合だと、昭和51年からの相次ぐ運賃料金値上げと、
東京発でも大阪発でも鉄道利用の場合は所要時間差が絶望的だったこともあり、
1980年頃だと鉄道利用の割合は10%もなかったと言われている。
スカイマークの登場までは国内航空会社各社ともにたいしたダンピングはしていなかったが、
当時はスカイメイトが5割引だったので、これを使うと鉄道利用とあまりかわらなかった。 ただし、逆にいえば、それでも鉄道利用が10%はあったってことで、
大阪発の場合は「白鳥」だけで3%程度は占めただろうから、
人数にすればある程度のまとまった人数の通し利用はあったと思われる。 >>741
681系で運転される姿まで想像した。
特急 ホワイトバード >>741
HAKUCHOでOの上に長音記号の横棒一本 子供の頃、W信越白鳥Wに当たる「はくたか」を利用したけれど、まだ北陸本線の全線電化完了前だったから、直江津から金沢方面は郷津駅を含む旧線の時代で、日本海がすぐ真横に迫っていて驚いた。
上野から金沢まで8時間ぐらいかかる時代だったけれど、途中の駅ごとに個性があって、特に地方私鉄のバリエーション豊かな彩り…全く退屈しなかった。
今では隔世の感があるね。 宮脇俊三氏の初期の本に東京〜札幌の客は飛行機95対鉄道5と書いてなかったか
大阪〜札幌だともっと差が開くだろうし、フェリーや夜行列車や東京回りの選択もあり、青森や函館の客が白鳥に乗っていたとしても乗り遠し客はごく一部の人だけの様な気がするが 夏なら白鳥・日本海よりもきたぐにのほうが
直通客が多かった。(ただしカニ族)
青森で飯食ったり、接続特急より早めに
連絡船待合に入り込み。 「きたぐに」の座席で19時間というのは口で言うほど簡単なものではないぞ
あれの乗り通しを毎夏に繰り返す奴がそんなにいるとは思えないが 別に苦痛はなかったが?
そもそも10時間以上の夜行座席車なんて
津軽や八甲田他珍しくもなかった。
乗車時間だけでなくオンシーズンは大阪駅で
数時間前から並んだもんだ。
寝台車や特急乗るくらいなら旅程を伸ばす方に金使うよ。 青春18きっぷがなかった時代はそれはそれで大変だったんだなあ。 18きっぷはなかったが周遊券あったから18きっぷがあったなかったとは関係なくそういう時代そういうものよとしかなw
18きっぷ周遊券両方があった時代でかつ1982昭和57年即ちきたぐにで青森行けかつ北陸本線では快速電車頻発していて18きっぷの旅も今では考えられない位にハイレベル快適極まりないものであったまさにそういう時代に両方使っていると18きっぷ周遊券両方使うと嫌でも感じた >>752
青春18のびのび切符だな
当時は5月の連休まで使えた
当初は間違った扱いが度々あり、日豊本線の急行に急行券のみで乗車券の追加購入なしで乗せてもらったことがある スレチだけど、青春18きっぷって、18歳未満しか利用できないと思っていた私はアンポンタンでしたどうもごめんなさい。