【大阪】特急白鳥の思い出【青森】
2001年3月に廃止された大阪ー青森間の特急白鳥の思い出について語るスレです。
(現行スーパー白鳥、特急白鳥は除く)
嫁とは特急白鳥の車内で知り合った 皆さんは何回くらい全区間乗り通したコトありますか?
私は下り上り2回ずつですね。いずれも普通車自由席で。そのうち下りの1回はJR10周年謝恩フリーで乗りました。
東の485の時は自由席の椅子がショボくて大変でした(苦笑)
手元にある大阪→青森・青森→大阪の自由席特急券も今となっては貴重品ですな。 >>625
何故そういう嘘を平気でつくのだ?
http://6.fan-site.net/~haasan55/images/HakuchoJNR/Shokudoas.jpg
http://6.fan-site.net/~haasan55/Hakucho.htm そうか新発田以北じゃいきなりそれまでと編成逆になったんだな >>631
そういう話じゃなくてさ
1965年9月30日以前と10月1日以降では、新発田以北で編成が逆向きになったってこと >>632
かつては新潟を通らなかったのか。
調べてみると当時は新津の次は鶴岡まで停まらなかったようで、長距離特急の風格がありそう。
末期の雷鳥なんてローカル特急並みの停車駅で延々と走ってるだけだったのに。 新発田ー中条ー坂町ー村上ーあつみ温泉
1972年昭和47年10月2日の電化の直後は新潟から村上までノンストップだった。
新発田、中条、坂町などの途中は新潟で
70系電車普通電車に乗り換えだったが、
1日2往復しか電車がなかった時なので、
70系普通電車村上行き味わいがありもう
1本の70系電車で村上へ行き村上から、
EF81牽引旧型客車も結構味わいあった。 以前、能生出身という人に会ったときは、なんか感動した。
おばちゃんだったので、鉄話はしなかったが。 柏崎は本来就役時から停車してもおかしくなかったんだけどね 新設時 直江津、長岡、新津
新潟経由に変更
東三条停車駅に追加
新津通過に
村上停車に
新発田停車に
そして柏崎と坂町停車に
これで何で「柏崎は本来就役時から停車してもおかしくなかった」と言えるんだ? 昔の特急は今の大都市ー地方空港路線相当の役割だったから、
停車駅は基本的に、県庁所在地とそれに準じる都市、全国的に著名な観光地、
に限られてたよね。新潟県なら上中下越で各1駅が当時の常識的な線かと。 大阪〜新潟はA特急料金
新潟〜青森はB特急料金
だったっけ? 今日は日本海縦貫線の白鳥が最終運転した日だ
もう14年も経つのか あの日は関東から夜光バスで大阪に馳せ参じた。
ああ、懐かしいねぇ 新潟を境に車掌のアクセント等が変わるのが印象的だった。
「お待ちどうさまでした。あと、5分で秋田に到着をいたします」
というような少し東北訛りの入った車内放送を聞くと、「ああ、遠くまで来たなあ」と
感じたものだ。 運行最終日の白鳥から降りてきた鉄ヲタから
特急券を根こそぎ強制回収した青森駅
という噂を聞いたんだけどこれって事実? 学生時代、部活の遠征で年に2回は
関西から北海道に行ってたんだけど
安いから周遊券を使うので通常は急行「きたぐに」を使ってた。
でも前日夜に大阪を出る「きたぐに」と
朝に出発する「白鳥」が青森に着く時間が
たいして変わらない事に気が付いて
一度「白鳥」に乗ってみた。
特急券を買わずに乗ったのに、青森まで結局検札が一度もなくて
きたぐにと同じ料金で北海道まで行けた思い出があるw
しかし学生時代とはいえ「きたぐに」で
大阪から札幌まで2泊かけて行ってたんだよな。
今では信じられない >>648
一度あることは二度?白鳥がまた来年無くなりますな 白鳥の自由席の検札は青森行きが新大阪〜京都間、大阪行きが敦賀発車後だった。
それ以外は一切なかった。帰省のため何度となく乗ったが、変化はなかった。
京都から乗れば特急券なしで青森まで行けたことになる。ただし、着席できる保証はないが・・ 485系白鳥(大阪〜青森)は大ムコ、盛アオ、金サワ、新カヌ、京キトの
車両を使ったと記憶にあるけど他にあったっけ? >>654
定期白鳥で金サワの車両が使われた事は一度も無い
JR化後に2年間ほど帰省シーズンに臨時の白鳥が走ったけど
その時は金サワの7両だったね
当時の福井白鳥の流れだったんだろうけど2年ほどで消えた事を考えると利用する人は皆無だったんだろうな
ちなみにJR化後に秋アキの485系(たざわ編成やかもしか編成)による秋田〜青森間限定の代走経験もあるよ
その時は定期白鳥の大幅な遅れか秋田から秋田から南の区間で区間運休があった時ぐらいかな 連投でスマン
白鳥の車掌だが
485系国鉄〜JR前半
大阪〜新潟間(大阪車掌区)
新潟〜青森間(新潟車掌区)
晩年の白鳥は
大阪〜新潟間(新潟車掌区)
大阪〜青森間(秋田運輸区) 確か上下共に秋田交代だった様な… >>655
1985年3月14日のダイヤ改正で新設された福井〜青森間の「白鳥」1・4号の
白鳥1号に1982年12月29日乗ったけど全車盛アオでしたよ。
自分が乗ったのはクハ481-1508(1号車)でした。 学生時代は関西から大阪22:10(急行きたぐに)17:10青森ばかり利用してたけど
社会人になってからは白鳥ばかり乗るようになった。急行あおもりだと青森に
付いて青函連絡船まで2時間以上の間が空いてしまうけど、白鳥は20分接続で
青函11便に接続してて都合がよかった。
>>654
白鳥の全編成が金サワ車は過去になかったけど、末期の2001年くらいに季節増結した
増3号車と増4号車に金サワ車のモハ488とモハ489が入っていた事はあったよ。
>>658
定期白鳥時代も先頭車(TC481)に1500番台が入ってて、盛アオ車と新カヌ車がそうだった。
末期に増車した2両ってサワの489系だったんだ
知らなかったよ 白鳥は上沼垂のデラックス編成がよかった
3列シートのグリーン車C席で3回ほど大阪から青森まで乗り通したけど
敦賀〜富山・富山〜糸魚川・直江津〜新発田・余目〜酒田で駅弁の
車内販売が何回も乗って食事情では困らない特急だった >>658
TC481-1508は原色に戻されて新津鉄道資料館に保存されてるよ
クハ481形1500番台の中では一番転配歴が多くて、北は旭川・
南は鹿児島(転属の際に伴車として走った)まで走った485系。
1974.06.01札サウ→1980.09.28盛アオ→1987.07.01秋アキ→1992.07.01盛アオ→2000.07.02新カヌ 昔だけど青森駅から特急白鳥(4002M)に乗ると特急みちのくと
同時発車で途中まで並走するシーンが感動的だった。 みちのくとの並走は覚えてないけど、俺も弘前まで乗ったことある
高速を誇る白鳥でも通過駅の手前で速度を落とし、駅を通過したら機敏よくぐんぐんとスピードを上げていったのが忘れられない >>661
下りの白鳥に乗ると最後の駅弁販売が酒田弁当部のささにしき弁当だった
夕飯にとっておこうと思ってもご飯がまだ温かったので毎回食べて、
秋田〜青森でお腹が減って困った事があるw 末期の特急白鳥同士のすれ違いは筒石〜能生でいいのかな >>666
確か糸魚川付近だったと思う
(はっきりした事は言えないが姫川橋梁の青海寄りだった様な…)
ちなみに上りになるが日本海1号が大館駅(日本海発車と同時入線だった思う)
そして日本海3号は白鳥の方が新屋運転停止だった思う 特急白鳥といえば下り先頭がキノコ型クーラーを載せたボンネット型なのが懐かしい >>670
食堂車があった頃は青森〜大阪間通しで日食の青森営業所だった思うけど
廃止されて何年間かは日食の青森営業所が青森〜新潟で
新潟〜大阪が今のジェイアール西日本フードサービス(当時はJウエストランだった様な)の記憶がある
青森〜秋田間の車販が廃止されてからはNREの秋田営業所が秋田〜新潟
直江津のセンチュリーイカヤとホテルハイマートが日替わり担当で新潟〜直江津
そしてJR西日本区間は北陸トラベルサービスが担当していた記憶がある
ただ、新潟〜直江津間はNREの新潟営業所?と共存してた様な記憶もある
センチューリーイカヤとホテルハイマートがお弁当とお茶で
NREはそれ以外の物(ビールやお土産類)と神尾の弁当(新潟駅の駅弁業者)の販売してた様な記憶もある >>762
新潟〜直江津間は新鉄車販サービスだったようね? >>672
白鳥のNRE車販で神尾弁当部(現神尾商事)の特製さけずしを積んでいたのを見た事があるよ。
自分は敦賀の鯛の舞、加賀温泉の押し寿司日本海、糸魚川の海老釜めし食べて腹が一杯で
買わなかったけど・・・因みに神尾は新潟でも売ってるけど、新津駅の駅弁会社です。 昔(1985年ごろ)どうしても大阪から秋田に行きたくて、白鳥ではなく
雷鳥3号"新潟乗り継ぎ"いなほ7号で行った事がある
大阪7:35(雷鳥3号)14:57新潟15:27(いなほ7号)19:26秋田 だった >>675
今は北陸新幹線入るが大して変わらないいやそれどころか却って遅かったりする 丁度、青函トンネルが開業した夏での事だが
札幌から「はまなす」に乗った際に俺が座った隣の人も青森から「白鳥」に乗ると…
さらに何処まで帰るのかを聞くと鹿児島の喜入まで帰ると言う
「白鳥」では私は自由席でその人は指定席
「はまなす」車内で話が合い意気投合したのもあり、その人も大阪まで一緒に自由席に座ってくれ終点の大阪まで色んな話をしたな
そして、その人は大阪から「なは」で西鹿児島に帰った
その人とは、車内でお互い連絡先を交わし毎年年賀状が送られて来る仲に
1週間ほど前に喪中による年始の挨拶はご遠慮の案内
その亡くなった方と言うのが札幌から青森まで共に過ごした方だった…
数年前の年賀状に「病気により長い間入院していたと」言う事を言っていたのを思い出した
もうその人から年賀状が届か無いんだなと思ったら何だが寂しいと言うか切ない気持ちになった
あの時の色んな話をしたのが何だか走馬灯の様に頭を過ったよ
ご冥福をお祈りします 合掌 >>677
「一期一会」とはこういう事でしょうかね?
人はいずれと言えども…
切なくなる話ですな
その思い出を人生の宝にされて下さい ガキのころに西村京太郎のトラベルミステリーけっこう好きで読んでたが、スリリングで特に面白かった「特急白鳥14時間」の土曜ワイド当時見逃して、今日30年?かかってようやくスカパー朝日で見れた。
が、一緒に乗り合わせた婦警が車内で殺されてもそのまま運行継続!?とか、トラベルミステリードラマおなじみの車両が同じなら何でもいいだった
特に夜の映像で何とボンネット型!?新色の415系とすれ違ったからひたちなんか使ってて呆れた
青森駅に着いたシーンも何と上野だよ
鉄が見たらダメダメな作品だった
山村紅葉の20代の時がほっそり京美人なのも超驚いたがな 殺される婦警役は、同じ牟田検事シリーズで娘役を18年も演じた丸山秀美だよ
紅葉は今でも、土曜ワイド劇場西村京太郎シリーズの桜田門のレギュラー刑事役だろ
しかしどこでどう間違って、あんな典型的な肥満なにわおかんになったんやろか?? >>1と>>23はどっちも
自分が京阪神の人間で彼女が青森って
どこで知り合うわけ? >681
銃を持った男2人が女性客を人質に7号車に立てこもるシーンは、
撮影所の特急電車の車内を模したセットで撮影されたような感じだったな 同じ朝日の西部警察かよってシーンだったなww
あれだけのことがあってもきちんと終点青森まで到着してます(--;)
本来なら運行中止して、犯人をなだめてる間に亀さんが桜田門の虎の子SATを出動要請するとこだろw
ズブズブ素人二人組だから催涙ガスで一瞬に制圧されただろうがw 西部警察では「長野行特急列車」という回があって、タイトル名聞いたら、
長野行特急「あさま」の車内でなにか凶悪事件が発生するのかと思ってたけど、
ラストのシーンで上野駅と同駅を発車する189系特急あさまをリュウが
見送るシーンがあるだけだったな 俺にとって、向日町の485系は魔女っ子メグちゃんみたいな元気で綺麗なお姉さんみたいな雰囲気。
だが青森からやってる来る白鳥だけはノンみたいな威圧感や凄みを感じていた。
上野に行くとそんなツンツンしてる盛アオの485系が、仲間に囲まれてニコニコしているように見えて、
ああ彼女の本来の居場所はこっちなんだなーなんて勝手に妄想してた。
なお向日町担当で上野に来るはくたかは配置に関係なく、周りとワイワイ仲良くやてるように見えた。 西村京太郎トラベルミステリー
「日本海殺人ルート」では、JR東日本管内とJR西日本管内を走行する大阪行「白鳥」の
走行シーンや、「白鳥」が新潟駅に到着するシーン、湖西線内を走行中の「白鳥」の車内で
中島ゆたか演じる女性の死体が発見されて、京都駅で車内から死体が運び出されるシーンなどもあったけど、
これらのシーンはちゃんと新潟駅や京都駅、湖西線沿線などで撮影されていたな 昭和53年1月、当時小5の兄と小3の自分が四国から酒田の母の実家まで白鳥に乗って旅をしました。当方四国在住のため、当時の詳細について記憶があいまいです。
当時の頃をよくご存知の方々へご質問です。
大阪〜青森の白鳥でしたが、この頃は485系のボンネット型だったでしょうか。あいまいな記憶の中ではヘッドマークの白鳥のデザインも無かったように思うのです。
また、この復路乗車のとき豪雪に見舞われ、南条という駅で丸1日以上足止めを食いました。南条のホームから乗客のみんなで駅前の商店街まで雪のトンネルを掘り、同じ車両の大学生のお兄ちゃんたちと買出しへ出かけたことがとても楽しかった記憶があります。
この豪雪についてご存知のかたはいらっしゃいますか? >>692
その前年の正月は豪雪だったよ。
廃止直前の尾小屋鉄道を撮影に行って
雪で遭難するかと思ったくらい。
尾小屋も除雪が間に合わず運休した。 とうほぐの北のド田舎では地元NHKが廃止になる白鳥485の車両センターレポートしてたが、オリジン白鳥好きなあたなたちはやっぱり3000番台白鳥には違和感があるんでないの?
はっきり言ってこんなに短命で終わるなら、伝統ある白鳥を青函特急には使わないで欲しかったとか >>694
全くスレチなことを先に詫びるが、
そういうのを最強に感じるのは「つばめ」だわ。
よくもまあこんなに穢し尽くして
地に落としてくれたもんだと思うわ。 >>692
485系200番代(貫通型)か300番代(非貫通型)と思われ
ヘッドマークも文字だけ
絵入りになるのは同年秋から >>697
おお怖っ!基地外鉄ヲタてこれだから困るわw >>693
昔は豪雪が当たり前のように感じていたのはあながち誤りでもないのですね。
>>698
ありがとうございます。
白鳥の末期にボンネット型が頻繁に使われたとの記述に、自分が乗車した頃のは違う車両だったか?と記憶が思い出せなかっただけにスッキリしました。
と、いうことは結局ボンネット型の白鳥に乗ることはなかったのだと、少し寂しい気がします。 >>701
たしか、一晩座席で「くの字」になって寝た記憶では、リクライニングは無かったような記憶があります。当時の身長では130cm位しかなかったですから、
くの字になって寝る分には比較的楽でしたが、大学生のお兄ちゃん・お姉ちゃん達はよほど窮屈だったらしく、一晩中起きてトランプかなんかしていたようです。
余計なことですが、南条駅前の商店街で買った炭酸水が一本20円で安く、大学生たちに自慢して窓際の棚受け下にあった栓抜きで勢いよく「シュポッ」と開けたのは良かったのですが、
何の味も無いただの炭酸水で、思い切り周りのみんなに笑われた事が今となっては懐かしい限りです。 でも、新潟あたりで進行方向が変わるタイミングで回転シートの変更があった、という記述があることから言えば、少なからずリクライニングはあったのかと、今となっては検証の術がありません。。。 まあともかく1972年の日本海縦貫線全線電化で485系化された時は
青森に100番代の配置があったんですが1973年1月までに向日町へ転出してるんで
当時200番代か300番代しかなかったんですよ
白鳥のボンネットは1985年の向日町移管以降です 初めて白鳥に乗った時は自由席だったけど簡易リクライニングシートじゃない、
ロマンスシートとか当時呼ばれていたシートでしたが新潟では回転させてました。
新潟駅では殆ど降りてしまったのでA席にすわっていた自分は新潟以北も日本海が
見たくて空いてるC・D席を回転させて、新潟からのお客が乗って来る前に引越しを
しましたが車両はキノコ型のクーラー室外機を屋根の上に載せていた。 昭和終わりごろに青森からボンネット型に乗りましたが、非リクシートでしたね。
ミニテーブルがあったことだけは良かったと思います。
ちなみに警笛が「プーン」でも「ビュオン」でもなく、「ポーッ」なのを初めて知りました。 458系1500番台を初めて見た衝撃は忘れない。
たぶん既出だろうけど幕に「白鳥」の文字はなく、
幕部分のガラスにステッカー貼りだった。
真新しい1500番台はその頃は輝いて見えたのだがな。 大事なとこ間違えた。
×=458系1500番台
○=485系1500番台 クハ481-1500番台は盛アオ時代と新カヌ時代に編成に入ってた 去年T18の周遊号みたいなの走らせてたよね?
まだ臨時とかには使われてるのかな?ウチらの
地域じゃまったく目にする機会がないわ。 第3セクターになった区間もあるから485系でのリバイバル白鳥も無理かな ありがとう青函特急
//headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160307-00010001-doshin-soci.view-000 JR車で、50Hzと60Hz両方対応してるのはあるのかな >>699
ハゲジジイ死ねと言いたいところだが、別にハゲジジイとは限らないのかもなw
平成元年生まれでも記憶あるらしいし。 新カヌ編成の3列グリーンのC席(一人用窓際)で白鳥に乗った 初めて見たのは、上淀川鉄橋で82系だった。
その当時、大阪で見れた82系は、なは・日向、まつかぜ、かもめ、やくもだったかな。 昨日BSフジで昔の白鳥の歴史みたいなのチラッとやってた。