【大阪】特急白鳥の思い出【青森】
2001年3月に廃止された大阪ー青森間の特急白鳥の思い出について語るスレです。
(現行スーパー白鳥、特急白鳥は除く)
嫁とは特急白鳥の車内で知り合った 白鳥はよく乗ったよ。羽越線沿線に住んでるから、乗車目的も新幹線接続だったり、関西に出掛けるためだったり。
高校の修学旅行が京都方面で、最終日は白鳥に乗って地元に帰るだけの日程だったよ。 福井白鳥が何故福井発着になったのか未だに謎。
「しらゆき」時代と同じく金沢発着で問題なかったように思われるけど。 >>266
まあ急行時代よりスピードアップして福井まで有効時間帯に入ったからとかそんな理由じゃねえか? 新潟で撮影してたら、運転士が何回か手を振ってくれました。それも笑顔で。今となってはいい思い出です。 >>150
今頃何ですが
12/22にカレチ一巻発売 57-11の時点での価値観では福井青森間の長距離列車が6M3Tの9連なのは奇異に感じたな。 某氏と出かけていたら近鉄四日市で名古屋豪雨に遭遇。東海道ルートが全滅したから
近鉄で京都まで行って長岡経由で帰ることに。幸い下り『白
鳥』最後の普通車指定席を押さえられた。むろん車内は激混み。
確か福井のあたりで30km規制など、途中で何度か徐行運転があったので長岡着は……
確か1時間ばかり遅れたと記憶する。これが『白鳥』唯一の乗車であった。 廃止直前までボンネット型485系白鳥が青森県内を走っていた 早朝の青森駅前の市場で焼き魚、山菜等の素朴な惣菜を買い込み駅へ。
ホームの売店では週間新潮、新聞、ポテトチップス、缶りんごジュース
そしてビールを買い込んで車内へ。グリーン車(一人がけ)に落ち着き
出発と同時にビールをゴクリゴクリ。朝ビールの旨い事・・。ゆっくり
朝食。市場なのにいつも高く、2千円くらい。
日本海を右手に南下。途中車内でビール補充。午前中からほろ酔いです。
新潟では缶入り水割りを購入。南下と共にデッキの温度上昇。特に夏が
凄かった。昼食は新潟駅の幕ノ内。いつも焼き鮭と米が非常に旨かった
福井を過ぎるとコーヒーで酔い覚まし。大阪で下車してタクシー乗り場へ。
札幌ー大阪に年3回移動時の様子でした。グリーン車は最後4列シートになり
貧弱なシートで寂しかったです
白鳥号よ、ありがとう 北陸トンネル開通記念の切手
この切手には、トンネル内を走るキハ80系の「白鳥」が描かれているが、
先頭車側面の乗務員室扉が描かれていないとか、描かれている送電線の本数が
実際より多すぎるなど、エラー切手としても有名。
>>276
それ知らない奴がこのスレにいるだろうか? >>274
走っていたというか、廃止直前にはわざとボンネット編成を固定で白鳥にまわしていた。 さすがにグリーンでも、大阪〜青森を乗り通すとケツがいくつにも割れそうになったぜ 末期にRJに載った青森〜大阪の乗車レポは凄かった。
大雪に阻まれて秋田県内で打ち切りになったやつ。
悪化する一方の状況が克明に記録されていて、感動した。
あの日って新潟や富山あたりから代走があったのでしょうか? >>280
99年2月号のなら、take2の方に出てたよ。
富山から681で代走があったそうな。 >>280
338だね
羽後本荘で打ち切りになって
散々苦労の挙句秋田に引き返してお座敷気動車で急速仮眠って奴だよね
>>281の言うとおり一週間後のやり直しルポで言及してるね
>あとで聞いた話だが,先週の雪で下り<白鳥>は直江津でストップし,運転打ち切りとなって富山に引き返している.
>また,上り<白鳥>が立ち往生してしまったため,JR西日本は富山から681系8両編成による上り<白鳥>を臨時に仕立て,大阪方面への乗客を定刻通り運んだという.
>一方,やはり羽越本線で止まった下り<日本海3号>は運転が続けられ,翌日,28時間遅れ(1日以上の遅れ!)で青森に着いたらしい.
とある >>278
JR酉に移管してからは
京都のボンネットヘセが雷鳥と共通で運用してたね
束時代の1500番台とかが逆に古いとはね
秋田県大曲の母の実家に、中1の夏休み一人で遊びに行った。
台風が来ていたのだが「ちょっと行ってくる」と秋田駅まで出掛けた。
生まれてはじめて見る「日本海」と「白鳥」に大興奮していた俺。
そのとき、台風の中一人行き先も言わずに出掛けた俺の安否を叔父や叔母が心配していた。 今日のような恐ろしい吹雪の日に、札幌から大阪へ帰省することになった。
本州内は当然、特急白鳥の自由席。道内は特急北海の自由席。
北海はなんなく夜の函館に到着。しかし、函館到着前の車内放送で翌朝の奥羽、
羽越線がマヒ状態で白鳥は運転取り止めとの放送。今後の切符の取り扱いにつ
いて車掌に聞くと「函館で聞いてくれ」とそっけない返事。
函館の駅員に尋ねると「東北線、東海道線経由で輸送します。新幹線を利用し
てください。白鳥の特急券で新幹線、在来線の特急に乗車できます」というも
のだった。少々不安を感じながらも連絡船で一眠り。
結局、青森から、はつかり、東北新幹線、新幹線リレー、山手線、東海道新幹
線、東海道線を乗り継ぐハメになってしまった。それぞれの列車の検札、改札
でうっとうしい説明をするのかなあ、と考えていたが、特に何のとがめもなく
スルー。情報の伝達ができていたのだろう。
それでも大阪到着は午後3時となり、白鳥を利用するより3時間ほど早く着い
た。新幹線の偉大さを認識させられた日となった。当時は昭和58年、国鉄時
代だからこそ出来得た業だろうか。今でも日本海が運休したらJRの協定でや
ってもらえるのだろうか。
20年前、連絡船の深夜便で青森着くと上野へは、はつかり→やまびこよりも
白鳥(長岡)あさひ、のほうが少し安かった。
新幹線上野開業までは はつかり→やまびこ(仙台)まつしま のほうが安かったんで暫定王者。
大宮開業までは くりこま→まつしま若しくは、しらゆき→佐渡。 上越新幹線開業のおかげで、長岡〜金沢間の自由席は地獄となった。車内販売
も来ない、便所にも行けない・・。金沢、富山は通過してくれと本気で思ったね。 >>290
実質的にはあの時点で列車が分断されていましたね。
そして、その後「かがやき」が走り出したことによって「白鳥」はこの区間で完全に脇役になってしまったでござる。 >>291
時刻表上では脇役に見えていたんだけど、実際には混雑はあまり解消しなかった。
白鳥の前後に「北越」や「かがやき」が走ってたんだけどね。時間帯が悪かったのかも・・
北越急行に「はくたか」が走るまではたぶんダメだったんじゃないかな。
>>292
行けないことはない。しかし、大ひんしゅくの視線を一身に浴び、大勢の人間に
大迷惑をかけることを厭わないのであれば・・・
>>293
脇役と言うのは、混雑とかではなしに列車としての格の意味でですね。
それぞれの区間で最上級列車としての地位を維持していたのに、「かがやき」や大阪口での「スーパー雷鳥」と相次いでより上位に位置づけさせる列車がデビューしたのはショックでした。 高校野球団臨が東北地方から関西に乗り入れてくる。リバイバルも簡単に出来そうな気が
するのだが・・。途中駅扱いが大変なんだろうか? 青森、大阪間を停車はするが客扱い
はしないという方法で復活運転出来ないものだろうか。もう一度乗りたいなあ・・ 食堂車が2両もあったんだからね
青森駅4:50発ははつかりと併走だもんな やっぱり全席指定じゃないと食堂車繋いでもなぁ・・・ >>296
あの時分にねぼけまなこで連絡線を降りて、はつかりと間違えて白鳥に
乗ったことがある。
同じ時間にみちのくや名前は覚えていないが東北線の急行も停まっていて、
朝5時前の青森駅は賑やかだった。 >>299
57-11ダイヤで号数がついていた時の作品でしたよね。 当時、青森駅の東北線発車ホームと奥羽・羽越線発車ホームには、にぎやかさ
に圧倒的な差があった。青森出発まで白鳥の窓から人でごった返す隣のホーム
を見ていた。東北線ホームは、はつかり・みちのくがホームを挟んで停まり、忙
しそうな売店、駅弁を売りまくる商売人、行きかう旅行者で活気があった。は
つかり越しにホームは見えていたけど、両列車とも満員状態だった。
それに対して奥羽・羽越線ホームはさびしかった。車内が閑散とした白鳥だけ
が停車し、西隣の津軽線ホームは電灯さえ消え、オンボロの旧型客車が侘しげ
に停まっていた。特に冬の落差は大きかった。
それにしても白鳥が、その東北線ホームから発車することになろうとは予想も
つかなかったなあ・・・ >>302
そしてついに、年末には新幹線のルートから外されることに・・・ 新幹線が青森まで開通したら、やっと「はつかり」的臨時運用から解き放たれるんだな。
もう、「白鳥」という名称を汚すことはないだろう。
東北新幹線の新特急名称は「はつかり」が一番だろう。
「白鳥」は永久欠番名称にしてもらいたい。
北陸新幹線の各駅停車(または大阪方区間運転):雷鳥、速達(または全区間運転):白鳥?
でも、まあ・・・金沢以西はどうなるかわからないし、金沢〜東京ははくたかになるんだろうな まだ白鳥が2往復走っていた時代(一往復は福井始発)に初めて
自由席で大阪から青森まで乗り続けた事がある。
青森では青函連絡船1便に接続して便利だった。 高槻ー京都間での、113系快速とのデッドヒートは最高だった。 >>307
まだというか、その時代は貴重な時代だぞ。 高1の夏休み、2週間の北海道旅行
82年7月31日大阪から青森まで乗ったなぁ。 >>309
DC急行しらゆき格上げの福井白鳥は貴重だよな
数年で無くなった記憶が
自分は、夜行急行阿蘇から白鳥、
さらに青函夜行便乗り継いで九州から北海道まで周遊券で行った 福井白鳥を最初から最後まで乗り通したことがある人って、どれくらいいるのかね? 福井白鳥は貴重だが俺は好きくない。
「白鳥○号」なんてそんなのいやだ〜〜と思ったな。
やっぱり号数なし「特急白鳥号」でないと風格が失われる。
それにしても、「しらゆき」も乗りたかったな今思えば。
雪の降る季節の白鳥は、よく青森到着が遅れた。奥羽、羽越線の単線区間に
おける列車交換がその原因。みちのく、はつかりが先に青森に着いて、連絡船
に乗客が乗り換えてしまい、俗に言う、いい席、いい場所は全部埋まってしま
っていた。遅れた白鳥からの乗客は末席へ・・
一度でいいから連絡船の寝台、グリーン席を使ってみたかった。
白鳥の食堂車、グリーン車を使ってみたかった。
相変わらずの貧乏だが、今なら・・。でも、もう戻れないんだよね 今の航空ダイヤも、伊丹や関空や神戸に比べて明らかに羽田優先だよね。 2日で廃止されてからもう9年か
高校サボって上りに乗っては撮り、下り最終列車を撮ったなぁー。
白鳥廃止関連の地元ニュースも録画しまくった。 青森到着が大幅に遅れると連絡船の臨時便が出るのだが、中途半端な遅れだと314
の状況になる。ただし、臨時便が出て快適なのは連絡船の中だけ。翌朝の北海、おおぞら
の座席には座れず、東室蘭あたりまで立たなければならなかった・・。
ワイド周遊券でも指定席が使えればなあと思ったものだ。 lヽ ノ l l l l ヽ ヽ
)'ーーノ( | | | 、 / l| l ハヽ |ー‐''"l
/ ボ | | |/| ハ / / ,/ /|ノ /l / l l l| l ボ ヽ
l . ン i´ | ヽ、| |r|| | //--‐'" `'メ、_lノ| / ン /
| ネ l トー-トヽ| |ノ ''"´` rー-/// |. ネ |
| ッ |/ | l ||、 ''""" j ""''/ | |ヽl ッ |
| ト | | l | ヽ, ― / | | l ト |
| !! | / | | | ` ー-‐ ' ´|| ,ノ| | | !! |
ノー‐---、,| / │l、l |レ' ,ノノ ノハ、_ノヽ
/ / ノ⌒ヾ、 ヽ ノハ, |
,/ ,イーf'´ /´ \ | ,/´ |ヽl |
/-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ | l
,/ | ヽ \ _,ノーf' ´ ノノ ヽ | |
、_ _ ‐''l `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_ _,ノ ノ
 ̄ ̄ | /  ̄ 青森到着と同時に上りはくつる発車
って感じのダイヤだったよね。 >>316
モーニング娘。の絶頂期だったな・・・と別の事を思い出してみる。 西ナントカ・西クズ・西カス・タブーチ・西葛軌道=田淵洋治(@明電舎)の特徴より抜粋
・自身のサイトへのリンクや、見苦しいAA、汚いAAや改変コピペを自己陶酔か馬鹿の一つ覚えのように張る癖がある。
・特に自分のサイトのリンクはとても重要。アフィリエイトの小銭稼ぎとGoogleのPageRank維持が人生の慰め。
・極度の自己顕示欲のためNゲージ3大メーカースレなど、自分が目立たないところにはあらわれない。
・露骨な誘導と肥大した自尊心でWikipediaからは「異形の精神の持ち主」として追放、復讐を宣言するも不発に終わる。
・2chでも同じことをやって何度もアク禁を食らう。しかし規制の後プロバイダを替えた模様。
・鉄道模型や鉄道懐かし板に出没し、気に入らないことがあるとコピペや連投を始め、複数IDで自作自演しスレッドを荒らす。
・自身が提唱した「妄想模型鉄道規格」が無視されたことが根底にあるのか?
・老舗鉄道模型系出版社やモデルワーゲン他特定鉄道模型メーカーなどに恨みがあるらしい 。
・挑発されるとノコノコ出てきて、他人を装い意味不明な言動を撒き散らすが自己顕示欲の誘惑に負け正体を晒す
・平日の早朝深夜と土日祝日に集中して荒らすことで実社会のストレスを発散している。
・学歴を誇示する割には頭が悪いので、他人の張ったAAやテンプレをすぐパクリ、特定個人名に改変して貼るのが精一杯。
・GoogleのPageRankや、過去のTMS・海外雑誌掲載歴などを針小棒大誇示するも、実態を知られて衆人からは黙殺される。
・経歴や権威付けにやたらこだわるが、自身の知識や歳相応の人格が欠如しているので実像はただの頑固で偏屈なオッサン。
・私生活や所属企業での自分への評価に不満があるのか、鉄道模型業界で名を成そうと画策するも、結果は実社会と同じ。
・ポータルサイトと嘯くサイトを作るも、自身の不徳からWikipediaスパムサイト認定を受ける。
・当然鉄道模型業界にも人車軌道研究者にも全く相手にされず、自作自演でGoogleのPageRankを上げるオナニーの日々。
・職場で窓際に居るので火病の発作が抑えきれなくても好きな時にスレ荒らし。
そして以上の内容を指摘したり晒し上げるとすぐ逆ギレを起こし、
火病の見本のごとく吠えたり連投自演でスレを壊すことで暴れるのが
自己顕示欲の発露でしか自分を誇示できないキチガイ西ナントカのお約束
青森行きの白鳥が村上駅を出た後、しばらくして電源切り替えのため車内が
薄暗くなるときがあった。ああ、遠くまで来たなあ、いよいよ東北地方に入る
んだと思う一瞬だったねえ。
>>326
その前に2回電源切り替えのため車内が薄暗くなってるんだけど >>327
その前の2回は昼間だからあんまり薄暗くならないかと 夜の電源切り替えは独特の雰囲気だよ。長距離列車で最後の切り替えだから余計
に感じるのかも。切り替わった後に車内が元の明るさに戻り、空調設備がウォーン
と再起動した時、白鳥が生き返った感じがしたものだ。 塗装が新潟色?のボンネット白鳥。
「はまなす」乗るのに、よく利用した。
冬場、猛吹雪でワイパー故障して秋田で抑止食らったっけな〜w 運行開始時
気動車列車として運行距離世界一
電車列車として運行距離世界一 だったようですが、現在のそれぞれ世界一の
運行距離の列車は何なのかな? >>333
名古屋〜熊本「つばめ」も長そうだけどやっぱ「白鳥」だったのかい?
>>333
TGVみたいな半集中動力車をどうするのかという捉え方の問題があるので一概に言えない。
また、イギリスの鉄道ギネスブックが、余りに西欧偏重(もしくは英国内レコード偏重)で
日本なら幾らでもこれを上回る記録がありそうな物だが、という事例ですら体系的に知ることができない。
本家のギネスブック日本語版自体が三流出版社から出るようになって質が低下してるのでどうしようもないのだろうか。 >>334
京都〜西鹿児島間だった“なは”や“きりしま”よりも距離が上回ってたからな>“白鳥”
確か昭和50年代に見た子供向けの鉄道本でオーストリアの端から端まで走る奴が“白鳥”に匹敵する距離を走る、ての
は見た覚えがあるが >>333
電車に関しては、新幹線博多開業の時点で終了してるくらいなので、
他にいくらでもありそうな。。。 キハ80系時代の「白鳥」は、同じ向日町運転所所属の「まつかぜ」と
車両が共通運用だったこともあり、80系気動車6両編成一本が青森から博多まで
走行していたことになる。当然、塩害・雪害による車両の傷みも早かったであろう。 そういや今のトワイライトの下りは昔の白鳥〜おおぞらのダイヤに近いな。
客車化によるスピードダウンとトンネル開通によるスピードアップがうまく掛け合わされている感じですね。 末期には松任か石動か忘れたけど、明らかに格下の駅にも停車していたね。
1970年代初めの停車駅は
大阪・京都・米原・敦賀・福井・芦原温泉・加賀温泉・金沢・高岡・富山・直江津
・長岡・東三条・新潟・村上・鶴岡・酒田・羽後本荘・秋田・東能代・大館・弘前・青森 新潟で方向転換してバタバタと座席の向きを変えたのを覚えてる。
夜明け前の青森駅を上野行はつかりと同時に出発して、能代あたりで朝陽を拝み、新潟手前で下半身麻痺となり、
乗車疲れのため食堂車で体を癒し、金沢までねばった。
白鳥の中で、日の出と日没を迎えて、青森〜大阪まで14時間。
ホンマにしんどかったけど、もう乗れないのは淋しいね。
昭和49年、北大受験の帰りに乗車した。北大は不合格でした。
某所で運転してました。
末期はぼろぼろのボンネットばかりでしたね。
2B増結時は停車位置に気を遣ったのを思い出した。 >>343
一年違いですね。
昭和50年の春に京大受験の為に乗車しました。
新潟を11時過ぎに出て京都に18時ごろ着いたと思う。
当時は当然の事ながら、上越新幹線はなく、ときひかりルートよりも時間的に
も日本海周りの方が早い事も有って、大阪方面には他に昼行北越2本と急行
越後1本が有って、上野行きの朝夕のときと並びかなりの人気列車だった。
近所に国鉄に勤めている人がいて、買ってもらったような記憶がある。
京大は不合格でした。 >>348>>349
隣県の売薬大学、当時で言うところの駅弁二期校 三回乗った。古い順に、
・福井⇒東三条
夏休みに、友達の実家にお邪魔した。
・青森⇒京都
北海道旅行の帰り。ほとんど寝てたような。w
・大阪⇒青森
廃止が現実化してから、乗るためだけに朝の飛行機で東京から飛んだ。
多分最後と思い、グリーンにした。雪の青森駅に着いた時には、疲れたが
やはり来てよかったと思った。 >>351
初めて乗ったのは昭和45年8月上旬の万博時。
新潟→大阪、DC時代。
神戸の親類の家に着いたときは21時過ぎだった。
切符が取れただけましと言う感じで、妹と同じ号車以外は家族4人座席も号車
もばらばら。
大阪到着前に隣の通路側に座っていた人が切符を取り出し、その切符を覗き見
たら、釧路から大阪市内行きだったのを覚えている。
何時間かかったのだろう?
携帯もない時代だったから、親父が立席特急券客で混雑する車内を何両もかき
わけて金沢発車後に食堂車に行くように指示していた。
夕食には早めに行った事も幸いして20分ほど待って食事にありつけたが、食
事を終えた頃には長蛇の列が出来ていた。
福井白鳥に"乗り損ねた"事がある。
チビの頃でよく覚えてないが、暮れ間近、新潟駅でいつまでたっても来なくて、そのうち新潟始発のいなほに乗る事に…。ところがこのいなほもいつまでたっても接続列車の遅れとやらで発車しない。
ようやく発車した時は辺りが薄暗くなりかけてた。
翌日、福井白鳥が1日遅れで秋田を出たとニュースでやってた >>352
釧路14時05分発 おおぞら2号 函館0時25分着
函館0時45分発 青函2便 青森4時35分着
青森5時00分発 白鳥 大阪20時03分着 グリーン船室用は淡緑で、接続列車からの乗客用にはマル特の印刷があったよね。 昭和50年代後半にはグリーンも普通船室も同じ名簿だったように記憶する。
便所、洗面所のある車両に乗船名簿がぶら下げてあったよ。なんらかの理由で
名簿を受け取り損ねた人への配慮だろうね。 関東在住者としては「白鳥」はぁまり縁がなく、全区間乗り通したのも1回だけだが、
東北ワイド周遊券で旅している時には秋田−青森でたまに利用していた。
大阪からの長旅をしてきて、夜21時頃に到着した「白鳥」に乗ると、最早車内は“夢の跡”という雰囲気だった。
デッキの屑籠はとうに溢れて弁当殻が散乱し、車内はタバコの煙と埃くさい空気で淀みきっていた。
とてもじゃないが、看板列車に程遠い雰囲気で、ぁまり良い印象が残っていない。 客は
大阪ヤクザと東北の貧乏人ばかりで、良い印象はなかったよ。 最初は「県庁所在地だけ停車」みたいな国鉄発表で、正力松太郎がごねて
高岡停車とか、色々あったなあのDC特急。
富山電化で全指定の急行「越山」が出来たら、大阪−富山間の下り「白鳥」が
取り易くなった。トルコンに異物混入で立ち往生して、C57X2牽引で
大幅遅延や,上りが上野編成と直江津でドッキング出来ず、2本に分かれて
走ったり----それに切手の間違い印刷とか話題が多かった。 停車駅が少ない列車という優越感に浸れる特別急行「白鳥」
普通の特急が停車する駅を通過する時の何ともいえない気持・・
利便性など考えない、あの孤高の特急にもう一度乗りたいねえ。
北陸新幹線開業前に、そして運転可能な車両が廃車になる前に
なんとか復活運転してくれないものだろうか。
採算を考えれば、貸切で復活運転のようなことをしないと無理なのかも。
○○教の臨時列車のように運転すればいいのかな?
「特急白鳥」教を作って走らせるしかないのかねえ。
小浜線だろうが五能線だろうが構わず走ったな。
戦後、冬季の間は北陸本線米原敦賀間が雪害等で
運行不能となった時、綾部経由の変ダイヤが設定
されていた。 上野・高崎・横川・軽井沢・長野・直江津・富山・高岡・金沢・動橋・福井
敦賀・米原・京都・大阪