【大阪】特急白鳥の思い出【青森】
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
250です。
252さん、253さん、ありがとうございました。
1. 現在でも最速サンバが小松・加賀温泉通過と言うことを考えれば、当時は動橋と
金沢で十分だったろうと思います。石川県厚かましいな。
2. 昔は田口を通過する列車があったのですね。ご教示ありがとうございました。 >>254
石川県厚かましいというか。動橋VS大聖寺の争いがそれだけすごかった訳で・・・ >>249
これが冬の青森駅の光景だったらと想像するだけで萌えてくる >>254
別に停車駅で揉めただけで停車駅数で揉めた訳じゃない 昔の一県二駅停車くらいの頃の特急って、ぶっちゃけ一般庶民が乗ることは殆んどないってくらいステータスの高いものだったんですよね? >>256
昭和59年頃だったかな。
NHKで半ドキュメント、半紀行のような感じだったが冬の青森駅の24時間の映像
を見た。「はつかり」「白鳥」「ゆうづる」などなどいろいろな列車が出るわ
出るわで萌え〜〜だったね。 キハ82時代の「白鳥」のサボは「大阪⇔青森」の相互式だったけど、新潟で方向転換する時はサボはどうしてたんでしょうか?
停車時間はあまりなかったようだし、そのままにしてたのかな? 気動車時代の白鳥は新潟に寄りません。新津から羽越本線に入りました。 >>261
昭和40年にはくたかが独立したと同時に白鳥は新潟経由になったよ 大阪から青森まで、約15時間40分くらいだったっけ!?
夜行列車が少ないせいもあるだろうが、気動車では最長列車だったね。
俺は国鉄末期からJR化後青森発大阪行き末期にかけて、何回か北海道への所用絡みで、自由席にほぼ全区間乗っているが、青森出てすぐ、新潟出てすぐ、福井出てすぐと、合計3回も検札(それぞれ別の車掌)が来ることが多かった。
もっとも、青森出てすぐの1回だけだったりしたこともある。
確か1回だけだが、とうとう1回も検札なしということもあって、「やる気ない車掌だな」と思ったww 60-3で向日町もちになった時、「だんらん」を連結してほしかった。 白鳥はよく乗ったよ。羽越線沿線に住んでるから、乗車目的も新幹線接続だったり、関西に出掛けるためだったり。
高校の修学旅行が京都方面で、最終日は白鳥に乗って地元に帰るだけの日程だったよ。 福井白鳥が何故福井発着になったのか未だに謎。
「しらゆき」時代と同じく金沢発着で問題なかったように思われるけど。 >>266
まあ急行時代よりスピードアップして福井まで有効時間帯に入ったからとかそんな理由じゃねえか? 新潟で撮影してたら、運転士が何回か手を振ってくれました。それも笑顔で。今となってはいい思い出です。 >>150
今頃何ですが
12/22にカレチ一巻発売 57-11の時点での価値観では福井青森間の長距離列車が6M3Tの9連なのは奇異に感じたな。 某氏と出かけていたら近鉄四日市で名古屋豪雨に遭遇。東海道ルートが全滅したから
近鉄で京都まで行って長岡経由で帰ることに。幸い下り『白
鳥』最後の普通車指定席を押さえられた。むろん車内は激混み。
確か福井のあたりで30km規制など、途中で何度か徐行運転があったので長岡着は……
確か1時間ばかり遅れたと記憶する。これが『白鳥』唯一の乗車であった。 廃止直前までボンネット型485系白鳥が青森県内を走っていた 早朝の青森駅前の市場で焼き魚、山菜等の素朴な惣菜を買い込み駅へ。
ホームの売店では週間新潮、新聞、ポテトチップス、缶りんごジュース
そしてビールを買い込んで車内へ。グリーン車(一人がけ)に落ち着き
出発と同時にビールをゴクリゴクリ。朝ビールの旨い事・・。ゆっくり
朝食。市場なのにいつも高く、2千円くらい。
日本海を右手に南下。途中車内でビール補充。午前中からほろ酔いです。
新潟では缶入り水割りを購入。南下と共にデッキの温度上昇。特に夏が
凄かった。昼食は新潟駅の幕ノ内。いつも焼き鮭と米が非常に旨かった
福井を過ぎるとコーヒーで酔い覚まし。大阪で下車してタクシー乗り場へ。
札幌ー大阪に年3回移動時の様子でした。グリーン車は最後4列シートになり
貧弱なシートで寂しかったです
白鳥号よ、ありがとう 北陸トンネル開通記念の切手
この切手には、トンネル内を走るキハ80系の「白鳥」が描かれているが、
先頭車側面の乗務員室扉が描かれていないとか、描かれている送電線の本数が
実際より多すぎるなど、エラー切手としても有名。
>>276
それ知らない奴がこのスレにいるだろうか? >>274
走っていたというか、廃止直前にはわざとボンネット編成を固定で白鳥にまわしていた。 さすがにグリーンでも、大阪〜青森を乗り通すとケツがいくつにも割れそうになったぜ 末期にRJに載った青森〜大阪の乗車レポは凄かった。
大雪に阻まれて秋田県内で打ち切りになったやつ。
悪化する一方の状況が克明に記録されていて、感動した。
あの日って新潟や富山あたりから代走があったのでしょうか? >>280
99年2月号のなら、take2の方に出てたよ。
富山から681で代走があったそうな。 >>280
338だね
羽後本荘で打ち切りになって
散々苦労の挙句秋田に引き返してお座敷気動車で急速仮眠って奴だよね
>>281の言うとおり一週間後のやり直しルポで言及してるね
>あとで聞いた話だが,先週の雪で下り<白鳥>は直江津でストップし,運転打ち切りとなって富山に引き返している.
>また,上り<白鳥>が立ち往生してしまったため,JR西日本は富山から681系8両編成による上り<白鳥>を臨時に仕立て,大阪方面への乗客を定刻通り運んだという.
>一方,やはり羽越本線で止まった下り<日本海3号>は運転が続けられ,翌日,28時間遅れ(1日以上の遅れ!)で青森に着いたらしい.
とある >>278
JR酉に移管してからは
京都のボンネットヘセが雷鳥と共通で運用してたね
束時代の1500番台とかが逆に古いとはね
秋田県大曲の母の実家に、中1の夏休み一人で遊びに行った。
台風が来ていたのだが「ちょっと行ってくる」と秋田駅まで出掛けた。
生まれてはじめて見る「日本海」と「白鳥」に大興奮していた俺。
そのとき、台風の中一人行き先も言わずに出掛けた俺の安否を叔父や叔母が心配していた。 今日のような恐ろしい吹雪の日に、札幌から大阪へ帰省することになった。
本州内は当然、特急白鳥の自由席。道内は特急北海の自由席。
北海はなんなく夜の函館に到着。しかし、函館到着前の車内放送で翌朝の奥羽、
羽越線がマヒ状態で白鳥は運転取り止めとの放送。今後の切符の取り扱いにつ
いて車掌に聞くと「函館で聞いてくれ」とそっけない返事。
函館の駅員に尋ねると「東北線、東海道線経由で輸送します。新幹線を利用し
てください。白鳥の特急券で新幹線、在来線の特急に乗車できます」というも
のだった。少々不安を感じながらも連絡船で一眠り。
結局、青森から、はつかり、東北新幹線、新幹線リレー、山手線、東海道新幹
線、東海道線を乗り継ぐハメになってしまった。それぞれの列車の検札、改札
でうっとうしい説明をするのかなあ、と考えていたが、特に何のとがめもなく
スルー。情報の伝達ができていたのだろう。
それでも大阪到着は午後3時となり、白鳥を利用するより3時間ほど早く着い
た。新幹線の偉大さを認識させられた日となった。当時は昭和58年、国鉄時
代だからこそ出来得た業だろうか。今でも日本海が運休したらJRの協定でや
ってもらえるのだろうか。
20年前、連絡船の深夜便で青森着くと上野へは、はつかり→やまびこよりも
白鳥(長岡)あさひ、のほうが少し安かった。
新幹線上野開業までは はつかり→やまびこ(仙台)まつしま のほうが安かったんで暫定王者。
大宮開業までは くりこま→まつしま若しくは、しらゆき→佐渡。 上越新幹線開業のおかげで、長岡〜金沢間の自由席は地獄となった。車内販売
も来ない、便所にも行けない・・。金沢、富山は通過してくれと本気で思ったね。 >>290
実質的にはあの時点で列車が分断されていましたね。
そして、その後「かがやき」が走り出したことによって「白鳥」はこの区間で完全に脇役になってしまったでござる。 >>291
時刻表上では脇役に見えていたんだけど、実際には混雑はあまり解消しなかった。
白鳥の前後に「北越」や「かがやき」が走ってたんだけどね。時間帯が悪かったのかも・・
北越急行に「はくたか」が走るまではたぶんダメだったんじゃないかな。
>>292
行けないことはない。しかし、大ひんしゅくの視線を一身に浴び、大勢の人間に
大迷惑をかけることを厭わないのであれば・・・
>>293
脇役と言うのは、混雑とかではなしに列車としての格の意味でですね。
それぞれの区間で最上級列車としての地位を維持していたのに、「かがやき」や大阪口での「スーパー雷鳥」と相次いでより上位に位置づけさせる列車がデビューしたのはショックでした。 高校野球団臨が東北地方から関西に乗り入れてくる。リバイバルも簡単に出来そうな気が
するのだが・・。途中駅扱いが大変なんだろうか? 青森、大阪間を停車はするが客扱い
はしないという方法で復活運転出来ないものだろうか。もう一度乗りたいなあ・・ 食堂車が2両もあったんだからね
青森駅4:50発ははつかりと併走だもんな やっぱり全席指定じゃないと食堂車繋いでもなぁ・・・ >>296
あの時分にねぼけまなこで連絡線を降りて、はつかりと間違えて白鳥に
乗ったことがある。
同じ時間にみちのくや名前は覚えていないが東北線の急行も停まっていて、
朝5時前の青森駅は賑やかだった。 >>299
57-11ダイヤで号数がついていた時の作品でしたよね。 当時、青森駅の東北線発車ホームと奥羽・羽越線発車ホームには、にぎやかさ
に圧倒的な差があった。青森出発まで白鳥の窓から人でごった返す隣のホーム
を見ていた。東北線ホームは、はつかり・みちのくがホームを挟んで停まり、忙
しそうな売店、駅弁を売りまくる商売人、行きかう旅行者で活気があった。は
つかり越しにホームは見えていたけど、両列車とも満員状態だった。
それに対して奥羽・羽越線ホームはさびしかった。車内が閑散とした白鳥だけ
が停車し、西隣の津軽線ホームは電灯さえ消え、オンボロの旧型客車が侘しげ
に停まっていた。特に冬の落差は大きかった。
それにしても白鳥が、その東北線ホームから発車することになろうとは予想も
つかなかったなあ・・・ >>302
そしてついに、年末には新幹線のルートから外されることに・・・ 新幹線が青森まで開通したら、やっと「はつかり」的臨時運用から解き放たれるんだな。
もう、「白鳥」という名称を汚すことはないだろう。
東北新幹線の新特急名称は「はつかり」が一番だろう。
「白鳥」は永久欠番名称にしてもらいたい。
北陸新幹線の各駅停車(または大阪方区間運転):雷鳥、速達(または全区間運転):白鳥?
でも、まあ・・・金沢以西はどうなるかわからないし、金沢〜東京ははくたかになるんだろうな まだ白鳥が2往復走っていた時代(一往復は福井始発)に初めて
自由席で大阪から青森まで乗り続けた事がある。
青森では青函連絡船1便に接続して便利だった。 高槻ー京都間での、113系快速とのデッドヒートは最高だった。 >>307
まだというか、その時代は貴重な時代だぞ。 高1の夏休み、2週間の北海道旅行
82年7月31日大阪から青森まで乗ったなぁ。 >>309
DC急行しらゆき格上げの福井白鳥は貴重だよな
数年で無くなった記憶が
自分は、夜行急行阿蘇から白鳥、
さらに青函夜行便乗り継いで九州から北海道まで周遊券で行った 福井白鳥を最初から最後まで乗り通したことがある人って、どれくらいいるのかね? 福井白鳥は貴重だが俺は好きくない。
「白鳥○号」なんてそんなのいやだ〜〜と思ったな。
やっぱり号数なし「特急白鳥号」でないと風格が失われる。
それにしても、「しらゆき」も乗りたかったな今思えば。
雪の降る季節の白鳥は、よく青森到着が遅れた。奥羽、羽越線の単線区間に
おける列車交換がその原因。みちのく、はつかりが先に青森に着いて、連絡船
に乗客が乗り換えてしまい、俗に言う、いい席、いい場所は全部埋まってしま
っていた。遅れた白鳥からの乗客は末席へ・・
一度でいいから連絡船の寝台、グリーン席を使ってみたかった。
白鳥の食堂車、グリーン車を使ってみたかった。
相変わらずの貧乏だが、今なら・・。でも、もう戻れないんだよね 今の航空ダイヤも、伊丹や関空や神戸に比べて明らかに羽田優先だよね。 2日で廃止されてからもう9年か
高校サボって上りに乗っては撮り、下り最終列車を撮ったなぁー。
白鳥廃止関連の地元ニュースも録画しまくった。 青森到着が大幅に遅れると連絡船の臨時便が出るのだが、中途半端な遅れだと314
の状況になる。ただし、臨時便が出て快適なのは連絡船の中だけ。翌朝の北海、おおぞら
の座席には座れず、東室蘭あたりまで立たなければならなかった・・。
ワイド周遊券でも指定席が使えればなあと思ったものだ。 lヽ ノ l l l l ヽ ヽ
)'ーーノ( | | | 、 / l| l ハヽ |ー‐''"l
/ ボ | | |/| ハ / / ,/ /|ノ /l / l l l| l ボ ヽ
l . ン i´ | ヽ、| |r|| | //--‐'" `'メ、_lノ| / ン /
| ネ l トー-トヽ| |ノ ''"´` rー-/// |. ネ |
| ッ |/ | l ||、 ''""" j ""''/ | |ヽl ッ |
| ト | | l | ヽ, ― / | | l ト |
| !! | / | | | ` ー-‐ ' ´|| ,ノ| | | !! |
ノー‐---、,| / │l、l |レ' ,ノノ ノハ、_ノヽ
/ / ノ⌒ヾ、 ヽ ノハ, |
,/ ,イーf'´ /´ \ | ,/´ |ヽl |
/-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ | l
,/ | ヽ \ _,ノーf' ´ ノノ ヽ | |
、_ _ ‐''l `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_ _,ノ ノ
 ̄ ̄ | /  ̄ 青森到着と同時に上りはくつる発車
って感じのダイヤだったよね。 >>316
モーニング娘。の絶頂期だったな・・・と別の事を思い出してみる。 西ナントカ・西クズ・西カス・タブーチ・西葛軌道=田淵洋治(@明電舎)の特徴より抜粋
・自身のサイトへのリンクや、見苦しいAA、汚いAAや改変コピペを自己陶酔か馬鹿の一つ覚えのように張る癖がある。
・特に自分のサイトのリンクはとても重要。アフィリエイトの小銭稼ぎとGoogleのPageRank維持が人生の慰め。
・極度の自己顕示欲のためNゲージ3大メーカースレなど、自分が目立たないところにはあらわれない。
・露骨な誘導と肥大した自尊心でWikipediaからは「異形の精神の持ち主」として追放、復讐を宣言するも不発に終わる。
・2chでも同じことをやって何度もアク禁を食らう。しかし規制の後プロバイダを替えた模様。
・鉄道模型や鉄道懐かし板に出没し、気に入らないことがあるとコピペや連投を始め、複数IDで自作自演しスレッドを荒らす。
・自身が提唱した「妄想模型鉄道規格」が無視されたことが根底にあるのか?
・老舗鉄道模型系出版社やモデルワーゲン他特定鉄道模型メーカーなどに恨みがあるらしい 。
・挑発されるとノコノコ出てきて、他人を装い意味不明な言動を撒き散らすが自己顕示欲の誘惑に負け正体を晒す
・平日の早朝深夜と土日祝日に集中して荒らすことで実社会のストレスを発散している。
・学歴を誇示する割には頭が悪いので、他人の張ったAAやテンプレをすぐパクリ、特定個人名に改変して貼るのが精一杯。
・GoogleのPageRankや、過去のTMS・海外雑誌掲載歴などを針小棒大誇示するも、実態を知られて衆人からは黙殺される。
・経歴や権威付けにやたらこだわるが、自身の知識や歳相応の人格が欠如しているので実像はただの頑固で偏屈なオッサン。
・私生活や所属企業での自分への評価に不満があるのか、鉄道模型業界で名を成そうと画策するも、結果は実社会と同じ。
・ポータルサイトと嘯くサイトを作るも、自身の不徳からWikipediaスパムサイト認定を受ける。
・当然鉄道模型業界にも人車軌道研究者にも全く相手にされず、自作自演でGoogleのPageRankを上げるオナニーの日々。
・職場で窓際に居るので火病の発作が抑えきれなくても好きな時にスレ荒らし。
そして以上の内容を指摘したり晒し上げるとすぐ逆ギレを起こし、
火病の見本のごとく吠えたり連投自演でスレを壊すことで暴れるのが
自己顕示欲の発露でしか自分を誇示できないキチガイ西ナントカのお約束
青森行きの白鳥が村上駅を出た後、しばらくして電源切り替えのため車内が
薄暗くなるときがあった。ああ、遠くまで来たなあ、いよいよ東北地方に入る
んだと思う一瞬だったねえ。
>>326
その前に2回電源切り替えのため車内が薄暗くなってるんだけど >>327
その前の2回は昼間だからあんまり薄暗くならないかと 夜の電源切り替えは独特の雰囲気だよ。長距離列車で最後の切り替えだから余計
に感じるのかも。切り替わった後に車内が元の明るさに戻り、空調設備がウォーン
と再起動した時、白鳥が生き返った感じがしたものだ。 塗装が新潟色?のボンネット白鳥。
「はまなす」乗るのに、よく利用した。
冬場、猛吹雪でワイパー故障して秋田で抑止食らったっけな〜w 運行開始時
気動車列車として運行距離世界一
電車列車として運行距離世界一 だったようですが、現在のそれぞれ世界一の
運行距離の列車は何なのかな? >>333
名古屋〜熊本「つばめ」も長そうだけどやっぱ「白鳥」だったのかい?
>>333
TGVみたいな半集中動力車をどうするのかという捉え方の問題があるので一概に言えない。
また、イギリスの鉄道ギネスブックが、余りに西欧偏重(もしくは英国内レコード偏重)で
日本なら幾らでもこれを上回る記録がありそうな物だが、という事例ですら体系的に知ることができない。
本家のギネスブック日本語版自体が三流出版社から出るようになって質が低下してるのでどうしようもないのだろうか。 >>334
京都〜西鹿児島間だった“なは”や“きりしま”よりも距離が上回ってたからな>“白鳥”
確か昭和50年代に見た子供向けの鉄道本でオーストリアの端から端まで走る奴が“白鳥”に匹敵する距離を走る、ての
は見た覚えがあるが >>333
電車に関しては、新幹線博多開業の時点で終了してるくらいなので、
他にいくらでもありそうな。。。 キハ80系時代の「白鳥」は、同じ向日町運転所所属の「まつかぜ」と
車両が共通運用だったこともあり、80系気動車6両編成一本が青森から博多まで
走行していたことになる。当然、塩害・雪害による車両の傷みも早かったであろう。 そういや今のトワイライトの下りは昔の白鳥〜おおぞらのダイヤに近いな。
客車化によるスピードダウンとトンネル開通によるスピードアップがうまく掛け合わされている感じですね。 末期には松任か石動か忘れたけど、明らかに格下の駅にも停車していたね。
1970年代初めの停車駅は
大阪・京都・米原・敦賀・福井・芦原温泉・加賀温泉・金沢・高岡・富山・直江津
・長岡・東三条・新潟・村上・鶴岡・酒田・羽後本荘・秋田・東能代・大館・弘前・青森 新潟で方向転換してバタバタと座席の向きを変えたのを覚えてる。
夜明け前の青森駅を上野行はつかりと同時に出発して、能代あたりで朝陽を拝み、新潟手前で下半身麻痺となり、
乗車疲れのため食堂車で体を癒し、金沢までねばった。
白鳥の中で、日の出と日没を迎えて、青森〜大阪まで14時間。
ホンマにしんどかったけど、もう乗れないのは淋しいね。
昭和49年、北大受験の帰りに乗車した。北大は不合格でした。
某所で運転してました。
末期はぼろぼろのボンネットばかりでしたね。
2B増結時は停車位置に気を遣ったのを思い出した。 >>343
一年違いですね。
昭和50年の春に京大受験の為に乗車しました。
新潟を11時過ぎに出て京都に18時ごろ着いたと思う。
当時は当然の事ながら、上越新幹線はなく、ときひかりルートよりも時間的に
も日本海周りの方が早い事も有って、大阪方面には他に昼行北越2本と急行
越後1本が有って、上野行きの朝夕のときと並びかなりの人気列車だった。
近所に国鉄に勤めている人がいて、買ってもらったような記憶がある。
京大は不合格でした。 >>348>>349
隣県の売薬大学、当時で言うところの駅弁二期校 三回乗った。古い順に、
・福井⇒東三条
夏休みに、友達の実家にお邪魔した。
・青森⇒京都
北海道旅行の帰り。ほとんど寝てたような。w
・大阪⇒青森
廃止が現実化してから、乗るためだけに朝の飛行機で東京から飛んだ。
多分最後と思い、グリーンにした。雪の青森駅に着いた時には、疲れたが
やはり来てよかったと思った。 >>351
初めて乗ったのは昭和45年8月上旬の万博時。
新潟→大阪、DC時代。
神戸の親類の家に着いたときは21時過ぎだった。
切符が取れただけましと言う感じで、妹と同じ号車以外は家族4人座席も号車
もばらばら。
大阪到着前に隣の通路側に座っていた人が切符を取り出し、その切符を覗き見
たら、釧路から大阪市内行きだったのを覚えている。
何時間かかったのだろう?
携帯もない時代だったから、親父が立席特急券客で混雑する車内を何両もかき
わけて金沢発車後に食堂車に行くように指示していた。
夕食には早めに行った事も幸いして20分ほど待って食事にありつけたが、食
事を終えた頃には長蛇の列が出来ていた。
福井白鳥に"乗り損ねた"事がある。
チビの頃でよく覚えてないが、暮れ間近、新潟駅でいつまでたっても来なくて、そのうち新潟始発のいなほに乗る事に…。ところがこのいなほもいつまでたっても接続列車の遅れとやらで発車しない。
ようやく発車した時は辺りが薄暗くなりかけてた。
翌日、福井白鳥が1日遅れで秋田を出たとニュースでやってた >>352
釧路14時05分発 おおぞら2号 函館0時25分着
函館0時45分発 青函2便 青森4時35分着
青森5時00分発 白鳥 大阪20時03分着 グリーン船室用は淡緑で、接続列車からの乗客用にはマル特の印刷があったよね。 昭和50年代後半にはグリーンも普通船室も同じ名簿だったように記憶する。
便所、洗面所のある車両に乗船名簿がぶら下げてあったよ。なんらかの理由で
名簿を受け取り損ねた人への配慮だろうね。 関東在住者としては「白鳥」はぁまり縁がなく、全区間乗り通したのも1回だけだが、
東北ワイド周遊券で旅している時には秋田−青森でたまに利用していた。
大阪からの長旅をしてきて、夜21時頃に到着した「白鳥」に乗ると、最早車内は“夢の跡”という雰囲気だった。
デッキの屑籠はとうに溢れて弁当殻が散乱し、車内はタバコの煙と埃くさい空気で淀みきっていた。
とてもじゃないが、看板列車に程遠い雰囲気で、ぁまり良い印象が残っていない。 客は
大阪ヤクザと東北の貧乏人ばかりで、良い印象はなかったよ。 最初は「県庁所在地だけ停車」みたいな国鉄発表で、正力松太郎がごねて
高岡停車とか、色々あったなあのDC特急。
富山電化で全指定の急行「越山」が出来たら、大阪−富山間の下り「白鳥」が
取り易くなった。トルコンに異物混入で立ち往生して、C57X2牽引で
大幅遅延や,上りが上野編成と直江津でドッキング出来ず、2本に分かれて
走ったり----それに切手の間違い印刷とか話題が多かった。 停車駅が少ない列車という優越感に浸れる特別急行「白鳥」
普通の特急が停車する駅を通過する時の何ともいえない気持・・
利便性など考えない、あの孤高の特急にもう一度乗りたいねえ。
北陸新幹線開業前に、そして運転可能な車両が廃車になる前に
なんとか復活運転してくれないものだろうか。
採算を考えれば、貸切で復活運転のようなことをしないと無理なのかも。
○○教の臨時列車のように運転すればいいのかな?
「特急白鳥」教を作って走らせるしかないのかねえ。
小浜線だろうが五能線だろうが構わず走ったな。
戦後、冬季の間は北陸本線米原敦賀間が雪害等で
運行不能となった時、綾部経由の変ダイヤが設定
されていた。 上野・高崎・横川・軽井沢・長野・直江津・富山・高岡・金沢・動橋・福井
敦賀・米原・京都・大阪 もし今白鳥のコースを再現運転やるとしたら、やっぱり使用車両は683系かな?
683だったら3両編成でも走らせられるから、それで何とか安く運行させられないかな。
どっかの旅行会社に仕切ってもらって団臨で…。大阪発青森着の往復1泊2日でどうだろうか。 >>366
683系では交流50Hz区間に入れない。
485系が残ってるうちは485系で、
485系がなくなったら、E653系しか選択肢は無いだろうね。
日本海縦貫線とは何の縁も無い車だが、実際に走れるのはE653系以外に無い。 E653系をJR西日本管内で走らせるには相当な費用がかかるだろう。
485系が消滅した時点で現実的には終わりだな。 >>358
新幹線開業後は東北ワイド利用者は北東北だけを移動することが多くなりましたね。南東北は在来線特急壊滅で移動しにくかったので。
秋田青森盛岡の間をひたすら動き回っていました。 末期の白鳥は哀れな姿だったね。「ゆのくに」+「しらゆき」というような停車駅状態だった。
食堂車なしのボロ車両と停車駅の多さは、もはや急行白鳥と呼ぶべきだったのかも。
>>366-369
そこでキハ181ですよ。
国鉄色に戻せばキハ82風に見えない事も無い。 >>371
それでも下りは、「雷鳥」+「北越」+「いなほ」よりは少ない停車駅だった。
上りは「雷鳥」区間で悲惨なことになっていたが。
それにしても、何で末期になって酉持ちになったのかね? >>372
485系がなくなる頃には、キハ181系なぞ残ってないだろう常考 >>372
以前団臨で西へ行ったこともあるE653系以上に訓練その他で無理がある >>373
つ[はくたか]への車両捻出と[新潟雷鳥]との走行距離調整 1999年、高校の修学旅行の復路(大阪〜鶴岡)が白鳥だった
往路は東京経由の新幹線乗継。
楽しい旅行の終わりが先延ばしされるような長い乗車時間がうれしかった
最先端の二階建新幹線よりも、歴史を背負った味のある車両のほうが印象に残っている
>>369
常磐線へのE657系(仮称)の投入でE653系の新潟転属はほぼ決定じゃなかったの?
いなほと北越は共通運用だから金沢までは乗り入れる可能性は大きい 白鳥の思い出。先頭車両が上沼垂色(っていうの?)のボンネット車で、自由席の座席が通路よか一段高くなっていていた。それに乗って青森へ。そっからはまなすにのり、北海道へ渡り北海道全線乗り潰し事がある。
>>379
その編成では183系グレードアップあずさ同様に、自由席車は通常簡リクだったけど。 昭和59年ごろだったかなぁ。
北海道に住んでいたおばさんが遊びに来て帰るとき、よく白鳥使ってたな〜。
確か、青森で連絡船の1便0:04発(だったっけ?)に接続してて、函館から北海だか北斗だかに接続してたよな。 >>380
列車によって指定席者が違うんで指定席仕様の自由席も存在したんじゃなかったっけ? >>383
グレードアップあずさも4号車がそんな存在だったな。
でも上沼垂の白鳥は9両通常編成の時は簡リク車3両が自由席。
ただ増結して11両になった時には、通常指定席車を自由席に回したことは有り得たのだろうな。
昭和50年代にはリクライニングもしない、隣の席とも分離していない、とんでもないボロ
車両が運用されることがあった。ホームにボンネットが入ってくると暗澹たる気持ちになった。
非ボンネットが入ってきたら、「ああ、よかった」と胸をなでおろす。
当時は大阪〜青森を何度も乗車せざるを得なかったので、その差は大きかった。
ロシアンルーレットみたいな車両運用はやめて欲しかったな。 >>385
直流車だとボンネット=非リクライニング、貫通、非貫通=簡リクだけど
485の場合非ボンネットで非リクライニングも存在してた >>386
非ボンネットでは、リクライニングしない座席にあたったことはなかったよ。
新車に近いような車両がほとんどだった。
それにくらべてボンネットは、天井のエアコンから水漏れするようなボロまで
使ってたなあ。ボロ車両に乗務していた当時の車掌さんは座席への苦情を含め
て乗客対応は大変だったんじゃないかな。 >>385>>387
昭和50年代の白鳥はずっと青森運転所の485系だったから、そもそもボンネット車は
存在してなかった。
ボンネット車が入るようになったのは昭和60年3月改正後、向日町担当で雷鳥と共通運用になってから。
あと昭和47年電車化直後の一時期に、ボンネット車を借り受けた時期があったが、
200番代落成後にほどなく返却された。
だから昭和50年代の話なら>>386が正しい。 >>388
ボンネットのボロ車両が運用されていたのは昭和60年に入ってからだったのか。
20年以上前の話で、よく覚えていなかったんだが、突然、ボロ車両が白鳥に入った
ことだけは覚えている。非ボンネットの白鳥が当たり前という気持ちが普通だったか
らね。あの当時よく乗った車両たちは、すでに廃車になってしまったんだろうなあ。 >>386
485の貫通(200番台)は、非リクライニング。
盛アオ時代は先頭車のボンはなかったが、200番台先頭車は結構あり、
ボン世代の中間車に至ってはかなりの数が混じっていたはず。
でも、なまじバッタンコ簡リク(リクライニングが固定しないタイプ)で13時間ってのも
これはこれで拷問のような気がするけど・・・。 >>390
確かにあの当時のストッパー無しの簡リクはどうなのよって感じだよな?
151系以来のロマンスシートって結構出来がいいと思うのは俺だけ? 東北新幹線開業後は大阪〜青森間を乗り通す乗客はめっきり減ったはず。
開業前は東海道新幹線+はつかりと白鳥ほぼ互角だったような。 >>392
元来直通利用客が少ない区間をそう断言してもな。
東北新幹線開業で急行きたぐにが新潟打ち切りになったから、関西から東北・北海道方面の
周遊券旅行客は白鳥利用指向が増えたはず。
東北新幹線利用はコストが高過ぎで、そのくらいなら日本海利用だったろう。
大宮暫定開業時は乗換えが不便過ぎだし。 青函トンネル開通の頃、あちこちのJR絡みのイベントで「白鳥」の機関車用HMを展示てたのを覚えてる?
特に函館駅ではイベント貸し出しの無い時はパネルコーナーで常設で展示していたの。
あれって、実際に何か「楽しげな事」を考えていたのではないだろうか? 先月、北海道旅行からの帰りに、青森から新潟までいなほに乗った。
4号車の自由席に乗車したが、白鳥や新潟雷鳥に使われていたグレードアップ車で、
このまま大阪まで連れて行ってくれるような気がした。
あと、秋田から車販が乗ってきたが、ICOCAが使えるようになったのも時の流れか・・。 >>388
食堂車も廃止になった(実際にはもう少し前から編成から外されていたけど)昭和60年3月の改正ですね。
編成の貫録もなくなったうえに老朽化が目立つ編成になってショックだったのを覚えています。車内の清潔さも青森の方が上に感じられたし。 >>397
まあ全ては他の列車と共通運用で効率化した訳だね。
青森の末期は鳥海と、向日町になってから雷鳥と編成が揃えられてたわけだし。
青森全盛期の頃は白鳥の編成がはつかり・いなほ・やまびこ・ひばりにも使用されてた。 大目玉ボンネットや貫通型の国鉄色の雷鳥・白鳥も走っていた。
グレードアップ工事される前の上沼垂車だった。 10年前の白鳥とはうってかわって
かなりひっそりと消えた青森いなほ
白鳥亡き後は在来線昼行最長特急として
地道のしかし確実に毎日の任務をこなして来たけど
最後の最後に運転打ち切りの刑
なんたる仕打ちだろうねぇ、、、 ダイヤ的に上野〜青森を白鳥で、って言うのはそう無理な話でもなかったんだね
直江津での待ち合わせ時間は絶妙といってもいい (国鉄にしては)
時間も金も余計にかかるけどこのルートを使った人って結構居るのかな?
上越線経由だけど、青森発着のいなほはこれが受け継がれたものなの? >>402
>時間も金も余計にかかるけどこのルートを使った人って結構居るのかな?
いないだろ
何のメリットがあるんだよ? 酒田から大阪に行きたいのだが新潟、富山、金沢とかで乗り換える毎に特急料金が・・・。
何とかしろ! >>405
寝台料金かかって結局損だな
酒田発17:22の普通に乗ると新津できたぐにに乗り継げるぞ
運賃10,190円+急行料金1,260円 JALの大阪線が軒並みダウンサイジングしちゃったから、東北から大阪に出るのが今まで以上に大変になるな。 昔、青森高岡間、別の年に金沢青森間乗りました。
緑色の田園が南下するほど黄金色に変わっていったのが印象的でした。 大阪行き白鳥で、景色がトタン屋根から瓦葺きに変わったあたりで「帰ってきた
なあ」と思っていたものだ。 >>411
関西、東北・北海道連絡特急という役割を失ってからなら珍しくはないと思う。
時代的に柏崎に停車しているということから、珍しい事ではないだろうね。
高校1年の夏休み(昭和57年)北海道ワイド周遊券を使って北海道旅行した
時に大阪→青森→青函連絡船→北海で札幌まで乗った。
青森で583系特急みちのくと同時に着くダイヤだったと記憶している。
13時間乗ってたけど苦にならなかったな。当時の雷鳥と比べて停車駅が
少なかったような・・・・・ 社会人4年目でようやく夏休み(有給)を1週間申請できたとき、
滅多にない長期休暇だったのでその休暇中に四国と北海道の両方を
強硬乗り鉄したことがあった。その時、真ん中の日を移動日として
「岡山(新幹線)新大阪/大阪(白鳥)青森」と乗りまくったもんだ。
もちろん乗割適用で、白鳥はやはり始発から乗ってみたかったので
わざわざ大阪まで一駅バックしたのが思い出される。
(青森からのはまなすも乗割だった。) >>413
高槻〜京都で、113系快速と爆走デッドヒートになりました? 柏崎とかに停まるようになったときにはショックだったな。 最末期の近江今津やらの停車なんか信じられなかったな。
その前の時点でうすうすは判っていた、でも信じたくはなかった
今走っている特急白鳥はあくまで青森発の雷鳥であって、「白鳥」という特別な列車ではないという事実を思い知らされた。
心のどこかで、そのうちスーパー雷鳥並の停車駅になるんだよ、、、と思っていたけど廃止だもんな。
話は変わるが、どうしてもボンネットが馴染めなかった俺は異端かな。
字幕でもイラスト幕でも200番台が一番似合う列車と思うんだが。
>>417
俺は今だに1000番台か1500番台の印象が強いな。
何にしろ非ボンネットの方が印象深い。
100番台が入るようになってそれこそ「雷鳥に取り込まれたか」と思ったよ。 >>417>>419
気動車特急時代があった列車に、ボンネット型が馴染めたのは少なかったな。
はつかり・つばさも非ボンネットイメージだったし。
例外がひばり・にちりん程度かな。 はつかりやつばさにボンネット運用あったの?
ひばりは結構見かけたけど。 >>420
やまばととかひたちとかみどりとかかもめは?
あとはつかりはそもそも485系のイメージじゃないな 本来200番台は東北系統で分割・併合を行う前提で作られたものだから
クロを除けば200番台が基本のはずだと思う
かもめ・みどりもみどりのクロしかボンネットのイメージないな >>424
200番台の登場する前のことは無視ですかそうですか >>425
200番台できた時にボンネット車を玉突きで追い出しただろがよ
難癖しか付けない野郎だな >>426
追い出される前の記憶は無いのかって話で
難癖でもなんでもないだろ 白鳥で大阪〜青森に乗って、食堂車で日本海を見ながら食事…
憧れだったなぁ。
まつかぜで大阪〜博多で食堂車、ってのとが二大憧れだった。
結局できずじまいで廃止されてしまった… 東京から青森いくのにわざわざ大阪経由で白鳥を使ったことがある。
新幹線〜白鳥の乗割を頼んだら「なにもわざわざ大阪まわりでいかなくても・・・」といわれ
「大阪で必ず北海道周遊券かいますから」といったら「いいよいいよ」といってくれた。 >>429
今でもトワイライトを使う場合、似たようなケースがありそうだw
以前の特急「白鳥」は、
上野発大阪行きでした(信越本線・北陸本線経由)。
いつから青森発になっちゃたんだろう?
上野駅を発車する「白鳥」が懐かしいね... >>431
釣られてみよう。「青森白鳥」「信越白鳥」って言葉をご存じか?
>>432
そういえば、分割・併合だった様な記憶も...
以前は、上野から軽井沢に行く特急は「白鳥」しかなかったんだよ
懐かしいねぇ...
80系DC特急「白鳥」
大阪編成は実に15時間以上もかけて直通運転するツワモノ特急だったな >>432
>信越白鳥
ウチの親父なんか、この列車を単に東海道本線経由で東京駅を突っ切って上野に向かうだけの列車だと思っていて
「親父、それは違うぞ!」と、いくら説明してもさっぱり理解ができなかったw >>438
当時は湊町(現JR難波)から関西本線経由で東京行きがあった時代だったしな。
東京から北陸直通も東海道線・米原経由金沢行きの能登号が存在したので、
経由線区もバリエーション豊富だった。 >>439
スレチで申し訳ないが
昭和末期まで紀伊勝浦行の寝台特急があったよね
最近紀伊勝浦まで行ったけど、
(言っちゃ悪いが)こんな所に東京から誰が何しに来るんだ?ってほどの地方都市のありふれた中規模な駅だった >>440
伊勢志摩南紀は昔は結構有名な新婚旅行の行き先だったりしたんだよ >>440
スレチついでで紀伊号の行先は紀伊勝浦だったけど、日中の車両停泊は新宮だった。 紀伊勝浦行「紀伊」は4兄弟のうちいちばん最後まで残ったやつだよね。
たしか東京から金沢湊町紀伊勝浦鳥羽行とあって残り3つは全部なくなったね。 >>441
なるほど
今からだと考えもつかないような需要があったんですね
ありがとう 高校入学のお祝いにともらった小遣いや、貯めておいたお年玉を使って
憧れの「白鳥」に乗りに行った。
東京在住だったので、名古屋までは「大垣夜行」名古屋から紀勢本線で
「はやたま」に乗り、二晩掛けての大阪入り。
大阪からの「白鳥」では食堂車へ3回行った。
まずは京都を出てから早めの昼食は「トンカツ定食」
金沢出てから紅茶を頼んで午後のティータイム。
新潟を出てから夕食は奮発して「中華定食」
食堂車のクルーに顔を覚えられ、夕飯の時にはサービスでコーヒーを
ご馳走してもらったっけ。
全区間乗り通さず秋田で降りて「津軽4号」のオロネ10で帰京。
なぜ白鳥を青森まで乗り通さなかったのかというと、八甲田が座席だけ
だったのと、オロネ10に乗りたかったから。
今にして思えばもったいないことをしたかも。
紀伊勝浦と新宮の間は名古屋方面からの列車と天王寺方面からの列車がそれぞれ運行されていたから地味に華やかでしたね。 >>445
それは昭和54〜57年の頃と思うけど、オロネ10を意識したのなら別にもったいないとも思わないな。
実際上越新幹線開業のダイヤ改正で全廃だったから。
白鳥全区間乗車に拘るなら確かにもったいなかっただろうが。 >>439
確か粟津かどっかが、長岡経由か米原経由の境目だったんだよな >>445
>なぜ白鳥を青森まで乗り通さなかったのかというと、八甲田が座席だけ
>だったのと、オロネ10に乗りたかったから。
東能代まで行けたのに >447>449
つまらぬ回顧記にお返事いただきありがとうございます。
思えばそれまで2晩夜行座席だったのと、確かオロネ10がもうすぐ廃止
と聞いてどうしても乗りたかったからでした。
白鳥で青森まで乗り通すよりもオロネ10の方が魅力だった訳で・・
東能代まで行って戻るというのは今初めて知りました。
とてもそこまで考えが及ばなかったというか・・・・
たぶん、乗車券を一周にして安く上げようとしたからだと思います。
・・おもえば、この時白鳥の食堂車で飲んだコーヒーが人生最初の
レギュラーコーヒーだったと。(インスタントは経験有り)
大阪発、青森行の白鳥は大阪を何時に出発してたっけ? 昭和36年
下り大阪発08:05発 青森23:50着
上り青森発05:20発 大阪21:12着
昭和47年
下り大阪発10:10発 青森23:50着
上り青森発04:50発 大阪18:48着 白鳥ってJRになってから地味にスピードアップしてんのね ヨーロッパに行ったとき白鳥の時刻表を持参した。
白鳥の全区間と成田からのヨーロッパ便の所要時間がほぼ同じだったから飛行機の中で
まだ金沢、そろそろ直江津、やっと新潟、疲れた秋田、間もなく弘前で着陸間近、
って感じで時間的距離感がつかめた。 旅行会社社員です。
平成ひとケタのころ、お客さんが直江津→長岡の特急券を希望した際に
「この『しらとり』の指定席取って」と言われてしまって返答に窮しました。
>>456
私なら吹き出していたでしょうが
よく我慢しましたね しらとり と おおとりw
通し料金で特急券が発券されてたよね。 昭和39年9月30日、東京発151系特急のおおとりがおおとりだった。 >>459
( ´・∀・`)つ〃∩ ヘェーヘェーヘェー 西村京太郎トラベルミステリー
特急 白鳥 14時間
愛川欽也
三橋達也
森本レオ >>458
そうなんだ
白鳥に接続するのは
おおぞらと北海なのに 白鳥から乗り継ぐ時は北海道のどの特急でも通しの特急券が発券されてなかった? >>445
乗り通しも食堂車があると楽しいものだね。
俺は末期に乗り通した時、北陸線内は駅弁入手も容易だったが
羽越線じゃ、駅弁も売ってなくてひもじさ抱えて座ってよ(泣) >>467
その意味でも白鳥の食堂車は必須だったね。1000キロ以上走るのに食堂車なしとは
どうかしてると思った。
日本海ですらひもじいのに。 奥羽線内のひもじさには自分も参った。酒田の駅弁販売が最終販売ってのを知らなかった一回目のときは
青森まできつかったなあ。何度か乗ったけど、それからは酒田か鶴岡の業者の車販を必ず買うようになった。 北陸線内で富山で鱒の寿し買っておいて、夕食用にしたこともあったな。 そういうのって途中で食べるの我慢しきれなくなっちゃうんだよね。 大阪行きはだんだん賑やかになってくるし、夕方に着いちゃうからわびしくならないんだけど、
青森行きは新潟を過ぎて酒田から先あたりは辛かったなあ。
それで乗り継ぐ「はまなす」はもっと嫌だったけど、今となっては、「はまなす」にがんばって欲しい。 昭和58年には、宮口二朗、立川三貴が乗客を襲い、森川正太、北詰友樹がグリーン車を乗っとるエピソードがあった >>475
なんだなんだ?ゾル大左の日本乗っ取り計画か?? 福井発の白鳥1号には食堂車がない上、編成も短いのは誠に不可解 どんだけ改正しても最寄り駅に停車しないのが悔しかった
やっと停車するようになった頃には・・・
分かるよな? 末期は特別急行と呼べるような状況じゃなかったね
だらだらと長距離を走る急行・準急になってしまっていた
本物の特別急行「白鳥」に乗れた人は、ある意味で幸運なのかも 大阪を9時55分に出て青森には23時40分くらいかね。
途中で青函連絡船の搭乗希望者の名簿を集めていた とう‐じょう〔タフ‐〕【搭乗】
[名](スル)船舶や航空機などに乗り込むこと。「宇宙船に―する」「―員」
提供元:「デジタル大辞泉」 >>482
いつの頃からか不明だが、青森駅の連絡船乗り場で乗船名簿を回収していたように
記憶してるんだが・・。それまでは車掌が配って、回収してたね。東能代か大館を
発車した後あたりだったかな?それとも弘前発車後?
ボケてしまって記憶が飛んでいる。 サンダーバード+北越+いなほ+つがる=白鳥
指定席もマルスで分割登録していたのだろうか? 53・10・2の改正前は「白鳥」には専用編成が充てられたんだよな…。「はつかり」や「いなほ」
よりTsが1両多かったし、号車番号も逆だった。これは北陸側の都合を優先させたからか。
あと、宮脇俊三の「時刻表2万キロ」の中で青森から弘前まで「白鳥」の自由席に乗った、
って件が出てくるが、この時点(昭和52年5月)では「白鳥」は全車指定席だった。
まあ、東能代までは特定特急券で乗れて普通車の空席は利用できたが…。 カヌ車の編成の中にカツ車が組み込まれてて混色になってた白鳥を見て仰天したなぁ… 50・3・10の改正で、「日本海」「白鳥」「きたぐに」の3者は、
全て大阪―青森間の列車でありながら走行距離は互いに異なる、
という珍現象が生まれた.
これは、山科―近江塩津間と新津―新発田間の経路のせいで,
「日本海」 1023.5km 湖西線,羽越線経由
「白鳥」 1040.0km 湖西線,新潟経由
「きたぐに」1059.5km 米原,新潟経由
ってことだったからだけど,或種の面白さを感じた。
あと、当時の「白鳥」に関しては、新潟経由で道草なんかしてて
新津通過とはけしからん、みたいに思った。
格別な理由は思い出せないけど…。 >>489
互いにってのは二つの事柄について使う言葉だよ 対象が幾つあろうと1回の比較はその中の2つ取りだして、が普通だろ。
要はn個の事象があれば、nC2回の比較を行うってことだ。
まあ、「全て互いに異なる」とか何とか言うのがより正確だろうけど。 >>490-491
そんなことどうでもいいよ。
それよりも、その三種類のうち、形を変えつつも二種類がしぶとく残ってるって
のは不思議と言えば不思議。今「白鳥」があれば、どれ位の需要があるかなぁ。 >>487
とは言ってもグリーン車1両を足しただけだけどなw
>>492
30年程前から実態は雷鳥+いなほと言われていた。
その頃からさすがに日中の長距離移動は、乗客に敬遠されがちだった。 ご存知と思うが、JR西は金沢以東への長距離列車を廃止するだと (鉄道唱歌)
今日もJRご利用頂きましてありがとうございます
大阪を定刻の10:12に発車いたしまして
この先、東海道、湖西、北陸、信越、白新、羽越、奥羽本線を日本海沿に1040kmを
走ります青森行き特急「白鳥」号です
先頭が9号車、一番後ろは1号車です
停まります駅の停車駅と到着時刻は次の新大阪を出ましてからご案内します
車掌は途中の新潟までJR東日本のアンパンマンとバイキンマンがご案内します
よろしくお願いします
まもなく渡ります鉄橋を渡りますと直ぐに新大阪です
新大阪の次は京都に停まります
(鉄道唱歌)
「昭和36年10月改正 時刻表を愉しむ本」を見たんだけど
http://www.yosensha.co.jp/book/b93154.html
当時北陸本線を走る特急は「白鳥」だけ!
当時の子供達にとっては憧れの列車だったんだろなー。
昭和36年は私の生まれる前だったけれど、その10年後に
私は毎日キハ82「白鳥」を見てたんだけど、13両編成で走るその姿は
実にかっこ良く、憧れの列車だった!
しかし、その後、すぐ485系になってがっかりした憶えがあるな。
お盆中は11両増結だった白鳥
いなほの8両なんて比べ物にならない威厳があったな >>498
そのお盆輸送の時に11両運転がJR東日本側に伝わってなかったのか
よく酒田や秋田で乗ってきた人が車掌になにやらクレーム付けてた
たぶん、乗車口の事でクレーム付けていたんだと思う
確かに青森でも3号車の乗車口か増3号車で4号車乗車口が増4号車で5号車が3号車と
2両ずつずれていたしな
でも、お盆や年末年始の時期は11連白鳥でも青森口では輸送過剰でも秋田辺りではほぼ満席だったからな >>498
そういうときは「増結11両」と書きます
「11両増結」だったら通常両数プラス11両という意味になってしまう 9両+11両か。
すごいわ。
てか485系の13両編成あったよね。
キハ82時代だったかな? 最近は短編成が多くてつまらんのう
多客期ではくたか12両とかあるのかな? 一応突っ込んでおく
>>475 放送は1985年11月か12月だったよ。
西村ファンだった俺、その番組見たかったけど、大学受験真っ盛り
のときで見れなかった(当時ビデオなし)。
再放送願ったけど、数年たってやった。 >.489
今頃すまん。
S55.3、福井から磐越西線方面に向った時、時間帯のよさから白鳥を福井から利用。
新津に停まってくれれば磐越西線の普通列車にすぐ接続できるのだが、残念ながら通過。
長岡で後続の「とき」に乗り換えれば、磐越西線の普通に接続できるので、長岡乗換。
当然、特急料金は別、正直痛い出費で、国鉄を恨んだ。(当然、まじめに払いましたw)
で、その時の編成
クハ481-1016 ↑新潟
モハ484-206
モハ485-102
モハ484-602
モハ485-145
サロ481-130
サシ481-41
モハ484-263
モハ485-161
モハ484-1059
モハ485-1059
クハ481-1029 ついでに、ときの編成
クハ183-1027 ↑新潟
モハ183-1042
モハ182-1042
モハ183-1053
モハ182-1053
サロ183-1007
サロ183-1117
モハ183-1045
モハ182-1045
モハ183-1006
モハ182-1006
クハ183-1012
おかげで183と485の窓の高さの違い、回転式腰掛と簡易リクライニングの座り心地の差を体験できた。 白鳥伸雄 競輪解説者(←選手)なら知っているが・・・ 西武ライオンズに白鳥浩徳ってのがピッチャーでいた。今スコアラーやってる。 日本海までなくなってしまうとは・・
需要の変化とは恐ろしい >>507
青森の485系って1972年以降製の電気釜世代の車両ばかりというイメージがあるね。
逆に向日町とか南福岡の485系はボンネット世代のイメージが強い。
もっとも仙台は先頭は電気釜でも中間10両は全部キノコクーラーという編成が多かったような。
ひとつ言えるのは東日本は電気釜、西日本はボンネットというイメージがある。 >>513
サロとサハはキノコクーラーなしという罠 >>513
昭和50年代だと
白鳥 しらさぎ 加越 ・・・・・ボンネット以外
雷鳥 白山 はくたか ・・・・・・ボンネット
の印象がある。
東日本でも、「ひばり」と「あいづ」の仙台方はボンネットのイメージがある。 >>515
白山のために生まれた489系はボンネット、貫通、非貫通全部あるんだけどな
ボンネット10両
貫通10両
非貫通8両
だから別にボンネットが多いってわけでもなかった >>516
53.10以来、489系Tcは貫通型4本がしらさぎ・雷鳥系に転用されている。よって、
ボンネット 5本
貫通 1本
非貫通 4本
で、貫通が非常に珍しい存在となった。
白山系につては、なぜかボンネットの写真が趣味誌などに多く残っている印象がある。 >>517
キハなら、、、
青森に一時的にボンネットいたらしいんだけど、
その時の「はつかり」は583オンリーで485運用はなし。
「いなほ」「白鳥」の運用には入ってたみたいで、その際の画像は見た事ある。 はつかりに485系が入るのは1973年3月以降。
青森のボンネットは1973年の初めころまでに向日町に転出してるので、
はつかりにボンネットが入ることはなかった。
ただ、キノコ型クーラーの中間車はそのまま残留したので、
キノコ型の中間車は1982年11月の盛岡以南廃止まで入ることもあった。 いなほ上沼垂色ボンネットもありましたよ。
北陸の特急=ボンネット
ひたち=ボンネット
というイメージ。 香水の匂いのきついヤツ、口の臭いおっさん、何日も風呂に入っていないような
臭いのする若者、隣席にそんな人が来るとほんとに最悪だった。
そんなヤツに限って、なかなか降りない。デッキで深呼吸して復活する必要があったねえ。
>>518
どっかの図鑑でボンネット489のあさまが有ったよ
激レア 上沼垂白鳥→京都白鳥
一般利用客=グレートダウン
録り鉄マニア=グレードアップ スレチだが、489系ボンネット「あさま」の文字マークは、181系「あさま」と書体が違っていたんだよ。
上の写真にもあるが、太めの丸っこい書体を掲げていた。 >>527
181系「あさま」と書体が違っていたのもある
が正しいだろ グリーン車の乗客専務車掌は改札業務専門で後ろに乗っている車掌がドア扱い専門だっけ? 白鳥に白鳥がバードストライクしたことはあったのかな? 485
1994年8月、新津から新潟まで乗った。
1997年8月、北海道の帰りに、青森から東能代まで乗った。秋田新幹線も乗った。
1999年8月、周遊きっぷ京阪神ゾーン使って、新大阪から大阪まで乗った。
2003年8月、八戸から函館まで、789系スーパー白鳥に乗ったし、
木古内から函館まで485系白鳥に乗った。
>>12
今じゃ北越とはくたかも直江津交代だもんな
わかってるけど、一応臨時列車として今年の夏季に
運行されることまでは確定してる ぜひ乗って何とか残してくれ俺は底辺で乗れないけど
そう言えばふるさと雷鳥も晩年はヲタばかりだったww うん、乗るよ
去年で仕事やめたんで現時点で俺も底辺だよ
でも今季は無理して往復乗ったよ 『なは&日向』『まつかぜ』『かもめ』『白鳥』。
昭和45年頃の朝の大阪駅は、82系がいっぱいやって来た・・・。 大阪行き白鳥が豪雪地帯を走り抜け、北陸地方の大きな鉄橋を通過する際に
ゴーン、ガーンと大きな音を立てることがよくあった。最初は何の音だろう
と思ったが、最後尾の自由席に乗った時、前方の車両の床下にくっついてい
た雪の塊が下に落ちて、鉄橋に当たっている音だと知った。鉄橋全体が反響
するようないい音だったなあ。 >>524
上沼垂白鳥→京都白鳥
一般利用客(グリーン席、指定席)=グレートダウン
一般利用客(自由席)、録り鉄マニア=グレートアップ
金沢まで新幹線が出来たら、正統白鳥のリバイバルも永遠に封印になるんだろうな。
>>544
グレートだぜぇ!!
草場の陰で杉ちゃん喜んでるぜぇ!!
所で白鳥といえば、うちの祖父がまだ杉津経由の頃に機関士として乗ってたそうです。
あの勾配はキハ82でも苦しい時があったそうです(祖父談)
でも乗務は格段に快適だったようです。 >>496
まだ新大阪着かないの?
待ってるんだけど
>>546
キハ82の出力じゃ杉津越えはやっとこさ、だろう。
ディスクブレーキ付だからエンジントラブル起こさなければ機関士には乗りやすい車両だったろうと思うが。 一時期、勝田の「ひたち」用編成を借り入れ?て使っていたことがあった
たぶん、上沼垂車をグレードアップ改造している期間だったと思う
茶とえんじ系のシートモケットが北陸では異質だったけど、フリーストップ式
のリクライニングシートでなくがっかりした覚えがある
しかし、両端ボンネットで編成の大半が初期車と、それはそれで趣味的には
興味深いものがあった。 フェミニスト政党の候補者を落選させ女性専用車両を根絶しよう
「未来の党と公明党は男性を差別した政策主」
石原慎太郎さんが都知事時代に的確な問題提起をされていますので、皆さんも視聴しましょう。
http://www.youtube.com/watch?v=U04E6G2Cy8o&list=PLC6839F661C03104D 各地の485系の座席がフリーストップ式に取り替えられ、グレードアップが進む中で
一番最後まで手をつけられずに残ったのが白鳥じゃなかったかな?
オリジナルシート(ベンチシートor簡易リクライニング)率が最後まで100%だった
と思う。しかし、その後登場した待望のグレードアップ編成(カヌ車)は好きだった。
ただ、自由席車は簡易リクライニングの移設だったのが残念。 >>552
一番最後は九州。
にちりん・きりしま系統に非リクライニングの回転シートが残っていた。 一時期の九州は787から485非リクライニングに至るまでの格差が凄まじいことになっていた。 でも、にちりん・きりしま系統は、列車および車両を選べばフリーストップ式
に座れたんじゃないかな。つまり非グレードアップ率100%ではなかったと思う。
自分の記憶では、北近畿と白鳥ではどっちが早かったかなぐらいな印象 >>556
白鳥出来た頃は米原に停まってただろ
そのころ信越白鳥は埼玉素通りだ
大宮停まんないのに米原停まってたんだから感謝しろ
その後近江今津に停まってる時期無かったっけ? 青函トンネル開業後、上りの白鳥とたざわが青森秋田間でほとんど続行で走っていた時代があって奇異に感じていたのを覚えています。 A09編成のクハ481-126ばかり追いかけていた。
もっと他の編成も撮るべきだった。 >558
以前は大宮を通過する特急は山ほどあったのにね。 >>559
そりゃ近江今津の場所考えれば当たり前だろ
>>564
そう 【ぽおんヘアー】 【ぽおん脳】
一ヶ月に一回しか 北鉄グループバスを少しでも批判されると、本能の
洗わない為、臭く ままに矛盾だらけの火病意見を垂れ流すぞ!
テカっているぞ! | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\/ ̄| ̄ ̄ ̄\ 【ぽおんイヤー】
【ぽおんアイ】 (____人 ) 都合の悪いことは全てシャットアウト!
案内所のババアすら (-◎-◎一 ヽミ| 今は北鉄バス車内アナウンス女の声しか聞こえない
俺嫁と思えてしまう /.( (_ _) 9) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
超高性能フィルター. / ( ε (∴ ┼【ぽおん脂肪】
内臓だぞ! / ヽ______/ 日々喰らい続ける生活によって蓄えられた脂肪。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ⊂二、 \ そしてひたすらそのまま蓄えられっぱなし。
【ぽおんペニス】 \ ) ) まさに地球財源の無駄遣いだ!
20年以上一度も洗った / ̄ ̄/ / /
ことのない究極兵器 / (__)_)
訓練発射のみで
実戦での発射は皆無 地味にJR西日本の485系が青森来ていたのはたった数年なんだよな >>567
でも、国鉄時代にまで遡れば大ムコ車が来ていたよね >>569
そーいや、気動車時代は大ムコだったな。
まあ青森まで九州の門ハイ車が来ていた事もあったわけで。 >>570すごい時代だったねぇ・・・・東北・上野〜九州まで共通運用が組まれていたなんて今の時代じゃ考えられない。 今の下りトワイライトのスジは昔の白鳥のスジになんとなく近い。 「白鳥」といえば、西村京太郎の「特急白鳥14時間」や「日本海殺人ルート」に出てきたイメージが強い。 きたぐにが新潟止まりになった改正で、特例として白鳥だけは周遊券のアプローチに使わせてあげてもいいのにと思っていた関東人の私。 幾度となく白鳥に乗って、青森〜大阪を乗りとおしたが、夕方の山科で満員の新快速を
見たら、厳しい現実に戻ってきたなと感じたなあ 雷鳥の大阪発新潟行きがなくなったのは改悪。大阪〜新潟の客も少しはいたし、
現にパック旅行では大阪から雷鳥で直江津や新潟まで行って佐渡に行くツアーとかあった。 元は一本だった列車を4つに分割して
乗り継ぎ割引がないのはいかがなものか? ウチの親戚がある鷹ノ巣に停まらない唯一の優等列車であったから、けしからんw
朝早すぎて、夜遅すぎる。 白鳥にも使われた上沼垂のグレードアップ車がもうじきこのスレの仲間入り。 上沼垂のグレードアップ車も好きだったけど、3000番台の白鳥も見てみたかった。
雷鳥なら見たことあるけど、登場はキトへの移管後でしたっけ? ライスチャーハン(お茶付き)
ライスチャーハン(お茶付き)
ライスチャーハン(お茶付き)
ライスチャーハン(お茶付き) キハ82系
485系ボンネット
485系貫通型
485系上沼垂
485系京都
世代別で白鳥のイメージも色々 1982年8月22日青森駅23:50、1000qを走ってきた白鳥と700qを走ってきたみちのくが同時に到着する。
お互いが語りかけているようで、感激しました。
ピッタリ同時に停車、国鉄魂。 トワイライトエクスプレス号の廃止で、
大阪から北海道へ日本海縦貫線で鉄道で行く事自体不可能になるの実に残念だorz 昼行も夜行も、もう鉄道の長距離移動の役割は終ったと考えていいね。
これからの子たちは今まで以上に知らなくなるんだ。
我々は知ってるだけでも喜ばなければ。。 長距離移動は新幹線でお願いしますということだろうなあ。 >>600 ←趣味の板やスレで言動意図の類推もできない指摘をするってアスペなの? >>600
つ金沢ー直江津間北陸新幹線在来線分離と言うか新潟で一泊しないと駄目では?
(北陸新幹線金沢ー上越妙高利用場合除く 新幹線開業で富山ですら大阪から乗り換えが必要になる。ますます大阪の地盤沈下が進みそう。 >>587
485使われてるのは北越・つがるのみ。来年になるとつがるだけだな
>>591
3000デビューは1996年後半で最初は臨時いなほが運転だったが
北越急行開業した1997年春はくたか担当になり上沼垂の白鳥はキトへ移管したのさ スレ主は白鳥の車内で奥さんと知り合ったとの事だが
ぶっちゃけ廃止されてからというもの、関西人と東北美人の
出会いがますます減ってしまってる感じがする
たいていの東北人は箱根から西へは出てこないんだもの
それではここで一曲お届けしよう
元歌 超獣戦隊ライブマン/嶋大輔
地理・人類学板 / 東北美人〜君たちはなぜ関西に出てこないのか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/geo/1407913764/主題歌
君らは感じないのか
吉本観れないもどかしさ
君らもときめくハズさ
千年の古都に港町
西を見ろ! 視野を広げ
東京にはない魅力 命で触れろ〜
嫌いじゃないなら Live here!
若狭や近畿で
生きている素晴らしさ教えたる
嫌いじゃないなら Live here!
秋田に青森
岩手宮城福島 (美人さん)
山形新潟から (いらっしゃ〜い)
常住関西! Live here! ラッシュアワーデズネーオウフェイスブックマナーLG春文ラーメン
ラッシュアワーデズネーオウフェイスブックマナーLG春文ラーメン
ラッシュアワーデズネーオウフェイスブックマナーLG春文ラーメン
横浜駐車近代家賃国会端末問題成田中国売国請負人切桐ラーメン GWの頃に乗ると、大阪発車時は軽く冷房が入っていたのが秋田辺りでは暖房に変ってる事があったな 宮脇俊三の本に新潟駅停車中に暖房→冷房切り替わったとか。
その時期に乗った事なく残念。 青森から白鳥に乗って福井へ帰って来る時
牛ノ谷トンネルがやたら長く感じたな 種村直樹列車追跡してたかな?
1989年平成元年読んだ記憶ある 記憶が朧げなんだが、国鉄時代から既に白鳥も実質3等制になってた気がする
グリーン車はもとより指定席車も簡易ながらリクライニング(まぁ多分ケツ浮かせたらバタンのタイプかも)
で、俺みたいな貧乏人は自由席車でリクライニングしない回転クロスシート(ついでにクーラーはキノコ形)
ひじ掛けには被せるタイプの布製カバーはつけられてたから、そのあたりは簡リクより勝ってはいた
まぁ、中には自由席/指定席で逆転してるのもあったかもね >>621
青森の485は新旧混在してましたね。
編成中1ユニットだけキノコクーラーとか、先頭車も200番台だとたしかバッタンシートでしたね。 国鉄時代は指定席自由席でグレード変えてた訳じゃないと思うぞ
クハ481型200番台は貫通型だが座席は回転クロス
簡易リクライニングになったのは非貫通型になった300番台から 食堂車のクルーはすべて男性で、高級料理店を思わせる雰囲気もあったとか 皆さんは何回くらい全区間乗り通したコトありますか?
私は下り上り2回ずつですね。いずれも普通車自由席で。そのうち下りの1回はJR10周年謝恩フリーで乗りました。
東の485の時は自由席の椅子がショボくて大変でした(苦笑)
手元にある大阪→青森・青森→大阪の自由席特急券も今となっては貴重品ですな。 >>625
何故そういう嘘を平気でつくのだ?
http://6.fan-site.net/~haasan55/images/HakuchoJNR/Shokudoas.jpg
http://6.fan-site.net/~haasan55/Hakucho.htm そうか新発田以北じゃいきなりそれまでと編成逆になったんだな >>631
そういう話じゃなくてさ
1965年9月30日以前と10月1日以降では、新発田以北で編成が逆向きになったってこと >>632
かつては新潟を通らなかったのか。
調べてみると当時は新津の次は鶴岡まで停まらなかったようで、長距離特急の風格がありそう。
末期の雷鳥なんてローカル特急並みの停車駅で延々と走ってるだけだったのに。 新発田ー中条ー坂町ー村上ーあつみ温泉
1972年昭和47年10月2日の電化の直後は新潟から村上までノンストップだった。
新発田、中条、坂町などの途中は新潟で
70系電車普通電車に乗り換えだったが、
1日2往復しか電車がなかった時なので、
70系普通電車村上行き味わいがありもう
1本の70系電車で村上へ行き村上から、
EF81牽引旧型客車も結構味わいあった。 以前、能生出身という人に会ったときは、なんか感動した。
おばちゃんだったので、鉄話はしなかったが。 柏崎は本来就役時から停車してもおかしくなかったんだけどね 新設時 直江津、長岡、新津
新潟経由に変更
東三条停車駅に追加
新津通過に
村上停車に
新発田停車に
そして柏崎と坂町停車に
これで何で「柏崎は本来就役時から停車してもおかしくなかった」と言えるんだ? 昔の特急は今の大都市ー地方空港路線相当の役割だったから、
停車駅は基本的に、県庁所在地とそれに準じる都市、全国的に著名な観光地、
に限られてたよね。新潟県なら上中下越で各1駅が当時の常識的な線かと。 大阪〜新潟はA特急料金
新潟〜青森はB特急料金
だったっけ? 今日は日本海縦貫線の白鳥が最終運転した日だ
もう14年も経つのか あの日は関東から夜光バスで大阪に馳せ参じた。
ああ、懐かしいねぇ 新潟を境に車掌のアクセント等が変わるのが印象的だった。
「お待ちどうさまでした。あと、5分で秋田に到着をいたします」
というような少し東北訛りの入った車内放送を聞くと、「ああ、遠くまで来たなあ」と
感じたものだ。 運行最終日の白鳥から降りてきた鉄ヲタから
特急券を根こそぎ強制回収した青森駅
という噂を聞いたんだけどこれって事実? 学生時代、部活の遠征で年に2回は
関西から北海道に行ってたんだけど
安いから周遊券を使うので通常は急行「きたぐに」を使ってた。
でも前日夜に大阪を出る「きたぐに」と
朝に出発する「白鳥」が青森に着く時間が
たいして変わらない事に気が付いて
一度「白鳥」に乗ってみた。
特急券を買わずに乗ったのに、青森まで結局検札が一度もなくて
きたぐにと同じ料金で北海道まで行けた思い出があるw
しかし学生時代とはいえ「きたぐに」で
大阪から札幌まで2泊かけて行ってたんだよな。
今では信じられない >>648
一度あることは二度?白鳥がまた来年無くなりますな 白鳥の自由席の検札は青森行きが新大阪〜京都間、大阪行きが敦賀発車後だった。
それ以外は一切なかった。帰省のため何度となく乗ったが、変化はなかった。
京都から乗れば特急券なしで青森まで行けたことになる。ただし、着席できる保証はないが・・ 485系白鳥(大阪〜青森)は大ムコ、盛アオ、金サワ、新カヌ、京キトの
車両を使ったと記憶にあるけど他にあったっけ? >>654
定期白鳥で金サワの車両が使われた事は一度も無い
JR化後に2年間ほど帰省シーズンに臨時の白鳥が走ったけど
その時は金サワの7両だったね
当時の福井白鳥の流れだったんだろうけど2年ほどで消えた事を考えると利用する人は皆無だったんだろうな
ちなみにJR化後に秋アキの485系(たざわ編成やかもしか編成)による秋田〜青森間限定の代走経験もあるよ
その時は定期白鳥の大幅な遅れか秋田から秋田から南の区間で区間運休があった時ぐらいかな 連投でスマン
白鳥の車掌だが
485系国鉄〜JR前半
大阪〜新潟間(大阪車掌区)
新潟〜青森間(新潟車掌区)
晩年の白鳥は
大阪〜新潟間(新潟車掌区)
大阪〜青森間(秋田運輸区) 確か上下共に秋田交代だった様な… >>655
1985年3月14日のダイヤ改正で新設された福井〜青森間の「白鳥」1・4号の
白鳥1号に1982年12月29日乗ったけど全車盛アオでしたよ。
自分が乗ったのはクハ481-1508(1号車)でした。 学生時代は関西から大阪22:10(急行きたぐに)17:10青森ばかり利用してたけど
社会人になってからは白鳥ばかり乗るようになった。急行あおもりだと青森に
付いて青函連絡船まで2時間以上の間が空いてしまうけど、白鳥は20分接続で
青函11便に接続してて都合がよかった。
>>654
白鳥の全編成が金サワ車は過去になかったけど、末期の2001年くらいに季節増結した
増3号車と増4号車に金サワ車のモハ488とモハ489が入っていた事はあったよ。
>>658
定期白鳥時代も先頭車(TC481)に1500番台が入ってて、盛アオ車と新カヌ車がそうだった。
末期に増車した2両ってサワの489系だったんだ
知らなかったよ 白鳥は上沼垂のデラックス編成がよかった
3列シートのグリーン車C席で3回ほど大阪から青森まで乗り通したけど
敦賀〜富山・富山〜糸魚川・直江津〜新発田・余目〜酒田で駅弁の
車内販売が何回も乗って食事情では困らない特急だった >>658
TC481-1508は原色に戻されて新津鉄道資料館に保存されてるよ
クハ481形1500番台の中では一番転配歴が多くて、北は旭川・
南は鹿児島(転属の際に伴車として走った)まで走った485系。
1974.06.01札サウ→1980.09.28盛アオ→1987.07.01秋アキ→1992.07.01盛アオ→2000.07.02新カヌ 昔だけど青森駅から特急白鳥(4002M)に乗ると特急みちのくと
同時発車で途中まで並走するシーンが感動的だった。 みちのくとの並走は覚えてないけど、俺も弘前まで乗ったことある
高速を誇る白鳥でも通過駅の手前で速度を落とし、駅を通過したら機敏よくぐんぐんとスピードを上げていったのが忘れられない >>661
下りの白鳥に乗ると最後の駅弁販売が酒田弁当部のささにしき弁当だった
夕飯にとっておこうと思ってもご飯がまだ温かったので毎回食べて、
秋田〜青森でお腹が減って困った事があるw 末期の特急白鳥同士のすれ違いは筒石〜能生でいいのかな >>666
確か糸魚川付近だったと思う
(はっきりした事は言えないが姫川橋梁の青海寄りだった様な…)
ちなみに上りになるが日本海1号が大館駅(日本海発車と同時入線だった思う)
そして日本海3号は白鳥の方が新屋運転停止だった思う 特急白鳥といえば下り先頭がキノコ型クーラーを載せたボンネット型なのが懐かしい >>670
食堂車があった頃は青森〜大阪間通しで日食の青森営業所だった思うけど
廃止されて何年間かは日食の青森営業所が青森〜新潟で
新潟〜大阪が今のジェイアール西日本フードサービス(当時はJウエストランだった様な)の記憶がある
青森〜秋田間の車販が廃止されてからはNREの秋田営業所が秋田〜新潟
直江津のセンチュリーイカヤとホテルハイマートが日替わり担当で新潟〜直江津
そしてJR西日本区間は北陸トラベルサービスが担当していた記憶がある
ただ、新潟〜直江津間はNREの新潟営業所?と共存してた様な記憶もある
センチューリーイカヤとホテルハイマートがお弁当とお茶で
NREはそれ以外の物(ビールやお土産類)と神尾の弁当(新潟駅の駅弁業者)の販売してた様な記憶もある >>762
新潟〜直江津間は新鉄車販サービスだったようね? >>672
白鳥のNRE車販で神尾弁当部(現神尾商事)の特製さけずしを積んでいたのを見た事があるよ。
自分は敦賀の鯛の舞、加賀温泉の押し寿司日本海、糸魚川の海老釜めし食べて腹が一杯で
買わなかったけど・・・因みに神尾は新潟でも売ってるけど、新津駅の駅弁会社です。 昔(1985年ごろ)どうしても大阪から秋田に行きたくて、白鳥ではなく
雷鳥3号"新潟乗り継ぎ"いなほ7号で行った事がある
大阪7:35(雷鳥3号)14:57新潟15:27(いなほ7号)19:26秋田 だった >>675
今は北陸新幹線入るが大して変わらないいやそれどころか却って遅かったりする 丁度、青函トンネルが開業した夏での事だが
札幌から「はまなす」に乗った際に俺が座った隣の人も青森から「白鳥」に乗ると…
さらに何処まで帰るのかを聞くと鹿児島の喜入まで帰ると言う
「白鳥」では私は自由席でその人は指定席
「はまなす」車内で話が合い意気投合したのもあり、その人も大阪まで一緒に自由席に座ってくれ終点の大阪まで色んな話をしたな
そして、その人は大阪から「なは」で西鹿児島に帰った
その人とは、車内でお互い連絡先を交わし毎年年賀状が送られて来る仲に
1週間ほど前に喪中による年始の挨拶はご遠慮の案内
その亡くなった方と言うのが札幌から青森まで共に過ごした方だった…
数年前の年賀状に「病気により長い間入院していたと」言う事を言っていたのを思い出した
もうその人から年賀状が届か無いんだなと思ったら何だが寂しいと言うか切ない気持ちになった
あの時の色んな話をしたのが何だか走馬灯の様に頭を過ったよ
ご冥福をお祈りします 合掌 >>677
「一期一会」とはこういう事でしょうかね?
人はいずれと言えども…
切なくなる話ですな
その思い出を人生の宝にされて下さい ガキのころに西村京太郎のトラベルミステリーけっこう好きで読んでたが、スリリングで特に面白かった「特急白鳥14時間」の土曜ワイド当時見逃して、今日30年?かかってようやくスカパー朝日で見れた。
が、一緒に乗り合わせた婦警が車内で殺されてもそのまま運行継続!?とか、トラベルミステリードラマおなじみの車両が同じなら何でもいいだった
特に夜の映像で何とボンネット型!?新色の415系とすれ違ったからひたちなんか使ってて呆れた
青森駅に着いたシーンも何と上野だよ
鉄が見たらダメダメな作品だった
山村紅葉の20代の時がほっそり京美人なのも超驚いたがな 殺される婦警役は、同じ牟田検事シリーズで娘役を18年も演じた丸山秀美だよ
紅葉は今でも、土曜ワイド劇場西村京太郎シリーズの桜田門のレギュラー刑事役だろ
しかしどこでどう間違って、あんな典型的な肥満なにわおかんになったんやろか?? >>1と>>23はどっちも
自分が京阪神の人間で彼女が青森って
どこで知り合うわけ? >681
銃を持った男2人が女性客を人質に7号車に立てこもるシーンは、
撮影所の特急電車の車内を模したセットで撮影されたような感じだったな 同じ朝日の西部警察かよってシーンだったなww
あれだけのことがあってもきちんと終点青森まで到着してます(--;)
本来なら運行中止して、犯人をなだめてる間に亀さんが桜田門の虎の子SATを出動要請するとこだろw
ズブズブ素人二人組だから催涙ガスで一瞬に制圧されただろうがw 西部警察では「長野行特急列車」という回があって、タイトル名聞いたら、
長野行特急「あさま」の車内でなにか凶悪事件が発生するのかと思ってたけど、
ラストのシーンで上野駅と同駅を発車する189系特急あさまをリュウが
見送るシーンがあるだけだったな 俺にとって、向日町の485系は魔女っ子メグちゃんみたいな元気で綺麗なお姉さんみたいな雰囲気。
だが青森からやってる来る白鳥だけはノンみたいな威圧感や凄みを感じていた。
上野に行くとそんなツンツンしてる盛アオの485系が、仲間に囲まれてニコニコしているように見えて、
ああ彼女の本来の居場所はこっちなんだなーなんて勝手に妄想してた。
なお向日町担当で上野に来るはくたかは配置に関係なく、周りとワイワイ仲良くやてるように見えた。 西村京太郎トラベルミステリー
「日本海殺人ルート」では、JR東日本管内とJR西日本管内を走行する大阪行「白鳥」の
走行シーンや、「白鳥」が新潟駅に到着するシーン、湖西線内を走行中の「白鳥」の車内で
中島ゆたか演じる女性の死体が発見されて、京都駅で車内から死体が運び出されるシーンなどもあったけど、
これらのシーンはちゃんと新潟駅や京都駅、湖西線沿線などで撮影されていたな 昭和53年1月、当時小5の兄と小3の自分が四国から酒田の母の実家まで白鳥に乗って旅をしました。当方四国在住のため、当時の詳細について記憶があいまいです。
当時の頃をよくご存知の方々へご質問です。
大阪〜青森の白鳥でしたが、この頃は485系のボンネット型だったでしょうか。あいまいな記憶の中ではヘッドマークの白鳥のデザインも無かったように思うのです。
また、この復路乗車のとき豪雪に見舞われ、南条という駅で丸1日以上足止めを食いました。南条のホームから乗客のみんなで駅前の商店街まで雪のトンネルを掘り、同じ車両の大学生のお兄ちゃんたちと買出しへ出かけたことがとても楽しかった記憶があります。
この豪雪についてご存知のかたはいらっしゃいますか? >>692
その前年の正月は豪雪だったよ。
廃止直前の尾小屋鉄道を撮影に行って
雪で遭難するかと思ったくらい。
尾小屋も除雪が間に合わず運休した。 とうほぐの北のド田舎では地元NHKが廃止になる白鳥485の車両センターレポートしてたが、オリジン白鳥好きなあたなたちはやっぱり3000番台白鳥には違和感があるんでないの?
はっきり言ってこんなに短命で終わるなら、伝統ある白鳥を青函特急には使わないで欲しかったとか >>694
全くスレチなことを先に詫びるが、
そういうのを最強に感じるのは「つばめ」だわ。
よくもまあこんなに穢し尽くして
地に落としてくれたもんだと思うわ。 >>692
485系200番代(貫通型)か300番代(非貫通型)と思われ
ヘッドマークも文字だけ
絵入りになるのは同年秋から >>697
おお怖っ!基地外鉄ヲタてこれだから困るわw >>693
昔は豪雪が当たり前のように感じていたのはあながち誤りでもないのですね。
>>698
ありがとうございます。
白鳥の末期にボンネット型が頻繁に使われたとの記述に、自分が乗車した頃のは違う車両だったか?と記憶が思い出せなかっただけにスッキリしました。
と、いうことは結局ボンネット型の白鳥に乗ることはなかったのだと、少し寂しい気がします。 >>701
たしか、一晩座席で「くの字」になって寝た記憶では、リクライニングは無かったような記憶があります。当時の身長では130cm位しかなかったですから、
くの字になって寝る分には比較的楽でしたが、大学生のお兄ちゃん・お姉ちゃん達はよほど窮屈だったらしく、一晩中起きてトランプかなんかしていたようです。
余計なことですが、南条駅前の商店街で買った炭酸水が一本20円で安く、大学生たちに自慢して窓際の棚受け下にあった栓抜きで勢いよく「シュポッ」と開けたのは良かったのですが、
何の味も無いただの炭酸水で、思い切り周りのみんなに笑われた事が今となっては懐かしい限りです。 でも、新潟あたりで進行方向が変わるタイミングで回転シートの変更があった、という記述があることから言えば、少なからずリクライニングはあったのかと、今となっては検証の術がありません。。。 まあともかく1972年の日本海縦貫線全線電化で485系化された時は
青森に100番代の配置があったんですが1973年1月までに向日町へ転出してるんで
当時200番代か300番代しかなかったんですよ
白鳥のボンネットは1985年の向日町移管以降です 初めて白鳥に乗った時は自由席だったけど簡易リクライニングシートじゃない、
ロマンスシートとか当時呼ばれていたシートでしたが新潟では回転させてました。
新潟駅では殆ど降りてしまったのでA席にすわっていた自分は新潟以北も日本海が
見たくて空いてるC・D席を回転させて、新潟からのお客が乗って来る前に引越しを
しましたが車両はキノコ型のクーラー室外機を屋根の上に載せていた。 昭和終わりごろに青森からボンネット型に乗りましたが、非リクシートでしたね。
ミニテーブルがあったことだけは良かったと思います。
ちなみに警笛が「プーン」でも「ビュオン」でもなく、「ポーッ」なのを初めて知りました。 458系1500番台を初めて見た衝撃は忘れない。
たぶん既出だろうけど幕に「白鳥」の文字はなく、
幕部分のガラスにステッカー貼りだった。
真新しい1500番台はその頃は輝いて見えたのだがな。 大事なとこ間違えた。
×=458系1500番台
○=485系1500番台 クハ481-1500番台は盛アオ時代と新カヌ時代に編成に入ってた 去年T18の周遊号みたいなの走らせてたよね?
まだ臨時とかには使われてるのかな?ウチらの
地域じゃまったく目にする機会がないわ。 第3セクターになった区間もあるから485系でのリバイバル白鳥も無理かな ありがとう青函特急
//headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160307-00010001-doshin-soci.view-000 JR車で、50Hzと60Hz両方対応してるのはあるのかな >>699
ハゲジジイ死ねと言いたいところだが、別にハゲジジイとは限らないのかもなw
平成元年生まれでも記憶あるらしいし。 新カヌ編成の3列グリーンのC席(一人用窓際)で白鳥に乗った 初めて見たのは、上淀川鉄橋で82系だった。
その当時、大阪で見れた82系は、なは・日向、まつかぜ、かもめ、やくもだったかな。 昨日BSフジで昔の白鳥の歴史みたいなのチラッとやってた。 コミックマニアと鉄マニアの兼業者としては
「白鳥」というと「麗子」なんだな
スマン。 >>726
まんが家の鈴木由美子さんを思い出すか、
それとも宮沢りえを思い出すか、それが問題だ。 >>726
なるほどw
俺はクラオタとの兼業なので、白鳥といえばサン=サーンスだ 14時間の乗車自体は楽しかったが、上りであったことと
食堂車がなかったのは残念だった。
できればキハ82上野編成併結のころに乗っておくべきだった。 子供のころ
国鉄時代に大阪〜青森間を上り、下りの2度乗った
1回目は1978年に北海道から青函連絡船を経て大阪に向かう帰路に乗車
2回目は1994年に乗車、夜更けの青森で乗り換え、青函トンネルを経て札幌へ向かった
どちらも始発〜終着を同じ車両に乗り合わせた他の客はいなかったように思う
すでにその頃はそういう性格の列車ではなかったのかもしれない
私自身も片道は飛行機を利用していた >>730
1994年はもうJRだし
1978年に
>同じ車両に乗り合わせた他の客はいなかったように思う
と認識できる年齢なら1994年にはもう大人になってる筈 乗客・見送り人・駅弁売りでごった返す低床のホームに反響する
14両のアイドリング音、スピーカーががなり立てる案内放送、
響き渡る発車ベル、発車直前の緊張感あふれる白鳥にしびれた。 78年頃、何度か大阪から白鳥時々日本海〜青函航路で渡道したけど
結構な人が一緒に津軽海峡渡ったけどなあ…? 78年頃どころか83年頃もだったけどね
今はズタズタにされてしまって悲惨だし青森〜秋田間に至っては白鳥の時間帯は701系快速電車にされ最早見る影もない >>730
78年に片道とは言え飛行機使えたなんて恵まれてたんだな。
ええとこのおぼっちゃま、裏山だわ。
そんな頃なら、夏休みや冬休み明けに飛行機乗ったぞ!
って自慢できただろうな。 >>730
75年に沖縄海洋博へ行った事を自慢した(勿論沖縄は飛行機でないと行けないが)
75年に既に同級生はいたけれどもなあw
ただ北海道となると若干話は別であり、それこそテレビドラマ赤い疑惑でこそ、宇津井健山口百恵北海道行きまくったが現実にはなかなかそういう人いなかった
赤いシリーズ赤い疑惑宇津井健山口百恵北海道行きまくり札幌行きまくりを見て(長門裕之岸恵子も行きまくっていたが)格差社会というものを知った記憶がある 78年で乗り通した客がいなかったとか見え見え
赤いシリーズ見て勘違いした知ったかが書き込んだんだろw 78年の航空運賃
大阪(伊丹)→札幌(旧千歳):¥28600
同年国鉄運賃その他交通費
*大阪→札幌
普通運賃:¥9900
特急料金:¥4500/計:¥13950
ちなみに寝台を利用しても
A寝:¥8000/計:¥21950
B寝(2段):¥4500/計:¥18090
飛行機に乗れたのは、一部の富裕層だけだと納得できる >>737
BS-TBSで赤い疑惑再放送してたからな
78年どころか赤い疑惑リアルタイム放送75年だとそれこそ国鉄運賃値上げ前子供10円大人も30円で最低運賃乗れたから13倍くらい今の感覚より安く思えたはず(もちろん北海道とか遠距離場合でない) ヤフージャパンブログ社員ダイエットニュース マイナス金利狙い通り「仏」ローーンロンロンローーン
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティーマスク女問題駅内マスクオンNACNN向け原文ダビンチ月刊(ニッカン)中國春文渋谷区木の葉崩しニュース7億5千万 昔は英語併記されてたのかな
だとしたら「swan」あるいは「White bird」はたまた「hakuchou」?? 例えば大阪〜札幌でも東京〜札幌でも、JALやANAの航空(正規)運賃と
国鉄〜JRの特急の普通車利用の運賃料金を比べると、時代にかかわらず航空運賃のほうが高いからね。
ただし、対北海道の場合だと、昭和51年からの相次ぐ運賃料金値上げと、
東京発でも大阪発でも鉄道利用の場合は所要時間差が絶望的だったこともあり、
1980年頃だと鉄道利用の割合は10%もなかったと言われている。
スカイマークの登場までは国内航空会社各社ともにたいしたダンピングはしていなかったが、
当時はスカイメイトが5割引だったので、これを使うと鉄道利用とあまりかわらなかった。 ただし、逆にいえば、それでも鉄道利用が10%はあったってことで、
大阪発の場合は「白鳥」だけで3%程度は占めただろうから、
人数にすればある程度のまとまった人数の通し利用はあったと思われる。 >>741
681系で運転される姿まで想像した。
特急 ホワイトバード >>741
HAKUCHOでOの上に長音記号の横棒一本 子供の頃、W信越白鳥Wに当たる「はくたか」を利用したけれど、まだ北陸本線の全線電化完了前だったから、直江津から金沢方面は郷津駅を含む旧線の時代で、日本海がすぐ真横に迫っていて驚いた。
上野から金沢まで8時間ぐらいかかる時代だったけれど、途中の駅ごとに個性があって、特に地方私鉄のバリエーション豊かな彩り…全く退屈しなかった。
今では隔世の感があるね。 宮脇俊三氏の初期の本に東京〜札幌の客は飛行機95対鉄道5と書いてなかったか
大阪〜札幌だともっと差が開くだろうし、フェリーや夜行列車や東京回りの選択もあり、青森や函館の客が白鳥に乗っていたとしても乗り遠し客はごく一部の人だけの様な気がするが 夏なら白鳥・日本海よりもきたぐにのほうが
直通客が多かった。(ただしカニ族)
青森で飯食ったり、接続特急より早めに
連絡船待合に入り込み。 「きたぐに」の座席で19時間というのは口で言うほど簡単なものではないぞ
あれの乗り通しを毎夏に繰り返す奴がそんなにいるとは思えないが 別に苦痛はなかったが?
そもそも10時間以上の夜行座席車なんて
津軽や八甲田他珍しくもなかった。
乗車時間だけでなくオンシーズンは大阪駅で
数時間前から並んだもんだ。
寝台車や特急乗るくらいなら旅程を伸ばす方に金使うよ。 青春18きっぷがなかった時代はそれはそれで大変だったんだなあ。 18きっぷはなかったが周遊券あったから18きっぷがあったなかったとは関係なくそういう時代そういうものよとしかなw
18きっぷ周遊券両方があった時代でかつ1982昭和57年即ちきたぐにで青森行けかつ北陸本線では快速電車頻発していて18きっぷの旅も今では考えられない位にハイレベル快適極まりないものであったまさにそういう時代に両方使っていると18きっぷ周遊券両方使うと嫌でも感じた >>752
青春18のびのび切符だな
当時は5月の連休まで使えた
当初は間違った扱いが度々あり、日豊本線の急行に急行券のみで乗車券の追加購入なしで乗せてもらったことがある スレチだけど、青春18きっぷって、18歳未満しか利用できないと思っていた私はアンポンタンでしたどうもごめんなさい。 見えやすいところに貼るワッペンがついていた切符だな。 >>756
帰宅して板開いたらお気に入りの新着全部おまえだったわ 1日3食とも白鳥の食堂車or車販の人もいただろうな 白鳥に初めて乗ったのは平成6年の9月、乗車区間は大阪→青森。
新カヌ編成だったので第一志望はグリーン、第二志望はグレードアップ指定だったが、
大阪→青森では共に取れなかったので、簡リクの自由席に乗った。
大阪→芦原温泉と新潟→酒田では横に客がおったけど、あとは無人で思いのほか快適やったな。
最終コースの酒田〜青森は閑散としてて、車窓は真っ暗、めちゃ退屈やった。
夜中、車販の駅弁を食ってると、近くに居た東北なまりのおばちゃん2人組が手作りの漬物をくれた。今、そういう事はあまりないかな。
奈良漬みたいな感じで美味かったわ。
東北は大きな家が多く、夜になってもカーテンを閉めないので家の中が丸見えやったな。
ただ、どの家も整理整頓されてた。部屋がデカく、旅館の部屋みたいにごちゃごちゃしてなかった。
何となく、コケシなど民下品が似合いそうな家が多く、座敷童が住んでた家も多かったはず。 小学生の頃、山科駅付近でよく電車を見ていました。
30分ごとに来る「雷鳥」時々「青い雷鳥(583)」
あれ?ヘッドマークが違う!「白鳥」だっ。
青森行だって・・・すげーっっっていう思い出・ 白鳥は結局、北陸ワイド周遊券でたまたま来て乗った福井→敦賀だけだったな
白鳥廃止後だったら同じスジのいなほに全区間乗ったけど
子供の頃、時刻表上で光放つ白鳥に一度全区間乗ってみたいと憧れたなあ >>763
583系代走の白鳥は1998年1月29日大阪発、翌30日青森発白鳥で
583系10両編成という多分最初で最後の貴重な珍しい代走運転。
ただ、この時は既に国鉄色583系では無く、現在のきたぐに塗装で、
しかも前幕は白無地だったようです。 >>765
>>763の見た白鳥は通常の485系のでしょう >>765
きたぐに塗装も既に懐かし塗装ですが・・・w
>>766
フォローサンクス。
12両編成の堂々とした特急群でした。 下りトワイライトのダイヤは1975年3月時点の白鳥〜おおぞらのスジに近いような感じだったな。
琵琶湖を見ながらのランチタイムでは往年の白鳥の食堂車を偲ぶこともできたしな。 白鳥とか懐かしいな
学生時代の年の瀬、学割で取った片道乗車券を手に12月29日に大阪→新潟をきたぐに、
翌日に新発田→弘前まで白鳥に乗った。当然帰省客で一杯で、きたぐにでは
2時間前から席取りに並んで、乗ってからは周りのおばちゃん達にお菓子もらいまくり、
一方白鳥では立錐の余地もない混雑で秋田までデッキで立ちっぱなしで酔った思い出がw
もう昭和が遠くなりかかってる時期だったけど、その残香を感じられて楽しかったな
駅で旅館のおばちゃん達が客引きしてた光景もネット予約が普通になった今じゃ懐かしい
今でもああいう空気残ってるといいけれど 白鳥が大阪の車掌が担当だった頃
たまに車掌が「特急雷鳥…、失礼いたしました。特急白鳥号」と言い間違えてたな CS放送のテレ朝チャンネルで正に昨日12月11日(火)にテレ朝土曜ワイド劇場で1985年昭和60年特急白鳥やってたな。
上越新幹線が上野まで既に開業していてかつ特急白鳥がちゃんと健在新潟駅から合流することが容易にできたこの時代がやはり色々な意味で面白かっただろう。
特急白鳥が廃止されまたまだこのころはキンキンがまだ亀さんの役だった事とか北陸新幹線開業そもそもこの白鳥ルートそのものが完全に封印されてしまった事
そのことを改めて考えて改めて今見ると特急白鳥という列車そのものもまた人も何てはかないんだろう諸行無常痛感する >>770
確かに聞いたことのあるアナウンスだ。雷鳥と間違えて乗車する人のためか、何度も「青森行き
の白鳥号」と放送していた車掌もいたな。車掌が間違えるくらいだから、誤乗車する人が多かった
のかな。 >>773
別に雷鳥と間違って乗っても実害ないだろ >>774
いかにも当時の交通事情を知らない素晴らしいコメントだね >>775
何言ってるんだ?
同じ方面行なんだから問題ないわな
新潟以遠に行く人が白鳥じゃなく雷鳥に乗っちゃったらそりゃ困るだろうけど
雷鳥の指定券持ってる人なら雷鳥の違う号に誤乗しても同じことだから白鳥を強調する意味はないぞ >>776
ハイ ハイ
あなた言うとおりですね
ごめんなさい まあ、白鳥が全車指定の頃の事なのか自由席を連結するようになってからの事かで違ってくるな
空いてればいいけど混んでるときはね とんでもない遅レス、ごめん
まだ気動車特急で大阪〜上野・青森併結の時代は、
両方の編成に食堂車があってな、
昼飯は上野編成で食べて、
夕飯は青森編成で食べ比べをしたそうな。
どっちが日本食堂で
どっちが帝国ホテルだったか、
そこまでは覚えていないと爺様は語る。
青森発着は青函連絡船の深夜便連絡だったから、
青森市民にはちょっと不便な汽車だったそうな。 最初期の白鳥が大阪〜青森と上野〜青森を併結して走っていたと知って驚愕した
上野〜青森はわかるけどなんでまたこんな珍妙ルートで走らせたんだろって そうだったんだ
わざわざ信越本線経由して上野から大阪まで走らせたんだ >>783
上野からの乗客は北陸の停車駅で降りていくから
その席を北陸から関西方面の乗客に割り当てると都合が良いからな 上野発の白鳥が
直江津で大阪発の白鳥に微妙に連絡してたね
とはいっても上野→青森で使う普通の人は居なかっただろうけど 新カヌのグレードアップ車だった時だから新潟の車掌が担当していた思うんだが
時々、沿線の観光案内をする車掌がいたな
湖西線だと琵琶湖に比叡山や比良山、北陸線では鳩原ループ線に北陸トンネル、坂井平野
しかも新潟の車掌がコシヒカリの発祥の地が坂井平野と案内を聞いた時にはビックリしたな
小松から金沢かけて白山が見てると白山の案内、魚津辺りでは立山に蜃気楼の案内に
親不知辺りでは親不知と北陸自動車道の高架橋の案内
米山辺りで佐渡が見えると佐渡の案内、羽越本線では笹川流れ
そして、日本最長の昼行の在来線特急と言う案内
白鳥はビジネス色の他に観光色も強かったからな >>770
30分毎に発車する雷鳥にまじって一日1本の白鳥ですよね。
間違えアナウンスは理解出来ます。
L特急じゃなかったので特別な存在でした。 白鳥の車掌ネタで
停車駅の多さからか、停車駅の時刻の案内は新潟で分けてたよな
上りも下りも始発駅から新潟までは全ての停車駅の時刻案内して新潟から先は主要駅のみ時刻の案内
又は新潟まで停車駅全ての時刻を案内して新潟から先は新潟で交代する車掌が案内する旨を言う車掌もいたな
それも車掌によりけりだけどね 『雷鳥』に『しらさぎ』があった様に、
名古屋〜米原〜日本海縦貫線〜青森という姉妹列車があって良かったのになと思う。 クハやサロの車輪、フラットが多かったな。沿線で見送ってていつも思ってた。 >>784
あと何年かしたら、東京発金沢経由新大阪行き「かがやき」で同じようなことになりそうだね。 >>793
あと何年かで新大阪まで開通しないだろw
敦賀までだw >>782-783
どっちが上りか下りかで混乱しそうだ 中学生の頃、土曜日の授業が終わって下校すると、新潟駅近くの踏切でホームの入れ替えをする白鳥にけっこう待たされたな… >>801
昭和25年4月2日から昭和32年4月1日までの生まれですね? 1965年の時刻
大阪815 京都846/848 米原935/937 敦賀1014/1015 福井1103/1104 動橋1138
金沢1212/1216 高岡1251/1251 富山1309/1312 直江津1506/1509 長岡16148/1617
新津1658/1701 鶴岡1903/1904 酒田1928/1930 秋田2059/2102 東能代2150/2151
大館2232/2234 弘前2314/2315 青森2347
直江津1510 長野1636/1638 軽井沢1759/1803 横川1832 高崎1859/1900 上野2020 国鉄時代の12連の時って先頭車は同一形状?
JR時代はボンネット/非貫通の組合わせが多かったような印象。 そういや下りトワイライトの時刻は、かつての白鳥〜連絡船〜おおぞらの時刻に似たような感じだったな >>808
大阪→直江津→青森が下り
で直江津→上野が上りに変わるから単純明快だと思うぞ
はくたかになってから
2001M、2003M、1002Dが同一方向だからこっちの方がややこしくないか? まあ取り敢えず電車じゃないよと突っ込んどくべきだよな >>804
盛アオの485系なら基本的に電気釜+電気釜
たまに200番台が入り混じる
こんな感じだったような TBSチャンネル2 「十津川警部シリーズ「ミステリートレイン日本一周旅号殺人事件」」(1983年)
06/27(日) 01:50〜04:00
https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0478/
出演:若林豪、坂上二郎、本田博太郎、下川辰平、寺泉哲章、斉藤とも子、内田朝雄、岸部シロー、二瓶正也、北見敏之、小川隆一、西田健、草間正吾、片桐竜二、丸岡将司、浜井孝子、石山雄大、松井良樹、藤木敬士、正木香子
実況しようぜ
スカパー実況
https://himawari.5ch.net/liveskyp/ 「しらゆき」格上げの「白鳥」のほうが趣が有った…?
ローカル白鳥。 2001年まで残ってたとか奇跡じゃね?
どう考えても東海道新幹線と東北新幹線とはつかりを乗り継いだ方が速いが乗り換えを嫌う層が一定数いたみたい
特急つばさでJR化以降も上野発があったのも乗り換えを嫌う層がいたため 元急行しらゆきの福井発の白鳥1・4号もあったな
急行時代は電車化は457系必須だったため踏み切れず金沢〜青森とか凄い距離の架線下DCだった 1997年のほくほく線の開業でなくなると思って意外だった
上越新幹線長岡駅乗り換えでなくなった時点でその時点で役目を終えたものと思ったがトワイライトエクスプレスや日本海の代わりにする客層が一定の層がいたいうことかな ab←→yzのような出発地対到着地という視点からしか見れない人が増えたねえ。
a←→p、h←→y、e←→qなどの区間内相互の需要を全く考えてない。夜行列車系や寝台列車系のスレでも皆そう
いまや現役の公共長距離交通機関のメインは
中間通過都市をスルーする性質の点to点タイプばかり残ってるからか。
旅客機(空路)、高速バス(夜行含む)、フェリー、
唯一、点to点でない旧来式の面対応が可能な公共長距離交通機関は新幹線くらいか。 まあ高速バスのごく一部には通過都市対応タイプがあるが
ナントカICなど、停留場そのものは当該の都市内であっても
マイカーでしかたどり着けないような場所に所在していたりするから、
公共交通機関としては機能しにくい立地だから、旧来式とは比較しにくい。
また、バスが運べるキャパの問題もある 2000年頃
仕事で富山から酒田に行くのに重宝した 上野編成もあった時代にダイヤ的には
白鳥同士乗り換えで
上野ー直江津ー青森 と行く事も出来たみたい
だけど特急券は特急一本の特例とかあったの? >>824
特例はなかったんじゃないかな
そもそも遠回りすぎて実用的じゃないと思う
長野の人くらい? >>824
東北奥羽じゃ席の無い繁忙期とかの一縷の望み的な裏技って感じか
その時代の時刻表を見ると
長岡や新津で上越線急行に乗り換えれば
白鳥乗り継ぎルートより短時間で行けたよう
同じ愛称だとついそういうルートを考えちゃうけど
後年の金沢行き白山から白鳥に乗り換えて青森って考えるといかにも壮大な感じになるね >>826
単独運転区間の白鳥の2等車は5両しか無いから東北奥羽じゃ席の無い繁忙期だと
指定取るの大変そう >>827
その時代だと特急に乗れる人は限られてるから、
苦労することはなかったのでは? >>828
だったら素直にはつかりやつばさに乗れば良いってことになりませんかね? 上野から高崎通って碓氷峠越えて軽井沢の
避暑スキーあさま的特急
長野から北陸方面の地域特急
北陸から関西への雷鳥的ビジネス特急
これら三本を通しで運転というのが面白いね。
「列車はなるべく通しで運転する方が折り返しなどでの車両運用上のロス、時間や人的ロスが無くて良い」という思想があったんだろうかね? >>830
もっと切実な問題があった。
とにかく線路容量が足りない。
白鳥設定当時の北陸本線は北陸トンネルもなく単線だらけ。
信越本線も碓氷峠はアプト式で運転していて輸送力が粘着運転よりも少ない。
北陸本線が完全に複線化したのは昭和44年。
旅客以上に貨物の需要も旺盛。
何より特急に使える専用車両が少ない。
少ない線路容量と専用車で多くの需要に応えるために、長距離を通しで運転するしかなかったというのが実情ではなかろうか。 信越白鳥で上野〜大阪ぶっ通し乗った人は殆どいなかったはず
どう考えても特急こだまの方が速い >>821補足
821冒頭に載せた各利用形態を現在に置き換えると↓みたいになるかと。
1●ab←→yz (出発地対到着地)
→現在主流。途中経由地はスルー、あくまで出発側地方(対)到着側地方を直通移動する手段として。
それ以外の地方の人は発着地まで事前あるいは事後移動する必要がある
2●a←→p、h←→y (都市←→郊外の移動者、一定需要はある)
→現在はそれぞれ「a←→p」「h←→y」という区間の中距離列車としてそれぞれ完結。
3●e←→q (郊外←→郊外の移動者、需要は少ない)
→現代では廃止されたり、そもそも直通列車は設定されない
以上になる。
つまり、現代人が「こんな列車、始発から終点まで通して乗る人いるのか?」みたいに思ってしまう
過去の長距離列車ってのは、車両運用が長距離直通ベース(ぜんぶつなげてしまう)。
だから上記1〜3の需要をも全て1つの列車に取り込むことができたし、利用側も乗り換えないですむ利用法ができた。
現在は、車両運用が短距離ベースになってしまっているため、上述の黒丸の各項目で示したように
ブツ切りになってしまっている。 >>821補足
821冒頭に載せた各利用形態を現在に置き換えると↓みたいになるかと。
1●ab←→yz (出発地対到着地)
→現在主流。途中経由地はスルー、あくまで出発側地方(対)到着側地方を直通移動する手段として。
それ以外の地方の人は発着地まで事前あるいは事後移動する必要がある
2●a←→p、h←→y (都市←→郊外の移動者、一定需要はある)
→現在はそれぞれ「a←→p」「h←→y」という区間の中距離列車としてそれぞれ完結。
3●e←→q (郊外←→郊外の移動者、需要は少ない)
→現代では廃止されたり、そもそも直通列車は設定されない
以上になる。
つまり、現代人が「こんな列車、始発から終点まで通して乗る人いるのか?」みたいに思ってしまう
過去の長距離列車ってのは、車両運用が長距離直通ベース(ぜんぶつなげてしまう)。
だから上記1〜3の需要をも全て1つの列車に取り込むことができたし、利用側も乗り換えないですむ利用法ができた。
現在は、車両運用が短距離ベースになってしまっているため、上述の黒丸の各項目で示したように
ブツ切りになってしまっている。 サーバーが変で連投になってしまってすまん。
俺が書くまでもなく>>830さんが述べてくれてたね。Thx
>>832
830-831が書いてくれてるのに、なにもわからないんだねえ。
俺も述べたけど、直通需要がないに等しいヘンな運行区間なのはそういう理由だよ >>829
当時は特急に乗れるような人は、政治家や会社役員・地元の名士などだったから。
今みたいな快速か急行か分からないような特急じゃなく、特別急行としての威厳や風格があった。 >>837
それって答えになってませんよね
結局何が言いたいのか不明
政治家や会社役員・地元の名士などが特急券にあぶれることがないのなら
素直にはつかりやつばさに乗れば良いんじゃないですか?
東北奥羽じゃ席の無い繁忙期とかの一縷の望み的な裏技なんて必要ないですよね
まあ白鳥の特急券も瞬殺で裏技になるわけもないとは思いますけど 政治家や有力者の力で、特急が運行されたり駅に停車する様になった
東京に乗り換え無しで行ける!
特急が停まる!
一種のステータスだから、政治家も頑張る
能生騒動みたいな例もあるが… ゴメンゴメン、824で聞いてみたのは、同じ特急だけど違う特急として扱ったらちょっと
面白いな、というほんの出来心です。あと
青森方面の途中、酒田やあつみ温泉など羽越線の優等列車が昭和30年代は貧弱なんでそれを
補うこともあったのかな、ってこと。 でも上越線できる前は新潟行くのもそのルートだったわけだしな
それを知ってる人にとっては「ソレもアリなんじゃない?」ぐらいの感じか >>840
> 青森方面の途中、酒田やあつみ温泉など羽越線の優等列車が昭和30年代は貧弱なんでそれを
> 補うこともあったのかな、ってこと。
新津や新潟に出るのは上越線経由が圧倒的に有利なわけで 上野から新津新潟までは昭和39年の時点で電化までされていて頼もしい。151系こだまのお下がりとは言え、特急ときが一日一本既に上野新潟間を4時間半位で結んでる。しかしその先羽越線方面となると優等列車乗り継いでもダイヤは考慮されていなくて誠に貧弱。そのあと5年くらいして特急いなほが上野発羽越線直通で出来た時は地元の人はさぞかし心強かったろう。
白鳥や急行日本海みたいにあくまで羽越線など日本海沿いは都会に出ると言うと大阪が最初にあったのかねえ。。
まあそれから30年したら酒田庄内空港と羽田は45分で飛べるようになっちまった。フライトレーダー見てたら庄内離陸後35分で千葉駅上空まで来てる。 >>843
その1往復のときはこだまのお下がりじゃないだろ >>843
上野と庄内地方は夜行の直通があったな(羽黒)
38.10?位からと思うが、秋田上野間に昼行の気動車急行「鳥海」が設定されている
ただ、結構長距離なので、「いなほ」登場が有り難がられたのは確か
(RJ列車追跡シリーズ いなほにそのような話あり)
また、北海道〜日本海沿岸各地〜京都・大阪は船運によるつながりがあった
酒田などに古い関西の文化が伝わっているとか、北陸銀行(富山)が北海道に支店を持っていたりするとか
43.10で登場した特急日本海は当初9両だったが翌年には13両になったこと、
火災を起こしたきたぐにには700余名が乗車していたこと、
「水曜どうでしょう」で一行が583系きたぐにに乗車するが満員だったこと
から、直通需要(区間需要も含め)は結構多かったのでは
なんか支離滅裂だな、すまぬ JRになってから東日本と西日本を越境する形になったので車両使用料をどう処理するかが課題になったはず
直江津で分断すれば使用料問題が起きなくなるが利便性が低下するか 酒田はいなほと新幹線乗り継ぎの
東京への往復切符が安く買えるんだよな。
市民の人だけかも知れん。地方空港路線の
搭乗率保証みたいな感じでもしかしたら税金
で補填されてるかも知らん。今でも特急いなほ
が走ってるのが不思議。。羽越線沿線は
新幹線網に取り残された感じはあるね。
行ってみると結構な歴史がある町で驚く。
関係ないが、信越線羽越線の10キロ上空飛んでる飛行機、航空無線で聞くと関東でも聞こえて
しまうー。夢があるんだかないんだか とはいえ、今は国が航空路線に偏った政策(というか政治家が空港を媒介した利益誘導)しか考えないから
よってたかって鉄道を弱らせてるように見える ハイウェイ無料化ってのもあったなあ
あれは何だったんだろ なんだったって
景気刺激策だよ
旅行が景気刺激に効果的なのは周知のこと >>849
そう、政治家が何を媒介にするかはその時代によって変わる
媒介にしてもらおうとするために各界が政治家と良からぬ関係になりたがるのは未来永劫無くならない 昭和で頭が止まってるから全部利権に見えるんだろうな 前にも書いてる人がおられるが絵入りヘッドマークがとても格好良い。
考えた人は神! 早朝の青森で、ピーク時などで自由席に座れず立席を経験した方、います?
どこまで行けば座れたでしょうか? >>855
私じゃなくて叔父ですが、白鳥2号で秋田まで立っていたことがあるそうですよ。お金がないので食堂車に逃げることもできず、デッキで頑張っていたとか。
おかげで座れた秋田からは降りる京都までほとんど寝て過ごしたのでせっかくの車窓も記憶にないとよくボヤいていました。 時刻表1982/09から
函館015→405青森、函館040→430青森
青森450→1825大阪、白鳥
青森650→1917金沢、しらゆき
青森817→1835上野、いなほ4
青森1255→827大阪、きたぐに
白鳥の自由席が満席であきらめた場合、きたぐにになるのでしょうか?
厳しいように思えます 0時過ぎでも可なら、しらゆきでも夜行にならず大阪到着は不可能ではないみたい
青森650→しらゆき→1917金沢1939→くずりゅう12→2204米原
米原2235→2357京都001→049大阪
しらゆきから雷鳥の最終には5分差で乗れない感じ(間違っていたら申し訳ございません9
妄想でした >>860
1974年の湖西線開業前でも、
しらゆきが金沢1910着で、雷鳥が1930発、大阪2310着なんだけど、1982年で乗り継げないの? >>861
前年の1981年8月号だと
しらゆきの富山着が18時25分で雷鳥の最終の32号の発車が20分になってる
でも白鳥の自由席に空席がなくても白鳥に乗るよね
二時間後の急行待つ人なんていないよ 今思えば最後にJR西日本持ちになった時向日町でなく金沢の車両を使うことになってたらもしかしたらスーパー雷鳥用のパノラマグリーン付編成がスーパー雷鳥と共通運用という形で充当されてたかな? 通しで乗車する人って、どのくらいいたのでしょう?
10%程度?もっとでしょうか? >>865
時期にもよるな
関西と北海道を旅行する場合の最有力だった時だってあったんだぜ >>865
昼行で座席とはいえ、乗り換えなくて済むのには有難い人も居ただろうし
現役当時はもちろん車販も乗ってたから、
比率的に少なくても一定量は居ただろうね。 あと、直通需要ってのは
たとえば京都←→秋田みたいな客も全て含むよ
つまり近畿←→北東北の利用ね。
ヲタ視点、つまりキッチリ「大阪駅←→青森駅」
だけで捉えてはいけないってこと >>869
それ別にヲタ目線じゃないし
いけないということもないだろ >>868-869
白鳥の夜行バージョンである日本海も関西〜北東北の需要が根強くあって結構後のほうまで残ったという話あったような? >>871
日本海の件、おおむね事実のようです
修学旅行の増結も最末期までありましたね。
個人的にも、日本海がなくなって
北東北へ旅行に行かなくなったなあ。
純旅行では酒田や弘前に旅行したもんです。
テツ旅行では奥羽/田沢湖線.五能線とか
日本海よく使いました。 本州を飛び越えて北海道へは
舞鶴や敦賀からフェリーがありますからね。。
空路は全く使わない家の出身なので
伝統的個人的にヒコーキは利用しないんです。 >>872
京都在住ですが我が家も弘前城へ桜を見に行くのには必ず日本海を使っていましたね。
廃止になってからは行っておりません。
乗り換えやらなんやら面倒すぎて行く気になれないですね。 時刻表1982/9
青森450→白鳥4002M→1825大阪
時刻表2022/10
青森704→1029秋田1035→いなほ8→1505新潟1508→1622長岡→1732直江津1737→1851泊1905→2049金沢
しかし大阪行き最終サンダーバード50は2047発→2328大阪、で乗り継げず
新幹線の乗れば、同日着は可能なようです 金沢、2分くらい待てよと思うけど今は連絡しないらしいね
連絡してると遅れた時待たなきゃいけなくなるから
ひどい話だ 時刻表1982/9
大阪1018→白鳥4001M→2350青森
時刻表2022/10
大阪630→サンダーバード1→913金沢927→1120泊1141→1254直江津1323→しらゆき5→新潟1506
しかし、1457→いなほ7→1841秋田1923→2228、に乗り継げない
どこかで新幹線を利用する必要あり 3セク化したのが厄介だわな。
仮にもし在来がJRのままで、特急も繋がってたなら
乗継にしても、もうちょっと実用的な所要だったろう。 大阪から青森まで、DC/AC50Hz/AC60Hzを通しで運転できる車両は、どのくらいあります?
1日復活運転しようとしたら気動車特急もいい?
415系は無しにして 気動車も今更運転するとなると習熟運転も必要ではないだろうか? 仮にJR完結路線でもハンドル試運転は必要
国鉄〜JR初期が突発OKだったのは
類似する長距離の車両運用や乗務行路、停目が
まだまだ存在していたから。
今は、ほぼ不可能。
絶対ではなくほぼ扱いにしたのは、今は景気が良くないから。
オリエント急行なんて現代目線では絶対不可能だが
バブル期に実際に日本を走った。石炭レンジも特認。
(少し前だが)現代は、踏切の特認ですら厄介。
(可部線再延伸がそれの協議だけで長引き開業も大幅に遅れた) だから最低限、景気が回復して心実ともに豊かになってからだね。
いつになるか分からんがw 好景気の基準がいつなのかにもよるな
ITバブルの頃でも不景気呼ばわりしてた連中には一生好景気は来ない いったんなくなったものを復活させるのが大変な、変な国だなと思う。
親方日ノ丸の許認可制度が目の上のたんこぶでガチガチというか
実際の現場よりも、そういう「単に建前だけの存在」をクリアするほうが厄介、みたいな。
外国で、免許を維持させるためだけに年一回だけ運行する、なんか無いだろう。 >>884 西欧諸国、安全基準緩いから日本に比べ正面衝突事故とか多く発生してるんでは?アメリカも同様。 今時出羽守なんぞ流行らんよな
諸外国の実態がよくわからなかった時代ならともかく >>885
分かるんだが、あくまで視点はそこじゃなくて、
たとえばその安全性が現場的工事的に100%無問題だとしても
建前的な手続き方面が厄介だということよ。 >>865
昔RJの列車追跡で末期の白鳥が取り上げられてたが乗客は他の昼行特急(雷鳥など)の一部として利用してて
途中で入れ替わり、車掌に聞いたら「北海道に行く周遊券の客が利用するぐらいで通しはほとんどいない」
客の何人かに聞いても同様で長距離はことごとく日本海指向で分割もやむなし、みたいな書き方だったな だからさ、
基本的な存在意義としては、
各地区の長めの列車を一本に繋げただけ、なんだよ。
で、少ない人たちが全区間を通して乗る。
そういう列車。 457系で急行も運転したら50Hzと60HZ共用の意味をなした ということは、雷鳥/北越/いなほ/つがる、を1本だけ合体したようなもの?
実態に合わせたと言われたら、そうかもしれない 時間遡ってないか?
そもそもは長距離客も多く存在したんだよ
それが少なくなって需要に合わせて細分化したんだ >>892
いや、どっちかを否定するんじゃなくて「どっちもあった」。 日本海白鳥だけではなく、信越白鳥も復活希望だけど、無理ですね 1981年の盛アオには両端がクハ481-1500でモハ4ユニット全て1000番台、サロサシは200番台世代のAU13クーラー車というほぼ後期形ばかりで組んだ編成があったみたいね 80年代半ばに帰省のため何度も青森と大阪間を往復したけど、青森駅発の白鳥自由席はガラガラといった感じだった。自由席が混み
始めるのは酒田あたりからで新潟までよく混んでいたよ。大阪発の自由席の乗車率は大阪で6割ほど、新大阪で9割ほど、京都で立席が
出て、福井付近でようやく空席が見られるようになった。その後は6〜7割ぐらいの乗車率がやはり酒田ぐらいまで続き、秋田を発車し
た後は3割も乗っていなかったんじゃないかな。だから酒田という駅を未だに忘れない。盆や正月でも青森、秋田間は立席が出ることは
なかったと記憶する。 それら乗車率の差は、まあ
各地区における走行時間帯由来でしょうよ。 80年代半ばは青森から関西はもう
「はつかり+東北新幹線+東海道新幹線」よ
それに日本海フェリーもあるしな
だから盆前、年末は秋田までなら白鳥は混んでたな
まあ、北陸と東北、北海道の行き来はそこまでも
多くはならない 信濃白鳥、美濃白鳥、讃岐白鳥に行かなかった特急白鳥 レチ氏の名前が白鳥(しらとり)さんってネタがあったな 石動駅のホームの足元に残る乗車位置案内
雷鳥、加越、しらさぎ、白山、北越、立山は分かるけど
どう見ても白鳥と読める箇所があるんだが
停車駅だったことあるの?福井白鳥? 白鳥はかなしからずや 空の青梅の青にも染まずたゞよう JR貨物の機関車で伊豆急のTHE ROYAL EXPRESSの車両を牽かせて白鳥リバイバルはどうかな 白鳥の停車駅が雷鳥の停車駅多いバージョン(乙特急バージョン?)になったとき
「実際のところはブツ切り特急」なんだなと実感しました
新幹線開業前の東北筋で、1Mの停車駅がひばりと揃うなんて有り得なかったし 1961年10月20日
敦賀⇒新保 にて2001Dがエンスト
C57重連にて対応、金沢到着の様子
リバイバルで再現して欲しい
https://i.imgur.com/t483zRX.jpg 90年代に秋田県の本荘で勤務してた頃、
同僚で青森市出身の女性が居た。
何かの拍子に「長距離運転は苦手だから、白鳥号で帰省するの」と話したことがあった。
一度だけ羽後本荘駅まで見送りに行ったけど、その半年後、結婚退職していきました・・・
嗚呼片想い >>912
国鉄も本音では1985年3月改正で白鳥の系統分割をしたかったけど、
政治的事情などで系統分割ができずにその時点では存続した。
その代償として食堂車の廃止と停車駅の増加という条件付きであったが。 否定をするのは簡単でいいなぁ
ずっとそうやって生きてきたの? 簡単に否定されるようなわかりやすい妄想
というか妄想のほうが簡単だろ 8文字書くだけのほうがどう見ても労力かかってないんだよなぁ
まぁ、根拠も示さず頭ごなしに否定するとそいつより偉くなったように勘違いできるから楽でいいよね >>922
> 根拠も示さず
918の時点で根拠ないじゃん
簡単の尺度が文字数ってw >>923
否定するなら「〇〇が××だからその説は成立しない」って否定する側が言うもんなんだけど
ディベートどころかあんまり他人と会話しないタイプ? >>918
そうだとすると分割民営化後もあんなに長期間生き残ったのは奇跡的だったということか。 レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。