【大阪】特急白鳥の思い出【青森】
2001年3月に廃止された大阪ー青森間の特急白鳥の思い出について語るスレです。
(現行スーパー白鳥、特急白鳥は除く)
嫁とは特急白鳥の車内で知り合った >>237
何言ってんの、新津の次は鶴岡まで停車しないだろ。
新発田なんて特急が停車するレベルじゃない。
>>236
55.10改正直後に乗ったら、新津通過だった。
そのままでは磐越西線の普通に乗り換えられなかったが、後続の「とき」に乗ったら乗り換え可能。
余分に特急券を払わされた感じで、少々腹立たしかった。
同じルートで乗ったやつはその区間の特急券をいん●き(ry >>237>>239
お前、日本海縦貫線の「白鳥」乗った事無いだろw
ってもしかして釣り?w >>242
初期の頃は新潟経由しなかったからだろ
そもそも名称の由来が瓢湖に飛来する白鳥だからな そういえば米原も停車駅だったんだよな。
柏崎や羽後本荘を通過していたのもちょっとビックリしたけど。 登場当時は1県2駅が原則では?
もめたのは、石川県。 >>246
北陸三県はね
新潟県は直江津、長岡、新津に停車
信越白鳥も入れれば高田も停車 >>238
それでもカヌ車だった頃までは、時刻表で「着/発」のある駅にしか停車せず、
多少なりとも雷鳥、北越、いなほとは一線を画する存在だったんだが。
ただ、信越線内では時間調整運転で、停車駅の割に遅かったけど。 昭和50年代前半の午前0時前の青森駅
1番線:23:45に上野からの「みちのく」到着
2番線:0:05発の上野行き「八甲田」停車中。
3番線:23:50に大阪からの「白鳥」到着。
4番線:23:59発の上野行き「はくつる」停車中。
この4本の列車が一時並ぶのが壮観だった。その中でも「白鳥」は長躯走り抜いただけに
北陸、新潟で見るのとは違っていかにも長距離列車らしく見えた。 >>247さんに質問です。
1. 当時石川県内に動橋と金沢以外に白鳥が停まるような駅がありましたか?
2. 信越白鳥は田口には停まらなかったのですか? リバイバルで大阪〜青森間で白鳥走ってくれんかな?
まぁ、青森では時間帯によっては誤乗の可能性あるけど… >>250
>>247じゃないけど
@ 大聖寺、次点で小松でしょうか?
A 39年10月改正号ですが 上下共に上野−高崎−横川−軽井沢−長野−直江津という停車駅になってますね。
42年10月改正号のはくたかでは田口が追加停車になってます。 >>250
大聖寺 -作見 - 動橋 - 粟津 - 小松
この区間作見以外急行停車駅
白鳥が出来た時は上下で停車駅を変えていたような?
動橋と小松だったか、大聖寺だったか? 250です。
252さん、253さん、ありがとうございました。
1. 現在でも最速サンバが小松・加賀温泉通過と言うことを考えれば、当時は動橋と
金沢で十分だったろうと思います。石川県厚かましいな。
2. 昔は田口を通過する列車があったのですね。ご教示ありがとうございました。 >>254
石川県厚かましいというか。動橋VS大聖寺の争いがそれだけすごかった訳で・・・ >>249
これが冬の青森駅の光景だったらと想像するだけで萌えてくる >>254
別に停車駅で揉めただけで停車駅数で揉めた訳じゃない 昔の一県二駅停車くらいの頃の特急って、ぶっちゃけ一般庶民が乗ることは殆んどないってくらいステータスの高いものだったんですよね? >>256
昭和59年頃だったかな。
NHKで半ドキュメント、半紀行のような感じだったが冬の青森駅の24時間の映像
を見た。「はつかり」「白鳥」「ゆうづる」などなどいろいろな列車が出るわ
出るわで萌え〜〜だったね。 キハ82時代の「白鳥」のサボは「大阪⇔青森」の相互式だったけど、新潟で方向転換する時はサボはどうしてたんでしょうか?
停車時間はあまりなかったようだし、そのままにしてたのかな? 気動車時代の白鳥は新潟に寄りません。新津から羽越本線に入りました。 >>261
昭和40年にはくたかが独立したと同時に白鳥は新潟経由になったよ 大阪から青森まで、約15時間40分くらいだったっけ!?
夜行列車が少ないせいもあるだろうが、気動車では最長列車だったね。
俺は国鉄末期からJR化後青森発大阪行き末期にかけて、何回か北海道への所用絡みで、自由席にほぼ全区間乗っているが、青森出てすぐ、新潟出てすぐ、福井出てすぐと、合計3回も検札(それぞれ別の車掌)が来ることが多かった。
もっとも、青森出てすぐの1回だけだったりしたこともある。
確か1回だけだが、とうとう1回も検札なしということもあって、「やる気ない車掌だな」と思ったww 60-3で向日町もちになった時、「だんらん」を連結してほしかった。 白鳥はよく乗ったよ。羽越線沿線に住んでるから、乗車目的も新幹線接続だったり、関西に出掛けるためだったり。
高校の修学旅行が京都方面で、最終日は白鳥に乗って地元に帰るだけの日程だったよ。 福井白鳥が何故福井発着になったのか未だに謎。
「しらゆき」時代と同じく金沢発着で問題なかったように思われるけど。 >>266
まあ急行時代よりスピードアップして福井まで有効時間帯に入ったからとかそんな理由じゃねえか? 新潟で撮影してたら、運転士が何回か手を振ってくれました。それも笑顔で。今となってはいい思い出です。 >>150
今頃何ですが
12/22にカレチ一巻発売 57-11の時点での価値観では福井青森間の長距離列車が6M3Tの9連なのは奇異に感じたな。 某氏と出かけていたら近鉄四日市で名古屋豪雨に遭遇。東海道ルートが全滅したから
近鉄で京都まで行って長岡経由で帰ることに。幸い下り『白
鳥』最後の普通車指定席を押さえられた。むろん車内は激混み。
確か福井のあたりで30km規制など、途中で何度か徐行運転があったので長岡着は……
確か1時間ばかり遅れたと記憶する。これが『白鳥』唯一の乗車であった。 廃止直前までボンネット型485系白鳥が青森県内を走っていた 早朝の青森駅前の市場で焼き魚、山菜等の素朴な惣菜を買い込み駅へ。
ホームの売店では週間新潮、新聞、ポテトチップス、缶りんごジュース
そしてビールを買い込んで車内へ。グリーン車(一人がけ)に落ち着き
出発と同時にビールをゴクリゴクリ。朝ビールの旨い事・・。ゆっくり
朝食。市場なのにいつも高く、2千円くらい。
日本海を右手に南下。途中車内でビール補充。午前中からほろ酔いです。
新潟では缶入り水割りを購入。南下と共にデッキの温度上昇。特に夏が
凄かった。昼食は新潟駅の幕ノ内。いつも焼き鮭と米が非常に旨かった
福井を過ぎるとコーヒーで酔い覚まし。大阪で下車してタクシー乗り場へ。
札幌ー大阪に年3回移動時の様子でした。グリーン車は最後4列シートになり
貧弱なシートで寂しかったです
白鳥号よ、ありがとう 北陸トンネル開通記念の切手
この切手には、トンネル内を走るキハ80系の「白鳥」が描かれているが、
先頭車側面の乗務員室扉が描かれていないとか、描かれている送電線の本数が
実際より多すぎるなど、エラー切手としても有名。
>>276
それ知らない奴がこのスレにいるだろうか? >>274
走っていたというか、廃止直前にはわざとボンネット編成を固定で白鳥にまわしていた。 さすがにグリーンでも、大阪〜青森を乗り通すとケツがいくつにも割れそうになったぜ 末期にRJに載った青森〜大阪の乗車レポは凄かった。
大雪に阻まれて秋田県内で打ち切りになったやつ。
悪化する一方の状況が克明に記録されていて、感動した。
あの日って新潟や富山あたりから代走があったのでしょうか? >>280
99年2月号のなら、take2の方に出てたよ。
富山から681で代走があったそうな。 >>280
338だね
羽後本荘で打ち切りになって
散々苦労の挙句秋田に引き返してお座敷気動車で急速仮眠って奴だよね
>>281の言うとおり一週間後のやり直しルポで言及してるね
>あとで聞いた話だが,先週の雪で下り<白鳥>は直江津でストップし,運転打ち切りとなって富山に引き返している.
>また,上り<白鳥>が立ち往生してしまったため,JR西日本は富山から681系8両編成による上り<白鳥>を臨時に仕立て,大阪方面への乗客を定刻通り運んだという.
>一方,やはり羽越本線で止まった下り<日本海3号>は運転が続けられ,翌日,28時間遅れ(1日以上の遅れ!)で青森に着いたらしい.
とある >>278
JR酉に移管してからは
京都のボンネットヘセが雷鳥と共通で運用してたね
束時代の1500番台とかが逆に古いとはね
秋田県大曲の母の実家に、中1の夏休み一人で遊びに行った。
台風が来ていたのだが「ちょっと行ってくる」と秋田駅まで出掛けた。
生まれてはじめて見る「日本海」と「白鳥」に大興奮していた俺。
そのとき、台風の中一人行き先も言わずに出掛けた俺の安否を叔父や叔母が心配していた。 今日のような恐ろしい吹雪の日に、札幌から大阪へ帰省することになった。
本州内は当然、特急白鳥の自由席。道内は特急北海の自由席。
北海はなんなく夜の函館に到着。しかし、函館到着前の車内放送で翌朝の奥羽、
羽越線がマヒ状態で白鳥は運転取り止めとの放送。今後の切符の取り扱いにつ
いて車掌に聞くと「函館で聞いてくれ」とそっけない返事。
函館の駅員に尋ねると「東北線、東海道線経由で輸送します。新幹線を利用し
てください。白鳥の特急券で新幹線、在来線の特急に乗車できます」というも
のだった。少々不安を感じながらも連絡船で一眠り。
結局、青森から、はつかり、東北新幹線、新幹線リレー、山手線、東海道新幹
線、東海道線を乗り継ぐハメになってしまった。それぞれの列車の検札、改札
でうっとうしい説明をするのかなあ、と考えていたが、特に何のとがめもなく
スルー。情報の伝達ができていたのだろう。
それでも大阪到着は午後3時となり、白鳥を利用するより3時間ほど早く着い
た。新幹線の偉大さを認識させられた日となった。当時は昭和58年、国鉄時
代だからこそ出来得た業だろうか。今でも日本海が運休したらJRの協定でや
ってもらえるのだろうか。
20年前、連絡船の深夜便で青森着くと上野へは、はつかり→やまびこよりも
白鳥(長岡)あさひ、のほうが少し安かった。
新幹線上野開業までは はつかり→やまびこ(仙台)まつしま のほうが安かったんで暫定王者。
大宮開業までは くりこま→まつしま若しくは、しらゆき→佐渡。 上越新幹線開業のおかげで、長岡〜金沢間の自由席は地獄となった。車内販売
も来ない、便所にも行けない・・。金沢、富山は通過してくれと本気で思ったね。 >>290
実質的にはあの時点で列車が分断されていましたね。
そして、その後「かがやき」が走り出したことによって「白鳥」はこの区間で完全に脇役になってしまったでござる。 >>291
時刻表上では脇役に見えていたんだけど、実際には混雑はあまり解消しなかった。
白鳥の前後に「北越」や「かがやき」が走ってたんだけどね。時間帯が悪かったのかも・・
北越急行に「はくたか」が走るまではたぶんダメだったんじゃないかな。
>>292
行けないことはない。しかし、大ひんしゅくの視線を一身に浴び、大勢の人間に
大迷惑をかけることを厭わないのであれば・・・
>>293
脇役と言うのは、混雑とかではなしに列車としての格の意味でですね。
それぞれの区間で最上級列車としての地位を維持していたのに、「かがやき」や大阪口での「スーパー雷鳥」と相次いでより上位に位置づけさせる列車がデビューしたのはショックでした。 高校野球団臨が東北地方から関西に乗り入れてくる。リバイバルも簡単に出来そうな気が
するのだが・・。途中駅扱いが大変なんだろうか? 青森、大阪間を停車はするが客扱い
はしないという方法で復活運転出来ないものだろうか。もう一度乗りたいなあ・・ 食堂車が2両もあったんだからね
青森駅4:50発ははつかりと併走だもんな やっぱり全席指定じゃないと食堂車繋いでもなぁ・・・ >>296
あの時分にねぼけまなこで連絡線を降りて、はつかりと間違えて白鳥に
乗ったことがある。
同じ時間にみちのくや名前は覚えていないが東北線の急行も停まっていて、
朝5時前の青森駅は賑やかだった。 >>299
57-11ダイヤで号数がついていた時の作品でしたよね。 当時、青森駅の東北線発車ホームと奥羽・羽越線発車ホームには、にぎやかさ
に圧倒的な差があった。青森出発まで白鳥の窓から人でごった返す隣のホーム
を見ていた。東北線ホームは、はつかり・みちのくがホームを挟んで停まり、忙
しそうな売店、駅弁を売りまくる商売人、行きかう旅行者で活気があった。は
つかり越しにホームは見えていたけど、両列車とも満員状態だった。
それに対して奥羽・羽越線ホームはさびしかった。車内が閑散とした白鳥だけ
が停車し、西隣の津軽線ホームは電灯さえ消え、オンボロの旧型客車が侘しげ
に停まっていた。特に冬の落差は大きかった。
それにしても白鳥が、その東北線ホームから発車することになろうとは予想も
つかなかったなあ・・・ >>302
そしてついに、年末には新幹線のルートから外されることに・・・ 新幹線が青森まで開通したら、やっと「はつかり」的臨時運用から解き放たれるんだな。
もう、「白鳥」という名称を汚すことはないだろう。
東北新幹線の新特急名称は「はつかり」が一番だろう。
「白鳥」は永久欠番名称にしてもらいたい。
北陸新幹線の各駅停車(または大阪方区間運転):雷鳥、速達(または全区間運転):白鳥?
でも、まあ・・・金沢以西はどうなるかわからないし、金沢〜東京ははくたかになるんだろうな まだ白鳥が2往復走っていた時代(一往復は福井始発)に初めて
自由席で大阪から青森まで乗り続けた事がある。
青森では青函連絡船1便に接続して便利だった。 高槻ー京都間での、113系快速とのデッドヒートは最高だった。 >>307
まだというか、その時代は貴重な時代だぞ。 高1の夏休み、2週間の北海道旅行
82年7月31日大阪から青森まで乗ったなぁ。 >>309
DC急行しらゆき格上げの福井白鳥は貴重だよな
数年で無くなった記憶が
自分は、夜行急行阿蘇から白鳥、
さらに青函夜行便乗り継いで九州から北海道まで周遊券で行った 福井白鳥を最初から最後まで乗り通したことがある人って、どれくらいいるのかね? 福井白鳥は貴重だが俺は好きくない。
「白鳥○号」なんてそんなのいやだ〜〜と思ったな。
やっぱり号数なし「特急白鳥号」でないと風格が失われる。
それにしても、「しらゆき」も乗りたかったな今思えば。
雪の降る季節の白鳥は、よく青森到着が遅れた。奥羽、羽越線の単線区間に
おける列車交換がその原因。みちのく、はつかりが先に青森に着いて、連絡船
に乗客が乗り換えてしまい、俗に言う、いい席、いい場所は全部埋まってしま
っていた。遅れた白鳥からの乗客は末席へ・・
一度でいいから連絡船の寝台、グリーン席を使ってみたかった。
白鳥の食堂車、グリーン車を使ってみたかった。
相変わらずの貧乏だが、今なら・・。でも、もう戻れないんだよね 今の航空ダイヤも、伊丹や関空や神戸に比べて明らかに羽田優先だよね。 2日で廃止されてからもう9年か
高校サボって上りに乗っては撮り、下り最終列車を撮ったなぁー。
白鳥廃止関連の地元ニュースも録画しまくった。 青森到着が大幅に遅れると連絡船の臨時便が出るのだが、中途半端な遅れだと314
の状況になる。ただし、臨時便が出て快適なのは連絡船の中だけ。翌朝の北海、おおぞら
の座席には座れず、東室蘭あたりまで立たなければならなかった・・。
ワイド周遊券でも指定席が使えればなあと思ったものだ。 lヽ ノ l l l l ヽ ヽ
)'ーーノ( | | | 、 / l| l ハヽ |ー‐''"l
/ ボ | | |/| ハ / / ,/ /|ノ /l / l l l| l ボ ヽ
l . ン i´ | ヽ、| |r|| | //--‐'" `'メ、_lノ| / ン /
| ネ l トー-トヽ| |ノ ''"´` rー-/// |. ネ |
| ッ |/ | l ||、 ''""" j ""''/ | |ヽl ッ |
| ト | | l | ヽ, ― / | | l ト |
| !! | / | | | ` ー-‐ ' ´|| ,ノ| | | !! |
ノー‐---、,| / │l、l |レ' ,ノノ ノハ、_ノヽ
/ / ノ⌒ヾ、 ヽ ノハ, |
,/ ,イーf'´ /´ \ | ,/´ |ヽl |
/-ト、| ┼―- 、_ヽメr' , -=l''"ハ | l
,/ | ヽ \ _,ノーf' ´ ノノ ヽ | |
、_ _ ‐''l `ー‐―''" ⌒'ー--‐'´`ヽ、_ _,ノ ノ
 ̄ ̄ | /  ̄ 青森到着と同時に上りはくつる発車
って感じのダイヤだったよね。 >>316
モーニング娘。の絶頂期だったな・・・と別の事を思い出してみる。 西ナントカ・西クズ・西カス・タブーチ・西葛軌道=田淵洋治(@明電舎)の特徴より抜粋
・自身のサイトへのリンクや、見苦しいAA、汚いAAや改変コピペを自己陶酔か馬鹿の一つ覚えのように張る癖がある。
・特に自分のサイトのリンクはとても重要。アフィリエイトの小銭稼ぎとGoogleのPageRank維持が人生の慰め。
・極度の自己顕示欲のためNゲージ3大メーカースレなど、自分が目立たないところにはあらわれない。
・露骨な誘導と肥大した自尊心でWikipediaからは「異形の精神の持ち主」として追放、復讐を宣言するも不発に終わる。
・2chでも同じことをやって何度もアク禁を食らう。しかし規制の後プロバイダを替えた模様。
・鉄道模型や鉄道懐かし板に出没し、気に入らないことがあるとコピペや連投を始め、複数IDで自作自演しスレッドを荒らす。
・自身が提唱した「妄想模型鉄道規格」が無視されたことが根底にあるのか?
・老舗鉄道模型系出版社やモデルワーゲン他特定鉄道模型メーカーなどに恨みがあるらしい 。
・挑発されるとノコノコ出てきて、他人を装い意味不明な言動を撒き散らすが自己顕示欲の誘惑に負け正体を晒す
・平日の早朝深夜と土日祝日に集中して荒らすことで実社会のストレスを発散している。
・学歴を誇示する割には頭が悪いので、他人の張ったAAやテンプレをすぐパクリ、特定個人名に改変して貼るのが精一杯。
・GoogleのPageRankや、過去のTMS・海外雑誌掲載歴などを針小棒大誇示するも、実態を知られて衆人からは黙殺される。
・経歴や権威付けにやたらこだわるが、自身の知識や歳相応の人格が欠如しているので実像はただの頑固で偏屈なオッサン。
・私生活や所属企業での自分への評価に不満があるのか、鉄道模型業界で名を成そうと画策するも、結果は実社会と同じ。
・ポータルサイトと嘯くサイトを作るも、自身の不徳からWikipediaスパムサイト認定を受ける。
・当然鉄道模型業界にも人車軌道研究者にも全く相手にされず、自作自演でGoogleのPageRankを上げるオナニーの日々。
・職場で窓際に居るので火病の発作が抑えきれなくても好きな時にスレ荒らし。
そして以上の内容を指摘したり晒し上げるとすぐ逆ギレを起こし、
火病の見本のごとく吠えたり連投自演でスレを壊すことで暴れるのが
自己顕示欲の発露でしか自分を誇示できないキチガイ西ナントカのお約束
青森行きの白鳥が村上駅を出た後、しばらくして電源切り替えのため車内が
薄暗くなるときがあった。ああ、遠くまで来たなあ、いよいよ東北地方に入る
んだと思う一瞬だったねえ。
>>326
その前に2回電源切り替えのため車内が薄暗くなってるんだけど >>327
その前の2回は昼間だからあんまり薄暗くならないかと 夜の電源切り替えは独特の雰囲気だよ。長距離列車で最後の切り替えだから余計
に感じるのかも。切り替わった後に車内が元の明るさに戻り、空調設備がウォーン
と再起動した時、白鳥が生き返った感じがしたものだ。 塗装が新潟色?のボンネット白鳥。
「はまなす」乗るのに、よく利用した。
冬場、猛吹雪でワイパー故障して秋田で抑止食らったっけな〜w 運行開始時
気動車列車として運行距離世界一
電車列車として運行距離世界一 だったようですが、現在のそれぞれ世界一の
運行距離の列車は何なのかな? >>333
名古屋〜熊本「つばめ」も長そうだけどやっぱ「白鳥」だったのかい?
>>333
TGVみたいな半集中動力車をどうするのかという捉え方の問題があるので一概に言えない。
また、イギリスの鉄道ギネスブックが、余りに西欧偏重(もしくは英国内レコード偏重)で
日本なら幾らでもこれを上回る記録がありそうな物だが、という事例ですら体系的に知ることができない。
本家のギネスブック日本語版自体が三流出版社から出るようになって質が低下してるのでどうしようもないのだろうか。 >>334
京都〜西鹿児島間だった“なは”や“きりしま”よりも距離が上回ってたからな>“白鳥”
確か昭和50年代に見た子供向けの鉄道本でオーストリアの端から端まで走る奴が“白鳥”に匹敵する距離を走る、ての
は見た覚えがあるが >>333
電車に関しては、新幹線博多開業の時点で終了してるくらいなので、
他にいくらでもありそうな。。。 キハ80系時代の「白鳥」は、同じ向日町運転所所属の「まつかぜ」と
車両が共通運用だったこともあり、80系気動車6両編成一本が青森から博多まで
走行していたことになる。当然、塩害・雪害による車両の傷みも早かったであろう。