長距離・夜行各駅停車
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
いまではほぼ絶滅してしまいました。
薄暗い白熱灯の中、直角のシートに身を寄せ
朝焼けを見た遠い日。
そんな長距離鈍行・夜行鈍行のスレッドです。
マタリ語りましょう。 >>779
首都圏の在住者だが、ガキヤという言い方に覚えがある。 >>779
首都圏かつて在住者だが、ガキ電という言い方に覚えがある。 ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%81%AE%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%B8%80%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7#%E6%9C%80%E9%95%B7%E8%B7%9D%E9%9B%A2%E6%99%AE%E9%80%9A%E5%88%97%E8%BB%8A
東京ー門司とどっちが長いんだろう ttp://mikaka.org/kohorogi/rail/824/long.html
こんなリンクもあったので参考までに >>816
米原でなく大阪発着か
サンパチ豪雪で立ち往生 大阪〜青森を2泊3日とか凄まじいのあったな
全区間乗り通す人いたのか疑問 >>820 東海道新幹線開業時まで大阪・青森間30〜31時間で走る各停があった。
大阪を夜遅く出発し青森に翌々日の早朝到着の二夜行列車だった時期もあるが、青函転落戦に乗り換えて函館に午前中到着することになるから、全区間乗りとおす人もいたのでは。
昭和20年代に比べると、そのような客は減少していったのだろうけど。 シベリア鉄道なんぞ6泊7日でウラジオストクからモスクワまで乗りとおす客がいるわけだし。昭和30、40年代はこのルートで日本からヨーロッパまで行った若者が相当数いたという。まだ、航空機が高根の花だった時代。 >>822
更に昔、関釜連絡船経由で釜山からヨーロッパまで列車の旅が出来たと聞いた。
今も北朝鮮を抜けることが出来たら可能なんだけどね。 貧乏人御用達だっただろうな
今の格安夜行バスみたいな感じか 敦賀発の4連が播州赤穂まで行くようになったら乗り通してみたいな
赤穂線内の需要って8連を入れるほど高いのかしら教えて地元の人♪ ながさき、山陰、はやたまは乗車の機会があったが、からまつは時刻表で見ただけ
釧路まで行く人ではなく帯広で大半下車でしたのですかね >>808
荷物のおまけですからね
だから長距離普通夜行は荷物列車廃止と共に激減した >>822
うちの伯父は70年代に学生でしたが
シベリア鉄道で渡欧してましたね >>828
確かにからまつは帯広で朝を迎えるから、そこから釧路までは午前の普通列車に
過ぎなかった。
池田で池北線の始発に接続したから、松山千春が足寄へ帰省の際に愛用した列車だった。
でもそもそも夜行区間の利用者が少なくて、夜行急行で代替できたから廃止が早かった。 復刻時刻表1968年に昼行の(米原〜)大垣〜東京というのが有るけれど
これは80系だったのかな。 >>834
一等車の連結はある?それ次第で153系も否定できない。
その改正で大垣夜行が153系で登場したし、急行東海も東京〜大垣で運転してた。 >>835
夜行は1等マークがあるけれど
東京23:30⇒美濃赤坂7:27
大垣20:32⇒東京4:35
昼行にはついていない
東京5:19⇒大垣13:40
大垣3:36⇒東京12:07
大垣5:33⇒東京14:00
米原12:12⇒東京21:10 >>836
1969年7月号を見た。
これはダイヤはほとんど変化ないけど、等級制から現在のモノクラス制に変わってるね。
確かに同じ列車が存在してグリーン車マークもないので、80系の可能性が大だね。
それにしても大垣3時台発の東京行きは驚き!名古屋でも4時台発着で!
でも東京12時過ぎ着は、今の方が乗換えが多いけど速い! >>833
夜行「狩勝」(後の「まりも」)が全席指定だったし、救済列車としての役割もあっただろうな >>837
改正前まであった大阪発東京行きの区間短縮だね >>836-837
当時の大垣夜行は東京到着後に、そのまま急行東海で名古屋・大垣に折返したのか? 広域的運用といえば早岐に所属の14系寝台車が、
あかつき〜日本海で青森まで行っていた事だなw
日本海が雪害等で運休すると、翌日のあかつきが運休になるという・・ 441M
発車時は床も人で埋め尽くされるが
茅野で皆んな居なくなってたまげた >>846-847
八ヶ岳、蓼科登山の目的で、小淵沢で小海線に乗換える利用者が多かった。 >>849
確か1時間も待たなかったし、小海線気動車も乗換え客を見越して、早めに入線してたのでは? >>850
というかそもそも八ヶ岳とかメジャールートは茅野からバスだよね
茅野だと10分待ちくらいでバスが接続してたんだよ
小淵沢は4時59分着で小海線が6時8分発とかそんな感じ >>845
走行距離は片道1800キロ にはビックリ 441Mから小海線始発、確か小海線は前夜からのホーム留置で、441M到着前からエンジンかけてて車内入れたよ。駅そばもやってたし。 小淵沢クラスの駅でも終夜解放だったんですね
当時の駅って現代のコンビニみたい
行けば灯りがあって人がいて暖を取れて小腹も満たせるという・・・ 夜中、早岐の長時間停車
線路に降りて、長時間露光してる写真が有るわ
上りのながさき 九州には雪も地震もない
そう信じてた時期がボクにもありました。。 >>858
富良野〜新得間の1日の車での移動人数は
けっこうあるのにねぇ。 それでも営利企業が狩勝峠の線路を自費で維持するほどではなかったんだよね
道路はいいよね(´TωT`) と言うか道路と鉄道両方維持は無理なんだろ
そういう時にどちらか選べと言われたら道路になるよね >>859
まあ狩勝峠越えなので。
今は鉄道が使いにくいわけですか。 いろいろと鉄道が不利な条件は揃ってるね
族議員が暗躍しなくても勝負は付いてたか 門司港〜長崎を走っていた夜行普通列車って、置き引き被害のメッカだったとは・・ >>865
小倉や博多では通勤列車の役目もあったから、混雑にまみれてはあったかもな。
大垣夜行の東京→小田原もそんなところはあったし。 大垣夜行は駅でも働いてたよ。ながら化後も三島でウロウロしてた。
寝たふりして、近づいてきたらわざと起きたりして、おちょくって待ってた >>869
意味不明なんだが。
「ながさき」だけがズバ抜けてた根拠教えてよ >>869
根拠のない「俺だけが真実を知ってるんだ」はもうお腹いっぱい あの当時は列車内でスリして逮捕されても、通名でしか報道されない時代だし、ましてや在日◯◯人なんて言ったら袋叩きだから、「ながさき」号は怖い列車と認識。 >>875
福岡・山口県は韓国対岸に近いから、朝鮮系が比較的気軽に行ける要因があるわけかw 客車が旧客だから、駅に着いたらホームの反対側のドアから線路に降り逃げるから
手強い >>877
「かいもん」が12系・20系化後、小倉〜鳥栖の区間に旧客で残ったのは、「ながさき」
だけだったような。その要因もあるかもな。 西のながさき号、東の大垣夜行、よっぱらい が狙われてた 種別表示幕を行先表示幕に換装した車両もあったのですね 大垣夜行 鉄ヲタと酔っぱらいとの戦い
上諏訪夜行 鉄ヲタと登山客(山岳部)の戦い
新宮夜行 鉄ヲタと釣り客の戦い >>882
大垣夜行では、酔っぱらい戦士たちが疲れ果て静岡以南まで乗車していることがよくあった。
会社の先輩の武勇伝では、二宮下車のはずが起きたら名古屋だったので、
新横浜まで新幹線乗って出社したとか。 最近やと新快速で敦賀まで連れていかれたというのやろ 長距離通勤・通学の話題はよく聞くけど、乗り過ごしの話はあまり聞かないね 昔立川から八王子に帰るのに興味本位で普通甲府行きに乗って酒折までやらかしたことはある
終電無くて翌朝折り返した
あと普通ではなく急行だが能登でやらかした話は時々聞いた むかしは急行は定期乗車券では乗れないので
そういうのと無縁だと思っていた。 大宮で酒呑んで、なんか来た客車に乗って、目が醒めたら雪降ってて金沢着いた。
米原回って新幹線で帰る。
そんな電話を朝っぱらにかけてきた兄の同僚(国鉄職員) >>892
来た列車に乗る
検察来なければラッキー、来ればあきらめて乗車券分の運賃(急行料金も)を払う ガキ電375Mの殺意
亀井「警部!ガキ電で殺しがありました!」
十津川「ガキ電?なんだねそれは?」
亀井「大垣行きの夜行列車の通称です。大垣行き電車なので、略してガキ電と鉄道ヲタクの間で呼ばれているそうです」
十津川「ガキ電ねえ、、、」
亀井「ただ夜行列車と言っても寝台列車ではなく、普通のボックス座席です」
十津川「なぜそんな人目の多い車内でわざわざ殺人をするのかね」
亀井「警部そこです。眠れず起きてる客も多いのに」
十津川「よし亀さん、我々もそのガキ電とやらに乗ってみようじゃないか。何か手掛かりがつかめるかもしれない!」
亀井「はい、行きましょう」
こうして十津川警部と亀井刑事はガキ電に乗るために、夜の東京駅に向かった。 >>900
いいね、バルブ撮影か
甲府駅か、1時間以上停車していたんだっけ 中央線の115で6両とか
違和感たっぷり
3+3の中にTx2が入ってないと これから乗る列車が旧客の編成で
車内照明が白熱灯の車両と蛍光灯の車両があったら
迷いなく蛍光灯の車両を選んで乗っていた。
白熱灯の車両って夜は車内が薄暗いんだもん レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。