長距離・夜行各駅停車
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
いまではほぼ絶滅してしまいました。
薄暗い白熱灯の中、直角のシートに身を寄せ
朝焼けを見た遠い日。
そんな長距離鈍行・夜行鈍行のスレッドです。
マタリ語りましょう。 荷物列車は国鉄末期に廃止されたけど急行荷物列車は一般の時刻表に掲載された。
(昭和60年3月のJTB大型時刻表から東北本線下りページから抜粋)
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org946489.jpg
上記とは別に電車の郵便・荷物車もあって、クモニ83やクモユニ74などが
あって単体で走らせたり、在来幹線では113系や115系の前か後ろに連結して
走らした荷物電車という種類もあった。鈍行夜行列車で名高い、347M/344Mや
441M/442M、733Mにも先頭か一番後ろにクモニ・クモユニを連結していた
時期もあった。 >>614
寝台車も連結してて「山陰」という愛称が付いてた。
普通列車なのに寝台も繋いでたのはビジネス客や新幹線接続の需要もあったからだと思う。 >>636
普通車と寝台車、どちらが混雑していたんだろう? 寝台車が満員(満床? 何だか病院みたいだw)になったら切符が買えないということですか?
寝台車が下火になった後の世代なので基本的な質問ですがお教えください >>639
今の指定席車両も満席になったら売ってもらえないでしょ?それと同じ。 札幌・千歳空港間、北斗星のデッキで立席特急券という奴もいる・・自分だ。
オホーツクで札幌に出て、そこから千歳空港へ飛行機に間に合うようにするには、この方法しかなかったんだよ〜
その一本前の列車にぎりぎりで間に合わなかった。ごく稀だけど。 普通列車の寝台車の場合も、車内入らずにデッキにいれば、運賃だけで乗れるのだろうけど、そこまで混雑することはなかったんだろう。 >>641
>札幌・千歳空港間、北斗星のデッキで立席特急券という奴もいる・・自分だ
そりゃ例えば3往復時代だと2号と4号は札幌-苫小牧間が立席特急券発売区間だったから普通の事
>>642
デッキも寝台券無いと駄目 大垣夜行の上り列車がちょうど名古屋辺りでは終電か終前になっていた。
刈谷か安城に住んでいた元上司が酔って爆睡し東京で駅員に起されること3回。
○○さんの東京出張として社内で有名だった。
そのお方も定年退職し5年前にご他界。合掌 うちの親父が若い頃札幌で飲んだ後小樽へ帰ろうとして寝過ごし、慌てて飛び降りたところが黒松内。
よりによって何で数少ない函館行きなんかに乗ったものやら。 ……………………
土手の下から見上げる常磐線(佐貫駅の2番線からゆっくりと出発する常磐線普通上りE531系)
https://www.youtube.com/watch?v=x4teBF5x1qg
…………………… >>621
帯広に朝5時台に着いたので、そこで
広尾線派と士幌線派に分かれたんだよな。 >>621
その距離を12時間って時間かかりすぎなかんじですね >>648
長岡から米原は確か13時間だった思うが特急どころか快速にも抜かれまくったし寧ろ糸魚川と富山で快速電車乗り継げば今よりも遥かに速く普通列車快速だけで長岡から米原どころか京都大阪に行けた
>>648の言いたい事解るしそれどころか今関西から長岡にもし行くのだとしたら東京回りか北陸新幹線しか選択肢ないが
金沢〜直江津間が例えあいの風鉄道など第三セクターになってなかったとしても今の感覚で昔は遅いとかチンチラトロい決めつけることが必ずしも正解ではない(北陸がレアケースな事は認めるけども) >>649
上野から長岡いき夜行733Mが宮内04:40着で
長岡から米原いき522レが宮内04:45発というジャストの接続だった。
直江津で長時間停車で、駅の食堂で朝ごはん。
糸魚川で快速に乗換、さらに富山でも快速に乗換で金沢で途中下車。
約2時間後に同じ522レに再乗車。
宮脇さんのマネして、網棚に雑誌を置いといたら、ちゃんと残ってたよ。 昭和51年頃に通勤電車からの光景で、鴬谷駅から上野駅へ走っている時に
毎日走ってくる急行電車(米山号?北陸線米山行き?)を思い出すな〜 >>651
急行よねやまは長岡まわり直江津行き
でも昼行急行ですから完全なスレ違いですよ 165系はよねやまになったり佐渡になったり赤倉になったり普通になったりした
165系の思い出と言えば長岡発新潟行きの最混雑ピーク時の鬼のような運用だな 急行尾瀬号?
当時、5歳くらいの娘を連れて上野駅のホームで沼田行きの
電車を待って超満員でギュッギュウ詰めで、たしか自由席だったが
席を確保できず通路でガマン・・・
沼田着は2時か3時頃で、そこから大清水まで?バス移動
尾瀬走破前にに大根・なめこの味噌汁(売店で)を飲み
途中福島側から歩いてくる人たちに”え、こんなに小さい女の子で大丈夫”
みたいな顔されて・・・むかしがなつかしい!! 終着駅に真夜中に到着して、どういう需要なんだろう・・・って思ってたな尾瀬1号
2号3号・・・はないけど号数が振り当てられてた ようつべにと1985年冬の函館本線46列車の動画が最近投稿されていたのを発見。
当時にビデオカメラ撮影できたなんて相当のマニアだったんだろうけど、30年以上経ってみるとNHKドキュメントのようで涙もの。
「北海道の夜行どん行列車 函館行 札幌から長万部までの記録 」
https://www.youtube.com/watch?v=YBhRJIcy4BQ ドラマでの護送シーン、普通列車だった。
昼間、松本から新宿行き普通に手錠を掛けられた犯人と刑事が乗る話があった。
こんな列車あるのかと思って時刻表を調べたら、存在していた。
ちゃんと調べてるなと感心した。 ドラマでの護送シーン、普通列車だった。
223列車上野発仙台行き赤い激流最終回 >>659
水谷豊が実父殺しの冤罪で死刑判決を受け仙台拘置所に護送されるシーンだよね 国鉄晩年(1980年代)、
夜行普通客車列車と夜行普通電車列車は
有名な列車が複数ありましたが、
夜行普通気動車列車は無かったのですか?? >>664
四国の方になかったかな。
70年代末期くらいだったかも知れんけど。
北海道は・・・聞いたことないなぁ・・・
殆どの路線が非電化の上に広大だから、ありそうだけどね。
客車列車の方が色々と効率が良いのかも知れんね さっそく恐縮です。
なるほど、あったとしても遡りそうですね。
普通夜行に気動車が一般的でないのは燃費の問題かもしれませんね
まだまだ客車列車が煩わしく扱われてなかった時代ですし >>664
快速列車は定義に入るかわからんが高松-窪川ってなかったかな? 坂井はんどうもです
調べたら中村線直通の
高松→中村というDC夜行快速が出てきました。
ありがとうございます。 1980/10
731D:宇高連絡船31便、0:37着〜高松発0:49→中村着7:51
762D:窪川発20:48→高松着3:31〜宇高連絡船2便、3:52発
762Dのみに[快速]の表記アリ、731Dにはなぜかない。
停車駅はほぼ同じなんだけどね。 >>670
グリーン車両が普通座席として開放されてお得でしたね。 後にレッドトレイン50系客車に置き換えられましたけど 高松→高知50系客車化後は、高知4:36→中村7:52の731Dが元グリーン車連結だったな
http://i.imgur.com/L96Ey8c.jpg 岡山発 さらば日本一の長距離列車 JRダイヤ改正で下関行き廃止
http://www.sanyonews.jp/article/495327/1/
JRグループの春のダイヤ改正に伴い、定期の普通列車として運行距離が国内最長だった山陽線岡山発下関行きが、3日の運行を最後にダイヤから消える。
道中82駅に停車しながら384・7キロを7時間33分かけて走る鈍行列車が“日本一の座”を明け渡す。
JR西日本によると、岡山―下関間の直通運転(午後4時17分岡山発、11時50分下関着の片道)は2016年春のダイヤ改正に合わせ、4両編成で始まった。
「検査や整備のために下関総合車両所へ車両を届けるためのダイヤ」(同社広島支社)だったが、4日の改正で東広島市の山陽線に新駅「寺家」が開業。
各駅への停車時刻が変わった影響などで直通運転がなくなった。
廃止を目前にした1日、岡山駅では名残を惜しむ鉄道ファンの姿が多く見られた。車両や「下関」の行き先表示をカメラに収めていた大学4年男子学生(22)=大阪府=は
「この列車に乗りたくて在来線を乗り継いできた。長旅になるが、景色や雰囲気を楽しみたい」と話した。
改正後はダイヤ上、定期の普通列車としてはJR根室線滝川発釧路行き(308・4キロ)が最も長い距離となる。この便は16年春以来1年ぶりに日本一に返り咲くが、
昨夏の台風被害で一部区間が不通となり、再開のめどが立っていない。実際に乗車できる最長距離の普通列車は山陽線糸崎発下関行き(297・2キロ)になりそうだ。
(2017年03月01日 23時28分 更新) 途中駅で列車番号が変更されても、お客の入れ替えをしないならば
1本の列車とみなすならば、日本最長は別にあるけどね。 途中列番変更の長停車でほり出されない列車なんてあるか?
存在自体が公然のものだから隠し通せるものじゃないんだから
それだったらきちんと書いてよ。 >>676
最長列車じゃないし、今もあるかわからんが、何年か前に宗谷本線で乗った列車がそんなんだったな
音威子府で長時間停車して、番号が変わるんだと思った >>675
さすがに列車番号変更すれば、
「代わりの列車準備したので乗り換えてください」が
通じるし。
特急クラスの貨物列車じゃあるまいし。 >>676
山手線で15周するくらいの運用があるよ。 >>657-658
亀レス&すれ違いなんだが、
TBS系「東芝日曜劇場」で1989年9月17日に、「護送」という単発作品が放送された。
詐欺事件を犯した容疑者(被告かも?)が松本から都内へ、
鈍行列車で二人の刑事と鈍行列車で護送されることになり、松本10:54発の立川行き列車に乗り込む。
ところが偶然にも、容疑者と刑事の一人が幼なじみの間柄だったうえ、
容疑者は12:48着の甲府駅で途中下車し、甲府駅近くの飲食店で働く、
同じく幼なじみの女性に会わないか…そして、13:28発の「かいじ10号」に乗れば、立川到着は2分差だ…と提案する。
40分足らず滞在した飲食店で、3人の幼なじみ同士で過去の日々を語り終えて、
「あと2分ですよ〜」と甲府駅前広場で叫ぶ同僚刑事にせかされながら、
二人は甲府駅へジャンプするようにかけ出す…という終わり方だった。
ロケで使用された車両はなぜか165系で、車内のシーン(当然スタジオのセットで収録)は
緑色のボックスシートに淡い水色の化粧板で、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」などで
使い回したような、見覚えのあるセットだった。 >>683の4行目の文頭にある「鈍行列車で」はペーストミスです。
「松本から都内へ、 二人の刑事と鈍行列車で護送されることになり、」が正しい文章。
スレ汚しスマソ。 東芝日曜劇場でサスペンスは意外だが、火曜サスペンス劇場廃止どころか元祖、土曜ワイド劇場まで本当に廃止とか来月4月からTBS月曜名作劇場のみになるがTBS月曜名作劇場までもし廃止なったら日曜劇場が唯一のサスペンスになるか?
明らかにスレチかつスレ汚しと思うが、TBSには昔の民放の雄TBSドラマのTBS戻ってほしいと思うけど無理だね(>_<)
あの頃は普通に中山美穂のドラマママはアイドルとか若奥様は腕まくりだとか、卒業とかおもしろかったんだがな(>_<)
TV情報番組ばかり鉄道ロンシーばかりどちらも本当につまらなくなった(>_<) 昭和55〜60年くらいの話だが、、、
旧型客車列車で「上野〜高崎〜長野〜直江津〜長岡〜新潟」ってのが上下1往復あって、
途中で列車番号が3回くらい変わって、たしか長野では1時間以上停車してた。
もちろん客は追い出されなかった。 >>686
長岡〜米原旧客とセットで乗った事ある
485系電車糸魚川快速廃止は残念だが、そんなことよりも糸魚川〜直江津間は、32年前1985年昭和60年3月今から丁度、32年前まで普通列車はディーゼル車旧客onlyだったわけだけれども今からまさに32年前の姿に戻ってしまうのは残念だし(32年前までは特急電車はあった訳だし)
1両編成ディーゼル車いうのはあれだ、32年前より更に悲惨惨めな姿だな(>_<) >>686
下り:上野〜2321レ〜高崎〜321レ〜長野〜323レ〜直江津〜325レ〜新潟
上り:新潟〜322レ〜直江津〜324レ〜長野〜326レ〜高崎〜2326レ〜上野
だったと記憶。
ただ、下りの長野は一度構内に引き上げていたと思うんだけど、記憶間違えてるかな? >>685
昔は、出会いと別れといえば駅のホームが定番でしたからね。
1975年12月7日放映の東芝日曜劇場。題名は「嘘」
舞台は札幌で、恋人の鈴木ヒロミツに見切りをつけて、
秋吉久美子は東京へ旅立つ。このときの列車は「黄金ルート」の
「おおぞら3号」・・・だけだとスレ違いだけで終わるから
>>686>>688
昭和50年3月ダイヤで、
上野0620(2321レ)0857高崎0936(321レ)1253長野1612(323レ)2234新潟
新潟0600(1324レ)1011直江津1118(324レ)1352長野1458(326レ)1838高崎1913(2326レ)2132上野
これとは別に
上野1052(2325レ)1315高崎1548(325レ)2129直江津
直江津0507(322レ)1138高崎1227(2322レ)1431上野
というペアもあった。
しかしまあ上野〜高崎間で他の普通電車に抜かれそうなダイヤだが、
この当時朝夕こそ7分毎に運転されるも日中の電車は少なかった。 遅かったな、2321
特急や急行にボコボコ抜かれてた。
〜57.11.14
2321レ 上野6:14発高崎8:53着 表定速度 38.8km/h
いま
825M 上野発6:12高崎8:01着 表定速度 55.9km/h
とき301号 上野6:14発高崎6:58着 表定速度 138.5km/h
57.11までよく残ってたよ。よく乗った。高崎の58が必死になって走ってた。
面倒なのか、運転荒い人が多かった >>691
みつからないな。
高松〜中村ってのはあったが300キロにすら及ばない。 電車は湘南電車で長距離運用が定着したけど、気動車はいろいろ厳しいのかもしれぬね 昭和40年以降ならほぼ数年間隔で時刻表があるから
北海道、四国、紀勢を中心にみてみたが・・・ない。
滝川発根室行だの亀山発新宮経由和歌山行だのあってもよさそうだがない。
昭和30年代はどうか知らないが、
それより遡ると客レ全盛期になるからほぼ絶望的かと。
気動車急行だと変態経路はやまほどあるのに、
普通列車はわりとおとなしい。 運行面での従事者が人的豊富で
客レの運行が現代みたいにまったくウザがられてなかった時代だし、
気動車で燃料浪費さすより(往時は複数両〜長大。単行は区間列車の概念)
機関車牽引の客レになるのは自然な流れだね。
単行(ワンマン)DCが長距離って、いかにも現代らしい。
いかにも合理化と省力化って感じ 上野から急行津軽か八甲田で北海道入り
青森まで普通車に座ったままでいると本当にケツがマヒして麻酔注射したような状態に
それが青函連絡船で雑魚寝してるうちにだんだん感覚が戻ってくる 上野発奥羽本線経由青森行普通列車に乗車した種村氏のルポは
「運賃・・・・円、駅弁3個、駅ソバ数え切れず。尻も背中も痛いが
とてつもない贅沢な思いをした感じがある」みたいな記述で
しめくくっていたな。 客車列車(機関車牽引)はどうして123レとレをつけるの?
時刻表では数字だけでレはついてないはずだが >>698
列車の「レ」を意味すると思われる。
もともと電車だからM
ディーゼルだからDというのはなかった。
すべて番号だったから
機関車牽引の客車列車という意味で
区別していたと思われる。
123レ
1121電車 >>697
その時代の普通列車のグリーン車言うか1等車言うか知らんし解らんけども今のG車ではありえないとても考えられない信じられない高価なものじゃないのか?
種村氏が上野発青森行き普通列車一等車G車に乗ったかどうか死後今となっては20000%確認しようがなく残念だがもしG車で上野発青森行き普通列車だったらとてつもない贅沢なイメージなのは解る
G車特に今の首都圏の普通列車のそれはserviceし過ぎbargain価格だろうし青春18(乞食)が勘違いしてしまうだけだからG車は昔の価格帯に戻すべきではと思う >>698
逆に電車列車や気動車列車でも「レ」は付けるのが略し方での本来だよ。「121Mレ」とかね。
ところが、客車列車にレをつけるから、
電車列車や気動車列車にレをつけると
長ったらしく見えたり重複してるように見えたりするでしょ、
だから客車列車以外のレは(さらに)略されてるってこと >>700
いや、普通車利用だよ。RJをあさればでてくるよ。
>>701
そうなのか?
MだのDだのない頃や、横浜線は
123列車
1121電車って
呼称していたんじゃないの? >>700
普通列車の一等ってそんなに贅沢じゃないだろ?
特急や急行だと
特急券とかも一等料金になるから高くつくけど >>703下
なんで論点を変えるの?
最初はそんな疑問してなかったじゃん 最初は客車列車にだけなぜレがつくかみたいな疑問だけだったじゃんかよ
そら附記号の話を言い出したら例外はあるし。
大阪環や桜島線の電車は附記号ない
列番の見た目だけなら客レと同じだ。 >>704
「1等」と名がつくころは、普通運賃の2倍。
「グリーン車」となったころは、例えば1973年頃なら
50キロまで100円、51キロ以上200円。
つまり制度改正で、すごい「値下げ」があったといえる。 ↑
正確にいうと2倍弱
普通列車の1等を利用する場合、1等運賃が適用になった。
例えば1967年の1等運賃は
1〜5キロで40円(2等20円)
50キロで350円(2等190円)、
96〜100キロで660円(2等360円)
781〜800キロで3980円(2等2170円)
1181〜1200キロで5300円(2等2880円)
・・・といった具合だった。
もちろん乗車券一般ルールの条件に適えば
(当時は片道31キロ以上で、電車特定区間相互発着でないこと)
途中下車も可能。
高崎→(1等)→大宮→(1等)→宇都宮
熱海→(1等)→東京→(2等)→新宿→(1等)→宇都宮
などの場合でも1等乗車券1枚で乗車可。
途中の2等区間がながくなれば分割のほうが安くなることもあり、
遠距離逓減制もあり、この時代にパソコンとネットがあったら分割マニアは
喜んだかもしれない。 >>708
パソコンなどなくても算盤と電卓で表を作ってましたよ、1等区間と2等区間の異種乗車券も作れたし
まだ地方交通線やJR各社がなく運賃は全国共通だったが >>700
昔は今と違って分際というものがありまして
金があるからといって、その分際ではない者が一等車二等車に乗るもんじゃない
金がないのに御身分のせいで泣く泣く一等車二等車に乗るヒト
三等車には空席があり、二等車は満席だけど、二等車で立ってる人
てな具合で
金が全てではなく、家柄、職業、地位、というランクがあったわけで
金なら払う、という言い草は、成金と軽蔑 >>710
時代錯誤していますが・・・
あなたの言葉を借りれば、ごくごく例外を除いては
2等3等のみの時代になっています。 戦前の身分制度は戦後に制度上は廃止されたけど、人々の意識の上では昭和30年代まで残ってたからな。
単に金があるから上級クラスに乗るというのになったのは高度成長期以降。 戦前の身分制度って「華族」のことか?
1等が華族家だけの利用なんてなかったんだけど。
豪農やら成金も普通に利用していたわけだが。 >>711
> >>710
> 時代錯誤していますが・・・
>
昔の話をしたのに時代錯誤と言われてもねえ 今は金さえ払えば特急やグリーン車に乗れるが、昔は文字通り特別な存在だわな
特別急行も一等車も
て、ここは何のスレだ? >>713
東京オリンピック前あたりでそのへんの階級社会構造がかなり変化したと思う
ガード下に傷痍軍人がいたころはまだ旧華族士族とかの身分制度が歴然と残ってた >>717
身分制度なんてなかったよ。バカか?
それに華族はともかく、士族だからといってなにか特権があったかといえばなにもないよ。バカか? 713も717も説明がヘタ
だから莫迦に突っ込まれる >>710
ゴメンなさい。
ユニクロかイオンかで買ったヨレヨレのポロシャツと綿パン、
ABCマートで買ったスニーカー、リュックサックというラフな格好でグランクラスに乗ってたわ。
でも、俺だけじゃなかったよ。同じGCに乗ってたのは同業者と思しきミスボラシイ乗り鉄ばっかだったw
念の為に言っとくけど、余暇の服装に関してはチープ・シック主義なんでね。
一応、職場じゃ、某大企業の部長職で、年収2300万以上なんだけどね。 ホンモノの高所得者が
2chなんかに自ら役職、年収を晒すような莫迦はいない
それに高所得者の書いた文章にも思えない草杉 >>722
今時の年収2300万程度のサラリーマンって
あんなもんだよ。 まあね
グリーンも今やにわか成金みたいな吉本芸人のものみたいになっているわけだし 天王寺から名古屋まで夜行鈍行で乗り通したような気がする。
早朝に新宮駅に着いた。
それから新宮駅ホームではうどん屋が営業してた。 >>730
同じ世代でしょうか?
自分は、和歌山市→新宮→亀山まで
名古屋行は見ただけ、でした
和歌山市発は客車はオハフ33が1両だけ
和歌山市発はすいていました >>730
鈍行夜行「南紀」(後の「はやたま」)では天王寺駅・阪和線専用ホームで屋台販売してた
うどんを食べて、翌朝は新宮駅の早朝営業のうどん屋で食べて、終着の名古屋に
到着したらホームのきしめん売店でお昼にしたものです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています