長距離・夜行各駅停車
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いまではほぼ絶滅してしまいました。
薄暗い白熱灯の中、直角のシートに身を寄せ
朝焼けを見た遠い日。
そんな長距離鈍行・夜行鈍行のスレッドです。
マタリ語りましょう。 >>596
会社の帰りに乗った電車がたまたま大垣夜行で、酔っぱらって寝過ごして、
名古屋から新幹線で出勤してきた人はときどきいた。 大学生の頃に1回だけ乗った
直角のシートに腰かけての長時間乗車は苦行だったことしか覚えてない
後半は1時間と座っていられず、立ち上がって体操したり、意味もなく車中をウロウロ歩き回ったり…
完全に不審者だったw
これが原因で長年の腰痛持ちに? 急行型のクロスシートは、隣に誰も座ってなければの話だが、簡易リクライニングより座り心地良かったけど
個人差か >>600
いやほんと、何時頃乗った話かってのあるだろね。
国鉄末期からJR初期に乗り回してた時なんて、
急行形でも近郊形でもクロスシートなら1日10時間以上乗ってても
それほど疲れた感覚なかった。
当時はまだ長編成で混雑は地方都市近郊だけで
それ以外はボックス独占できてたからだけども 客車列車というと種村氏を思い出すよな。
あちこちの長距離普通列車に信者と共に乗り
共に遊び,客車列車の魅力を説き・・・
旅が終わると1人空路で帰京する。
空路は教祖様だけに許された特権のように・・・。
○原ナントカ(△本ナントカ)に似ているな。 種村氏は確かに個人的に好きではないが清○ナントカ呼ばわりは言い過ぎだろw
と思ったが種村氏は学生時代サボを盗むれっきとした犯罪を犯してたからなorz書類送検で済んだから就職はできたけどもし逮捕されて実刑でも食らっていれば毎日新聞内定取り消しになってただろう言うか個人的に種村氏好きでない理由はまさにその犯罪を武勇伝的に語る所orz
種村氏の取り巻きもいい年なんだろうが種村氏清○ナントカのように道踏み外しかつ開き直っていない事を祈りたいorzちなみに四行わざと空けているが理由はまさに種村氏が乗った長距離普通列車の824列車4両編成だったのが理由でありその件に関してだけはリスペクトが理由 >その犯罪を武勇伝的に語る所
懐かし板なのに、当時は「若い頃の経済的利益目的でない万引き」程度は
許容されていたことくらい判らないの? >許容されてねえよ
犯罪に該当するのはあたりまえ。その意味合いで「許容」と書いたんじゃないんだが(笑)
つか、詩集を万引きしました、未成年でタバコ刷ってました的な
若かりし日のアレ記述がT氏のエピが書かれたころは普通に出版されていたってのは一般ナレッジだがねえ。
だいたい未成年どころか小学生がタバコや酒をやるシーンがOKだったとか
具体例に思い至れば理解できることなのになあ >>604
誤解誤解
清原じゃないよ
麻原のつもりだったのだが。 >>604
ついでに・・・
あの当時サボ盗みがかりにバレたからといっていちいち内定取消になんてならんよ。
安田講堂から石投げて逮捕されても裁判官程度にはなれた時代だからな。 >>610
反論はロジカルにどぞ〜。その能がないのなら退席を。
罵ってるだけじゃあ、子供が投げつけているのと同じだわ どうせやるなら、大井川鉄道の往復みたいなのではなく、復刻版824レとか運転して欲しい。 高校時代の夏休みに、京都から出雲市まで乗った。
大阪からのだいせんと接続していたからか、福知山から少し混んだような気がする。 >>607
犯罪者の思考だね。
反社会的存在なのかな? 運転士は岡山から広島まで通しで乗務してると思ってたわ。
糸崎は戦前、岡山−広島間で最も重要な駅とされ特急「富士」「櫻」を含めて全列車が停車してた。
戦前の特急が福山・尾道・三原をさしおいて糸崎に停まってたのは機関車の給水などの必要があったため。
糸崎は元々から機関区があったり管理局の境界駅だったりで主要駅だった
だから寝台特急などは営業停車はしていなくても運転停車はしていた
鉄道の運行上重要な駅と乗客数の多い駅は必ずしも一致しないわけでして糸崎も運転停車はして当然の駅なんですが客扱いですからね
糸崎はちょっと離れたところにファミマはあるが、相変わらず大したもんはない
糸崎は大体、たまたまあそこの駅が境界駅になって機関区とかがあっただけだから
だから糸崎は駅の規模は留置線なんかも含めてかなり大きいけど、周りは何もないね
糸崎は戦前、岡山−広島間で最も重要な駅とされ特急「富士」「櫻」を含めて全列車が停車してた。
戦前の特急が福山・尾道・三原をさしおいて糸崎に停まってたのは機関車の給水などの必要があったため。
糸崎鉄道学校がかつて中等学校ラグビー大会の全国大会に出場した記録がありますね。
かつては鉄道の町だったんかな…糸崎って夜になるとたくさん優等列車が止まるようになるから
てっきり夜の街、ネオンギラギラだと思っていた。
元々から鉄道の街でしたよ
国鉄時代から広鉄局と岡鉄局の境界駅で乗務員の交代なんかもここ
東から伸びてきた電化区間の延伸もこの駅が区切りだった
呉瑞・E山陽線で使覧pする蒸機が糸麹闍@関区に所属bオていた
呉線は今は単なるローカル線だけど、かつては本線に等しい扱いを受けていた関係で軸重の重いC59とかC62などの巨人機が入線できた
電化が遅くなった関係で、糸崎はこれら巨人機が見られる最後の本線機関区と言われた
過去の写真とかを見ても巨大な構内を持ってる
今も構内は巨大だけど、今は分断化した電車の留置線に使われてる >>618
↑きちがい死ねや
あちこちの板でマルチしやがって 長距離夜行各駅停車といえば小樽〜釧路間を札幌・滝川・富良野経由で
走っていた「からまつ」こと、423列車。428.7kmを12時間1分で結んで
いたB寝台連結の旧型客車で走っていた。
当時札幌〜釧路間を走っていた夜行急行「狩勝」には自由席が連結されて
いなかったので北海道ワイド周遊券では利用できず、423列車は何回も乗った。 急行でもないのに愛称が付いていたのが風情があったな。
指定席発券のために、必然的に付けられた訳だけど。 >>622
からまつ はやたま 山陰 ながさき ムーンライト ミッドナイト ふるさとライナー >>627
併結してたのは荷物列車だわ
貨物を併結した混合列車は釧網線や五能線で
走っていたけど長距離・夜行列車ではない >>627
併結してたのは荷物列車だわ
貨物を併結した混合列車は釧網線や五能線で
走っていたけど長距離・夜行列車ではない それなりの鉄オタを自認しているつもりなのに、
荷物列車と貨物列車の違いが、よく分からん(´・ω・`) 荷物列車は国鉄末期に廃止されたけど急行荷物列車は一般の時刻表に掲載された。
(昭和60年3月のJTB大型時刻表から東北本線下りページから抜粋)
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org946489.jpg
上記とは別に電車の郵便・荷物車もあって、クモニ83やクモユニ74などが
あって単体で走らせたり、在来幹線では113系や115系の前か後ろに連結して
走らした荷物電車という種類もあった。鈍行夜行列車で名高い、347M/344Mや
441M/442M、733Mにも先頭か一番後ろにクモニ・クモユニを連結していた
時期もあった。 >>614
寝台車も連結してて「山陰」という愛称が付いてた。
普通列車なのに寝台も繋いでたのはビジネス客や新幹線接続の需要もあったからだと思う。 >>636
普通車と寝台車、どちらが混雑していたんだろう? 寝台車が満員(満床? 何だか病院みたいだw)になったら切符が買えないということですか?
寝台車が下火になった後の世代なので基本的な質問ですがお教えください >>639
今の指定席車両も満席になったら売ってもらえないでしょ?それと同じ。 札幌・千歳空港間、北斗星のデッキで立席特急券という奴もいる・・自分だ。
オホーツクで札幌に出て、そこから千歳空港へ飛行機に間に合うようにするには、この方法しかなかったんだよ〜
その一本前の列車にぎりぎりで間に合わなかった。ごく稀だけど。 普通列車の寝台車の場合も、車内入らずにデッキにいれば、運賃だけで乗れるのだろうけど、そこまで混雑することはなかったんだろう。 >>641
>札幌・千歳空港間、北斗星のデッキで立席特急券という奴もいる・・自分だ
そりゃ例えば3往復時代だと2号と4号は札幌-苫小牧間が立席特急券発売区間だったから普通の事
>>642
デッキも寝台券無いと駄目 大垣夜行の上り列車がちょうど名古屋辺りでは終電か終前になっていた。
刈谷か安城に住んでいた元上司が酔って爆睡し東京で駅員に起されること3回。
○○さんの東京出張として社内で有名だった。
そのお方も定年退職し5年前にご他界。合掌 うちの親父が若い頃札幌で飲んだ後小樽へ帰ろうとして寝過ごし、慌てて飛び降りたところが黒松内。
よりによって何で数少ない函館行きなんかに乗ったものやら。 ……………………
土手の下から見上げる常磐線(佐貫駅の2番線からゆっくりと出発する常磐線普通上りE531系)
https://www.youtube.com/watch?v=x4teBF5x1qg
…………………… >>621
帯広に朝5時台に着いたので、そこで
広尾線派と士幌線派に分かれたんだよな。 >>621
その距離を12時間って時間かかりすぎなかんじですね >>648
長岡から米原は確か13時間だった思うが特急どころか快速にも抜かれまくったし寧ろ糸魚川と富山で快速電車乗り継げば今よりも遥かに速く普通列車快速だけで長岡から米原どころか京都大阪に行けた
>>648の言いたい事解るしそれどころか今関西から長岡にもし行くのだとしたら東京回りか北陸新幹線しか選択肢ないが
金沢〜直江津間が例えあいの風鉄道など第三セクターになってなかったとしても今の感覚で昔は遅いとかチンチラトロい決めつけることが必ずしも正解ではない(北陸がレアケースな事は認めるけども) >>649
上野から長岡いき夜行733Mが宮内04:40着で
長岡から米原いき522レが宮内04:45発というジャストの接続だった。
直江津で長時間停車で、駅の食堂で朝ごはん。
糸魚川で快速に乗換、さらに富山でも快速に乗換で金沢で途中下車。
約2時間後に同じ522レに再乗車。
宮脇さんのマネして、網棚に雑誌を置いといたら、ちゃんと残ってたよ。 昭和51年頃に通勤電車からの光景で、鴬谷駅から上野駅へ走っている時に
毎日走ってくる急行電車(米山号?北陸線米山行き?)を思い出すな〜 >>651
急行よねやまは長岡まわり直江津行き
でも昼行急行ですから完全なスレ違いですよ 165系はよねやまになったり佐渡になったり赤倉になったり普通になったりした
165系の思い出と言えば長岡発新潟行きの最混雑ピーク時の鬼のような運用だな 急行尾瀬号?
当時、5歳くらいの娘を連れて上野駅のホームで沼田行きの
電車を待って超満員でギュッギュウ詰めで、たしか自由席だったが
席を確保できず通路でガマン・・・
沼田着は2時か3時頃で、そこから大清水まで?バス移動
尾瀬走破前にに大根・なめこの味噌汁(売店で)を飲み
途中福島側から歩いてくる人たちに”え、こんなに小さい女の子で大丈夫”
みたいな顔されて・・・むかしがなつかしい!! 終着駅に真夜中に到着して、どういう需要なんだろう・・・って思ってたな尾瀬1号
2号3号・・・はないけど号数が振り当てられてた ようつべにと1985年冬の函館本線46列車の動画が最近投稿されていたのを発見。
当時にビデオカメラ撮影できたなんて相当のマニアだったんだろうけど、30年以上経ってみるとNHKドキュメントのようで涙もの。
「北海道の夜行どん行列車 函館行 札幌から長万部までの記録 」
https://www.youtube.com/watch?v=YBhRJIcy4BQ ドラマでの護送シーン、普通列車だった。
昼間、松本から新宿行き普通に手錠を掛けられた犯人と刑事が乗る話があった。
こんな列車あるのかと思って時刻表を調べたら、存在していた。
ちゃんと調べてるなと感心した。 ドラマでの護送シーン、普通列車だった。
223列車上野発仙台行き赤い激流最終回 >>659
水谷豊が実父殺しの冤罪で死刑判決を受け仙台拘置所に護送されるシーンだよね 国鉄晩年(1980年代)、
夜行普通客車列車と夜行普通電車列車は
有名な列車が複数ありましたが、
夜行普通気動車列車は無かったのですか?? >>664
四国の方になかったかな。
70年代末期くらいだったかも知れんけど。
北海道は・・・聞いたことないなぁ・・・
殆どの路線が非電化の上に広大だから、ありそうだけどね。
客車列車の方が色々と効率が良いのかも知れんね さっそく恐縮です。
なるほど、あったとしても遡りそうですね。
普通夜行に気動車が一般的でないのは燃費の問題かもしれませんね
まだまだ客車列車が煩わしく扱われてなかった時代ですし >>664
快速列車は定義に入るかわからんが高松-窪川ってなかったかな? 坂井はんどうもです
調べたら中村線直通の
高松→中村というDC夜行快速が出てきました。
ありがとうございます。 1980/10
731D:宇高連絡船31便、0:37着〜高松発0:49→中村着7:51
762D:窪川発20:48→高松着3:31〜宇高連絡船2便、3:52発
762Dのみに[快速]の表記アリ、731Dにはなぜかない。
停車駅はほぼ同じなんだけどね。 >>670
グリーン車両が普通座席として開放されてお得でしたね。 後にレッドトレイン50系客車に置き換えられましたけど 高松→高知50系客車化後は、高知4:36→中村7:52の731Dが元グリーン車連結だったな
http://i.imgur.com/L96Ey8c.jpg 岡山発 さらば日本一の長距離列車 JRダイヤ改正で下関行き廃止
http://www.sanyonews.jp/article/495327/1/
JRグループの春のダイヤ改正に伴い、定期の普通列車として運行距離が国内最長だった山陽線岡山発下関行きが、3日の運行を最後にダイヤから消える。
道中82駅に停車しながら384・7キロを7時間33分かけて走る鈍行列車が“日本一の座”を明け渡す。
JR西日本によると、岡山―下関間の直通運転(午後4時17分岡山発、11時50分下関着の片道)は2016年春のダイヤ改正に合わせ、4両編成で始まった。
「検査や整備のために下関総合車両所へ車両を届けるためのダイヤ」(同社広島支社)だったが、4日の改正で東広島市の山陽線に新駅「寺家」が開業。
各駅への停車時刻が変わった影響などで直通運転がなくなった。
廃止を目前にした1日、岡山駅では名残を惜しむ鉄道ファンの姿が多く見られた。車両や「下関」の行き先表示をカメラに収めていた大学4年男子学生(22)=大阪府=は
「この列車に乗りたくて在来線を乗り継いできた。長旅になるが、景色や雰囲気を楽しみたい」と話した。
改正後はダイヤ上、定期の普通列車としてはJR根室線滝川発釧路行き(308・4キロ)が最も長い距離となる。この便は16年春以来1年ぶりに日本一に返り咲くが、
昨夏の台風被害で一部区間が不通となり、再開のめどが立っていない。実際に乗車できる最長距離の普通列車は山陽線糸崎発下関行き(297・2キロ)になりそうだ。
(2017年03月01日 23時28分 更新) 途中駅で列車番号が変更されても、お客の入れ替えをしないならば
1本の列車とみなすならば、日本最長は別にあるけどね。 途中列番変更の長停車でほり出されない列車なんてあるか?
存在自体が公然のものだから隠し通せるものじゃないんだから
それだったらきちんと書いてよ。 >>676
最長列車じゃないし、今もあるかわからんが、何年か前に宗谷本線で乗った列車がそんなんだったな
音威子府で長時間停車して、番号が変わるんだと思った >>675
さすがに列車番号変更すれば、
「代わりの列車準備したので乗り換えてください」が
通じるし。
特急クラスの貨物列車じゃあるまいし。 >>676
山手線で15周するくらいの運用があるよ。 >>657-658
亀レス&すれ違いなんだが、
TBS系「東芝日曜劇場」で1989年9月17日に、「護送」という単発作品が放送された。
詐欺事件を犯した容疑者(被告かも?)が松本から都内へ、
鈍行列車で二人の刑事と鈍行列車で護送されることになり、松本10:54発の立川行き列車に乗り込む。
ところが偶然にも、容疑者と刑事の一人が幼なじみの間柄だったうえ、
容疑者は12:48着の甲府駅で途中下車し、甲府駅近くの飲食店で働く、
同じく幼なじみの女性に会わないか…そして、13:28発の「かいじ10号」に乗れば、立川到着は2分差だ…と提案する。
40分足らず滞在した飲食店で、3人の幼なじみ同士で過去の日々を語り終えて、
「あと2分ですよ〜」と甲府駅前広場で叫ぶ同僚刑事にせかされながら、
二人は甲府駅へジャンプするようにかけ出す…という終わり方だった。
ロケで使用された車両はなぜか165系で、車内のシーン(当然スタジオのセットで収録)は
緑色のボックスシートに淡い水色の化粧板で、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」などで
使い回したような、見覚えのあるセットだった。 >>683の4行目の文頭にある「鈍行列車で」はペーストミスです。
「松本から都内へ、 二人の刑事と鈍行列車で護送されることになり、」が正しい文章。
スレ汚しスマソ。 東芝日曜劇場でサスペンスは意外だが、火曜サスペンス劇場廃止どころか元祖、土曜ワイド劇場まで本当に廃止とか来月4月からTBS月曜名作劇場のみになるがTBS月曜名作劇場までもし廃止なったら日曜劇場が唯一のサスペンスになるか?
明らかにスレチかつスレ汚しと思うが、TBSには昔の民放の雄TBSドラマのTBS戻ってほしいと思うけど無理だね(>_<)
あの頃は普通に中山美穂のドラマママはアイドルとか若奥様は腕まくりだとか、卒業とかおもしろかったんだがな(>_<)
TV情報番組ばかり鉄道ロンシーばかりどちらも本当につまらなくなった(>_<) 昭和55〜60年くらいの話だが、、、
旧型客車列車で「上野〜高崎〜長野〜直江津〜長岡〜新潟」ってのが上下1往復あって、
途中で列車番号が3回くらい変わって、たしか長野では1時間以上停車してた。
もちろん客は追い出されなかった。 >>686
長岡〜米原旧客とセットで乗った事ある
485系電車糸魚川快速廃止は残念だが、そんなことよりも糸魚川〜直江津間は、32年前1985年昭和60年3月今から丁度、32年前まで普通列車はディーゼル車旧客onlyだったわけだけれども今からまさに32年前の姿に戻ってしまうのは残念だし(32年前までは特急電車はあった訳だし)
1両編成ディーゼル車いうのはあれだ、32年前より更に悲惨惨めな姿だな(>_<) >>686
下り:上野〜2321レ〜高崎〜321レ〜長野〜323レ〜直江津〜325レ〜新潟
上り:新潟〜322レ〜直江津〜324レ〜長野〜326レ〜高崎〜2326レ〜上野
だったと記憶。
ただ、下りの長野は一度構内に引き上げていたと思うんだけど、記憶間違えてるかな? >>685
昔は、出会いと別れといえば駅のホームが定番でしたからね。
1975年12月7日放映の東芝日曜劇場。題名は「嘘」
舞台は札幌で、恋人の鈴木ヒロミツに見切りをつけて、
秋吉久美子は東京へ旅立つ。このときの列車は「黄金ルート」の
「おおぞら3号」・・・だけだとスレ違いだけで終わるから
>>686>>688
昭和50年3月ダイヤで、
上野0620(2321レ)0857高崎0936(321レ)1253長野1612(323レ)2234新潟
新潟0600(1324レ)1011直江津1118(324レ)1352長野1458(326レ)1838高崎1913(2326レ)2132上野
これとは別に
上野1052(2325レ)1315高崎1548(325レ)2129直江津
直江津0507(322レ)1138高崎1227(2322レ)1431上野
というペアもあった。
しかしまあ上野〜高崎間で他の普通電車に抜かれそうなダイヤだが、
この当時朝夕こそ7分毎に運転されるも日中の電車は少なかった。 遅かったな、2321
特急や急行にボコボコ抜かれてた。
〜57.11.14
2321レ 上野6:14発高崎8:53着 表定速度 38.8km/h
いま
825M 上野発6:12高崎8:01着 表定速度 55.9km/h
とき301号 上野6:14発高崎6:58着 表定速度 138.5km/h
57.11までよく残ってたよ。よく乗った。高崎の58が必死になって走ってた。
面倒なのか、運転荒い人が多かった >>691
みつからないな。
高松〜中村ってのはあったが300キロにすら及ばない。 電車は湘南電車で長距離運用が定着したけど、気動車はいろいろ厳しいのかもしれぬね 昭和40年以降ならほぼ数年間隔で時刻表があるから
北海道、四国、紀勢を中心にみてみたが・・・ない。
滝川発根室行だの亀山発新宮経由和歌山行だのあってもよさそうだがない。
昭和30年代はどうか知らないが、
それより遡ると客レ全盛期になるからほぼ絶望的かと。
気動車急行だと変態経路はやまほどあるのに、
普通列車はわりとおとなしい。 運行面での従事者が人的豊富で
客レの運行が現代みたいにまったくウザがられてなかった時代だし、
気動車で燃料浪費さすより(往時は複数両〜長大。単行は区間列車の概念)
機関車牽引の客レになるのは自然な流れだね。
単行(ワンマン)DCが長距離って、いかにも現代らしい。
いかにも合理化と省力化って感じ 上野から急行津軽か八甲田で北海道入り
青森まで普通車に座ったままでいると本当にケツがマヒして麻酔注射したような状態に
それが青函連絡船で雑魚寝してるうちにだんだん感覚が戻ってくる ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています