長距離・夜行各駅停車
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いまではほぼ絶滅してしまいました。
薄暗い白熱灯の中、直角のシートに身を寄せ
朝焼けを見た遠い日。
そんな長距離鈍行・夜行鈍行のスレッドです。
マタリ語りましょう。 >>550
ナインドリーム甲子園という常識外れが存在するのよ ↑
それJR化後だから。
550は、後出しじゃなくて、ちゃんと「国鉄の」って基準を最初から明確に記してるよ。 >>552
ああそうか済まんかった見落としてたよ
でも国鉄時代に限定しても意味なくね?
>>553
あれは夜行と言えるんだろうか
列車ホテル+昼行列車じゃないか? 夜行どん行で思い出すのが夜明け前の保津峡を走る車内から見た光景はまるで墨絵の世界に居るみたいだった。 >>554上
俺は550本人じゃないよ
550がそういう基準で訊いてるよと述べたまで >>550
本人様でつよw
国鉄とだけ書いたために悪かったのぉ!
ところで件の甲子園とつくば万博のヤツは電留線や運転所に収容されてる時って列車番号が与えられ“列車”として
扱われていたとすれば夜行列車と言うことにはならないか? 懐かしなのだから、国鉄という限定であるのは別に良いのではないかにゃ。
さておき、俺も筑波エキスポを思い出したんだけど、
例に挙がってる御殿場の奴というのは定期列車だったのかな?
不定期なら、件のエキスポ列車とかイベント系の物はいくらでもありそう。
数年前だからJR時代だけど、583系の両国ー銚子(117キロ程?)
なんてのもあったらしいし。
あとは何をもって夜行列車と定義するかってのもあるよね。
あまりに極端だけど山手線最終列車を「深夜発早朝着」
なんて言っちゃったらキリがないしw
でも東京ー御殿場が本当にあったのなら、興味深いです。 スレ違いかも知れんけど、
国鉄じゃなくて私鉄(勿論JR以外で)の
夜行列車なんて歴史上あったりしたのかな?
戦前の山陽鉄道に〜とか、そういうのは無しですよw 御殿場のは臨時だと思うよ。御殿場に富士の五合目まで行くバスが待機してるんだってさ。
土曜休じゃない時代、土曜の夜に東京を出て、日帰りで富士山頂往復したらしい。
オヤジは非鉄なんで、その列車について写真も撮ってないし、時刻や編成も記録してないorz
ただ夜行だったとは言っているがなんだかなぁw
あちこちググって見てるけど出てこないんだよなぁorz
PS ちなみに民鉄だと西武鉄道で特急“こぶし”が夜行列車として存在したようですね。
民鉄を含め、コイツが最短かな? 昔のジャーナルにそもそも夜行とは何ぞ?という話があったな
日付をまたげばいいのか?始発が0:02の列車は?3時始発の鈍行は?とか
'69年の時刻表だと下関23:32発−長門市2:11着 77.7qがある
こんなのどう扱うんだよw 大井川鉄道に下りの大垣夜行と接続を取っていた「山岳夜行」がありましたね。
東武や西武と違ってこちらは各駅停車だったようだし距離的にも40km切ってるから最短だったかも 意外にも東京ーいわきの夜行は無かったな。バスは片道だけあるけど。 >>565
特急ゆうづるや貨物が通った後の保守点検時間に充ててたからじゃね? 探せば色々と面白い話があるもんですなぁ。
皆さん、ありがとうございます。 >>563
69年のヤシな…。東武の“奥日光”、国鉄の“ハイランドスケート”が似通った時間帯で存在するけど、“奥日光”は
民鉄唯一の夜行列車とも言われる。一方“ハイランドスケート”が夜行列車だと言う話しは聞いた事がない。
高松→高知の普通列車で0時過ぎに高松を発車するのがあったが、多くが夜行列車と言っている。
夜行列車の定義の一つとして「使命上、性格上、乗客の睡眠に考慮する必要のある列車」と言えまいか?
例えば車内減光、放送の制限、深夜のバカ停等々…。
それらのうち、一つでも該当がなければ、それは終列車や初発列車としか到底思えない…と、思うが? 定義として、取りあえず、列車愛称名が付いている、
(=寝台が無いとしても指定席がある)
というのも一つの基準としてあっても良いかなという気もする。
そうすると↑で書かれている四国の列車には、
特に愛称名が無かったのも多かった気がするなぁ。
宇高連絡船の接続使命があったのかな?
函館本線48レとかもあったっけね。 中央夜行に接続して富士急でシーズンに走らせてた河口湖行、あったよね?あれは夜行にならない? >>569
そしたら345M、阪和・紀勢本線のなんかは夜行じゃなくなっちゃうんだよ? >>570 臨時の「遅い終電」ないし「早い始発」なんでは?
これを「夜行」に入れるならば、二年参りの客のための「成田臨」や、深夜発の初日の出臨時なんぞも「夜行」になっちまうよなあ。 >>571
345Mなる前寝台付旧型客車、
阪和紀勢本線のも寝台付旧客、
どちらも前身寝台付旧客だから自分的には夜行で違和感ない。 >>572
阪和紀勢本線のも紀伊田辺止になってからは流石に夜行でなく最終電車ということだろうな。 >>573
愛称名なしで寝台って、事前に予約購入できないってこと? そういや昔、福島3:28発の仙台行き普通列車があったけど、あれはどんな客を受ける列車だったんだろう? >>575
まず345M前身の大阪行きに寝台てか指定席はなかった。
次に、山陰とかながさきになる夜行普通に連結していた寝台は
主要駅と交通公社の営業所で指定席券、寝台券を発売してた。
寝台マークを□でかこって記載されているやつね。 >>575
他の指定券と同様に事前購入もできましたが、列車番号で管理していた筈。 愛称名無しだったのを、マルスに入れるために愛称をつけた >>576
あれは時刻表のその線区の一番後ろに仕切られて掲載されている荷物列車の時刻表を見るとわかる。
つまり、この本体の列車は隅田川からやってくる荷物列車なんだね。
その荷物列車に福島から客車を増結して客扱いをしていたという訳だ。
未明の時間に客扱いするのは、上りの「津軽」からの客を受けていたというのもある。
早起き列車と言えば、滝部を2時台に発車して下関に向かう列車があった。
“夜行”というには微妙だが、こちらは、行商人御用達の列車だった。
また、釜石を日付が変わってから発車し、遠野や陸前高田に向かう列車もあった。
三交代で勤務する製鉄所作業員の通勤の便宜を図った列車だったが、その性格から一般の時刻表には掲載されていない“幻の列車”だった。 >>577
確か、43-10による電車化以前には、当時の1等座席車をつないでたんだっけ(後年のグリーン車同様)
昭和20年代以前から優等寝台(モノクラス化後の開放A寝台相当)をつないでいた夜行普通列車の場合は、
後年、準急→急行まで格上げしちゃったのが多いよな。
そういう列車にマロネロ38が繋がれていたりして。
(マロネロって戦前の新製時点では、木造2等寝台車が入っていた
長距離夜行普通列車への連結も視野に入れて増備された車両だったと聞く) >>581
釜石から陸前高田に行く夜行なんてあったんかい?
1984年4月1日以降だよなw >>581
ありがとう。
手元の当時の時刻表はコンパス版なんで、その辺のページはなかったんだわ。 >>583
釜石製鉄所の高炉に戦後火が入った昭和23年から高炉の操業を止めた平成元年まで。
高炉というのは、夜間に火を止めるという事はできないから、必然的に24時間操業になる。
(高炉の火を一旦止めると、再開まで数ヶ月必要になる) >>576
1041レの存在知らなかったっていうか気にしてなかったのかな
福島駅ネしてこれ乗れば青森1436
23便に乗れるのね
83年位まであったなら乗れたな残念 >>585
三陸鉄道が開通したのは1984年4月1日なんだがw
釜石から陸前高田って?? 種村氏逝去
同氏の「鈍行列車の旅」には、巻末に当時の鈍行夜行列車の紹介があった。
これを読み返すと、こうした列車に憧れていたまだ中学の頃の俺に戻れる。
その長距離夜行鈍行もほぼ消滅し、今その後を追うように同氏も歴史の彼方に遠ざかって行った。
合掌 夜行列車はマニアにとっては楽しいものだけど
沿線住民にとってはどうなんだろうね >>590
深夜区間の沿線住民にとっては全く別世界の話。
あってもなくても関係ない。 >>590
線路際に住んでると列車より保線の方が五月蝿いよ
列車の通過音はすぐ慣れる
そもそも通過列車が夜行ばかりになる前に寝入っちゃうよ 笛吹きサンケイフリー運転ステルスバイト宿ラーメン
笛吹きサンケイフリー運転ステルスバイト宿ラーメン >>592
581系設計主事の星晃氏は、かならず夜行列車が間近に見える家に住んでいたらしいね。
家族はどう思っていたんだろうか? >>590
騒音公害と言い出すやつも出てくるかもな そういえば、昔俺の親父(故人)が、出張で博多から門司まで行って、同僚とたらふく飲んで、
帰りに「ながさき号」に乗ったら、酔っ払ってるから、長崎まで行っちゃった、って事が有ったなw >>596
会社の帰りに乗った電車がたまたま大垣夜行で、酔っぱらって寝過ごして、
名古屋から新幹線で出勤してきた人はときどきいた。 大学生の頃に1回だけ乗った
直角のシートに腰かけての長時間乗車は苦行だったことしか覚えてない
後半は1時間と座っていられず、立ち上がって体操したり、意味もなく車中をウロウロ歩き回ったり…
完全に不審者だったw
これが原因で長年の腰痛持ちに? 急行型のクロスシートは、隣に誰も座ってなければの話だが、簡易リクライニングより座り心地良かったけど
個人差か >>600
いやほんと、何時頃乗った話かってのあるだろね。
国鉄末期からJR初期に乗り回してた時なんて、
急行形でも近郊形でもクロスシートなら1日10時間以上乗ってても
それほど疲れた感覚なかった。
当時はまだ長編成で混雑は地方都市近郊だけで
それ以外はボックス独占できてたからだけども 客車列車というと種村氏を思い出すよな。
あちこちの長距離普通列車に信者と共に乗り
共に遊び,客車列車の魅力を説き・・・
旅が終わると1人空路で帰京する。
空路は教祖様だけに許された特権のように・・・。
○原ナントカ(△本ナントカ)に似ているな。 種村氏は確かに個人的に好きではないが清○ナントカ呼ばわりは言い過ぎだろw
と思ったが種村氏は学生時代サボを盗むれっきとした犯罪を犯してたからなorz書類送検で済んだから就職はできたけどもし逮捕されて実刑でも食らっていれば毎日新聞内定取り消しになってただろう言うか個人的に種村氏好きでない理由はまさにその犯罪を武勇伝的に語る所orz
種村氏の取り巻きもいい年なんだろうが種村氏清○ナントカのように道踏み外しかつ開き直っていない事を祈りたいorzちなみに四行わざと空けているが理由はまさに種村氏が乗った長距離普通列車の824列車4両編成だったのが理由でありその件に関してだけはリスペクトが理由 >その犯罪を武勇伝的に語る所
懐かし板なのに、当時は「若い頃の経済的利益目的でない万引き」程度は
許容されていたことくらい判らないの? >許容されてねえよ
犯罪に該当するのはあたりまえ。その意味合いで「許容」と書いたんじゃないんだが(笑)
つか、詩集を万引きしました、未成年でタバコ刷ってました的な
若かりし日のアレ記述がT氏のエピが書かれたころは普通に出版されていたってのは一般ナレッジだがねえ。
だいたい未成年どころか小学生がタバコや酒をやるシーンがOKだったとか
具体例に思い至れば理解できることなのになあ >>604
誤解誤解
清原じゃないよ
麻原のつもりだったのだが。 >>604
ついでに・・・
あの当時サボ盗みがかりにバレたからといっていちいち内定取消になんてならんよ。
安田講堂から石投げて逮捕されても裁判官程度にはなれた時代だからな。 >>610
反論はロジカルにどぞ〜。その能がないのなら退席を。
罵ってるだけじゃあ、子供が投げつけているのと同じだわ どうせやるなら、大井川鉄道の往復みたいなのではなく、復刻版824レとか運転して欲しい。 高校時代の夏休みに、京都から出雲市まで乗った。
大阪からのだいせんと接続していたからか、福知山から少し混んだような気がする。 >>607
犯罪者の思考だね。
反社会的存在なのかな? 運転士は岡山から広島まで通しで乗務してると思ってたわ。
糸崎は戦前、岡山−広島間で最も重要な駅とされ特急「富士」「櫻」を含めて全列車が停車してた。
戦前の特急が福山・尾道・三原をさしおいて糸崎に停まってたのは機関車の給水などの必要があったため。
糸崎は元々から機関区があったり管理局の境界駅だったりで主要駅だった
だから寝台特急などは営業停車はしていなくても運転停車はしていた
鉄道の運行上重要な駅と乗客数の多い駅は必ずしも一致しないわけでして糸崎も運転停車はして当然の駅なんですが客扱いですからね
糸崎はちょっと離れたところにファミマはあるが、相変わらず大したもんはない
糸崎は大体、たまたまあそこの駅が境界駅になって機関区とかがあっただけだから
だから糸崎は駅の規模は留置線なんかも含めてかなり大きいけど、周りは何もないね
糸崎は戦前、岡山−広島間で最も重要な駅とされ特急「富士」「櫻」を含めて全列車が停車してた。
戦前の特急が福山・尾道・三原をさしおいて糸崎に停まってたのは機関車の給水などの必要があったため。
糸崎鉄道学校がかつて中等学校ラグビー大会の全国大会に出場した記録がありますね。
かつては鉄道の町だったんかな…糸崎って夜になるとたくさん優等列車が止まるようになるから
てっきり夜の街、ネオンギラギラだと思っていた。
元々から鉄道の街でしたよ
国鉄時代から広鉄局と岡鉄局の境界駅で乗務員の交代なんかもここ
東から伸びてきた電化区間の延伸もこの駅が区切りだった
呉瑞・E山陽線で使覧pする蒸機が糸麹闍@関区に所属bオていた
呉線は今は単なるローカル線だけど、かつては本線に等しい扱いを受けていた関係で軸重の重いC59とかC62などの巨人機が入線できた
電化が遅くなった関係で、糸崎はこれら巨人機が見られる最後の本線機関区と言われた
過去の写真とかを見ても巨大な構内を持ってる
今も構内は巨大だけど、今は分断化した電車の留置線に使われてる >>618
↑きちがい死ねや
あちこちの板でマルチしやがって 長距離夜行各駅停車といえば小樽〜釧路間を札幌・滝川・富良野経由で
走っていた「からまつ」こと、423列車。428.7kmを12時間1分で結んで
いたB寝台連結の旧型客車で走っていた。
当時札幌〜釧路間を走っていた夜行急行「狩勝」には自由席が連結されて
いなかったので北海道ワイド周遊券では利用できず、423列車は何回も乗った。 急行でもないのに愛称が付いていたのが風情があったな。
指定席発券のために、必然的に付けられた訳だけど。 >>622
からまつ はやたま 山陰 ながさき ムーンライト ミッドナイト ふるさとライナー >>627
併結してたのは荷物列車だわ
貨物を併結した混合列車は釧網線や五能線で
走っていたけど長距離・夜行列車ではない >>627
併結してたのは荷物列車だわ
貨物を併結した混合列車は釧網線や五能線で
走っていたけど長距離・夜行列車ではない それなりの鉄オタを自認しているつもりなのに、
荷物列車と貨物列車の違いが、よく分からん(´・ω・`) 荷物列車は国鉄末期に廃止されたけど急行荷物列車は一般の時刻表に掲載された。
(昭和60年3月のJTB大型時刻表から東北本線下りページから抜粋)
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org946489.jpg
上記とは別に電車の郵便・荷物車もあって、クモニ83やクモユニ74などが
あって単体で走らせたり、在来幹線では113系や115系の前か後ろに連結して
走らした荷物電車という種類もあった。鈍行夜行列車で名高い、347M/344Mや
441M/442M、733Mにも先頭か一番後ろにクモニ・クモユニを連結していた
時期もあった。 >>614
寝台車も連結してて「山陰」という愛称が付いてた。
普通列車なのに寝台も繋いでたのはビジネス客や新幹線接続の需要もあったからだと思う。 >>636
普通車と寝台車、どちらが混雑していたんだろう? 寝台車が満員(満床? 何だか病院みたいだw)になったら切符が買えないということですか?
寝台車が下火になった後の世代なので基本的な質問ですがお教えください >>639
今の指定席車両も満席になったら売ってもらえないでしょ?それと同じ。 札幌・千歳空港間、北斗星のデッキで立席特急券という奴もいる・・自分だ。
オホーツクで札幌に出て、そこから千歳空港へ飛行機に間に合うようにするには、この方法しかなかったんだよ〜
その一本前の列車にぎりぎりで間に合わなかった。ごく稀だけど。 普通列車の寝台車の場合も、車内入らずにデッキにいれば、運賃だけで乗れるのだろうけど、そこまで混雑することはなかったんだろう。 >>641
>札幌・千歳空港間、北斗星のデッキで立席特急券という奴もいる・・自分だ
そりゃ例えば3往復時代だと2号と4号は札幌-苫小牧間が立席特急券発売区間だったから普通の事
>>642
デッキも寝台券無いと駄目 大垣夜行の上り列車がちょうど名古屋辺りでは終電か終前になっていた。
刈谷か安城に住んでいた元上司が酔って爆睡し東京で駅員に起されること3回。
○○さんの東京出張として社内で有名だった。
そのお方も定年退職し5年前にご他界。合掌 うちの親父が若い頃札幌で飲んだ後小樽へ帰ろうとして寝過ごし、慌てて飛び降りたところが黒松内。
よりによって何で数少ない函館行きなんかに乗ったものやら。 ……………………
土手の下から見上げる常磐線(佐貫駅の2番線からゆっくりと出発する常磐線普通上りE531系)
https://www.youtube.com/watch?v=x4teBF5x1qg
…………………… >>621
帯広に朝5時台に着いたので、そこで
広尾線派と士幌線派に分かれたんだよな。 >>621
その距離を12時間って時間かかりすぎなかんじですね >>648
長岡から米原は確か13時間だった思うが特急どころか快速にも抜かれまくったし寧ろ糸魚川と富山で快速電車乗り継げば今よりも遥かに速く普通列車快速だけで長岡から米原どころか京都大阪に行けた
>>648の言いたい事解るしそれどころか今関西から長岡にもし行くのだとしたら東京回りか北陸新幹線しか選択肢ないが
金沢〜直江津間が例えあいの風鉄道など第三セクターになってなかったとしても今の感覚で昔は遅いとかチンチラトロい決めつけることが必ずしも正解ではない(北陸がレアケースな事は認めるけども) >>649
上野から長岡いき夜行733Mが宮内04:40着で
長岡から米原いき522レが宮内04:45発というジャストの接続だった。
直江津で長時間停車で、駅の食堂で朝ごはん。
糸魚川で快速に乗換、さらに富山でも快速に乗換で金沢で途中下車。
約2時間後に同じ522レに再乗車。
宮脇さんのマネして、網棚に雑誌を置いといたら、ちゃんと残ってたよ。 昭和51年頃に通勤電車からの光景で、鴬谷駅から上野駅へ走っている時に
毎日走ってくる急行電車(米山号?北陸線米山行き?)を思い出すな〜 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています