で、ちょっと深刻な話題を振るけど、
「上流社会の人間と下流社会の人間の境界はどこか?」
という質問に、
「夜行普通列車に乗車体験があるかどうか」
という答えがある。

僕が、91年夏の大垣夜行を最後に、夜行列車と縁が切れたのは、
もう、その当時、すべての夜行列車に「プロレタリアイズム」を感じていたから。
自分は、それなりのレベルの大学を卒業しており、
「これ以上、レベルの低い世界には巻き込まれたくない」という思いがあった。

現在、身近に、
「ムーンライト九州がなくなったから九州へは行けなくなった」
「18きっぷ愛好。行きは521M限定。帰りは338M限定。普通列車グリーン車など論外」
という人がいる。
前者の関西人(郵便局外務職員)など、
「特急利用は郵便局の組合の大会に合わせての旅行のみ」と、言い切る。
つまり、「郵便局の社費利用で、撮り鉄、乗り鉄を実行する」
(10日間の有給休暇で、組合の大会には、1日の数分、顔を出せばいいだけらしい)

こういう人ばかりなのね。現在の夜行普通列車の愛好者って。
50歳近い年齢で、このようなセリフを言ってしまう人って、
どういう経済状況なのだろう? と思う。
大学時代の友達や、鉄道趣味と無関係の友達は、ほぼ全員、
「大阪から東京へはのぞみに限る」
中には、「もう、のぞみはグリーン車にしか乗れない」という人もいる。
そんなレベルなのに。

「夜行普通列車」と、「社会の底辺層」について、
このスレの住民はどう考えますか?
「中央東線長野行きや、上越線長岡行きの時代は、そう密接な関係ではなかった。
むしろ、登山などのアウトドアの世界で、健全な世界であった」
のでしょうか?