昭和20年2月、福岡から北海道の塘路に疎開した。
途中駅から乗ると絶対に座れないので、
座席を確保するため、博多始発の列車を選んだ。
と言っても、選択の余地はなく、
当時、博多を始発とする列車は1本だけ。
前日の夕方から駅に並んで列車を待ち、翌朝、
博多を朝5時前に出る東京行鈍行に乗った。
夜8時頃に底冷えする上郡で降り、駅で夜明かし。
朝6時か7時頃に上郡始発の青森行に乗り、
次の日の夕方、青森着。
決死の連絡船で、函館には深夜に着いた。
函館の街中にある親戚宅へ行く。
親戚と合流して、午後3時頃発の根室行鈍行に乗り、翌朝釧路に着いた。
釧路から網走行に乗って、いよいよ塘路に到着、
ちょっと歩いて疎開先に着いたらすぐに日が暮れた。
釧路に着いたのが朝で、ほど近い塘路の疎開先ですぐに日没。
自分でもよく分からない。すでに記憶が曖昧だ。