長距離・夜行各駅停車
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いまではほぼ絶滅してしまいました。
薄暗い白熱灯の中、直角のシートに身を寄せ
朝焼けを見た遠い日。
そんな長距離鈍行・夜行鈍行のスレッドです。
マタリ語りましょう。 1945年初頭の博多駅
始発の普通列車が
東京行だった ちょっと待った。長距離普通列車ならその昔は数多くあったが、
各駅停車となると、意外に限られるんじゃないか? >>3
すんません。
定義的に混同してました。
もちろん普通でもおkです。
>>3
列車は限られるかも知れないが反面、思い出は多くの鉄オタにあるんじゃないかな?
俺にとっては中央客レの夜行425レ。休前日は通路まで立客が出るほどの混雑だったが
殺伐とした雰囲気はなかったね。
姉妹列車として新宿に4:30頃に着く426レがあったがそちらは当然回送列車に近いほど
ガラガラで薄暗いオハ61などでくの字になって眠ったものだった。
未明の新宿で眠い目をこすって乗り換えたものだが、こちらの方が夜行各駅停車らしく
乗り鉄的にはいい思い出。 >>4-5
了解。そういう趣旨ということで。
まあ、律儀に全部の駅に停車する、純粋な「各駅停車」のうち
最も長距離の列車を探すというのも、これはこれで興味深いんだけど。
(>>5の425レも、緩行線の駅まではさすがに言及しないとしても
国分寺とかを通過しているわけだし) 紀勢線の太公望列車が実質最後の定期夜行普通だったな。 ようつべで、
「松山千春 生きがい」でググるとこのスレの趣旨に沿う動画をお楽しみいただけます。
昭和50年代の前半、つまり今から30年前の動画ですなぁ〜。
末期の4大夜行鈍行は
からまつ はやたま 山陰 ながさき
寝台に乗りたかった 昼行で米原発長岡行とか走ってたよねえ。
鉄抜け期間が長かったもんで、気がつけば
思い出の列車がたくさんなくなってる。
東京→大垣夜行(ながらの前身、って書かなけりゃダメか)は
登山シーズンには金谷に臨時停車して、大井川鉄道の臨時に
接続させてたというのはこの板的には比較的最近の出来事なのか? >>8
03:43 池田駅に留置中の丸善石油タキに萌えたw
始発駅から終着駅まで
走行線区の全駅停車した夜行普通列車という条件で考えると
なにがあっただろう。
首都圏近畿圏の国電区間通過なんて普通だし・・・
「からまつ」あたりか?
でも,臨時乗降場を含めて全停車していたかなー???
>>14
1979.9の時刻表を見るとからまつも、張碓・豊幌・東滝川・滝里・島ノ下・布部・東鹿越・幾寅・羽帯と結構通過している 全駅停車にこだわることもあるまい
片道旅行で347M(ながらの前身)〜死ぬほど乗り継ぎ〜「ながさき」に乗る、という
普通列車二泊旅行をしていたら、下関駅で同じことをしてる奴(しかも同じ日に!)に
出会って凹んだなあ。
二人でいろいろ話しながら関門トンネルを抜けたよ。
その時お世話になったオハネ12が今では横川で展示されてる。
>>7
冬場に乗ると暖房の熱気と混ざり合って、生臭さが増強してたな。 昭和50年代前半、上野を11:17頃発車する、一ノ関行きの長距離普通列車が
ありました。ヨンサントウまでは青森行き夜行列車だったことを知るfァンは
いないだろうか?
この列車、EF57の定期運用だったので当時の鉄ちゃんには大人気だったよ。
全国的に長距離普通のダイヤ分断が進んでいる中、山陽線だけは逆に距離が伸びているんだがw
国鉄末期にも無かった岡山発下関行き(一部区間快速だが)が当たり前のように走る。 >>8
>>13
足寄がふるさとだから、池田乗換えって訳だ!
「狩勝」に乗らず「からまつ」にしたのは早着しすぎるからかな??
それにしても札幌地平ホームを客車らしくのっそりとシュパーツするシーンに震えた。
>>18
S51年に123レ乗ったときはEF58122だった。
その前に13番線にいた急行の回送はEF57だった。
EF57が定期仕業だったのに乗れなかったのは残念 >>18
>>21
東北本線の長距離普通列車だが通学で高校生がEF57のデッキに乗って問題になったとか
でEF58に替えられたと聞いた事がある。 >>18
そのころの上野発の東北スジの客レ
上野0530発郡山行→郡山で1時間10分停留して郡山1250発盛岡行
上野1119発一ノ関行
上野1634発福島行
だったのを覚えている
>>22
ないない。
EF57、58は共通運用で、どちらが来るかは運次第だった。 >>18
けっこう有名な話しじゃないの?
奥羽線経由もあったし。 山陰、上野ー長岡、新宿ー長野(塩尻まで)、大垣夜行(上り)に乗った。
山陰は下りは浜坂まで、上りは完乗 >>25
同意。
終戦直後ならともかく、昭和50年ごろで旧型電機のデッキはないだろな。
扉が開け放し客車デッキでの飛び乗り&飛び降りなら実際にあったけどね。
自分は我孫子在住だったが、昭和57年までは実際に日常茶飯事だった。
カラー動画(70年代くらい?)で見たことある様な気もする >旧型電機のデッキ乗り >>28-29
昭和40年頃までなら、高崎線で旧型電機牽引の客車列車があって、
朝ラッシュ時の上りの上野行きは超満員でデッキにまで乗っていた光景が。
ニュースで風物詩としてよく放映されていた。
さすがに真冬は危険だったろうな。 >>28
高崎線2321レが高崎に着く時に飛び降りやって駅員に怒鳴られたわw
奥羽線経由青森行き421列車かな。
実際青森まで乗り通したことはなかったんだけど、正月の前後は板谷峠で夜明けだった。
中坊の頃だから曖昧な記憶だけれども板谷駅か峠駅で初日の出を拝んだ。
その後壇上完爾氏がRJ誌上で列車追跡シリーズの名作「421よあれが青森の灯だ」を発表したね。 ウチに421レのレコードがあるw
石坂浩二が語ってる奴。 私は若い頃、壇上氏の列車追跡シリーズが大好きだった。
昭和45年6月増刊号に「421よ、あれが青森の灯だ」を
何度も熟読した。
エンディングの『汽車キチよ、あれが青森の灯だ』・・・・・
が大好きだったな。 >>31
S54頃だが函館本線の124レが函館到着時に俺も停車前に飛び降りた。
当時、チョコレートのCMで三浦友和(だったかな?)がホームで待つ恋人に
早く逢いたいために旧客から飛び降りるシーンがあり、結構インパクトが
あったものだ。それをまねてみたもの。
でも当時、カノジョはいなかったので1人でやって自己満足しただけだけどね。 >>31>>35
今のガキがやったら、進行方向側の足から着地して転ぶのがたくさんいそうだな。
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