まさに神話の世界だった、別府鉄道を語ろう
大阪や神戸から程近い場所とは思えないような
ローカルムードに溢れていた
別府鉄道について、思い出などを語ろう!! パソコンの事は判らないけど、「腰を抜かした」と「正座した婆」のひとは
なんとなく同一な気がする ≫土山の客車
ずっと同じ位置にいたので営業には使われてなかったと思う(昭和55年頃)
でも塗装は奇麗だった
こまめに塗り直していたのだろうか >>595
温泉のベップが有名だから
ベフ読みが亜流に感じるが、
むしろ読み的にはベップが珍しい側ではないかな。
神戸のコウベ読みがまさにそれ
(本来コウベ読みは珍しい側) まだこのスレ残ってたんですね!w
機関士に失礼な暴言吐いた >>561 ですw
>>566
父親は全国国鉄鉄道乗り放題パスを持ってた国鉄職員でした。
だから福知山線とか姫新線の旧客車とか、別に乗りたくないのに乗せられましたねw
他には高砂線とか乗せられたところを見ると、廃止が近い車両、路線に連れて行ってくれたみたいですね。
通過していく「まつかぜ」が豪華に見えて乗りたくしかたなかったけど、
そりゃタダで乗れる普通車を選びますよねw
一度旧客車の最後尾のデッキで景色を楽しんだ時、線路とかトンネルがやたら近く感じ
凄い迫力だったので、それ以来旧客車が大好きに!
それ以後、高校生になった時でも夜行の「山陰」に乗って米子まで行って
境港から隠岐の島へ行ったりしてけっこうな活動的な子供になりましたw
今となってはホントに父に感謝です・・・ それは恵まれた環境でいい思い出がたくさんあって羨ましい限り