まさに神話の世界だった、別府鉄道を語ろう
>>561
>機関士の前でオンボロ嫌だー
激しくワロタ 上 見た。言い回しも面白かった
メンテの苦労は零細バストラック会社みたいだ
注文流れやサンプルカー買うの好きなバス会社もあるし 安物買いの銭失いを繰り返しただけに思えるが、
DC301は江若鉄道にしてやられた様にも見える。 途中に中野っていう駅があった。
名前の通り、野原の真ん中にあった。 江若はあちこちで摩擦を起こしてたようだ
岡山臨港の話はレールファンの投稿で知った >>574に便乗して、
藤原製作所前は、藤原製作所の前にあったのかな 昔の変色しかかっていたネガを再現
別府港→土山間に乗車したのは、貨車の最後部のハフ7
座っていて、その振動が尋常ではないと感じた
尻からのガタガタの感覚が、あまり経験したことがない印象
友人で車掌車に分乗したことがある人がいて、その人の言っていた言葉とダブっていた
その振動が強烈であったが、音も小さくなかったと記憶
42年前になります 車掌さんが昔のバスガイドの持っていた鞄と同じ物を持って、料金徴収していた。 加古川郊外のゴルフ場への途中に多木製肥のホーロー看板がある
別府鉄道と同じマーク ハフ5・ハフ7が保存されているのは嬉しいことだね。 >>581
親会社の多木化学が肥料作ってて、その子会社が別府鉄道でなかったっけ?こないだ所さんの開かずの金庫でやってたような 加古川近辺では多木に就職したら一目おかれるぐらい、地元では名の通った優良企業 1983年 4枚窓のキハ101に乗れて感激
天井の扇風機が物凄い勢いで首を振っていた
メーカーはどこ製だったか覚えてない 廃止日が近付いてくるとテレビ局がこぞって特集企画組んでいたなあ
なかでもNHK、関西ローカルの情報番組で放送したものは出色のクオリティ
VHSに残してたのに引っ越し時に紛失
悔やみきれん テレビ局に鉄ちゃんと思しき人がいて鉄ちゃん視点で番組を創ってくれるととても嬉しい 旅客営業を最後まで行なっていたとは、信じがたいレベル
貨物のおまけ、程度としか思えない 別府を「べふ」と読む地名は、福岡市内にもある
兵庫と福岡をつなぐ存在というと、黒田官兵衛・長政父子がいるな 一度だけ乗った。土山駅の脇にちょこんと置いてあるハフを見た時、まさに神話かおとぎ話の世界に感じた >>598
あんたとうとう、スレ別に構文してた本文部分まで省略して
書きたい部分だけ書き込んでるのかよw パソコンの事は判らないけど、「腰を抜かした」と「正座した婆」のひとは
なんとなく同一な気がする ≫土山の客車
ずっと同じ位置にいたので営業には使われてなかったと思う(昭和55年頃)
でも塗装は奇麗だった
こまめに塗り直していたのだろうか >>595
温泉のベップが有名だから
ベフ読みが亜流に感じるが、
むしろ読み的にはベップが珍しい側ではないかな。
神戸のコウベ読みがまさにそれ
(本来コウベ読みは珍しい側)