まさに神話の世界だった、別府鉄道を語ろう
大阪や神戸から程近い場所とは思えないような
ローカルムードに溢れていた
別府鉄道について、思い出などを語ろう!! 飾磨港線も高砂線も乗ったのに、別府鉄道に乗らなかったことを今頃激しく後悔。
せめてものとの思いで、ワールドのDB201とハフ7で往時を偲んでみようと思う。
混合列車の組成は
DB201-トラ55000-ワラ1-ワム80000-ハフ7
みたいな感じで良いだろうか?
ちなみに、もし平成の世にコンテナ輸送に転換出来た別府鉄道が存在していたとして
DB201-コキ50000-コキ50000-ハフ7
とかも組成してみたいw 肥料メーカーが造った小私鉄なんてなかなかシブイね。 >>508
貨物の閑散期に
DB201−ハフ7−トラ55000という
まさに神話のような編成がありました。
かと思えば、DB201−ハフ7−貨車20両位という
とんでもない長大編成に遭遇したこともありました。 別府港から到着の関係からか、別府はホームからではなく踏切そばの地上から乗り込んだ方が多かったような。
40年位前の話、お粗末様でした。 お粗末様ついでに
製鉄化学常備の黒タンクやら、多木系列のしき島商事向けのプロパンガス用のロングタンクも出入りしてたので、貨車の組成も何でもありなイメージでした。 >>511
故宮脇氏の著者にも、さんざん入れ替えをした末、
結局ホームじゃないところから乗ったという著述があった気がしたなあ…。
廃止時点で幼稚園にすら入ってなかった自分にとって乗ることは
不可能だったが、あと20年生まれるのが早かったら
乗りに行きたかった路線の1つですわ。 親が鉄チャンという幸運もあって、
この線は俺が幼少の頃に連れられて乗った記憶が辛うじて残ってる
改札はおろか待合用の小屋もなく、ただホーム状に盛り土をしてるだけの簡素な駅で降りた
周りは一面田んぼか工場(倉庫?)だったな 播磨町郷土資料館でやってる別府鉄道の特別展もう行った?
ttp://www.town.harima.lg.jp/profile/profile_shisetsu/profile_shisetsu_shiryokan/profile_shisetsu_shiryokan_topics.html >>514
それは土山線の中野駅じゃないかな。
あの駅で降りた人は見たことがないので
貴重な体験だよw >>514
レスありがとう。
中野駅ですか。ちょっとネットで調べてみます。
でも風景は往時と変わってしまってるだろうね。 レスアンカーミスりました
>>516さんへのレスです >>517
乗ったのが客車なら土山線
気動車なら野口線です。
もし野口線なら藤原製作所前という駅がありました。
そこも記憶に該当するかもね。 11月21日に播磨町郷土資料館のイベントでしゃべった元車掌つて広報はりま11月号の表紙にうつつている車掌姿の人と同一人物? 播磨町は鉄絡みの企画をやってくれるのが嬉しい。
中の人が鉄分高いのかな 野口駅で国鉄キハ10から別府の荷台付き気動車に乗り換えた時の、
異空間に身を移したような感覚が印象深い。
まさたスレタイどおり、神話の世界に感じた。 荷台付車両は人気があった
廃止決定の報道が出ると最後の勇姿をフィルムに収めようとする
ファンが押し寄せて来たな
あとは土山で留め置かれてるマッチ箱スタイルの客車も見物人が多かった 荷台付車両⇒キハ2、キハ3
マッチ箱スタイル⇒ハフ5 播磨町とか中野とか
大阪市住吉区〜東住吉区の一帯みたいだ 二軸車のひどい乗り心地、
擬似体験するならどこがいちばん似てます?
明治村はそんなにひどくないし、
紀州鉱山の人車あたり? 乗り心地でいうと振動が酷いことに関心が行きがちだが
騒音もまた凄い。車内で会話ができないくらいと言ったら大袈裟かな >>529
>>530
別府鉄道の現役時代に何回も通った者だが
当時は乗り心地だの振動・騒音を話題(問題)にするマニアは
ひとりもいなかった。
皆さんは現役当時を知らないんじゃない? >>531
なんであなた自身の感想を書いてくれないの?
いま疑似体験するなら強いて挙げればどこが似てるの? >>530
「凄い騒音」て何だろうね、騒音源は何だろうね、実体験あるのかな。
>>531
昭和40年代に野口線のキハ、土山線のハフ共々、数回乗車経験あるけれど
同じく「凄い騒音」を経験した事皆無だから530氏の感想は魔訶不思議だよ。 >>533
あなたも、「経験ない」で終えるんじゃなくて
あなた自身がどう聴こえたのか
自分の表現でリアル体験の感想を書いてほしい 土山線は、少なくとも加古川線のDCよりはよく揺れたと思う
ただ、日頃から加古川線で慣れてたから、さして凄いとも思わなかた
530氏が普段使ってた路線は、余程路盤が良かったんだろう うーむ
騒音&振動か・・・別府鉄道には乗るチャンスのないままに廃止となったが
地方ローカル線では確かに感じた事ではありますね かしわ台に客車を見に行ってきた。
綺麗に保存されていて車内にも入れて、現役当時に乗れなかった無念を少し晴らせた。
よくぞ解体せず保存してくれたと思う。 美しい姿で保存されているのを見ると本当に幸せな気持ちになれるね。 廃線跡探訪の際はこの建物もおすすめだが、中が見られるのは限られてるし
若干傷んでるように見えた。
http://www.hamayoukan.befu-youchien.com/ 先日カセットテープを整理してたら、阪急〜西宮北口平面交差、別府鉄道 て書いてあるテープが出てきたよ。
ゴンゴンゴンゴン ゴンゴンゴンゴン って音に混ざって、無茶乗車したガキを叱ってる車掌さんの罵声がw 542とか見てると、スレ来るくらいの人なら祈るだけじゃなくて協力してやれよと思う 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
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近代的な高層マンションや工場群が見えると ハフ7、キハ2、キハ101乗車経験あり
キハは音の記憶はありませんが、キハ2は変速のガチャガチャ音があったような・・・
ハフ7は会話ができないような騒音はなかったですが、レールのジョイント部での
振動、音は国鉄の旧客と較べるのは気の毒ですが、緩衝装置(バネなど)が無い
のでは?と思うような感じでした。ガッツンという振動と鉄と鉄が当たる音(当たり前か)
騒音があるとすれば、DB20やDC30が逆向きで牽引(土山行)して、貨車がない時では
ないでしょうか?その場合、木製扉1枚を挟んで、目の前にDLのエンジン部があるの
ですから、結構な音がしたと思います 良かっためでたし。・・・三岐鉄道に見捨てられて心配だったが・・・。
昔 30年以上前昭和53年頃 雑誌 月刊(隔月?)レイルに 別府鉄道のカラー記事出ていた記憶があるのだけど、通巻ナンバーで何号か判りませんか? >>549
同感
1980年頃になると加古川市街が東南部にも拡大されて
野口側はポツポツと小規模マンションが建ち始めていた >>553
道路の整備も一気に進んだな
マイカー、バイク、自転車で手軽に移動できるようになって
鉄道の利用度はガクンと落ちた 当時に8ミリで撮ってた人が動画でアップしてくれてるのが嬉しいね ここを見て、ずっと以前に撮った別府鉄道の画像を、まとめてYOU TUBEにアップしてみました。静止画だけで、説明も何もありません。自分が撮ったものですが、久しぶりに見て懐かしく思いました
https://youtu.be/faf6RHV3WLY 神戸在住時に父親に連れられて嫌々乗せられた思い出があります。
こんなオンボロ列車嫌やーーー!と機関手の前でデカい声でごねた思い出がありますw
特急はまかぜ乗って城崎やみまさか乗って津山方面へ行きたがってましたね。。
あの別府鉄道のオンボロさの良さが今になってしみじみと実感してます。、。。
もっと乗っておけば良かったと思うと同時に父に感謝 >>561
そのオンボロの良さが分かる年齢になったわけですね 既出かも知れないが、別府近くの踏切にまだレールが残っている。 >>561
>機関士の前でオンボロ嫌だー
激しくワロタ 上 見た。言い回しも面白かった
メンテの苦労は零細バストラック会社みたいだ
注文流れやサンプルカー買うの好きなバス会社もあるし 安物買いの銭失いを繰り返しただけに思えるが、
DC301は江若鉄道にしてやられた様にも見える。 途中に中野っていう駅があった。
名前の通り、野原の真ん中にあった。 江若はあちこちで摩擦を起こしてたようだ
岡山臨港の話はレールファンの投稿で知った >>574に便乗して、
藤原製作所前は、藤原製作所の前にあったのかな 昔の変色しかかっていたネガを再現
別府港→土山間に乗車したのは、貨車の最後部のハフ7
座っていて、その振動が尋常ではないと感じた
尻からのガタガタの感覚が、あまり経験したことがない印象
友人で車掌車に分乗したことがある人がいて、その人の言っていた言葉とダブっていた
その振動が強烈であったが、音も小さくなかったと記憶
42年前になります 車掌さんが昔のバスガイドの持っていた鞄と同じ物を持って、料金徴収していた。 加古川郊外のゴルフ場への途中に多木製肥のホーロー看板がある
別府鉄道と同じマーク ハフ5・ハフ7が保存されているのは嬉しいことだね。 >>581
親会社の多木化学が肥料作ってて、その子会社が別府鉄道でなかったっけ?こないだ所さんの開かずの金庫でやってたような 加古川近辺では多木に就職したら一目おかれるぐらい、地元では名の通った優良企業 1983年 4枚窓のキハ101に乗れて感激
天井の扇風機が物凄い勢いで首を振っていた
メーカーはどこ製だったか覚えてない 廃止日が近付いてくるとテレビ局がこぞって特集企画組んでいたなあ
なかでもNHK、関西ローカルの情報番組で放送したものは出色のクオリティ
VHSに残してたのに引っ越し時に紛失
悔やみきれん テレビ局に鉄ちゃんと思しき人がいて鉄ちゃん視点で番組を創ってくれるととても嬉しい 旅客営業を最後まで行なっていたとは、信じがたいレベル
貨物のおまけ、程度としか思えない 別府を「べふ」と読む地名は、福岡市内にもある
兵庫と福岡をつなぐ存在というと、黒田官兵衛・長政父子がいるな 一度だけ乗った。土山駅の脇にちょこんと置いてあるハフを見た時、まさに神話かおとぎ話の世界に感じた >>598
あんたとうとう、スレ別に構文してた本文部分まで省略して
書きたい部分だけ書き込んでるのかよw パソコンの事は判らないけど、「腰を抜かした」と「正座した婆」のひとは
なんとなく同一な気がする ≫土山の客車
ずっと同じ位置にいたので営業には使われてなかったと思う(昭和55年頃)
でも塗装は奇麗だった
こまめに塗り直していたのだろうか >>595
温泉のベップが有名だから
ベフ読みが亜流に感じるが、
むしろ読み的にはベップが珍しい側ではないかな。
神戸のコウベ読みがまさにそれ
(本来コウベ読みは珍しい側)