まさに神話の世界だった、別府鉄道を語ろう
大阪や神戸から程近い場所とは思えないような
ローカルムードに溢れていた
別府鉄道について、思い出などを語ろう!! 畑違いになるけど
子供の頃乗った近鉄東信貴鋼索線の乗り心地がそんな感じだった
ワイヤーに引かれて「ドシン!…ドシン!(約15〜20分ぐらいその繰り返し)」 試運転だったりして。
車内にぎっしり小学生がいたら遠足の臨時かな?とも思うんだけど。 廃止の約2週間前に親にせがんで大阪から連れて行ってもらって一往復乗車しました。
日曜日のせいもあってか駅も車中も閑散としていたなあ。
名残を惜しむファンの混雑を予測していた父が
「何や、人おらへんやん。こら無くなっても(廃線になっても)しゃあないなあ」とポツリと言ったのを覚えてます。
元は5号機?6号機?
http://8.pro.tok2.com/~shimpei/0001/502_album02/images/P20408.jpg >>358 >>359 当時の鉄ピク 私鉄車両めぐりを観ると 昭和40年以前くらいまで夏は海水浴客の為
気動車も含めた客車総出の列車があつたみたいだよ。 >>363
昭和50年代でも、お盆や正月なんかに貨物がウヤの時は、DCが代走してたよ。 昭和50年代でも混合列車だったのは、ここくらいでは? 夕方の片上発柵原行きも機関車と客車の間に有蓋車をはさむことがあつた。 >>365
昭和50年代という言い方なら、国鉄でさえまだ残ってたんじゃね?
尼港線とか、清水港線とか。 銚子とか蒲原ではまだ電車が貨車を牽いていたな。
国鉄なら釧網本線や五能線、倉吉線とかも。 別府鉄道って貨物は化成肥料や塩酸、濃硫酸以外にどのような貨物を運んでいたの
DB20とかいう機関車が爆音をあげていた。
めちゃ古い屋根の客車で、振動もすごかった。
国鉄とか近くに走っているにしては、時代差が
有りすぎな感じがしたな。 写真で見たことがあるのですけれど、肥料や薬品輸送が中心の別府鉄道で
国鉄の無蓋車が写っていた事あるのですけれど、別府鉄道では鉱石の輸送が
あったのですか?写真は昭和50年代の別府港駅です。 無蓋車だから鉱石とは限らんだろう。
鉱石を積んだ無蓋車の方がレアだと思う。 子供ながらに
プロパンガスのタンク車の巨体(長さ)には驚いたものです。
多木の子会社のしき島商事はまだ社紋の入ったボンベ扱ってるかな(引っ越したんで後のことは知りません) 国鉄の時代 肥料工場で使う硫安や醤油工場で使う食塩 塩酸の原料になる工業塩を本来ならホッパー車で運ぶところを無蓋車にシートをかぶしてじかに積んで運んだことがあるみたいでけれど
別府鉄道でも実際にあったのかな? 土山の丸尾カルシウム(だったかな?)はトキにシート掛けて使ってた。
土山の入換は別府鉄道担当だったと思う。 土山の貨物の入換が無くなるので、委託料収入が入らなくなる
ことが別府鉄道にとどめをさしたのでしたっけ。 〇尾カルシウムは確か国鉄の専用線一覧表には土山ではなくて別府港駅に専用線を設置していると記載されている。
石灰石を炭酸カルシウムに加工している会社 今残っていたら、どれだけ観光収入になっただろうか。
でも、やっぱりやっていけないかな? >>382
土山の東端に、東洋機械とは別の線路があって、そこに真っ白に汚れた積み込みホームがありました。
そこにホーロー看板で「○尾カルシウム」と掲げられていたもので、土山という説明をしました。
となると、あの施設は別府港の出先? 関東某所の、保存2軸客車を見てきたけど、よくモニタールーフや魚雷型ベンチレターを復元したな。
窓はオリジナルと違って二段のままだけど、
別府時代の面影を残した、と思うことにしている。 大阪の鉄道マニアがうらやましかったよ。
尼港線
和田岬線
別府鉄道
高砂線
飾磨港線
川西国鉄前駅
休日にちょこっと遊びにいくだけでこんだけネタ線があるなんて・・・(by東京都民)
ついでにいえば「1円電車」も近いといえば近かったよね。 東京から行くのに較べれば確かに近いんだが、結構難関線が多くてなあー。
「ちょこっと遊びに行く」感覚では乗れないとこもあった。
近いからこそ、その1往復だけのためには行きづらい、というか。
それよりは、客もいないのにすげー本数を確保していた昔の鶴見線とかの方が
休日ちょこっと乗りには便利でうらやましかったよ。
ひと駅ごとに降りたとしても、集札はないし、すぐ次の電車来るし。 >>398 関西のソレは、寂れ方が魅力的なんですよ。
良くも悪くも東京周辺はローカル線も整備されすぎている。 中古のハイモ180とか? まぁちょっと考えにくいけど。 >>391-392
まあ、そんな辺りだろうね。
しかし今の別府の発展ぶりを見ると「残ってれば…」と思ったりするが、
その別府の発展は別府鉄道廃止による鉄道用地売却が主因だから
何とも言えんもんがあるよな…。
まあ野口線は、かこバス別府線として復活したようなもんだが。 >>391 >>392 何気に想像すると面白いテーマだね。
旅客輸送は、あくまで貨物輸送に対する地元への見返りみたいな感じで 無愛想とか、ではないけど
商売っ気ない会社だし・・・・。
でもやはり、時代のすう勢で野口線に常用に1両冷房車(無論ワンマン)を導入していそうだな。
富士重のレールバス・・・沿線開発が進めば役不足か・・・
岡臨のキハ1003→紀州のキハ60?
片上のキハ800
機関車はDE10 国鉄以外の出所もありえる。
こんな感じか・・・。
相鉄に還ったハフ7以外結局マトモに保存維持できなかったのは、とても残念だ。
加悦鉄道あたりが引き取ってくれたほうがベストだったと思う。
ところで加悦鉄道って何故 場違いに(保存価値は認めるけど関連性が無いよな)、南海1201を保管したの?
>>394
単に「電車も欲しい・・・・」って理由だけだったような。 >相鉄に還ったハフ7以外結局マトモに保存維持できなかったのは、とても残念だ。
レスの意図がよくわからんが、
保存車ならDC302とハフ5が播磨町に、キハ3が生まれ故郷にきちんと保存されてるわけだが。
そもそも保存車で解体されたのはキハ101だけ。キハ2は荒れてる。 廃線跡の道路への整備費用って、「これだけのカネがあったら、鉄道存続出来たんじゃないの?」と思えるくらいの高額だったような…。
土山線なら今残ってても少しは需要あったかもな。
今、3セクで導入されてるような新型車のピストン輸送なら30分間隔運転も可能かな?
野口線は高砂線とセットじゃないと機能しないしなぁ。
スレチ気味だが、もし高砂線が残ってたら、高砂周辺民はみんな加古川に出て新快速に乗り、山陽はさらに大打撃だったろうな。
土山線も同じで、現存しててマトモなダイヤで走っていたら別府あたりの人の多くがJRに流れてたかも。
ま、こんな妄想を色々考えるのも楽しいね。 >>396 すまん・・・そういえば廃止前から冷や飯を食らっていたキハ3は、幸運にも佐久に還って幸せな余生送っていたんだな・・・。
でも キハ101が、野垂れ死にしたの残念だ。
キハ2は、三岐の開業時の車なのだから貨物輸送の博物館を立ち上げて同社で一緒に保存して欲しいんだがな・・・(社内で知るヒトはもう居ないのかな?)
おれが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうだ
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報だよ
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタだね、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識だろ?
キハ2(初代)がダンプと衝突。修理中の代車として三岐からキハ3(元飯山)導入し、
そのディーゼルカーの性能や燃費良さに追加で三岐よりボギー車のキハ2入れた。 今は知らないが、昔(昭和20後半〜40年代)の三岐鉄道って車輌を無駄に潰さず精力的に他社に売却してる
(売り込みをかけている)みたいだね。 電化で不要になった車は最後に残ったキハ2両以外全部捌いているな。
北陸に行ったキハ7なんか捨値みたいだし(だから?北陸もあっさり漁礁に廃棄)。 解体するより、コロコロとどこかへ運んで行ったほうが処分の手間もかからないからかねぇ。 三岐は中小私鉄としてはかなり早い時期にカルダン車を導入したが、
20年ほど使ってあっさりと琴電に売っ払ってしまってる。
車両政策がカオスなのかな。 キハ2、ちょっと前まではあれほど荒廃してなかったと思うが… とにかく西武の面倒見が良かったのもあると思うよ。
プロパーの東洋工機製カルダン車も西武中古と同じ長さで3Dに上毛みたいに
改造だって西武は引き受けたかもね。
台車の対加重容量や経費面で諦めて売却したんじゃない(意外とこの辺も西武は琴電に口利きしていたかも? 琴電は所沢に仕事はさせないが山形交通みたいに仲介は受けているかも?)
スレチ失礼。 キハ3はいつまで稼働していたの?
廃止になる数年前からしか知らないけど、
いつも別府港に止まっていて、走っていた記憶がない 当時の写真を見るたびに、大阪近郊で、戦前の雰囲気そのままで時代に取り残されたような鉄道が80年代まで残っていたのが奇跡に思えてくる。
80年代は関西の国鉄もやる気無しで、福知山線なんかも旧型客車やディーゼルカーが大阪駅まで来ていたし、尼崎港に行くやはり時代に取り残されたような支線もあったり、
野上、有田、紀州とかタイムスリップしたような私鉄もあったけど、やはり別府鉄道は格段に違っていたかな
いくらバブル前・震災前とはいえ、軽便とか弱小私鉄は70年代までにはことごとく淘汰されていたわけだし この鉄道が、時の流れから切り離されたように80年代まで残っていたも奇跡だが、
神中で開業時のプロパー客車として生を受けた後 同系の仲間と切離され形の異なる数両の仲間と共に三岐に、左遷され
更に神中からの同僚ハフ5,6と形が異なりオマケみたいな存在で別府に流れたハフ7が、最終的に同系でもっとも長生きし
かしわ台に里帰りできたのは奇跡というか壮絶な半生だな。
別府鉄道は、今なら(当時制定があれば)路線まるごと エバーグリーン賞ものだな。
別府鉄道ほどではないにしろ、あの当時はまだ国鉄でも旧型客車が走っていたし、他にもかなり荒廃した状態で運行していた私鉄もあった
役所の規制が今より緩かったんだろうね
さすがに今では規制が厳しくなって、別府鉄道は廃線当時の状況のままではどのみち運行できなくなっていただろう
手動式で走行中も開閉できてしまうドアとか、線路の状態だけをとっても、運行停止命令が直に出ていたのでは?
車両も、いくらなんでも古すぎて、安全面を指摘されかねないように思える
もちろん、そんな設備投資をするだけの余力も会社には無いし、乗客数が少なすぎて採算に合わない。 もし旅客輸送面での規制が厳しいというなら、貨物専業鉄道として残ったかも知れないが。
その貨物輸送が立ち行かなくなったから廃止されたんだしなぁ。 キハ2が置いてある公園のすぐ近くに住んでます。
小さい頃に見てたのと比べると凄くボロボロになってるから、
なんとかして欲しいんだけどなぁ……。
やっぱり難しいんでしょうか。 あれねえ。
もともとシート掛けて何年か放置されてたのを、松風こみちと同時に整備したんだよね。
そのあとまたボロボロになって、それで一度整備し直してきれいになったんだけど
またボロボロになってるね。
屋根なしだし、廃線になって来年でもう30年だし手入れしなきゃ痛むわな。
屋根は整備し直した時にやり直してるからまだマシな方か。
割れてる窓もあるけど、そうでない所も木枠が腐ってガラスが落ちてるのもある。
再整備の時に直した窓はガラスじゃなく違う材質に変えてる?ように見える。
キハ101は設置から再整備されることなく解体されたけど、どうなんだろうね。 >>42
30年!そんなになるんですね。
ずっとあの電車を見て育ってきたから解体されちゃったら悲しいなあ…。 公園においてあるってことは、所有者は市なんかね?
このご時世だとさっさと解体しちまいそうだな。 管理は市だと思います。
公園というより、松風こみちの休憩所、みたいな感じですけど、
皆は昔から「電車公園」って呼んでます。
撤去と保存両論あって市も対応に苦慮とかなんとか…って、
以前管理してた市の道路保全課の方がテレビで答えてたみたい。 三岐鉄道 貨物の博物館は立ちあげたのに・・・
開業当時由来の車を何故に・・・・。 現地で保守できるボランティア組織でも出来ればいいんだがなぁ。
車両を生き残らせるだけなら、三岐あたりでの保存を打診するのも手かも知れないが。 >>426
都市公園法に基づく公園ではなくて、あくまで「道路」なんだな。
移設するにも家一軒建つような費用がかかるしなぁ。
ま、かつめし程度しかない加古川の甲斐性じゃ、解体も仕方ないかね。 キハ2、見てきた。少し綺麗になった気がしたけど、破損した部分が取り払われてた。もうダメかな。 現地なう。
潰すとか撤去するとか工事するとか、そんな告知はここには一切ないな。
確かに窓周りはボロボロだなぁ。
ガラスが割れてる上に、窓枠が木製だから尚更。
しかし潰すには惜しい残り具合だ。
窓ガラスと窓枠補修+全体塗装ぐらいで保てそうだがな。
問題は加古川市の懐具合だが、今まで放置してきた以上、期待は出来まい。
公園、つか広場そのものは綺麗だから地元の管理は行き届いてるようだなぁ。
費用度外視で言うが、本気で残すんなら三岐あたりに持っていった方がいいだろうな。 >>437
436です。
気付いたかも知れませんが、雨樋が全部なくなっていました。
少し前までは、外れかけの部分もあったけど、人為的に全部撤去されたように思える。 >>438
(今日撮った写真を見返して)雨樋があったのか。
現地で見た時は、こんな形態の水切りなんだと思ったわ。
とにかく残すんなら、窓ガラスと塗装は何とかしないといけないだろうなぁ。
あと、周囲の柵ももう一段高くしないと。後ろ側に花壇があるから侵入しやすい。
宝くじでも当たれば寄付でもするんだがなぁ。 えー、この車両、もともと雨どいはありませんよ(汗
縁の部分の仕上げですが、2回目(初回は公園ができたとき)の整備時に
屋根の防水シートを貼り直した時に今のような感じになりました。
参考
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n-craft/index/hobby/msr_fram/sangi_dcpc/sangik1/befuk2.htm
ほぼ毎日、横を通っていますが何も変化はないですよ >>439>>440
438です。
ごめんなさい。私の思い違いのようですね。
雨樋=水切りの意味だったんですが、URLでは2001年にすでに無くなってる・・。
昨年の秋に公園側の水切りが垂れ下がっていたように思ったんですけど。
勘違いですね。失礼いたしました。
でも、解体は淋しいですね。ボランティアで修繕するにしても、方法もわからないし、技術もない。
出来るとしても、そのままペンキを塗るくらい。自分は何の役にも立てない・・。 今のところ、解体作業が始まる様子はないわけだが。
とはいえ、この先、ある日いつどうなってもわからんな。 先々週と先週にキハ2の写真をTwitterにupしてる人がいた。
いずれも変化はない模様。 ゲージ関係なく、過去に実際に営業鉄道で使われたという意味で「本物」の2軸客車に乗れる場所って
明治村だけかな?小松はボギーだよね。 目の前にすんでるのに生まれる前に
廃線になってしまったのは大変悔やまれるものだ 鉄ヲタとして愛着を持ってくれただけでも
べふてつからしたら幸せだと思うよ。
自分大阪市内だけどリア消時代に独りで遠出して
「土山→別府港→野口」で全線歩いたよ。ついでに高砂駅跡にも立ち寄った。
高砂駅跡のロータリーの末端部分に何列かの軌条がそのまま残ってた頃。
いつ頃かな。 キハ2、今日、見てきましたが解体が始まるような気配はありませんでした。
ただ、痛みは増しています。
2ヶ所の窓枠が垂れ下がっていました。
少し前には、傷んだ部分は取り除かれてたのに。 三岐鉄道!!
御社創業時の(自社発注の)車両ですよ。
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男性の人権を毀損したこの企業の製品・サービスに対して不買を心がけと情報拡散をしましょう! 別府のキハ2、9月14日に見てきたぞ。もう窓ガラスは割れ放題やわ、木製の窓枠は割れ放題やわで、「管理者はなにやってんねん」言いとなったわ。 ちなみにこの車、もともと円長寺駅近くの自治会の役員が、廃止をきっかけにして自分の畑に置いたらしいな。『神戸新聞』のホームページにも出てたぞ。 福知山市の山奥に保存されてる阪急2861号(あれ、別荘らしいな)のほうがまだましやった。投石の痕なんか全然あらへん。フェンスで囲まれてなかったのに、状態よかった。オーナーさんの努力と「電車愛」には、頭下がるで。