まさに神話の世界だった、別府鉄道を語ろう
どなたか? 昔S53頃 雑誌「レイル」?「Railgay」に此処が取り上げられたの覚えてません?
通巻何号ですかね。
・・・その時からハマリました。
真のオールドファンに叱られそうですが、
自分はコゲ茶等 暗い一色の車達だったらなら関心を持つ事はなかったと思います。
此処の可愛いツートンカラーや昭和30年代全国的に普及した湘南カラーの亜流
とかが、この手の車達には似合うと思います。
重箱ですがガイはguyかと…では引き続き情報求めまス DC302、車体は外国製品で似てるのがあったけど脚回りはどうだったかな・・・ 俺は、ハフ1.2.3.無番車を トーマスのアーニイとクララベルを使ってこしらえようと思っている。
・・・無謀かな(もうジジイだから自作窓開けがシンドイ!!昔一度ピイコの2軸貨車下回りキットとケン紙でハフ1は、こさえたが長期休眠時行方不明)
少々スレチで申し訳ありませんが、みなさんはNゲージ模型でこの手の車 小型客車・2軸ガソリンカー& 同改造客車 を自作する時下回りどうしてます?
・・・キハ04や国鉄のワム23000辺りと繋いだ時、車高低くしたいんですよ。
自作車体+トミーの2軸貨車下回り や チビ電下回りじゃ 低く工作に正直限界感じてるのですが・・・・
まあ、そもそも 所詮Nゲージじゃ致命的ガニマタ車輌なんだけど・・・・ もし、土山の貨物扱いが廃止されなかったら、平成何年ぐらいまで生き残れただろうかな? >>231 もしかして、希望的観測だけど 絶命までに社会が変わり過ぎて、
一般人からも、もう少し知名度があがり 有田や尾小屋みたいに有志による
保存鉄道に出来たかも・・・あつ でも沿線不動産価格・利用価値考えたら甘いか。
それかライトレール・・・ >>228
>Railgay
路車板の有馬御用達雑誌だろw この間、姫路モノレール公開の帰りに、別府鉄道廃線跡を歩いたが、円長寺のキハ2がものすごい荒廃してたな。
5年ほど前に訪問した時はさほど荒れてなかったが…
あれはかなりヤバい状態だ! >>234
いっそ三岐に里帰りさせたほうがよかったのでは? >>232
LRTは加古川市が密かに妄想してたけど、かこバス作っちゃったしねぇ。
別府鉄道のルートって、通勤はともかく日常流動だと微妙すぎるのよ。 >>236
加古川市、地味にLRT導入空間を確保してんだよなw キハには乗ったことあったんですが、とうとう二軸客車には乗り損ねてしまったのが、今でも悔やまれる 中野で突然停車…で、スイッチバック。タキの新車2両を連結して
別府港へ…。あ〜懐かしいっす。 スタフ閉塞なのに、最終日の臨時列車を続行運転したとか、
票券閉塞でありながら通券函を開けっ放しにしてたとか、
使用中止の側線を勝手に使って列車交換してたとか、
神話の世界だったんだなあ。 >>238
まあ、酷いもんでしたよ>乗り心地
床板には隙間や節穴があって線路が見えるし、座席もカッチカチ。
二軸車だから鉄と鉄とのぶつかり合いがそのままケツに伝わるしw 別府鉄道の沿線に住んでるんだが、あの頃小さかったんでもうおぼろげにしか覚えてないけど、列車が通る度に部屋の窓から手を振ってた。んで、運転手さんが警笛を鳴らして応えてくれてた。
廃線になる最後の日は雪に埋もれながら手を振ってたなぁ。 >>243 やはりこの会社は、地域社会に対する慈善事業として野口線や土山線の旅客営業を、
鉄道を残す目的(貨物輸送)がなくなる最後まで温存してきたのだな。
多木肥料は、同族経営企業らしいが、零細(一地方の資産家)なのに素晴らしい
事をしていたんだな。
ココに対し、鉄道友の会や、関係所轄行政機関、鉄道業界関係から表彰とか、
あってもよかったんじゃないのかな。 >零細
創 業 明治18年(1885) 3月
資本金 21億4,700万円
上 場 大阪証券取引所市場第一部、福岡証券取引所 >>244-245
当時の写真を見るとグッと来るものがありますね。
1月7日からイトーヨーカドー加古川店で加古川懐古展があって、別府鉄道関係の展示が少しだけどあるみたい。 >>245-246
多木化学って、化学肥料で世界に名を馳せる企業。
農業やってて多木の肥料知らないヤツは恐らく一人もいないクラスの
超有名企業だし、技術も実績もある優良企業ですもんな。
多木自体は、慈善事業というか地域貢献の意識もあっただろうけど
廃止の(当時の手続きなどの)厄介さを考えたら、僅かな赤字は
宣伝費・地元対策費として許容し、存続する方がラクだったんだろうな、
とヲッサンは思うのであった。
てか、製品搬出での鉄道輸送は多木としては止めるつもりはなく、
国鉄が土山駅の貨物取扱を廃止したが故の巻き添え廃止だから
国鉄貨物の改革がなければ、あれから暫く生き存えてたろうね。 >>248 ・・・って事は、黒字の上場企業で 時代遅れになる程 設備投資しないって
鉄道温存という事は、此処で働いていた人々は失礼ながら社内で閑職?
それとも、肥料作る会社だから あえて更新でむやみに、廃棄物を出さず環境に優しくと云う発想?
(この方がエゴ買えより、正論だな。) >>249
別府鉄道という独立した会社だし、鉄道事業以外にも
タクシー・ハイヤー事業もやってたから(てか本業?)、
会社としては普通に回っていたようですが。
事実上は、土山駅からの引き込み線だった路線を、
地元民にも開放してた程度のことだしねぇ。
野口線に関しては、ほぼ完全に地元貢献だけど
何やかや言いながら高校生とか一部の通勤者とかで
利用はあったんだよね>当時 現場はともかく、役員とか幹部は多木本社の窓際組だったのかも 懐かしいですね。保存のキハ101は解体されて跡形もなく消えていたけど、キハ2は大丈夫なのかな?。痛んでるなら修繕したい。ワ130の車体はまだ残ってた(保存じゃないけど)。
webで「二見の埋め立て地にワのは車体がある」というのを見たけど、今もあるの?
>>252-253
模型の製作の参考にもなるわこれ。
上からの映像ってなかなかないんだよね。
>>252
1:00頃の機回し線があるのは野口駅でしょうか
末期って国鉄と線路はつながっていましたか >>256 私鉄車両めぐりに、(昭和39−40位)時点の野口駅配線図が掲載。
既に繋がってないから 恐らくそのまま・・・。
キハ101無くなっちゃつたんだ。
片上時代の前照灯改造で愛嬌ある顔(異論は、あるだろうが。色とかこの路線の雰囲気で何故かコイツは許せちゃう。)
動画みても、可愛いな。
堕ち果て、解体という事は可愛い顔が災いして、最後は地方に散在する不気味な横浜タイヤの看板みたいな存在になって処分されたのかな?
可哀相に・・・
ところで、この手の前照明移設改造が 小湊や夕張(尾灯兼用で豪雪だから事情が少しちがうか?)でも行われてる何か訳でもあるのかな?
機械式気動車の前照灯は、照度が低いとか・・・
それとも、偶然? 片上、小湊どちらかが、影響模倣? >>256
野口だね。ホームの外れに止まって何してるんだろ。
土山線の方、末期でもDB201が動いてたんだな。
漏れの場合、いついってもDD1351だった。 >ホームの外れに止まって何してるんだろ
折り返しに時間があるときは、いったんホームから北へ引き上げていた。
踏み切り脇に、職員用のプレハブの小さな小屋があった。
80年代に入ってからしか知らないけど、
本当の最末期はDD502はあまり見なかった気がするなあ。
DC302は加悦鉄道に貸し出されていたことがあったとのこと。
(加悦のDLが川重へ定検に出てる間、その代車に) >>247
行ってきました、写真、切符、部品等が展示されていて、
元車掌さんから切符を頂いたり、当時の話を聞く事もできました。
>>260
羨ましいです
昔営業でこの近辺回ってて
「ここを別府鉄道が走ってたんだな」と
思いながら歩いてました
イトーヨーカドー店内のテナントに営業行ってたので 247です。
懐古展に行ってきましたよ。
当時の映像が流れてたんですが、今でも変わってない建物が写ってたりしてると、何か嬉しい気持ちがしますね。 >>260
土山線の小柄なあの人だろか。
神戸新聞の記事で知ってはいたんだが、展示だけでなく人までいたとは。
それなら行けばよかったな…
今日、円長寺のキハ2を見てきました。
ひどい。
早くなんとかしないとキハ101と同じことになってしまいそう。
ガラスは割れ、窓枠も折れてしまってるし、廃車体のイメージ。 >>261
三連休の間だけ、ライブスチームの運転とスタンプラリーをやっていて、
参加者は当時の切符を貰えた様です。
夕方に行ったのでイベントは終了していたのですが、元車掌さんが展示コーナーにやって来て、
その場にいた人全員に残り物の切符を配ってくれました。
私が頂いたのは、加古川から別府港までの連絡乗車券で、裏に別府港駅の無効印が押してあります。
>>263
小柄な方ではなかったので違うと思います。 BANBAN-TV見れる人、
今週のぎょーさん知っとこ加古川という番組で別府鉄道やってるよ(15分) 別府鉄道の廃線跡をたどっているときに余所見をして
用水路にはまって手の指を捻挫して前歯を折った
そういう苦い思い出がある 社名が別府タクシー株式会社に変わったみたいだな。
この前タクシーに乗ったらインパネ上の名札にそう書いていた。 >>274
とうとう社名変わったんですね
鉄道持たなくなってかなり経つのに
鉄道を名乗ってる不思議さはありましたが
鋤マークは多木化学系列の証ですね
家が農家で多木肥料使ってるもんですから
気になります 加古川市が野口〜別府港と
高砂線の加古川線分岐点から野口駅まで買い取って
国鉄加古川駅乗入れ(使用料支払い)をしても
儲けはなかったですかね・・? >>276
当時の状況であれば、期待できるような状況ではなかったかな…
沿線は田園地帯だし、加古川の市街地も再開発前で拠点性は薄かったし、
それより何より別府が新市街化したのは、別府鉄道の廃止で捻出された
鉄道用地の再開発事業によるものだから、別府鉄道そのものが存続なら
ヨーカドーやらの商業施設群が出来ていないかと。 30年近く前は明石を過ぎると、田舎感爆裂でしたわな。
東は草津を過ぎると、田舎感満載でした。 >>276
今ならば・・・って気はするけど、劇的に変わった今の状況なんて、当時は想像できんわなw たしかミスタードーナツのある所が旧の本社所在地だっけか?
277にあるように、商業施設ができたのは別府鉄道が廃止になって用地ができたからであって
大規模な再開発/商業施設の建設がされてなかったら、
住宅やマックスバリュなどのスーパーがごちゃ混ぜになって並んでるだけの、
拠点性や集積もなく、パッとしないただの住宅地になってただけだと思う。
ただ、鉄道がなくなったおかげで開けたというのは皮肉だね。
>>279
ちょうどBANBAN-TVの番組でやってるね。
キハ101+キハ3+キハ2の3連貸し切り列車の写真も出てくる。 昭和50年代前半の別府鉄道のビデオがあるが、アップの仕方がわからん・・
今日、イトー○○ドーに行ってきたが、駅はもうちょっと東にあったように
思うが記憶違いか?駅前の道路がヘンに背向曲線になっているすぐ西だった
ように思うのだが >>282
別府鉄道のビデオ、是非拝見したいです。 >>281
別府鉄末期には平屋建てだが床面積の大きいジャスコ別府店が
マンハイム前にあったのだがな。 逆にそのジャスコぐらいしかなかったけどな
建物の変遷は
ボーリング場→ジャスコ→ビッグバーン(ジャスコのディスカウント)→ミドリ電化→終了 S57年に別府から土山行きの始発に乗った中野と川崎信号所にもきっちり運転停止した、あれはなんでやろう。客も俺一人で貨車もなかったのに。当時は違法承知で通過が地方鉄道の常識だったのに。 282です。動画をアップしてみました
撮影時期は覚えていませんが、昭和50年代前半、まだ廃止を言われて
いない頃だと思います
編集も何もせず、そのままのデーターです。またフリーのエンコーダーのロゴが入ってしまってます
ダラダラとしたものになっていますが・・・・
ttp://www.youtube.com/watch?v=zPkgIxv6Zbo >>287
感動モノですね。
野口の同時発車懐かしい、朝は高砂方面からの客が意外と多かった。 高砂線の気動車、キハ20の後ろが何気にキハ37と思われ
と言うことで、撮影時期は昭和58〜59年と推定 >>287
今みたいに安価な家庭用ムービーなんて普及していない時代だけに
非常に貴重な記録映像ですね。いいものを見せてもらいました。
私は昭和57年に土山〜別府港〜野口を1回乗ったきりですが
当時の記憶が鮮やかに甦ります。 見て頂きありがとうございます
昭和50年代前半と書きましたが >>289 さんのご指摘の通り、昭和59年ごろと思われます。
同じテープの後ろに同日ではないですが、EF62牽引の荷物列車のシーンがありましたので。
撮影機材は、ポータブル式のレコーダーとカメラで機動性は現在と比べ物にはなり
ませんでした。なにしろ普通のVHSのテープでしたから。
改めて見てみると、別府港駅の時刻表のシーンで、その横に運賃表が見えてますが
下関とか高松とかの運賃も書いています。別府港駅で国鉄全線の切符買えたんですね
客車を整理する時、ハフ6よりハフ7が残った理由はなんだろう。
国鉄のヨみたくオープンデッキがあり操車の際に利便があったとか?? >>292 特車(元ガソリンカーの癖に、戦車みたいに頑丈で重い)奴より
木造で軽いからも理由の1つ。
>>293
本当に三岐に戻せないものかな。
地元から別府鉄の名残が消えるのは惜しいけど。 SL時代の別府鉄道
ttp://drfc-ob.com/cgi-bin/tanoshiro/view12.cgi 円長寺のキハ2って、近年になって急速に劣化したような…
確かに、あのまんま放置が続けば、自然崩壊しそうだ。 廃止後、シートをかけられて放置(現在の場所)
↓
後年、松風こみち整備時に再塗装・整備
↓
荒れる
↓
お色直し
↓
再度荒れる・・・いまここ コブシかかってるな
これでタケカワ歌謡コンサート出演決定か? >>276
末期に乗り鉄に行ったら、野口での加古川方面乗り換え客が多いのが意外だった。
本当に加古川まで乗入れていたら,存続出来たかも知れないけれど-----
播丹鉄道時代に、潮干狩り列車が乗り入れていたらしいが隔世の感あり。
戦後野口の国鉄側線に、播丹最後の新車だったキハ520が放置されていた。 ピクの京大鉄研号に別府小の修学旅行用とかで年に一度土山線で
DL+キハ101+キハ3+ハフ7 という編成を走らせていたと言う記事があったけど、
こんなの走ったんだ。見たかったな。さらにハフ5もつけた4連もあったとか。
寺田裕一が廃止前のハフ7+ハフ5を珍しい!と紹介してたけど、それ以上だね。
地元の癖に知らなかったのか。
>>301 別府は払下狙ったのかな?ひょつとして資材不足にも関わらず播丹時代からの国鉄関係者が
旧知の別府が欲しがるか?気を利かせて留置したのいかな?
戦争が8月15日に終わってくれたのも野口線のレールをふんだくられ供出寸前だった別府にとっては、神がかりった。
>>303
今販売中の鉄ピクアーカイブスセレクション19私鉄車両めぐり関西では、
24ページに2号蒸気機関車+ハフ6+ハフ5+ハフ2+ハフ3+ハフ1+ハフ7+キハ3+キハ1+キハ2
で海水浴客が鈴なりに乗車しているモノクロ写真が載っている。
>305
303です。みたみた!あれはすごいね。ブレーキとかどうしたのかね。
海水浴でにぎわったのは何かの記事で呼んだことがあるが、
あそこまですごい編成だったとは。
こんなのは過去の話と思っていたけど、京大鉄研号で廃止直前まであったのを知った。
あそこまですさまじいものではなかったが・・・・ 野口線に藤原製作所前と言う駅があったのだが
そう言う名前の工場はどこにもなかった。
70年代末の思い出でつ。 もう少し廃業が遅ければ、キハ3も三岐鉄道開業時の生え抜き車両だから佐久に還ったキハ2みたいに
同社が引き取り、近年開設した貨物博物館の車両達と一緒により善い環境で復元保存されたと思うのは俺だけかな・・・。
戦前の民鉄形ガソリンカーの中では、大分交通の耶馬渓 キハ101〜104と同様
多数が動車で後年まで生き残れた稀な事例だったのに・・。 土山線→野口線の乗り継ぎで小一時間あった。
「構内散策してもいい?」って聞いたら「好きなように見ろや」と快諾してくれた。
今更だがスレタイ良いよね、俺は神話に遭遇出来たよ。廃止時もなんかマッタリとしてたな。一部残ってたB型硬券が黄色のA券になってたよ。 1984年11月26日に最後の訪問をしたけど、鉄がわんさか居て、職員が殺気立ってたぞ(怖)
庫のそばなんて近寄れる雰囲気でなく、入れ替えしてた職員が「おまえらが騒ぐから、仕事にならんのだ!」と、DBの握り棒につかまりながら怒鳴り散らしてたのが、残念な最後だった。
84年11月ってもう線路が無いよ、それはそうと確かに末期は職員さんは多少イライラしてたけどオタの罵声大会とか無かったよ。俺が最後に訪れたのは1月15日で貨車は無かったからか? 別府鉄道への別れを惜しむかのような大雪となった、あの伝説の最終日に訪問された方がいらっしゃいましたら、思い出を語って頂きたいものです。 ああ、あの雪で山陽本線の時間が無茶苦茶で土山にたどり着くのにも苦労した記憶があるな。
最終日は判らぬが、その年の元日東京へ帰るのに山電のホームで電車待っているとDL+ハフ7の編成が
静かに別府駅停車する様子が見えたな。もちろん乗客は0。背後は0系の驀進音が響き、好対照だった。 そしてこの日、西尾克三郎氏が静かに息を引き取られた。 スポーク車輪ってまだ使っている会社あるのかな?
住金の製品(国内独占)リストに入っているの? 昭和40年代だったが、I機関区長が偶然に俺が一時在学した学校の先輩だと
解ってクラの中まで全部見せてくれた。
あの時代はまだのどかさが残って居たし、土山線が中野を殆ど通過していた
のを覚えている。
別府鉄道が、高砂線の到着を待って出発していた感じ。逆もちゃんと合わせてた
ように記憶している。ホームは島式みたいなもんだし 野口での接続が良すぎて撮影してる時間がない…
という記述をどこかの本で読んだ事がありますね。 徹底的に合理化した上で、
東北・北海道方面への出荷用に貨物専業で残っていれば違っただろうに。
>>320
中野は文字通り野原の真ん中で、なぜ駅があるのか不思議だった。 >>324
国鉄の接続駅が貨物取り扱いを止めたから
廃止に追い込まれた。
このあたりの経緯は加悦鉄道の廃止と似ている。
>>326
確かに。もしも貨物輸送が続いていたならば、残っている路線もかなりあると思う。 硫酸コンテナ載せたコキ200の後ろにしがみつくハフ7・・・なんてなw >>328
ハフは 混合列車の客車としても緩急車としても使えそうだね。
噂に聞いた古い緩急車と乗り心地は一緒だったよ ハフ7
レールの継ぎ目なんか、バネが無いかのように拾って走ってた >>330
どちらも単軸だしね。
かえって荷物満載したワフの方が乗り心地よさそう。
ハフの乗り心地は想定内だったが、南部縦貫のレールバスに乗った時は怖かったよな〜 >>332
県道すら砂利道レベルのバスもあんなもんですよ。 >>332-333
あれはとにかく軌道状態が…
別府は貨物が多かったから並のレベルをクリアしていたけど、
縦貫は昭和40年代以降であれより劣悪なのは
旅客営業鉄道としては恐らく寿都か北丹位しか無いと思う。 遠足で大中遺跡に行って
非常掛けさせて機関士にお目玉くらったのはないしょの話
(元平岡小学校在籍) >>334
つ南薩
まあ北丹・寿都には負けると思うが…。 大中遺跡の保存車は事務所で鍵を借りて車内見学も出来るんだね。しかも記念スタンプやパンフレットもあるし。
あれは訪問する価値大ですな。 南薩は、夏は草ボウボウで前方視界が相当困難な場所もあったみただけど、
置石等の軌道支障、人身事故、車両故障の際の乗務員の故障処置、旅客避難誘導はどう考えていたのだろう?
あの状態じゃ虫刺され、草による切り傷は勿論、蛇等 の問題があるではないかと思う。
そもそも保線という部署というか、担当職員が末期には不在だったのだろうか?
(車両等、設備全般で扱う) 南薩も縦貫も今の国交省役人が見たら腰を抜かすレベルだな。
本線の枕木が平気で腐っていたし、
軌間の精度が出ていない事が目に見えてあからさまだったしw >>334 336
一畑広瀬線も仲間に入れてやって下さい。 >>339
南薩線の枕木があんまりな状態だったのでシャレで犬釘を引っ張ってみた。
あっさり、するりんと抜けた。それも一本だけではなかった。
慌てて元に戻したがあれで大丈夫だったんだろうか?
それでも脱線させてなかったんだから大したもんでしょ
(非公式に色々やらかしてた可能性もあるけど)。
近年では大井川で軌間おっぴろげて脱線なんてのがありましたな。
最近、リアルに命の危険を感じるレベルのスリリングな路線
ってのが無くなってしまって寂しいもんです。 銚子が最後のボロ私鉄だったのかも。あの濡れ煎餅騒動は触って乗れるボロ鉄道の葬送行進曲として理解しなくてはなるまい。(今もギリギリだって?)
ところで銚子ついでに、別府の客車の乗り心地って銚子の澪つくし号と比べてどんな感じ?別府は乗ってないけど澪つくし号なら乗った事があるので。 別府鉄道は、そんなに軌道の状態が悪いようには思わなかった
野口側のDCなんて普通のローカル線の乗り心地
土山側は単軸の客車が、乗り心地がひどかったわけでDCを入れていたら、並みの
乗り心地だったのではないでしょうか 貨物列車があるから保線の手は抜けないか。そう言えばタキなども入線していたっけ。 最初に土山線の線路を通ったという貨車の新車も多数あるんだよね。 廃止から30年経つが、よもやあのあたりも住宅地ができるとは思いもせなんだ。
>>343
両方乗りましたけど、
・別府のハフは、細かい振動が膝や尻から伝わってきて快適とは程遠い記憶
ただし速度が遅いためか極端な横揺れではないように思い出します
・銚子の澪つくし号は横揺れのほうが大きかったような
銚子までの上りに乗ったのですが、最後の一区間は下り側にも連結で、非連動の中間に挟まれたサハ状態
起動時が微妙で、引っ張れているのか押されているのか何やら変な振動
適当な記憶で申し訳ございません 銚子は知らんけど、別府のはたしかに「動揺」というより
「振動」と「突き上げ」だった記憶がある。 別府亡き後、三木鉄道の二軸単車の気動車に乗り久しぶりの乗り心地を楽しんだが
それさえもなくなってしまった。 門司レトロトロッコに乗ってきたが、時速15kmでこの振動と突き上げ。
別府鉄道を思い出してしまった。
二軸単車に乗りたくなって来た。いま乗れるのは
上記の門司、南阿蘇、清流しまんと、三笠ぐらいなもんか?明治村休止。銚子は? >>350
北条の古が紀州鉄道(旧御坊臨港)に居るのでは?
別府のキハ1-2と三木の180-1、180-2とは同じドシンバタンでも三木の
方が格段に乗り心地が良かった。時代の格差と技術の進歩と云うか。 >>352
銚子は廃止。ユ101(ユは郵便ではなく遊覧の意味)なら外川に留置(放置?)
されてる。 電車だったらあと函館、土電、広電あるけどやっぱり亡き別府鉄を偲ぶなら動車に牽かれてコットンコットン行くのがいいわな。 畑違いになるけど
子供の頃乗った近鉄東信貴鋼索線の乗り心地がそんな感じだった
ワイヤーに引かれて「ドシン!…ドシン!(約15〜20分ぐらいその繰り返し)」 試運転だったりして。
車内にぎっしり小学生がいたら遠足の臨時かな?とも思うんだけど。 廃止の約2週間前に親にせがんで大阪から連れて行ってもらって一往復乗車しました。
日曜日のせいもあってか駅も車中も閑散としていたなあ。
名残を惜しむファンの混雑を予測していた父が
「何や、人おらへんやん。こら無くなっても(廃線になっても)しゃあないなあ」とポツリと言ったのを覚えてます。
元は5号機?6号機?
http://8.pro.tok2.com/~shimpei/0001/502_album02/images/P20408.jpg >>358 >>359 当時の鉄ピク 私鉄車両めぐりを観ると 昭和40年以前くらいまで夏は海水浴客の為
気動車も含めた客車総出の列車があつたみたいだよ。 >>363
昭和50年代でも、お盆や正月なんかに貨物がウヤの時は、DCが代走してたよ。 昭和50年代でも混合列車だったのは、ここくらいでは? 夕方の片上発柵原行きも機関車と客車の間に有蓋車をはさむことがあつた。 >>365
昭和50年代という言い方なら、国鉄でさえまだ残ってたんじゃね?
尼港線とか、清水港線とか。 銚子とか蒲原ではまだ電車が貨車を牽いていたな。
国鉄なら釧網本線や五能線、倉吉線とかも。 別府鉄道って貨物は化成肥料や塩酸、濃硫酸以外にどのような貨物を運んでいたの
DB20とかいう機関車が爆音をあげていた。
めちゃ古い屋根の客車で、振動もすごかった。
国鉄とか近くに走っているにしては、時代差が
有りすぎな感じがしたな。 写真で見たことがあるのですけれど、肥料や薬品輸送が中心の別府鉄道で
国鉄の無蓋車が写っていた事あるのですけれど、別府鉄道では鉱石の輸送が
あったのですか?写真は昭和50年代の別府港駅です。 無蓋車だから鉱石とは限らんだろう。
鉱石を積んだ無蓋車の方がレアだと思う。 子供ながらに
プロパンガスのタンク車の巨体(長さ)には驚いたものです。
多木の子会社のしき島商事はまだ社紋の入ったボンベ扱ってるかな(引っ越したんで後のことは知りません) 国鉄の時代 肥料工場で使う硫安や醤油工場で使う食塩 塩酸の原料になる工業塩を本来ならホッパー車で運ぶところを無蓋車にシートをかぶしてじかに積んで運んだことがあるみたいでけれど
別府鉄道でも実際にあったのかな? 土山の丸尾カルシウム(だったかな?)はトキにシート掛けて使ってた。
土山の入換は別府鉄道担当だったと思う。 土山の貨物の入換が無くなるので、委託料収入が入らなくなる
ことが別府鉄道にとどめをさしたのでしたっけ。 〇尾カルシウムは確か国鉄の専用線一覧表には土山ではなくて別府港駅に専用線を設置していると記載されている。
石灰石を炭酸カルシウムに加工している会社 今残っていたら、どれだけ観光収入になっただろうか。
でも、やっぱりやっていけないかな? >>382
土山の東端に、東洋機械とは別の線路があって、そこに真っ白に汚れた積み込みホームがありました。
そこにホーロー看板で「○尾カルシウム」と掲げられていたもので、土山という説明をしました。
となると、あの施設は別府港の出先? 関東某所の、保存2軸客車を見てきたけど、よくモニタールーフや魚雷型ベンチレターを復元したな。
窓はオリジナルと違って二段のままだけど、
別府時代の面影を残した、と思うことにしている。 大阪の鉄道マニアがうらやましかったよ。
尼港線
和田岬線
別府鉄道
高砂線
飾磨港線
川西国鉄前駅
休日にちょこっと遊びにいくだけでこんだけネタ線があるなんて・・・(by東京都民)
ついでにいえば「1円電車」も近いといえば近かったよね。 東京から行くのに較べれば確かに近いんだが、結構難関線が多くてなあー。
「ちょこっと遊びに行く」感覚では乗れないとこもあった。
近いからこそ、その1往復だけのためには行きづらい、というか。
それよりは、客もいないのにすげー本数を確保していた昔の鶴見線とかの方が
休日ちょこっと乗りには便利でうらやましかったよ。
ひと駅ごとに降りたとしても、集札はないし、すぐ次の電車来るし。 >>398 関西のソレは、寂れ方が魅力的なんですよ。
良くも悪くも東京周辺はローカル線も整備されすぎている。 中古のハイモ180とか? まぁちょっと考えにくいけど。 >>391-392
まあ、そんな辺りだろうね。
しかし今の別府の発展ぶりを見ると「残ってれば…」と思ったりするが、
その別府の発展は別府鉄道廃止による鉄道用地売却が主因だから
何とも言えんもんがあるよな…。
まあ野口線は、かこバス別府線として復活したようなもんだが。 >>391 >>392 何気に想像すると面白いテーマだね。
旅客輸送は、あくまで貨物輸送に対する地元への見返りみたいな感じで 無愛想とか、ではないけど
商売っ気ない会社だし・・・・。
でもやはり、時代のすう勢で野口線に常用に1両冷房車(無論ワンマン)を導入していそうだな。
富士重のレールバス・・・沿線開発が進めば役不足か・・・
岡臨のキハ1003→紀州のキハ60?
片上のキハ800
機関車はDE10 国鉄以外の出所もありえる。
こんな感じか・・・。
相鉄に還ったハフ7以外結局マトモに保存維持できなかったのは、とても残念だ。
加悦鉄道あたりが引き取ってくれたほうがベストだったと思う。
ところで加悦鉄道って何故 場違いに(保存価値は認めるけど関連性が無いよな)、南海1201を保管したの?
>>394
単に「電車も欲しい・・・・」って理由だけだったような。 >相鉄に還ったハフ7以外結局マトモに保存維持できなかったのは、とても残念だ。
レスの意図がよくわからんが、
保存車ならDC302とハフ5が播磨町に、キハ3が生まれ故郷にきちんと保存されてるわけだが。
そもそも保存車で解体されたのはキハ101だけ。キハ2は荒れてる。 廃線跡の道路への整備費用って、「これだけのカネがあったら、鉄道存続出来たんじゃないの?」と思えるくらいの高額だったような…。
土山線なら今残ってても少しは需要あったかもな。
今、3セクで導入されてるような新型車のピストン輸送なら30分間隔運転も可能かな?
野口線は高砂線とセットじゃないと機能しないしなぁ。
スレチ気味だが、もし高砂線が残ってたら、高砂周辺民はみんな加古川に出て新快速に乗り、山陽はさらに大打撃だったろうな。
土山線も同じで、現存しててマトモなダイヤで走っていたら別府あたりの人の多くがJRに流れてたかも。
ま、こんな妄想を色々考えるのも楽しいね。 >>396 すまん・・・そういえば廃止前から冷や飯を食らっていたキハ3は、幸運にも佐久に還って幸せな余生送っていたんだな・・・。
でも キハ101が、野垂れ死にしたの残念だ。
キハ2は、三岐の開業時の車なのだから貨物輸送の博物館を立ち上げて同社で一緒に保存して欲しいんだがな・・・(社内で知るヒトはもう居ないのかな?)
おれが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしい
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうだ
その世界では有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報だよ
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタだね、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識だろ?
キハ2(初代)がダンプと衝突。修理中の代車として三岐からキハ3(元飯山)導入し、
そのディーゼルカーの性能や燃費良さに追加で三岐よりボギー車のキハ2入れた。 今は知らないが、昔(昭和20後半〜40年代)の三岐鉄道って車輌を無駄に潰さず精力的に他社に売却してる
(売り込みをかけている)みたいだね。 電化で不要になった車は最後に残ったキハ2両以外全部捌いているな。
北陸に行ったキハ7なんか捨値みたいだし(だから?北陸もあっさり漁礁に廃棄)。 解体するより、コロコロとどこかへ運んで行ったほうが処分の手間もかからないからかねぇ。 三岐は中小私鉄としてはかなり早い時期にカルダン車を導入したが、
20年ほど使ってあっさりと琴電に売っ払ってしまってる。
車両政策がカオスなのかな。 キハ2、ちょっと前まではあれほど荒廃してなかったと思うが… とにかく西武の面倒見が良かったのもあると思うよ。
プロパーの東洋工機製カルダン車も西武中古と同じ長さで3Dに上毛みたいに
改造だって西武は引き受けたかもね。
台車の対加重容量や経費面で諦めて売却したんじゃない(意外とこの辺も西武は琴電に口利きしていたかも? 琴電は所沢に仕事はさせないが山形交通みたいに仲介は受けているかも?)
スレチ失礼。 キハ3はいつまで稼働していたの?
廃止になる数年前からしか知らないけど、
いつも別府港に止まっていて、走っていた記憶がない 当時の写真を見るたびに、大阪近郊で、戦前の雰囲気そのままで時代に取り残されたような鉄道が80年代まで残っていたのが奇跡に思えてくる。
80年代は関西の国鉄もやる気無しで、福知山線なんかも旧型客車やディーゼルカーが大阪駅まで来ていたし、尼崎港に行くやはり時代に取り残されたような支線もあったり、
野上、有田、紀州とかタイムスリップしたような私鉄もあったけど、やはり別府鉄道は格段に違っていたかな
いくらバブル前・震災前とはいえ、軽便とか弱小私鉄は70年代までにはことごとく淘汰されていたわけだし この鉄道が、時の流れから切り離されたように80年代まで残っていたも奇跡だが、
神中で開業時のプロパー客車として生を受けた後 同系の仲間と切離され形の異なる数両の仲間と共に三岐に、左遷され
更に神中からの同僚ハフ5,6と形が異なりオマケみたいな存在で別府に流れたハフ7が、最終的に同系でもっとも長生きし
かしわ台に里帰りできたのは奇跡というか壮絶な半生だな。
別府鉄道は、今なら(当時制定があれば)路線まるごと エバーグリーン賞ものだな。
別府鉄道ほどではないにしろ、あの当時はまだ国鉄でも旧型客車が走っていたし、他にもかなり荒廃した状態で運行していた私鉄もあった
役所の規制が今より緩かったんだろうね
さすがに今では規制が厳しくなって、別府鉄道は廃線当時の状況のままではどのみち運行できなくなっていただろう
手動式で走行中も開閉できてしまうドアとか、線路の状態だけをとっても、運行停止命令が直に出ていたのでは?
車両も、いくらなんでも古すぎて、安全面を指摘されかねないように思える
もちろん、そんな設備投資をするだけの余力も会社には無いし、乗客数が少なすぎて採算に合わない。 もし旅客輸送面での規制が厳しいというなら、貨物専業鉄道として残ったかも知れないが。
その貨物輸送が立ち行かなくなったから廃止されたんだしなぁ。 キハ2が置いてある公園のすぐ近くに住んでます。
小さい頃に見てたのと比べると凄くボロボロになってるから、
なんとかして欲しいんだけどなぁ……。
やっぱり難しいんでしょうか。 あれねえ。
もともとシート掛けて何年か放置されてたのを、松風こみちと同時に整備したんだよね。
そのあとまたボロボロになって、それで一度整備し直してきれいになったんだけど
またボロボロになってるね。
屋根なしだし、廃線になって来年でもう30年だし手入れしなきゃ痛むわな。
屋根は整備し直した時にやり直してるからまだマシな方か。
割れてる窓もあるけど、そうでない所も木枠が腐ってガラスが落ちてるのもある。
再整備の時に直した窓はガラスじゃなく違う材質に変えてる?ように見える。
キハ101は設置から再整備されることなく解体されたけど、どうなんだろうね。 >>42
30年!そんなになるんですね。
ずっとあの電車を見て育ってきたから解体されちゃったら悲しいなあ…。 公園においてあるってことは、所有者は市なんかね?
このご時世だとさっさと解体しちまいそうだな。 管理は市だと思います。
公園というより、松風こみちの休憩所、みたいな感じですけど、
皆は昔から「電車公園」って呼んでます。
撤去と保存両論あって市も対応に苦慮とかなんとか…って、
以前管理してた市の道路保全課の方がテレビで答えてたみたい。 三岐鉄道 貨物の博物館は立ちあげたのに・・・
開業当時由来の車を何故に・・・・。 現地で保守できるボランティア組織でも出来ればいいんだがなぁ。
車両を生き残らせるだけなら、三岐あたりでの保存を打診するのも手かも知れないが。 >>426
都市公園法に基づく公園ではなくて、あくまで「道路」なんだな。
移設するにも家一軒建つような費用がかかるしなぁ。
ま、かつめし程度しかない加古川の甲斐性じゃ、解体も仕方ないかね。 キハ2、見てきた。少し綺麗になった気がしたけど、破損した部分が取り払われてた。もうダメかな。 現地なう。
潰すとか撤去するとか工事するとか、そんな告知はここには一切ないな。
確かに窓周りはボロボロだなぁ。
ガラスが割れてる上に、窓枠が木製だから尚更。
しかし潰すには惜しい残り具合だ。
窓ガラスと窓枠補修+全体塗装ぐらいで保てそうだがな。
問題は加古川市の懐具合だが、今まで放置してきた以上、期待は出来まい。
公園、つか広場そのものは綺麗だから地元の管理は行き届いてるようだなぁ。
費用度外視で言うが、本気で残すんなら三岐あたりに持っていった方がいいだろうな。 >>437
436です。
気付いたかも知れませんが、雨樋が全部なくなっていました。
少し前までは、外れかけの部分もあったけど、人為的に全部撤去されたように思える。 >>438
(今日撮った写真を見返して)雨樋があったのか。
現地で見た時は、こんな形態の水切りなんだと思ったわ。
とにかく残すんなら、窓ガラスと塗装は何とかしないといけないだろうなぁ。
あと、周囲の柵ももう一段高くしないと。後ろ側に花壇があるから侵入しやすい。
宝くじでも当たれば寄付でもするんだがなぁ。 えー、この車両、もともと雨どいはありませんよ(汗
縁の部分の仕上げですが、2回目(初回は公園ができたとき)の整備時に
屋根の防水シートを貼り直した時に今のような感じになりました。
参考
http://www5c.biglobe.ne.jp/~n-craft/index/hobby/msr_fram/sangi_dcpc/sangik1/befuk2.htm
ほぼ毎日、横を通っていますが何も変化はないですよ >>439>>440
438です。
ごめんなさい。私の思い違いのようですね。
雨樋=水切りの意味だったんですが、URLでは2001年にすでに無くなってる・・。
昨年の秋に公園側の水切りが垂れ下がっていたように思ったんですけど。
勘違いですね。失礼いたしました。
でも、解体は淋しいですね。ボランティアで修繕するにしても、方法もわからないし、技術もない。
出来るとしても、そのままペンキを塗るくらい。自分は何の役にも立てない・・。 今のところ、解体作業が始まる様子はないわけだが。
とはいえ、この先、ある日いつどうなってもわからんな。 先々週と先週にキハ2の写真をTwitterにupしてる人がいた。
いずれも変化はない模様。 ゲージ関係なく、過去に実際に営業鉄道で使われたという意味で「本物」の2軸客車に乗れる場所って
明治村だけかな?小松はボギーだよね。 目の前にすんでるのに生まれる前に
廃線になってしまったのは大変悔やまれるものだ 鉄ヲタとして愛着を持ってくれただけでも
べふてつからしたら幸せだと思うよ。
自分大阪市内だけどリア消時代に独りで遠出して
「土山→別府港→野口」で全線歩いたよ。ついでに高砂駅跡にも立ち寄った。
高砂駅跡のロータリーの末端部分に何列かの軌条がそのまま残ってた頃。
いつ頃かな。 キハ2、今日、見てきましたが解体が始まるような気配はありませんでした。
ただ、痛みは増しています。
2ヶ所の窓枠が垂れ下がっていました。
少し前には、傷んだ部分は取り除かれてたのに。 三岐鉄道!!
御社創業時の(自社発注の)車両ですよ。
頼むから引き取って下さい!! 【不買運動】キリンビバレッジは男性を侮辱した女性専用車両広告を使う反社会的企業
キリンビバレッジは女性専用車両という卑劣な男性排除によって生じた女のみの状態となた場所に広告を出して金儲けをしようとする反社会的企業です。
<カフェデリの広告>
http://www.youtube.com/watch?v=XiQ8blpfEzo&feature=channel&list=UL
男性の人権を毀損したこの企業の製品・サービスに対して不買を心がけと情報拡散をしましょう! 別府のキハ2、9月14日に見てきたぞ。もう窓ガラスは割れ放題やわ、木製の窓枠は割れ放題やわで、「管理者はなにやってんねん」言いとなったわ。 ちなみにこの車、もともと円長寺駅近くの自治会の役員が、廃止をきっかけにして自分の畑に置いたらしいな。『神戸新聞』のホームページにも出てたぞ。 福知山市の山奥に保存されてる阪急2861号(あれ、別荘らしいな)のほうがまだましやった。投石の痕なんか全然あらへん。フェンスで囲まれてなかったのに、状態よかった。オーナーさんの努力と「電車愛」には、頭下がるで。 それにひきかえ、キハ2はなんや。こんなこというてセクハラになりそうやけど、下着や水着で「プライベートゾーン」を守っていたのに、変なおっさんにいたずらされてる子供みたいやった。 関西だし奇策で探偵ナイトスクープにでも修復を頼んだら?(番組予算もあるから所有者に直訴とか) とりあえずコレに参加しようず!
tvinagawa.dip.jp:8080/xoops/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=211
主宰者の方、このスレは見てないのかな。
告知が無いから見てないんだろうな・・
済んだら打ち上げでもして交流しましょうや。 サービスでこっちも載せとく
報告書とか(画像あり)
tvinagawa.dip.jp:8080/xoops/modules/d3downloads/images/pdf.gif
tvinagawa.dip.jp:8080/xoops/modules/d3downloads/images/pdf.gif なんでテレビ猪名川なんだ?と思ったけど発起人がテレビ猪名川の人な訳か。 「ボランティア参加」&「志納」なら喜んでだが、
費用徴収とわざわざ示されてしまうと人間って抵抗があるもんだよな。
公人名義で募る場合は仕方ないのかな。 キハ2、今日見てきました。
修復作業に携われた方の努力の跡が見られました。
ただ、プラダンの貼り付けに使ったテープが雨のために早くも剥がれかけていました。
現状維持の難しさが感じられます。
また、窓1枚は破損したのか、割れていました。 別府鉄道の気動車キハ101・2.3 客車のハフ5・7の乗り心地はどうだったの?教えて下さい
貴重な映像を見ると 某社の5000系列更新電車よりはかなりマシだと思うけれど
あの電車 末期には走行中に良く揺れて振動で窓が落ちたけど・・・メンテの陳腐化が原因と言うが ハフ7…
がっつん・がっつん・がっつん…
床には穴が開いていた…
国鉄の「ヨ」もこんなだったのかな、と… 昨今流行のデアゴスティーニとかの連載工作本で別府鉄道レイアウト扱ってくれないかな?
模型的な鉄道でスゴイ面白いと思うのだが。 JR東日本が行った男性客に対する悪質な乗車拒否作戦
JR東日本の本社職員・支社職員・駅員が行った
寝台特急あけぼののレディースゴロンとシートに乗車者する男性客への乗車拒否バリケードです。
男性を侮辱した人権侵害の一連の模様をご覧ください。
http://www.youtube.com/watch?v=taqjOajeu5E&feature=channel&list=UL
http://www.youtube.com/watch?v=RJDXzoXs490&feature=channel&list=UL >>468
あー床の穴覚えてるわ。
走行中に覗くと流れ去る枕木が見えてた。
速度が遅いからか酷い乗り心地には思わなかったけど、
線路のジョイントを通る時の感覚は「ガツン」に近い感じだったな。 投石したらあかんのやったら、「石をぶつけてガラスを割った者は相次いで死ぬ」、みたいな伝説を作ったらええねや。 キハ2に投石したらあかんのやったら、「石をぶつけてガラスを割った者は相次いで死ぬ」、みたいな伝説を作ったらええねや。 >>473 防犯カメラ設置、セコム等のステッカー貼り付けででは? あの「松風こみち」(だったっけ?)の整備費用、
「遊歩道整備するカネあったら鉄道維持出来たんちゃうの?」
って思うくらいの金額だよな。 イニシャルコストはそうだろうけどあとが持たないだろ。 子供の頃よう乗っとったわ。今90歳位になる人やけど、電車が走っとる頃は『レカァ』って呼んどったわ。
荷物も運んどったみたいやからレッカーの意味やろね。 >>467
ハフ7の乗車体験ですが、とにかく悪い
なんか尻からがりがりじゃらじゃらという感じの上下左右振動がじかに伝わるような
工場の移動台車に乗って、だれかに押されて構内道路を少し動いた感じ、なんて言って分かりますかね
貨車に乗っている感じでしょうか 弁護教京サーバ府警無戸籍交際薬剤消毒介護職利権ローション帝国上層部24時間パトロール義務東京上野飲み会マックさむらいニューヨーク森林火災チェック問題ヤーフォー確定申告ラーメンスーパーポイントdビデオデッキ破壊タイピングGTX860MIGOZ
弁護教京サーバ府警無戸籍交際薬剤消毒介護職利権ローション帝国上層部24時間パトロール義務東京上野飲み会マックさむらいニューヨーク森林火災グリーにんにくラーメン
弁護教京サーバ府警無戸籍交際薬剤消毒介護職利権ローション帝国上昇部24時間パトロール義務東京上野飲み会マックさむらいニューヨーク森林火災グリーにんにくラーメン
築地TPP偏食中国人勧誘マナー北京オリンピックWHO経済制裁代協議会飲み食い代官僚日テレ漏洩ボーリングITC問題調査福岡駐車近代道廃人画税幕張銀行ググール無断決裁広告料寒孫ゼリー失調栄養士指的フィルムハンバーグラーメン
糞箱弐個弐個沖縄ランド近年ペット原発難民100万円コミックコラムシフト廃品鉄工業プラチナ小スモ再販問題WHO光金アナ雪エネルギー決裁ソーシャル不動産読売ニッカン奮闘鬼記者サービス露店キセルストア会長自動車工場検閲息子 >>479
そのレカのなれの果てが
多分廃線時まで別府港の機関区の奥に
ひっそり残されていた。
ピンクとクリームの別府鉄道色ではなく
湘南色で金太郎塗装だったのを覚えています。
あの機関区、怪しい雰囲気で大好きでした。 大阪に住んでいて乗りに行こうと思えばいつでも乗れる境遇にあったのに
ついに乗ることなく廃線になってしまった
悔やんでも悔やみきれん >>481
予土線のしまんトロッコよりも遥かに劣悪な乗り心地だったのですか? >>483氏
「レイル」No.17に、写真が載ってますね。
レカ特集の記事がある号です >>485
しまんトロッコ乗車体験はないですが、可能性としたらそうかもしれません
大きな揺れというより、小刻みなビビり的な振動が座っている尻から伝わってきます
伝えるのが難しいですが、いかがでしょう 廃止のかなり以前(同郷から来た 特車キハ改造のハフ5廃車時・・・20年近く前)から相模鉄道がハフ7の返還要望を
申し出ていたみただけど、ハフ6と同形のハフ5を残さず廃車にしハフ7の引渡しを拒否していたのはこのクルマの好い雰囲気や価値が社内でも認められていたから?
それとも純粋に重い特車キハ改造のハフ5,6より燃料経費は安く済むから? ハフ7のオープンデッキ構造が緩急車代わりに最適だったのでは? >>489が正答。実質緩急車として使っていたからね。旅客はオマケ。 >>484
自分も廃線のうわさが出始めた頃に、最後の思い出にと乗車しましたが
それほど見どころがあるわけでもなく、普通のローカル線でしたよ。
思い出は増幅されるものですな。 廃線から30年ですね。
ttp://www.sankei.com/west/news/150118/wst1501180024-n1.html 美しく復活させるための人手は常時募集しているようですよ 時刻表をこよなく愛して,
三菱石炭鉱業,同和鉱業などを初め,中小私鉄は全部覚えたと思っていた
中学3年のとき,モノの本で別府鉄道の存在を知った。
土山だの別府港だの野口だの聞きなれない駅名が書いてあったが,肝心の所在地概略図がなくて,
大分県の地図を一生懸命眺めていたよ。
オレは東京にいたが,別府鉄道,和田岬線,尼崎港線,高砂線,飾磨港線,水軒線などがある
関西の鉄道マニアがうらやましく思った。
結局,実際に乗ることができたのは和田岬線のみ。 >>499
これのことか?
ttps://twitter.com/50b3lgb/status/343743122192355328/photo/1 >>502 遠方のよそ者ですが、修復維持に尽力された皆様 大変感謝しております。 レカ1(キハ1)が日車、レカ2(キハ2)が加藤で全面の感じが何となく
違ったが、後者が少し角ばった感じだった。
それに蒸気機関車の3号(中越鉄道甲1型1号→国有で1050→別府3)が土山線
混合を引くと何時も遅れ。
仲間の甲1型3号が城端線砺波のチューリップ公園保存館に居る。
叩き大工が造ったみたいなマッチ箱の3号客車は酷かった。 超本命が大穴
暇つぶしに覗いて見たけど あり得ない女が・・
見返りをもらって損はしなかったww
▼をsに変換、◇を削除する
▼nn◇2ch.net/s11/3684ann.jpg 飾磨港線も高砂線も乗ったのに、別府鉄道に乗らなかったことを今頃激しく後悔。
せめてものとの思いで、ワールドのDB201とハフ7で往時を偲んでみようと思う。
混合列車の組成は
DB201-トラ55000-ワラ1-ワム80000-ハフ7
みたいな感じで良いだろうか?
ちなみに、もし平成の世にコンテナ輸送に転換出来た別府鉄道が存在していたとして
DB201-コキ50000-コキ50000-ハフ7
とかも組成してみたいw 肥料メーカーが造った小私鉄なんてなかなかシブイね。 >>508
貨物の閑散期に
DB201−ハフ7−トラ55000という
まさに神話のような編成がありました。
かと思えば、DB201−ハフ7−貨車20両位という
とんでもない長大編成に遭遇したこともありました。 別府港から到着の関係からか、別府はホームからではなく踏切そばの地上から乗り込んだ方が多かったような。
40年位前の話、お粗末様でした。 お粗末様ついでに
製鉄化学常備の黒タンクやら、多木系列のしき島商事向けのプロパンガス用のロングタンクも出入りしてたので、貨車の組成も何でもありなイメージでした。 >>511
故宮脇氏の著者にも、さんざん入れ替えをした末、
結局ホームじゃないところから乗ったという著述があった気がしたなあ…。
廃止時点で幼稚園にすら入ってなかった自分にとって乗ることは
不可能だったが、あと20年生まれるのが早かったら
乗りに行きたかった路線の1つですわ。 親が鉄チャンという幸運もあって、
この線は俺が幼少の頃に連れられて乗った記憶が辛うじて残ってる
改札はおろか待合用の小屋もなく、ただホーム状に盛り土をしてるだけの簡素な駅で降りた
周りは一面田んぼか工場(倉庫?)だったな 播磨町郷土資料館でやってる別府鉄道の特別展もう行った?
ttp://www.town.harima.lg.jp/profile/profile_shisetsu/profile_shisetsu_shiryokan/profile_shisetsu_shiryokan_topics.html >>514
それは土山線の中野駅じゃないかな。
あの駅で降りた人は見たことがないので
貴重な体験だよw >>514
レスありがとう。
中野駅ですか。ちょっとネットで調べてみます。
でも風景は往時と変わってしまってるだろうね。 レスアンカーミスりました
>>516さんへのレスです >>517
乗ったのが客車なら土山線
気動車なら野口線です。
もし野口線なら藤原製作所前という駅がありました。
そこも記憶に該当するかもね。 11月21日に播磨町郷土資料館のイベントでしゃべった元車掌つて広報はりま11月号の表紙にうつつている車掌姿の人と同一人物? 播磨町は鉄絡みの企画をやってくれるのが嬉しい。
中の人が鉄分高いのかな 野口駅で国鉄キハ10から別府の荷台付き気動車に乗り換えた時の、
異空間に身を移したような感覚が印象深い。
まさたスレタイどおり、神話の世界に感じた。 荷台付車両は人気があった
廃止決定の報道が出ると最後の勇姿をフィルムに収めようとする
ファンが押し寄せて来たな
あとは土山で留め置かれてるマッチ箱スタイルの客車も見物人が多かった 荷台付車両⇒キハ2、キハ3
マッチ箱スタイル⇒ハフ5 播磨町とか中野とか
大阪市住吉区〜東住吉区の一帯みたいだ 二軸車のひどい乗り心地、
擬似体験するならどこがいちばん似てます?
明治村はそんなにひどくないし、
紀州鉱山の人車あたり? 乗り心地でいうと振動が酷いことに関心が行きがちだが
騒音もまた凄い。車内で会話ができないくらいと言ったら大袈裟かな >>529
>>530
別府鉄道の現役時代に何回も通った者だが
当時は乗り心地だの振動・騒音を話題(問題)にするマニアは
ひとりもいなかった。
皆さんは現役当時を知らないんじゃない? >>531
なんであなた自身の感想を書いてくれないの?
いま疑似体験するなら強いて挙げればどこが似てるの? >>530
「凄い騒音」て何だろうね、騒音源は何だろうね、実体験あるのかな。
>>531
昭和40年代に野口線のキハ、土山線のハフ共々、数回乗車経験あるけれど
同じく「凄い騒音」を経験した事皆無だから530氏の感想は魔訶不思議だよ。 >>533
あなたも、「経験ない」で終えるんじゃなくて
あなた自身がどう聴こえたのか
自分の表現でリアル体験の感想を書いてほしい 土山線は、少なくとも加古川線のDCよりはよく揺れたと思う
ただ、日頃から加古川線で慣れてたから、さして凄いとも思わなかた
530氏が普段使ってた路線は、余程路盤が良かったんだろう うーむ
騒音&振動か・・・別府鉄道には乗るチャンスのないままに廃止となったが
地方ローカル線では確かに感じた事ではありますね かしわ台に客車を見に行ってきた。
綺麗に保存されていて車内にも入れて、現役当時に乗れなかった無念を少し晴らせた。
よくぞ解体せず保存してくれたと思う。 美しい姿で保存されているのを見ると本当に幸せな気持ちになれるね。 廃線跡探訪の際はこの建物もおすすめだが、中が見られるのは限られてるし
若干傷んでるように見えた。
http://www.hamayoukan.befu-youchien.com/ 先日カセットテープを整理してたら、阪急〜西宮北口平面交差、別府鉄道 て書いてあるテープが出てきたよ。
ゴンゴンゴンゴン ゴンゴンゴンゴン って音に混ざって、無茶乗車したガキを叱ってる車掌さんの罵声がw 542とか見てると、スレ来るくらいの人なら祈るだけじゃなくて協力してやれよと思う 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否
トランプジョーカー切り(創価大学消防庁コストカットアイドルマスターパイナップル株式会社)30代好評人気連載漫画「ヒカルの碁スキンケア」
NHKトランプ大統領ニュース(ヤフージャパン上院社員特別生活費支給旅行沖縄汚染水スキンケアテレビ東京ギャンブル依存症顧問職員稲田籠池豊田
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース 鉄道自体は凄く魅力的な非電化私鉄だったけど
近代的な高層マンションや工場群が見えると ハフ7、キハ2、キハ101乗車経験あり
キハは音の記憶はありませんが、キハ2は変速のガチャガチャ音があったような・・・
ハフ7は会話ができないような騒音はなかったですが、レールのジョイント部での
振動、音は国鉄の旧客と較べるのは気の毒ですが、緩衝装置(バネなど)が無い
のでは?と思うような感じでした。ガッツンという振動と鉄と鉄が当たる音(当たり前か)
騒音があるとすれば、DB20やDC30が逆向きで牽引(土山行)して、貨車がない時では
ないでしょうか?その場合、木製扉1枚を挟んで、目の前にDLのエンジン部があるの
ですから、結構な音がしたと思います 良かっためでたし。・・・三岐鉄道に見捨てられて心配だったが・・・。
昔 30年以上前昭和53年頃 雑誌 月刊(隔月?)レイルに 別府鉄道のカラー記事出ていた記憶があるのだけど、通巻ナンバーで何号か判りませんか? >>549
同感
1980年頃になると加古川市街が東南部にも拡大されて
野口側はポツポツと小規模マンションが建ち始めていた >>553
道路の整備も一気に進んだな
マイカー、バイク、自転車で手軽に移動できるようになって
鉄道の利用度はガクンと落ちた 当時に8ミリで撮ってた人が動画でアップしてくれてるのが嬉しいね ここを見て、ずっと以前に撮った別府鉄道の画像を、まとめてYOU TUBEにアップしてみました。静止画だけで、説明も何もありません。自分が撮ったものですが、久しぶりに見て懐かしく思いました
https://youtu.be/faf6RHV3WLY 神戸在住時に父親に連れられて嫌々乗せられた思い出があります。
こんなオンボロ列車嫌やーーー!と機関手の前でデカい声でごねた思い出がありますw
特急はまかぜ乗って城崎やみまさか乗って津山方面へ行きたがってましたね。。
あの別府鉄道のオンボロさの良さが今になってしみじみと実感してます。、。。
もっと乗っておけば良かったと思うと同時に父に感謝 >>561
そのオンボロの良さが分かる年齢になったわけですね 既出かも知れないが、別府近くの踏切にまだレールが残っている。 >>561
>機関士の前でオンボロ嫌だー
激しくワロタ 上 見た。言い回しも面白かった
メンテの苦労は零細バストラック会社みたいだ
注文流れやサンプルカー買うの好きなバス会社もあるし 安物買いの銭失いを繰り返しただけに思えるが、
DC301は江若鉄道にしてやられた様にも見える。 途中に中野っていう駅があった。
名前の通り、野原の真ん中にあった。 江若はあちこちで摩擦を起こしてたようだ
岡山臨港の話はレールファンの投稿で知った >>574に便乗して、
藤原製作所前は、藤原製作所の前にあったのかな 昔の変色しかかっていたネガを再現
別府港→土山間に乗車したのは、貨車の最後部のハフ7
座っていて、その振動が尋常ではないと感じた
尻からのガタガタの感覚が、あまり経験したことがない印象
友人で車掌車に分乗したことがある人がいて、その人の言っていた言葉とダブっていた
その振動が強烈であったが、音も小さくなかったと記憶
42年前になります 車掌さんが昔のバスガイドの持っていた鞄と同じ物を持って、料金徴収していた。 加古川郊外のゴルフ場への途中に多木製肥のホーロー看板がある
別府鉄道と同じマーク ハフ5・ハフ7が保存されているのは嬉しいことだね。 >>581
親会社の多木化学が肥料作ってて、その子会社が別府鉄道でなかったっけ?こないだ所さんの開かずの金庫でやってたような 加古川近辺では多木に就職したら一目おかれるぐらい、地元では名の通った優良企業 1983年 4枚窓のキハ101に乗れて感激
天井の扇風機が物凄い勢いで首を振っていた
メーカーはどこ製だったか覚えてない 廃止日が近付いてくるとテレビ局がこぞって特集企画組んでいたなあ
なかでもNHK、関西ローカルの情報番組で放送したものは出色のクオリティ
VHSに残してたのに引っ越し時に紛失
悔やみきれん テレビ局に鉄ちゃんと思しき人がいて鉄ちゃん視点で番組を創ってくれるととても嬉しい 旅客営業を最後まで行なっていたとは、信じがたいレベル
貨物のおまけ、程度としか思えない 別府を「べふ」と読む地名は、福岡市内にもある
兵庫と福岡をつなぐ存在というと、黒田官兵衛・長政父子がいるな 一度だけ乗った。土山駅の脇にちょこんと置いてあるハフを見た時、まさに神話かおとぎ話の世界に感じた >>598
あんたとうとう、スレ別に構文してた本文部分まで省略して
書きたい部分だけ書き込んでるのかよw パソコンの事は判らないけど、「腰を抜かした」と「正座した婆」のひとは
なんとなく同一な気がする ≫土山の客車
ずっと同じ位置にいたので営業には使われてなかったと思う(昭和55年頃)
でも塗装は奇麗だった
こまめに塗り直していたのだろうか >>595
温泉のベップが有名だから
ベフ読みが亜流に感じるが、
むしろ読み的にはベップが珍しい側ではないかな。
神戸のコウベ読みがまさにそれ
(本来コウベ読みは珍しい側) まだこのスレ残ってたんですね!w
機関士に失礼な暴言吐いた >>561 ですw
>>566
父親は全国国鉄鉄道乗り放題パスを持ってた国鉄職員でした。
だから福知山線とか姫新線の旧客車とか、別に乗りたくないのに乗せられましたねw
他には高砂線とか乗せられたところを見ると、廃止が近い車両、路線に連れて行ってくれたみたいですね。
通過していく「まつかぜ」が豪華に見えて乗りたくしかたなかったけど、
そりゃタダで乗れる普通車を選びますよねw
一度旧客車の最後尾のデッキで景色を楽しんだ時、線路とかトンネルがやたら近く感じ
凄い迫力だったので、それ以来旧客車が大好きに!
それ以後、高校生になった時でも夜行の「山陰」に乗って米子まで行って
境港から隠岐の島へ行ったりしてけっこうな活動的な子供になりましたw
今となってはホントに父に感謝です・・・ それは恵まれた環境でいい思い出がたくさんあって羨ましい限り