まさに神話の世界だった、別府鉄道を語ろう
大阪や神戸から程近い場所とは思えないような
ローカルムードに溢れていた
別府鉄道について、思い出などを語ろう!! 今夜のNHK関西特集で別府鉄道の映像も放映されてましたね!
ご覧になった方はいらっしゃいますか?? ↑22日深夜(暦の上では23日)1時からBSで再放送します 鉄コレ10弾の片上を、キハ101に仕立てようとする俺が来ますた おまいは俺か。
末期には裾が一直線になってたけど、気にしなければレタリング変更で済むもんな。 >>190 そもそもキハ101の あの改造の理由は?
余程の事がなきゃ、改造しないと思うのだが・・・
騒音対策?・・・片上より住宅街を走るから・・・
老朽化しつつある、(電車と違いガソリンカーの軽量車体ゆえ)車体に対する 焼け石に水的 補強?
誰か、理由知りません? 補強でなく、裾の腐食の補修をした時に、一直線に延長しちまったのかな。
原型の形態を留めて補修するよりも、新しい板で裾のラインを形成するほうが仕上げが楽そうじゃん。 >>193
もともとの裾部分に継ぎ足したみたいになってたから、それも違うと思う 屋上タイフォンの追加とナンバー変更
あと別府港−野口のサボ(口の字に特徴あり)作って貼れば、それなりの101が出来るかな? 中学の時にちょっと鉄模をかじった程度だが、これはと思い買ってきた。
自分の知ってた頃はすでに裾が伸ばされてたし色も違うが
今のところはこのままながめて見ることにする。
(塗装しなおすにも道具も腕もないし)
ちょうど別府の公園に保存された当時はこういう感じの赤みのきつい色だったね
キハ2や3も欲しくなってきた・・・ Nゲージで再現する別府鉄道
シバサキ模型(キングスで再販したっけ?)キット
DB201
kitcheNキット
キハ2
キハ3
ハフ5(催事限絶版)
ハフ7
いずれも三岐時代の形式が製品名だったかと
鉄コレ
キハ101
製品名は片上キハ303
DLは製品化されないだろうな。DC302なんかNで出たら涙物だ 16番だと、アダチが出してた新三菱3軸ディーゼルがDC301だた。
DC302はあると楽しいなぁ。
NでDD13の初期車(イコライザー台車)が出たらDD1351にするんだが、はるか昔のトミーナインスケールしかないしなぁ。 昭和59年(1984年)1月の末日には別府鉄道の沿線も少量の積雪が観測されてたのではなかったか?
山陽本線上りの長距離列車のおおかたが屋根に雪を頂いて走っていた… 別府鉄道のスレに来てて、1月末日が少量の積雪とか
コイツ何馬鹿言ってんだ、って感じ。 >>202
雪が降ったのも積もったのも本当だ。
積雪が少ない兵庫南部での雪景色は貴重だったのさ。
学校をさぼって、写真を撮りに行ったが
積雪のため、配線がわからなかった。
写真・フィルムを散逸したのが今となっては残念だ。 あ、ここにも学校をサボった人がいるのかw
あの日は山陽本線のダイヤがぐちゃぐちゃで、土山から加古川に移動するのに苦労したなぁ。 >>206
必死の反論ですね。
別府鉄道を知っている人にとって1984/1/31が「少量」の積雪とかありえませんから。 >>206も>>207も、
本当に下らない事を、一生懸命言い争ってるんだなぁ・・・(´・ω・`) 歳食った奴や鬼女は、下らん事でムキになり易い傾向はあるな。 別府鉄道の車両としては、キハ2とDC302+ハフ5。 >>190-193
キハ101の裾部の延長は、側面に沿って走っているブレーキ配管の保護のための施工らしい。
原型だとこのように配管が見える
ttp://www.kichijoji.ath.cx/railways/dc/photo/050_kiha303.jpg 年に一度、地元の別府小学校が修学旅行の際には臨時列車が出ていました。
この日ばかりは別府港駅は見送りの家族で賑わっていました。
私は見送られた側の一人です。
DD502がハフとキハ3、101をぶら下げて土山へ。
そこから12系客車に揺られて奈良へ行くのが学校の恒例行事でした。
土山線の平均乗降客の底上げになってるのかなぁ・・・と生意気にも考えたりしていました。
>>216 何故当路線DD1351じゃないのかな? ttp://art2.photozou.jp/pub/338/1338/photo/2111280_org.v1251821853.jpg
ttp://art2.photozou.jp/pub/338/1338/photo/608592_org.v1251881143.jpg
ttp://art2.photozou.jp/pub/338/1338/photo/608559_org.v1251247511.jpg
ttp://art2.photozou.jp/pub/338/1338/photo/2111336_org.v1251681338.jpg >>199 周知の事と思うが、トミーナインスケールのDD13 現在基準で考えると恐ろしく
出来悪いよ。 キハ・ハフは何とかなってもDLは難しいんだよな。
動力の関係でやむを得ず若干デフォルメのDB201も今や入手は難しい?
DD1351も改造して作るには手を入れる部分が相当多そうだし
DC301・302なんてどうしようもない。 DC301って江若から最初に来たDLだっけ・・・アレなら昔GMで売っていた(今は知らん)
ストラクチャーのモータカーを改造して何とかならないかな・・・(当然 動力無しのお不動飾りな訳だが・・・) _,_,_,_,_,_,_,_,_,_
/(((///ノ/ンヽ,,
f ミ"""'''''''"""ヘ ニヽ
ト; 二__ニ__ 二 ;ミミ|
ト;_,,,,,,__メ __,,,,,,_ ;ミミ|
f|.-=・=H-=・=~iー6)リ
'ヒ______.ハ、_____ノ !!|
f' __,-ムー、_ ` ノ <TMS800号もわしの遺産で目出度く迎えることができた!
ヽ {ィ-==ー-i,} ノ 人 <わしの目の黒いうちに迎えられなかったことが心残りと苦言を呈しておこう。
\,____,// /~丶_
人,_____/ / \
/|_/山崎\ / |
どなたか? 昔S53頃 雑誌「レイル」?「Railgay」に此処が取り上げられたの覚えてません?
通巻何号ですかね。
・・・その時からハマリました。
真のオールドファンに叱られそうですが、
自分はコゲ茶等 暗い一色の車達だったらなら関心を持つ事はなかったと思います。
此処の可愛いツートンカラーや昭和30年代全国的に普及した湘南カラーの亜流
とかが、この手の車達には似合うと思います。
重箱ですがガイはguyかと…では引き続き情報求めまス DC302、車体は外国製品で似てるのがあったけど脚回りはどうだったかな・・・ 俺は、ハフ1.2.3.無番車を トーマスのアーニイとクララベルを使ってこしらえようと思っている。
・・・無謀かな(もうジジイだから自作窓開けがシンドイ!!昔一度ピイコの2軸貨車下回りキットとケン紙でハフ1は、こさえたが長期休眠時行方不明)
少々スレチで申し訳ありませんが、みなさんはNゲージ模型でこの手の車 小型客車・2軸ガソリンカー& 同改造客車 を自作する時下回りどうしてます?
・・・キハ04や国鉄のワム23000辺りと繋いだ時、車高低くしたいんですよ。
自作車体+トミーの2軸貨車下回り や チビ電下回りじゃ 低く工作に正直限界感じてるのですが・・・・
まあ、そもそも 所詮Nゲージじゃ致命的ガニマタ車輌なんだけど・・・・ もし、土山の貨物扱いが廃止されなかったら、平成何年ぐらいまで生き残れただろうかな? >>231 もしかして、希望的観測だけど 絶命までに社会が変わり過ぎて、
一般人からも、もう少し知名度があがり 有田や尾小屋みたいに有志による
保存鉄道に出来たかも・・・あつ でも沿線不動産価格・利用価値考えたら甘いか。
それかライトレール・・・ >>228
>Railgay
路車板の有馬御用達雑誌だろw この間、姫路モノレール公開の帰りに、別府鉄道廃線跡を歩いたが、円長寺のキハ2がものすごい荒廃してたな。
5年ほど前に訪問した時はさほど荒れてなかったが…
あれはかなりヤバい状態だ! >>234
いっそ三岐に里帰りさせたほうがよかったのでは? >>232
LRTは加古川市が密かに妄想してたけど、かこバス作っちゃったしねぇ。
別府鉄道のルートって、通勤はともかく日常流動だと微妙すぎるのよ。 >>236
加古川市、地味にLRT導入空間を確保してんだよなw キハには乗ったことあったんですが、とうとう二軸客車には乗り損ねてしまったのが、今でも悔やまれる 中野で突然停車…で、スイッチバック。タキの新車2両を連結して
別府港へ…。あ〜懐かしいっす。 スタフ閉塞なのに、最終日の臨時列車を続行運転したとか、
票券閉塞でありながら通券函を開けっ放しにしてたとか、
使用中止の側線を勝手に使って列車交換してたとか、
神話の世界だったんだなあ。 >>238
まあ、酷いもんでしたよ>乗り心地
床板には隙間や節穴があって線路が見えるし、座席もカッチカチ。
二軸車だから鉄と鉄とのぶつかり合いがそのままケツに伝わるしw 別府鉄道の沿線に住んでるんだが、あの頃小さかったんでもうおぼろげにしか覚えてないけど、列車が通る度に部屋の窓から手を振ってた。んで、運転手さんが警笛を鳴らして応えてくれてた。
廃線になる最後の日は雪に埋もれながら手を振ってたなぁ。 >>243 やはりこの会社は、地域社会に対する慈善事業として野口線や土山線の旅客営業を、
鉄道を残す目的(貨物輸送)がなくなる最後まで温存してきたのだな。
多木肥料は、同族経営企業らしいが、零細(一地方の資産家)なのに素晴らしい
事をしていたんだな。
ココに対し、鉄道友の会や、関係所轄行政機関、鉄道業界関係から表彰とか、
あってもよかったんじゃないのかな。 >零細
創 業 明治18年(1885) 3月
資本金 21億4,700万円
上 場 大阪証券取引所市場第一部、福岡証券取引所 >>244-245
当時の写真を見るとグッと来るものがありますね。
1月7日からイトーヨーカドー加古川店で加古川懐古展があって、別府鉄道関係の展示が少しだけどあるみたい。 >>245-246
多木化学って、化学肥料で世界に名を馳せる企業。
農業やってて多木の肥料知らないヤツは恐らく一人もいないクラスの
超有名企業だし、技術も実績もある優良企業ですもんな。
多木自体は、慈善事業というか地域貢献の意識もあっただろうけど
廃止の(当時の手続きなどの)厄介さを考えたら、僅かな赤字は
宣伝費・地元対策費として許容し、存続する方がラクだったんだろうな、
とヲッサンは思うのであった。
てか、製品搬出での鉄道輸送は多木としては止めるつもりはなく、
国鉄が土山駅の貨物取扱を廃止したが故の巻き添え廃止だから
国鉄貨物の改革がなければ、あれから暫く生き存えてたろうね。 >>248 ・・・って事は、黒字の上場企業で 時代遅れになる程 設備投資しないって
鉄道温存という事は、此処で働いていた人々は失礼ながら社内で閑職?
それとも、肥料作る会社だから あえて更新でむやみに、廃棄物を出さず環境に優しくと云う発想?
(この方がエゴ買えより、正論だな。) >>249
別府鉄道という独立した会社だし、鉄道事業以外にも
タクシー・ハイヤー事業もやってたから(てか本業?)、
会社としては普通に回っていたようですが。
事実上は、土山駅からの引き込み線だった路線を、
地元民にも開放してた程度のことだしねぇ。
野口線に関しては、ほぼ完全に地元貢献だけど
何やかや言いながら高校生とか一部の通勤者とかで
利用はあったんだよね>当時 現場はともかく、役員とか幹部は多木本社の窓際組だったのかも 懐かしいですね。保存のキハ101は解体されて跡形もなく消えていたけど、キハ2は大丈夫なのかな?。痛んでるなら修繕したい。ワ130の車体はまだ残ってた(保存じゃないけど)。
webで「二見の埋め立て地にワのは車体がある」というのを見たけど、今もあるの?
>>252-253
模型の製作の参考にもなるわこれ。
上からの映像ってなかなかないんだよね。
>>252
1:00頃の機回し線があるのは野口駅でしょうか
末期って国鉄と線路はつながっていましたか >>256 私鉄車両めぐりに、(昭和39−40位)時点の野口駅配線図が掲載。
既に繋がってないから 恐らくそのまま・・・。
キハ101無くなっちゃつたんだ。
片上時代の前照灯改造で愛嬌ある顔(異論は、あるだろうが。色とかこの路線の雰囲気で何故かコイツは許せちゃう。)
動画みても、可愛いな。
堕ち果て、解体という事は可愛い顔が災いして、最後は地方に散在する不気味な横浜タイヤの看板みたいな存在になって処分されたのかな?
可哀相に・・・
ところで、この手の前照明移設改造が 小湊や夕張(尾灯兼用で豪雪だから事情が少しちがうか?)でも行われてる何か訳でもあるのかな?
機械式気動車の前照灯は、照度が低いとか・・・
それとも、偶然? 片上、小湊どちらかが、影響模倣? >>256
野口だね。ホームの外れに止まって何してるんだろ。
土山線の方、末期でもDB201が動いてたんだな。
漏れの場合、いついってもDD1351だった。 >ホームの外れに止まって何してるんだろ
折り返しに時間があるときは、いったんホームから北へ引き上げていた。
踏み切り脇に、職員用のプレハブの小さな小屋があった。
80年代に入ってからしか知らないけど、
本当の最末期はDD502はあまり見なかった気がするなあ。
DC302は加悦鉄道に貸し出されていたことがあったとのこと。
(加悦のDLが川重へ定検に出てる間、その代車に) >>247
行ってきました、写真、切符、部品等が展示されていて、
元車掌さんから切符を頂いたり、当時の話を聞く事もできました。
>>260
羨ましいです
昔営業でこの近辺回ってて
「ここを別府鉄道が走ってたんだな」と
思いながら歩いてました
イトーヨーカドー店内のテナントに営業行ってたので 247です。
懐古展に行ってきましたよ。
当時の映像が流れてたんですが、今でも変わってない建物が写ってたりしてると、何か嬉しい気持ちがしますね。 >>260
土山線の小柄なあの人だろか。
神戸新聞の記事で知ってはいたんだが、展示だけでなく人までいたとは。
それなら行けばよかったな…
今日、円長寺のキハ2を見てきました。
ひどい。
早くなんとかしないとキハ101と同じことになってしまいそう。
ガラスは割れ、窓枠も折れてしまってるし、廃車体のイメージ。 >>261
三連休の間だけ、ライブスチームの運転とスタンプラリーをやっていて、
参加者は当時の切符を貰えた様です。
夕方に行ったのでイベントは終了していたのですが、元車掌さんが展示コーナーにやって来て、
その場にいた人全員に残り物の切符を配ってくれました。
私が頂いたのは、加古川から別府港までの連絡乗車券で、裏に別府港駅の無効印が押してあります。
>>263
小柄な方ではなかったので違うと思います。 BANBAN-TV見れる人、
今週のぎょーさん知っとこ加古川という番組で別府鉄道やってるよ(15分) 別府鉄道の廃線跡をたどっているときに余所見をして
用水路にはまって手の指を捻挫して前歯を折った
そういう苦い思い出がある 社名が別府タクシー株式会社に変わったみたいだな。
この前タクシーに乗ったらインパネ上の名札にそう書いていた。 >>274
とうとう社名変わったんですね
鉄道持たなくなってかなり経つのに
鉄道を名乗ってる不思議さはありましたが
鋤マークは多木化学系列の証ですね
家が農家で多木肥料使ってるもんですから
気になります 加古川市が野口〜別府港と
高砂線の加古川線分岐点から野口駅まで買い取って
国鉄加古川駅乗入れ(使用料支払い)をしても
儲けはなかったですかね・・? >>276
当時の状況であれば、期待できるような状況ではなかったかな…
沿線は田園地帯だし、加古川の市街地も再開発前で拠点性は薄かったし、
それより何より別府が新市街化したのは、別府鉄道の廃止で捻出された
鉄道用地の再開発事業によるものだから、別府鉄道そのものが存続なら
ヨーカドーやらの商業施設群が出来ていないかと。 30年近く前は明石を過ぎると、田舎感爆裂でしたわな。
東は草津を過ぎると、田舎感満載でした。 >>276
今ならば・・・って気はするけど、劇的に変わった今の状況なんて、当時は想像できんわなw たしかミスタードーナツのある所が旧の本社所在地だっけか?
277にあるように、商業施設ができたのは別府鉄道が廃止になって用地ができたからであって
大規模な再開発/商業施設の建設がされてなかったら、
住宅やマックスバリュなどのスーパーがごちゃ混ぜになって並んでるだけの、
拠点性や集積もなく、パッとしないただの住宅地になってただけだと思う。
ただ、鉄道がなくなったおかげで開けたというのは皮肉だね。
>>279
ちょうどBANBAN-TVの番組でやってるね。
キハ101+キハ3+キハ2の3連貸し切り列車の写真も出てくる。 昭和50年代前半の別府鉄道のビデオがあるが、アップの仕方がわからん・・
今日、イトー○○ドーに行ってきたが、駅はもうちょっと東にあったように
思うが記憶違いか?駅前の道路がヘンに背向曲線になっているすぐ西だった
ように思うのだが >>282
別府鉄道のビデオ、是非拝見したいです。 >>281
別府鉄末期には平屋建てだが床面積の大きいジャスコ別府店が
マンハイム前にあったのだがな。 逆にそのジャスコぐらいしかなかったけどな
建物の変遷は
ボーリング場→ジャスコ→ビッグバーン(ジャスコのディスカウント)→ミドリ電化→終了 S57年に別府から土山行きの始発に乗った中野と川崎信号所にもきっちり運転停止した、あれはなんでやろう。客も俺一人で貨車もなかったのに。当時は違法承知で通過が地方鉄道の常識だったのに。 282です。動画をアップしてみました
撮影時期は覚えていませんが、昭和50年代前半、まだ廃止を言われて
いない頃だと思います
編集も何もせず、そのままのデーターです。またフリーのエンコーダーのロゴが入ってしまってます
ダラダラとしたものになっていますが・・・・
ttp://www.youtube.com/watch?v=zPkgIxv6Zbo