乗車券類の思い出
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>>480
同じような問答して、上毛高原の開業初日に1180円矢印式(発駅が□囲みでなく( )の暫定券)0001買ったなあ。
高円寺の最後の硬券上げておく。
阿波踊りの最終日で、通路に机出して120円、140円、150円の大人用、子供用の6種だけ売っていた。
この頃、券売機のある駅でも120円だけは非常用として奥に保管してあったがこれはみな大人小児用(小児断片の
あるやつ)で大人用は少ない。
イベント多客臨時出札では間違いを避けるために大人用、小児用を別に用意していたそうな。
南浦和(競輪)、立川(競輪)、府中本町(競馬)、船橋法典(競馬)、水道橋(野球)など。
[東]ではH3年の初頭、硬券を返納の指示があったという。
http://i.imgur.com/QrTyQfH.jpg @当時も珍しかったであろう、学割の常備券
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137199.jpg.html
A山手線内ルールが51キロ以上時代のもの
急行利用が多かったんでしょう。
ちなみに、運賃は440円で、急行料金は200円の頃です。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137204.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 ここで懐かし話
私が就職した年の夏、初めて弘前まで出張を命ぜられた。
朝8時作業開始なので青森で前泊することにし、上野から急行十和田1号の指定に乗ったが
初めての長距離汽車旅に嬉しくて駅に停車のたびホームに降りてベルが鳴り終えるまで歩き回っていた。
当時は急行にも当たり前のように食堂車がついていて昼食、夕食、それに3時のお茶と3回も通ってしまい
お姉さんと友達になってしまった。
三沢を過ぎたあたり車掌さんが回って来て「北海道に渡られますか?乗船名簿をお配りしますから
今のうちに記入しておき桟橋で係員に渡してください」と1人ひとり説明して回った。
私は一瞬「はい渡ります」と手を出して受け取ったが車掌さんがニヤリとしたので、もしかして
昨夜の検札で私が弘前に行くので連絡船には乗らないことを覚えているのかとヒヤリとした。
浅虫に停車し、ホームを散歩していると車掌さんがどこかに電話をかけている姿が見え
「201列車133名乗船です」という声が聞こえたのでまたドッキリ。
乗船名簿に列車名のスタンプが押してあるのできっと急行から降りた客は優先的に乗船できるんでしょうね。
もし132名しか乗船しなかったら放送で呼び出されて乗船名簿を没収されるんではないか、という恐怖感に
かられ乗船名簿を会社の書類の間に隠した。
今考えると、そんなことありえないわけで・・・(笑)
http://i.imgur.com/Fore81x.jpg >>481
多客というか、受験生向けの渋谷→駒沢大学→渋谷の往復B型硬券がありましたな。 昭和50年といえば小学生で、
指定券類を入手するには、
父親(他知り合いの人)の出張帰りのものを貰うか
改札口で優しそうな駅員に頼み込むか
だった頃、友達と松本まで遊びにいって貰った切符。
よく考えてみると、長野県の駅なのに珍しいこともあるもんだ。
@下り「あずさ2号」。新宿→松本でないのが残念ですが。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137364.jpg.html
A「赤倉」。1号車1番A席でないのが残念ですが。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137365.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 >>483
途中まで読んで”乗船名簿に住所と名前を記入したものを食堂車のお姉さんに渡して連絡待つ”って話かと思ったw
画像を拝見したけど乙片の「氏名」が「名氏」と誤植になってるね。結構レアな品かも。 >>485
そういえばこれも大変な苦労をして手に入れた券。
この頃、10回のうち8回は使用済みはもらえなかったので、
わざわざ顔見知り駅員のいる駅まで行って無効印なしでもらってきた。
(特に南局、西局は厳格で断られる確率が高かった)
http://i.imgur.com/dpCpvWT.jpg
この3か月後に乗ったときにはは30円と40円は金額式になっていたから
あぶないところだった。 いいなあ。
オレが「本格的に」鉄ヲタ業を開店したのは、
種村直樹さんが「本格的に」ライター業を開店したのと同じだったから
「東京競馬場前」の切符は持っていない。
幼いころ、たまに国分寺の離れたホームに茶色の電車が1両停まっているのを
見たくらい。
D型硬券2種
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1141192.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。
上)当時の「あずさ2号」が下りも上りも「8時ちょうど」だったことに実は今気づいた。
下)臨時列車の常備券があるとは・・・と驚いた1枚。
当時はマルス非設置駅では少しでも速く指定券を発行しようとしていたのだろう。
いずれも立川駅にて頂きました。 >>487
昭和40年代は無効印を押した上でもらえた気がする。
50年代に好意でくれた切符を悪用する奴がいて、それ以降切符は全て
回収するよう通達が出たと聞いた。 1983〜1989くらいは厳しかった
新幹線なんか問答無用で全く無理だった
当時小学生の子供だったけど全くムリ
優しい車掌さんが車補を改札で言えば貰えるって言ってくれたのに
やっぱり改札で駄目だったことも記憶にある(急行丹波の大阪駅)。
収集の先人方の券画像で、
新幹線特急券が無効印で貰えてるのをみて
疑問に思ってたが、そういうことだったのな。 300系登場時はまだ厳しかった記憶があるから
新幹線が緩和されたのは、もっとあとだったかも >>489
その時代でも地域によって簡単にもらえたり、殆ど断られる地域があった。
結構収集に理解を示してもらえたのが、北海道、仙台、水戸、金沢、静岡、門司など。
無効印を押さずに、もし押しても裏面にと好意的だった。
逆にほとんど断られた記憶のあるのが、盛岡、秋田、東京南、大阪、岡山という印象が強い。
それ以外の地域は係員によってかなあ。深夜・早朝など同僚の目のないときにこっそりもらえる確率
が高かった。組合の強い駅は特に人目を気にしていたような。 昭和時代の国鉄の切符
赤地紋:当日限り有効な近距離乗車券,自由席急行・特急券
青地紋:二日間以上有効な中遠距離乗車券
緑地紋:グリーン券,特急・急行の座席指定券
無地紋:入場券
他に濃い黄土色の地紋が有ったような・・・・ >>493
緑地紋は各種グリーン券も該当する。
車内改札の車掌が、区間変更のとき、発駅計算か、打ち切り計算か一発で
わかるようにということだろう。ただ、何事にも例外はつきもの。
「愛国から幸福ゆき」、「大正から幸福ゆき」の乗車券は、
騒がれる前から青地紋のA型硬券だったのは間違いない。
釧路局は短距離でも青地紋だったのかなとも思うが、
正直わからない。 ↑
訂正
青地紋のA型硬券×
青地紋のB型硬券○(様式だけみると、箱根登山鉄道のものに酷似している) @JR初日の切符
ほとんど見えないが、かろうじて、「62/4/1」と「0000」だけは読める。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1143576.jpg.html
AJR初日の切符
当時の(北)郡山駅はすでに硬券はなく、0時過ぎの深夜は窓口は1つだけで
ナンバー1は入手できず、00008Aとなった。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1143580.jpg.html
それぞれ中央の「ダウンロード」をクリックしてください。 幸福駅ブーム以前の
隣駅からのガチ委託乗車券って
千切軟券では?
日高三股さんとこのサイトの
その特集ページで
現券画像もいくつも載ってたけど
閉鎖されてて見れなくなってる。
(アーカイブ辿ってみたけど駄目だった) 昭和47年頃の、
「大正から幸福ゆき 40円」の青地紋B型硬券を持っているはずで、
今探し中です。
ところで、その後、「愛国から幸福ゆき」の乗車券を新宿や池袋の路上で
500円程度で売る業者が出だしたわけだが、
ちょうどこの頃(昭和49年10月1日)に、運賃改定があり、
(旧運賃60円、新運賃70円)日付が昭和49年10月1日以降なのに
60円の券が、「運賃変更」のスタンプが押されることもなく出回り、
「偽造券ではないか」と新聞で騒がれたことがあった。 >>497
失礼だけど@は試刷りじゃないの?OMRONの券売機だね。 >>505
若造だなー。
当時の券売機知らんのか? ↑
釣りでないなら語り視点の解らない老害はアンタ
昔の券売機は1付けられず「10000」表示ににならないくらい知っとるが?
てか504は0000が本当は10000であるという意味を知らなさそうだから俺はそれを教示したわけであって
今は券売機が1を表示できるかどうかの話ではないだろ。
混同してる段階で老害乙としか言えんわw >>507
券売機は
一番最初が0000で、
10000枚目が9999、10001枚目がまた0000になる。
昭和62年4月1日に郡山の駅員から教示を受けたが
それが間違っているというわけだな? 間違ってるよ
乗車券類の附番は0001から10000まで。
硬券では、わざわざ1の数字判を手捺ししていた。
(昔の)券売機ではそうはいかないから
10000番は仕方なく「0000」のままになる。
最寄駅(某私鉄)、昭和末期くらいに登場した感熱券売機では
きちんと10000番が印刷されてたよ。今でも持ってる。
現行のJRの券売機は無理だろうね。
平成1桁くらいから束が発券時刻を併記し始めて
今は各社それがデフォになってしまったし。 >>509
おまえが若造だよ。もしくは無知の老害か。 人を若造呼ばわりしてる若造は
リアルで知らんなら知らんで
近藤喜代太郎氏や築島裕氏の著書くらい読めば?
全部書いてあるから >>493
例外中の例外だか、根室駅(たぶん道内の他の駅にも)に、小児初乗り金額式と小児入場券が兼用の赤券がありましたね。 >>513
あれは乗車券の色にあわせているだけだよ。
途中下車できない乗車券が青色の時代は併用券も青。
途中下車できない乗車券が赤色の時代は併用券も赤。 >>510が正解
券売機の印面改造のあとは、ナンバリングを手動で操作して9990くらいにする。
券売機メーカサービスマンが試刷りし印字状態を確認し、改造終了の報告として0000を駅長(出札助役)に渡す。
旅客への販売は必ず0001から。
従って賃改初日や制度改正初日の1番に購入するとどの金額ボタンを押しても必ず0001が出てくる。
0000は上記試刷り券の流出の可能性が考えられる。
(もしくは当日販売10000枚目だが、1日に1台の券売機で最盛期の新宿東口でも最大7000枚程度だった
ので郡山で0000は考えられない)
当時のキレート式券売機はまだ発券時刻が印字されないので、何時ころ発券されたか特定はできない。
ナンバリングの操作は機械内部をさわることになるのでメーカサービスマンが行い駅員はしない。 同意
事実をねじまげて持論が正しいと主張するニワカが増えたからな
見ていてムカ腹が立つ。歴史を学んでから出直せ >>504
これまで開業初日のアサイチに買った券はみな0001で0000なんて出てこなかったよ。
あと自動精算機の精算券も同じだった。 実際に昭和62年4月1日の零時過ぎに買ったからアップしたわけで・・・
それがどうして「試し刷り」にされるのかよくわからんが。
3月31日の23時30頃には、新しい切符を求める人が窓口に数人
待機していたが、当時の郡山はすでに硬券がなく、ナンバーワンは
1人にしか渡らないとのこと。
それでは、券売機で、ナンバーワンが出せないかという話になり、
新型(今と同じ型)は不可能だが、旧型ならば改番ができるとのことで、
旧型の何台かを零時をすぎて、稼動してくれるとの事。
それで、そのうちの1台に待機していて、零時を過ぎて購入したわけだ。
0000がでてきたので、0001でない理由を聞くと、
最初の券は0000になる仕様である説明を受けた。
実は0001も買ったけど、オレの次に並んでいる人に譲ったから
持っていない。
当時の、なにかの本(恐らく、RJか、種村氏の本か、早稲田鉄研か、慶応鉄研の本)
で、券売機だと最初の券が0000になるとの話を読んだ記憶がある。 これだけいろいろ論客がいるのに、
>>472ではなにもいわれなかったのな。
昭和63年11月発行の「国鉄券」だからな。
こんなもの理論上ありえない。だけど実際には売っていた。
これなんて、さしずめ、国鉄時代に日付未記入券を入手し、
後からオレが日付を入れた・・・なんていいだすのかな。 >>519を多少訂正。
窓口で手に入るナンバー1は、印発機発行のものと、補充片道乗車券のみだったから
先着2人までだね。 券売機はよくわからないけど、JR初日券はこの2枚しか持っていない。
両方とも券番は0001で地紋は当然ながらJNR。
北府中のほうは発区分の[東]が入ってるけど、西富士宮は[海]が入ってない。
まさに国鉄のままで、券番のみ0001にリセットして売ったっていう感じ。
北府中のほうは、前日まで「中野、東海経由 函南 三島行き」だったから
分割後の様式(他社関連は着駅を単駅表示、経由は幹在をはっきりわける)になっている。
http://i.imgur.com/k4YBY3e.jpg
西富士宮は昼前に買ったけど0001だった。 (続き)
では、JR東日本は初日から全部[東]入りかというと、そうでもない。
5月発券でも[東]が入っておらず、6月に買ったら入っていた。
当然まだ地紋はJNR。券番は上が0136、下が0079。新券になった時点で
0001にリセットして発売した模様。
http://i.imgur.com/GHwBm8B.jpg (続き)
JR新地紋についてはs62-10-20に報道発表された。
s62-11-1から主要36駅で新地紋の切符を発売すると書いてある。
ただ一部の窓口、一部の券売機から切り替えし、全面切換えは1年程度かかると
書いてある。
上の券(蟹田190円)は新地紋の0001で、発表から8か月かかったことになる。
下の券(横浜−早川)は上記主要36駅ながらまだJNR地紋のままである。
http://i.imgur.com/XIUXBN5.jpg
いずれにしても自社完結の切符は、切換えがゆるやかだったから>>472の券が
国鉄のままでも不思議はないね。
>>522の西富士宮は着駅が自社だから発区分なしでもよかったのかもしれない。 その昔、四国某駅(入場券が有名)で、中の人間が0001を抜いていて騒ぎになったことがあるな。 そんな話はどこにでもあるよ。
JR-私鉄連絡の初乗り割引運賃が設定された初日、数少なくなった硬券発売駅で窓が開く前から
並んで1番に買ったら0002だった。
なぜ0001じゃないの?って聞いたら、0001は乗車券受領の証拠として本社に提出云々でお客さんには売らないと。
当時はSNSや2ちゃんなんてなかったんでそのままおとなしく引っ込んだが。
同じ会社の別の駅に飛んで行ったら0001があった。うそつき。
なんか>>508と逆の話なんで笑ってしまった。鉄道の内部処理って何が本当かわからない。 >>493
もうひとつ
つttp://marutetsu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/12/30/photo.jpg 「白鳥」初日の能生までの特急券も実際に発行されたらしいからな。
そんなものが今残っていたら、ヤフオクでいくらつくだろう?
真贋判定も必要になってきそうだが。 >>529
てことは、時刻表にも時刻が載ったのかな。
乗車券センターも停車と認識していた・・・
MARSにも能生停車のデータが入っていた・・・
ところが乗務員時刻表は運転停車(客扱いなし)になっていた・・・ >>530
市販時刻表は通過扱い。MARSなんてものは当時は存在しない。
当時の発券はセンターのようなところへ電話で空席を問い合わせ、あれば発行。
席の管理は主要駅刻み(例えば、上野・高崎・長野・直江津・富山・金沢・福井・大阪)
だったので、上野〜能生までの特急券だと上野〜富山の空席照会をすることになり、
いちいち「能生まで」と言う必要もなかった。
特急料金の計算は当然手計算。だから発行されたとしても不思議ではない。
少なくとも能生駅の駅員は、「その時」まで能生停車と信じていたわけで、
例えば能生駅発行の上野→能生の特急券ならばありえる話。 ついでにいえば、その頃は「運転停車」の概念自体ほとんどない時代。
客車列車全盛期で、行き違い停車だろうがなんだろうが停車は停車。
停車すれば客扱いがあたりまえという感覚。 話しぶった切ってゴメソ
伯備線やくもの、訂正切符持ってる。
祖母に頼んで、米子管区の人が硬券で発券してくれたのだが、
列車名と発時刻が間違ってることを発見。
乗車する3日くらい前に気がついて、
訂正を求めたところ、二重線と訂正印で
上書き直してくれた。 >>534
はっきり言って日付ゾロ目とか0001に値打ちはない。 人それぞれ。
現行1万円札のゾロ目を3万で買う椰子もいれば、それを見て馬鹿にする椰子もいる。
売れるから商売が成り立つ。 だがしかしこんなことも実際には起きる。
為替局番号「11111」の飯田風越郵便局というのがあり、
平成11年11月11日に、局メグマニアが大集結。
同局の為替貯金窓口は1つしかなく、午後4時の時点でまだ行列は
収まらず、午後7時頃まで対応するも、まだ終わらない。
結局通帳預かりの上で後日郵送になった人もいたとか。 >>519
最初が0000になるのはシステム上のことであって、あんたがそれを正規発売券として手にしたこと自体がイレギュラーなんだよ。
そのイレギュラーなことと、皆が言ってる「本来の旅客が手にできる正規の1枚目は常に0001番が1枚目であること」
の話はまったく別。
あんたにはそこをきちんと理解してほしい。 まあ券売機なんて操作コンソールからadministratorで入れば何番からでも発券できるからな。
物理的には0001を1000枚でも発券できるけど、運用としてそれが禁じ手かどうかというのも全く別の話。 硬券で10000番を見たことがある。1の字がちょっと傾いていたがw 子供の時は硬券よりも
緑で横に穴のあいてるドットインパクト印字された何の面白みもない切符こそが
遠出するときの指定券発行としてわくわくさせてくれたんだよな
マルスもピンを差してパタパタさせて操作してるのが子供心にすごいなあと憧れてた
そして自動券売機は丸いボタン仕様でさ、数字が固定されていてデジタル表示でさえもない
しかも子供用はデカいふたのようなプラ板に隠されてて
あの単純な機構のやつが好きだったわ >>543
たまに遠くへ連れられたときになんかお金を入れるたびに
プラ板の裏でどんどん増えていくボタンから漏れてくる光と
光る数字の位置が変わるニキシー管の金額表示にわくわくしたw 話は変わるけどクレジットカードやネット予約や会員登録限定の切符が増えて
それを利用しないと割引切符が利用できない区間が出来たけど
以前普通の割引切符を利用していた人は会員登録やネットをわざわざ使う事になるのか
それとも通常料金で利用するのか
もしくは移動自体を止めてしまうのか 俺の場合、非クレカ主義の生活なんよ。
クレカ以外なら利用するかもしれんけど
そんなん、ないやろ? なら株主になって優待無料パスをゲットするしかないな www >>551
べつに安く乗りたいわけじゃない
繰り返すが548でいい >>554
自己破産などの金融事故歴があるか、逆に40歳過ぎまで利用歴がなく信用情報が真っ白だと発行されずらい。 クレカ嫌いだから作らないんだよ。
理屈じゃなく、きらい。 クレカは作っても使わないまま何年たっても全く問題なし。
個人の信用度だけが上がる。
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お会計〜
はい、現金のみです。
こんな店多すぎる。 バブル期でも湯田温泉駅は硬券しかなくて
新幹線用のドット印刷もできなかった。
湯田温泉駅から九州のローカル駅まで新幹線利用で帰るときは
紙になんか書いてるものを乗車券としてつかってたかな… >>564
スーパーヒタチ24号
アルプス12号
みたいなやつだろ? 国鉄ニセコ山の家は、宿泊券が硬券だった。
ただし、発行即回収だったので、手元には残らなかった。 >>563
だって私鉄の駅だから、乗車券や指定券を発行する機械自体ないから。 昨日、綾瀬の窓口が廃止になって、(社)で窓口業務は分倍河原だけになったな(乗り換え口の窓口は除く)
以前は関東だけでも、川越・東飯能・寄居・厚木・上総中野とあったのに そういえば上毛電鉄の西桐生駅で記念一日券の子供券を買うときおばちゃんが笑顔で売ってくれて、しかも手作りの袋の中に記念一日券以外に使用済みの硬券が一枚入ってておまけだと思うけど、とても嬉しかった。
長文失礼。 >>574
俺は西桐生でネクタイピンを三本買ったら、使用済みの硬券を三枚貰った。 こういう話はいまや切符業者の即売会でないとできなくなってきたよね。 現場で売らなくなった今、当時の思い出や僅かな情報を語れる数少ない場所だからね。 いまはどうかわからないが、即売会って、転売屋が常連みたいになっていて、近寄りがたい雰囲気があった。
客のはずなのに店の一味みたいに振る舞って仕切る奴とか、いまも居るのだろうか。 即売会はかつてはガラの悪い奴や転売屋がはびこって殺伐としていたが、いまは
そういう奴らは浄化されて、昔話を語るにはいい雰囲気。
昔は交通趣味なんて雑誌もあって、読者投稿で議論もできたが、すでに消滅してしまった。 「終活」で整理していたら菓子折り箱に何杯も
硬券乗車券が出て来た。
皆さんはオークションで一枚づつ売るの?
それとも専門買い取り店に持ち込んで、
ひと箱幾らで売るの?
元は只だから欲は出したくないけど、
廃棄するのは歴史的な価値を考えると迷う。
ちなみに乗車券は初乗りが5円や10円時代の物から、
特別2等車乗車券、特急券、急行寝台券(それぞれ手書き記入)、
『異(級)』とゴム印が押された黄緑色地紋の東京都内〜札幌の乗車券、
など色々
出来れば1枚100円位になるかなと期待はしている。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています