乗車券類の思い出
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>>416
大阪市営の淡緑が脳内ベースだったので
京都市営の切符に初めて接したとき、色の濃さがどぎつく感じた。
対抗するために話を創作したんじゃなく、当時本当にそう思った。
416さんとはまったく逆だね。 このスレはマターリしていていいね。
大型軟券の補片が好きで、
特に社線は補片で長距離連絡券を求め
実使用して下車印を集めるのを趣味にしてた。
過去形なのは生活の変容で今は趣味から
遠のいてしまっているからだけど。。
世界に各一枚ずつしかない
一期一会の結晶ともいえるコレクションは
眺めてて飽きないし、大切にしている
長野電鉄はJRと連絡運輸やめちゃったけど
まさかそうなってしまうとは。。。
長電の(連絡用)補片って、趣味or実使用を問わず
ネットにうぷしてる画像はそこそこあるけど
見る限り須坂発行と松代発行のものしか
見掛けないけど、自分は湯田中で
JR連絡最長区間でお願いして買って使ったのが
あり、大切にしている。平成十年台の後半
ふと券番を最近見てみたらかなり若い
やっぱり発行すること自体稀だったんだなあと
訪問したらすでに作成してあって
駅長さんがニコニコしてものすごい親切だった
あのときの駅長さん、有難うございました。 乗車券には手書きのものがあったような気がする。
一筆書き片道切符とかがそうだった。
それから経由駅が分岐駅の隣の駅だったこともあった。 >>423
1980年代の最長片道は
補片(補充片道)で発券される時代だった。
当時は旅行会社にもあった。
現在だと出補になってしまう。 二十三年前、今はなき駅で発行してもらった
想い出深い学割の補片があり、大切にしているのだが、
さっきふとググってみたら、なんと同じ冊の補片の券画像に出会えた。
数ヶ月前に出品落札されてたみたい。
筆跡が違うので発行した係員まで同じでないとはいえ
こんな経験は中々なく、懐しさで二十三年前に一気にトリップしてしまった。 画像券の数枚前に発行されたのが自分の券
こんな経験なかなかないから興奮してしまったw
ついでに計算したら単純計算で1日一枚発行したことになる
券売機だけでマルスの無いオフライン駅ならこんなものか。
当時はPOS導入直前で、まだ早見表や手計算で発行してた時代でした。 阪急は昔から肌色だったっけな
阪神は青灰色、山陽は薄黄緑?
記憶が曖昧だすまん 東京臨海新交通は開業当時、濃い青色だったな。文字が見にくくて・ >>427
阪急は柿茶色で無地紋
阪神は淡緑で地紋入り
山陽は合ってる(無地紋) >>429
> 阪急は柿茶色で無地紋
磁気化券以前は券売機券地紋入り淡緑、手売り地紋入り大人青、小人赤。 ↑
わかってるけどさ、
そもそも>>427が想定して語ってる前提の年代をかいてない 遠州鉄道は一時、白無地ペラペラの原紙使ってたな。
そこまで倹約するのかって思ったよ。まったく収集意欲が沸かない ww
あの会社は使用済みくれないから別に買うしかない。 >>435
↑
おまけに感熱紙が粗悪だからすぐ文字が消える だろ。 いまの琴電も感熱白ペラペラ券。
なのに車内券は地紋入りの地図式。 中央本線の相模湖駅は比較的遅くまで券売機はなかったような気がする。
切符を買う人がみんな「高尾」って言ってた。
それから次に来た人も「高尾」って言ってた。 都市部の大きい駅で
みど窓じゃなくて有人出札が3窓以上あるって
もう全国的に消滅?
東京地下鉄と他社線との改札内連絡改札とかの出札に残ってたりしたけど、
まだあるのかな?
連絡じゃない出札なら、もうこれも結構経つが
近鉄京都駅のが圧巻だった。
往時の券売機導入前の都市部の駅はこんな感じだったんだろうなと。 初鹿野駅のきっぷうりばで「はつしかの」と言った某タレント。
実は勝沼からキセル目的w 携帯登場以降の現代は便利だな
読みどころか、時刻、区間運賃の計算まで
モバイルでカンタンにできる 乗車券ではないけれど、昔の券売機は内部から取り出し口に向かって風がふいていて、金額ボタンを押したら勢い良く取り出し口から外に吐き出されることがあって、その状態に出会すと
面白がっていたな。 しかし補片補往も激減してしまったね。
束も、長野支社の古間・替佐・上今井・冠着・有明・小野・信濃境が
ここ数年ですべて消滅してしまって
すでに分倍河原しかない。
九州は簡易委託でそこそこ残ってはいるが
残念なことに他社関連が買えない。 きっぷじゃないんだけどさ。
このまえ昔のきっぷの整理していたら、
市内通話が3分10円になったとき(それまでは無制限で10円)に
電電公社から配られた小型時限爆弾みたいな3分計測器が
でてきて、まだ使えるのにビックリ。 そう言えば>>419みたいなクーポン券や船車券で発行されたJR券って最近見かけないね
旅行会社で発行してもらってもマルス券ばかり 原則JRは各社のクーポンは認めていない。
大井川や岳南の硬券が残っているのがむしろ奇跡。 >>450
いつから?
原則ということは、一部には今もあんの? あと、例に出してる硬券は
民鉄側発行というだけで
クーポン扱い(旅行業発行)じゃねえじゃん。 旅行会社のマルス券でわりと広い範囲の乗車券類が発券できるようになり、
国鉄仕様とは別のマルス券が登場した頃、
郡山駅旅セだと、駅名や列車名が漢字であったのに対して
交通公社郡山支店だと、すべて片仮名だった。
この当時は例えば
普通乗車券であっても「ある程度マトモな経路」のものはマルス券、
「かなりマニアック」なものはクーポン券で発券していたな。
神田から神田ゆき(中央、総武、東北経由)で有効7日の
普通乗車券をもっているよ。 ↑
同じ時期に
鏡石から鏡石ゆき(東北本線、水戸線、水郡線経由)
を申し込んだら、マルス券がでてきた。 というか、自動券売機が備わっていた駅なら
どこでもあるある話ですな 国鉄特企の面影を残してきた赤券も
とうとう終焉だね。
同じく補片や補往も風前の灯
JR全線(跨ぎ)が可能な「補」や「記補」の残存駅は
すでに東・西・四で各1〜2駅だけ。
九は健在の簡託駅では他者関連NG、
可能だとしたらPOS駅秘蔵の残券のみ
(公式には返納だが可能性はあるはず)。 小田急も都営も改札口からパンチが消えたな。
昭和も遠くなりにけり 都営はかなり前からだよ。
回収しなかったから、ある駅にはあるし無い駅には無いって感じ 458だが
5枚時代最後(平7)の酉版の赤券画像を
探してたが、春季だがようやく見つけた
http://livedoor.blogimg.jp/yurikamome77/imgs/1/3/13d22ba5.jpg
俺のいうところの萌え文字のままだったんだな。
でも>>458ともまた書体が異ってるね。 よくみれば>>458の[四]の券だけ平7で
書体が同じだったね。うっかりした
酉と四は印刷屋が同じだったね
今回終売の赤券も同じだし。 >>461
末期の九のもので、ご利用期間が補充式のものがある。
ゴム印押しが基本なんだが、空白のまま発行したケースが多数W 「常備券で6社共通の特企」は今回の赤券終売をもって完全終焉、で合ってますか?
「国鉄時代から続く」+「(常備券ではない)6社共通の特企」
も、すでにフルムーンしかありませんよね?
以上もしまちがってたら訂正願います △ すでにフルムーンしか
○ 18以外ではすでにフルムーンしか
訂正 青春のびのび18きっぷ
青券1枚
赤券4枚
トータルで6日間有効。 >>466
> 青春のびのび18きっぷ
×青春のびのび18きっぷ
◎青春18のびのびきっぷ 464です
乗車券類ではありませんので書きませんでしたが、
「印刷物で」「国鉄時代から続く(意匠も同じ」「JR各社共通の」ものが
1つだけ健在です。
カレンダーです。 一昨年京王のパスポートカードに入会したら、入会特典その他で42000pたまったので
それで全部駅弁を喰った。(一部うまいもん含む)
京王さんありがとう。 ↑
見るときは、
どっとうpろだ.org [dotup.org] ファイルをダウンロード
どっとうpろだ.orgより、www.dotup.org1133716.jpgのダウンロードを行います。
続けるにはダウンロードをクリックしてファイルをダウンロードしてください。
という表示の下の「ダウンロード」をクリックしてね。 まあレアかどうかは知らんが、行川アイランドが営業していた頃の券
http://i.imgur.com/gaoMLND.jpg >>475
当時の国鉄運賃の狂乱値上げぶりを示す「生き証人」といえるだろうよ。
>>474
地紋はJRでした(現物は薄く見えるんだけどね) 硬券の0001狙いのマニアは頻繁な値上げを喜んでいたようだが 賃改の日の朝、駅に行くと券箱に0001がずらーーーっと並んでいて思わず
「それ全部く・・・」と言いかけたことがる。www 平成3年の糸崎駅にて
オレ「硬券たくさんありますね」
窓口氏「たくさんありまっせ。三原から東京までの新幹線特急券なんてどうですか?」
オレ「いやいや・・・0001で一番安いのはいくらぐらいですか?」
窓口氏「えーと、そうやなあ、三原から相生までの新幹線自由席券かなぁ・・・」
オレ「えー高いでしょー」
窓口氏「高いねえ・・・安いほうからどんどん売れちゃうからねー」
オレ「じゃあ・・・安い切符でなんかオススメあります?」
窓口氏「そやねー、これなんてどう?三原までの常備往復券。コレ結構人気あってねー」
オレ「じゃあそれ1枚」
まるでコントだな。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1135600.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 >>480
同じような問答して、上毛高原の開業初日に1180円矢印式(発駅が□囲みでなく( )の暫定券)0001買ったなあ。
高円寺の最後の硬券上げておく。
阿波踊りの最終日で、通路に机出して120円、140円、150円の大人用、子供用の6種だけ売っていた。
この頃、券売機のある駅でも120円だけは非常用として奥に保管してあったがこれはみな大人小児用(小児断片の
あるやつ)で大人用は少ない。
イベント多客臨時出札では間違いを避けるために大人用、小児用を別に用意していたそうな。
南浦和(競輪)、立川(競輪)、府中本町(競馬)、船橋法典(競馬)、水道橋(野球)など。
[東]ではH3年の初頭、硬券を返納の指示があったという。
http://i.imgur.com/QrTyQfH.jpg @当時も珍しかったであろう、学割の常備券
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137199.jpg.html
A山手線内ルールが51キロ以上時代のもの
急行利用が多かったんでしょう。
ちなみに、運賃は440円で、急行料金は200円の頃です。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137204.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 ここで懐かし話
私が就職した年の夏、初めて弘前まで出張を命ぜられた。
朝8時作業開始なので青森で前泊することにし、上野から急行十和田1号の指定に乗ったが
初めての長距離汽車旅に嬉しくて駅に停車のたびホームに降りてベルが鳴り終えるまで歩き回っていた。
当時は急行にも当たり前のように食堂車がついていて昼食、夕食、それに3時のお茶と3回も通ってしまい
お姉さんと友達になってしまった。
三沢を過ぎたあたり車掌さんが回って来て「北海道に渡られますか?乗船名簿をお配りしますから
今のうちに記入しておき桟橋で係員に渡してください」と1人ひとり説明して回った。
私は一瞬「はい渡ります」と手を出して受け取ったが車掌さんがニヤリとしたので、もしかして
昨夜の検札で私が弘前に行くので連絡船には乗らないことを覚えているのかとヒヤリとした。
浅虫に停車し、ホームを散歩していると車掌さんがどこかに電話をかけている姿が見え
「201列車133名乗船です」という声が聞こえたのでまたドッキリ。
乗船名簿に列車名のスタンプが押してあるのできっと急行から降りた客は優先的に乗船できるんでしょうね。
もし132名しか乗船しなかったら放送で呼び出されて乗船名簿を没収されるんではないか、という恐怖感に
かられ乗船名簿を会社の書類の間に隠した。
今考えると、そんなことありえないわけで・・・(笑)
http://i.imgur.com/Fore81x.jpg >>481
多客というか、受験生向けの渋谷→駒沢大学→渋谷の往復B型硬券がありましたな。 昭和50年といえば小学生で、
指定券類を入手するには、
父親(他知り合いの人)の出張帰りのものを貰うか
改札口で優しそうな駅員に頼み込むか
だった頃、友達と松本まで遊びにいって貰った切符。
よく考えてみると、長野県の駅なのに珍しいこともあるもんだ。
@下り「あずさ2号」。新宿→松本でないのが残念ですが。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137364.jpg.html
A「赤倉」。1号車1番A席でないのが残念ですが。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137365.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 >>483
途中まで読んで”乗船名簿に住所と名前を記入したものを食堂車のお姉さんに渡して連絡待つ”って話かと思ったw
画像を拝見したけど乙片の「氏名」が「名氏」と誤植になってるね。結構レアな品かも。 >>485
そういえばこれも大変な苦労をして手に入れた券。
この頃、10回のうち8回は使用済みはもらえなかったので、
わざわざ顔見知り駅員のいる駅まで行って無効印なしでもらってきた。
(特に南局、西局は厳格で断られる確率が高かった)
http://i.imgur.com/dpCpvWT.jpg
この3か月後に乗ったときにはは30円と40円は金額式になっていたから
あぶないところだった。 いいなあ。
オレが「本格的に」鉄ヲタ業を開店したのは、
種村直樹さんが「本格的に」ライター業を開店したのと同じだったから
「東京競馬場前」の切符は持っていない。
幼いころ、たまに国分寺の離れたホームに茶色の電車が1両停まっているのを
見たくらい。
D型硬券2種
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1141192.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。
上)当時の「あずさ2号」が下りも上りも「8時ちょうど」だったことに実は今気づいた。
下)臨時列車の常備券があるとは・・・と驚いた1枚。
当時はマルス非設置駅では少しでも速く指定券を発行しようとしていたのだろう。
いずれも立川駅にて頂きました。 >>487
昭和40年代は無効印を押した上でもらえた気がする。
50年代に好意でくれた切符を悪用する奴がいて、それ以降切符は全て
回収するよう通達が出たと聞いた。 1983〜1989くらいは厳しかった
新幹線なんか問答無用で全く無理だった
当時小学生の子供だったけど全くムリ
優しい車掌さんが車補を改札で言えば貰えるって言ってくれたのに
やっぱり改札で駄目だったことも記憶にある(急行丹波の大阪駅)。
収集の先人方の券画像で、
新幹線特急券が無効印で貰えてるのをみて
疑問に思ってたが、そういうことだったのな。 300系登場時はまだ厳しかった記憶があるから
新幹線が緩和されたのは、もっとあとだったかも >>489
その時代でも地域によって簡単にもらえたり、殆ど断られる地域があった。
結構収集に理解を示してもらえたのが、北海道、仙台、水戸、金沢、静岡、門司など。
無効印を押さずに、もし押しても裏面にと好意的だった。
逆にほとんど断られた記憶のあるのが、盛岡、秋田、東京南、大阪、岡山という印象が強い。
それ以外の地域は係員によってかなあ。深夜・早朝など同僚の目のないときにこっそりもらえる確率
が高かった。組合の強い駅は特に人目を気にしていたような。 昭和時代の国鉄の切符
赤地紋:当日限り有効な近距離乗車券,自由席急行・特急券
青地紋:二日間以上有効な中遠距離乗車券
緑地紋:グリーン券,特急・急行の座席指定券
無地紋:入場券
他に濃い黄土色の地紋が有ったような・・・・ >>493
緑地紋は各種グリーン券も該当する。
車内改札の車掌が、区間変更のとき、発駅計算か、打ち切り計算か一発で
わかるようにということだろう。ただ、何事にも例外はつきもの。
「愛国から幸福ゆき」、「大正から幸福ゆき」の乗車券は、
騒がれる前から青地紋のA型硬券だったのは間違いない。
釧路局は短距離でも青地紋だったのかなとも思うが、
正直わからない。 ↑
訂正
青地紋のA型硬券×
青地紋のB型硬券○(様式だけみると、箱根登山鉄道のものに酷似している) @JR初日の切符
ほとんど見えないが、かろうじて、「62/4/1」と「0000」だけは読める。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1143576.jpg.html
AJR初日の切符
当時の(北)郡山駅はすでに硬券はなく、0時過ぎの深夜は窓口は1つだけで
ナンバー1は入手できず、00008Aとなった。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1143580.jpg.html
それぞれ中央の「ダウンロード」をクリックしてください。 幸福駅ブーム以前の
隣駅からのガチ委託乗車券って
千切軟券では?
日高三股さんとこのサイトの
その特集ページで
現券画像もいくつも載ってたけど
閉鎖されてて見れなくなってる。
(アーカイブ辿ってみたけど駄目だった) 昭和47年頃の、
「大正から幸福ゆき 40円」の青地紋B型硬券を持っているはずで、
今探し中です。
ところで、その後、「愛国から幸福ゆき」の乗車券を新宿や池袋の路上で
500円程度で売る業者が出だしたわけだが、
ちょうどこの頃(昭和49年10月1日)に、運賃改定があり、
(旧運賃60円、新運賃70円)日付が昭和49年10月1日以降なのに
60円の券が、「運賃変更」のスタンプが押されることもなく出回り、
「偽造券ではないか」と新聞で騒がれたことがあった。 >>497
失礼だけど@は試刷りじゃないの?OMRONの券売機だね。 >>505
若造だなー。
当時の券売機知らんのか? ↑
釣りでないなら語り視点の解らない老害はアンタ
昔の券売機は1付けられず「10000」表示ににならないくらい知っとるが?
てか504は0000が本当は10000であるという意味を知らなさそうだから俺はそれを教示したわけであって
今は券売機が1を表示できるかどうかの話ではないだろ。
混同してる段階で老害乙としか言えんわw >>507
券売機は
一番最初が0000で、
10000枚目が9999、10001枚目がまた0000になる。
昭和62年4月1日に郡山の駅員から教示を受けたが
それが間違っているというわけだな? 間違ってるよ
乗車券類の附番は0001から10000まで。
硬券では、わざわざ1の数字判を手捺ししていた。
(昔の)券売機ではそうはいかないから
10000番は仕方なく「0000」のままになる。
最寄駅(某私鉄)、昭和末期くらいに登場した感熱券売機では
きちんと10000番が印刷されてたよ。今でも持ってる。
現行のJRの券売機は無理だろうね。
平成1桁くらいから束が発券時刻を併記し始めて
今は各社それがデフォになってしまったし。 >>509
おまえが若造だよ。もしくは無知の老害か。 人を若造呼ばわりしてる若造は
リアルで知らんなら知らんで
近藤喜代太郎氏や築島裕氏の著書くらい読めば?
全部書いてあるから >>493
例外中の例外だか、根室駅(たぶん道内の他の駅にも)に、小児初乗り金額式と小児入場券が兼用の赤券がありましたね。 >>513
あれは乗車券の色にあわせているだけだよ。
途中下車できない乗車券が青色の時代は併用券も青。
途中下車できない乗車券が赤色の時代は併用券も赤。 >>510が正解
券売機の印面改造のあとは、ナンバリングを手動で操作して9990くらいにする。
券売機メーカサービスマンが試刷りし印字状態を確認し、改造終了の報告として0000を駅長(出札助役)に渡す。
旅客への販売は必ず0001から。
従って賃改初日や制度改正初日の1番に購入するとどの金額ボタンを押しても必ず0001が出てくる。
0000は上記試刷り券の流出の可能性が考えられる。
(もしくは当日販売10000枚目だが、1日に1台の券売機で最盛期の新宿東口でも最大7000枚程度だった
ので郡山で0000は考えられない)
当時のキレート式券売機はまだ発券時刻が印字されないので、何時ころ発券されたか特定はできない。
ナンバリングの操作は機械内部をさわることになるのでメーカサービスマンが行い駅員はしない。 同意
事実をねじまげて持論が正しいと主張するニワカが増えたからな
見ていてムカ腹が立つ。歴史を学んでから出直せ >>504
これまで開業初日のアサイチに買った券はみな0001で0000なんて出てこなかったよ。
あと自動精算機の精算券も同じだった。 実際に昭和62年4月1日の零時過ぎに買ったからアップしたわけで・・・
それがどうして「試し刷り」にされるのかよくわからんが。
3月31日の23時30頃には、新しい切符を求める人が窓口に数人
待機していたが、当時の郡山はすでに硬券がなく、ナンバーワンは
1人にしか渡らないとのこと。
それでは、券売機で、ナンバーワンが出せないかという話になり、
新型(今と同じ型)は不可能だが、旧型ならば改番ができるとのことで、
旧型の何台かを零時をすぎて、稼動してくれるとの事。
それで、そのうちの1台に待機していて、零時を過ぎて購入したわけだ。
0000がでてきたので、0001でない理由を聞くと、
最初の券は0000になる仕様である説明を受けた。
実は0001も買ったけど、オレの次に並んでいる人に譲ったから
持っていない。
当時の、なにかの本(恐らく、RJか、種村氏の本か、早稲田鉄研か、慶応鉄研の本)
で、券売機だと最初の券が0000になるとの話を読んだ記憶がある。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています