乗車券類の思い出
最近の東武は地図式の記念乗車券が多いな。
現役当時はなかったくせに。
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ttp://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201310/1342522.jpg >>387
ずいぶん前の鉄道模型ショウで売っていたが、係りのおじさんが
「皆帰りの車内で開いて鳴らすから、うるさくてしょうがなかった」と言ってた 東急の窓口では普通乗車券が、
回数券みたいに繋がっていた。 復路専用乗車券ってまだ残ってるとこあるのか?
自動改札の導入で往路のみ下車駅で精算して
復路は券売機で購入ってパターンばかりになったようだけど 東海の小駅に設置されたL-POS端末(でしたっけ?)で発券したMaxやまびこの指定券を見たら、
列車名が「マヤマヒコ○○号」となっていて、駅員が何じゃこれ?と言いながら渡してくれたけど、
その当時、他のマルス券でもそんな表示になっていましたか?
あれって、中途半端な機能だった印象がありますが 「2カイマヤマヒコ○○」だった気が
あの端末機好きだったのに短命だったなぁ… あれでもポスなんだよね。あれ、酉とかでも短命だったよね。
済んだから言えるが、まさに「中継ぎ」みたいな存在だった。 入力画面では「マクヤマ2−○○」と入れていましたね。
券面表示はイマイチ覚えてないけど、「2階(カイ)」の文字はどこかに入っていたと思う。
最新マルスなら「2階Maxやまびこ○○号」で良かったでしたっけ? 東京在住なのに、よく指定券買いにいったなぁ〜
乗車券はPOSよりマルスで出してもらったが、一部断られた箇所もあった >>392
釧路ー東釧路
苫小牧ー沼ノ端
長岡ー宮内
金沢ー津幡
位しか無いんじゃね? >>396気になって手持ちを調べたら、やはり列車名の一部が省略された券があった。
やはり長すぎる名前はなあ・・・・
ノロッコ→ノロ (笑)
http://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201402/1394267.jpg 濁点省略はデフォに近いほどよく見たね。
なんたって「゛」だけで1文字浪費してしまうもの “ゆうゆう東海みのぶクラフトパークわくわく工房体験号”なんてどうやって印刷したんだ(*≧m≦*)ププ ゆうゆう東海母の日感謝号→「ハハノヒカンシャ」だった。
マルスは覚えてないけど、M型だったかな? いや、M型って、券紙が現行マルスと同じフォーマットの最初のやつでは? トワイライトエクスプレスをN型で発券したら
トワイライト号だった 短命でしたが、かつての西の小駅の端末はオレカで購入すると白抜きで□カ〔券売機券よりもデカい〕と入るようにしてましたね。 京都市交通局地下鉄が出来て間もない頃、基本的に大阪市交通局の磁気乗車券と同スペックのはずだが、
券面がどこか緑茶や竹林を思わせる、より緑がかった灰色で(大阪のは薄い灰緑)、裏面が黒(大阪はカフェオレ)
だからかっこよく見えた 思い出して書いてたら長文になっちまった。以下長文注意。
>>416
「〇〇乗ってきた」がクラスの自慢になった時代、ピカピカの京都地下鉄もまた羨望の的(近鉄ビスタカーに
匹敵するような扱い)で、これに乗ったり写真撮ってきただけでヒーローになれたんだよな…。
それが羨ましい俺にも、何故かそれに乗る機会が巡り、もちろん親父からカメラ借りて写真も撮った。
関西の京都なのに東京の営団8000系等にそっくりな電車がやたらカッコよく見えて鳥肌総立ちだった。
でも、「証拠物件兼記念」としてどうしても欲しかった磁気券は、どんなに駅員に頼んでも拒否一点張り。
挙げ句には駅員曰く「そんな欲しかったら券売機で一番安いの買いね?とりあえずきっぷはあげられんわ」。
親父に頼むも「そんなモノわざわざ買ってまで要らん」「見せびらかしてるうちになくす」であえなく玉砕。
どうしても欲しかったのに入手できずに帰った、緑茶色に裏面が漆黒の、京都市交マークもかっこいい磁気券…。
しばらくして、別の奴も京都地下鉄を試乗し、持って帰ってきた磁気券をクラス中でお披露目(こども用の
1区のを自分の小遣いで買ったらしい)、はれて「時の人」に。それになりそこねた俺はまた指くわえて
その様子を見てるだけだったのも、今となってはひとつの思い出。 そういう短距離切符でヒーローになれたのか。
「あずさ2号,新宿⇒白馬」の東急観光発行のクーポン券
で鉄でもないのにヒロインになった女生徒がいたが。 >>416
大阪市営の淡緑が脳内ベースだったので
京都市営の切符に初めて接したとき、色の濃さがどぎつく感じた。
対抗するために話を創作したんじゃなく、当時本当にそう思った。
416さんとはまったく逆だね。 このスレはマターリしていていいね。
大型軟券の補片が好きで、
特に社線は補片で長距離連絡券を求め
実使用して下車印を集めるのを趣味にしてた。
過去形なのは生活の変容で今は趣味から
遠のいてしまっているからだけど。。
世界に各一枚ずつしかない
一期一会の結晶ともいえるコレクションは
眺めてて飽きないし、大切にしている
長野電鉄はJRと連絡運輸やめちゃったけど
まさかそうなってしまうとは。。。
長電の(連絡用)補片って、趣味or実使用を問わず
ネットにうぷしてる画像はそこそこあるけど
見る限り須坂発行と松代発行のものしか
見掛けないけど、自分は湯田中で
JR連絡最長区間でお願いして買って使ったのが
あり、大切にしている。平成十年台の後半
ふと券番を最近見てみたらかなり若い
やっぱり発行すること自体稀だったんだなあと
訪問したらすでに作成してあって
駅長さんがニコニコしてものすごい親切だった
あのときの駅長さん、有難うございました。 乗車券には手書きのものがあったような気がする。
一筆書き片道切符とかがそうだった。
それから経由駅が分岐駅の隣の駅だったこともあった。 >>423
1980年代の最長片道は
補片(補充片道)で発券される時代だった。
当時は旅行会社にもあった。
現在だと出補になってしまう。 二十三年前、今はなき駅で発行してもらった
想い出深い学割の補片があり、大切にしているのだが、
さっきふとググってみたら、なんと同じ冊の補片の券画像に出会えた。
数ヶ月前に出品落札されてたみたい。
筆跡が違うので発行した係員まで同じでないとはいえ
こんな経験は中々なく、懐しさで二十三年前に一気にトリップしてしまった。 画像券の数枚前に発行されたのが自分の券
こんな経験なかなかないから興奮してしまったw
ついでに計算したら単純計算で1日一枚発行したことになる
券売機だけでマルスの無いオフライン駅ならこんなものか。
当時はPOS導入直前で、まだ早見表や手計算で発行してた時代でした。 阪急は昔から肌色だったっけな
阪神は青灰色、山陽は薄黄緑?
記憶が曖昧だすまん 東京臨海新交通は開業当時、濃い青色だったな。文字が見にくくて・ >>427
阪急は柿茶色で無地紋
阪神は淡緑で地紋入り
山陽は合ってる(無地紋) >>429
> 阪急は柿茶色で無地紋
磁気化券以前は券売機券地紋入り淡緑、手売り地紋入り大人青、小人赤。 ↑
わかってるけどさ、
そもそも>>427が想定して語ってる前提の年代をかいてない 遠州鉄道は一時、白無地ペラペラの原紙使ってたな。
そこまで倹約するのかって思ったよ。まったく収集意欲が沸かない ww
あの会社は使用済みくれないから別に買うしかない。 >>435
↑
おまけに感熱紙が粗悪だからすぐ文字が消える だろ。 いまの琴電も感熱白ペラペラ券。
なのに車内券は地紋入りの地図式。 中央本線の相模湖駅は比較的遅くまで券売機はなかったような気がする。
切符を買う人がみんな「高尾」って言ってた。
それから次に来た人も「高尾」って言ってた。 都市部の大きい駅で
みど窓じゃなくて有人出札が3窓以上あるって
もう全国的に消滅?
東京地下鉄と他社線との改札内連絡改札とかの出札に残ってたりしたけど、
まだあるのかな?
連絡じゃない出札なら、もうこれも結構経つが
近鉄京都駅のが圧巻だった。
往時の券売機導入前の都市部の駅はこんな感じだったんだろうなと。 初鹿野駅のきっぷうりばで「はつしかの」と言った某タレント。
実は勝沼からキセル目的w 携帯登場以降の現代は便利だな
読みどころか、時刻、区間運賃の計算まで
モバイルでカンタンにできる 乗車券ではないけれど、昔の券売機は内部から取り出し口に向かって風がふいていて、金額ボタンを押したら勢い良く取り出し口から外に吐き出されることがあって、その状態に出会すと
面白がっていたな。 しかし補片補往も激減してしまったね。
束も、長野支社の古間・替佐・上今井・冠着・有明・小野・信濃境が
ここ数年ですべて消滅してしまって
すでに分倍河原しかない。
九州は簡易委託でそこそこ残ってはいるが
残念なことに他社関連が買えない。 きっぷじゃないんだけどさ。
このまえ昔のきっぷの整理していたら、
市内通話が3分10円になったとき(それまでは無制限で10円)に
電電公社から配られた小型時限爆弾みたいな3分計測器が
でてきて、まだ使えるのにビックリ。 そう言えば>>419みたいなクーポン券や船車券で発行されたJR券って最近見かけないね
旅行会社で発行してもらってもマルス券ばかり 原則JRは各社のクーポンは認めていない。
大井川や岳南の硬券が残っているのがむしろ奇跡。 >>450
いつから?
原則ということは、一部には今もあんの? あと、例に出してる硬券は
民鉄側発行というだけで
クーポン扱い(旅行業発行)じゃねえじゃん。 旅行会社のマルス券でわりと広い範囲の乗車券類が発券できるようになり、
国鉄仕様とは別のマルス券が登場した頃、
郡山駅旅セだと、駅名や列車名が漢字であったのに対して
交通公社郡山支店だと、すべて片仮名だった。
この当時は例えば
普通乗車券であっても「ある程度マトモな経路」のものはマルス券、
「かなりマニアック」なものはクーポン券で発券していたな。
神田から神田ゆき(中央、総武、東北経由)で有効7日の
普通乗車券をもっているよ。 ↑
同じ時期に
鏡石から鏡石ゆき(東北本線、水戸線、水郡線経由)
を申し込んだら、マルス券がでてきた。 というか、自動券売機が備わっていた駅なら
どこでもあるある話ですな 国鉄特企の面影を残してきた赤券も
とうとう終焉だね。
同じく補片や補往も風前の灯
JR全線(跨ぎ)が可能な「補」や「記補」の残存駅は
すでに東・西・四で各1〜2駅だけ。
九は健在の簡託駅では他者関連NG、
可能だとしたらPOS駅秘蔵の残券のみ
(公式には返納だが可能性はあるはず)。 小田急も都営も改札口からパンチが消えたな。
昭和も遠くなりにけり 都営はかなり前からだよ。
回収しなかったから、ある駅にはあるし無い駅には無いって感じ 458だが
5枚時代最後(平7)の酉版の赤券画像を
探してたが、春季だがようやく見つけた
http://livedoor.blogimg.jp/yurikamome77/imgs/1/3/13d22ba5.jpg
俺のいうところの萌え文字のままだったんだな。
でも>>458ともまた書体が異ってるね。 よくみれば>>458の[四]の券だけ平7で
書体が同じだったね。うっかりした
酉と四は印刷屋が同じだったね
今回終売の赤券も同じだし。 >>461
末期の九のもので、ご利用期間が補充式のものがある。
ゴム印押しが基本なんだが、空白のまま発行したケースが多数W 「常備券で6社共通の特企」は今回の赤券終売をもって完全終焉、で合ってますか?
「国鉄時代から続く」+「(常備券ではない)6社共通の特企」
も、すでにフルムーンしかありませんよね?
以上もしまちがってたら訂正願います △ すでにフルムーンしか
○ 18以外ではすでにフルムーンしか
訂正 青春のびのび18きっぷ
青券1枚
赤券4枚
トータルで6日間有効。 >>466
> 青春のびのび18きっぷ
×青春のびのび18きっぷ
◎青春18のびのびきっぷ 464です
乗車券類ではありませんので書きませんでしたが、
「印刷物で」「国鉄時代から続く(意匠も同じ」「JR各社共通の」ものが
1つだけ健在です。
カレンダーです。 一昨年京王のパスポートカードに入会したら、入会特典その他で42000pたまったので
それで全部駅弁を喰った。(一部うまいもん含む)
京王さんありがとう。 ↑
見るときは、
どっとうpろだ.org [dotup.org] ファイルをダウンロード
どっとうpろだ.orgより、www.dotup.org1133716.jpgのダウンロードを行います。
続けるにはダウンロードをクリックしてファイルをダウンロードしてください。
という表示の下の「ダウンロード」をクリックしてね。 まあレアかどうかは知らんが、行川アイランドが営業していた頃の券
http://i.imgur.com/gaoMLND.jpg >>475
当時の国鉄運賃の狂乱値上げぶりを示す「生き証人」といえるだろうよ。
>>474
地紋はJRでした(現物は薄く見えるんだけどね) 硬券の0001狙いのマニアは頻繁な値上げを喜んでいたようだが 賃改の日の朝、駅に行くと券箱に0001がずらーーーっと並んでいて思わず
「それ全部く・・・」と言いかけたことがる。www 平成3年の糸崎駅にて
オレ「硬券たくさんありますね」
窓口氏「たくさんありまっせ。三原から東京までの新幹線特急券なんてどうですか?」
オレ「いやいや・・・0001で一番安いのはいくらぐらいですか?」
窓口氏「えーと、そうやなあ、三原から相生までの新幹線自由席券かなぁ・・・」
オレ「えー高いでしょー」
窓口氏「高いねえ・・・安いほうからどんどん売れちゃうからねー」
オレ「じゃあ・・・安い切符でなんかオススメあります?」
窓口氏「そやねー、これなんてどう?三原までの常備往復券。コレ結構人気あってねー」
オレ「じゃあそれ1枚」
まるでコントだな。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1135600.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 >>480
同じような問答して、上毛高原の開業初日に1180円矢印式(発駅が□囲みでなく( )の暫定券)0001買ったなあ。
高円寺の最後の硬券上げておく。
阿波踊りの最終日で、通路に机出して120円、140円、150円の大人用、子供用の6種だけ売っていた。
この頃、券売機のある駅でも120円だけは非常用として奥に保管してあったがこれはみな大人小児用(小児断片の
あるやつ)で大人用は少ない。
イベント多客臨時出札では間違いを避けるために大人用、小児用を別に用意していたそうな。
南浦和(競輪)、立川(競輪)、府中本町(競馬)、船橋法典(競馬)、水道橋(野球)など。
[東]ではH3年の初頭、硬券を返納の指示があったという。
http://i.imgur.com/QrTyQfH.jpg @当時も珍しかったであろう、学割の常備券
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137199.jpg.html
A山手線内ルールが51キロ以上時代のもの
急行利用が多かったんでしょう。
ちなみに、運賃は440円で、急行料金は200円の頃です。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137204.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 ここで懐かし話
私が就職した年の夏、初めて弘前まで出張を命ぜられた。
朝8時作業開始なので青森で前泊することにし、上野から急行十和田1号の指定に乗ったが
初めての長距離汽車旅に嬉しくて駅に停車のたびホームに降りてベルが鳴り終えるまで歩き回っていた。
当時は急行にも当たり前のように食堂車がついていて昼食、夕食、それに3時のお茶と3回も通ってしまい
お姉さんと友達になってしまった。
三沢を過ぎたあたり車掌さんが回って来て「北海道に渡られますか?乗船名簿をお配りしますから
今のうちに記入しておき桟橋で係員に渡してください」と1人ひとり説明して回った。
私は一瞬「はい渡ります」と手を出して受け取ったが車掌さんがニヤリとしたので、もしかして
昨夜の検札で私が弘前に行くので連絡船には乗らないことを覚えているのかとヒヤリとした。
浅虫に停車し、ホームを散歩していると車掌さんがどこかに電話をかけている姿が見え
「201列車133名乗船です」という声が聞こえたのでまたドッキリ。
乗船名簿に列車名のスタンプが押してあるのできっと急行から降りた客は優先的に乗船できるんでしょうね。
もし132名しか乗船しなかったら放送で呼び出されて乗船名簿を没収されるんではないか、という恐怖感に
かられ乗船名簿を会社の書類の間に隠した。
今考えると、そんなことありえないわけで・・・(笑)
http://i.imgur.com/Fore81x.jpg >>481
多客というか、受験生向けの渋谷→駒沢大学→渋谷の往復B型硬券がありましたな。 昭和50年といえば小学生で、
指定券類を入手するには、
父親(他知り合いの人)の出張帰りのものを貰うか
改札口で優しそうな駅員に頼み込むか
だった頃、友達と松本まで遊びにいって貰った切符。
よく考えてみると、長野県の駅なのに珍しいこともあるもんだ。
@下り「あずさ2号」。新宿→松本でないのが残念ですが。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137364.jpg.html
A「赤倉」。1号車1番A席でないのが残念ですが。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137365.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 >>483
途中まで読んで”乗船名簿に住所と名前を記入したものを食堂車のお姉さんに渡して連絡待つ”って話かと思ったw
画像を拝見したけど乙片の「氏名」が「名氏」と誤植になってるね。結構レアな品かも。 >>485
そういえばこれも大変な苦労をして手に入れた券。
この頃、10回のうち8回は使用済みはもらえなかったので、
わざわざ顔見知り駅員のいる駅まで行って無効印なしでもらってきた。
(特に南局、西局は厳格で断られる確率が高かった)
http://i.imgur.com/dpCpvWT.jpg
この3か月後に乗ったときにはは30円と40円は金額式になっていたから
あぶないところだった。