乗車券類の思い出
>>347と逆の券。
この駅は券売機と印発だけで常時硬券の発売はなかったので記念乗車券だけ。
このほか入場券と相互式が1種づつ出ていた。電子オルゴール搭載の元祖。
ttp://www2.isl.co.jp/SILKYPIX/japanese/campaign/railwayphoto/bbs/file/1381811570.jpg
そういえばとうきょうスカイツリー駅の開業記念も地図式だっけ。 最近の東武は地図式の記念乗車券が多いな。
現役当時はなかったくせに。
ttp://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201310/1342520.jpg
ttp://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201310/1342521.jpg
ttp://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201310/1342522.jpg >>387
ずいぶん前の鉄道模型ショウで売っていたが、係りのおじさんが
「皆帰りの車内で開いて鳴らすから、うるさくてしょうがなかった」と言ってた 東急の窓口では普通乗車券が、
回数券みたいに繋がっていた。 復路専用乗車券ってまだ残ってるとこあるのか?
自動改札の導入で往路のみ下車駅で精算して
復路は券売機で購入ってパターンばかりになったようだけど 東海の小駅に設置されたL-POS端末(でしたっけ?)で発券したMaxやまびこの指定券を見たら、
列車名が「マヤマヒコ○○号」となっていて、駅員が何じゃこれ?と言いながら渡してくれたけど、
その当時、他のマルス券でもそんな表示になっていましたか?
あれって、中途半端な機能だった印象がありますが 「2カイマヤマヒコ○○」だった気が
あの端末機好きだったのに短命だったなぁ… あれでもポスなんだよね。あれ、酉とかでも短命だったよね。
済んだから言えるが、まさに「中継ぎ」みたいな存在だった。 入力画面では「マクヤマ2−○○」と入れていましたね。
券面表示はイマイチ覚えてないけど、「2階(カイ)」の文字はどこかに入っていたと思う。
最新マルスなら「2階Maxやまびこ○○号」で良かったでしたっけ? 東京在住なのに、よく指定券買いにいったなぁ〜
乗車券はPOSよりマルスで出してもらったが、一部断られた箇所もあった >>392
釧路ー東釧路
苫小牧ー沼ノ端
長岡ー宮内
金沢ー津幡
位しか無いんじゃね? >>396気になって手持ちを調べたら、やはり列車名の一部が省略された券があった。
やはり長すぎる名前はなあ・・・・
ノロッコ→ノロ (笑)
http://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201402/1394267.jpg 濁点省略はデフォに近いほどよく見たね。
なんたって「゛」だけで1文字浪費してしまうもの “ゆうゆう東海みのぶクラフトパークわくわく工房体験号”なんてどうやって印刷したんだ(*≧m≦*)ププ ゆうゆう東海母の日感謝号→「ハハノヒカンシャ」だった。
マルスは覚えてないけど、M型だったかな? いや、M型って、券紙が現行マルスと同じフォーマットの最初のやつでは? トワイライトエクスプレスをN型で発券したら
トワイライト号だった 短命でしたが、かつての西の小駅の端末はオレカで購入すると白抜きで□カ〔券売機券よりもデカい〕と入るようにしてましたね。 京都市交通局地下鉄が出来て間もない頃、基本的に大阪市交通局の磁気乗車券と同スペックのはずだが、
券面がどこか緑茶や竹林を思わせる、より緑がかった灰色で(大阪のは薄い灰緑)、裏面が黒(大阪はカフェオレ)
だからかっこよく見えた 思い出して書いてたら長文になっちまった。以下長文注意。
>>416
「〇〇乗ってきた」がクラスの自慢になった時代、ピカピカの京都地下鉄もまた羨望の的(近鉄ビスタカーに
匹敵するような扱い)で、これに乗ったり写真撮ってきただけでヒーローになれたんだよな…。
それが羨ましい俺にも、何故かそれに乗る機会が巡り、もちろん親父からカメラ借りて写真も撮った。
関西の京都なのに東京の営団8000系等にそっくりな電車がやたらカッコよく見えて鳥肌総立ちだった。
でも、「証拠物件兼記念」としてどうしても欲しかった磁気券は、どんなに駅員に頼んでも拒否一点張り。
挙げ句には駅員曰く「そんな欲しかったら券売機で一番安いの買いね?とりあえずきっぷはあげられんわ」。
親父に頼むも「そんなモノわざわざ買ってまで要らん」「見せびらかしてるうちになくす」であえなく玉砕。
どうしても欲しかったのに入手できずに帰った、緑茶色に裏面が漆黒の、京都市交マークもかっこいい磁気券…。
しばらくして、別の奴も京都地下鉄を試乗し、持って帰ってきた磁気券をクラス中でお披露目(こども用の
1区のを自分の小遣いで買ったらしい)、はれて「時の人」に。それになりそこねた俺はまた指くわえて
その様子を見てるだけだったのも、今となってはひとつの思い出。 そういう短距離切符でヒーローになれたのか。
「あずさ2号,新宿⇒白馬」の東急観光発行のクーポン券
で鉄でもないのにヒロインになった女生徒がいたが。 >>416
大阪市営の淡緑が脳内ベースだったので
京都市営の切符に初めて接したとき、色の濃さがどぎつく感じた。
対抗するために話を創作したんじゃなく、当時本当にそう思った。
416さんとはまったく逆だね。 このスレはマターリしていていいね。
大型軟券の補片が好きで、
特に社線は補片で長距離連絡券を求め
実使用して下車印を集めるのを趣味にしてた。
過去形なのは生活の変容で今は趣味から
遠のいてしまっているからだけど。。
世界に各一枚ずつしかない
一期一会の結晶ともいえるコレクションは
眺めてて飽きないし、大切にしている
長野電鉄はJRと連絡運輸やめちゃったけど
まさかそうなってしまうとは。。。
長電の(連絡用)補片って、趣味or実使用を問わず
ネットにうぷしてる画像はそこそこあるけど
見る限り須坂発行と松代発行のものしか
見掛けないけど、自分は湯田中で
JR連絡最長区間でお願いして買って使ったのが
あり、大切にしている。平成十年台の後半
ふと券番を最近見てみたらかなり若い
やっぱり発行すること自体稀だったんだなあと
訪問したらすでに作成してあって
駅長さんがニコニコしてものすごい親切だった
あのときの駅長さん、有難うございました。 乗車券には手書きのものがあったような気がする。
一筆書き片道切符とかがそうだった。
それから経由駅が分岐駅の隣の駅だったこともあった。 >>423
1980年代の最長片道は
補片(補充片道)で発券される時代だった。
当時は旅行会社にもあった。
現在だと出補になってしまう。 二十三年前、今はなき駅で発行してもらった
想い出深い学割の補片があり、大切にしているのだが、
さっきふとググってみたら、なんと同じ冊の補片の券画像に出会えた。
数ヶ月前に出品落札されてたみたい。
筆跡が違うので発行した係員まで同じでないとはいえ
こんな経験は中々なく、懐しさで二十三年前に一気にトリップしてしまった。 画像券の数枚前に発行されたのが自分の券
こんな経験なかなかないから興奮してしまったw
ついでに計算したら単純計算で1日一枚発行したことになる
券売機だけでマルスの無いオフライン駅ならこんなものか。
当時はPOS導入直前で、まだ早見表や手計算で発行してた時代でした。 阪急は昔から肌色だったっけな
阪神は青灰色、山陽は薄黄緑?
記憶が曖昧だすまん 東京臨海新交通は開業当時、濃い青色だったな。文字が見にくくて・ >>427
阪急は柿茶色で無地紋
阪神は淡緑で地紋入り
山陽は合ってる(無地紋) >>429
> 阪急は柿茶色で無地紋
磁気化券以前は券売機券地紋入り淡緑、手売り地紋入り大人青、小人赤。 ↑
わかってるけどさ、
そもそも>>427が想定して語ってる前提の年代をかいてない 遠州鉄道は一時、白無地ペラペラの原紙使ってたな。
そこまで倹約するのかって思ったよ。まったく収集意欲が沸かない ww
あの会社は使用済みくれないから別に買うしかない。 >>435
↑
おまけに感熱紙が粗悪だからすぐ文字が消える だろ。 いまの琴電も感熱白ペラペラ券。
なのに車内券は地紋入りの地図式。 中央本線の相模湖駅は比較的遅くまで券売機はなかったような気がする。
切符を買う人がみんな「高尾」って言ってた。
それから次に来た人も「高尾」って言ってた。 都市部の大きい駅で
みど窓じゃなくて有人出札が3窓以上あるって
もう全国的に消滅?
東京地下鉄と他社線との改札内連絡改札とかの出札に残ってたりしたけど、
まだあるのかな?
連絡じゃない出札なら、もうこれも結構経つが
近鉄京都駅のが圧巻だった。
往時の券売機導入前の都市部の駅はこんな感じだったんだろうなと。 初鹿野駅のきっぷうりばで「はつしかの」と言った某タレント。
実は勝沼からキセル目的w 携帯登場以降の現代は便利だな
読みどころか、時刻、区間運賃の計算まで
モバイルでカンタンにできる 乗車券ではないけれど、昔の券売機は内部から取り出し口に向かって風がふいていて、金額ボタンを押したら勢い良く取り出し口から外に吐き出されることがあって、その状態に出会すと
面白がっていたな。 しかし補片補往も激減してしまったね。
束も、長野支社の古間・替佐・上今井・冠着・有明・小野・信濃境が
ここ数年ですべて消滅してしまって
すでに分倍河原しかない。
九州は簡易委託でそこそこ残ってはいるが
残念なことに他社関連が買えない。 きっぷじゃないんだけどさ。
このまえ昔のきっぷの整理していたら、
市内通話が3分10円になったとき(それまでは無制限で10円)に
電電公社から配られた小型時限爆弾みたいな3分計測器が
でてきて、まだ使えるのにビックリ。 そう言えば>>419みたいなクーポン券や船車券で発行されたJR券って最近見かけないね
旅行会社で発行してもらってもマルス券ばかり 原則JRは各社のクーポンは認めていない。
大井川や岳南の硬券が残っているのがむしろ奇跡。 >>450
いつから?
原則ということは、一部には今もあんの? あと、例に出してる硬券は
民鉄側発行というだけで
クーポン扱い(旅行業発行)じゃねえじゃん。 旅行会社のマルス券でわりと広い範囲の乗車券類が発券できるようになり、
国鉄仕様とは別のマルス券が登場した頃、
郡山駅旅セだと、駅名や列車名が漢字であったのに対して
交通公社郡山支店だと、すべて片仮名だった。
この当時は例えば
普通乗車券であっても「ある程度マトモな経路」のものはマルス券、
「かなりマニアック」なものはクーポン券で発券していたな。
神田から神田ゆき(中央、総武、東北経由)で有効7日の
普通乗車券をもっているよ。 ↑
同じ時期に
鏡石から鏡石ゆき(東北本線、水戸線、水郡線経由)
を申し込んだら、マルス券がでてきた。 というか、自動券売機が備わっていた駅なら
どこでもあるある話ですな 国鉄特企の面影を残してきた赤券も
とうとう終焉だね。
同じく補片や補往も風前の灯
JR全線(跨ぎ)が可能な「補」や「記補」の残存駅は
すでに東・西・四で各1〜2駅だけ。
九は健在の簡託駅では他者関連NG、
可能だとしたらPOS駅秘蔵の残券のみ
(公式には返納だが可能性はあるはず)。 小田急も都営も改札口からパンチが消えたな。
昭和も遠くなりにけり 都営はかなり前からだよ。
回収しなかったから、ある駅にはあるし無い駅には無いって感じ 458だが
5枚時代最後(平7)の酉版の赤券画像を
探してたが、春季だがようやく見つけた
http://livedoor.blogimg.jp/yurikamome77/imgs/1/3/13d22ba5.jpg
俺のいうところの萌え文字のままだったんだな。
でも>>458ともまた書体が異ってるね。 よくみれば>>458の[四]の券だけ平7で
書体が同じだったね。うっかりした
酉と四は印刷屋が同じだったね
今回終売の赤券も同じだし。 >>461
末期の九のもので、ご利用期間が補充式のものがある。
ゴム印押しが基本なんだが、空白のまま発行したケースが多数W 「常備券で6社共通の特企」は今回の赤券終売をもって完全終焉、で合ってますか?
「国鉄時代から続く」+「(常備券ではない)6社共通の特企」
も、すでにフルムーンしかありませんよね?
以上もしまちがってたら訂正願います △ すでにフルムーンしか
○ 18以外ではすでにフルムーンしか
訂正 青春のびのび18きっぷ
青券1枚
赤券4枚
トータルで6日間有効。 >>466
> 青春のびのび18きっぷ
×青春のびのび18きっぷ
◎青春18のびのびきっぷ 464です
乗車券類ではありませんので書きませんでしたが、
「印刷物で」「国鉄時代から続く(意匠も同じ」「JR各社共通の」ものが
1つだけ健在です。
カレンダーです。 一昨年京王のパスポートカードに入会したら、入会特典その他で42000pたまったので
それで全部駅弁を喰った。(一部うまいもん含む)
京王さんありがとう。 ↑
見るときは、
どっとうpろだ.org [dotup.org] ファイルをダウンロード
どっとうpろだ.orgより、www.dotup.org1133716.jpgのダウンロードを行います。
続けるにはダウンロードをクリックしてファイルをダウンロードしてください。
という表示の下の「ダウンロード」をクリックしてね。 まあレアかどうかは知らんが、行川アイランドが営業していた頃の券
http://i.imgur.com/gaoMLND.jpg >>475
当時の国鉄運賃の狂乱値上げぶりを示す「生き証人」といえるだろうよ。
>>474
地紋はJRでした(現物は薄く見えるんだけどね) 硬券の0001狙いのマニアは頻繁な値上げを喜んでいたようだが 賃改の日の朝、駅に行くと券箱に0001がずらーーーっと並んでいて思わず
「それ全部く・・・」と言いかけたことがる。www 平成3年の糸崎駅にて
オレ「硬券たくさんありますね」
窓口氏「たくさんありまっせ。三原から東京までの新幹線特急券なんてどうですか?」
オレ「いやいや・・・0001で一番安いのはいくらぐらいですか?」
窓口氏「えーと、そうやなあ、三原から相生までの新幹線自由席券かなぁ・・・」
オレ「えー高いでしょー」
窓口氏「高いねえ・・・安いほうからどんどん売れちゃうからねー」
オレ「じゃあ・・・安い切符でなんかオススメあります?」
窓口氏「そやねー、これなんてどう?三原までの常備往復券。コレ結構人気あってねー」
オレ「じゃあそれ1枚」
まるでコントだな。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1135600.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 >>480
同じような問答して、上毛高原の開業初日に1180円矢印式(発駅が□囲みでなく( )の暫定券)0001買ったなあ。
高円寺の最後の硬券上げておく。
阿波踊りの最終日で、通路に机出して120円、140円、150円の大人用、子供用の6種だけ売っていた。
この頃、券売機のある駅でも120円だけは非常用として奥に保管してあったがこれはみな大人小児用(小児断片の
あるやつ)で大人用は少ない。
イベント多客臨時出札では間違いを避けるために大人用、小児用を別に用意していたそうな。
南浦和(競輪)、立川(競輪)、府中本町(競馬)、船橋法典(競馬)、水道橋(野球)など。
[東]ではH3年の初頭、硬券を返納の指示があったという。
http://i.imgur.com/QrTyQfH.jpg @当時も珍しかったであろう、学割の常備券
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137199.jpg.html
A山手線内ルールが51キロ以上時代のもの
急行利用が多かったんでしょう。
ちなみに、運賃は440円で、急行料金は200円の頃です。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137204.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 ここで懐かし話
私が就職した年の夏、初めて弘前まで出張を命ぜられた。
朝8時作業開始なので青森で前泊することにし、上野から急行十和田1号の指定に乗ったが
初めての長距離汽車旅に嬉しくて駅に停車のたびホームに降りてベルが鳴り終えるまで歩き回っていた。
当時は急行にも当たり前のように食堂車がついていて昼食、夕食、それに3時のお茶と3回も通ってしまい
お姉さんと友達になってしまった。
三沢を過ぎたあたり車掌さんが回って来て「北海道に渡られますか?乗船名簿をお配りしますから
今のうちに記入しておき桟橋で係員に渡してください」と1人ひとり説明して回った。
私は一瞬「はい渡ります」と手を出して受け取ったが車掌さんがニヤリとしたので、もしかして
昨夜の検札で私が弘前に行くので連絡船には乗らないことを覚えているのかとヒヤリとした。
浅虫に停車し、ホームを散歩していると車掌さんがどこかに電話をかけている姿が見え
「201列車133名乗船です」という声が聞こえたのでまたドッキリ。
乗船名簿に列車名のスタンプが押してあるのできっと急行から降りた客は優先的に乗船できるんでしょうね。
もし132名しか乗船しなかったら放送で呼び出されて乗船名簿を没収されるんではないか、という恐怖感に
かられ乗船名簿を会社の書類の間に隠した。
今考えると、そんなことありえないわけで・・・(笑)
http://i.imgur.com/Fore81x.jpg >>481
多客というか、受験生向けの渋谷→駒沢大学→渋谷の往復B型硬券がありましたな。 昭和50年といえば小学生で、
指定券類を入手するには、
父親(他知り合いの人)の出張帰りのものを貰うか
改札口で優しそうな駅員に頼み込むか
だった頃、友達と松本まで遊びにいって貰った切符。
よく考えてみると、長野県の駅なのに珍しいこともあるもんだ。
@下り「あずさ2号」。新宿→松本でないのが残念ですが。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137364.jpg.html
A「赤倉」。1号車1番A席でないのが残念ですが。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1137365.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。 >>483
途中まで読んで”乗船名簿に住所と名前を記入したものを食堂車のお姉さんに渡して連絡待つ”って話かと思ったw
画像を拝見したけど乙片の「氏名」が「名氏」と誤植になってるね。結構レアな品かも。 >>485
そういえばこれも大変な苦労をして手に入れた券。
この頃、10回のうち8回は使用済みはもらえなかったので、
わざわざ顔見知り駅員のいる駅まで行って無効印なしでもらってきた。
(特に南局、西局は厳格で断られる確率が高かった)
http://i.imgur.com/dpCpvWT.jpg
この3か月後に乗ったときにはは30円と40円は金額式になっていたから
あぶないところだった。 いいなあ。
オレが「本格的に」鉄ヲタ業を開店したのは、
種村直樹さんが「本格的に」ライター業を開店したのと同じだったから
「東京競馬場前」の切符は持っていない。
幼いころ、たまに国分寺の離れたホームに茶色の電車が1両停まっているのを
見たくらい。
D型硬券2種
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1141192.jpg.html
↑見るときは中央あたりの「ダウンロード」をクリックしてね。
上)当時の「あずさ2号」が下りも上りも「8時ちょうど」だったことに実は今気づいた。
下)臨時列車の常備券があるとは・・・と驚いた1枚。
当時はマルス非設置駅では少しでも速く指定券を発行しようとしていたのだろう。
いずれも立川駅にて頂きました。 >>487
昭和40年代は無効印を押した上でもらえた気がする。
50年代に好意でくれた切符を悪用する奴がいて、それ以降切符は全て
回収するよう通達が出たと聞いた。 1983〜1989くらいは厳しかった
新幹線なんか問答無用で全く無理だった
当時小学生の子供だったけど全くムリ
優しい車掌さんが車補を改札で言えば貰えるって言ってくれたのに
やっぱり改札で駄目だったことも記憶にある(急行丹波の大阪駅)。
収集の先人方の券画像で、
新幹線特急券が無効印で貰えてるのをみて
疑問に思ってたが、そういうことだったのな。 300系登場時はまだ厳しかった記憶があるから
新幹線が緩和されたのは、もっとあとだったかも >>489
その時代でも地域によって簡単にもらえたり、殆ど断られる地域があった。
結構収集に理解を示してもらえたのが、北海道、仙台、水戸、金沢、静岡、門司など。
無効印を押さずに、もし押しても裏面にと好意的だった。
逆にほとんど断られた記憶のあるのが、盛岡、秋田、東京南、大阪、岡山という印象が強い。
それ以外の地域は係員によってかなあ。深夜・早朝など同僚の目のないときにこっそりもらえる確率
が高かった。組合の強い駅は特に人目を気にしていたような。 昭和時代の国鉄の切符
赤地紋:当日限り有効な近距離乗車券,自由席急行・特急券
青地紋:二日間以上有効な中遠距離乗車券
緑地紋:グリーン券,特急・急行の座席指定券
無地紋:入場券
他に濃い黄土色の地紋が有ったような・・・・ >>493
緑地紋は各種グリーン券も該当する。
車内改札の車掌が、区間変更のとき、発駅計算か、打ち切り計算か一発で
わかるようにということだろう。ただ、何事にも例外はつきもの。
「愛国から幸福ゆき」、「大正から幸福ゆき」の乗車券は、
騒がれる前から青地紋のA型硬券だったのは間違いない。
釧路局は短距離でも青地紋だったのかなとも思うが、
正直わからない。 ↑
訂正
青地紋のA型硬券×
青地紋のB型硬券○(様式だけみると、箱根登山鉄道のものに酷似している) @JR初日の切符
ほとんど見えないが、かろうじて、「62/4/1」と「0000」だけは読める。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1143576.jpg.html
AJR初日の切符
当時の(北)郡山駅はすでに硬券はなく、0時過ぎの深夜は窓口は1つだけで
ナンバー1は入手できず、00008Aとなった。
http://www.dotup.org/uploda/www.dotup.org1143580.jpg.html
それぞれ中央の「ダウンロード」をクリックしてください。 幸福駅ブーム以前の
隣駅からのガチ委託乗車券って
千切軟券では?
日高三股さんとこのサイトの
その特集ページで
現券画像もいくつも載ってたけど
閉鎖されてて見れなくなってる。
(アーカイブ辿ってみたけど駄目だった) 昭和47年頃の、
「大正から幸福ゆき 40円」の青地紋B型硬券を持っているはずで、
今探し中です。
ところで、その後、「愛国から幸福ゆき」の乗車券を新宿や池袋の路上で
500円程度で売る業者が出だしたわけだが、
ちょうどこの頃(昭和49年10月1日)に、運賃改定があり、
(旧運賃60円、新運賃70円)日付が昭和49年10月1日以降なのに
60円の券が、「運賃変更」のスタンプが押されることもなく出回り、
「偽造券ではないか」と新聞で騒がれたことがあった。 >>497
失礼だけど@は試刷りじゃないの?OMRONの券売機だね。 >>505
若造だなー。
当時の券売機知らんのか? ↑
釣りでないなら語り視点の解らない老害はアンタ
昔の券売機は1付けられず「10000」表示ににならないくらい知っとるが?
てか504は0000が本当は10000であるという意味を知らなさそうだから俺はそれを教示したわけであって
今は券売機が1を表示できるかどうかの話ではないだろ。
混同してる段階で老害乙としか言えんわw >>507
券売機は
一番最初が0000で、
10000枚目が9999、10001枚目がまた0000になる。
昭和62年4月1日に郡山の駅員から教示を受けたが
それが間違っているというわけだな? 間違ってるよ
乗車券類の附番は0001から10000まで。
硬券では、わざわざ1の数字判を手捺ししていた。
(昔の)券売機ではそうはいかないから
10000番は仕方なく「0000」のままになる。
最寄駅(某私鉄)、昭和末期くらいに登場した感熱券売機では
きちんと10000番が印刷されてたよ。今でも持ってる。
現行のJRの券売機は無理だろうね。
平成1桁くらいから束が発券時刻を併記し始めて
今は各社それがデフォになってしまったし。 >>509
おまえが若造だよ。もしくは無知の老害か。 人を若造呼ばわりしてる若造は
リアルで知らんなら知らんで
近藤喜代太郎氏や築島裕氏の著書くらい読めば?
全部書いてあるから >>493
例外中の例外だか、根室駅(たぶん道内の他の駅にも)に、小児初乗り金額式と小児入場券が兼用の赤券がありましたね。 >>513
あれは乗車券の色にあわせているだけだよ。
途中下車できない乗車券が青色の時代は併用券も青。
途中下車できない乗車券が赤色の時代は併用券も赤。 >>510が正解
券売機の印面改造のあとは、ナンバリングを手動で操作して9990くらいにする。
券売機メーカサービスマンが試刷りし印字状態を確認し、改造終了の報告として0000を駅長(出札助役)に渡す。
旅客への販売は必ず0001から。
従って賃改初日や制度改正初日の1番に購入するとどの金額ボタンを押しても必ず0001が出てくる。
0000は上記試刷り券の流出の可能性が考えられる。
(もしくは当日販売10000枚目だが、1日に1台の券売機で最盛期の新宿東口でも最大7000枚程度だった
ので郡山で0000は考えられない)
当時のキレート式券売機はまだ発券時刻が印字されないので、何時ころ発券されたか特定はできない。
ナンバリングの操作は機械内部をさわることになるのでメーカサービスマンが行い駅員はしない。 同意
事実をねじまげて持論が正しいと主張するニワカが増えたからな
見ていてムカ腹が立つ。歴史を学んでから出直せ >>504
これまで開業初日のアサイチに買った券はみな0001で0000なんて出てこなかったよ。
あと自動精算機の精算券も同じだった。 実際に昭和62年4月1日の零時過ぎに買ったからアップしたわけで・・・
それがどうして「試し刷り」にされるのかよくわからんが。
3月31日の23時30頃には、新しい切符を求める人が窓口に数人
待機していたが、当時の郡山はすでに硬券がなく、ナンバーワンは
1人にしか渡らないとのこと。
それでは、券売機で、ナンバーワンが出せないかという話になり、
新型(今と同じ型)は不可能だが、旧型ならば改番ができるとのことで、
旧型の何台かを零時をすぎて、稼動してくれるとの事。
それで、そのうちの1台に待機していて、零時を過ぎて購入したわけだ。
0000がでてきたので、0001でない理由を聞くと、
最初の券は0000になる仕様である説明を受けた。
実は0001も買ったけど、オレの次に並んでいる人に譲ったから
持っていない。
当時の、なにかの本(恐らく、RJか、種村氏の本か、早稲田鉄研か、慶応鉄研の本)
で、券売機だと最初の券が0000になるとの話を読んだ記憶がある。 これだけいろいろ論客がいるのに、
>>472ではなにもいわれなかったのな。
昭和63年11月発行の「国鉄券」だからな。
こんなもの理論上ありえない。だけど実際には売っていた。
これなんて、さしずめ、国鉄時代に日付未記入券を入手し、
後からオレが日付を入れた・・・なんていいだすのかな。 >>519を多少訂正。
窓口で手に入るナンバー1は、印発機発行のものと、補充片道乗車券のみだったから
先着2人までだね。 券売機はよくわからないけど、JR初日券はこの2枚しか持っていない。
両方とも券番は0001で地紋は当然ながらJNR。
北府中のほうは発区分の[東]が入ってるけど、西富士宮は[海]が入ってない。
まさに国鉄のままで、券番のみ0001にリセットして売ったっていう感じ。
北府中のほうは、前日まで「中野、東海経由 函南 三島行き」だったから
分割後の様式(他社関連は着駅を単駅表示、経由は幹在をはっきりわける)になっている。
http://i.imgur.com/k4YBY3e.jpg
西富士宮は昼前に買ったけど0001だった。 (続き)
では、JR東日本は初日から全部[東]入りかというと、そうでもない。
5月発券でも[東]が入っておらず、6月に買ったら入っていた。
当然まだ地紋はJNR。券番は上が0136、下が0079。新券になった時点で
0001にリセットして発売した模様。
http://i.imgur.com/GHwBm8B.jpg (続き)
JR新地紋についてはs62-10-20に報道発表された。
s62-11-1から主要36駅で新地紋の切符を発売すると書いてある。
ただ一部の窓口、一部の券売機から切り替えし、全面切換えは1年程度かかると
書いてある。
上の券(蟹田190円)は新地紋の0001で、発表から8か月かかったことになる。
下の券(横浜−早川)は上記主要36駅ながらまだJNR地紋のままである。
http://i.imgur.com/XIUXBN5.jpg
いずれにしても自社完結の切符は、切換えがゆるやかだったから>>472の券が
国鉄のままでも不思議はないね。
>>522の西富士宮は着駅が自社だから発区分なしでもよかったのかもしれない。 その昔、四国某駅(入場券が有名)で、中の人間が0001を抜いていて騒ぎになったことがあるな。 そんな話はどこにでもあるよ。
JR-私鉄連絡の初乗り割引運賃が設定された初日、数少なくなった硬券発売駅で窓が開く前から
並んで1番に買ったら0002だった。
なぜ0001じゃないの?って聞いたら、0001は乗車券受領の証拠として本社に提出云々でお客さんには売らないと。
当時はSNSや2ちゃんなんてなかったんでそのままおとなしく引っ込んだが。
同じ会社の別の駅に飛んで行ったら0001があった。うそつき。
なんか>>508と逆の話なんで笑ってしまった。鉄道の内部処理って何が本当かわからない。 >>493
もうひとつ
つttp://marutetsu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2011/12/30/photo.jpg 「白鳥」初日の能生までの特急券も実際に発行されたらしいからな。
そんなものが今残っていたら、ヤフオクでいくらつくだろう?
真贋判定も必要になってきそうだが。 >>529
てことは、時刻表にも時刻が載ったのかな。
乗車券センターも停車と認識していた・・・
MARSにも能生停車のデータが入っていた・・・
ところが乗務員時刻表は運転停車(客扱いなし)になっていた・・・ >>530
市販時刻表は通過扱い。MARSなんてものは当時は存在しない。
当時の発券はセンターのようなところへ電話で空席を問い合わせ、あれば発行。
席の管理は主要駅刻み(例えば、上野・高崎・長野・直江津・富山・金沢・福井・大阪)
だったので、上野〜能生までの特急券だと上野〜富山の空席照会をすることになり、
いちいち「能生まで」と言う必要もなかった。
特急料金の計算は当然手計算。だから発行されたとしても不思議ではない。
少なくとも能生駅の駅員は、「その時」まで能生停車と信じていたわけで、
例えば能生駅発行の上野→能生の特急券ならばありえる話。 ついでにいえば、その頃は「運転停車」の概念自体ほとんどない時代。
客車列車全盛期で、行き違い停車だろうがなんだろうが停車は停車。
停車すれば客扱いがあたりまえという感覚。 話しぶった切ってゴメソ
伯備線やくもの、訂正切符持ってる。
祖母に頼んで、米子管区の人が硬券で発券してくれたのだが、
列車名と発時刻が間違ってることを発見。
乗車する3日くらい前に気がついて、
訂正を求めたところ、二重線と訂正印で
上書き直してくれた。 >>534
はっきり言って日付ゾロ目とか0001に値打ちはない。 人それぞれ。
現行1万円札のゾロ目を3万で買う椰子もいれば、それを見て馬鹿にする椰子もいる。
売れるから商売が成り立つ。 だがしかしこんなことも実際には起きる。
為替局番号「11111」の飯田風越郵便局というのがあり、
平成11年11月11日に、局メグマニアが大集結。
同局の為替貯金窓口は1つしかなく、午後4時の時点でまだ行列は
収まらず、午後7時頃まで対応するも、まだ終わらない。
結局通帳預かりの上で後日郵送になった人もいたとか。 >>519
最初が0000になるのはシステム上のことであって、あんたがそれを正規発売券として手にしたこと自体がイレギュラーなんだよ。
そのイレギュラーなことと、皆が言ってる「本来の旅客が手にできる正規の1枚目は常に0001番が1枚目であること」
の話はまったく別。
あんたにはそこをきちんと理解してほしい。 まあ券売機なんて操作コンソールからadministratorで入れば何番からでも発券できるからな。
物理的には0001を1000枚でも発券できるけど、運用としてそれが禁じ手かどうかというのも全く別の話。 硬券で10000番を見たことがある。1の字がちょっと傾いていたがw 子供の時は硬券よりも
緑で横に穴のあいてるドットインパクト印字された何の面白みもない切符こそが
遠出するときの指定券発行としてわくわくさせてくれたんだよな
マルスもピンを差してパタパタさせて操作してるのが子供心にすごいなあと憧れてた
そして自動券売機は丸いボタン仕様でさ、数字が固定されていてデジタル表示でさえもない
しかも子供用はデカいふたのようなプラ板に隠されてて
あの単純な機構のやつが好きだったわ >>543
たまに遠くへ連れられたときになんかお金を入れるたびに
プラ板の裏でどんどん増えていくボタンから漏れてくる光と
光る数字の位置が変わるニキシー管の金額表示にわくわくしたw 話は変わるけどクレジットカードやネット予約や会員登録限定の切符が増えて
それを利用しないと割引切符が利用できない区間が出来たけど
以前普通の割引切符を利用していた人は会員登録やネットをわざわざ使う事になるのか
それとも通常料金で利用するのか
もしくは移動自体を止めてしまうのか 俺の場合、非クレカ主義の生活なんよ。
クレカ以外なら利用するかもしれんけど
そんなん、ないやろ? なら株主になって優待無料パスをゲットするしかないな www >>551
べつに安く乗りたいわけじゃない
繰り返すが548でいい >>554
自己破産などの金融事故歴があるか、逆に40歳過ぎまで利用歴がなく信用情報が真っ白だと発行されずらい。 クレカ嫌いだから作らないんだよ。
理屈じゃなく、きらい。 クレカは作っても使わないまま何年たっても全く問題なし。
個人の信用度だけが上がる。
信用ないと車を月賦で買う、家を月賦で買う時、審査に落ちるぞ 適当ビジネスニュース報道プロ級世代新社屋TRUMPTOWER左遷「仏」40代監視カメラ使用コンプライアンス速報駐車場 (入社拒否「お前ら何や」[
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中国建築歌富裕層息子カジノ通い連日連夜オールTRUMPパーティー(反日飛行機雲農薬散布マスク女問題)駅内マスクオンNACNN向け原文ママニュース 電子マネー12種持ってるが、まだキャッシュレス生活できないわ。
お会計〜
はい、現金のみです。
こんな店多すぎる。 バブル期でも湯田温泉駅は硬券しかなくて
新幹線用のドット印刷もできなかった。
湯田温泉駅から九州のローカル駅まで新幹線利用で帰るときは
紙になんか書いてるものを乗車券としてつかってたかな… >>564
スーパーヒタチ24号
アルプス12号
みたいなやつだろ? 国鉄ニセコ山の家は、宿泊券が硬券だった。
ただし、発行即回収だったので、手元には残らなかった。 >>563
だって私鉄の駅だから、乗車券や指定券を発行する機械自体ないから。 昨日、綾瀬の窓口が廃止になって、(社)で窓口業務は分倍河原だけになったな(乗り換え口の窓口は除く)
以前は関東だけでも、川越・東飯能・寄居・厚木・上総中野とあったのに そういえば上毛電鉄の西桐生駅で記念一日券の子供券を買うときおばちゃんが笑顔で売ってくれて、しかも手作りの袋の中に記念一日券以外に使用済みの硬券が一枚入ってておまけだと思うけど、とても嬉しかった。
長文失礼。 >>574
俺は西桐生でネクタイピンを三本買ったら、使用済みの硬券を三枚貰った。 こういう話はいまや切符業者の即売会でないとできなくなってきたよね。 現場で売らなくなった今、当時の思い出や僅かな情報を語れる数少ない場所だからね。 いまはどうかわからないが、即売会って、転売屋が常連みたいになっていて、近寄りがたい雰囲気があった。
客のはずなのに店の一味みたいに振る舞って仕切る奴とか、いまも居るのだろうか。 即売会はかつてはガラの悪い奴や転売屋がはびこって殺伐としていたが、いまは
そういう奴らは浄化されて、昔話を語るにはいい雰囲気。
昔は交通趣味なんて雑誌もあって、読者投稿で議論もできたが、すでに消滅してしまった。 「終活」で整理していたら菓子折り箱に何杯も
硬券乗車券が出て来た。
皆さんはオークションで一枚づつ売るの?
それとも専門買い取り店に持ち込んで、
ひと箱幾らで売るの?
元は只だから欲は出したくないけど、
廃棄するのは歴史的な価値を考えると迷う。
ちなみに乗車券は初乗りが5円や10円時代の物から、
特別2等車乗車券、特急券、急行寝台券(それぞれ手書き記入)、
『異(級)』とゴム印が押された黄緑色地紋の東京都内〜札幌の乗車券、
など色々
出来れば1枚100円位になるかなと期待はしている。 まとめて古銭屋だと二束三文。
年代別、様式別に大雑把に分け、10枚セットくらいでオクに出すのが吉。
廃止駅などは1枚でも高価に売れるかも。 >>581
手間を惜しんではいけないのですね。
ポケット型の名刺ファイルも出て来たので、
それに分類しながら整理を始めるとしましょう。
アドバイス有難う。 >>580
もし鉄道ショップに売るとなった場合は、グッズ屋や部品屋は、切符は価値がないとだけ説明して安く買い取ることがあるからご注意。
ネット買い取りの店の中には返送料より安く見積もり返送料代も出ないならその額で仕方ないと誤認させるところもあるらしい。
鉄道雑誌に切符専業として広告出しているところが何軒かあるので、そこから選ぶのがお勧め。 昔、洗足に在った泉友社と、今ある線友社は関係あるのでしょうか? >>584
社長さんが変わり社名を変えて引き継いだ なつかしい!!
昔、洗足に行って2000枚くらい売ってきたな。
白髪の社長さんが、1枚1枚丁寧に見てくれた。あの方もうご存命じゃないのか。 即売会の軸足は関西に移してしまったようだが、月一回発行の即売誌による販売はずっと続いているのは地方在住者からしたら有り難い。会費もリスト郵送代もかからず、オークションの相場より安いし、売り切れ時には毎回返金されるから安心して買い物できる。 >>586
引退していることは間違いないけど、今はどうしているのやら。
即売会に何度か行ったことがあったが、いつもタバコを吸ってた印象がある。 >>585
社長さんは引退、社員さんが在庫を買い取って新たに事業を始めることになったから、同じ社名にはしなかったと聞いたよ。 40年位前に地方から旅行のついでに、初めて洗足の店に行ってアルバムを買い、
以来長年愛用していましたが、硬券の激減や多忙もあって、この20年くらいは使用した物だけ手元に残し、
整理をしていません。
あの泉友社jのアルバムは、今でも入手できるのでしょうか? 澤村光一郎「鉄道切符コレクション」はひっこめ本に認定だ
https://chirindote.exblog.jp/9958888/
いやはや、すごい本があったものです。
この手のはパーツカラーなのが常識ですが、本書はオールカラーで明治からのあらゆる硬券・軟券が掲載されています。
さながら実物を収めたアルバムを繰るよう。解説も念入りで、レベルが高いです。
それもそのはず、著者は切符マニアの間では昔から知られた店「オフィス沢村」のご主人でした。
本書はその資料性の高さのゆえに、ひっこめ本―これは私の用語ですが業者が売るのをやめて自分の物にする本のこと―に認定しました。
もちろん、最大級の褒め言葉ですよ。 国鉄時代の車掌さんは、
複雑な経路の長距離の切符でも
ちょっと時間を下さい、って言って列車内で作って呉れた。
今はそんな贅沢は出来ないだろうな、
まさか複写式の車内補充券も無いだろうし。
昔の料金まで記入されていて、
お釣りが無い時は概算額収受と書いて、
1万円を預けて終着駅でお釣りを貰ったけど。
まさか出発地・経由地・終着地だけを書いて、
それで2万円だかを預けて(全線対応料金)
終着駅で計算と精算をするなんて出来ないよね。 地方じゃ車掌もいなけりゃ駅員もいないのが普通な時代に贅沢な悩みだなw
駅の営業時間内に乗り換えがあればそこで精算するしかないが。 今から20年くらい前に乗りつぶしをしていた頃、関空から「はるか+銀河」で帰るときだが、関空から都区内迄の乗車券を車掌に頼んだ。
そうしたら、別に難しくもないと思うが「乗換駅の大津までなら売るが、その先は大津で買ってくれ」と返事を待たずに大津までの乗車券を渡された。
「なんだよ、東京でさえ面倒くさいかよ、まぁそんなもんだろうなぁ」と思ったけどさぁ。 >>592
この本読んでみたいけど、みんな売りに出さないみたいで、出回らないんだよ。 国鉄からJRに変わった頃、キップの裏に広告が書いてあったのがあった(もちろん連続模様)。
磁気対応でウラが黒なのがあたりまえの今ではできないだろうな。 >>599
定期の裏の文字のように印刷したり、
一時期のマルス券の灰色(改札非対応の意味でわざわざ着色)のようなことは可能
現状では長距離券でも広告媒体効果があるか怪しい >>592
平成15年にJTBから出版された
「国鉄乗車券類大事典」の方が
資料としての価値は高いでしょう。
フルカラーでは無いけど。 >>599
3か月間限定で、磁気券の裏面広告入りも出ている。
東京、上野、池袋、新宿、渋谷の一部の券売機のみ発売。
普通の券紙が入っている券売機もあり、コンプリートが大変だった。
(事務室で聞いたが把握していなかった模様)
平成元年 非磁気券
https://i.imgur.com/ijRrxWW.jpg
平成8年 磁気券(高保持力券)
https://i.imgur.com/iMwE8Pf.jpg
*下段の茶色い券は同時期に売られていた小田急の券 京成にも裏広告ありましたな。
磁気券以前にも、半硬券で、裏に朱色で印刷した成田山の図柄。
古くは近鉄や伊豆急の硬券にも。
なんで今はそういうのやらないのだろ? きっぷ利用者が減ったから
IC専用改札の台数を見れば、だいたい想像できる
そもそも、きっぷを手にしても裏返す人は稀 切符の方が一回買ってしまった方が便利だわ
振り替え輸送のときも使えるし >>605
吉祥寺駅の公園口で
京王の駅ビル新築で
元々京王とJRの券売機が
合わせて20台以上あったのに、
今では3〜4台づつしか無いね。 >>607
最近のICチャージも出来るタッチパネル式は高価らしい。
田舎の有人駅だと1台だけになったケースも多い。 1円未満のせこい端数分安くするなら切符の方が安心だわ 昭和40年代まであった硬券の自動券売機の画像探していますが、見つからないです。 ネットにはあまりないけど、本にはいろいろ載ってる。
鉄道ジャーナルに券売機の特集があった。昭和47年ころ。 硬券券売機は、単能式で、所定の金を入れてレバーを下に下げると、切符が出てきたような覚えが。 >>612
10円硬貨しか受け付けない20円区間や入場券などの単能式が並んでいた
記憶がある。 >>612
あれは実物を見たことが無いので質問ですが、半硬券ではなかったの?
硬券だったの? >>615
硬券です。紙質は同じ。
専用で、発行駅名の前に、○自の印刷がありました。
日付は、機械で入れるものと、駅員がダッチングを入れてから収納するものの2通りがありました。
国鉄はB券だけだったと思いますが、私鉄には関東鉄道(竜ケ崎から東京山手線内ゆき)にA券があったりしました。 あ、失礼。国鉄にもA券がありました。
新潟印刷場管内駅の急行券。小出など。
窓口売りは券番が5桁でしたが、券売機売りは券番が4桁でした。 >>616
関東鉄道に硬券券売機があったんですか。 >>616
小児断線がなく、国鉄同様、発行駅名の前に○自の印刷があるものは、確かにある。
同時期に、小児断線のある券も確かにある。
だけどこの○自の硬券、本当に券売機で発売されたかどうかはわからない。
券売機を導入するつもりで発注したが、取りやめになり、窓口で大人専用として売られたかもしれない。 私鉄のA券といえば、東武の浅草駅に、りょうもう号の硬券特急券の券売機があったらしい。
列車名と号数だけでなく、席番も印刷になってるもの。
あと、小田急の特急券にもあったのでは。
日付がダッチングではなく券売機で印字されたようなものがある。 硬券と言えば、高校の学食がそうだった。
保存したかったが、小づかいの少ない身では、未使用で保存なんてできるわけがない。 硬券券売機って、切符が上からストンと落ちてくるの?
それとも、切符がガムみたいに先からにゅっと出て、それを客が引き抜くの? >>624
東京圏の国鉄・大手私鉄地下鉄限定だけど、
レバー式の時代もレバーが無くなってからも、
ストンと落ちて来た様な気がします。
今はスイカのチャージ時レシートみたいに、
薄紙の時は風で飛ぶのでにゅっと出て
客が引っ張る様になったのでは? 交博に硬券の券売機があって中が見られるようになっていて、
硬券が100枚単位で水平状態で縦に積んであり、所定のコインを入れるとメカ機構で
レバーのロックが外れる。
客がレバーを押し下げると硬券1枚分の厚さのクランプが最下部の1枚を押し出しストンと受取り部に落ちてきた。
「万世橋から3等5銭」の地図式硬券(摸擬券)を100円で売るデモに使われていた。
この機械は今でも鐵博に保存されている。
事務所に行って学芸員に申し出れば見せてもらえる。
ただし「単に興味がある」だけでは駄目で研究目的(主旨)を告げる必要があるので事前に申し出事由を練っておくこと。
(これはどの博物館でも同じ) あー、あの万世橋の復刻券は、そうやって売られていたのか。
これは知らなかった。勉強になりました。 硬券ではないが、結構地方私鉄にも券売機あったね。
新潟交通、岳南鉄道など。
国鉄の券売機で一番謎だったのは、甲斐小泉駅の券売機。
なぜあんなところに券売機を入れたのだろう? そういえば、30年ほど前に地方私鉄で
自動券売機から食券のような無地の軟券に印字したのが出てきた・・・
あれは十鉄(三沢、十和田市)だったけ? >>628
小泉
おそらく首都圏の中古だっただろうね、
千円札不可、初乗り30円時代に使われていたタイプだったはず。
JR廃線だと、中標津に券売機が入っていたな。 >>630
中標津なんかに券売機入れても、なんの省力化にならないんだけど、
この辺の機器の運用が国鉄らしいな。 昭和40年代の無人駅の券売機、という例では、北陸鉄道金名線の釜清水にあった。
国鉄だと富山港線の越中中島、芸備線の戸坂。 北陸の鉄道は廃止線でも結構券売機入れてたな。
中橋、井波、津沢のを見たことがある。新港東口あたりにもあったような気がする。 >>629
同じタイプは、上田交通別所線にも。
珍しいところでは熊本電鉄菊池駅かな、のちに部分廃線。 江差線の七重浜や久根別の券売機導入も訳がわからなかったね。 >>629
遠州鉄道が高架になったとき、新設の第一通り駅で買ったら薄手の白無地の紙だった。(ワンマンの整理券くらいの厚さ)
半年したら全く読めないほど見事に印字が消えてしまった。
最近みたのは写真の広島電鉄。
「西」の無人駅は食券様式の切符を売ってるけど、規程上はどうなんだろうね。
日付、券番の位置が立ち食い蕎麦と同じ(笑)
https://i.imgur.com/OYNNHuL.jpg >>637
廃止になった馬込は少し厚みがあった。今も、券面は薄れていない。 >>640
鉄道の切符としてあんなの前代未聞。
今は水玉地紋の普通の厚さの紙になっている。 北陸鉄道も券売機券は地紋無しの色紙だった。
紫だとか黄色だとか。 遠州鉄道の第一通り、なぜか硬券も設備されていた。
異色は遠州小松ゆきで、なぜかひらがなで「こまつ」と表記。 券売機券の方が硬券よりも様式としての期間は短いから、集めて研究するのはいいかもな。
硬券よりもコレクションの相場は安いし。 券売機券は時代によって差がありすぎだからなー
昭和45年当時のが今も判読出来るのがある反面、感熱式が10年経たずに文字消えするからな
個人的に気になるのが、近鉄の磁気コードが入った硬券なんだが、あれって自動改札が喰ったのかが気になる 昔、交通趣味協会で消えた印字を復活させるスプレーを売ってたけどまたどこかで売らないかな。
当時復活させた券は、多少変色はあるものの今でも印字ははっきりと見える。
組成がわかればどこかの化学実験室で作ってもらうんだけど。 キレートインクの顕色剤だね。
特許公報あたりで見られないかな。 最近の画一的なマルス券より、昔の券売機券の方がバラエティーあっていいな。 熱転写も東海と東のMVにごく僅か、あとは感熱になってしまったしな… 入場券から寝台特急権まで、1000枚ほど硬券集めていたんだが、どっかに逝った >>650
引越のときにゴミと一緒に捨てたとか?(周りにもそういう人がいる)。 最近のコレクターは、感熱紙の券売機券も買っていくからすごいと思う。
保存はどうやっているのだろう。 昭和時代の話だが、初めて阪急梅田駅の券売機で切符を買ったとき、
梅田の田が□に十ではなく×だったのに驚いたな。 >>655
梅田ではなく梅凶なのは、沿線に田の付く駅(富田、山田等)を集札時見分ける為にしたものと言われてる 西岩国の切符が、延々西岩國と表記されていたのはなぜだろう。
駅員がマニアだったのだろうか。 >>657
新岩国と見間違い防止かもね。
>>658
ではそれは? 青森時代のきたぐにに全区間乗車しようと思って寝台券求めたら
急行券と寝台券の区間が違う、寝台券は急行券と完全一致じゃないと売れないと
駅員に言われて全区間を座席車で過ごした人いない? カタカナ印字が懐かしい。
カゴシマチユウオウとかシンハコダテホクトとかジヨウエツミヨウコウとかは無かったんだな。 ネットに券画像が載ってた記憶あるが
実乗したリゾートライナーの初詣臨、Mマルスで「リソト伊勢初詣」だった
あれなんであんな短縮したんだろな。
M型ならもう少し文字数入るはず 今だから言う
初めて窓口で切符売った時
日付入れ忘れた事は
誰にも話さなかった >>670
青春18赤券で、そういうのを買ったことがあるな。 >>670
硬券?補充券?
>>672
赤券なら、シーズンが印刷されてあるから悪用はできない。 >>673
硬券だよ
舞い上がって、ダッチングマシン通すのを忘れた
客が切符を持っていった瞬間、ヤバと思った
今思うけど
集札も、客が投げた切符を、瞬時に判断する
あの技は大したもんだよ
●●駅から、●●円とか書かれた切符が、引っ切り無しに投げられ
定期も見てって
そんな中、キセル野郎を捕まえたり
ある意味、職人技 >>673
レアだが、九に有効期間ゴム印押しのバージョンがあった。
5枚セットの頃の話だが。 地方私鉄なら多客対応策として日付入れずに鋏だけで対応したとこもあったな >>674
>集札も、客が投げた切符を、瞬時に判断する
かなり前に大阪駅の元改札掛がテレビに出ていたけど、
朝のラッシュ時に全員の切符や定期をチェックするのは不可能で、長年の勘
(中間無札や他人の定期を使い始めた時のおどおどした感じや改札を早く通り
抜けたいと思い、おかしな動きをみせる。)に頼るしかないらしい。 「頼るしかない」というより、むしろそっちの熟練技のほうが自動改札よりすごいと思う。 >>680
そうですね、長年の経験で研ぎ澄まされたもの、ターミナル駅の入鋏とともに職人技と思う。 未だ(今年7月時点)に昭和60年より前に印刷された補充券使いJR券発行する富山地鉄立山駅
https://twitter.com/1975tabikuma/status/1282220973727510528?s=19
連絡範囲
立山から(富山接続)[東]東京(都区内)
[海]東京、名古屋(市内)、京都、新大阪、高山、飛騨古川
[西]京都(市内)、大阪(市内)、神戸(市内)、 武生、福井、加賀温泉、小松、金沢、新高岡、糸魚川、猪谷
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) アニメ 京女が埼玉大学や千葉大学に入らないのはどう考えてもJRが悪い!にありがちなこと
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/asaloon/1618845411/
1: 元歌 オラはにんきもの (アニメ クレヨンしんちゃん より) [] 2021/04/20(火) 00:16:51
オープニングがこれ
【はんなり】京都少女よ、サイチ(埼玉大学 千葉大学)へ来たれ【才知】
http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/student/1523876403/ 主題歌
「そうさ そうさ 君は人気者!」
ソニックソニックソニックシティは埼大近く
薬学やるなら千葉大もあるぞ 京の少女
とにかくとにかくとにかく学費が格安だ
親御さんたちも喜ぶぞ 「サイチへ来たれー!」
東京案内 任せておくれよ 春日部の街も サイチの間
Come on lady! Kyoto lady! 納豆食べれない?
はんなり喋りで みんなにモテるよ
そうさ そうさ 君は人気者 「サイチへ来たれー!」
ソニックソニックソニックシティは埼大近く
薬学やるなら千葉大もあるぞ 将来俺の嫁
2: [] 2021/04/20(火) 00:20:52
東京都区内⇔大阪市内、神戸市内
南与野、千葉⇔京都市内
これらの往復乗車券は往復割引の対象外(片道営業キロが600にわずかに届かない)から損なんだゾ! >>683
物持ちが良いと見るのか、捌きが遅いつまり売れ行きが少ないと見るのか‥ 硬券の自線内用補片は島原鉄道にもあったような。ただチト紙質が薄い、そしてオイラの向かいに座ってる赤帽は髪質が薄い。 都区内発都区内行きって乗車券、今は作れるの?
>>689の例だと、都区内発金町or松戸行きになりそうな気がするんだが 京都市内発京都市内行きは作れたからいけるんじゃないかな >>689
学割の(学)ゴム印が、徳島本線(当時)の学駅の途中下車印に見えて
一瞬(?)となって経由欄を見てしまった 学、学門、学文路など、受験に縁起が良いとされる駅が和歌山徳島に偏在してる 比叡山かどっか近畿圏のロープウェイかケーブルカーで
たしか2000年代?くらいまで、
なかなか出番が無いような券種だったとはいえ
戦前か戦後に印刷された
ものすごく古い券が生き残っていた、
みたいな記事を、きっぷ系ブログで
昔読んだ記憶があるんですが、
記事が生きてればそのページを、
もう無いなら、当該券の詳細を知ってる人
詳細を教えてください。 名鉄で清水から清水への切符は普通に買えて
テレビ番組で実乗する企画をやっていた
兵藤ゆきが旅人だった
のどかな時代… 国鉄線 130円区間
とかいう券売機の切符
もう何が書いてあるかわからん
文字が消えた
マルスのあさかぜ2号はバリバリわかるんだが マルス券は熱転写もしくはドットインパクトだから
消えることはないよ 非常用途もある出補改補はともかく、
元号レスになってまで現役中の補片補往よりも先に
MARS券(熱転写)が鬼籍入りするとはね。
事情あるとはいえIC公衆電話が先に消えたのと似た感慨。 使えば、限定だろ?
快諾してくれたならそれでよいが、強要はできない。 そして昨今は、快諾の結果をSNSに載せても、
莫迦が真似して強要したりするから、安易に載せられない。
ジョーシキ警察もご登場する厄介な時代だし
俺も1枚載せてるけど、本文でその件には触れてないw
カーボン紙を使ったかどうかなんて見れば判るからね 都区内(束)の窓端では最終組だった
田町駅M3の想い出を書こうとして
事前にネットで参照してたら
ほぼ今出川しか話題にしてなくて
胸糞悪いw 本当なのかネタなのか今季の18で偽造券が出たってね
現行券紙って導入から相当経つから
さすがに放置し過ぎたんじゃないの?
あるいは「券紙だけ本物」とかのパターン?
もっと穿った観方をすれば、偽造した側の真の目的は
チケットレス推進のための暗躍工作かもな
(→こう書けばプゲラレスまでがワンセットだから先に言っとくが
似た例で、後から事実だと判明したこと
割と実際にあったりするからね)
気づいて発信した奴がグルかどうかまでは
さすがに真相不明だが