乗車券類の思い出
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>>332
よく「一通り全部」揃えられましたね、敬服します
当時高校生でしたが、車掌さんがなかなか売ってくれずに苦労しました 特改車掌は車補を切るつもりで回ってくるので簡単に売ってくれたが、
電車区間の運転車掌はほとんどが「Σ(゚Д゚;エーッ」という顔をした。
山手線の車掌を交代駅でつかまえて頼んだら、生まれて初めて売ったという人がいた。
券番が冊0002-01だったのはご愛嬌。 ・符号Q 品川車掌区(山手線用)S63-4-14発行
記載されていない電車特定区間
五日市線、武蔵野線の西国分寺〜船橋法典間、京葉線、八高線、川越線
鶴見線、南武線浜川崎支線、尾久〜赤羽の線が書いてない、
記載されている最遠端
大宮、奥多摩、甲府、御殿場、静岡、伊豆急下田、久里浜、(内房)千倉、(外房)安房鴨川
鹿島神宮、銚子、水戸、 ・符号 F池袋車掌区(山手線内回り担当)H1-1-21発行
記載されていない電車特定区間
青梅線、五日市線、南武線、横浜線、相模線、鶴見線、京葉線
記載されている最遠端
水上、小川町、相模湖、府中本町(武蔵野線は全駅記載)大阪市内
千葉、水戸(水戸線は全駅記載)、新白河、日光
こんな情報は必要?あと24種類あるけど・・・
あ、>>339の品川車掌区は山手線外回り担当。同じ山手線担当でもこれだけ記載範囲が違うのに改めて驚いた。
品川車掌区は横須賀線にも乗るので、房総方面を意識してたのかもしれない
内回りだと東北・上越方面への乗り越しが多いのかな。 品川や蒲田、東神奈川とかはSF直通開始前はBでしたっけ、房総がほとんどのってないものでした
千葉局のほうはSF直通開始後はW-1、W-2というのに変わりました
>>337
に書いたように、特改さんに余り会えなかったので乗務員室をノックして売ってくれとお願い
高校生なので平日昼間に乗れなかったのが痛い 東海道新幹線の東京〜新横浜をからめた東京近郊循環乗車券をつくってもらって
そこから「飛び出し乗車」という形で各地の補充券集めをした記憶がある。
相模線の車掌に寒川〜西寒川のものを求めたら「本当に乗るの?列車はしばらくないよ」
なんていわれたな。 千葉支社4兄弟。左から
符号W-1 千葉車掌区 内房、外房、久留里線で発売
符号W-2 津田沼車掌区 主に総武快速線
符号W-3 成田車掌区 成田、鹿島
符号W-4 京葉運輸区 京葉
どれも千葉支社管内各線は全駅掲載で、なぜ4種類も作ったのか意図不明。
ただ車掌曰く中央より上半分が鋏を入れやすいそうで、よく売れる駅は
上に来るよう図柄を作ると聞いた。
なおW-2は車掌のほか、錦糸町、両国、千葉、佐倉、銚子、茂原、勝浦、館山
などの駅売り(改札補充、臨時特改用)にもあった。
http://i.gazo-ch.net/205/C6FAoR3IVwoudqeO1XIoOG.jpg >>341
品川とか東京のS-F用はBではなくK。
駅売りが多数存在し、S63の8月に新宿駅や東京駅の乗り換え通路に多数屋台(?)出して
臨時販売してたんで買ってみたら、飯田橋駅とか有楽町駅発行のKだったんで驚いたことがある。
千葉局のW−1はKと殆ど同じ図柄で共に右上の空きスペースは3セク化された木原線を消した跡。
昔の旅客営業規則の「乗車券類の様式」に例示してあった車片。
白浜,洲崎,神戸,野島,館山・・・・などとあり
一見どこだかわからなかったのがある。 地図式B型硬券乗車券の着駅に万博中央が入っているのを代々木で売っていると聞いて、早朝わざわざ代々木に立ち寄って科学万博に行った思い出があります。
無効印を押してもらい、保管。 >>348
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旅先で知り合った同好の志からのクチコミ >>348
自分で計算すればわかる。地図式は最遠端着駅表示だから。
俺も拝島と武蔵中原で0001を買った。 >>351
なるほどそうか
地図式が売られてた時代はあたりまえの認識だったかもしれんが
地図式に縁のない関西に住んでるからわからんかったのだよ 昔は小山、木更津、大月などに2300円区間(〜160キロ)なんていう高額の地図式があって
山手線の外郭路線が全部細線で書かれてて、まるでクモの巣みたいな図柄だったな。
100キロまでは券売機になっても長い間硬券で残っていた。 >>356
JR化後も、極一部で残った。主にJR東日本(首都圏)。
最後まで残った駅に亘理駅などが含まれている、着駅に関しては南東北が含まれている。
比較的多かったのは房総半島の小駅だろうなぁ。
久留里駅の千葉対応券なんか、2駅しか対象駅がないのに地図券だったし。
>>357
平成4年発行の船橋法典の券もあったよ。オクで売ってしまいもう手元にない。
恐らくあれが最終期だろう。
千葉支社はなぜか矢印式や相互式が嫌いだったような。
逆に柏や我孫子など同じ金額の相互式が10種以上あった。地図式にすれば1種で済むのにと思った。 >>358
その頃の船橋法典ってお馬さんの臨時出札ですか? そうです。武蔵野線は臨時口以外硬券はなかったはず。(北府中を除く) 知ってたら買ってた・・残念
別に地図式に思い入れがあるわけじゃないけど
関西なんで買う機会がなかったので1枚も所有してません
臨時改札は大阪からはるばる改札鋏目的で訪問したことあるんですよ
平成4年に・・交趣も取ってたんですけどね
知りませんでした >>361
それは残念、あそこは場内開催でないと開いていなかったし関東在住でも買いにくい場所の1つ。
探したら地方交通線運賃導入後初日(9/1から実施だけど、競馬は9/10が初日)の写真が見つかったのでうp
します。358はその最後の頃の話で、半年後に行ったら金額式の硬券になっていました。
写真は幹線の券で、おなじキロ程金額違いの地方交通線着駅の券も存在します。
http://o.gazo-ch.net/205/1dChmepR6GFDhHOic1ZvwBo.jpg
券番は0001のはず
>>355
大月の地図式は、富士急行発行(大月連絡)の券で
相当後まで残ってたな。
左上に ○○から と、富士急の駅名が入る。
>>347
万博中央は期間限定の駅だったが、営業キロが設定されたんだった。
臨時駅扱いで外方直近適用にしなかったのは何か理由があったのだろうか?
ついでに、手元に当時の時刻表がないから確認できないが、ひたち野うしく駅
が開業したとき、営業キロが0.1キロ日暮里寄りに変わっていたとかいう話が
あったように記憶している。
待避設備を設けた関係で、微妙に駅中心の位置が移動したのかな? >>362さん
ありがとう
当時買えていたらそういう券を所有できていたわけですね
わざわざ探してくれてありがとうございました >>364
万博中央は半年だけど、集中的に多客だから。
他の臨時駅とは乗降人数がケタ違いに違う。外方にするとトラブル多発じゃないかな。
切符買う人にいちいち説明しなきゃいけないし、差額で多大な利益が出る。世論を気にした
のかもしれないね。
ひたち野うしくは、過去の経緯にとらわれず全くの新設扱いだからホームの位置とかで
微妙な誤差が0.1になった。万博中央のキロ程は全く考慮せず査定されている。 当時の事務連絡によると
牛久から4.0キロ、荒川沖から2.6キロとする、になっている。
手続き上は、新規開業と廃止。 ついでに言うと、鋏こん番号は34号。常磐線では南千住と同じ。 一発売箇所あたり月1000枚以上売れる券種を硬券、それ未満を軟券にしたという歴史がある。 >>364
ちょうど時期的に新幹線訴訟で負けた頃で営業キロについては
やたらと生真面目になっていたな。ホームがかわらず
駅舎の移動だけでも営業キロ変更を行ったりしていた。 >>369
省線(国鉄)は元々硬券しかなかった。戦争で板紙が生産できなくなった(物資欠乏)ので軟券化。
その次に昭和32年の運賃改訂時に原版作成が間に合わず、一時的に軟券化(東京駅などの大規模駅での短距離券が中心)
昭和45年頃からの簡易委託化で地方の鉄道管理局が勝手に軟券化。だからこの時代の券は様式が統一されていない。
北海道の簡易委託券なんかまさに異端児。JR移行後も旧国鉄が作成した旧券が残存していた。(片矢券、こんなものJRの様式にない)
私鉄の場合、特に関西系は硬券を使用ぜず、軟券中心の会社がある。
阪神の硬券なんか省線への連帯運輸位しか使用されず、殆ど現物が残っていない。
>>371
その「駅舎の移動」が大事らしい。
運転取扱上の駅中心は、両側の第一場内信号の中間点とかいう
話をどこかできいて、営業キロもそれで決めていると思っていた。
wikipediaなど調べてみたら、そうではなく営業キロの基準点は
「駅長室の位置」のようだ。そうなると線路には一切手を付け
なくても、駅舎が移動するだけで営業キロが付け直されるのも
理解できる。 大抵は無人駅でも人が常駐しないだけで駅事務室は存在するからそこで良いのでは。
なかには何も無い駅もあるから困りそう。
終端駅については「おもな線路の終端まで」とのことだが、ホームの先に引き上げ線
のある駅(久留里線の上総亀山など)はどうするのかな? 私鉄駅にありがちな、長いホームの片端に駅長事務室兼改札のある駅は?
また利用者増加で反対側にも改札がopenした場合にはキロ程は変わるの? 数年前に気付いたが、地元のJR線の駅には“駅中心標”なるものがある
無人駅にもある、待合室とは明らかにずれている
おそらく、均等に構内を二分する位置と思われるです >>377
それが>>373の「運転上の駅中心」では? >>344
>>346
それでも北急の万国博中央口に乗降客数は遠く及ばなかった訳でw 青森の私鉄の入場券には、料金はゴム印というものが多かった >>347と逆の券。
この駅は券売機と印発だけで常時硬券の発売はなかったので記念乗車券だけ。
このほか入場券と相互式が1種づつ出ていた。電子オルゴール搭載の元祖。
ttp://www2.isl.co.jp/SILKYPIX/japanese/campaign/railwayphoto/bbs/file/1381811570.jpg
そういえばとうきょうスカイツリー駅の開業記念も地図式だっけ。 最近の東武は地図式の記念乗車券が多いな。
現役当時はなかったくせに。
ttp://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201310/1342520.jpg
ttp://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201310/1342521.jpg
ttp://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201310/1342522.jpg >>387
ずいぶん前の鉄道模型ショウで売っていたが、係りのおじさんが
「皆帰りの車内で開いて鳴らすから、うるさくてしょうがなかった」と言ってた 東急の窓口では普通乗車券が、
回数券みたいに繋がっていた。 復路専用乗車券ってまだ残ってるとこあるのか?
自動改札の導入で往路のみ下車駅で精算して
復路は券売機で購入ってパターンばかりになったようだけど 東海の小駅に設置されたL-POS端末(でしたっけ?)で発券したMaxやまびこの指定券を見たら、
列車名が「マヤマヒコ○○号」となっていて、駅員が何じゃこれ?と言いながら渡してくれたけど、
その当時、他のマルス券でもそんな表示になっていましたか?
あれって、中途半端な機能だった印象がありますが 「2カイマヤマヒコ○○」だった気が
あの端末機好きだったのに短命だったなぁ… あれでもポスなんだよね。あれ、酉とかでも短命だったよね。
済んだから言えるが、まさに「中継ぎ」みたいな存在だった。 入力画面では「マクヤマ2−○○」と入れていましたね。
券面表示はイマイチ覚えてないけど、「2階(カイ)」の文字はどこかに入っていたと思う。
最新マルスなら「2階Maxやまびこ○○号」で良かったでしたっけ? 東京在住なのに、よく指定券買いにいったなぁ〜
乗車券はPOSよりマルスで出してもらったが、一部断られた箇所もあった >>392
釧路ー東釧路
苫小牧ー沼ノ端
長岡ー宮内
金沢ー津幡
位しか無いんじゃね? >>396気になって手持ちを調べたら、やはり列車名の一部が省略された券があった。
やはり長すぎる名前はなあ・・・・
ノロッコ→ノロ (笑)
http://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201402/1394267.jpg 濁点省略はデフォに近いほどよく見たね。
なんたって「゛」だけで1文字浪費してしまうもの “ゆうゆう東海みのぶクラフトパークわくわく工房体験号”なんてどうやって印刷したんだ(*≧m≦*)ププ ゆうゆう東海母の日感謝号→「ハハノヒカンシャ」だった。
マルスは覚えてないけど、M型だったかな? いや、M型って、券紙が現行マルスと同じフォーマットの最初のやつでは? トワイライトエクスプレスをN型で発券したら
トワイライト号だった 短命でしたが、かつての西の小駅の端末はオレカで購入すると白抜きで□カ〔券売機券よりもデカい〕と入るようにしてましたね。 京都市交通局地下鉄が出来て間もない頃、基本的に大阪市交通局の磁気乗車券と同スペックのはずだが、
券面がどこか緑茶や竹林を思わせる、より緑がかった灰色で(大阪のは薄い灰緑)、裏面が黒(大阪はカフェオレ)
だからかっこよく見えた 思い出して書いてたら長文になっちまった。以下長文注意。
>>416
「〇〇乗ってきた」がクラスの自慢になった時代、ピカピカの京都地下鉄もまた羨望の的(近鉄ビスタカーに
匹敵するような扱い)で、これに乗ったり写真撮ってきただけでヒーローになれたんだよな…。
それが羨ましい俺にも、何故かそれに乗る機会が巡り、もちろん親父からカメラ借りて写真も撮った。
関西の京都なのに東京の営団8000系等にそっくりな電車がやたらカッコよく見えて鳥肌総立ちだった。
でも、「証拠物件兼記念」としてどうしても欲しかった磁気券は、どんなに駅員に頼んでも拒否一点張り。
挙げ句には駅員曰く「そんな欲しかったら券売機で一番安いの買いね?とりあえずきっぷはあげられんわ」。
親父に頼むも「そんなモノわざわざ買ってまで要らん」「見せびらかしてるうちになくす」であえなく玉砕。
どうしても欲しかったのに入手できずに帰った、緑茶色に裏面が漆黒の、京都市交マークもかっこいい磁気券…。
しばらくして、別の奴も京都地下鉄を試乗し、持って帰ってきた磁気券をクラス中でお披露目(こども用の
1区のを自分の小遣いで買ったらしい)、はれて「時の人」に。それになりそこねた俺はまた指くわえて
その様子を見てるだけだったのも、今となってはひとつの思い出。 そういう短距離切符でヒーローになれたのか。
「あずさ2号,新宿⇒白馬」の東急観光発行のクーポン券
で鉄でもないのにヒロインになった女生徒がいたが。 >>416
大阪市営の淡緑が脳内ベースだったので
京都市営の切符に初めて接したとき、色の濃さがどぎつく感じた。
対抗するために話を創作したんじゃなく、当時本当にそう思った。
416さんとはまったく逆だね。 このスレはマターリしていていいね。
大型軟券の補片が好きで、
特に社線は補片で長距離連絡券を求め
実使用して下車印を集めるのを趣味にしてた。
過去形なのは生活の変容で今は趣味から
遠のいてしまっているからだけど。。
世界に各一枚ずつしかない
一期一会の結晶ともいえるコレクションは
眺めてて飽きないし、大切にしている
長野電鉄はJRと連絡運輸やめちゃったけど
まさかそうなってしまうとは。。。
長電の(連絡用)補片って、趣味or実使用を問わず
ネットにうぷしてる画像はそこそこあるけど
見る限り須坂発行と松代発行のものしか
見掛けないけど、自分は湯田中で
JR連絡最長区間でお願いして買って使ったのが
あり、大切にしている。平成十年台の後半
ふと券番を最近見てみたらかなり若い
やっぱり発行すること自体稀だったんだなあと
訪問したらすでに作成してあって
駅長さんがニコニコしてものすごい親切だった
あのときの駅長さん、有難うございました。 乗車券には手書きのものがあったような気がする。
一筆書き片道切符とかがそうだった。
それから経由駅が分岐駅の隣の駅だったこともあった。 >>423
1980年代の最長片道は
補片(補充片道)で発券される時代だった。
当時は旅行会社にもあった。
現在だと出補になってしまう。 二十三年前、今はなき駅で発行してもらった
想い出深い学割の補片があり、大切にしているのだが、
さっきふとググってみたら、なんと同じ冊の補片の券画像に出会えた。
数ヶ月前に出品落札されてたみたい。
筆跡が違うので発行した係員まで同じでないとはいえ
こんな経験は中々なく、懐しさで二十三年前に一気にトリップしてしまった。 画像券の数枚前に発行されたのが自分の券
こんな経験なかなかないから興奮してしまったw
ついでに計算したら単純計算で1日一枚発行したことになる
券売機だけでマルスの無いオフライン駅ならこんなものか。
当時はPOS導入直前で、まだ早見表や手計算で発行してた時代でした。 阪急は昔から肌色だったっけな
阪神は青灰色、山陽は薄黄緑?
記憶が曖昧だすまん 東京臨海新交通は開業当時、濃い青色だったな。文字が見にくくて・ >>427
阪急は柿茶色で無地紋
阪神は淡緑で地紋入り
山陽は合ってる(無地紋) >>429
> 阪急は柿茶色で無地紋
磁気化券以前は券売機券地紋入り淡緑、手売り地紋入り大人青、小人赤。 ↑
わかってるけどさ、
そもそも>>427が想定して語ってる前提の年代をかいてない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています