乗車券類の思い出
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急 行 券 ¥800
____________
(国鉄線50kmまで)
○月○日第408列車 3号車
御 殿 場 ▼ 本 厚 木
(17時53分発車)
A 御殿場駅発行
小
__________________
えいっもう一度
▼は90度左回転と思ってくれ。
小児断線(略)の右は
縦書きで
「A御殿場→本厚木
連急」
日付けは昭和61年8月某日となっている。 そういえば
硬券の表記面がシンプルになった時期あったな。
昭和50年あたりは
いちいち「乗車駅・・・下車駅・・・」だったのが
昭和55年あたりは「・・・▼(90度左回転)・・・」になったり
自販機軟券も「・・・→○○円区間」が「・・・▼(90度左回転)○○円区間」になったりした。
>>30 >>31
大変わかりやすく、ありがとうございました。
「あさぎり」の文字はなかったのですね。
追加でスミマセンが、日付だけ手書きだったのでしょうか?
A型硬券で、自由席と同じ赤色の地紋と言うことでOKですか? >>33
A硬券で赤地紋、乗車日時と号車番号がゴム印でした。 ちょっと珍しい硬券乗車券類の例
・室蘭〜札幌の乗車券+東室蘭〜札幌間の自由席特急券付 D型
・ホリデー滝川・砂川きっぷ D型(特急自由席利用可能な企画切符)
・ライナー券 A型(黒崎や折尾などで売っていたと思う)
・松本→塩尻の復路専用乗車券? B型(名古屋〜塩尻〜東京都区内等の乗車券を
所持し、松本駅精算窓口に提示すると発行された)
・都区内乗車票 A型(団体乗車券に付随して発行された)
個人的に珍しいと思った例の一部だけど、他にもあったら教えて! @銚子,鹿島神宮から東京山手線内ゆきの
自由席特急券や急行券と乗車券が1枚で発券されているA型硬券
A伊豆急行線内から東京までの
D型硬券の特急券。これは号数から発車時刻まで全部印字されている。
B他に発車時刻や号数が全部印字されていた特急券の例としては
象潟や鶴岡から上野までの硬券特急券。利用者が多かったのだな。
連絡急行券 ¥800
――――――――――
←内 湯 浅 ▼ 難 波
(国鉄線50kmまで)
1回限り 2日間有効
湯浅駅発行 小
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湯 浅 か ら
難 波 ゆ き
和歌山市経由
発売日共2日有効 1330円
湯浅駅発行
________________
================
急 行 券
―――――――
下 呂→神宮前
(国鉄線100kmまで)
発売日共2日間有効 450円
1 下呂駅発行
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#上2つは、急行きのくに廃止日に自分で買ったもの(昭和60年3月13日)。
#下のは、東京新橋の古切符屋?で買ったもの(日付け昭和51年9月5日)。
ごめん訂正、連絡急行券の「←内」は脳内で消して読んでね >>36
@・・・A型のがあるとは知らなかった。ちなみにミシン目は無かったですか?
ちなみに室蘭駅発行のD型はミシン目アリで、特急券部分を切り離せるようになってました。
>>39
俺は36さんではないですが、俺の持ってる36の@はA券です。
ミシン目は、ありません。
===============
乗車券・自由席特急券
――――――――――
銚 子▼山 東京
山手線内
2日間有効
¥2500
銚子 駅発行 小
______________
小児断片「山特区1250」
#山は四角囲み、区は丸囲み。
#淡青色地紋。
#券面中央、縦に太目の赤線。
#日付け昭和55年9月7日。 >>35
A型硬券で緑地の「特急・急行用グリーン券」がある。
仙台から秋田までで北上線経由。
まだ規則上現在のように列車関連でグリーン券を発売しなかった頃のやつ。
JR化してから直後くらいの
「内子→140円」のB型硬券
赤地紋で「こくてつ」なのに,券面は「四国会社線」となっている。
学生が多く使う駅では、赤い字で“学”と印字された学割の周遊券、硬券乗車券
を売っていた。東京や京阪神のミニ周遊券等ではよく見られたし、後者もやはり
東京都区内、大阪市内ゆき等は用意されていることが多かった。 きっぷ系スレとは思えない、なんという良スレw
>>42
学割の周遊券はABと揃ってると結構レアです。(更にJRだともっとレア)
乗車券の「学」は主要区間とかで割とありますね。
もうちょっと珍しくなると、○職とかもキレイです。特に○職小はかなりレアではないかと。 よくご存知の方もいらっしゃるでしょうが、三岐鉄道の三岐線に硬券が健在です。
先日、子どもと丹生川の貨物鉄道博物館と、西藤原のウイステリア鉄道をはしごしたのですが、
せっかくなので、丹生川にクルマを置き、西藤原まで電車で往復しました。
往復とも硬券でしたが、子どもの切符が丹生川から西藤原は上記でも出ている大人用を斜めに
鋏で切るタイプのもので、西藤原から丹生川は赤い字で「小」と印刷されているものでした。
ほぼ初めて見る硬券に子どもは目を丸くし、帰りの電車内で「この切符持って帰りたい」というので、
「駅で頼んでごらん。でも本当は回収されるものだから、断られたらあきらめるんだよ」と言い聞かせました。
そして下車時に「これ欲しいんですが」と頼んだ子どもに対し、改札氏は「どうぞ。」と快諾。
子どものとても嬉しそうな顔が忘れられません。
その切符は子どもの机の引出しに大切にとってあります。(長文すみません) 子供の頃に「記念に欲しい」と頼むと
ウンも言わさずダメと回収する駅
窓口に誘導されそこで「無効」のゴム印を押してからくれる駅
そのまま普通にくれる駅
こんな感じだった
無効印は駅員によっては気を使って?裏面に押してくれる人もいた 個人的には特急券や急行券の車内補充券が好きで、結構集めていました。
なぜならその車掌区の乗務範囲などがわかるからです。
例えば名古屋車掌区発行の車内急行券には、新潟、金沢、高山、松本、伊賀上野、
奈良、岐阜などがありました。「のりくら」「赤倉」「かすが」等に乗務してい
たことが想像できます。また、浜松車掌区発行の車内急行券には、当時唯一受け
持っていた優等列車の、急行「東海」の東京〜静岡の停車駅が順に記してあります。
三岐鉄道の話が出たので…暁学園前駅には
集札口の手前に、出場券券売機があった。
近鉄富田からノーラッチで乗り換えて来られる場合も多いからだろうか。
今でもあるかな?
それだけでは板違いなので…なぜか岡谷駅のB型の出場券を持っている。 >>47
急行乗務の車掌さんは
一般的な薄オレンジ地の「車内補充券」と「車内急行券」と2冊もっていたよね。
僕は別に様式にはこだわらなかったけど,ある急行で急行券だけたのんだら,
「車内急行券」をもっているのにもかかわらず,一般的な「車内補充券」使い出した。
僕:なんでそっちの急行券使わないのですか?
車掌:(「車内急行券」をとりだして)こっちがよかった?それなら切りなおすけど
僕:いいえ,どっちでもいいです
車掌:いや,こっち(車内急行券)はいちいち駅名さがしてマルつけたり面倒でしょ。こっちだと
順次書いていけばそれですむから楽なのよ。たいがいの駅間の運賃や料金は頭にはいっているし・・・
20年前ぐらいに各私鉄の車補を集めていたのだが、会社により対応はまちまちだった。
地方私鉄だと「記念にしますから」と言うと喜んで発行してくれていたし、
大手でも車掌によっては「最低金額が10円から発行出来ます」と10円で切ってくれた
とこもあった。
しかし関西の大手では、「そんなことで発行出来ない」と大声で怒られ車内中の
注目を浴びたこともあった。(丁重に断られたところもあった)それ以来切符を2枚買って、
1枚乗り越しして集めていた。 厨房の頃、首都圏ではレチが持っている車内補充券は
地図式の第二種でパンチで穴を開けて発行する縦長の券
中央線の特快で検札にくるカレチも同様だった。
いつだか新宿から中野行きの総武線に乗ったとき
車内精算で回ってきたカレチは緩行線では見かけない白服姿で
思わず乗り越しを頼んだら記入式の第一種で発行してくれた。
すごく感動したよ、列車番号欄は○○○○Cだったし 私は実際に使った乗車券、特急券類で回収されずに残ったものはコレクションしていたが、
沢山集まるにつれ、意図的にコレクションしたいと思うようになった。
そんな中で、絶対にコレクションできると思ったのに、回収されてしまった例がいくつかある。
@盛岡駅・・・新幹線乗り換え改札で、新幹線特急券のみ提示したら、盛岡までの「はつかり」
の特急券も出してくださいと言われた。
A八王子駅・・・「アルプス」から下車したところ、普段発着しない八高線ホームに到着が変更
になっており、急行券回収のための係員がいた。
B特急「南風」車内・・・JR化後でまだ宇高連絡線がある頃だけど、坂出を発車し、終点高松に
着く手前で車掌が特急券を回収に来た。
Cちほく高原鉄道・・・帯広(JR)直通列車に乗っていたので手元に残ると思っていたが、池田駅
で連結作業中に係員が精算(回収)にやってきた。
もちろん、もらえないか頼んでみたところ「ダメ」だと言われた例もあるが、ダメ元で言って見た
らすんなりもらえた例がある。中には、一駅手前で途中下車すれば良いとアドバイスくれた駅員さ
んもいた。 地図式の車補、あれ良かったよね。
当時自分は東京と藤沢の間を往復することが多かったんだが、
わざと東京〜大船を買っておいて車掌が来るのを楽しみに
待ったなんてことが有った。
(54の続き)
乗務している車掌の所属区によって地図の内容が少しずつ異なるのが魅力だったね。
東京近郊区間だとたいがいどこの車掌区でも電車特定区間は載っていたもんだが
津田沼車掌区のものには中央線は西国分寺までしかなかったわりに,
途中駅省略で「名古屋市内」「京都市内」「大阪市内」があった。
>>57
車内で高額紙幣とかを出されて、車掌の準備金が足りないときとかに
その車補を駅に持っていくとお釣りが貰えるシステムだったよね。
裏に書いてあるなんて、ある意味いじわるだよね。
乗客が、申し出るのを忘れて集札口を出ちゃったらパーだ… それなら着駅精算にすればよいかと…
それがために路銀を一時的にでも失うのはつらいと思われ
食堂車にも行けぬではないか 概算ってのは高額紙幣対策だけでもなかったはず。
厳密な計算が時間がかかるとき使ったと元車掌さんから聞いたよ。
たとえば,
三河島から30円区間を原券として小海線の清里までの乗り越し
なんていわれたとき,とりあえず山手線内〜小淵沢の運賃ならすぐでるから
それだけ収受してあとは着駅で清算してくれっていう感じだったらしい。
今とちがって全部手計算だったからな。
>>59
路銀ワロタ。
あっしは喜多八にござんす! 俺の氏んだ婆さん(明治39年生まれ)は路銀という言葉使ってた。 苫小牧で買った、A硬券のエアポートシャトルきっぷ… 関西私鉄式乗車券
回数券のようなつづりになっていて
( )から 2区
45円 下車前途無効
入挟略 有効当日限
( )の中に駅名と日付の入ったスタンプを押していた
車内補充券は切符の周りに駅名と数字が羅列してあって駅名をパチン、日付をパチンと穴を開けていた。
車掌が首から下げていた黒い革カバンとバネ付きのパンチも懐かしす >>57車掌を10年やっていたが一度も概算収受はしたことない。
概算収受の場合必ずしも着駅まで精算不能ではなく、途中駅の精算所に申し出れば良かったかと。精算所は改補発行だから嫌がったろうけどね。 >>65
北海道の無人駅から乗って特急車内で「上野まで行って中央線で甲府に行きそこから身延線
で富士に行ってそこから東海道線で京都に行き奈良線で奈良に行って関西線で
大阪に行きそこから東海道〜山陽線で岡山に行き、そこから伯備線で鳥取まで」
と言われたら時刻表で計算して少し多めで概算にしませんか? 66補足
少し大げさにしましたが、大阪発の北海道ワイド周遊券を道内でなくして
大阪まで車内で買ったことがあるんです。自分はそんな変なルートでなかったですが
ワイド周遊券はかなり複雑なルートも使えたので、そうやって帰るつもりの人
はどうしたかと(再収受の手続き知らずにー自分は知りませんでした)
昭和50年代の国鉄
小さな田舎の駅でもそれなりに駅舎はあったし、近くの店のおじさんが汽車の時間が近くなると切符の窓口を開けてくれた。ハンコで駅名が押されたペラペラの券だったが、懐かしいな。 お酒や食料品も売ってるなんでも屋みたいな駅前商店が必ずと言っていいほどあったよね。
駅業務代行やってくれる店が。 東武の本線系の無人駅の近くには必ずといっていいほど
委託の乗車券販売所があり、○ムの軟券
(おもに最短区間と浅草、北千住まで)を売っていた。
今も健在かどうか今度確かめてくる。 北海道の主な駅では、各種航空券類も積極的に販売していたようだけど、
羽田〜東京のモノレール券も売っていた。硬券じゃないけどグリーンでJR北の地紋だった。 JR九州の特急つばめで車掌から特急券を買おうと1万円差し出したら「駅でおつりもらってください」と
「概算」表記の特急券を発行された。
有り金の1万円を取られたのでビュフェで飯を食えなかった・・・・・。
>>72
一部にわざと万札出して「釣りがないから着駅で」と言わせて、そのまま無札で
逃げるという不正が横行したため概算収受するようになった、という噂があった。
あくまでも噂だが。 >>73
浜松町〜羽田空港が300円の時代で第2ビル延伸前のことだから、てっきりもう
無くなっていたかと思っていた。常備券で札幌近郊はもちろん、たしか富良野
あたりでも売っていたが、まだあるのかな?
逆に質問だけど、那覇空港で見たのはどんな形ですか?
>>73
俺は岡山空港で見かけてカウンターで買ったら、軟券だった。
その後もう一枚買おうとしたら磁気券になっていた。
券売機もあったが、コレクションするならカウンターで買ったほうがいい。 >>76>>77
空港内なら結構あちこちで売っていそうだね。
札幌駅にはたしか券売機があり、モノレール券単体はもちろん、浜松町からの
JR東の連絡切符も買えたと思うが、こちらは今でもあるよね?
他のJR北の主な駅で売っていた常備券(軟券)はたしかB型の2倍ぐらいのサイ
ズで、一ヶ月の有効期限があったと思う。浜松町←→羽田空港のいずれにも対
応していたような気がする。
横軽の最晩年、某旅行代理店の首都圏(霞ヶ関)の支店で
お願いすると横川→軽井沢250円の出札補充券を切ってくれて
記念にドゾーって売ってくれていたのがとても嬉しかった。
自分は横→軽、軽→横と各1枚ずつ買って現地で使った。
(もちろん手元に残した) オレはなんとなくネーミングに惹かれた
国鉄バスの「思い出の丘→美ヶ原高原」を切ってもらったよ。
どこの国鉄駅にも接続しなかった浅間温泉〜美ヶ原高原の一部区間
最終日のC62ニセコが走り去って、ひと気の無くなったニセコの駅で
その列車のD硬券の指定席券を委託のおじさんに売ってもらった。
列車はすでに出発しているので席は重複はしないけど、インチキ券。
売ってくれた方への仁義から、もちろん手放さないで手元にある。 >>78
軟券で1箇月有効ということは「船車券」扱いの奴かな?
連絡運輸の鉄道会社としてではなく旅行業者として発券する物らしい。連絡運輸
扱いより手数料率が高いとかで、JR東日本の駅で東モノ(まだ傘下に入る前)の
乗車券をわざわざこれで発行していたことがあった。 >>83同じようにNEXをわざわざJAL端末で発券した覚えがある。ただ運賃加算の券しか発行出来なかったと思う。
今はどうなんだろ? 懐かしい吉牛コピペの鉄道シリーズが保存してあったw
そんな事より1よ、ちょいと聞いてくれよ。スレとあんま関係ないけどさ。
昨日、白糠線行ったんです。白糠線。
そしたらなんか人がめちゃくちゃいっぱいで座れないんです。
で、よく見たらなんか垂れ幕下がってて、「惜別、白糠線」、とか書いてあるんです。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、赤字ローカル線の廃止如きで普段来てない白糠線に来てんじゃねーよ、ボケが。
白糠線だよ、白糠線。
なんか親子連れとかもいるし。一家4人で白糠線か。おめでてーな。
よーしパパ最終列車の車掌さんにサイン頼んじゃうぞー、とか言ってるの。もう見て らんない。
お前らな、白糠線惜別記念入場券やるからその席空けろと。
赤字ローカル線ってのはな、もっと殺伐としてるべきなんだよ。
ボックス席の向かいに座った奴といつ喧嘩が始まってもおかしくない、
刺すか刺されるか、そんな雰囲気がいいんじゃねーか。女子供は、すっこんでろ。
で、やっと座れたかと思ったら、隣の奴が、白糠線万歳!、とか言ってるんです。
そこでまたぶち切れですよ。
あのな、白糠線万歳!なんてきょうび流行んねーんだよ。ボケが。
得意げな顔して何が、白糠線万歳!、だ。
お前は本当に万歳をしたいのかと問いたい。問い詰めたい。小1時間問い詰めたい。
お前、白糠線万歳!って言いたいだけちゃうんかと。
赤字ローカル線通の俺から言わせてもらえば今、赤字ローカル線通の間での最新流行はやっぱり、
車内で精算、これだね。
乗り越しで東京まで。これが通の頼み方。
車内乗り越し精算で東京までってのは増収にかなり貢献できる。そん代わりお金が多めにかかる。これ。
で、お釣はいらないよ。これ最強。
しかしこれを頼むと次から車掌にマークされるという危険も伴う、諸刃の剣。
素人にはお薦め出来ない。
まあお前らド素人は、有人駅で硬券入場券でも買ってなさいってこった。 1980年代くらいに
旅行会社で普通乗車券を購入すると
マルス券だと所定有効日数。
補充券だと最低7日有効だったな。
>>50
>しかし関西の大手では、「そんなことで発行出来ない」と大声で怒られ
当時すでに、転売ヤーがいたからでは?昭和50年代に関西大手の
ターミナル駅で広報紙を何部か取ろうとしたら怒られた。
カネ出して買うほうも買うほうだけどね〜
まだ夏貸しではないけど、富山地鉄はワンマン列車がほとんどなので
車補が欲しくてあえて朝の不二越・上滝線の3連を狙って乗ったら
車掌女史が、快く好きな駅を選んでパンチしてくれた。
なんでも、けっこう引き合いがあるんだそうだ。 ほんの数年前の話だけど、「ワイド3・3・SUN」はありがたい存在だった
関西モンじゃない俺に私鉄の乗り鉄を目覚めさせるきっかけになった。
似たような形で今後も続けてほしいんだがな、この手の切符 >>87
阪神電鉄です。
ちなみに山陽電鉄では「そんなことでは発行できないんですよ、本社に問い合わせて
見てください」と丁寧な対応だった。
人にもよるんだろうが。 大昔、高松吉太郎氏が関西の軌道は切符を余計には売ってくれなかった
と書かれていた(実際は時代によって必ずしもそうではなかった?)。
統計にでも使う関係とかだったのかな? >>90
京津線の車内券(常備券末期)、厨房がキセルの元ネタにしたため、
趣味的発券禁止令。その後、機械化(車掌端末化)〜ワンマン運転開始。
超近代でもこんな話があったりする。
割と最近だが、JR東のT駅の自動券売機111番で、平成11年11月11日11:11に1枚買った。
さすがに1111ではなかったが。もし1111だったら30万くらいで売れたかな?w H11年じゃあ感熱になってますよね既に…消えてなんていませんよね? >>90高松吉太郎氏、懐かしいですね。
確か鉄道営業法で切符は1人一枚発売と決まっていたような気がします。
あくまでも
確か
>>95
感熱券の保存方法はそれに尽きますか?
地紋だけが残った紙片を沢山持ってます(泣 7年6月8日にJR高尾駅で1箇月の定期入場券を買った。
7-7-7狙い。小児のだけど使わなければ使用資格を偽ったことにはならないw 昔、都市交通統計要覧に、東海道線戸塚駅接続、神奈川中央交通発の
定期外の国鉄連絡の乗客が計上されていたのであたりをつけて
長後駅のバス定期券売り場に逝って、軟券の片道補充券をゲットした。 >>99
たしか阿久和だったよな。
種氏の「弟子」の1人がそれを発見して横浜線のどこかの駅からか阿久和までの
連絡乗車券をゲットしたいきさつを読んだことがある。
>>101
私が長後で買ったのは昭和60年でした。種氏の本や旅鉄は持っていませんが
もしや人づてに聞いた話が刷り込まれていて購入を思い立ったのか
記憶に自信が無くなってきました。
交趣界の達人諸氏に一笑に付されるでしょうが
いつかささやかな所蔵品をupすることにしましてこの場から消えます、、 伊豆箱根大雄山の近くに、関本案内所というバス乗車券発売所があり、
小田急新宿までの硬券を売っていた。
まだ、連絡急行あさぎりがあった頃だから、今はないだろうなあ。 しかしマルスも進化したね。
私が初めて指定席を取って列車に乗った時は縦長穴あきのX型だったかな?
そして、初めてマルス券の周遊券や青春18きっぷを手に取った時には
画期的でびっくりした。 >>106
神奈中にあったのかあ。
俺は、昭和60年にJTBから出た『停車場一覧』の連絡社線の頁を見て、
買いに行っても、なくなっていたのが多かった。 >>106
ありがとうございます。
発駅は長後「駅」じゃないんだ。発行駅が「長後駅」だけど。 JR東日本の青春18がほとんどマルス化されたので
わざわざ御殿場線松田駅まで買いにいったことがある。
そうしたらなんとbO001で大喜びした。
今でも大事にとってある。
>>109
1997年に横浜から松田までチャリでピンク色買いに行ったけどないと言われた。
その数年後四国の某都市に移住しいつでもピンクが手に入るようになったw。 今から11年前、横軽廃止の時に出補(@250円)を売りさばいていた
某旅行代理店が懐かしい!
もうこんなことは無いのでは?
>>103
駅は大雄山でバス停は関本だよね
子供の頃に新松田からバスで関本へ
さらにバスを乗り継ぎ夕日の滝までキャンプ行ったなあ バスの出札窓口って昔はわりとあったよね。
鉄道駅併設でもなく,観光地でもない拠点「駅」で
乗車券買うの好きだった。
名前忘れたが、光から出てる国鉄バスに駅があったなあ。 タダ事典にバス駅のカテゴリーがあった。
ウィキメディアに神奈中の金目駅の写真があった。
20年位前までは愛川町の田代停留所も
「愛甲田代駅」だったのを覚えている。
富士急(富士急静岡バス)の吉原中央駅は有名ですよね。 鉄道にしろバスにしろこんな感じの場所ってないか
昔親に連れられていったころ
・・・出札窓口があって売店があって待合室があって
「まもなく・・・行ばまいりまーす」なんていう放送があって
20過ぎて1人でいってみると
出札窓口と売店は閉鎖されてそれでも待合室だけは残っていて・・・
今1人でいってみると
・・・・路線そのものがない
マルビなんてとおに懐か死語だが、
今のJTBの前身、戦前の日本ツーリストビューローが発行してた切符には
、発行所名の前に、まさに、○内にビの字の符号が書かれていた。 >>114>>115あたりを見て思い出したのだけど、昔はJRバスの十和田湖駅で、A型硬券
の「みずうみ号」「とわだこ号」バス指定券を売っていた。今はマルスでも置いてある
のだろうか?
また本篠山、篠山本町等では、篠山口からの特急券類や大阪方面などへの通し乗車券も
買えたけど、現在はJRバスではないんだね。ちなみに券面には「本篠山駅発行」と印
字されていたし、もちろん硬券もあったよ。 時刻表の索引地図のバスの駅が緑丸だったのは
草津温泉駅や瀬戸記念館駅が覚えがあるけど、他にはあっただろうか? あと、バス駅ではないけどNEXができる前の成田空港とか…
それと、緑丸はないけど鉄道撤退後の名寄にもあったような… >>127
ゲッ!!ご指摘ありがとう。名寄の住民に怒られてしまうところでした…
関係ないけど自動車線の切符は使用後に貰えない(ような気がした)ので
少額の未使用券しか手元に無い… >>124
瀬戸記念橋じゃなく?
つくばセンターも。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています