乗車券類の思い出
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>>256俺が最初に目にしたのは、駅名や列車名がスタンプ式で機械に差し込むとガチャガチャ動く奴。俺が実際に発券担当したのはピン式のN型端末。 >>258
当時の国鉄の出札掛のスキルは高かった。
水戸はかなり早い時期に印刷発行機が本格使用されていた。 >>259-262
D型硬券だよね
JRになってもマルスのなかった根室標津駅発行のだが
長大3線が廃止するしないで瀬戸際だった頃に急行まりもの釧路→札幌の急行(指定席)券を作ってもらった
どこかの駅か販売管理系の部署かわからんが電話でやり取りしながら確認する姿も見れた
もちろん列車名や座席番号などは手書きでした
折り返しで帰る時には2度も「ありがとうございました」と言いながら駅長自らお辞儀しながらホームから見送りいただいた
JR化後だが国鉄のいい部分が残っており今となってはいい思い出
焼け石に水ながら増収になったか不明だが廃止されてしまったのは残念 整理券のあるバスに乗った事が無い。
運賃均一だから 子供のころは整理券のあるバスを初めてみたのは神奈川中央交通のみ。
東京近郊のたいがいの路線は信用乗車方式だったから。 昔の横長マルス券の発行箇所
高田馬場駅発行のは「タカタノハハ」とあったな
そのうち「きっぷ」そのものが思い出になる時代がきそうだな。
いまじゃバスに乗るのも近距離の電車に乗るのもICカードがあたりまえ
そういう子が大学いってはじめての1人で彼女の実家近くに長距離旅行は
コンビニ決済の長距離バス。はじめての飛行機もチケットレス決済。
就職して新幹線に乗ることになり,乗車券と特急券の概念区別もないまま
駅の窓口に並びあたふたと・・・。
すでにそういう人もいたりしそうだ。 >>258
今のJR窓口氏に「上野毛まで1枚」と頼んでも「??上野毛?何線ですか?」と聞かれて、発券までで5分くらいかかりそうだなwww
昔の国鉄職員は態度は悪かったが、職人気質な人が多くて、案内も正確だった。
子供とかにはサービス精神旺盛な人も多かったし。
今のJRは鉄道に全く興味が無いのに入社してきている人が多すぎ。特に女子新卒や東日本のグリーンスタッフ。
脱線スマソ。 どこかのブログで、「硬券切符に穴が空いていて、使用済み扱いになっていた・・」
違うってば・・・ 昔は伊勢線なんてろくに運賃収入なかったから気の毒だったよね。
津で売れたものはすべて紀勢本線,四日市で売れたものはすべて関西本線の
収入になったからなー。案の定「廃止」対象になったけど,いまのように
きちんと計算されていたら国鉄〜JR線のままで残っただろうね。 「ダッチング」ももう作ってないのですかね。
古いヤツを再生して使ってるのかしらん。 回数券の券売機はどこが最初だろう?
軌道なら伊予鉄あたりが最初かもしれないが。
昭和61年ごろ、東モノの駅で、
感熱式のそれが一連になって出てくる機械を見かけた。
券にはちゃんとミシン線も入っていた。 >>280
路線バスなどで採用された単機能式の回数券販売機。
100円硬貨3枚投入すると冊子式の30円区間回数券が1冊出てくる。
昭和40年代後半には実用化されていたと思う。
それはどうも。
軌道とバスを除けばどこが最初だったのでしょうね。 回数券券売機は最初がどこだかわからないが、ミシン線が入った
最終券片を含め11が連なって出てくる券売機は東京急行でも見かけた。
あと東急の一部の駅にあったのでは、利用客が自分で運賃の不足額を
計算して買う、精算券の券売機が懐かしい。 川崎駅の西口には橋上化直前まで珍しい硬券がたくさんあったな。
パターン常備の片道券とか、C型の準常備連続乗車券とか、A寝台の準常備とか。 あとピンク地紋の閑幹特(閑散期用新幹線指定席特急券=D型)もあった。
新潟に行くときわざわざ買いに行った。 末期に善通寺あたりで売っていた瀬戸号のD型硬券は、駅名の宇野と東京は印刷してたのに列車名はゴム印押しだった。 出てきた。
________________
[東]
横 浜 市 内 か ら (988)
川崎・鶴見線内
貝 田
(北)白石間又は白石蔵王ゆき
東 白 石 東北線経由
発売日共3日有効 5000円 小
________________
・988がパターン番号
・白石と東白石が太字(ゴシック体)
・裏面に、 (A)川崎駅発行
・小児断片 (北)白石 2500
・日付 63.-6.19
>>288
どうも。
JRになってからのものは、むしろ珍しい感じがしますね。 探してみたけど、JRになってからの硬券って意外に少なかったことに気付いた。
特に平成になってからのはないね。
ttp://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201110/1002176.jpg
中央下から2つ目は船橋法典→1420円の地図式の裏面。表に[東]は書いてない。
主に[東]の近距離券。阿波踊りの臨時発売もあった。
ttp://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201110/1002177.jpg
特矢割(私鉄との連絡割引)と通過連絡の赤地紋A型券。
>>288持ってるの?裏山鹿 (企) ヌキップ
(乗車券 ゆき)
京都 → 岐阜・
岐阜羽島
¥***
10月10日から
2日間有効
下車前途無効
ホテル券とかえり券
をお持ちの場合に限
り有効です ついでに軟券と他のJRのを。ただし四国は持っていません。
http://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201110/1002177.jpg
たしかにこんなのもあったな〜、という印象です。
POS化後のバーコードのついた回数券、東名高速バスの硬券、東京駅での区間変更券・・
そういえば硬券で新幹線経由は、新幹線にアンダーバーを引くきまりでした。
東日本の入場券には[東]が書かれていない。
東海の新幹線乗り換え改札には、最低区間の乗車券がありました。
右下はハイブリッド車の新型整理券です。 >>293
それ、>>290の下と同じだよね…地下鉄連絡券の。
山手線内の駅で最後まで長距離硬券があったのは鶯谷だったな。 >>294
またやっちゃいましたo( _ _ )o〜† こちらが正しいです。
http://img.gazo-ch.net/bbs/37/img/201110/1002197.jpg
そういえば当時、回数券の日付を印字する専用のプリンターが窓口にありましたね。
11券片印字するのに1分近くかかったような。 Nマルス券の、バーコードみたいなのは、払い戻しの符号だったのか… 下北交通の朝の3連に乗った。
車掌が回って来たので整理券を出し、運賃を払ったら
整理券に○に「済」のハンコを押されて終わりだった。 20年くらい前まで、津軽鉄道の某駅には「2等」の切符があった。
さすがに、3等ではなかった… 紀州鉄道の日高川駅で硬券を買ったんだよなぁ。
あれ、折り返しの乗務員が売っていたのかなぁ。 >>301
それで正解。 車掌持ち分は、通販分と後日不要になった廃札とは別に管理されていたので、判別は可能。
>>302
どうも。疑問がとけました。ありがとう。 >>298
そうそう。整理券がそのまま乗車券に化けるやつね。懐かしいな。
ま、田名部や大畑の駅窓口で切符を買ったら、ちゃんと硬券が出て来たけどね。
駅窓口でも整理券が出て来たらどうしよう…なんて一瞬心配したけど(笑) >>304 どうも。
俺も大畑で硬券買いました。
整理券といえば、土佐電鉄の外国電車には車掌が乗っているということで
車内券を期待しましたが、乗車すると車掌が活版印刷の
整理券を配りに回ってきて面食らいました。
あれらの電車も、今はほとんど走ることは無いみたいですね… 富山地鉄の某駅で入場券を所望したら
硬券じゃなくていいですか〜?と恐る恐る差し出されたのは
軟券だった。
駅名はゴム印だったが、喜んで購入した。
そのときすでに宇奈月温泉と立山の入場券は、
ブームに乗じた硬券になっていた。 地鉄は券売機があっても殆どの有人駅では、手売り軟券の乗車券と入場券がある。
かなり前だったが、立山から富山に戻るとき窓で聞いてみたら、「集めてるんですか?」と聞かれ
「はい」と言ったら「じゃスタンプ押さないでおきますね。富山にも連絡しておきます」と言われ日付印のみで
改札スタンプを押さずに渡された。(通常は窓口で渡すとき改札印を押してある)
電鉄富山に着くと「はい、聞いてます。そのままどうぞ」と通され、未使用状態で手元に残った。
こういうマニアに優しい会社もあるんだとすごく感動した。
まあ最終に近かったんで再使用とか不正使用・転売はあり得なかったわけだが、
もう数年昔の話なんで時効だろうけど・・ 雑誌小学○年生の付録のマッチポンプ的なクイズで、
国鉄の使用済みの切符はどうなる?との問いに
抜き取り検査される、とあった。
世は券売機から吐き出される軟券の時代になっていたが、
本当に行われていたのだろうか。 他に例をみない奇抜な入場券を常時売り出した第一号は長野電鉄の長野駅なのかな?
あのバカでかい入場券はインパクト大きかった。 >>308
補充券(出補・改補・車補)は発行控をチェックするが発行された券は着駅でチェックされなければ、おそらくスルー状態だったと思う。
補充券はなかなか発行してくれませんでした、収集目的とわかるとね
審査があるから、と言って
だから上手い発行事由を考えましたね
ところが優等列車の車掌長になるとノリノリで手書きの車補にメッセージを書いてくれたり
清水港線の車掌さんは三十枚連番発券をしてくれました
補充券が機械化されたのは硬券の消滅以上にショックでした
京王が補充券をモチーフにしたメモ帳を売り出したのを見て懐かしさの余り何冊も買ってしまいました 車補を発行すると乗務終了後に分任出納窓口に日報と発行控えと現金を提出しなければならなかった。カレチはそれが本業だがレチは面倒がる人が多かった。 車内補充券(車補)ではなくて車内片道乗車券(車片)てのもあった
急行券や普通列車グリーン券も車片に含める分類もあった
北陸地方の金沢鉄道管理局管内で、縦横軸に駅名入れて相互の運賃書いた三角表の書式でえらくでかい車片があった
国鉄では金鉄局は地域的には名古屋鉄道管理局と結びつきが強かったが、樽見線も同じような車片があった他、最小の車片であるA型硬券に毛が生えたようなサイズの車片があった。大垣夜行から乗り継いで、車掌さんに全種類売ってくれと頼んだら喜んで売ってくれた
下津井電鉄の馬鹿でかい車補って見たことないけど、線内全駅相互運賃表の車片では
東京車掌区が記念車補ってのを売ったことがあるけど変えずに悔しい思いをした >>314
日本一のサイズだったね。(七尾線能登線用の車内片道乗車券) 今日から青春18きっぷが発売だ
軟券見たことがないって人は赤い18きっぷを買ってみてもいいんじゃないか?
ただしマルス券と違って、売り切れ御免だから注意 >>313
一枚ものの記念切符の裏側が、硬券片道乗車券ふうに仕上げているやつの事かな?横が30センチ位あるね。 >>311
1970〜90年代、東京の国電区間に新駅や新線が頻繁に開業続きだったころ、
車掌が通ると手持ちの図補を「逆検札」するのが楽しみだった。
東神奈川車掌区や浦和車掌区は頻繁に図柄を変えていたな。
車掌によって新版を持ってたり旧版だったり。興味のある車掌だといち早く交換して
もらうんだろうが、売り切るまで角のよれた古めかしい図補を持っている車掌もいた。
東京車掌区や立川車掌区は都度改版せずに何箇所も開業してから一度に改版していた。
甲府車掌区は滅多に車掌に遭遇しなくて、事務所まで何度か買いに出かけたことがある。
当直助役が金庫から出して切ってくれた。 >>311
地方なら趣味でも売って貰えた
しかも出費大変だろうからって子供運賃で発行してくれた
四国では金額切り離し式の補充券が印象的でいろんな地区の地図式欲しかったが、聞くまでもなくたいてい手書き式発行が多かった
首都圏の国鉄の地図式車内補充券にとって、SM分離、SF直通による新川崎駅開業と品鶴線旅客化が最後の大変更だった
横須賀線に乗っていた品川車掌区と大船車掌区は、それまでの山手線と京浜東北線中心の車補から房総が詳細に入った地図に変わった
その前後の車補収集は大変だったが、車掌さんに趣旨を説明すると発券を断られたことはない
それどころか、これまで集めたのを見せると興味津々見てくれた
どうしても手に入らなかったのは、鶴見駅の鶴見線から京浜東北線への乗り換え中間改札口の精算窓口で売っていた地図式の駅補
鶴見線の車掌は鶴見駅の所属だったが、車掌の持っている車補と駅改札の改札補充券は別物で、発行も「鶴見駅乗務員発行」と「鶴見駅発行」の相違があった >>318
興味ある車掌がいち早く取り替える訳ではなく、基本は1冊使いきったら新版受領だな。
途中で交換だと残余分は廃札処理があって面倒なんでね。 ご承知と思うが地図式車補で該当駅の表示がなくても記事欄記入でOKだから、かなり古い車補をいつまでも持ってる先輩車掌が結構いたな。
車補を売るのが嫌いな車掌は随分いたもんだ。 津田沼車掌区乗務員発行の車補の路線図には中央線が西国分寺までしかなかった。
三鷹車掌区乗務員発行の車補の路線図には総武線は千葉まであったのだが・・・。
首都圏の電車特定区間内の車掌区発行のものでおなじ電車特定区間の一部が地図に
載っていないものって他にあるだろうか?
それとももしかしたら津田沼のものは武蔵野線を掲載すべく中央線の西国分寺以西の
ものが省略されてしまったのだろうか。昭和48年くらいの話。
武蔵野線といえば府中本町〜新松戸が開業した当初は駅の券売機上の路線図にも
載らないで,武蔵野線と根岸線延伸部分各駅への運賃が「表」形式で案内されていた
だけだったな。 国鉄の首都圏の車掌が持っていた地図式の車補には、Aから始まるが途中とんでいる記号が振られていた。一つの車掌区で乗務線区によって二つの地図を使い分けていたところもあったと記憶する
地図Aは天下の東海道本線用で、あれを持てば名古屋・大垣まで行っていた、かつての準急東海でも問題なく使えただろう。大垣夜行は東京車掌区が全区間担当していたが地図式の車補を持ったレチさんが多かった
関西のパンチ式の車補は駅名が並んだ表で、パンチの穴が関東より大きかった
収集家向けに硬券や記念乗車券を売っている店はあったが、車補はほとんど扱われてなかった
乗車券収集趣味の本にも車補のことはあまり書いてなかった
インターネットも二chもない時代ゆえ、仲間のいない趣味のような気がしたけど、案外興味を持っていた人もいるんですねえ
軟券だし、たくさん買える代物でもないので、長期にわたって集めたつもりでもアルバム一冊分しかコレクションがない 東京駅の改札内窓口で売ってた大垣夜行用のグリーン券(車急式)
「東京駅から」って印刷してあって、求めると着駅の印を押して発売
あれって俺はさほど珍しくないと思ってきたんだけど
世間ではあまり知られてなかったのかな。
交趣だったかでこの券特定で「求む」人を見た記憶がある。
東京駅だし大垣夜行もたくさん乗ってたし、
やっぱりそんなはずないと思うんだけど。 あ、JR化後です。[東]マーク入り。
しかも自分の持ってるのは昭和64年の日付だけど
そっちのほうがレアかも。 手書き式の車内補充券は印刷場が違っても様式は全国統一だし、それどころか駅に置いてあるがまずお目にかからない出札補充券、改札補充券とも同じ様式なので、切符としての面白味には欠けていた
ところが、日付欄には列車番号記入欄があるし、手書きなので味があるし、話のわかるカレチさんだと備考欄に一筆認めてくれた 地図式や駅名式の車内補充券は車掌さんの腕前がわかって面白かった
下手がやると、パンチで穴あけする時にパンチが券に引っかかってしまう
上手い人だとサッサとパチパチやってしまう
部品即売会で車補のパンチが手に入った時、早速練習して相当早く扱えるようになった >>328
車補のパンチは落っことすと
切れ味がガタガタになる。
ミシン目の切り離し部分に予めカッターで切れ込みを入れておくと綺麗に切り取れた。 パンチといえば検札のパンチも味がありました
でもシャチハタになったら所属と日付が入るようになったので、この世代交代は許せる
改札の切符切り→シャチハタ
有人改札→自動改札
硬券・軟券→マルス
紙の乗車券→磁気カードのプリペイドカード→ICカードのプリペイドカード
車内補充券→車内補充券発券機
検札のパンチ→シャチハタ
検札のパンチ以外は古いのがイイと思うのはトシノセイカ 新参者が何度も書き込んですいません
これまで読むだけでしたが、つい
懐かしくなって十何年振りにコレクションを引っ張り出しました
そうしたら
>>325
>>326
持ってました
本人すっかり忘れてた
昭和63年11月10日 です
>>323
>電車特定区間の一部が地図に載っていないものって他にあるだろうか?
JR末期(S63〜64)のものを一通り全部持っているが、よくみると結構ある。
・符号A 東京車掌区 南武線の分倍河原−立川間、横浜線の町田−八王子間
相模線の海老名−橋本間、京葉線、あと大宮の次がいきなり熊谷
*京葉線は当時、新木場−千葉みなと間開業済
他の様式のも全部書いたほうがいい?
近郊区間内で車掌から新幹線自由席特急券を車内で買うと地図式になり、新幹線乗換口で確認するのに時間かかる
車内改札や降りる駅でも同様
その手間かかるから手書き券でお願いしたら、持ってないから駅で買ってくれと言われたり、地図式の記事欄に区間書き込みやちゃんと手書き券発行してくれたなど、いろんな取扱があった
最寄り駅は当時、近距離券売機しかなく、みどりの窓口もなかった
>>332
よく「一通り全部」揃えられましたね、敬服します
当時高校生でしたが、車掌さんがなかなか売ってくれずに苦労しました 特改車掌は車補を切るつもりで回ってくるので簡単に売ってくれたが、
電車区間の運転車掌はほとんどが「Σ(゚Д゚;エーッ」という顔をした。
山手線の車掌を交代駅でつかまえて頼んだら、生まれて初めて売ったという人がいた。
券番が冊0002-01だったのはご愛嬌。 ・符号Q 品川車掌区(山手線用)S63-4-14発行
記載されていない電車特定区間
五日市線、武蔵野線の西国分寺〜船橋法典間、京葉線、八高線、川越線
鶴見線、南武線浜川崎支線、尾久〜赤羽の線が書いてない、
記載されている最遠端
大宮、奥多摩、甲府、御殿場、静岡、伊豆急下田、久里浜、(内房)千倉、(外房)安房鴨川
鹿島神宮、銚子、水戸、 ・符号 F池袋車掌区(山手線内回り担当)H1-1-21発行
記載されていない電車特定区間
青梅線、五日市線、南武線、横浜線、相模線、鶴見線、京葉線
記載されている最遠端
水上、小川町、相模湖、府中本町(武蔵野線は全駅記載)大阪市内
千葉、水戸(水戸線は全駅記載)、新白河、日光
こんな情報は必要?あと24種類あるけど・・・
あ、>>339の品川車掌区は山手線外回り担当。同じ山手線担当でもこれだけ記載範囲が違うのに改めて驚いた。
品川車掌区は横須賀線にも乗るので、房総方面を意識してたのかもしれない
内回りだと東北・上越方面への乗り越しが多いのかな。 品川や蒲田、東神奈川とかはSF直通開始前はBでしたっけ、房総がほとんどのってないものでした
千葉局のほうはSF直通開始後はW-1、W-2というのに変わりました
>>337
に書いたように、特改さんに余り会えなかったので乗務員室をノックして売ってくれとお願い
高校生なので平日昼間に乗れなかったのが痛い 東海道新幹線の東京〜新横浜をからめた東京近郊循環乗車券をつくってもらって
そこから「飛び出し乗車」という形で各地の補充券集めをした記憶がある。
相模線の車掌に寒川〜西寒川のものを求めたら「本当に乗るの?列車はしばらくないよ」
なんていわれたな。 千葉支社4兄弟。左から
符号W-1 千葉車掌区 内房、外房、久留里線で発売
符号W-2 津田沼車掌区 主に総武快速線
符号W-3 成田車掌区 成田、鹿島
符号W-4 京葉運輸区 京葉
どれも千葉支社管内各線は全駅掲載で、なぜ4種類も作ったのか意図不明。
ただ車掌曰く中央より上半分が鋏を入れやすいそうで、よく売れる駅は
上に来るよう図柄を作ると聞いた。
なおW-2は車掌のほか、錦糸町、両国、千葉、佐倉、銚子、茂原、勝浦、館山
などの駅売り(改札補充、臨時特改用)にもあった。
http://i.gazo-ch.net/205/C6FAoR3IVwoudqeO1XIoOG.jpg >>341
品川とか東京のS-F用はBではなくK。
駅売りが多数存在し、S63の8月に新宿駅や東京駅の乗り換え通路に多数屋台(?)出して
臨時販売してたんで買ってみたら、飯田橋駅とか有楽町駅発行のKだったんで驚いたことがある。
千葉局のW−1はKと殆ど同じ図柄で共に右上の空きスペースは3セク化された木原線を消した跡。
昔の旅客営業規則の「乗車券類の様式」に例示してあった車片。
白浜,洲崎,神戸,野島,館山・・・・などとあり
一見どこだかわからなかったのがある。 地図式B型硬券乗車券の着駅に万博中央が入っているのを代々木で売っていると聞いて、早朝わざわざ代々木に立ち寄って科学万博に行った思い出があります。
無効印を押してもらい、保管。 >>348
鉄道趣味雑誌
鉄道関係の単行本
TTTTの会誌
旅先で知り合った同好の志からのクチコミ >>348
自分で計算すればわかる。地図式は最遠端着駅表示だから。
俺も拝島と武蔵中原で0001を買った。 >>351
なるほどそうか
地図式が売られてた時代はあたりまえの認識だったかもしれんが
地図式に縁のない関西に住んでるからわからんかったのだよ 昔は小山、木更津、大月などに2300円区間(〜160キロ)なんていう高額の地図式があって
山手線の外郭路線が全部細線で書かれてて、まるでクモの巣みたいな図柄だったな。
100キロまでは券売機になっても長い間硬券で残っていた。 >>356
JR化後も、極一部で残った。主にJR東日本(首都圏)。
最後まで残った駅に亘理駅などが含まれている、着駅に関しては南東北が含まれている。
比較的多かったのは房総半島の小駅だろうなぁ。
久留里駅の千葉対応券なんか、2駅しか対象駅がないのに地図券だったし。
>>357
平成4年発行の船橋法典の券もあったよ。オクで売ってしまいもう手元にない。
恐らくあれが最終期だろう。
千葉支社はなぜか矢印式や相互式が嫌いだったような。
逆に柏や我孫子など同じ金額の相互式が10種以上あった。地図式にすれば1種で済むのにと思った。 >>358
その頃の船橋法典ってお馬さんの臨時出札ですか? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています