乗車券類の思い出
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>>144
通過連絡運輸の対象区間て、無制限だったか? >>146
例えばこんなことがあった。
伊勢市から鳥取までの乗車券を参宮線、紀勢本線、伊勢鉄道、関西本線、東海道・山陽新幹線、姫路、
山陽本線、智頭急行、因備線経由で頼んだら、どうやっても出て来なかった。
後に3セクが間に2つ以上入る時は発券できないというシステムになっているのが判明した。
上記のルート、それほど変わったルートではないと思うのだけど、変なシステムになっているんだなと思ったよ。
今は改善されていると思うけどね。 >>141
それって一定日付を境に廃止路線に乗ったあと新規開業路線に乗るってやつだな
@については種本でそんな話みたことあるな。 平成生まれがいるな
そういえば民営化直後は三島会社はバスも直営だった
間にいくつも入れた乗車券作ったな
発駅が広尾だった >>149
民営化直後は旧国鉄バスは全部直営だったよ。
種ルート最長乗車券の経路公表の時期と本州別会社化の時期の先後は
ちょっとわからないけど・・・。 小児断線で切られない様に、赤い小付き券がある区間を聞いてました。
乗るためではないけど、蒐集で購入することが認知されてる時代でしたので。 まだ一般周遊券が存在した頃、こんなことがあった。
豊橋から辰野〜塩尻〜名古屋〜大阪〜和歌山〜新宮〜津〜伊勢鉄道〜名古屋〜豊橋
という経路で某旅行会社にオーダーしたところ、周遊券にするより一筆書きの片道
切符にした方が安いとのことで、一枚の片道普通乗車券として発券してくれた。
でもこの切符だと、名古屋〜金山を二度通ることになるのでおかしいな?とは思っ
たが、行きが大阪直通のしなの利用、帰りが名古屋から新幹線経由なので同区間は
別線扱いとなり、条件がクリアされたものだと勝手に思っていた。
ところが、三セク鉄道(この場合伊勢鉄道)を間に挟む事で、名古屋〜金山の重複
が認識できなくなってしまったことによる、誤発券だと言うことがわかった。
当然現在はシステムが改められ、発券できないようになっていると思う。
まだ自動改札も無く、横長のL型?マルス券だった頃の話。
>>152
名古屋〜金山の重複以前に
名古屋駅に戻った時点で片道乗車券にはならない。
京急横浜駅北口構内連絡改札口(京急では、○H)で、○社扱いの国鉄(のちJR)のB型硬券。
入場券は、初乗り券に入場券ゴム印を入れた。
来宮までの区間まで取り扱いがあった。
国鉄地紋の東日本線、JR地紋の東日本線は、0001を入手した記憶が。
昭和64年1月7日の昭和駅券売機購入の乗車券と、売り渋りしやがった、鶴見駅発行の昭和発のB型硬券。
もう、20年越えかよ。 小学生のころは駅構内を歩くときは下だけ見て歩いた。
そこかしこに切符が落ちているのでそれを拾い集めた。
東京競馬場前→30円をはじめとしていろんな短距離硬券をもっている。
30円の切符ばっかりだったので不思議に思った。
あと切符のほかにも外れ馬券外れ車券外れ船券も一緒に拾った。
束のように捨ててあるのでこれも不思議に思った。
(捨てるくらいなら買わなければいいのに) 名鉄の車内補充券は集めるのには魅力的だった。
縦長で路線図が描かれてて、駅名にパンチっていうのはよくあるパターンだが、金額を予め印刷したのが10円、20円...と10円刻みで200円以上まで用意されていた。地紋の色が5色あって、10の位が10円・60円は水色、20円・70円は黄色..と5色あった。
そのほかにも金額をパンチするタイプのものもあった。 >>157
今でも銚電の駅売りのきっぷにややそれに近いものがあったかと。 県内の中小私鉄の一部の駅(自販化駅もある)で、まだ硬券を窓口売りしているようなの
ですが、これは貴重な存在ですか?
時々コレクション用に買っています。(微少ながら売上に支援) 富良野駅発行の南武線通勤定期券(使用済み)を持っています。ちゃんとした磁気券
でしたよ。予めJR北海道の営業センターに電話で確認して、発行可能
という言質を得ていたので出札口でその旨を話したら、あっさりと売って
くれました。 とはいえ、小湊は、のっけから進化してねぇし。
パスネットもPASMOも導入せず、バス路線も共通バスカードが使えないだろうに。
そのくせ、無人駅で、運賃をしっかりと受け取りに来る車掌ちゃん。
>>163
たいしたことないだろうな。
実際その程度古いのは大半がまだ残っている。
お宝というのはまずこの世にある絶対数が少ないものに限る。
@世間一般の常識的に使って処分される
A戦災などでの焼失
>>163
記念乗車券の中でも、一番ゴミの類かな。
柄はヲタ向けじゃないし、大きく紙質だけはやたらと豪華で厄介物。 むしろたとえば
水郡線川東駅からの「急行券」なんていうほうが「お宝」かもな。
「急行」だった時期は短いし,実際売れた枚数少ないだろうし。 >>136
昭和57年、日曜午前の中央東線・上野原駅
券売機などなく、1つしかない出札は大行列。
列車到着までに裁けそうにない状態。
そして、新宿行普通列車が到着する間際に改札で配り出したのは
何と、廃ポスターを小さく切った裏にゴム印の「乗車駅証明書」だった。
>>167
南武線南多摩駅なんかは、券売機の券紙を適当に切って、ゴム印押したのを配った時がある。 >>167
>>168
その時代は,急造間に合わせ券を配ってでもお客を捌こうとしたんだよな。
今ならどんなに長蛇の列ができてもシランプリだな。 今だと
毎度おなじみの突発事故でJR不通→地下鉄に振り替え輸送
なんてときJRではあのクソ狭い有人改札で振替券を配るのみ
待ちきれないお客が地下鉄の改札に向かうと
地下鉄のほうは係員総出で「振替券」を配って対応。
なんかおかしいよな。 振替票を貰っても、SFで利用している奴は、運賃の安い迂回をしても、しっかりと正規運賃を徴収され、旨み無し。
やはり、現金で乗車券類は購入が一番。
SuicaもPASMOも、とっとと放出しちまった。
手元には、ICOCAと買物が出来ないデビュー記念Suicaがあるのみ。 博多周辺の駅から博多南行きの特急券付き乗車券は割と最近まで横長の硬券だった気がする…
当時は券売機で買えず不便としか感じなかったが… そろそろ、山手線内均一回数券、都区内均一回数券が懐かしくなってきても良いと思ふ昨今…。 東京駅で荻窪までの回数券を頼んだら
都区内均一を売ってくれた思い出がある。たしか同額。 鶴見線の各駅の硬券は、鶴見駅で購入出来たなぁ。
裏には、鶴見線内使用済み。って文言が入っていたけど。
>>175
電車が着く→正面連絡改札に向かわずに→改札脇の小さな窓口に行列!
こんな光景が見られた鶴見駅。 そういや鶴橋の環状線ホームもそんな感じだったな。
窓口は3つくらいあって、大量の客を捌いてたけど。
昭和天皇の崩御が早朝だったから、鶴見線の昭和駅に向かった人、多かったんだよなぁ。
学校は、まだ春休みだったから、俺も行ったよ。
で、駅に二台ある自動券売機には、長蛇の列。
感熱紙だから、消えちゃうでしょ。
と、思いつつ、鶴見駅の出札窓口に向ったら、ガラガラ。
すかさず、昭和駅からの硬券を求めた。
が、掛員、出し惜しみ。
念を押しの交渉で、数枚購入出来たんだが、増収を嫌った?
硬券の在庫の問題?
で、エキサイトしちゃうと、昭和駅の自動券売機みたくなっちゃうだろうから、静かに退散してあげた。
という、昭和最期の日の思い出…。
もう、20年ですか…。
>>179
そうだね、確かに。
スマソ。
ということで、昭和最期の日は、冬休み中でした。
と、訂正させて頂きます。
明延鉱山の「一円電車」、切符1枚の印刷費用が1円を超えていた
と少年向け雑誌で読んだような… 発駅準常備、ってみたことない。どんな場面で設備されたのだろう。
あと、連続乗車券の常備も。 >>181
末期はありえない。 廃品リサイクル。 とはいえ人件費を考慮すると?かも試練。
(不要な厚紙にゴム印押+認印を捺印しただけ)
最終様式はファンによる需要が増えたため、印刷方法を変更している。
>>182
他駅発売(軽井沢エリアの東京向け対応)や新幹線折り返し(清水→静岡→東京)
これらの券はJR券(常備)も存在している。
>>183
速攻レス感謝です。
鉄なガッコ出た人からもらった旅規の本で
いろんな切符の様式を眺めて萌えてます… >>185>>186
塩尻〜松本のは知っていたけど、長野にもありましたか・・・
路線の形態がよく似ているからね。
他にも存在した区間ありますか? >>188
苫小牧ー沼ノ端
釧路ー東釧路
長岡ー宮内
金沢ー津幡
はまだ現役で復路券があった ローカルから寝台特急まで、硬券数百枚持ってますが、古いアルバム台紙にくっついて、剥がせません(TT) >>189
名古屋−(中)金山も
3月に長岡に行ったら「売れなくなった」とかなんとか。 縦長で緑色の特急券や寝台券、プリンタの紙送り用の穴があいたやつ
あれ独特な匂いがして好きだった、今でも覚えてる B型マルスっていうやつですかね。駅や列車名はゴム印を挿すあれ。
私が最後にみたのはたしか昭和59年豊橋駅… 昭和60年3月の国鉄京葉線部分開業のときの電子音記念切符w >>195
電池切れで鳴らなくなるのが多いのに、あれだけは未だに鳴るんだよなあ 鳴らなくなっても記念になるのか?と言っている人が当時もいたな… 怖くて試せないんだが、煙が出るやつとかは、どうなんだろう… よく、青色の大きめの軟券に、一筆書きルートを長々と書いて頂いたなぁ。
回収を恐れて下車駅の1駅先まで買っていた。
途中下車のゴム印が押されると、これがまた嬉しい(笑) 戦前、北海道にタコ部屋がたくさんあった頃に、東京駅で「朱鞠内まで」と言ったら硬券が一瞬で出てきたそうだが、
その券を未だに持ってる奴はいないだろうか? L型?(磁気になる前の横長でミシン目のあるやつ)マルス券で発行した定期券。
一部をはさみで切り取り、パウチしていた。当時としては別に珍しくなかったの
だろうが、定期券に縁の無かった自分にとっては、一度だけしか見たことがない
珍しい存在であった。
あとそのマルスで発行された航空券、宿泊券等は一回り大きなサイズで、当然別
プリンターで発行されていた。
東海エリアでは、POS端末の設置を機に硬券乗車券類がほぼ一掃されたと思うが、
さらにそのPOS端末がマルスと接続された時には、有人駅=みどりの窓口設置駅と
いう図式が成り立ったと思う。
ところでこの端末では、指定券類の発券に結構時間が掛かった他、券面表示も
中途半端なものだった。例えばMAXやまびこ○○号は「マヤマヒコ○○号」だった
と思う。(他のマルス券の表示は知らないが・・・)
その後間もなくにMRマルスに置き換わり、M型等とはちょっと違う券面表示の指定
券類も、端末機そのものも、結構短命に終わったような気がする。 >>200
切符持ったままダムのコンクリートの中に埋まっるよ 祖母に昭和23年の硬券を貰ったが、
英文併記なんだな。 まさかとは思うけど、右上に(進)とか書いてないよね… B型硬券赤地紋で、地紋は消えている。
名古屋より東京まで 金百六十円
Tirdclass
裏面は
Issued subject to the Railway Regulations
模造品臭さも少しあるけど、どうなのかな。 交通標識から何から何まで英文表記された時代だから、
乗車券でも珍しくないのかもな。 昭和30〜40年代の私鉄硬券に混ぜられたからな。
おばあちゃんも、ボケてきたかな。
近鉄の特急券って、発射時間まで常備なんだな。 >>215
時刻常備もあれば判子もあるね
常備なら小人断片に窓口と時刻が○で印刷されてるかな? >>216
小児断片に時刻は普通に書かれてた。
緑地紋のB型 >>218
時代によって変わる。
たとえば「すずか」「かつらぎ」の様に愛称時代はB型淡黄地紋。
初期券は愛称名入り、後期券は時刻のみ。
電算化初期
1960年以降〜 座席指定は端末、発券プリンターが無かったので硬券継続。
1970年以降〜 発券プリンター付端末へ更新
硬券使用は旅行会社やホーム発売用等に縮小「立席承知」用など。
>>217
発行は近ツリだった。
ごめん。A型だったよ。青地紋が褪色したとは見えない。緑と思う。 >>221
緑なら見たことないなぁ・・・特急券ではね。
黄色のA型B型か青色のA型しか見たことないです。 試合が終わった後の、国電・水道橋駅では、自動券売機だけでは間に合わず、駅員が窓口で、
都内では珍しくなった硬い切符を手売りしていた。
後楽園球場で試合した現役選手も少なくなった
巨人は全滅らしいね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%8C%E6%A5%BD%E5%9C%92%E7%90%83%E5%A0%B4
後楽園球場(プロ野球一軍公式戦に限る)でプレーしたことのあるNPBに籍を置く現役選手は
現時点で工藤公康(当時西武、現:横浜)と山本昌広(中日)のふたりのみとなってしまった。
最後のパ・リーグ公式戦は1987年10月13日の日本ハム-近鉄戦で、近鉄の吉井理人が初完投勝利を挙げている。
最後のセ・リーグ公式戦は10月19日の巨人-広島戦で吉村禎章がボールカウント2-4からのホームランを記録している。
最後のプロ野球公式戦は10月30日の日本シリーズの巨人-西武第5戦で、最後の投手は西武の工藤公康、最後の打者は篠塚和典である(結果は三振)。
http://ja.wikipedia.org/wiki/1987%E5%B9%B4%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
なお、このシリーズ終了後に取り壊される後楽園球場で行われた最後のシリーズである。
PL学園高校の同期、清原と桑田真澄の「KK対決」は2打数1安打1四球の成績だった。
なお、この試合が後楽園球場で行われた最後の公式試合であった。
現役選手で、後楽園球場を知っている(プレーしたことがある)選手は果たして何人残っているのだろうか・・・。
今更だが野球は屋外でやるもんだよな
秋の後楽園デーゲーム私も好きでした。
だんだん影が伸びてきて、内野が日なたと日陰でツートンカラーになるんだ。
秋の寂しげな雰囲気が何ともたまらなかったね。後楽園球場の頃のジャイアンツが絶対にいい。
日テレは、巨人戦が早く終わったら、ジャイアンツタイムマシーンを流してほしい。
お気に入りは、81・82・83・87年が好き^^
後楽園球場最後の日、確か87年の巨人軍ファン感謝デーだったが、
みんな観客席やら看板やら手で壊して持って帰ってたぞ。
三菱重工やトヨタや新日鉄や日航でもなく 「カラーテレビ」のメーカーには絶好の媒体だったはずの日立・東芝といった総合電気メーカーをも
差し置いて、音響機器しか作っていないパイオニアが、ペイントではない「造りつけ」の広告を取り壊されるまで出していた。
テレビ、冷蔵庫、洗濯機といった必需品的家電品がほぼそろい、次は、文化・娯楽的商品であり、ほとんど普及していなかった「ステレオ」と
いうものが、砂漠に水を撒くかのように売れて、破竹の勢いだったんだんだろうな。
いまやオーディオ機器も、すっかり安くなったうえ、パソコンやシリコンオーディオの台頭で電器屋でも片隅に追いやられるようになった。 野球繋がりで・・・
ナゴヤ球場正門前発着の切符も硬券で売られていた。
名古屋発だったか球場発だったか忘れたけど、A型もあった。
当時名古屋駅から140円の区間は無く、自動券売機にもボタンが無い為
売られていたのだろうけど。
横浜スタジアム最寄り駅、関内では、国鉄最後の日以降は、D型の観光記念入場券のみに…。
横浜アリーナ、横浜国際総合競技場(現・日産スタジアム)の最寄り駅、新横浜では、初乗り運賃のB型硬券が当たり前の様に売られた。
日産スタジアムの本当の最寄り駅は、小机。
>>225
名古屋で売ってたな。確か両方売ってたような気がする。
そのとき乗ったキハ80が懐かしい。 名古屋駅で買うと、A型硬券で名古屋からナゴヤ球場正門前ゆきの表示だったが、
球場発売分は、B型硬券でナゴヤ球場正門前→140円区間の表示だったと思う。 類といえば。
旧鉄道管理局長発行のただ乗り証があったんだが、保存の不手際でいたんでしまった。 どっかの私鉄の手回り品定期ってのを見せてもらったことがある。
行商人用だったとのこと。 >>231
私が見せてもらったのはヲタ急「大秦野」発行のヤツだったけど
なんでも、そこでは箒の行商人組合員証が無いと買えなかったのだとか。
どこか他にもありましたらよろしく。 JR東海の旅客営業規則によると制度上は今でも存在してるようだ。
定期手回り品切符の他にも回数手回り品切符ってのもあるらしい。
ttp://railway.jr-central.co.jp/ticket-rule/cjr-regulation/_pdf/000001156.pdf >>225
東京都区内でナゴヤ球場まで手書き券売って貰ったことがある。
名古屋市内にならないことを何度も確認していたな。 >>234
えっ!名古屋市内にならないの?何でかな??
以前豊橋・二川・豊川⇔名古屋市内の新幹線Qきっぷを売っていた頃、野球観戦に
出かける際の利用PRをしていたような気がするが・・・ >>182
連続乗車券の常備。私、これ持っています。
@仙台ー(常磐経由)ー日暮里ー(本線経由)ー岩沼
A岩沼ー仙台
及びその逆。両方と常備がありました。
最近でも仙台駅のみどりの窓口では簡単に発券してくれます。 日付が8/8で番号が8888の愛国-幸福の硬券
いくらで買う? >>238
っ@
ゴミはゴミ箱へ(混じれ酢) JNR@帯広が結果的に万単位で販売。あれだけ出ればだれ〜も見向きしない。
除く 東京印刷所で試験的に印刷したもの
>>235
名古屋市内の駅にヤゴヤ球場が含まれてないからと思われ >>237
国鉄時代、千葉駅に常備券があった。縦長の軟券の中央にミシン目が入って
連続1 千葉→勝浦→安房鴨川→館山→蘇我
連続2 蘇我→千葉
逆回りもあり。
242訂正
縦長の軟券の中央にミシン目が入って
じゃなくて
ほぼ正方形の軟券の中央にミシン目が入って縦長の券片が2枚並んでいる >>245
もう何十年も前の事で、現物は2枚とも改札で渡してしまったの
で定かでないが、当時の回数券の終券片を横に2枚並べた、
というのが近いのではないかと思う。
それにしても何で2券片目を使わずに手元に残すと、いうだけの
知恵がなかったのか悔やまれる。蘇我〜千葉はわずか20円か
30円だったと思うのに。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています